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HABAの「愚痴愚痴日記」


目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2006-02-20 インフル。
2006-02-19 A型インフルエンザ。
2006-02-16 統合失調症。
2006-02-13 母について。
2006-02-10 SAD(社会不安障害)。
2006-02-09 虐待。
2006-02-08 父。
2006-02-07 スクールカウンセラー (続き)
2006-02-07 スクールカウンセラー
2006-02-06 祖父との同居


2006-02-20 インフル。

A型でした。
やっぱり、夫のがうつりました。
頭と腰が痛いです。
38.8度です。

シオリは今日も学校に行けました。
明日も先生が来て下さるそうなので、子供たちにはインフルエンザがうつったりしないと良いんだけど。

先頭 表紙

【麦ちゃん】割とあっさり治っちゃった(笑)。夫ほど早い回復ではなかったけど、二日寝込んだだけで済みました。 / HABA ( 2006-02-27 10:31 )
【雅ちゃん】昨年のB型の時よりもすぐに治っちゃったみたい。20日の夕方に薬を飲んで、翌日の昼過ぎまで熱があったけど、夜には熱もなくなったし、咽喉も痛くならなかったの。おかげさまで心配してた子供たちへの感染もなし♪ / HABA ( 2006-02-27 10:28 )
もうよくなったかな? / ( 2006-02-26 02:50 )
1回だけインフルやったことあるけど、背中や腰が痛くてあんなにツライ思いをするのは最初で最後にしたいと思ったよ。シオリちゃんやトモちゃんにどうかうつりませんように。サークルの仲間、ママと7ヶ月児がうつって同じ布団で寝てた3歳児は平気だったって言ってるし。意外と移らないものなのかも? / 雅(みやび) ( 2006-02-22 20:14 )

2006-02-19 A型インフルエンザ。

シオリは金曜日先生に迎えに来て頂いて、別室で学年末試験を受けてきました。
帰ってきてからは、以前のように笑ったり話たりするようになりました。
だけど、昨日(土曜日)も「幻聴が聞こえる。誰かの話し声みたいな感じ。」なんて言ってます。ホントか!?

木曜日の晩から、夫が「なんだか関節が痛いんだよー。」と言っていたのですが、熱は37.5度だし、
木曜の夜に仕事のトラブルが入ったので休むわけにいかなくて、金曜日も出勤したのですが、具合が悪いからと帰ってきました。
熱は38.5度。
私もちょうどいつもの薬が切れるところだったので、結婚して初めて二人揃って病院で診察を受けました。
夫が熱を出して病院に行くなんてことは結婚して13年間、一度もありませんでした。
インフルエンザの検査によるとA型インフルエンザ。
昨年は、夫以外の家族全員がB型インフルエンザに罹ったのですが、A型はしばらくやってないので、もしかしたらうつるかも?

夫は、既に土曜日の朝には熱は無く、タミフルの効果に感嘆しております。
私とシオリは咳は出るけど、熱は無い状態です。
ただの風邪かしら?

そうそう。金曜日の午前中にビビ(真ん中の妹)がウチに来たので昔話をしていたら、ビビも母にひどい目に遭わされたそうです。
逃げられないように足の上に乗っかって、髪を掴んで何度も柱に頭を打ち付けられたと言っていました。
それから、ビビの場合は実際の暴力よりも言葉の暴力が多かったようです。
何かと言えば「お前はバカだから。」とけなされ、高校時代に部活で遅くなった時には「客でも引いてきたのか?」と言われたり。
「客を引く」という意味が妹にはすぐにはわからなかったようですが…。
それでも、ビビは割と自由にさせて貰ってたから良かったところもあると思う…。
高校生なのに、バイト先の飲み会参加を許可してもらってたんだから。
私なんて、好きなロックバンドのコンサートにも行かせて貰えなかったんだもの。
そのロックバンドは解散しちゃって、二度と行くことは出来なくなったし、その後、誰かのコンサートに行くという機会は全く無かったのです。

だから、私は生まれてから一度もコンサートというものに行った事がありません(笑)。
でも!この間KAT−TUNのコンサートの申し込みをしました♪
抽選だから、どうなるかわからないけど。

先頭 表紙

【麦ちゃん】光GENJIかぁ〜懐かしいね♪今でも、ジャニーズのコンサートでは団扇に名前書いたものを持って応援するみたいよ(笑)。さすがにハッピは着ないみたいだけど。 / HABA ( 2006-02-27 10:26 )
【雅ちゃん】オムツ替えは、つかまり立ちが出来るようになってからは、立たせたままで外して、ザッと拭いてた。最後の仕上げ拭きだけは寝かせないとダメだけどね、それでも、大物(笑)が処理済だと少々暴れても大丈夫だよ(笑)。下痢の時は無理だけど、それ以外なら立たせて替えてみてはいかが? / HABA ( 2006-02-27 10:23 )
ジャニのコンサートは、二回ほど友達に連れられてヒカルゲンジのに行ったことが有ります。メンバーそれぞれにファンがいるから、みんな支持するメンバーの名前の看板や団扇を持って応援してたよ。そのようすはさながら選挙運動みたいだったの覚えてる(笑)。当たるといいね。 / ( 2006-02-26 02:51 )
ワタシも逃げられないように足の上に乗っかって泣き叫ぶムスメのウンチのオムツを替えてます。だって、ひっくり返られるとそこらじゅうウンチまみれになるじゃん?余裕があるときは目新しいおもちゃを持たせておくけどさ。それにしてもお母さん。自分は痛い思いをしないで、ムスメだけに痛い思いをさせるっていうのはフェアじゃないと思う。柱にぶつけるなんて。やるならビンタにしときなさい!って思ったけど、4人いたんじゃもたなかったのかなぁ・・・。二人でアップアップのワタシにはそのへんはわからんが。 / 雅(みやび) ( 2006-02-19 12:40 )

2006-02-16 統合失調症。

ちょっと前には精神分裂病と言われていた病ですが、いわゆる電波系ってヤツ。
シオリを14日に精神科に連れて行きましたが、先生の質問内容から、コレかなァと思いました。
でも、ホントにそうなのかどうかは疑わしいけど。
シオリは病気になりたくてウソついてるかも知れないし。
先生の質問に首を振ってただけだから、自分の口で何か言ったわけじゃないし。

幻覚や幻聴が見えたり聞こえたり、誰かに操られてる感じがしたり、テレビで自分の悪口を言ってるように聞こえるとか。
…でも、それはどうかなァ?
自分が好きなアニメなんて、録画予約まで入れてテレビ観てるんだよ?
それに、もしそうなら、自分から「精神の病気かも知れない」なんて、言わないと思う。
統合失調症の人は、自分はおかしくないって言い張るらしいけど、うつ病チェックをネット検索して自分からやってるんだもの。


それでも、お薬を出して頂いて、昨日はちょっとだけ国語のワークを読んでいました。
数学に手を出す気にはまだなれないみたいだけど、一応、薬を飲んだっていうので気分が変わったのかな?

最近では、自傷行為やら、「死ぬ」って言って家を出て行って、家に連れ戻せばベランダに出て行こうとしたり、ご飯を食べなくなったりで、もう、どうしていいものやらって感じだったけど、一昨日の晩に薬を飲んでからは、そういうのが少しは治まってきたみたいなので、良かったかな。

摂食障害は母親との関係に問題があるということらしいので、私に悪いとこがあるんだろうけど、どこが悪いのか、自分ではよくわからないんだよね。
シオリは、家族が全員嫌いだって言うだけ。
じゃあ、そんなに家族と居るのが嫌なら、親戚の家に預かって貰うようにしようか?って聞けば、嫌だそうだし、学校に行かないまま中学卒業したら、その後どうするの?って聞けば、死ぬから良いって言うし。

昨日はテレビに不登校の中学一年生の子が出ていた。
あの子の家はお父さんが問題になってたけど、ウチはそんな家庭内で問題があるとは認識してないんだけどな。

先頭 表紙

【麦ちゃん】自分に自信が持てないっていうのは、私も確かにそうだと思う。不登校になる子は、みんなどこか自分に自信が無いんだと思うな。私自身もそうだった。シオリもアニメには夢中になってるんだけど…まだ恋には縁が無いらしくて、学校に好きな人に会いに行くっていう楽しみが無いみたいなの。恋でもしてくれたら良いんだけど(笑)。 / HABA ( 2006-02-19 02:21 )
ごめんね、病気のことはよくわからないから、こんな単純な話じゃないとは思うんだけど、私はそうだったなあ。って話ね。 / ( 2006-02-16 08:56 )
自分に自信がもてないんじゃないのかな・・。気がついたらこういう自分で、何故そうなったのかと思い返す時、今まで家族の中でいい子にしてた子ほど、原因は家族にしか思い当たらないんじゃないのかな?だから、直接的に家族が悪いわけじゃないんだと思うよ。シオリちゃんも本当はそれを知ってると思う。・・・だからだから余計苦しかったりするかも。「私にはこれがある!」って勉強そっちのけでも、アニメや部活の先輩に夢中になれる能天気さが有った私は、この時期はそれで乗り越えたのかも。 / ( 2006-02-16 08:53 )

2006-02-13 母について。

このところずっと母への恨み言を綴ってきましたが、書いているうちに、母にも少しは私への愛情はあったのだろうと思えるようにはなりました。

だけど、子供の頃の私には愛情は、ほとんど感じられなかったのです。
と、いうか…他の姉妹ほどには愛されてはいなかったと言うべきでしょうか。
私はずっと良い子でした。
でも、良い子は親に忘れられてしまいます。
どうしても、問題児の方に目が行ってしまいがちです。
出来の悪い子ほど可愛いといいますし…。
でも、良い子でも、気兼ねなく親の気が引ける時があるのです。
それは、病気になった時。

…私が中学生の時に、お腹の調子が悪くて病院に行きました。
よく覚えてないけど、激しい下痢をしていて病院に行くにも行けず、ようやく下痢が止まった頃に、母に病院に連れて行って貰ったんだと思います。
もう、ふらふらで歩くのがやっとでしたが、バスに乗って病院に行きました。
帰りに母がショッピングモールで「ちょっと買い物をする」と言うのですが、
私はもう、具合が悪くて具合が悪くて、どこでも良いから早く横になりたいぐらいだったので、「早く帰りたい。」って言ったのだけど、母は「ちょっとだけだからいいじゃない。」と言って、洋服を選んでいます。

10分経っても20分経っても、母の買い物は終わりません。
「これ、どうかしら?」なんて言ってます。
私はお腹の具合が悪くて、オナラが止まりませんでした。
だから、人の多いところにずっと居るのは嫌でした。
私は通路にへたりこんで居たのですが、そこに「これ、どう?」って言って来た母が
「やだ、臭い!あんた、臭いわよ!オナラぐらい我慢出来ないの!?いい年して恥ずかしい…。」と言うので、「もう、1人で帰る。」と言ったら、「そんなに具合の悪い人を1人で帰して、途中で倒れてたらどうするのよ!もうちょっと待ってなさいよ。」と言うんです。
私は拷問でも受けているような気分でした。
本当に倒れられたら良かったんですけど、生憎とそこまで悪くはなかったらしく、ただ辛いばかりでした。

私は、母に大切にして貰っているとは、到底思えませんでした。
具合の悪い私は、母にとっては厄介物以外の何者でもありませんでした。病気の時ぐらいは優しくしてもらえるはずだったのに…。

私と母は、水と油のようです。
今でも意見が合いません。
シオリが不登校になった事についても「心が弱すぎるからいけないんだ。スポーツでもさせれば良いんだ。」「子供がそういう風になるのは、親の責任なんだからね。でも、大人になってからは自分でなんとかして貰わなきゃね。」などと言います。

この前ウチに来た時には「ばあちゃんはね、嫌いな人をいじめに会社に行ってるんだ。今日も足を引っ掛けて意地悪してやった。」「明日は何してやろうかと考えるのが楽しみだ。」とか、シオリに言うのです。
いじめられて学校に行けなくなってなんか居ないで、反対にいじめる子をいじめてやれとでも言うのでしょうか?
励ましたいのでしょうが…言ってる事がメチャクチャです。
母の考えは私には理解不能だし、私の考えも、母には理解不能なのでしょう。

先頭 表紙

【織姫さん】介護のほかにも気になること心配なことがいっぱいあるんですか?大変そうですね…頑張ってくださいね! / HABA ( 2006-02-19 02:18 )
【麦ちゃん】なんかね、話をよく聞いたら、その相手の人もひどいらしいのよ(笑)。だから、まあ、気持ちはわからないでもないんだけど、子供の前で、いじめをしてるだなんて言って欲しく無かったわ(笑)。今でも辛い時があるけど…ココにいろいろ書いてからは大分辛くなくなってきたみたい。心の中でモヤモヤしてたものが形を現してきて、冷静に当時の母の心情も察する事が出来るようになったからかな? / HABA ( 2006-02-19 02:13 )
【雅ちゃん】3人の娘たちがって言ってもね…一番下だって、4〜5歳ぐらいだったのよ?雅ちゃんほど大変じゃなかったと思うの(笑)。でね、私が辛かったのは、買い物に付き合わされた事よりも、母の言葉なのよねー。 / HABA ( 2006-02-19 02:07 )
我が家と一緒じゃん。 介護が必要になると、娘自慢を始めるのよね。SADは自覚が無いのよ。それよりも、気になること、心配なことがいっぱいあってさ。(苦笑) / 織姫 ( 2006-02-13 21:23 )
義母の母の話を聞いているよう・・。テレビや雑誌の投書に出てくる、すごい人・・って印象。特に最後の下りは、そういう考えで生きてる人が人が本当にこの世にいるんだなあ・・って。いくらお母さんといえど、意見が合ったら怖いかも(笑)辛かったねえ。それでも親子として交流がもててるのが、第三者としては不思議。血は水よりも濃いっていうのかな?もしかしてHABAちゃんは今も辛いんじゃない? / ( 2006-02-13 19:55 )
わかってくれてると思うけど、別に私はお母さんの味方でもないし、HABAちゃんを励まそうと思って書いてるつもりもないの。ホント、第三者的率直な感想。それにしても・・・。おかあさん、シオリちゃんを励まそうというキモチはわかるけど、ピントずれすぎ。まあ、キモチがわかるようになっただけマシ? / 雅(みやび) ( 2006-02-13 18:51 )
もう、お母さんったら子供みたい。多分、病状が案じてたほど酷くなくてほっとしちゃったんじゃない?それで久しぶりのふたりっきりのお出かけモードで、羽が生えたように?なんだか想像できる。だって、家に帰ったらあと3人の娘たちが待ち構えているんでしょ?つかの間の気分転換のつもりだったんだろうけど、それにつきあわされたんじゃ病人はたまんないわよねー。甘ったれるんじゃねぇ!って言いたい。でも私も4人娘がいたらどうなるかわかんない。だって、長女と二人でたまに出かけると今でさえ、なんて身軽なのっ足取り軽くなるから。 / 雅(みやび) ( 2006-02-13 18:48 )

2006-02-10 SAD(社会不安障害)。

最近、「SADは治療できます。」とかっていうテレビCM(?)を見かけるようになったので、SADチェックというのをやってみたら「SADの可能性があります」という結果になりました。
シオリにもやらせてみたら、ほとんどの項目で、(その行動について不安や恐怖を)「非常に強く感じる」・(その行動を)「回避する」でした。
私よりひどいわ。
教室に入る事や、同じ中学の生徒と会うのが怖いのも、このせいかも知れないと思いました。
字を書く時にも手で隠して書いたりするし。
12月に学校を休んだ時も、人前で発表するのが嫌だったからだし。

実は、私は中学生の頃学校に行けなくなりました。
数学の時間に先生に当てられて答えるのが恐怖だったのです。
答えを間違えたらどうしよう?と、そればかり考えていました。
そして学校をお休みしていた時、母は私の髪を掴んで家から引きずり出そうとするし、
「家の居心地が良いから学校に行けないんだ。家を地獄にしてやる!」と脅すし(元々、そんなに居心地が良かったわけではありませんでしたが)、
父は、「学校にもまともに行けないようなヤツは、生きてる資格がない。死んでしまえ!」と言うし、
本当に居場所が無くなったというか、父だけは私の存在を認めてくれていると思ってたのに、死んでしまえと言われて、本当に死ななきゃならないと思いつめました。

その晩、家族が寝静まったのを見澄まして、家を出ました。
当時は11階建ての建物に住んでいたので、一番上の階から飛び降りたら、間違いなく死ねると思ったのです。
その前にも、死んでみようかと首をつってみましたが、椅子をけり倒す前に苦しくて断念してしまったので。
中学の理科の先生が、高いところから飛び降りると、途中で意識を失うから痛くないって言ってたし。
そして、玄関を出てエレベーターのボタンを押したところで、母にいきなり腕を掴まれました。
「どこにいくつもり?死にに行くんでしょう?」と言われたのは覚えています。
その後、何か母と話した気がするんだけど、あまり覚えてません。
お父さんは本気であんなこと言ったんじゃないよとか、そんな感じの事を言われたような気がします。
その後、担任の先生が家に来てくれて、学校に連れて行ってくれて、また学校に行かれるようになりました。

大人になってからも、人前に出るのは恐ろしかったし、電話に出るのも怖かった。
仕事が事務職じゃなかったので、あまり電話に出る必要が無くて済んだのが幸いです。
未だにPTAの集まりなんかに出るのは好きじゃないです。
昔みたいに恐怖を感じたりはしないけど。
電話もあまり好きじゃない。
今はナンバーディスプレイだから、番号や名前を確認して、心構えをしてから電話に出るから平気だけど。

SADは薬で治療できるらしいです。
脳内伝達物質のバランスが崩れているせいなので、セロトニンやドーパミンのバランスが正常になれば治るようです。
もしも薬であの恐怖心が無くなるんだとしたら、人生、なんて楽になる事かと思います。
ただ、今はまだSADの薬というのが認可されていなくて(治験している段階なので)、うつ病とか何か別の病名になってしまうようです。

先頭 表紙

【麦ちゃん】うふふ。立ち話大歓迎よ♪そうだなー。日本人なら誰でも可能性があるものなのかな?でもね、私の父には無さそう…スピーチするの大好きなだもん。ウチのトモも、以前、一年生歓迎会の司会に立候補したらしいし…身内でも、可能性無さそうな人がちらほら(笑)。 / HABA ( 2006-02-19 02:02 )
【雅ちゃん】なんですと?ダーさまにも可能性が!?それなのに、あちこち出張に行って、知らない人に会ったりしてるなんてすごいわー!尊敬〜。いや、その前に、アメリカ留学もしてるんだもんね。すごいー。私には怖くて想像も出来ない。。。 / HABA ( 2006-02-19 01:59 )
(あら、その結果は幼稚園ママでの素敵な日々を約束してくれるものじゃない?幼稚園で楽しそうにしてるお友達の多いママの子は、きっと幸せな園生活を遅れるわよ。) / 麦@立ち話ゴメンね。 ( 2006-02-16 21:22 )
が〜ん。が〜ん。やっぱり私がヘンだったのね。(笑) でもいいもん。ヘンでも十分生きてこれたから。でも実はこれからの幼稚園生の母生活が不安なのよね。ちゃんと普通のお母さんのフリができるか。だって自分はいいけど、子供がそのせいでイヤな思いをしたら可愛そうじゃない? / 雅(みやび) ( 2006-02-16 21:09 )
私も雅ちゃんのツレ様と同じで、そう思います、日本人だったらみんな可能性あったりするんじゃないかしら??なんてね。・・・・あ、でも、だったら雅ちゃんは・・えっと・・。 / ( 2006-02-16 08:10 )
うちのツレがこっそりやってたよ。結果が「可能性があります」だっていうから「なんで〜?」って聞いたら「普通はそうだ。」だって!「えーでも私は・・・。」って言ったら「そっちが異常じゃ。」っていさめられちゃった。やっぱり私がヘンだったんだわ。(笑)できるものなら、私のこの能天気をシオリちゃんにわけてあげたい。 / 雅(みやび) ( 2006-02-15 00:13 )
【マッキィ。さん】ああっ!飛ばしちゃってゴメンなさい(汗)。うつ病でもセロトニンが不足するのですか…じゃあ、SADのひどくなったのがうつ病ってイメージかも知れませんね。自分でコントロールできるなんて、すごいなぁ。私はついつい避けちゃうか、あるいは我慢してるうちに頻脈の発作が出てしまう時があります。 / HABA ( 2006-02-13 11:19 )
【雅ちゃん】母が私に優しくしてくれる時には、演技してるような違和感を感じたの。ヘンな猫なで声を出したりして。というか…私に優しくしてる自分に酔ってる感じというか。だから、素直になれなかったんだな。常々、「死ぬなら、誰の目にも触れないところで、誰にも迷惑かけないようにやってくれ」とか言われてたしね。娘に飛び降りなんかされたら、後始末が大変だから嫌だったんじゃないかと思ってみたり。世間体を異常に気にする人だったからねー。 / HABA ( 2006-02-13 11:03 )
【麦ちゃん】母は母なりに愛してくれては居たんだと思うけど、その頃の私には、その愛情は感じられなかったのよね。私はとても気難しくて嫌な子供だったし、母とも気が合わなくて、水と油みたいな感じで、お互い素直になれないのよねー。シオリを産んだ時には「産んでくれてどうもありがとう」って、素直に感謝出来たから、しばらくは割と上手くいってたんだけどね。。。 / HABA ( 2006-02-13 10:56 )
【秋さん】「お腹にいなかったら」なんて言われちゃうと、傷つきますよね…。お母様の心の中だけに留めておいて下されば良かったのに…。大人になってからだったら、受け止められる言葉だったのかも知れないけど、14歳には重過ぎる言葉ですよね。 / HABA ( 2006-02-13 10:52 )
【秋さん】「病院へ行きましょう」ですか!それなのに、毎日大変なお仕事をこなしてらして、尊敬しちゃいます。 / HABA ( 2006-02-13 10:47 )
【麦ちゃん】私もね、だいぶ慣れっこにはなったんだけど、時々急に怖くなる時があって、懇談会を欠席しちゃったりするの。いけないなぁ〜とは思うんだけどね。。。 / HABA ( 2006-02-13 10:45 )
【織姫さん】「だったけど…。」の続きは。。。あまり気にしたことが無いということでしょうか? / HABA ( 2006-02-13 10:44 )
【雅ちゃん】そうじゃないかと思ってた(結果のこと)♪脳天気とは違うと思うけど、前向きっていうか、ポジティブだよね〜! / HABA ( 2006-02-13 10:42 )
うんうん。私も思った。お母さん、言い過ぎたって反省してHABAちゃんのことが心配で眠れなかったんだと思うわ。だから止めることができた。それなら最初から優しく対応したらいいのにねー。それができないからお母さんももどかしかったのかなぁ〜。ほんと、孫を溺愛するんじゃなくて自分の子を素直に愛せればことは簡単だったのに、自分の子のこととなると冷静にはなれないものなのね。 / 雅(みやび) ( 2006-02-12 23:52 )
お母さんがエレベーターに乗るHABAちゃんを捕まえられたのはやっぱり愛によるものよね・・。ご両親がもうちょっとだけ自分の感情をコントロールできたら、よかったのにね・・なんて、他人の私が思ってもしようがないけど、子どもを安心して大きくなろうと思えるくらいには、強い大人でいなくちゃなあって思うわ。 / ( 2006-02-12 14:24 )
可能性があります、と出ました。ただ、セロトニン不足というのは、うつ病とも共通する部分ですので、そう出るんだと思います。そしてうつ病を経験した今は、どうすれば自分で悪くなるのをストップできるかをわかっているので、うまく力を抜いたりリフレッシュして悪くならないようにしています。誰もが不安に思うことはありますから、自分の気持ちとどう付き合っていくか、だと思います。 / マッキィ。 ( 2006-02-11 07:29 )
ずっと日記読んでます。私は親に虐待はされなかったけど、14歳のときに母から「お前が腹にいなかったら・・・」と言われました。共通する部分もいろいろあって、つっこみしたいこと山のようなんだけど、250文字のココでは何をどう書いていいのか・・・。 / ( 2006-02-10 21:39 )
ワタシは「病院へ行きましょう」とでました(笑)。でも私も麦ちゃんと同じでコッチの部分は治さなくても平気です。平気っていうか、そっちの部分はうまく飼いならしてる? / ( 2006-02-10 21:37 )
私ももちろん可能性がありますでした。でも、こういう自分に慣れっこだから平気。治さなくても生きていけると思う。 / ( 2006-02-10 15:56 )
私もやってみたら「可能性があります。」だったけど・・・。 / 織姫 ( 2006-02-10 15:32 )
やってみたわ♪「可能性は少ないと思われます。」。←いわゆる能天気♪ / 雅(みやび) ( 2006-02-10 14:53 )
幼児期に安全な環境になかった動物はセロトニンの分泌能力が低く、セロトニン濃度の低下が見られやすいといわれています。また、ストレス環境に長期間いた個体はセロトニンが枯渇に近い状態になっているので、興奮や衝動・抑うつ感を抑制することが難しくなると言われており、殺人・殺人未遂・自殺未遂を起こした成人や子どもは、セロトニンの濃度が低いことが確認されています。と、書かれているサイトがありました…。 / HABA ( 2006-02-10 14:32 )

2006-02-09 虐待。

今朝も虐待で亡くなった子供のニュースをテレビで観ました。
虐待は、している親もかつて虐待の被害者だったというケースが多いそうです。
そうすると、私の母も、私と同じように虐待を受けていたのかも知れません。
私が学校に行きたくないというシオリをなじってしまう時にも、母が昔私を罵る時に使った言葉がそのまま口をついて出てきて、自分でもビックリします。
こんなこと、言うつもりじゃないのに…。
母も、かつてそうだったのかも知れません。

母は、祖父との同居が始まる前(私が4〜5歳の頃)からも、虐待かと思われるようなしつけをしていました。
「灸をすえてやる!!」と言いながら、火のついた蚊取り線香を耳の後ろに押し当てたり(耳の後ろなら誰にも気付かれないから都合が良いのだと言って)。
その時、私たち姉妹は全員がそれぞれ違った反応をしました。
私は「やめて!お願い!」と泣き叫び、それでも無抵抗なままに。
一番上の妹は、キッと母の顔を見据えながら、声を発さずに。
真中の妹は裸足で外に逃げ出して、難を逃れました。
末の妹には、母は手を上げた事がありません。

実を言うと、お恥ずかしい事ですが、私も子供に手をあげた事があります(今回のシオリの件を除いて)。
下の子があまりにもいう事を聞かないので、実験的に、手加減をして。
母のような恐怖政治を行ってみたら、どうなるのかと思ったのです。
その時、とても恐ろしい経験をしました。
子供が泣き叫んだ時に「もっといじめてやりたい」というどす黒い欲望が心の中に湧きあがってきたのです。
自分で自分が恐ろしくなりました。

自分の経験を踏まえると、母の虐待のターゲットにされたのが私であった理由が、わかったような気がします。
自分の手で火傷を作っておきながら、母は謝りながら薬を塗ってくれました。
「痛い?ごめんね。でも、あなたが悪いからおかあさんはこんな事してしまうのよ。」って。
私は心の中で、「謝るぐらいなら、最初からやらなきゃ良いのに。」と、思っていましたが。

真中の妹は、以前、自分の子供に虐待をしてしまうので悩んで、カウンセリングを受けていました。
自分自身は虐待は受けなかったけど、私と一番上の妹が受けていたのを見て、子供に虐待をするようになってしまったのかなぁ?って思います。
そして、その悩みを母に相談したら、「あんた、何でそんな可哀想な事するのよ!」って妹を責めたらしいです。
そこで「自分のやった事を棚にあげて、どうしてお母さんにそんな事言えるの?」と母に言ったら、「あの時は私だって大変だったのよ!今更、私にどうして欲しいわけ!?」と逆切れされちゃったらしいです(笑)。
おっと、話が逸れましたが、妹がカウンセリングを受けたとき、母が孫(妹の子供)を甘やかして困っていると相談したら、そのカウンセラーの方に「それは、お母様ご自身が子育てをする時に、自分の子供にしてあげたいけどしてあげられなかった事を、孫にしてあげる事で欲求を満たしているのよ。お母様があなたのお子さんにしている事は、本当はあなたが小さい時にしてあげたかった事なのよ。」と言われたそうです。
ほんとにそうなのかなぁ?
でも、ま、そう考えた方が、私たち姉妹の心も救われるかな(笑)。

昨日、母がイチゴとリンゴを持って、ウチに来ました。
「シオリとトモの顔が見たかったのよ。」って。
スーパーで会えば、私にわからないように子供たちにこっそりとお小遣いを渡します。
母は孫達を猫可愛がりします。
どうして、自分の子供にはそうできなかったのかな…。

先頭 表紙

【麦ちゃん】お義母さんは偉い人なんだね〜!お子さんにも愚痴ひとつ言わなかったなんて。もしかしたら、麦ちゃんだけが「心を許せる人」なのかな?麦ちゃんだったら、全て受け止めてくれると見抜いたんだね、きっと(笑)。 / HABA ( 2006-02-13 11:14 )
義母はね、すごいヒトなの。実母から愛を受けられなくて、お父さんを亡くして身を寄せた親戚の中でいじめられ、実母にあてがわれた旦那(義父)にDV。離婚したら自分の同じ父なし子になるからって我慢したんだって。。嫁の私にだけ嫁いですぐに全部話してくれたけど、夫はそんな母の話をひとつも知らないの!何が楽しかったのかと思うけど、痛いのはいつかは収まるし、探せば小さい楽しいことは見つかるもんなんだって・・。参りました。 / ( 2006-02-12 14:34 )
【雅ちゃん】そうねェ〜どす黒い欲望に身を任せてしまった人が虐待に走ってしまうのでしょうね。理性が負けてしまって…。雅ちゃんは、ちゃんとブレーキをかける方法を自分で見つけてるから、大丈夫ね♪ / HABA ( 2006-02-10 13:51 )
【麦ちゃん】子供の頃の私は、こうして誰かに打ち明けて慰めて欲しかったのかも。でも、それがずっと出来なくて辛かった。だけど、今、麦ちゃんの言葉を読んで癒されてる感じがする。どうもありがとう♪旦那様はお義父様にDVを受けてきた人なのね。でも、お義母様には大事にされてたのかな?そうだと良いんだけど。。。 / HABA ( 2006-02-10 13:48 )
「黒い欲望」。今、私はそれと闘ってるよ。上の子が寝起きが悪くてささいなことで絡んで泣いてきたりすると手を振り上げたくなるの。もっともっと泣かせたくなる。衝動。じゃなくて、ほんと欲望。たいては我慢できるけど、ときどき「ぺちっってしていい?」って聞いておでこを叩くの。それですっとするわけじゃないけど、自分にブレーキがかけられるんだ。絶対手をあげない。なんて自分を縛っちゃうと逆にストレスでどうにかなっちゃいそうだもん。みんな多かれ少なかれそういうのあるんじゃないかなー。 / 雅(みやび) ( 2006-02-09 20:05 )
なんて恐ろしい体罰!怖かったね(泣)でも、きっとそれは連鎖なんだと思うよ。HABAちゃんはその連鎖の波を受け止めて、自分で堰き止めようとしてるのね・・。ウチの夫の父がDVな人で、夫にそっくりなひろきちを猫っ可愛がりしてたよ。義母はそれを見るたびに、自分の息子に何故そう出来なかったのかって、必ずイヤミを言ってた。そういうものなのかもね。 / ( 2006-02-09 13:59 )

2006-02-08 父。

父は、私から見ると境界例という人格障害のように思えます。
父はギャンブル依存症です。

それでもまだ、私が小さい頃にはそうひどくはありませんでした。
祖父との同居が始まるまでは、判で押したように、毎日5時半になると帰宅するような人でした。
帰宅した時にたまたま母が不在だと、家中を、トイレから押し入れの中まで探し回るような父でした。
(5歳で母親を亡くしたので、父にとっては母が妻であり、母でもあったのかも知れません。)

ところが、祖父との同居が始まり母との間が冷え込んできた辺りから、仕事帰りにパチンコをするようになりました。
休日には競馬場に通うようになりました。

祖父と同居していた頃、私と、年子の妹は、たまに休日に一緒に淀競馬場に連れて行かれ、馬が走るところを見たり、飽きたら競馬場にある遊び場で遊んだりしました。
家族で買い物に出かけると、母が買い物をしている間に父がパチンコをする時には、私と年子の妹の二人は、父に付きあわされました。
父の側についていて、大当たり(?)が出るとドル箱と呼ばれる大きな箱を持ってくるように命じられます。
大人が誰も見ていない時に、こっそり玉を拾って、台に入れて、玉を弾いてみたりするのは、ちょっと面白かった。
だけど、長い時間だとずっと立っているのも疲れるし、タバコの煙で空気は悪いし、飽きてしまいました。
母が買い物を終えて戻ってきても、父がパチンコを止めない時もありました。

…母に愛されていない事を、父は知っていました。
両親が結婚したばかりの頃、母の手帳を盗み見た父が泣いていた事があったと、母から聞かされた事があります。
その手帳には、結婚前の父以外との男性との思い出が綴られていたようです。
そんな、満たされない思いが父をギャンブル依存へ走らせたのだと思います。
そして、父がギャンブルにお金をつぎ込む事により夫婦間の諍いが起こって、ますます家庭内がおかしくなっていったのでした。

私が高校生の時、母が「もう子供を堕ろすのは嫌。お腹の子と一緒に死ぬ」と言って家出をした事がありました。
(私はその時の事をあまり詳しく覚えていません。記憶から消したい過去なのかしら?妹の話によると、朝晩、ご飯を作って妹たちに食べさせ、中学生の妹にはお弁当を作って持たせたりしてたらしいのですが。)
その時、私が思ったのは、私たち姉妹は母に捨てられたのだという事。
私たち姉妹よりもお腹の子を選んだのだと思ったのです。
結局、母は連れ戻され、人生最後の堕胎手術を受けました。
父と母は、それ以降家庭内別居を始めました。
父のギャンブル狂いはますます加速し、パチンコ店が閉店しないと帰ってこない日々が続くようになりました。

先頭 表紙

【雅ちゃん】叔父様に、雅ちゃんのお父様っていう味方がいて、本当に良かった。雅ちゃんのお父様は、やっぱり、立派な方だわ(笑)。大事にしてさしあげてね。 / HABA ( 2006-02-09 09:17 )
ウチの場合、叔父の方が失踪したのよ。1千万近いカードローンの明細残して。自分の小遣いの範疇を超えるほどお酒を飲んだのね。でも、1年近くたってふらりと帰ってきた。60過ぎてたから娘たちに直接の被害はなかったけれど、再再就職先の会社を無断欠勤したのでその収拾にうちの父が出向いたりしたわ。父だけが叔父の味方(?)だったから。 / 雅(みやび) ( 2006-02-08 20:36 )

2006-02-07 スクールカウンセラー (続き)

スクールカウンセラーの先生のアドバイスのもと、夫と相談の上、今週いっぱいはお休みさせて頂けるように担任の先生に電話をしました。
すると「カウンセラーの先生から、『最終的な判断はご家庭にあるけれど、今は休ませてあげた方が良い』と言われたのです。
だから、休ませてあげて良いですよ。プリントなどは私がお届けいたしますから。」との事でした。
先週の金曜の話し合いでは学年主任の先生から「休ませていると、将来引きこもりになり、一生面倒を見なきゃいけなくなるんですよ。そうなるとご両親も大変なんじゃないですか?」なんて脅されたのですが、すんなり休ませて頂ける事になって良かったです。
カウンセラーの先生の言葉が効果あったのかな?

いろんな人と会ってお話することは、問題点を洗い出すのにはとても有効な事だと思いました。
それに、ここに書く事によって、皆さんのいろんなお考えや励ましに触れる事は参考になるし、とても励みになります。いつもどうもありがとうございます♪
VIVAひまじん!

先頭 表紙

【まるるん。ちゃん】思春期って、多分、誰もが苛立ちや苦しみを抱えているもんだよね?中学生だと、小学校との環境の違いや、高校受験への不安、それに身体も劇的に変化するし。いろんなものの変化に順応していかなきゃならなくて、とても大変。身体は大人だけど、心は子供だったりするし。子育てしながら自分も一緒に成長していくんだなって、この頃思うの。「子育ては自分育て」って、どこかで聞いたことあるけど、本当にそうだなぁって思うの。まるるん。ちゃん、お互い頑張りましょうね〜! / HABA ( 2006-02-09 09:11 )
【雅ちゃん】私の日記が少しでもお役に立てたなら幸いよ♪上のお嬢ちゃんの気が済むまで付き合ってあげてね。付き合ってあげることで、上のお嬢ちゃんは愛されてる自信が持てるんだと思うの。そしたら下のお嬢ちゃんに、もっともっと優しくしてあげられるようになると思うよ。 / HABA ( 2006-02-09 08:59 )
【マッキィ。さん】心配してくださって、どうもありがとう。マッキィ。さんの大学の教授が理解のある方で良かったですね。そうですね…どの家族にも問題はあるのかも知れませんね。表向きは仲良し家族に見えていても、案外、誰かの犠牲の上に成り立っていたりするのかも。シオリは、「もう学校へは行かない」って言ってます。前は「2年になってクラス替えになったら行く」って言ってたくせに(笑)。そのうち、学校に行ってみたくなるといいんですけどね…(笑)。 / HABA ( 2006-02-09 08:52 )
今その渦中にいるシオリちゃんは本当に辛いだろうけれど きっと 懐かしいなと苦笑しながら笑える日がくるはず。人間を一人育てるのって本当に色んなところのバランス感覚が必要になってくるものだなとしみじみ・・・(苦笑)。私もがんばるわ♪ / まるるん。 ( 2006-02-08 09:23 )
誰も彼もがそれぞれに悩みを抱えて自分の中で消化しながら生きてきていると思うのだけど 大人になってから自分自身のことをゆっくりと考えることが許される環境に恵まれるかどうかを考えると 先生がおっしゃるように早いうちに自分と向き合うことが出来たことはいかったんじゃないかと思います。 / まるるん。 ( 2006-02-08 09:22 )
中学生の頃の足踏みは今考えると今の自分が出来るまでの大切な経験だったなと 今になれば振り返ることが出来ています。 / まるるん。 ( 2006-02-08 09:21 )
実はうちの3歳児。朝起きると自分でトイレにいったあと、ころんと布団にころがって私にパンツをはかせてもらいたがります。うげっと思うんだけど、その心は隠して赤ちゃんのオムツ替えのようにやってあげているの。自分でやりなさいっていうべきか迷っていたんだけど、HABAちゃんの日記読んで「やってあげるのが正解なんだわ。」って自信がもてるようになりました。ちゃんと赤ちゃんがえりにもつきあってあげないとね。ここの日記、私のこれからの子育てにとっても役立ってます。ありがとね。 / 雅(みやび) ( 2006-02-08 00:39 )
どの家族にも問題はあると思います。もちろん家もです。ただ忠告に耳を貸すかどうか、だと思います。それにより変わっていけばいいんです。家の父は父親の役目をしないし考え方がおかしいので、学校の先生に「父親の勉強をしてもらわないといけませんね」と普通なら言われないようなことを言われたにもかかわらず、10年たっても変わりません。そして子供に対して理解がありません。HABAさんご夫妻は理解しようとされてるし、シオリちゃんにも信頼されているので、あまり深く考えなくてよいと思います。 / マッキィ。 ( 2006-02-07 19:37 )
ホッとしました。とりあえずは今週はお休みですけど、本人が行けるかもと思えるまで休んでいいと思います。私は大学4年の11月の途中から卒業まで休み、ストレスの原因だった進学をやめました。しばらく休むことを教授に伝え、そして一週間実家で過ごし、そして東京に戻って診察の結果と休みたいことを伝えに教授のところに行ったら「すぐ戻ってこないで、正月過ぎまで実家でゆっくりしてきたらよかったのに」と言ってくださいました。私は報告に行かなきゃー!と思ってたのに、そんな心配は無用だったようです。 / マッキィ。 ( 2006-02-07 19:32 )

2006-02-07 スクールカウンセラー

昨日、今日とシオリは担任の先生に伴われて学校に行きました。
昨日は、保健室に1時間だけ居て帰ってきましたが、今朝は登校を渋るので、
先生が「保健室は居づらかったかな?」と聞いたら、コックリ頷いたので、
先生が「今日はスクールカウンセラーの先生がいらっしゃる日だし、カウンセラーの先生も心配してらしたから、今日は保健室じゃなくて相談室に行ってみようか?」とおっしゃると、シオリは頷いて、出て行きました。

11時頃になって、担任の先生からお電話が来て、シオリを帰したこと、スクールカウンセラーの先生が私と話しをしたがっているということを告げられました。
そこで、午後2時に学校に行くお約束をして電話を切りました。
2時に学校に行ってみると、玄関で担任の先生が待っていて下さり、相談室に案内して頂きました。
カウンセラーの先生からは「シオリさんは今まで頑張って学校に来ていて、もう限界だから行けなくなったのだから、これ以上頑張らせるのは酷なのではないか、高熱なら学校を休ませるのだから、心が熱を出しているような今の状態では、休ませてあげた方が良いのでは?」と言われました。
シオリがあまりにも喋らないので、両親がとても厳しいのかと思って「ご両親は優しい?」と聞いたら、涙を流しつつコックリ頷いたそうです。自分の気持ち(学校に行きたくない)を言うと両親が困るのが判っているし、両親の考えが自分の気持ちにそえるものではないという事が判っているから、何も言えなくて悲しくなってしまうのではないか。
シオリには、もっと自分の気持ちを口に出せるように仕向けていく必要があるのでは?という事でした。
いろいろとお話をしていくうちに、私の育て方の問題点が浮かび上がってきました。
私はシオリが何か要求を口にする前に先回りして、「こうしたいの?」と聞いてしまうので、シオリが何も言う必要が無かったということ。
ところが、お友達を含め他人は自分の気持ちを汲み取ってはくれないので、本当は自分の気持ちを口にしなければ周りはわかってくれないのに、経験が無くてそうする事が出来ないから、お友達関係が上手くいかないのではないかという事です。
カウンセラーの先生には「過保護にしてしまったのね。」と言われましたが、その通りだと思いました。
私は母に厳しくされて辛かったので、自分の子供にはあまり厳しくしないようにしてしまいました。
私は厳しくされすぎて何も言えない子供になりましたが、シオリは過保護にして何も言う必要の無い状況に置いてしまったがために何も言えない子供になってしまったのです。
先生は「でも、早いうちに気付けたのだから、これからはシオリさんは真っ直ぐに育っていくと思いますよ」と言って下さいました。
それから、「極端な話だけど、中学校は一日も行かなくたって卒業出来るし、やる気さえあれば、勉強はどこででも出来るでしょう。
中学校に一日も行かなかったけど、高校にはきちんと通って卒業した人も知ってるから、大丈夫。」とも言って下さいました。

そう聞いたら、なんだか気持ちが楽になりました。
もう少し肩の力を抜いて、どっしりと構えた方が良いのかも。

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【雅ちゃん】そうだね〜。早く気付けて良かったんだけど、気持ちを口に出させるって難しい…今までお互いそうして来なかったから、ちょっととまどっているところ(笑)。 / HABA ( 2006-02-08 09:49 )
なんだか身近な話だわ。とてもステキなお母さんがいるんだけど、子供が3歳になってもほとんどしゃべらないの。よく見てると、子供が何かを言う前に全部、お母さんが先回りしてやってあげちゃってるのよね。だから子供はしゃべる必要がない。家庭内ではそれでいいかもしれないけど、社会に出たらそのこ苦労するんじゃないかなって人事ながら心配してたとこ。シオリちゃんの場合も今わかってよかったじゃない?手遅れになる前で。 / 雅(みやび) ( 2006-02-08 00:33 )

2006-02-06 祖父との同居

この前書いた母の暴力的なしつけは、恒常的に行われていたわけではありません。
母の虫の居所が悪かったとき、父が居ないときだけです。

祖父との同居が始まった頃、母は祖父と一緒に居るのが気詰まりだったのか、子供たちを連れて散歩に出かけました。
小学校がすぐそばだったので、その日は小学校へ行きました。

そこで母の昔語りが始まったのですが、結婚前、父以外に求婚してくれた人が居たそうで、母はそっちの人の方が好ましかったのに、母の両親は父との結婚を勧めたんだそうです。
母も親の言うことに逆らえずに父と結婚したけど、父が嫌いだったから、離婚を考えていた。
だけど、私を身ごもってしまったので別れられなくなってしまった。

…そう聞いた時、私は、自分が生まれてきた事が母の人生を狂わせたのだと考えました。
私は生まれてきちゃいけない子供だったのだと思いました。
私の存在が母を苦しめているのだと思いました。
9歳から大人になるまで、ずっとその考えが頭の片隅にありました。

その時、私は母に「でも、お父さんと結婚したから、私たちが生まれてきたんだよ。別の人と結婚してたら、私たちじゃなくて別の子が生まれてたんだよ。」って言ったんだけど、母は「そんな事無いわよ。」で済ませてしまいました。

そのうち、母が私に当たるようになってから「私にも優しくして。」ってお願いしたら、「あんたにはおじいちゃんが居るじゃない。いつもあんただけ特別扱いして貰ってるんだから、いいじゃない。」と拒絶されてしまいました。
私は心の中で【おじいちゃんとお母さんは違うでしょ】って思ったけど、口に出しては言えませんでした。
母と祖父の不仲は知ってたし、祖父が可愛がる私は、母の敵なのだと思いました。
そして何より、そんな境遇に母を陥れたのは他でもないこの私なのです。
我慢するより仕方が無いと思いました。

妹がいたずらをしても私が叱られるので、妹ビビは増長しました。
私がいたずらを注意しても「私はいくら悪いことしたって良いんだよ。どうせ怒られるのはあんただし。」と幼稚園児に言われるのです。
理不尽だとは思いましたが、母を不幸にした私が悪いのです。

少しでも母に気に入られたくて、頑張って勉強したりしたけど、頭の出来が邪魔して大したこともなく(笑)。
小学6年生になる時に、学区外に出来た新しい団地に引っ越しました。
伯母一家も同じ団地に住むことになり、祖父は伯母のところで暮らすことになりました。
祖父との同居は解消されて、母もいくらか落ち着いてきましたが、私が中学生になってしばらく経った頃、母は堕胎手術を受けました。
産婦人科からの電話を私が受けて、父に伝言を頼まれ、帰宅した父に「迎えに来て欲しいって。」と告げると、「そんな病院知らん」と言ったきり、迎えに行きませんでした。
母はタクシーで帰宅しましたが、その後、また夫婦間がおかしくなりだしました。
母は私に父が避妊しないことなどを愚痴るようになりました。
でも、私はそんな話聞きたくなかった。
まだ恋愛すらしてもいないのに、避妊だの今まで何回堕胎しただの、いつ堕胎しただのと、そんな話を聞くほど大人じゃありませんでした。

やがて、母は離婚を口にするようになり、私は母から「私はこの家を出て行くから、妹達の面倒はあんたが見るのよ。」と言われるようになりました。
私はまだ中学生で、一番下の妹はまだ幼稚園にも入っていない…。
頑張ろうとは思いましたが、正直、荷が重過ぎました。
…どうしたら良いのかわからなくて、途方に暮れました。

先頭 表紙

【まるるん。ちゃん】そうだね。愛してるって伝えるのって、日本人には難しいかも。「愛してる」って口に出して言うの、照れくさいし(笑)。それからね、催眠療法みたいなもので子供時代の傷ついた自分を抱きしめてあげるっていうセラピーもあるらしいよ。昔の自分が癒されれば今の自分も癒されるんだって。 / HABA ( 2006-02-08 09:47 )
【麦ちゃん】そうそう!甘えられちゃったのよね〜!母は祖父との同居が始まる少し前に母親(私の祖母)を亡くしてしまったので、私を母親代わりにしてしまったのかも知れないと、今では思ってるの。これからは自分とシオリの心を強く育てていかなきゃって思ってます。トモは元々強いので、大丈夫みたい(笑)。 / HABA ( 2006-02-08 09:43 )
【雅ちゃん】うーん。それはどうかな?いらなくても生まれちゃう事ってあるわよ(笑)。子供を産んでは殺してた人だって居るわけじゃない?母の気持ちは母にしかわからないし、セクハラにしたって、DVにしたって、いじめにしたって、受けた側の気持ちがどうであったかが重要だと思うのよ。人の気持ちは刻々と変わるものだし、今でも当時と同じ気持ちかと言ったら、それは違うと思うけどね。 / HABA ( 2006-02-08 09:37 )
【さゆ】さゆは当時まだ小さかったし、あなたは皆に可愛がられる存在だったから…多分、私の気持ちは想像は出来るかも知れないけど、本当のところはわからないと思うんだ。だけどね、前にも言ったかも知れないけど、祖父との同居時代には、まだ赤ちゃんだったあなたの笑顔だけが私の心を慰めてくれたの。どうもありがとう。 / HABA ( 2006-02-08 09:14 )
人を愛することは簡単だけど 愛しているということを伝えるのは簡単そうで難しいかもしれないね。不器用に愛された子供はいざ大人になって器用に育児をしようと思っても簡単にはいかないのかも。あの頃の自分は母にどうされたかったのか 過去の自分を抱きしめてあげるように我が子を愛してあげたいなと 思ってます(・・って、あら また自分語りスイマセン(-_-;)) / まるるん。 ( 2006-02-07 08:44 )
甘えていいときにも、お母さんにずいぶん甘えられちゃったのね。HABAちゃんはグレたりもできないでひたすら頑張ったのね。それでもちゃんとお嬢さんのこと甘えさせてあげようって頑張ってるの偉いよ。HABAちゃんは一生懸命機能しようとしてきたし、日記を読んできた者として思うんだけど、今だって、心配しなくてもHABAちゃんは十分やってると思うよ。 / ( 2006-02-07 08:27 )
いらない子なら産まないよ。今なら分かるでしょ?(笑)お母さんは長女のHABAちゃんのことがいとおしいのに下の子たちに手がかかるから構えない。逆に頼ってしまう。だからきっと後ろめたかったんだと思う。そこにおじいさんが登場して自分がしたかったように可愛がるもんだから嫉妬と裏切られたようなキモチになっちゃったんじゃないかな。本当は叩く代わりにぎゅって抱きしめたかったんだと思うよ。 / 雅(みやび)@未ログインでごめん ( 2006-02-06 19:48 )
母は父に頼れない分、お姉ちゃんに頼ってたんだと思う。頼れる優等生で、期待に応えるお姉ちゃんを母はとっても誇りだったよ。でも、お姉ちゃんは、寂しくて、重くて、苦しかったんだね・・・。心の荷物を捨て去って、そこに今得た幸せを沢山詰めて、心を幸せで大きくしてください。そして、愛しい、シオリとトモちゃんから、笑顔と幸せいっぱいの人生を送れるようにと、叔母さゆは願います。書きにくいと困るから、読者に戻るね。私、言葉上手くないからとんちんかんだろうし…大好きなお姉ちゃんから、笑顔消えて欲しくないからぁー。 / 鈍感さゆ ( 2006-02-06 18:01 )
今では、私は自分の事を生まれてきちゃいけない存在だとは考えていません。母は、私が欲しくなければ堕胎すればよかったのです。私の妹や弟達をそうしたように。それから、今では夫や子供たちに愛されていて、私はとても幸せです。 / HABA ( 2006-02-06 13:00 )

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