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HABAの「愚痴愚痴日記」


目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2006-02-10 SAD(社会不安障害)。
2006-02-09 虐待。
2006-02-08 父。
2006-02-07 スクールカウンセラー (続き)
2006-02-07 スクールカウンセラー
2006-02-06 祖父との同居
2006-02-05 機能不全家族。
2006-02-04 今週の『シオリ』
2006-01-28 心身症(2)。
2006-01-28 心身症(1)。


2006-02-10 SAD(社会不安障害)。

最近、「SADは治療できます。」とかっていうテレビCM(?)を見かけるようになったので、SADチェックというのをやってみたら「SADの可能性があります」という結果になりました。
シオリにもやらせてみたら、ほとんどの項目で、(その行動について不安や恐怖を)「非常に強く感じる」・(その行動を)「回避する」でした。
私よりひどいわ。
教室に入る事や、同じ中学の生徒と会うのが怖いのも、このせいかも知れないと思いました。
字を書く時にも手で隠して書いたりするし。
12月に学校を休んだ時も、人前で発表するのが嫌だったからだし。

実は、私は中学生の頃学校に行けなくなりました。
数学の時間に先生に当てられて答えるのが恐怖だったのです。
答えを間違えたらどうしよう?と、そればかり考えていました。
そして学校をお休みしていた時、母は私の髪を掴んで家から引きずり出そうとするし、
「家の居心地が良いから学校に行けないんだ。家を地獄にしてやる!」と脅すし(元々、そんなに居心地が良かったわけではありませんでしたが)、
父は、「学校にもまともに行けないようなヤツは、生きてる資格がない。死んでしまえ!」と言うし、
本当に居場所が無くなったというか、父だけは私の存在を認めてくれていると思ってたのに、死んでしまえと言われて、本当に死ななきゃならないと思いつめました。

その晩、家族が寝静まったのを見澄まして、家を出ました。
当時は11階建ての建物に住んでいたので、一番上の階から飛び降りたら、間違いなく死ねると思ったのです。
その前にも、死んでみようかと首をつってみましたが、椅子をけり倒す前に苦しくて断念してしまったので。
中学の理科の先生が、高いところから飛び降りると、途中で意識を失うから痛くないって言ってたし。
そして、玄関を出てエレベーターのボタンを押したところで、母にいきなり腕を掴まれました。
「どこにいくつもり?死にに行くんでしょう?」と言われたのは覚えています。
その後、何か母と話した気がするんだけど、あまり覚えてません。
お父さんは本気であんなこと言ったんじゃないよとか、そんな感じの事を言われたような気がします。
その後、担任の先生が家に来てくれて、学校に連れて行ってくれて、また学校に行かれるようになりました。

大人になってからも、人前に出るのは恐ろしかったし、電話に出るのも怖かった。
仕事が事務職じゃなかったので、あまり電話に出る必要が無くて済んだのが幸いです。
未だにPTAの集まりなんかに出るのは好きじゃないです。
昔みたいに恐怖を感じたりはしないけど。
電話もあまり好きじゃない。
今はナンバーディスプレイだから、番号や名前を確認して、心構えをしてから電話に出るから平気だけど。

SADは薬で治療できるらしいです。
脳内伝達物質のバランスが崩れているせいなので、セロトニンやドーパミンのバランスが正常になれば治るようです。
もしも薬であの恐怖心が無くなるんだとしたら、人生、なんて楽になる事かと思います。
ただ、今はまだSADの薬というのが認可されていなくて(治験している段階なので)、うつ病とか何か別の病名になってしまうようです。

先頭 表紙

【麦ちゃん】うふふ。立ち話大歓迎よ♪そうだなー。日本人なら誰でも可能性があるものなのかな?でもね、私の父には無さそう…スピーチするの大好きなだもん。ウチのトモも、以前、一年生歓迎会の司会に立候補したらしいし…身内でも、可能性無さそうな人がちらほら(笑)。 / HABA ( 2006-02-19 02:02 )
【雅ちゃん】なんですと?ダーさまにも可能性が!?それなのに、あちこち出張に行って、知らない人に会ったりしてるなんてすごいわー!尊敬〜。いや、その前に、アメリカ留学もしてるんだもんね。すごいー。私には怖くて想像も出来ない。。。 / HABA ( 2006-02-19 01:59 )
(あら、その結果は幼稚園ママでの素敵な日々を約束してくれるものじゃない?幼稚園で楽しそうにしてるお友達の多いママの子は、きっと幸せな園生活を遅れるわよ。) / 麦@立ち話ゴメンね。 ( 2006-02-16 21:22 )
が〜ん。が〜ん。やっぱり私がヘンだったのね。(笑) でもいいもん。ヘンでも十分生きてこれたから。でも実はこれからの幼稚園生の母生活が不安なのよね。ちゃんと普通のお母さんのフリができるか。だって自分はいいけど、子供がそのせいでイヤな思いをしたら可愛そうじゃない? / 雅(みやび) ( 2006-02-16 21:09 )
私も雅ちゃんのツレ様と同じで、そう思います、日本人だったらみんな可能性あったりするんじゃないかしら??なんてね。・・・・あ、でも、だったら雅ちゃんは・・えっと・・。 / ( 2006-02-16 08:10 )
うちのツレがこっそりやってたよ。結果が「可能性があります」だっていうから「なんで〜?」って聞いたら「普通はそうだ。」だって!「えーでも私は・・・。」って言ったら「そっちが異常じゃ。」っていさめられちゃった。やっぱり私がヘンだったんだわ。(笑)できるものなら、私のこの能天気をシオリちゃんにわけてあげたい。 / 雅(みやび) ( 2006-02-15 00:13 )
【マッキィ。さん】ああっ!飛ばしちゃってゴメンなさい(汗)。うつ病でもセロトニンが不足するのですか…じゃあ、SADのひどくなったのがうつ病ってイメージかも知れませんね。自分でコントロールできるなんて、すごいなぁ。私はついつい避けちゃうか、あるいは我慢してるうちに頻脈の発作が出てしまう時があります。 / HABA ( 2006-02-13 11:19 )
【雅ちゃん】母が私に優しくしてくれる時には、演技してるような違和感を感じたの。ヘンな猫なで声を出したりして。というか…私に優しくしてる自分に酔ってる感じというか。だから、素直になれなかったんだな。常々、「死ぬなら、誰の目にも触れないところで、誰にも迷惑かけないようにやってくれ」とか言われてたしね。娘に飛び降りなんかされたら、後始末が大変だから嫌だったんじゃないかと思ってみたり。世間体を異常に気にする人だったからねー。 / HABA ( 2006-02-13 11:03 )
【麦ちゃん】母は母なりに愛してくれては居たんだと思うけど、その頃の私には、その愛情は感じられなかったのよね。私はとても気難しくて嫌な子供だったし、母とも気が合わなくて、水と油みたいな感じで、お互い素直になれないのよねー。シオリを産んだ時には「産んでくれてどうもありがとう」って、素直に感謝出来たから、しばらくは割と上手くいってたんだけどね。。。 / HABA ( 2006-02-13 10:56 )
【秋さん】「お腹にいなかったら」なんて言われちゃうと、傷つきますよね…。お母様の心の中だけに留めておいて下されば良かったのに…。大人になってからだったら、受け止められる言葉だったのかも知れないけど、14歳には重過ぎる言葉ですよね。 / HABA ( 2006-02-13 10:52 )
【秋さん】「病院へ行きましょう」ですか!それなのに、毎日大変なお仕事をこなしてらして、尊敬しちゃいます。 / HABA ( 2006-02-13 10:47 )
【麦ちゃん】私もね、だいぶ慣れっこにはなったんだけど、時々急に怖くなる時があって、懇談会を欠席しちゃったりするの。いけないなぁ〜とは思うんだけどね。。。 / HABA ( 2006-02-13 10:45 )
【織姫さん】「だったけど…。」の続きは。。。あまり気にしたことが無いということでしょうか? / HABA ( 2006-02-13 10:44 )
【雅ちゃん】そうじゃないかと思ってた(結果のこと)♪脳天気とは違うと思うけど、前向きっていうか、ポジティブだよね〜! / HABA ( 2006-02-13 10:42 )
うんうん。私も思った。お母さん、言い過ぎたって反省してHABAちゃんのことが心配で眠れなかったんだと思うわ。だから止めることができた。それなら最初から優しく対応したらいいのにねー。それができないからお母さんももどかしかったのかなぁ〜。ほんと、孫を溺愛するんじゃなくて自分の子を素直に愛せればことは簡単だったのに、自分の子のこととなると冷静にはなれないものなのね。 / 雅(みやび) ( 2006-02-12 23:52 )
お母さんがエレベーターに乗るHABAちゃんを捕まえられたのはやっぱり愛によるものよね・・。ご両親がもうちょっとだけ自分の感情をコントロールできたら、よかったのにね・・なんて、他人の私が思ってもしようがないけど、子どもを安心して大きくなろうと思えるくらいには、強い大人でいなくちゃなあって思うわ。 / ( 2006-02-12 14:24 )
可能性があります、と出ました。ただ、セロトニン不足というのは、うつ病とも共通する部分ですので、そう出るんだと思います。そしてうつ病を経験した今は、どうすれば自分で悪くなるのをストップできるかをわかっているので、うまく力を抜いたりリフレッシュして悪くならないようにしています。誰もが不安に思うことはありますから、自分の気持ちとどう付き合っていくか、だと思います。 / マッキィ。 ( 2006-02-11 07:29 )
ずっと日記読んでます。私は親に虐待はされなかったけど、14歳のときに母から「お前が腹にいなかったら・・・」と言われました。共通する部分もいろいろあって、つっこみしたいこと山のようなんだけど、250文字のココでは何をどう書いていいのか・・・。 / ( 2006-02-10 21:39 )
ワタシは「病院へ行きましょう」とでました(笑)。でも私も麦ちゃんと同じでコッチの部分は治さなくても平気です。平気っていうか、そっちの部分はうまく飼いならしてる? / ( 2006-02-10 21:37 )
私ももちろん可能性がありますでした。でも、こういう自分に慣れっこだから平気。治さなくても生きていけると思う。 / ( 2006-02-10 15:56 )
私もやってみたら「可能性があります。」だったけど・・・。 / 織姫 ( 2006-02-10 15:32 )
やってみたわ♪「可能性は少ないと思われます。」。←いわゆる能天気♪ / 雅(みやび) ( 2006-02-10 14:53 )
幼児期に安全な環境になかった動物はセロトニンの分泌能力が低く、セロトニン濃度の低下が見られやすいといわれています。また、ストレス環境に長期間いた個体はセロトニンが枯渇に近い状態になっているので、興奮や衝動・抑うつ感を抑制することが難しくなると言われており、殺人・殺人未遂・自殺未遂を起こした成人や子どもは、セロトニンの濃度が低いことが確認されています。と、書かれているサイトがありました…。 / HABA ( 2006-02-10 14:32 )

2006-02-09 虐待。

今朝も虐待で亡くなった子供のニュースをテレビで観ました。
虐待は、している親もかつて虐待の被害者だったというケースが多いそうです。
そうすると、私の母も、私と同じように虐待を受けていたのかも知れません。
私が学校に行きたくないというシオリをなじってしまう時にも、母が昔私を罵る時に使った言葉がそのまま口をついて出てきて、自分でもビックリします。
こんなこと、言うつもりじゃないのに…。
母も、かつてそうだったのかも知れません。

母は、祖父との同居が始まる前(私が4〜5歳の頃)からも、虐待かと思われるようなしつけをしていました。
「灸をすえてやる!!」と言いながら、火のついた蚊取り線香を耳の後ろに押し当てたり(耳の後ろなら誰にも気付かれないから都合が良いのだと言って)。
その時、私たち姉妹は全員がそれぞれ違った反応をしました。
私は「やめて!お願い!」と泣き叫び、それでも無抵抗なままに。
一番上の妹は、キッと母の顔を見据えながら、声を発さずに。
真中の妹は裸足で外に逃げ出して、難を逃れました。
末の妹には、母は手を上げた事がありません。

実を言うと、お恥ずかしい事ですが、私も子供に手をあげた事があります(今回のシオリの件を除いて)。
下の子があまりにもいう事を聞かないので、実験的に、手加減をして。
母のような恐怖政治を行ってみたら、どうなるのかと思ったのです。
その時、とても恐ろしい経験をしました。
子供が泣き叫んだ時に「もっといじめてやりたい」というどす黒い欲望が心の中に湧きあがってきたのです。
自分で自分が恐ろしくなりました。

自分の経験を踏まえると、母の虐待のターゲットにされたのが私であった理由が、わかったような気がします。
自分の手で火傷を作っておきながら、母は謝りながら薬を塗ってくれました。
「痛い?ごめんね。でも、あなたが悪いからおかあさんはこんな事してしまうのよ。」って。
私は心の中で、「謝るぐらいなら、最初からやらなきゃ良いのに。」と、思っていましたが。

真中の妹は、以前、自分の子供に虐待をしてしまうので悩んで、カウンセリングを受けていました。
自分自身は虐待は受けなかったけど、私と一番上の妹が受けていたのを見て、子供に虐待をするようになってしまったのかなぁ?って思います。
そして、その悩みを母に相談したら、「あんた、何でそんな可哀想な事するのよ!」って妹を責めたらしいです。
そこで「自分のやった事を棚にあげて、どうしてお母さんにそんな事言えるの?」と母に言ったら、「あの時は私だって大変だったのよ!今更、私にどうして欲しいわけ!?」と逆切れされちゃったらしいです(笑)。
おっと、話が逸れましたが、妹がカウンセリングを受けたとき、母が孫(妹の子供)を甘やかして困っていると相談したら、そのカウンセラーの方に「それは、お母様ご自身が子育てをする時に、自分の子供にしてあげたいけどしてあげられなかった事を、孫にしてあげる事で欲求を満たしているのよ。お母様があなたのお子さんにしている事は、本当はあなたが小さい時にしてあげたかった事なのよ。」と言われたそうです。
ほんとにそうなのかなぁ?
でも、ま、そう考えた方が、私たち姉妹の心も救われるかな(笑)。

昨日、母がイチゴとリンゴを持って、ウチに来ました。
「シオリとトモの顔が見たかったのよ。」って。
スーパーで会えば、私にわからないように子供たちにこっそりとお小遣いを渡します。
母は孫達を猫可愛がりします。
どうして、自分の子供にはそうできなかったのかな…。

先頭 表紙

【麦ちゃん】お義母さんは偉い人なんだね〜!お子さんにも愚痴ひとつ言わなかったなんて。もしかしたら、麦ちゃんだけが「心を許せる人」なのかな?麦ちゃんだったら、全て受け止めてくれると見抜いたんだね、きっと(笑)。 / HABA ( 2006-02-13 11:14 )
義母はね、すごいヒトなの。実母から愛を受けられなくて、お父さんを亡くして身を寄せた親戚の中でいじめられ、実母にあてがわれた旦那(義父)にDV。離婚したら自分の同じ父なし子になるからって我慢したんだって。。嫁の私にだけ嫁いですぐに全部話してくれたけど、夫はそんな母の話をひとつも知らないの!何が楽しかったのかと思うけど、痛いのはいつかは収まるし、探せば小さい楽しいことは見つかるもんなんだって・・。参りました。 / ( 2006-02-12 14:34 )
【雅ちゃん】そうねェ〜どす黒い欲望に身を任せてしまった人が虐待に走ってしまうのでしょうね。理性が負けてしまって…。雅ちゃんは、ちゃんとブレーキをかける方法を自分で見つけてるから、大丈夫ね♪ / HABA ( 2006-02-10 13:51 )
【麦ちゃん】子供の頃の私は、こうして誰かに打ち明けて慰めて欲しかったのかも。でも、それがずっと出来なくて辛かった。だけど、今、麦ちゃんの言葉を読んで癒されてる感じがする。どうもありがとう♪旦那様はお義父様にDVを受けてきた人なのね。でも、お義母様には大事にされてたのかな?そうだと良いんだけど。。。 / HABA ( 2006-02-10 13:48 )
「黒い欲望」。今、私はそれと闘ってるよ。上の子が寝起きが悪くてささいなことで絡んで泣いてきたりすると手を振り上げたくなるの。もっともっと泣かせたくなる。衝動。じゃなくて、ほんと欲望。たいては我慢できるけど、ときどき「ぺちっってしていい?」って聞いておでこを叩くの。それですっとするわけじゃないけど、自分にブレーキがかけられるんだ。絶対手をあげない。なんて自分を縛っちゃうと逆にストレスでどうにかなっちゃいそうだもん。みんな多かれ少なかれそういうのあるんじゃないかなー。 / 雅(みやび) ( 2006-02-09 20:05 )
なんて恐ろしい体罰!怖かったね(泣)でも、きっとそれは連鎖なんだと思うよ。HABAちゃんはその連鎖の波を受け止めて、自分で堰き止めようとしてるのね・・。ウチの夫の父がDVな人で、夫にそっくりなひろきちを猫っ可愛がりしてたよ。義母はそれを見るたびに、自分の息子に何故そう出来なかったのかって、必ずイヤミを言ってた。そういうものなのかもね。 / ( 2006-02-09 13:59 )

2006-02-08 父。

父は、私から見ると境界例という人格障害のように思えます。
父はギャンブル依存症です。

それでもまだ、私が小さい頃にはそうひどくはありませんでした。
祖父との同居が始まるまでは、判で押したように、毎日5時半になると帰宅するような人でした。
帰宅した時にたまたま母が不在だと、家中を、トイレから押し入れの中まで探し回るような父でした。
(5歳で母親を亡くしたので、父にとっては母が妻であり、母でもあったのかも知れません。)

ところが、祖父との同居が始まり母との間が冷え込んできた辺りから、仕事帰りにパチンコをするようになりました。
休日には競馬場に通うようになりました。

祖父と同居していた頃、私と、年子の妹は、たまに休日に一緒に淀競馬場に連れて行かれ、馬が走るところを見たり、飽きたら競馬場にある遊び場で遊んだりしました。
家族で買い物に出かけると、母が買い物をしている間に父がパチンコをする時には、私と年子の妹の二人は、父に付きあわされました。
父の側についていて、大当たり(?)が出るとドル箱と呼ばれる大きな箱を持ってくるように命じられます。
大人が誰も見ていない時に、こっそり玉を拾って、台に入れて、玉を弾いてみたりするのは、ちょっと面白かった。
だけど、長い時間だとずっと立っているのも疲れるし、タバコの煙で空気は悪いし、飽きてしまいました。
母が買い物を終えて戻ってきても、父がパチンコを止めない時もありました。

…母に愛されていない事を、父は知っていました。
両親が結婚したばかりの頃、母の手帳を盗み見た父が泣いていた事があったと、母から聞かされた事があります。
その手帳には、結婚前の父以外との男性との思い出が綴られていたようです。
そんな、満たされない思いが父をギャンブル依存へ走らせたのだと思います。
そして、父がギャンブルにお金をつぎ込む事により夫婦間の諍いが起こって、ますます家庭内がおかしくなっていったのでした。

私が高校生の時、母が「もう子供を堕ろすのは嫌。お腹の子と一緒に死ぬ」と言って家出をした事がありました。
(私はその時の事をあまり詳しく覚えていません。記憶から消したい過去なのかしら?妹の話によると、朝晩、ご飯を作って妹たちに食べさせ、中学生の妹にはお弁当を作って持たせたりしてたらしいのですが。)
その時、私が思ったのは、私たち姉妹は母に捨てられたのだという事。
私たち姉妹よりもお腹の子を選んだのだと思ったのです。
結局、母は連れ戻され、人生最後の堕胎手術を受けました。
父と母は、それ以降家庭内別居を始めました。
父のギャンブル狂いはますます加速し、パチンコ店が閉店しないと帰ってこない日々が続くようになりました。

先頭 表紙

【雅ちゃん】叔父様に、雅ちゃんのお父様っていう味方がいて、本当に良かった。雅ちゃんのお父様は、やっぱり、立派な方だわ(笑)。大事にしてさしあげてね。 / HABA ( 2006-02-09 09:17 )
ウチの場合、叔父の方が失踪したのよ。1千万近いカードローンの明細残して。自分の小遣いの範疇を超えるほどお酒を飲んだのね。でも、1年近くたってふらりと帰ってきた。60過ぎてたから娘たちに直接の被害はなかったけれど、再再就職先の会社を無断欠勤したのでその収拾にうちの父が出向いたりしたわ。父だけが叔父の味方(?)だったから。 / 雅(みやび) ( 2006-02-08 20:36 )

2006-02-07 スクールカウンセラー (続き)

スクールカウンセラーの先生のアドバイスのもと、夫と相談の上、今週いっぱいはお休みさせて頂けるように担任の先生に電話をしました。
すると「カウンセラーの先生から、『最終的な判断はご家庭にあるけれど、今は休ませてあげた方が良い』と言われたのです。
だから、休ませてあげて良いですよ。プリントなどは私がお届けいたしますから。」との事でした。
先週の金曜の話し合いでは学年主任の先生から「休ませていると、将来引きこもりになり、一生面倒を見なきゃいけなくなるんですよ。そうなるとご両親も大変なんじゃないですか?」なんて脅されたのですが、すんなり休ませて頂ける事になって良かったです。
カウンセラーの先生の言葉が効果あったのかな?

いろんな人と会ってお話することは、問題点を洗い出すのにはとても有効な事だと思いました。
それに、ここに書く事によって、皆さんのいろんなお考えや励ましに触れる事は参考になるし、とても励みになります。いつもどうもありがとうございます♪
VIVAひまじん!

先頭 表紙

【まるるん。ちゃん】思春期って、多分、誰もが苛立ちや苦しみを抱えているもんだよね?中学生だと、小学校との環境の違いや、高校受験への不安、それに身体も劇的に変化するし。いろんなものの変化に順応していかなきゃならなくて、とても大変。身体は大人だけど、心は子供だったりするし。子育てしながら自分も一緒に成長していくんだなって、この頃思うの。「子育ては自分育て」って、どこかで聞いたことあるけど、本当にそうだなぁって思うの。まるるん。ちゃん、お互い頑張りましょうね〜! / HABA ( 2006-02-09 09:11 )
【雅ちゃん】私の日記が少しでもお役に立てたなら幸いよ♪上のお嬢ちゃんの気が済むまで付き合ってあげてね。付き合ってあげることで、上のお嬢ちゃんは愛されてる自信が持てるんだと思うの。そしたら下のお嬢ちゃんに、もっともっと優しくしてあげられるようになると思うよ。 / HABA ( 2006-02-09 08:59 )
【マッキィ。さん】心配してくださって、どうもありがとう。マッキィ。さんの大学の教授が理解のある方で良かったですね。そうですね…どの家族にも問題はあるのかも知れませんね。表向きは仲良し家族に見えていても、案外、誰かの犠牲の上に成り立っていたりするのかも。シオリは、「もう学校へは行かない」って言ってます。前は「2年になってクラス替えになったら行く」って言ってたくせに(笑)。そのうち、学校に行ってみたくなるといいんですけどね…(笑)。 / HABA ( 2006-02-09 08:52 )
今その渦中にいるシオリちゃんは本当に辛いだろうけれど きっと 懐かしいなと苦笑しながら笑える日がくるはず。人間を一人育てるのって本当に色んなところのバランス感覚が必要になってくるものだなとしみじみ・・・(苦笑)。私もがんばるわ♪ / まるるん。 ( 2006-02-08 09:23 )
誰も彼もがそれぞれに悩みを抱えて自分の中で消化しながら生きてきていると思うのだけど 大人になってから自分自身のことをゆっくりと考えることが許される環境に恵まれるかどうかを考えると 先生がおっしゃるように早いうちに自分と向き合うことが出来たことはいかったんじゃないかと思います。 / まるるん。 ( 2006-02-08 09:22 )
中学生の頃の足踏みは今考えると今の自分が出来るまでの大切な経験だったなと 今になれば振り返ることが出来ています。 / まるるん。 ( 2006-02-08 09:21 )
実はうちの3歳児。朝起きると自分でトイレにいったあと、ころんと布団にころがって私にパンツをはかせてもらいたがります。うげっと思うんだけど、その心は隠して赤ちゃんのオムツ替えのようにやってあげているの。自分でやりなさいっていうべきか迷っていたんだけど、HABAちゃんの日記読んで「やってあげるのが正解なんだわ。」って自信がもてるようになりました。ちゃんと赤ちゃんがえりにもつきあってあげないとね。ここの日記、私のこれからの子育てにとっても役立ってます。ありがとね。 / 雅(みやび) ( 2006-02-08 00:39 )
どの家族にも問題はあると思います。もちろん家もです。ただ忠告に耳を貸すかどうか、だと思います。それにより変わっていけばいいんです。家の父は父親の役目をしないし考え方がおかしいので、学校の先生に「父親の勉強をしてもらわないといけませんね」と普通なら言われないようなことを言われたにもかかわらず、10年たっても変わりません。そして子供に対して理解がありません。HABAさんご夫妻は理解しようとされてるし、シオリちゃんにも信頼されているので、あまり深く考えなくてよいと思います。 / マッキィ。 ( 2006-02-07 19:37 )
ホッとしました。とりあえずは今週はお休みですけど、本人が行けるかもと思えるまで休んでいいと思います。私は大学4年の11月の途中から卒業まで休み、ストレスの原因だった進学をやめました。しばらく休むことを教授に伝え、そして一週間実家で過ごし、そして東京に戻って診察の結果と休みたいことを伝えに教授のところに行ったら「すぐ戻ってこないで、正月過ぎまで実家でゆっくりしてきたらよかったのに」と言ってくださいました。私は報告に行かなきゃー!と思ってたのに、そんな心配は無用だったようです。 / マッキィ。 ( 2006-02-07 19:32 )

2006-02-07 スクールカウンセラー

昨日、今日とシオリは担任の先生に伴われて学校に行きました。
昨日は、保健室に1時間だけ居て帰ってきましたが、今朝は登校を渋るので、
先生が「保健室は居づらかったかな?」と聞いたら、コックリ頷いたので、
先生が「今日はスクールカウンセラーの先生がいらっしゃる日だし、カウンセラーの先生も心配してらしたから、今日は保健室じゃなくて相談室に行ってみようか?」とおっしゃると、シオリは頷いて、出て行きました。

11時頃になって、担任の先生からお電話が来て、シオリを帰したこと、スクールカウンセラーの先生が私と話しをしたがっているということを告げられました。
そこで、午後2時に学校に行くお約束をして電話を切りました。
2時に学校に行ってみると、玄関で担任の先生が待っていて下さり、相談室に案内して頂きました。
カウンセラーの先生からは「シオリさんは今まで頑張って学校に来ていて、もう限界だから行けなくなったのだから、これ以上頑張らせるのは酷なのではないか、高熱なら学校を休ませるのだから、心が熱を出しているような今の状態では、休ませてあげた方が良いのでは?」と言われました。
シオリがあまりにも喋らないので、両親がとても厳しいのかと思って「ご両親は優しい?」と聞いたら、涙を流しつつコックリ頷いたそうです。自分の気持ち(学校に行きたくない)を言うと両親が困るのが判っているし、両親の考えが自分の気持ちにそえるものではないという事が判っているから、何も言えなくて悲しくなってしまうのではないか。
シオリには、もっと自分の気持ちを口に出せるように仕向けていく必要があるのでは?という事でした。
いろいろとお話をしていくうちに、私の育て方の問題点が浮かび上がってきました。
私はシオリが何か要求を口にする前に先回りして、「こうしたいの?」と聞いてしまうので、シオリが何も言う必要が無かったということ。
ところが、お友達を含め他人は自分の気持ちを汲み取ってはくれないので、本当は自分の気持ちを口にしなければ周りはわかってくれないのに、経験が無くてそうする事が出来ないから、お友達関係が上手くいかないのではないかという事です。
カウンセラーの先生には「過保護にしてしまったのね。」と言われましたが、その通りだと思いました。
私は母に厳しくされて辛かったので、自分の子供にはあまり厳しくしないようにしてしまいました。
私は厳しくされすぎて何も言えない子供になりましたが、シオリは過保護にして何も言う必要の無い状況に置いてしまったがために何も言えない子供になってしまったのです。
先生は「でも、早いうちに気付けたのだから、これからはシオリさんは真っ直ぐに育っていくと思いますよ」と言って下さいました。
それから、「極端な話だけど、中学校は一日も行かなくたって卒業出来るし、やる気さえあれば、勉強はどこででも出来るでしょう。
中学校に一日も行かなかったけど、高校にはきちんと通って卒業した人も知ってるから、大丈夫。」とも言って下さいました。

そう聞いたら、なんだか気持ちが楽になりました。
もう少し肩の力を抜いて、どっしりと構えた方が良いのかも。

先頭 表紙

【雅ちゃん】そうだね〜。早く気付けて良かったんだけど、気持ちを口に出させるって難しい…今までお互いそうして来なかったから、ちょっととまどっているところ(笑)。 / HABA ( 2006-02-08 09:49 )
なんだか身近な話だわ。とてもステキなお母さんがいるんだけど、子供が3歳になってもほとんどしゃべらないの。よく見てると、子供が何かを言う前に全部、お母さんが先回りしてやってあげちゃってるのよね。だから子供はしゃべる必要がない。家庭内ではそれでいいかもしれないけど、社会に出たらそのこ苦労するんじゃないかなって人事ながら心配してたとこ。シオリちゃんの場合も今わかってよかったじゃない?手遅れになる前で。 / 雅(みやび) ( 2006-02-08 00:33 )

2006-02-06 祖父との同居

この前書いた母の暴力的なしつけは、恒常的に行われていたわけではありません。
母の虫の居所が悪かったとき、父が居ないときだけです。

祖父との同居が始まった頃、母は祖父と一緒に居るのが気詰まりだったのか、子供たちを連れて散歩に出かけました。
小学校がすぐそばだったので、その日は小学校へ行きました。

そこで母の昔語りが始まったのですが、結婚前、父以外に求婚してくれた人が居たそうで、母はそっちの人の方が好ましかったのに、母の両親は父との結婚を勧めたんだそうです。
母も親の言うことに逆らえずに父と結婚したけど、父が嫌いだったから、離婚を考えていた。
だけど、私を身ごもってしまったので別れられなくなってしまった。

…そう聞いた時、私は、自分が生まれてきた事が母の人生を狂わせたのだと考えました。
私は生まれてきちゃいけない子供だったのだと思いました。
私の存在が母を苦しめているのだと思いました。
9歳から大人になるまで、ずっとその考えが頭の片隅にありました。

その時、私は母に「でも、お父さんと結婚したから、私たちが生まれてきたんだよ。別の人と結婚してたら、私たちじゃなくて別の子が生まれてたんだよ。」って言ったんだけど、母は「そんな事無いわよ。」で済ませてしまいました。

そのうち、母が私に当たるようになってから「私にも優しくして。」ってお願いしたら、「あんたにはおじいちゃんが居るじゃない。いつもあんただけ特別扱いして貰ってるんだから、いいじゃない。」と拒絶されてしまいました。
私は心の中で【おじいちゃんとお母さんは違うでしょ】って思ったけど、口に出しては言えませんでした。
母と祖父の不仲は知ってたし、祖父が可愛がる私は、母の敵なのだと思いました。
そして何より、そんな境遇に母を陥れたのは他でもないこの私なのです。
我慢するより仕方が無いと思いました。

妹がいたずらをしても私が叱られるので、妹ビビは増長しました。
私がいたずらを注意しても「私はいくら悪いことしたって良いんだよ。どうせ怒られるのはあんただし。」と幼稚園児に言われるのです。
理不尽だとは思いましたが、母を不幸にした私が悪いのです。

少しでも母に気に入られたくて、頑張って勉強したりしたけど、頭の出来が邪魔して大したこともなく(笑)。
小学6年生になる時に、学区外に出来た新しい団地に引っ越しました。
伯母一家も同じ団地に住むことになり、祖父は伯母のところで暮らすことになりました。
祖父との同居は解消されて、母もいくらか落ち着いてきましたが、私が中学生になってしばらく経った頃、母は堕胎手術を受けました。
産婦人科からの電話を私が受けて、父に伝言を頼まれ、帰宅した父に「迎えに来て欲しいって。」と告げると、「そんな病院知らん」と言ったきり、迎えに行きませんでした。
母はタクシーで帰宅しましたが、その後、また夫婦間がおかしくなりだしました。
母は私に父が避妊しないことなどを愚痴るようになりました。
でも、私はそんな話聞きたくなかった。
まだ恋愛すらしてもいないのに、避妊だの今まで何回堕胎しただの、いつ堕胎しただのと、そんな話を聞くほど大人じゃありませんでした。

やがて、母は離婚を口にするようになり、私は母から「私はこの家を出て行くから、妹達の面倒はあんたが見るのよ。」と言われるようになりました。
私はまだ中学生で、一番下の妹はまだ幼稚園にも入っていない…。
頑張ろうとは思いましたが、正直、荷が重過ぎました。
…どうしたら良いのかわからなくて、途方に暮れました。

先頭 表紙

【まるるん。ちゃん】そうだね。愛してるって伝えるのって、日本人には難しいかも。「愛してる」って口に出して言うの、照れくさいし(笑)。それからね、催眠療法みたいなもので子供時代の傷ついた自分を抱きしめてあげるっていうセラピーもあるらしいよ。昔の自分が癒されれば今の自分も癒されるんだって。 / HABA ( 2006-02-08 09:47 )
【麦ちゃん】そうそう!甘えられちゃったのよね〜!母は祖父との同居が始まる少し前に母親(私の祖母)を亡くしてしまったので、私を母親代わりにしてしまったのかも知れないと、今では思ってるの。これからは自分とシオリの心を強く育てていかなきゃって思ってます。トモは元々強いので、大丈夫みたい(笑)。 / HABA ( 2006-02-08 09:43 )
【雅ちゃん】うーん。それはどうかな?いらなくても生まれちゃう事ってあるわよ(笑)。子供を産んでは殺してた人だって居るわけじゃない?母の気持ちは母にしかわからないし、セクハラにしたって、DVにしたって、いじめにしたって、受けた側の気持ちがどうであったかが重要だと思うのよ。人の気持ちは刻々と変わるものだし、今でも当時と同じ気持ちかと言ったら、それは違うと思うけどね。 / HABA ( 2006-02-08 09:37 )
【さゆ】さゆは当時まだ小さかったし、あなたは皆に可愛がられる存在だったから…多分、私の気持ちは想像は出来るかも知れないけど、本当のところはわからないと思うんだ。だけどね、前にも言ったかも知れないけど、祖父との同居時代には、まだ赤ちゃんだったあなたの笑顔だけが私の心を慰めてくれたの。どうもありがとう。 / HABA ( 2006-02-08 09:14 )
人を愛することは簡単だけど 愛しているということを伝えるのは簡単そうで難しいかもしれないね。不器用に愛された子供はいざ大人になって器用に育児をしようと思っても簡単にはいかないのかも。あの頃の自分は母にどうされたかったのか 過去の自分を抱きしめてあげるように我が子を愛してあげたいなと 思ってます(・・って、あら また自分語りスイマセン(-_-;)) / まるるん。 ( 2006-02-07 08:44 )
甘えていいときにも、お母さんにずいぶん甘えられちゃったのね。HABAちゃんはグレたりもできないでひたすら頑張ったのね。それでもちゃんとお嬢さんのこと甘えさせてあげようって頑張ってるの偉いよ。HABAちゃんは一生懸命機能しようとしてきたし、日記を読んできた者として思うんだけど、今だって、心配しなくてもHABAちゃんは十分やってると思うよ。 / ( 2006-02-07 08:27 )
いらない子なら産まないよ。今なら分かるでしょ?(笑)お母さんは長女のHABAちゃんのことがいとおしいのに下の子たちに手がかかるから構えない。逆に頼ってしまう。だからきっと後ろめたかったんだと思う。そこにおじいさんが登場して自分がしたかったように可愛がるもんだから嫉妬と裏切られたようなキモチになっちゃったんじゃないかな。本当は叩く代わりにぎゅって抱きしめたかったんだと思うよ。 / 雅(みやび)@未ログインでごめん ( 2006-02-06 19:48 )
母は父に頼れない分、お姉ちゃんに頼ってたんだと思う。頼れる優等生で、期待に応えるお姉ちゃんを母はとっても誇りだったよ。でも、お姉ちゃんは、寂しくて、重くて、苦しかったんだね・・・。心の荷物を捨て去って、そこに今得た幸せを沢山詰めて、心を幸せで大きくしてください。そして、愛しい、シオリとトモちゃんから、笑顔と幸せいっぱいの人生を送れるようにと、叔母さゆは願います。書きにくいと困るから、読者に戻るね。私、言葉上手くないからとんちんかんだろうし…大好きなお姉ちゃんから、笑顔消えて欲しくないからぁー。 / 鈍感さゆ ( 2006-02-06 18:01 )
今では、私は自分の事を生まれてきちゃいけない存在だとは考えていません。母は、私が欲しくなければ堕胎すればよかったのです。私の妹や弟達をそうしたように。それから、今では夫や子供たちに愛されていて、私はとても幸せです。 / HABA ( 2006-02-06 13:00 )

2006-02-05 機能不全家族。

シオリの心の問題を解決すつ糸口になればと、ネットでいろいろ調べていたのですが、機能不全家族、AC(アダルトチルドレン)などのキーワードに私が当てはまるような気がしました。
思春期相談でも言われたのですが、「私自身が自信を持っていなければ、シオリが自信を持つ事が出来ない」と。
そして、ネットで調べていてわかった事は、自分に自信が持てないのは母親の愛情を受けている自信が無いからだということ。
シオリは私の愛情を感じないのでしょうか。

トモが生まれた時、4歳のシオリが赤ちゃんがえりをして、寝転がってトモのミルク瓶を吸った事がありました。
私はその時、シオリに対してとてつもない嫌悪感を覚えてしまったのです。
産院に居る間にシオリがおたふく風邪になってしまって会えなかったので、シオリに会いたくて会いたくて、泣いてしまったくせに。
それから数年間、嫌悪感を乗り越えてシオリを愛そうと努力しました。
でも、愛するということは努力してする事では無いし、出来ないのです。
シオリは、自分が愛されていないと感じているんだと思います。
シオリが小学一年生(6歳)の時に「もう死にたい。ママは私が要らないんでしょ。」って言われて我に返って、それからはシオリを愛してきたつもりだけれど、シオリの心には大きな傷を付けてしまったのだと思います。

私自身が母に愛されなかったから、母親の愛情を求めるシオリに自分を投影してしまって、シオリに嫌悪感を感じたのかな?と思います。
自分が傷ついた経験を書き出していけば、自分の心を見つめなおす事が出来るかも知れないと思い、書いてみる事にします。

私には3人の妹が居ます。すぐ下の妹は私が一歳一ヶ月の時に生まれました。
私には母に抱っこされた記憶が全くありません。
父には、抱っこして貰ったり肩車して貰った記憶があるけど。
2番目の妹は私が3歳5ヶ月の時に生まれました。
家族で出かけて、足が疲れて痛くなって、「もう歩けない」って言った時に、母は「お父さんもお母さんも妹達を抱っこしてるんだから、あんたは抱っこ出来ないの。わかるでしょ?自分で歩きなさい。」って、休んでもくれなかった。
小学3年の時に末の妹が生まれ、小学校4年生になる頃、父方の祖父との同居が始まりました。
本当の苦難の時代はここから始まりました(笑)。

母は祖父と不仲で、それから父とも不仲になり、父は伯母の家に入り浸るようになりました。
私は祖父のお気に入りで、祖父は私だけにお菓子を買ってきたり、猫可愛がりをしました。
母はそれが気に入らなかったらしく、私だけきつく叱るようになりました。
祖父が側に居る時は、激しくぶつようになりました。
私が何もしていなくても、そばにいた妹が何かいたずらをすると、「近くにいて、いたずらをさせるとは何事だ」と言って、私を叱りつけました。
ソロバン塾に行きたくないと言った時には、ソロバンの玉が飛び散るまでソロバンで殴られました。
そして「あんたが悪いから、ソロバンが壊れちゃったでしょう!」と。
手で叩くと痛いからと、以前から布団叩きで叩かれていましたが、時にはビール瓶の時もありました。
それでも、病院に行かなきゃならないほどにはやらないのです。
ぱっと見て判るような場所は叩かないのです。顔や頭は絶対に避けていました。
いっそ死ぬまでやってくれたら後腐れも無かったのに。
愛されないのなら、この世に生み出した母の手で葬って欲しかった。(続きはまた後ほど)

先頭 表紙

【さゆ】ウチの両親は、二人とも間違いなくアダルトチルドレンなのよ。父は幼くして母を亡くしたし、母は小学生で祖父母のところに行かされたでしょう?だからね、両親を責めてもどうにもならないと思ってる。愛情が全く無かったとも言わない。だけど、これまで自分が心の中に抱え込んだ荷物を全て捨ててしまわないと、親として前に進めないと思うの。まだほんの少しだけど、書いてすごく気持ちが楽になった。身内の恥を晒してしまって申し訳ないけど、書かせてね?身近な第3者にはこんな事告白できないから。 / HABA ( 2006-02-06 00:50 )
【雅ちゃん】雅ちゃんも子育て大変な時なのに、いっぱい突っ込み入れてくれてどうもありがとうね!今日は、シオリを4歳児だと思って、一から十まで世話をしてあげました。そしたらね、笑顔が出るようになったの!きっと、まだ心が4歳児のままで止まってしまってるんだと思う。8年間のロスがあったけど、これから育てなおしをしようと思います(笑)。 / HABA ( 2006-02-06 00:44 )
お母さんは、私たち姉妹を愛しているよ。お母さんも愛に飢えていて、伝達が不器用なんだよ。だから、お姉ちゃん、苦しまないで!シオリを愛してるなら、「自信」を持って、その愛を、伝えてあげようよ。愛する事に自信を持つだけじゃ、ダメなのかなぁ・・・? / さゆ ( 2006-02-05 15:03 )
むすび。自分の過去をシオリちゃんのために公表しようというこの態度だってりっぱな愛情の証拠だと思うよ。私はHABAちゃんとシオリちゃん、HABA家の今後を応援していきたい。 / 雅(みやび) ( 2006-02-05 12:17 )
今からでもできること。それは愛情を言葉にすること。態度であらわすこと。スキンシップをすること。愛情に自信がなくても言葉にすることによって実感がわいたりするんだと思う。言葉には魂がやどっている。「大好き。」「可愛いわ。」てね。そして頭をなでる。手にそっと触れる。難しい?HABAちゃんのお母さんにも誰かがそう言ってくれたらよかったのにね。本当は叩くんじゃなくて抱きしめたかったんだと思うよ。不器用な人だったんだね。周りがそこまで追い詰めたってことか。 / 雅(みやび) ( 2006-02-05 12:15 )
そして。私も授乳している横で「私もおっぱい!」と触りたがる三歳の長女に嫌悪感を覚えます。愛してないから?ううん。そうじゃない。哺乳類として当たり前の感情なんじゃない?次の子に与えるべきものを上の子の食欲で飲まれてしまったら他に栄養摂取の手段を得ないはずの赤ちゃんは大きくなれないもの。赤ちゃんのために死守すべきもの。ただ、私とHABAちゃんが違うのはそのことに罪悪感を覚えちゃったこと。それでシオリちゃんへの愛情に自信がなくなって、それをシオリちゃんは敏感に悟っちゃって迷っちゃった? / 雅(みやび) ( 2006-02-05 12:07 )
冷静に突っ込もうと思います。ここに書かれているのは明らかに虐待された子供の話。よくぞ立派に成人してママになってくれたと思います。そして一番最悪なのはパパ。自分の親と妻の折り合いが悪かったらまず妻を擁護するべきなのに逃げ出してしまうなんて。しかも娘が虐待されているその場所から・・・。パパにはもっと毅然とした強くて優しい男であって欲しかったな。 / 雅(みやび) ( 2006-02-05 12:01 )
物事を説明するのが苦手なので、意味不明な文章になっているかも知れませんが、私自身の心の問題を解決する事がシオリの心の問題の解決に繋がるかも知れないと思って、心の整理をするために、書いてみました。 / HABA ( 2006-02-05 11:05 )

2006-02-04 今週の『シオリ』

シオリは先週土曜日には部活をしに自ら学校に行きましたが。。。月〜金は学校に行きませんでした。
月曜日、担任の先生の家庭訪問。自分の指を傷つけて、冷蔵庫に貼ってあったプリントに血を擦り付ける。

火曜日、子供総合センターに行ってみましたが、今までの生育歴や今の状況説明をしただけで時間が来たような感じで、「親と先生の意見を合わせておかないと子供が不安になるので、そこらへんを親と教師で話し合うように」というアドバイスと、
「何の原因もなく身体の不調が表れる場合は薬での治療も出来るけど、原因が何かあるようなので、その原因が何かをこれから探って取り除いていきましょう」ということで、
次の診察は2/14になりました。
私が期待したような結果は得られなかったけど、こういうことは焦ってはいけないのかなと思い、2週間待つことにしました。

水曜日、担任の先生の家庭訪問。「私から子供総合センターに問い合わせしても良いですか?」と聞かれたので、「構いません」とお答えしました。

木曜日、シオリの部屋を私とシオリとで掃除。その後、苦手な数学を一緒に勉強しようとするが、6+7も「わからない」とくり返し言うだけで全然進まない。
鬱のせい?それとも演技?
夜、ベッドの中にはさみやらカッターを大量に持ち込んでいる。夫が心配して全部取り上げて隠す。

金曜日、学年主任、担任の先生と夫、私の4人で学校でお話する。
子供総合センターに行った事について学年主任の先生は「そういう機関に相談するのは良い事だとは思いますが、長い教師生活の中で、そういうところに行って学校に戻ってきた生徒を私は知りません。不登校は学校と家庭とで解決する問題だ。」と不快感を顕わに。
自傷行為がある事を告げても、学校に行こうとすると身体の不調が出る事をお伝えしても、学年主任の先生には通じないらしく、そのことはスルーされてしまう。
世の中には悪い人が居ることを学ばないといけない。今までそういう人が身の回りに居なかったから慣れてないのでしょう。などと、正論ばかり。
ずっと学校に来られないようなら養護学校に送り込む用意があるとか、見当違いなお話ばかりでうんざり。話の通じないお方…。
(自分でも何を言ってるか判ってないんじゃないだろうか?この先生の授業ってどうなんだろう?シオリは別に嫌いな先生じゃないって言ってたけど。)
でも、学校に来たら教室へというのは担任の先生が説得して下さったようで、保健室に登校しても良いが、保健室から図書室、そこから教室へ誘導していくということで、保健室登校を許して頂けた。
月曜日からは、毎日、担任の先生が毎朝出勤前に迎えに来て下さることに。
担任の先生には頭が下がります。
ウチの子の為に、どうもありがとうございます。

学校から帰ってからシオリの部屋に行ったら、カッターの刃を捨てるディスポーサブルケースからカッターの刃を取り出して握り締めていた。
指を切る程度ならそんなに危険はないけど、もし手首を切って、間違って死んじゃったら困るしね、どうしよう…。
刃物を隠したって、探せば出てくるし。自分で買うお金だって持ってるし。
シオリが生まれた日の嬉しかった気持ちを話して聴かせたりしたんだけど、効果があったら良いな。

夕方、担任の先生の家庭訪問。学年末考査の試験範囲のプリントを持ってきて下さり、月曜日からは朝7時半に迎えにきて下さる事を伝えて下さった。
土曜日の部活へは「行かない」って行ってるけど、行って、仲良しの子達と話して気晴らししてくれば良いのに。

先頭 表紙

【マッキィ。さん】早速のお返事、ありがとうございます。そうですか…即効性は無いのですか。でも、有効なんですね?シオリは、今日は笑顔を見せてくれました!もしかしたら、少し持ち直してきたのかも知れません。 / HABA ( 2006-02-06 00:40 )
うつ病に対して、薬は有効ですよ。ただし、即効性はありません。http://www.utu-net.com/index.html などのサイトにも書かれているように、薬と休養が重要で、私は2〜3ヶ月殆ど外出できませんでした。出かなきゃいけない用事があっても、動けるのは夕方5時ぐらい。ただ、服用で治るとわかっていたことへの安心感と、実際調子が良い日を感じていたので、無理をしないで寝てばかりいました。数学に対してもでしょうが、今は何事にも興味が向かないから「わからない」を繰り返すような気がします。 / マッキィ。 ( 2006-02-05 08:15 )
【麦ちゃん】そうね…読書は大好きな子だから、本を読ませるのは良い事だと思うんだけど。。。本の選択は難しいよね。重松さんの本って読んだことないけど、明日にでも本屋で探してみるね。送って貰ったら送料の方が高くつきそうだから、お気持ちだけ頂いておくわ。どうもありがとう! / HABA ( 2006-02-04 23:11 )
【まるるん。ちゃん】そうね。自分自身がコントロールできないっていうの、その通りかも知れないわ。自分でもどうして良いかわからなくなってるのかな。親は、黙って全てを受け入れて見守っていくだけの忍耐力が必要なのかな…。 / HABA ( 2006-02-04 23:02 )
【まるるん。ちゃん】まるるん。ちゃんにも辛い時があったんだね。実は私も自殺未遂をくり返した事があったりするの。ただ、勇気が無くて完遂できなかったけど(笑)。死ぬ事よりも痛いのとか苦しい事の方が怖かったんだよね(笑)。臆病で死ねない自分にも、ものすごくガッカリして落ち込んだりして(笑)。何であの頃あんなに死にたかったんだろう?自分はこの世に必要ない人間だと思ってたのかな。 / HABA ( 2006-02-04 22:58 )
【雅ちゃん】殴らないで〜(笑)。多分、ご本人には悪気は無いのよ。論点が食い違ってる事に全然気付いてくれないだけなの。相手の気持ちに鈍感なタイプというのか何というのか…(笑)。 / HABA ( 2006-02-04 22:51 )
【マッキィ。さん】鬱はお薬で良くなる場合もあるそうですけど、マッキィ。さんはお薬は効きましたか?薬で少しでも心が楽になれるものなら…と考えてしまうのは短絡的でしょうか。数学は「わからない」とくり返すばかりで、私にも何がどうわからないのかわからなくて困ってしまいました(笑)。 / HABA ( 2006-02-04 22:45 )
江原さんの本を読んだように、ゆっくり本でも読ませてあげたらどうかしら・・。ストレートすぎてどうかなとは思うけど、重松清さんの「きよしこ」や「きみの友達」とか。友達の中であえぐ子どもたちの心情をすごくリアルに描いてる。重松さんは「みんなと同じ」になれない子どもの気持ちをよく知って、励ましてくれる作品を書く人だと思うんだけど・・。あからさま過ぎるかしら?家に本があるから送るよ。 / ( 2006-02-04 17:59 )
とにかく自分自身がコントロールできないんだから自分の思いを人に打ち明ける事だって難しいのだと思います。何か風穴が開くように呼吸が出来る場所を見つけられると良いのだけどね。 / まるるん。 ( 2006-02-04 15:21 )
読んでて思わず涙が出茶います。私自身のことばっかり書いて申し訳ないのだけど 私も学校に行けなかった頃 母親の目の前で包丁で自分の首を切ろうとしました。包丁の切れが悪かったことと結わえてなかった長い髪が邪魔で直接首に包丁が当たらなかった事が幸いでしたが・・・当時は本当に自分自身がわからなかったんだよね 本当に死にたいわけでもなかったし 死は怖いものと認識もしていた でも自分を傷つけずにいられなかったんだよね。 / まるるん。 ( 2006-02-04 15:17 )
その学年主任、殴っていい? / 雅(みやび) ( 2006-02-04 13:43 )
学年主任、相変わらずですね。「そんな態度で学年主任なんかやってんじゃねー」って言いたい。。。担任の理解には感謝ですね。 センターで期待した結果が得られなかったのなら、セカンドオピニオンを得に別の医師にかかるのも手かと。私は鬱になったのが23でしたので、症状やこれまでとの違い、困っていることなど全て自分で伝えられましたけど、シオリちゃんはまだそうではないようですから。確かに思春期は恥ずかしいし。数学ならお手伝いできることがあれば声をかけてくださいね。中学まで苦手でしたが、後に好きになりましたから。 / マッキィ。 ( 2006-02-04 06:40 )

2006-01-28 心身症(2)。

私は私で、シオリの心と身体のケアをどうしたら良いかと、小児科に行ってみたり、市の思春期相談に行ってみたりしたんだけど、
小児科では「薬で症状を止めるよりも、子供専門の精神科のお医者さんに診ていただくのをお勧めします。」って言われるし、
思春期相談は、心理学の先生から親子の関係についてアドバイスはして頂いたけど、ひと月に一回しかないので、その間どうして良いかわからないしなので、
県の関係施設で児童精神科のお医者さんが診て下さるところをネットで探して、予約をしてみました。
来週火曜日の午後に予約を入れられたので、行ってきます。

それから、心身症の症状について調べてみたら、心身症で視力が落ちることがあるということが判りました。

シオリは6年生の時から眼鏡をかけているのですが、
その時、眼科の先生に「目の機能には異常がみられないのに視力が出ないのですが、こういう場合は精神的に何かある場合が多いんですよ。
思い当たる事は無いですか?」って聞かれたのを思い出しました。
でも、当時は悩んでいるふうも無かったので、思い過ごしでは?って思っていたんだけど、こうなってみると、何かあるのかな…って、気になります。

精神科のお医者さんによって、シオリの心の中の本当の悩みが明らかになれば良いなと思います。

あ、それから。学年主任とのお話の件については、「午前中なら夫の時間の都合がつくので、学校の方へ伺っても良いです」って担任の先生にお話したら、
月曜日に学年主任の先生と相談して、またご連絡いたしますとの事。

あ、そうそう。昨日はシオリの13回目の誕生日でした。
モーツァルトと同じ誕生日なのです。

先頭 表紙

【麦ちゃん】シオリは今週学校に行きませんでした。それで、昨日は学年主任と担任と夫と4人でお話してきたのですが、結局、学年主任の先生はシオリの心理状態についてはほとんど理解して下さらなかったようです。世の中には悪い人間も居る事を学習しなきゃいけないとか、そんな事ばかり言われました。そんな当たり前のこと、言われなくてもわかってるんだけど(笑)。心配してくれてどうもありがとう。共感してくれる人が、このPC画面の向こうに居るんだって思うだけで心強いわ。 / HABA ( 2006-02-04 01:49 )
ほんとに、マッキィさんに同感。子どもの心って言うのに対して昔より手厚くなる中で、そういう動きに賛同できない昔タイプの人がまだいるのね。それからどうなったのかな。私としては、心無い悪口でこんな風に心を痛める人がいるってこと、その意地悪な子にストレートに知らせてやりたい。でも、たいがい本人の弱さにされるのね。 / ( 2006-02-02 07:38 )
【マッキィ。さん】お一人でも、気持ちを分かち合って下さる方がいらして嬉しいです。そう、「行かない」んじゃなくて「行きたいけど行けない」んですよね。学校が大好きで教師の職を選んだ【先生】には、もしかしたら理解できない感情なのかも知れません…。 / HABA ( 2006-01-30 22:48 )
【マッキィ。さん】ご心配頂いてどうもありがとうございます。いよいよ明日が診察の日です。明日が転機になると良いのですが…。でも、今までと何も状況が変わらなかったら、どうしよう?って、ちょこっと不安でもあります。どうか、私たち親子と相性の良い先生に恵まれますように…。 / HABA ( 2006-01-30 22:46 )
それにしても、学年主任は休むことを、シオリさんのワガママで登校拒否気味と判断しているように感じてしまいます。「考えましたね」って言葉も、そう思ってるようで仕方ありません。「行かない」のと「行けない」のでは違うのに。。。。 / マッキィ。 ( 2006-01-28 06:51 )
シオリさんのこと、とても心配ですね。ご家族もでしょうが、本人が一番困ってると思います。早く火曜になって、診察してもらいたいですね。わたしはうつ病になったことがあり精神科にかかったことがあります。自分で自分の症状やいつもよりもおかしいところや原因と思われることなどを話せたのですが、もしそれが中学生のときだったら感じていることをうまく言葉に出せずに同じように吐き気や頭痛など体に何かが現れただろうなと思います。 / マッキィ。 ( 2006-01-28 06:51 )

2006-01-28 心身症(1)。

シオリを夫と二人で学校に連れて行ったことを前回書きましたが、シオリはそのせいで吐き気が起きるようになって、また学校に行けなくなりました。
前から頭痛と胃痛と腹痛を訴えてはいたのですが。
これはもう、立派な心身症ですよね?

月曜日に休んで、火曜日、水曜日と夫と二人で学校に連れて行き、火曜日に学校に行った時に学年主任の先生(男性50歳前後?)とお話をしました。
字数の関係で、その内容にはあまり触れませんでしたが、今回、ちょっとその内容について書いてみようと思います。

先週は担任の先生(女性30歳前後?)が「学校から離れてしまうと、ますます来づらくなってしまうかも知れないと思うので、出来るだけ迎えに行かせて下さい。」っておっしゃって下さったのだけど、
学年主任の先生には「担任には、『もう、迎えに行かないで少し放って置いて、週に一度、宿題や学校からの連絡プリントをどっさり持っていけば、本人も少し考えるんじゃないですか?』って言ったんですよ。」って言われたのです。
私はその時、咄嗟には学年主任の先生の真意が掴めずに聞き流してしまったのだけど、一瞬「ん?」と心に引っかかるものがありました。
「どういう意味でしょうか?」って聞けば良かったと後悔しています。

家に帰ってからずっと考えていました。
責め続けて追い詰めるよりは少し距離を置いてみた方が良いと言う事かしら?それとも、ズル休みしてるとこんな罰を与えるぞっていう意味かしら?と。
そしたら、なんだか後者のような気がしてきました。
だって、「月曜日は部屋に篭ってしまって昼ご飯も食べなかったんです。」って言った時に「そうですか、それは考えましたね〜(笑)。」っておっしゃったの。
「考えましたね。」って、どういう意味よ?
シオリは学校を休むことへの罪悪感から部屋から出てこられなくなってたのに。
しかも、シオリは意地悪言う子と会わないんだったら、学校に行けるって言ってるのに、
「保健室登校はさせない。登校したら教室へ。」って言うし。

そして今朝、休みの連絡を入れた時に、保健室なら行けると本人が言っていることと、思い切って今月いっぱい休ませてやろうかとも考えているって言ってみたら、
担任の先生から「学年主任がお父様とも一緒にお話がしたいと申しておりますので、今日の夕方、お父様も交えてお話させて頂けませんか?」って言われたんだけど、夫は午後は仕事を抜けられないからとお断りしました。
で、夕方家庭訪問するというので待っていたら、担任の先生だけがお見えになって「学年主任はお父様が一緒の時にお話したいと言うことなので。」だって。
私じゃ役不足ってことかしら?
夫は「なんかオレに文句でもあるのか?」って(笑)。

担任の先生は一貫して「学校から離れてしまうと来辛くなると思うので、迎えに来ようと思います。」って言って下さってます。
担任の先生の誠意はひしひしと感じられるんだけど、学年主任の先生の方は…(~_~;)。

続く。

先頭 表紙


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