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青い角砂糖


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2002-04-26 銃痕(8)
2002-04-23 銃痕(7)
2002-04-22 銃痕(6)
2002-04-21 銃痕(5)
2002-04-20 銃痕(4)
2002-04-19 銃痕(3)
2002-04-18 銃痕(2)
2002-04-17 銃痕(1)
2002-04-06 チェリー
2002-03-20 羊羹の夜


2002-04-26 銃痕(8)

 そっと席を離れ、彼女の部屋の前に立つと、私は音をたてないように細心の注意を払ってドアを開け、中に入った。
 太陽の光が、カーテン越しに降り注いでいた。壁も、ベッドも、布団も、何もかもが白く、やわらかく輝いている。白い病室。ただ、サイドボードの上にたたんで置かれた、彼女の赤いチェックのパジャマだけが、その静かな光景にアクセントを添えていた。
 私は窓際のチェストに腰を下ろした。彼女の黒い髪。青白い横顔。かたく閉じた目。
 長い間会っていなかったのに、なぜかあまりそんな気はしない。私と、彼女と、小西と。私たちは大学に入ってすぐに知り合い、まるで荒波にさらわれたかのような最初の一年間を一緒に越えた。そして詩というものを通して互いを互いと認め合い、何か特別なもので結ばれているような気がしていた。
 そして小西が、何でも自分で片付けてしまいたがる男だということを、私は忘れていた。知っていたくせに、それを都合よく解釈して、忘れていた。
 だからずっと彼女に会わなくても平気だった。
 しかし、そんな私の驕りが、今こうして、彼女や小西の傷ついた姿を私に見せているのではないかと思った。
「慧介?」
 その時、ふいに、本当にふいに、彼女が、かぼそい小さな声で小西の名を呼んだ。
 私は、言葉を発するべきかどうか少しためらった後に、答えた。
「……今、廊下にいる」
「有子!?」
 その瞬間、彼女は頭からがばっと布団をかぶって叫んだ。
「見ないで! こっち見ないで! お願い……」
 彼女は泣いているみたいだった。静かな病室の中に、彼女の乱れた息遣いが聞こえた。
 私はそっと病室を出た。
 今、私が彼女のためにできることはそれしかないような気がした。

先頭 表紙

実はもう昔に書き終わっているのです……時間のあるときにのんびり載せていきますね。よろしくお付き合いください。 / M ( 2002-05-08 11:37 )
書きたかったことなんですね・・。最後まで書いて下さい!読みたいですよ^^ / 某ファン ( 2002-04-26 22:48 )

2002-04-23 銃痕(7)

 

* * * 5 * * *

 
 ――いつか、小さな子供の時にも、こうやって髪から落ちるしずくを数えていたことがあるような気がする。
 学校のない木曜日の午後、私はシャワーを浴び終えて、めったにないほどゆったりとした気分で、自分の髪からしたたるしずくを眺めていた。それは、ブラインド越しに部屋を満たす光にきらめきながら、ぽとん、ぽとん、ぽとん……と、規則正しく膨らんでは落ち、膨らんでは落ちていった。 そして、十七つめのしずくを数え終わった時、電話のベルがけたたましく鳴った。
 彼女が自殺を図ったという報せだった。

 風は新緑の匂いをはらみ、白い雲が呑気にぽっかりと漂っている。空は、また、恐ろしいくらいに青く透きとおっていた。その薄い皮膚のすぐ下には、もう夏があるのだ。
 そんな鮮やかで美しい季節の中に、その病院は建っていた。上品なベージュ色の城壁をさらした、優雅な要塞。その壁の中にはいくつもの絶望や、希望があるはずなのに。私は今までそんなこと考えもしなかったけれど、この世の中では、ありとあらゆるものが、誰かの幸福や不幸とは無関係に存在しているのだ。
 受付で病室の場所を聞き、足早にそこへ向かう途中、休憩所のベンチに小西が座っているのを見つけた。こちらが声をかけるよりも早く、小西の視線が私を捕えた。
「悪い。……みっともないとこ見せて」
 憔悴しきった表情。
「そんなこといいから。――大丈夫なの」
「命に別状はないんだ。今、少し落ち着いて眠ってるところ」
「家族に連絡は?」
「した。ただ、あいつの実家って遠いだろ。着くまでにはだいぶ時間が要ると思う。空港まで車でずいぶんかかるらしいから」
「…………」
「俺が悪いんだ。……いつかこうなることはわかってた。わかってたのに、止められなかった」
 それはいつもの自信に満ちている小西ではなかった。げっそりと頬がこけ、眼の下にはくまができ、あわれなほどに痛々しかった。
 なぜこうなるまで、私は何も気付かなかったのだろう? いや、最近の小西は少しおかしかった。気付いていたのに、私は何もしなかった。彼女と小西のことは、二人にしかわからないと思っていた? 友達として、私はこの二人のことを……見過ごしてしまっていた?
「狂言じゃなかった」
 小西は床の一点をじっと凝視したまま言った。
「え?」
「俺は、死ぬことを選ぼうとする人間の、――いや、あいつの気持ちが――」
 それは私に聞かせるためというより、独り言のようだった。
「理解できない。〇、一ミリも分からない。あいつが倒れているのを見た瞬間――自殺したんだと思った瞬間、そのことが分かった。嫌になるくらい分かった
 小西の呟いた言葉は、滅裂なようでいて、砂が水を吸うようにすっと私の身体の中に入ってきた。
 私は、彼女を抱き起こす小西を想像した。おそらくは、その時、名状しがたいほどの恐怖が小西を捕えたのだと思った。

先頭 表紙

ありがとうございます。この物語はもう少し続きますので、どうぞ最後までお付き合いくださいね。 / M ( 2002-04-26 02:17 )
上手く言葉に出来ませんが・・これを書いている時のあなたの背中が見える気がします。続き・・待っていますよ! / 某ファン ( 2002-04-23 12:32 )

2002-04-22 銃痕(6)

 

* * * 4 * * *


 夢を見た。奇妙な夢だった。
 ミルク色の霧が、あたりをしっとりと包んでいる。霧はとても濃くて、ほんの目と鼻の先さえよく見えない。ただ、道の両脇には深い針葉樹の森が広がっているようだ。空を見上げても、霧で何もわからない。すっぽりと小さな白いドームに覆われてしまったように、視界は妨げられていた。霧がすべての音を吸収してしまうのか、しんと静まり返って物音ひとつしない。私は一人だった。おそろしく孤独だった。
 季節はおそらく晩秋、あるいは冬の初めだろうか。空気はひんやりと冷たく、私は黒いダッフルコートを身にまとっている。足に履いたブーツはおろしたてで、ぴかぴかと光っていた。
 足元の道は、くすんだ黄色の煉瓦のようなもので舗装されている。……夏に取り残された、枯れかけた向日葵の花びらのような色。私は、その黄色い道を、一歩一歩、歩き出す。道はどこまでも、果てがないと思えるほどに長い間、続いた。どこまで行っても、景色は変わらなかった。
 ふと、私は、足元の感覚に奇妙なものを感じた。そして、鼻先をかすめる、生臭いような匂い……。
 私は足元を見て絶句した。
 卵!
 それはぎっしりとしきつめられた一面の卵、いや、正確に言うならば卵の黄身だった。
 私のブーツは、すでに潰れた黄身がからみついてどろどろに汚れていた。足元をよく見ると、中には孵りかけの雛のようなものさえいる。足がすくんで動けなくなりそうだった。
 それでも私は、前に進まなければならなかった。強迫的な思いにかられながら、おそるおそる足を踏み出した。するとブーツの底を通して嫌な感触が足の裏に伝わってきた。
 私は泣きたくなった。本当に泣きたくなった。なぜ自分がこんな目に逢わなければならないのだろう。いったい何のために? どんな理由で?
 でも、そんなことは誰も答えてくれない。泣いたって、助けてくれる人なんか誰一人としていやしない。この、霧と卵に支配された世界には。ここには私しかいなかった。他には誰もいなかった。
 何百万、何千万、あるいはもっとたくさんの卵が、私の脳裡を真っ黄色に塗り潰す。歩きながら、私は絶望的な気分になった。いつのまにか泣いていた。泣きながら、気の触れたように笑った。発作的に、断続的に、まるでしゃっくりのように。
 ひとしきり笑いがおさまると、私はそっとしゃがんで、卵黄のひとつを手に取る。それはぷっくりと丸く、こわれもののように繊細で、そして生まれたてのように温かい。握り潰すと、あっけなく崩れて、指の間からどろりと落ちた。
 黄色くべとべとに汚れた手を、私はダッフルコートで拭う。やがてそれはぱりぱりに乾いてしまうだろう。
 そして私はまた、霧の中を、どこへとも知らず歩きつづけるのだ。

先頭 表紙

いつも読んでくださってありがとうございます。あなたが名乗らないことを選んでおられるなら、それを私に対して申し訳なく思っていただく必要もありません。ただ、某ファン様はあの方かしら? と勝手に想像はさせていただいておりますが、あしからず。 / M ( 2002-04-22 22:59 )
文章自体が・・詩なんですよね。私はいつもそう感じて読ませてもらっています・・。 / 某ファン@名乗らなくてすみません。 ( 2002-04-22 22:52 )

2002-04-21 銃痕(5)

「そうは言ってない」
 小西は煙草を灰皿にひねり潰した。小西には煙草がよく似合う。でも本当は、自分で自分の感情を持て余している時以外には絶対に吸わないのだ。
「まあいいや。ここで二人で話してても埒あかないからさ。俺たちの一存で決めていいこととも違うと思うし。来週、ミーティング開こう。
 ……ただその前に、おまえの考えを聞いておきたいんだけど」
 そう言って小西は間を置く。私を試すように、眼鏡の奥から上目遣いで鋭い視線を投げる。
「……確かに、やる気がないのにやっても無駄だとは思う。それに、私個人のことを言えば、もう駄目かもしれない」
「駄目って?」
「書けない」
「そりゃ、読んだらひとめでわかるけど。……スランプ?」
「スランプっていうより、もう意識が別のものに向いてきちゃったのかもしれない。私が日常を取りこんで消化する方法っていうのが、今までは詩だったけれど、このごろそうじゃなくなってきたような気がする。何を書いても、言葉で自分の気持ちを表すことができないような……そういう感じがして」
「そうか。……俺はもう疲れた」
「小西はなんでも一人で背負い込みたがるから」
「分かってる。……それに、本当言うとさ、俺も書けねえんだ。前みたいに、言葉に対する陶酔感とか、書き終わった時の爽快さとか、そういうものを感じないんだ、最近。
 どうしてこうなったのかはわからない。そりゃ、いろいろ努力もしてるよ。でも駄目なんだ。書いても、ただ垂れ流すだけになっちうまうんだ。自分がやっているのは、まったく本質的なものとはかけ離れた、単なる上っ面だけの言葉遊びにすぎないような気がして、虚しくなるんだ。
 とても無力で、無意味な……そう、意味がないんだ」
 頬杖をつきながら、ぼんやりとした口調で小西は言った。でもその声音には、小西なりの切実な苦痛が見え隠れしていた。
 たかが詩と、他人はそう言うかもしれない。でもそれは、小西や私にとっては、自分が自分であるための大切な武器だったから。
「そういや昨日、ずっと前の号引っぱりだして読み返してたんだけど、なんか、おまえの詩って精神的露出狂の書いたやつみたいだった。自分のドロドロしたハラワタひっぱりだして、ほら見てくれって言ってるみたいだったよ」
「今は違う?」
「うん、違うな。ちょっと変わってきてる。ハラワタ出すってよりは、化粧してるって感じかなあ」
「なんか、ひどい言い草だね」
 私は笑う。
「けど、小西のも、ちょっと露出狂っぽいよ」
「確かに、詩を書いて他人に見せて、それで自分のバランスを取るっていうか……癒される部分ってのもあるから。否定はできねえな」
 そしてまた煙草を消す。赤く燻る火は消えても、白いけむりはまだ消えずに、ふわふわとあたりをさまよう。
「まあ、詩なんてジジイになってからでも書けるしな。たまにはもっと若者らしいことでもしますか。ナンパとかさあ」
「確かにジジイんなってからナンパは難しいと思うけど、でも、今この歳で書いた詩と、何十年後かに書いた詩は、またぜんぜん別物だと思うよ」
「……そういう考え方もあるな」
 小西はつまらなそうに煙草をくわえた。

先頭 表紙

つっこみありがとうございます。私は詩を捨てた人間ですが、やはり自分が詩を好きだったという事実はいつまでも変わらないようです。 / M ( 2002-04-22 22:42 )
最近、更新が早くなったので嬉しく思っています。私も・・ながいこと詩を書いているので、共感を覚える文章です。まさに今・・スランプですから(苦笑)次回の更新、楽しみにしています! / 某ファン ( 2002-04-21 15:10 )

2002-04-20 銃痕(4)

   

* * * 3 * * *


 窓の外で、白いシャツが揺れている。
 散らかった部屋の中に寝転んだまま、私はぼんやりとそれを眺めていた。
 五月の陽光を照り返して、それはいかにも清潔そうに輝いている。だから私は、なにかとても神聖なものを見ているような気持ちになった。晴れ渡った空の青と、そのシャツの白とのコントラストは、あまりに眩しくて、眩しくて、まるで目に痛いほどだ。開け放った古い出窓からは、ときおりやわらかな風が入ってきて、私の頬をやさしく撫でる。
 ああ、私は、初夏という季節が嫌いだ。こんなにも世の中は明るくて清々しいのに、私という人間ときたらどうしてこんなにちっぽけで薄汚いのだろう。
 ややあって、私はようやくだるい身体に反動をつけて起き上がった。太陽の光をいっぱいに吸いこんだシャツはさらりとして肌ざわりが良かった。濃紺のジーンズに、やがて来る真夏の向日葵のように鮮やかな色のスニーカーを履く。それはささやかな私の戦闘服。
 そして私は、太陽の光の届かない、あの地下の喫茶店へと出かける。

「俺、最近、ちょっとおかしいかな」 
 久しぶりに会う小西は少しやつれているように見えた。そういう弱音を吐くこと自体、小西には似つかわしくなかった。
 ガリ版刷りの冊子を机の上に投げ出す。『震星』の最新号だ。
「なんだ、出来てたの。もっと早く教えてくれたらいいのに」
「見る価値ねえよ」
「そういう言い方ってないよ」
「駄目だ。最低だよ。おまえのもだよ」
「…………」
 私は何も言い返せなかった。少なからぬショックを受けていた。小西に「おまえも最低だ」と言われたことにではない。そう言われたことに対して、自分が何も感じなかったことにだ。
 確かに最低だ。
「もう止めるか」
「…………」
「このまま続けても意味ねえと思うんだよ。別に金貰って、仕事でやってるわけじゃねえし」
「趣味なら、……趣味だから、いつ止めてもいいと思ってるの?」

先頭 表紙

2002-04-19 銃痕(3)

   

* * * 2 * * *


 その日、始業時間になっても彼の姿は教室になかった。遅刻など一度もしたことのないような人だった。
「あいつが休みなんて、珍しいこともあるもんだなあ」
 担任の教師はペンの先でこつこつと出席簿を叩いた。
 彼がやってきたのは昼休みだった。
 私はそれを2階の教室の窓から見ていた。
 昼休みだったので、ほとんどの生徒はグラウンドか中庭に出ていた。彼は、ひとしきり周囲に向かって銃弾を打ちこんだ後、校舎の窓という窓を狙撃した。ガラスの割れる音と、悲鳴とが、学校中に響き渡った。
 窓際に突っ立ったまま、凍りついたように私のすべての思考は停止し、身動きすらできなかった。
 一瞬、窓ガラス越しに彼と私の視線が合った。無表情な、静かな目だった。
 彼はゆっくりと狙いを定めた。
 その時の恐怖感を、何と言い表したらいいだろう?
 私は、殺される。
 殺される。
 殺される!
 ――ただそれだけを理解した。

先頭 表紙

Hirokoさま、お越しいただきありがとうございます。夢の中の経験は、実体験とは言えはしないけれど、虚構とも言い切れないような気がしません? 例えるならば、そんな感じの話です。 / M ( 2002-04-20 01:14 )
全く、1秒の違いもなく日記をUPさせていただいた、というご縁で伺わせて戴きました。で、これは一体!? フィクションですか?それとも・・・? / Hiroko@はじめまして! ( 2002-04-19 23:41 )

2002-04-18 銃痕(2)

その時、ウエイトレスが私のコーヒーを運んできた。小西のカップにはまだ半分以上残っている。小西はコーヒーにはとてもうるさいが、この店のコーヒーに関しては何も言わない。私はそっとカップに口をつける。湯気があたたかい。
「そういえば……彼女、元気?」
「相変わらずだよ」
「まだ、詩、書いてるの?」
「さあ」
 彼女が私たちの詩の同人雑誌『震星(しんせい)』に作品を載せなくなって、すでに一年近くが経っていた。作品を発表しなくなると同時に彼女は姿を見せなくなった。だから私は、まだ華奢で、にぎやかすぎるくらいに快活な彼女しか憶えていないのだった。
「……俺が毎日、何をしてるか教えてやろうか」
 そう言って小西はちらりと自嘲的な表情を見せた。
「あいつの家に行って、手始めに冷蔵庫の中のものを全部ゴミ袋に放り込む。それから、抵抗するあいつをトイレに引きずりこんで吐かせるんだ。いくら泣き叫んでも止めない」
 私は想像した。吐瀉物と涙に濡れた彼女の頬を、その髪を掴んで便器に頭を突っ込ませる小西の表情を、……
 何が彼女を狂わせていったのか、私には分からない。その敏感で繊細すぎるほどの感受性が災いしたのかもしれないし、あるいは小西も原因のうちのひとつなのかもしれない。
「それが俺の日課なんだ」
 小西は、カップの中に視線を落とす。前髪がかすかに揺れる。
「あんなの、小説の中だけの出来事かと思ってたのにな」
「……でも、別れられないんでしょう?」
 私はそう言おうとして止める。もしかしたら小西自身もどこか少し狂い始めているのかもしれないと思ってしまったからだ。
 テレビではまだ同じニュースを流しつづけている。椅子やテーブルが散乱した食堂で、壁に穿たれた銃痕をリポーターが指差している。薄い色に塗られたコンクリートが、まるで犯されたように、醜く抉られている。
「……正直言うと、俺はあいつの才能に嫉妬してた」
 小西が、ぽつりと言った。
 私は、プライドの高い小西が嫉妬を口にしたことに、内心信じられない思いがした。だからすぐに言葉を返すことができなかった。
 確かに彼女の詩は、読む者を圧倒する力を持っていた。それは美しく、同時に醜く残酷でもあった。ごく私的な、自分だけの独特の世界を鮮やかに言葉におきかえてみせることにおいて、アマチュアにせよプロにせよ、彼女ほどの書き手はそうそういないだろうと思わされるほどだ。事実、『震星』は、彼女を失って明らかに精彩を欠いた。
「確かに彼女の詩は凄かったけど……」
 私の言葉はしどろもどろになっていたかもしれない。
「でも、そんな必要ないよ、小西だって……」
「おまえは本当の嫉妬というものを知らない。だからそう言えるんだ」
 小西は私の言葉を強い口調でさえぎった。

先頭 表紙

2002-04-17 銃痕(1)

 ――はじまりの終わりに捧げる


* * * 1 * * *


 狭い階段を降りて、いつもの喫茶店に行くと、いつもの席に、いつものように小西が座っていた。肘をつき、首をねじまげて壁のテレビを見ていたが、すぐに私に気づいて目を上げる。
「おう、有子(ゆうこ)」
 店内には私たちの他に一組の客がいるだけだった。
「どう、集まった?」
「まあまあな」
 小西は、長い前髪をかきあげながら、神経質そうな指先で原稿用紙の束を捲る。
「どいつもこいつも、原稿だけ書けば後は自動的に本になって出てくると思ってやがるんだ。見ろよ、この汚ねえ字」
 テレビは、十四歳の少年が学校でショットガンを乱射したという海外のニュースを放送している。音声は流れていない。若い金髪のレポーターが興奮して何かをまくしたてている。字幕が出ているが、私たちの席からテレビまでは少し距離があって、あまり目のよくない私には読み取れない。それでも、私はなんだか息苦しさを感じた。胸の奥の方をぎゅっと握りつぶされるような感じ。私はそれを紛らわすように小西に問いかける。
「……ねえ、十四歳の時って何してた?」
「憶えてねえよ」
 言ったあとであまりぶっきらぼうすぎたと思ったのか、原稿用紙に目をやったまま、眼鏡だけをおしあげて言葉を継ぐ。
「そうだな、受験勉強してた。毎日毎日、学校に行く前に勉強、学校から塾直行して、帰ってきたら風呂と飯済ませて、真夜中までまた勉強。地獄だったな」
 そういえば小西は、全国でも有名な進学校を出ている。
「おまえは?」
「さあ……」
「さあ、じゃないだろ」
「じゃあ、憶えてる? 昔、私たちが中学生だった頃、同い年の子が猟銃を持ち出して校内で乱射した事件があったでしょう」
「憶えてるよ」
「あれ、ウチの中学校だった」
「嘘」
「明るい子だったよ。……頭がよくて、運動神経も抜群でね。先生にも信頼されてたしさ。クラスの人気者だったよ」
「同じクラスだったんだ?」
「うん」
 それ以上小西は何も訊かない。

先頭 表紙

2002-04-06 チェリー

所有するよりも内臓したい。
たとえば思い出みたいに。

もっといろんな気持ちになってそこから始めたい。
死に向かって加速してゆく時間は誰にも止められないから。


あたしには受精した瞬間の記憶がなくて
それどころか生まれてきた覚えさえなくて

うれしかった?  怖かった?
気持ちよかった? 痛かった?

それとも単なる電気的な刺激?


あたしという空間
あたしという時間
あたしという限定された意識を与えられたあたし。

だから
つややかなサクランボに歯をあてるように
「それは毒だよ。」と、誰かに言って貰いたい。

先頭 表紙

クマさま、不老不死を研究している人も世の中にはたくさんいるようですね。その気持ち、わかるような、わからないような。 / M ( 2002-04-18 01:53 )
今の世の中では、死は避けられないよね・・・・・・クローンは可能かもしれないけど、不死はまだまだ無理かなぁ??? / クマ ( 2002-04-06 22:42 )

2002-03-20 羊羹の夜

 深夜、ふらりと煙草を買いに出た。夜気には開きかけた花の匂いが混じり、ときおり頬をなでてゆく風はなめらかで肌触りがいい。ほろ酔いのような気分で、二つ先の自販機まで足をのばした。蛍光灯の光を受けて、自分の肌がいやに青白く見える。その指で赤いランプの灯ったボタンを押すと、煙草の箱がコトリと音を立てて夜の中に落ちる。受け取り口に手を突っ込んで箱を取り出し、包装を破って、早速一本吸う。
 道すがら、影を踏みながら歩いてみた。月の光が切り抜いた俺自身の影。俺が動けば影も動く。立ち止まって阿呆なポーズを取ってみる。空を仰いでみると、月が、俺の吐き出した煙をまとってそこにいる。天頂に輝いているその月は、赤くふくらんだ宵の月とは違い、固く引き締まっていて、青い。未だ熟さない、若い果実のようでもある。

 そうこうしているうちに家の前につく。アパートのうすっぺらいドアを開けると、そこはすぐに細長い台所になっていて、その向こうの部屋では、うらわかき乙女がどんぶりにあけたラーメンをすすっている。
「おー、おかえりい」
 おう、とかなんとか言いながら俺は靴を脱ぐ。
「台所にラーメンあるよ、ラーメン」
 見ると、コンロの上の鍋の中に、いささかくったりしたラーメンが入っている。俺はそれを雑な仕草でどんぶりに移す。具として添えられた、茹でられたホウレンソウのビリジアンと、蟹かまぼこの赤が目に鮮やかではある。
 どんぶりを持って部屋まで移動し、あらかたラーメンを食べ終わっている奴の隣に腰を下ろす。ちぎれた麺ののこりかすを、スープの中から箸の先で一生懸命拾い出しているその表情は真剣そのものだ。こいつがこんなに真面目な顔をすることなんて他にあっただろうか? なかったような気がするな。俺はさっさと結論づけて、待ちくたびれている伸びかけのラーメンを食べはじめた。食べながら、俺は、さっき見た月の青さについて話す。
「へー、ほんとだ、青い」
 奴は窓のそばににじり寄って行き、首をねじまげて月を眺める。

 奴の持論によれば、春の夜は羊羹に似ているのだという。あたたかくていい匂いのする闇の中をそぞろ歩くとき、黒のようでいて黒ではない、つやつやした羊羹の表面や、しっとりしたその切り口を思い出すのだという。その突拍子のない比喩が、俺にはなんとなくわかるような気がする。
「羊羹といえば、私、14年前の羊羹食べたことある」
 奴は嬉しそうに話し始める。
「ばあちゃんが死んだ時に、おかんと一緒にばあちゃんの部屋片付けてたら、製造年月日が14年前の羊羹が出てきて。まあ真空パックだから大丈夫だろうって、おかんと2人で食べた」
 そして急に瞳をキラキラさせて言う。
「ああ、なんか今、とっても栗羊羹が食べたくなった」

 羊羹のような夜につつまれて、俺は食後の一服をしながらどんぶりと鍋を洗い、奴はソファーでテレビを見ながら舟を漕いでいる。もうじき、桜も満開になるころだ。

先頭 表紙

アナイスさま、栗入りのどらやき、私も好きです。 / M ( 2002-04-06 22:33 )
マッキ〜さま、いかがでした? 月のいろは。 / M ( 2002-04-06 22:32 )
う〜ん、どら焼きのが好き! / アナイス ( 2002-03-24 17:19 )
月が青い!私も外を観てみよう。 / マッキ〜 ( 2002-03-20 02:54 )

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