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If -another world-

There are not the people who do not think about a "if".



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※この文章は全てフィクションです

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2008-09-07 If Cambrian explosion happens again(53)
2008-09-04 If Cambrian explosion happens again(52)
2008-08-27 If Cambrian explosion happens again(51)
2008-08-26 If Cambrian explosion happens again(50)
2008-08-20 If Cambrian explosion happens again(49)
2008-08-05 If Cambrian explosion happens again(48)
2008-07-29 If Cambrian explosion happens again(47)
2008-07-18 If Cambrian explosion happens again(46)
2008-07-09 If Cambrian explosion happens again(45)
2008-06-29 If Cambrian explosion happens again(44)


2008-09-07 If Cambrian explosion happens again(53)

あたしもみんなと同じように首を傾げつつ端末を閉じたその時、全員の端末が聞いたことのない音を立てる。それはキャリアからの緊急情報で、そんなものがあるなんてこの年になって初めて知った。


新世代全地球測位システムは衛星の不具合により、現在地上エリアは使用できません。ジオフロント内のみのご使用となります。ご迷惑をおかけしておりますが、ご了承のほどお願いいたします。なお、復旧の見込みは立っておりません。

「そんなこと言っても、上なんてほとんど行かないし関係ないよねー」と友達が言い、あたしもそう思っていた。
まさかこれが緒方さんが帰ってこなくなったことや、父さんのこと、そもそもあたしたちがなぜここで暮らしているのかに関係しているとは。


それから数か月。
あたしたちの生活はいろいろなものが変わった。端的にいえば不便になった。
GPSが使えなくなったことで陸上での作業用機械が制御できなくなったとか、そのほか地磁気を利用したモノが一斉にダメになった。(ジオフロント内は数百mおきに地下専用の基地局が取り付けられているので実害はこれと言ってないそうだ)
おかげで陸上輸送に頼っていたものは極端に少なくなり、生活必需品以外のものは店に行ってもあまり置いていない。ジオフロントは単体でもそこにいる全住民が生命維持に必要なだけの食糧やエネルギーは確保できるようになっていると国連は発表したけど、それが本当かどうか怪しいとはみんな口々に言っている。それを信じているのはあたしの周りでは氷室さんぐらいだった。
「大丈夫ですよ。そのために緒方君は走り回っているんですから」と言われ、そこで初めてあたしは緒方さんの仕事のほんの一部分、欠片程度に触れた気がした。
でも、あたしは触れただけじゃ気がおさまらない。
ある日の帰り道、あたしはとうとう

「緒方さんって、何の仕事してるんですか。父さんとどんな関係だったんですか」

いつも気になっていたけど訊かなかった、訊けなかったことをとうとう口にする。まさかそれが氷室さん相手だとは思ってなかったけど。
氷室さんは少し黙って眉をひそめた後、一つため息をついて懐かしそうな目をした。

「緒方君と高科君、君のお父さんとは仕事仲間だよ。同僚だった時もあれば別の組織で協力し合っていた時もある。プライベートでも仲が良かったそうだ」

ハンドルを握っている最中は絶対に敬語で話すはずの氷室さんが、今はそうしない。この話は仕事としてではなく話してくれているんだ。

「当時緒方君は公安のエースだった。公安ってわかるかな」

そのくらい知ってる。「政府の有名な秘密組織、ですよね」とあたしは答えた。有名な秘密組織ってのもアレだけど。

「そして君のお父さんは国連の特別組織であるNCExpの最初の責任者だった」

NCExp。
たしか父さんの遺品の中にいくつかその字が書かれたものがあった。それが何なのかはわからなかったけど。

「NCExpとは地上の寒冷化の原因を突き止め、それを阻止するための組織だった。今は存在しないししなかったことになっているけどね」

なぜ、と訊くまでもなく氷室さんは教えてくれた。

「君が生まれる前に起こった戦争は知っているね。じゃああれは君のお父さんが引き起こしたことになってるのは?」

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2008-09-04 If Cambrian explosion happens again(52)

高校の入学式も終え、長期休みの期間に入っても緒方さんは帰ってこなかった。
どうやら地上にいるらしいということは母さんから聞いていたけど、その地上で何があったのかはまるで解らない。ただニュースでは、あたしが生まれる前にあった戦争(と言っても人工子宮に移されたころは真っ最中だったらしいけど)がどうのとか言っていたけど、それとあんな平和主義者の緒方さんと何か関係があるとも思えないし。

「そんな遠くないんだし休みの間くらい別に一人で行けるのに」とあたしはいつもの送迎の車の中で口を尖らせた。誰に言ったわけでもないのだが、いつもの運転手の氷室さんは「そういうわけにもいきませんよ」と律儀に答える。緒方さんのかつての上司だそうでちょっとカタいところがあるけど温和で優しいおじいちゃん。でもたまにだけど視線の鋭さにドキッとすることがある。

「緒方君には海希ちゃんの送迎は最優先と言われていますから」

氷室さんはそう言うけど、本当は送迎に限らずあたしが外に出る時はいつもどこかで見守ってくれていることは知っていた。なんであたしなんかにそんなVIP待遇をするのか理由はよくわからないけど、おかげで友達と遊びにも気軽に行けないしましてや気になる男の子とどこかに行くなんてもってのほかだ。……まぁ、そんな相手いないし、だからこうして休みの日なんかに撮りだめてたフィルムの現像と研究の続きをしに学校に向かっているのだ。
そりゃ自分でも寂しいなーとは思うんだけど、しょうがないじゃん。

3時過ぎに帰るから、と氷室さんに伝えて学校に入るとあたしと同じ目的の友達が数人、すでに教室にいた(校門でのIDチェックと入館記録で解る)。
「おはよー」と教室に入ると、嗅ぎ慣れた現像液の匂いが鼻に飛び込んで来る。
「見事に一人者だけが集まってるねー」とあたしはそこにいたメンバーを見渡して言うと「あんたが言うな」とツッコまれた。もちろん教室の中には男女とりまぜているけどくっつくべき人たちはとっくにくっついているので今更このメンバーで新しくカップルが、とかはもう考えにくい。
自分の席にカバンを置いて巻き取ったままのフィルムを出すと、暗室の使用状況を確認する。自動の現像機もあるしそれを使った方がうまくできるんだけど、やっぱりこの学校にはいったんだからできるだけ自分の手でやりたい。
……てのはみんな同じ考えのようで、休みだというのに暗室はすでに全部埋まっていたので予約を入れ、同じように順番待ちをする友達の輪の中に入っていくと「海希のは大丈夫!?」といきなり言われた。
そんなの最初から話を聞いてなかったので「何が?」と訊くしかない。すると友達の全員が自分の端末を見ながら首をかしげていた。

「海希のGPS、今どこにいることになってる?」

自分の端末の画面をGPSに切り替えると、所在地はGP1になっているものの地上でのロケーションポイントはスンダ海溝付近。深さ1キロにも満たないはずのGP1が、深さ5000m以上の海溝の下に沈んでいることになってる。

「なにこれ、あたし達海の底にいんの?」

戦争が終わり世界各国のジオフロントが正式稼働された11年前、全てのジオフロントの場所と地図が正式に公開され、内部の場所にくわえて地上でどの場所に当たるかも調べられるようになった。そしてここGP1はロシアと中国の境目にあったはず。

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2008-08-27 If Cambrian explosion happens again(51)

探し物を初めてそろそろ一時間くらいになるだろうか。ゆうじが乗っている足もそろそろしびれてきたころ。
思わず「あった!」と叫びだしそうになり、眼の端に移ったゆうじの寝顔を見て「あっ」だけで何とか止める。ゆうじは一瞬耳をぴくりと動かしたけど、目をあけるそぶりも見せなかったことにあたしは無い胸をなで下ろす。
写真の束は全部で100枚もないくらいだろうか、片手で全部つかめるほどだった。
一枚ずつ丁寧にめくっていく。
なんてことない風景や何かの施設の人たちの写真から、たぶん外国の基地で撮った軍人や戦闘機の写真(いったい父さんって何やってた人なんだろう)ばっかりで、父さんと母さんのツーショットなんて一枚も無かった。そう言えば二人とも結婚式もしてなかったって言ってたもんな。
40枚目くらいで、父さんと猫がおんなじ恰好で寝ている写真が出てきて、一瞬ゆうじと撮ったのかと思ったけど「あ、こっちは湯太か」と納得する。それくらい、写真の中の湯太とあたしの足の上で寝てるゆうじはそっくりだったのだ。
そういやこの父さんの寝ているカッコって、あたしがいつも目が覚めた時にしているのと同じ様な気がする。母さんがいつも「海希はコピーかと思うくらい灯さん(母さんは絶対に父さんをこう呼ぶ)そっくりだよ」って言ってたけど、うん、これじゃ否定できない。
そしてその数枚あとに、衝撃的な写真が。

幸せそうな顔で眠る、裸の母さん。

一瞬、どころか今でもずっとドキドキするくらいその写真は奇麗で、女のあたしでもこれを見て興奮しない男はいないだろうなってのはよくわかる。昔からヌードは芸術だって言うけど、たしかにクラスの男子がこっそり見てるようなエロ画像とこの写真はすべてが違っている。
誰にも見せてはいけないけれど、永遠に残しておくべきもの。
そんな崇高なものに見えたんだ。
「それにしても、」とあたしはその写真を見てため息をついた。
胸の大きさぐらいは、母さんに似たかったな。


それから3か月。
あたしはこのGP1でひとつだけの、2Dフォトビジュアル科のある学校から推薦の合格通知をもらった。男子の数が女子の3倍で圧倒的に女の子が少ないのと学食が無いのが難点だったけど、今だってお弁当は毎日自分で作ってるし女の子が過疎状態ならあたしを見てくれる男の子が少しくらいはいるかもと考えればちょっとは気楽になれる。
何よりそこでは、世界にただ一つ印画紙に現像した写真の保存を専門にやってる研究室がある。今でこそ写真は5000年程度(ちょっと前までは1000年もてば理想だったんだって)しか保持できないと言われているけど、その限界はこれからどんどん伸びていくはず。そうすれば父さんの写真やあたしの写真もいずれ遠い未来で発見されたりするかもしれない。

この日。
あたしは母さんと緒方さん、あと先生や看護師さんたちにささやかだけど合格祝いをしてもらった。先生なんて「君を人工子宮に移した時はここまで大きくなれると思えなかった」なんて涙ぐんで喜んでくれた。
途中、緒方さんに連絡が入った。
いつものように仕事の連絡で「ごめん、海希ちゃん。明日からしばらく送り迎えに来られなくなるかも。車はよこすようにしておくから、ちゃんと学校通うんだよ」ともし父親がいたら言いそうな言葉を残して仕事に行ってしまった。本当にいつもと同じだったので、あたしも母さんもいつもと同じように送り出したんだけど。
まさかそれから一年以上も緒方さんと会えなくなるなんて思わなかった。
そしてこんなにも世界が変わってしまうとも。

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2008-08-26 If Cambrian explosion happens again(50)

緒方さんは決まって母さんのベッドの傍の椅子ではなく、ベッドから少し離れた所にあるテーブルの椅子に座る。ベッドの傍の椅子は先生と私、そして今はいない父さんの場所だと言わんばかりに。
母さんもそれがわかっているから、寝てる時でさえも必ず車イスに乗り換えてそこまで行くようにしている。今日はもともと車イスに乗っていたからいつもの10分の1くらいの時間で緒方さんの向かいに着く。

「いつもありがとうございます」と母さんが頭を下げる。もちろんそれはあたしの送迎のことだ。幼稚園の頃からもう12年近く相も変わらず続けられている挨拶。
それから緒方さんは仕事の話を、母さんはいつもと変わらないリハビリ状況を話し、それからあたしの話題になった。

「車の中で聞いたんだけど、海希(みき)ちゃん今進路で看護師か写真にするか迷ってるそうですよ」

ふったのはもちろん緒方さん。
帰ってくる途中車の中で緒方さんには言っておいたのだ。こう見えて母さんは生真面目で頑固なので反対でもされたら説得するのに一苦労なのだ。看護師と言う選択肢を一応入れといたのは少しは堅実に将来を考えているっぽく見せるつもりだったし、先に言っておいて緒方さんを籠絡しておけば援護してくれるかもしれないと思ったし。
でもそれは杞憂だったようで母さんは「私もさっき、聞きました。海希、何か応募したりしてるの?」と嬉しそうに言った。そんな母さんを見るのは何となく不思議だったけど「やっぱり血って争えませんね」と緒方さんの一言で、あたしもようやく理解できた。
昔、写真をやっていたのは父さんだ。だから写真を見せた時、緒方さんはあんな懐かしそうな顔をしたのか。
一方であたしの父親が緒方さんでないこともこれで証明されちゃったけど。
とにかくあたしは嬉しかった。母さんに反対されなかったこともそうだけど、今まで「父親」と言う存在は自分の中でひどく遠くて実感のない、架空の人物ぐらいのものでしかなかった。それでもあたしの中にはちゃんと父さんと繋がっているものがある。

「今日は家で寝るね」と言い残してあたしは緒方さんより先に病室を出て、珍しく寄り道せずに家に帰った。
向かったのは両親の寝室になるはずだった部屋。
この部屋どころかこの家自体、二人は一日も一緒に暮らしたことはないらしく、今は祖母と父さんの捨てるに捨てられない遺品が置いてある。
普段は掃除するとき以外滅多に入らないここで、あたしは小さいころに見たはずの父さんの写真を探した。
ぅにゃ〜あ、と後ろから声がする。半野良のゆうじだ。漢字で書くと湯治。
この子のパパの湯太は昔うちで(つまりここで)飼っていたそうだけど、母さんが事故であんなふうになってしまい父さんも死んじゃったあと、しばらくどこに行っていたのか解らなくなっていたそうだ。それがあたしが5歳になる直前、この子とその兄弟を連れてふらりと戻ってきた。家族ができちゃったら無理やりうちに引き留めておくのもかわいそうだと祖母が言ったのでこの子たちはいつでもうちに入れるようにペット用扉の解除用IDタグを埋め込んで、あとは放し飼いにしている。
このゆうじ以外の子は湯太も含めていつの間にか帰ってこなくなっちゃったけど、彼だけは一日一回はうちに訪れているようだ。

「あんた、いつの間に帰ってきたの」

扉を爪でカリカリとやっているゆうじを抱っこして持ってくると、スカートの上に乗せて探し物再開。
最初はあたしの足の上でグニャグニャと体をよじったりしていたゆうじだったが、しばらくすると寝心地のいい体勢が決まったのか動かなくなって寝息を立て始めた。

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2008-08-20 If Cambrian explosion happens again(49)

15年後。


「ただいま。母さん」といつものようにあたしが入っていくのは家ではなく、『高科志穂(priveate)』と表示されているある病院の一室。
窓からは少し離れた、光の当たらないところにある花瓶に花を生けていた母はゆっくりと車椅子をこちらに向け、「あ、お帰りなさい」とたどたどしく言いながら微笑んだ。
母さんはあたしが生まれる前からずっとここで暮らしている。いや、暮らしているって言い方は正しくない。出たくても一人ではここから出られないんだから。
そう言うあたしも家はここから歩いて3分ほどの、そこの窓から見えるところにあるんだけど、ここで生まれて(なんかずいぶんと大変だったらしく「君は生まれる前に死にかけていたんだよ」と先生は言ってた)からずっと、こっちで育ってきたようなものだ。
それでも去年までは祖母がいたから家にも帰っていたんだけど、去年その祖母も亡くなっていまでは一週間のうち4日はこっちで寝泊まりしている。こっちにいた方が毎日母さんのお見舞いのあと学校まで送迎してくれる緒方さんも楽みたいだし。
なんてことを友達とかに言うと驚かれた後に「どうしてそんな生活してるの?」と聞かれるけど、実はあたしも詳しいことはよく知らない。どうやら父さん……あたしが生まれる前に死んじゃったんだけど、その父さんがすごい人だったことぐらいしか母さんも緒方さんも教えてはくれないし、あたしも聞きたいとは思わない。写真でしか見たことのない人を父親だと言われても、正直なところあんまり興味は湧かないし。
むしろあたしが昔からこっそり興味があるのは、実はあたしの父親は緒方さんなんじゃないかってことだ。もちろんそのことも直接聞いたことはないけど、母さんはあたしと同じくらい緒方さんも気にかけているからだ。少なくともお互い悪く思っていないはずだけど、二人ともいい歳してるくせに奥手だからなぁ。

「あ、緒方さんは一緒じゃないの?」

ほらね。
やれやれと思いながら「先に先生の所に寄ってくるって」と教えると「そうなの」と安心した顔を見せる。百歩譲って緒方さんがあたしの父親じゃなかったとしても、これから先そうなったって全然抵抗ないしむしろ大歓迎なのに。緒方さんだって未だに独身を通してるのは母さんがいるからなんじゃないのかな。

「そう言えば進路は決めた?」

再び花瓶に向きなおった母さんは、指をたどたどしく動かしながら生けた花のバランスを整えていた。見てて危なっかしいけど母さんのリハビリになるのであたしは手を貸すことはしない。もちろん花瓶を落として割ったりしてしまったら別だけど。

「うーん、まだ完璧には決めてないけど、看護師か2Dフォトグラファーの学校にしようかなって。この前緒方さんもあたしの写真褒めてくれたし」

3年ぐらい前に買った超アナログなカメラで撮ったやつで、あたしはそれを学校でもどこでも必ず持ち歩いている。それを自分で現像しては、友達にあげたりしていたんだけどそのうちの何枚かを偶然緒方さんに見られたのだ。
そう言えばあの時緒方さんは、友達に見せた時のような珍しいものを見る顔ではなく、どこか懐かしいものを見るような顔をしていた。もしかして緒方さんもアナログのカメラをやってたことがあったのかな。
その時、ノックと同時に緒方さんの声が扉の向こうから聞こえた。私はロックを解除し、いつものようにピッと張りのあるスーツ姿の緒方さんを手招きするとベンダーから彼のいつも飲むコーヒーを淹れてあげた。
だから私は見逃した。
母さんの後ろ姿が、
花をいじる指が、
いつもとは違う震えを見せていたことを。

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2008-08-05 If Cambrian explosion happens again(48)

その音が志穂と医師や看護婦たちに届き、数秒遅れて通話が途切れる。
何かが起こったことは明白だが、何が起こったかはそこにいる誰もが全く想像がつかなかった。

それは灯も同じだった。
非常用の暗めのライトに切り替わった車内。
足元にはさっきまで光っていたはずのLED照明。
自分が座っているのは座席ではなく天井だと気づくまで、ゆうに1分はかかった。もちろん志穂との通話もとっくに切れている。
まさかこの時代に、しかも国家間プロジェクトで最高の安全性能を誇るリニアが脱線し横転するなんて、少なくとも灯には考えられず最初は自分だけ重力が逆転したのではないかと思ったほどだ。
そういえば他の乗客はどうしているんだろう。隣の車両にはたしか4〜5人はいたはずだ。
どこが痛んでいるのかも区別できないほど痛む体を起こすと、照明や通信用パネルをなるべく踏まないようにドアへ向かう。
他の車両へ通じるドアも電源が落ちているせいで手動で開けなければならず、しかもさかさまになっているせいで本来なら足元近くにあるはずの手動切り替えスイッチが灯の背でも手の届かない場所にあったため、(灯から見れば)天井にあるシートの座面に手をかけ懸垂をするようにして何とかスイッチを押すと、すぐさま残っていた空気圧でドアが開く。それでもどこかが歪んでいるのか本来の半分ほどの隙間だった。
隣の車両でも怪我人はいたが、今すぐ治療しなければ命が危なそうと思える人はいなかった。見知らぬ人とはいえほかに無事な人を見つけたので、互いに安堵の表情を見せる。


ほぼ同時刻、志穂の病室に事故の一報が入ってきた。
同盟軍のステルス戦闘機の離陸と同時にミサイルが発射されていて、そのいくつかがリニア路線の海中トンネルの直上に着弾し、そのうち3編成のリニアが運行不能に陥った。ニュース速報と同時に公開されたデータには灯の名前があり、志穂がその名前を見つけた瞬間アナウンサーは非情とも思えるようなことを口にする。

「乗客は全員絶望的とみられます。また日本の優先避難先であるジオフロント、GP1にリニア路線から海水が流入する恐れがあるため国連は緊急措置を行うことを決定しました」

志穂が、出ぬ声をあげて叫ぼうとする。
動かぬ体を動かそうとする。

「全編成のリニアの非常用バルーンを作動させ、一時的にGP1への海水の流入をせき止めるようです。国連はたった今、」

涙だけが、志穂の頬を伝い落ちる。



転覆したのは灯が乗っていた車両を含め全部で8両。1編成18両なので転覆した車両を切り離しリニア動力ではなくではなく非常用モーターの車輪を使えば何とかなるかもしれない。
うろたえる他の乗客たちへの必死の説明がようやく通じたのか、パニックになりかけていた彼らの顔に希望が浮かぶ。
これで助かるのだ、と。
そのためにはとりあえず国連の運行管理センターと連絡をとり、説明を聞かなければ。
比較的けがの軽そうな二人たちを引き連れ中央、運行システムのある9両目と10両目に向かうその時、転覆していない車両の外壁が次々に弾け跳び、外壁の内側から現れたオレンジ色の布にエアーが充填されみるみる膨らんでいき、トンネル全体に栓をするかのように塞いでいく。
灯が一番近い車両に駆け込むと、ドアのガラスに見える向こうの車両の中もオレンジのバルーンでいっぱいになっている。

まさか。

灯の予感を確信に変えるように、バルーンになった車両の反対側から小さく低い連続した音が聞こえ、灯たちは叫ぶ間もなくその強い流れに飲み込まれた。

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2008-07-29 If Cambrian explosion happens again(47)

三時間後。
いっぺん帰宅して荷物をまとめ、猫の湯太をケージに入れて(研究所を引っ越すとき仮宿としてこの家に置いていたら気に入ったようで、それ以来一緒に暮らしている)研究所まで一緒にとんぼ返りした灯は所長がまとめてくれた報告書と対策修正案を東京の緒方に送信し湯太を所長と部下に預けた後、志穂の病室に来ていた。面会時間はとっくに過ぎているが、特別に(つまり無理やり)入れてもらったのだ。
いつもと変わらない顔で眠り続ける志穂に今日あったことを話し、子どもは順調に大きくなっていてもう2300gを超えたとさっき医者に言われた通り報告すると、そろそろ東京行きの最終リニアの発車時刻だと緒方から連絡が入った。

「じゃ、また東京に行ってくるから。明後日までには帰ってこられると思う」

志穂の髪と顔を撫で、一度キスすると起きるはずもないのに灯はなるべく音をたてないようにそっと病室を出る。
まだ志穂が元気だったころ、前の家で一緒に寝ていた時、灯が夜中に呼び出されることが何度かあったのだが灯がどんなに音を立てず出て行こうとしても必ず彼女は目を覚ましてしまっていた。そして迷子になった子どものような目でこう聞いてくる。
「今度はいつ帰ってこられますか?」と。
だから灯は、彼女が入院してからも東京に行ったりして来られない日がある時はちゃんと言うようにしている。もちろん、それで志穂が目を覚ますことなんかないんだろうと灯は頭の中ではわかっていた。

だから灯はまだこの時点では知らない。
扉が閉まった後、声はなかったものの志穂の口が「行ってらっしゃい」と形作ったことを。



これで何とか今日中には官邸に着けるかな。
誰もいない車両を選んで座席に座り、ネクタイを緩めると再び緒方から連絡が入る。先ほど送った報告書は既に首相もUNEFの本部も目を通し、灯の提案した対策案はほとんどそのまま採用されることになった。

「今のところ採掘場と港湾は非戦闘員がいる可能性もあるので行いませんが、運搬路と船舶に対しては攻撃を決定し国連空軍と海上自衛隊が共同で準備に入りました」

やはり自分の発言がきっかけで万単位の死者が出るとのは何度やっても慣れるものではない。
そもそもこの戦争自体、灯が国連に攻撃の理由を与えてしまったようなものなので今更と言えば今更だが、あと少しで父親になろうというのに自分はこんなことをしていいのだろうか。

「ただ未確認ですが、12分前に同盟軍のステルス戦闘機が数機、離陸したという情報がありました。もしそれが国連空軍への迎撃だとしたら、」

首都圏上空での戦闘もあり得る。
灯が代わりに言葉を続ける。

「首相がそれだけは避けるようにと中部航空方面隊の入間と百里には厚木と横須賀を死守するよう出動命令を出してますが、戦闘は避けられそうにありません」

そうか、としか灯も言えない。緒方も何かを言おうとしない。
とりあえず駅にタクシーを回して待ってますと通話を切ると、入れ違いに病院から連絡が入る。
それは主治医からで、志穂の意識が再び戻ったと言うのだ。今度は看護師が気づきそれから主治医を呼んでも眠ることはなく今も目を開けて問いかけに頷いたりしているという。
「奥さんに何か言ってあげてください」と言われ、『SOUND ONLY』と表示されている画面の向こうにいるはずの志穂の名を二回呼ぶ。
返事は聞こえないが、かすかに聞こえる息使いは間違えようもなく志穂のものだ。
もう一度、志穂の名を呼ぼうとした瞬間。

灯の耳に聞こえたのは爆発音、轟音、そして、

文字通り天地がひっくりかえる音だった。

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2008-07-18 If Cambrian explosion happens again(46)

「ありがとう、緒方さん。あとちょっとお願いなんだけど、それらの船舶の動きって自衛隊か米軍で把握してるかな? できればリアルタイムでのデータが欲しいんだけど」

ではそれも合わせて後ほど連絡します、と緒方が言い終わる前に「よろしく」と灯は通話を切断し、ミーティングルームに戻るや否やそこにいるすべての人たちにもれなく聞こえるよう叫んだ。

「二酸化炭素の減少の原因がわかったかもしれません!」

中央のモニターデスクで灯の指示通り資料をまとめている所長の傍まで駆け寄る。新設に伴い新調されたNCExpのロゴが入った白衣が大きく翻った。

「まず今現在想定されているスノーボールアースが起こるまでの状況の推移からですがその理由の一つに温室効果ガス、つまり二酸化炭素の濃度の減少があげられます。そしてそれは地殻変動の活発化による土砂の流入で動植物などの死骸が埋没されたためだと考えられています」

灯が今言ったことはここにいる誰もが皆知っているのに、なぜ今更そんなことを言うのか。他のみんなは立場上言えないのを察し、所長がそう言うとはかったかのように緒方から連絡が入った。

「どうだった? そうか。それじゃ今夜には。で、さっきお願いしたの……さっすが緒方さん。ありがと。仕事早いねぇ。じゃあ今夜よろしく」

灯のアドレスに送信されてきたものを確認し、それを一番大きな3Dモニタに受け渡す。今まで疑問符を浮かべていたみんなの顔に、驚きの色が混じる。
スンダ海溝を中心に半径8000km程度の簡易的な地図と、その上を行き交うたくさんの種類の小さな点。

「この点一つ一つがたった今、全世界で稼働している全ての輸送機器です。台数が多いので絞り込みますね」

検索条件に同盟国の所有する、航空を除いた大型輸送機器に絞るとその数は大幅に減る。
そしてそれらは、いくつかの場所に明らかな偏りを見せていて、他の機器も全てその偏りを目指しているように見える。

「これだけだとちょっと分かりづらいかもしれませんが、これに詳しい地図を重ねてみると」

まだ確認していなかったので灯にとっても半分博打のようなプレゼンだったが、灯りの予想は当たっていた。
陸地にある点は山や廃坑。そして海は地球シミュレータが予想した、海底が隆起すれば熱塩循環を最も効果的に遮断すると思われるポイントだった。

つまり同盟国は、土砂を採掘し運んで海中にばらまいていると思われる。

おまけに海底の動植物の死骸を埋没させ、かつ地表を温める効果のある陸地も削れるとあればスノーボールアースを起こしたい同盟国にとっては一石三鳥となる行動だ。
まだ推測と状況証拠のみの話とはいえこれは見逃せる問題ではない。最悪これらを武力で排除することも視野に入れ、灯は報告書の作成に取り掛かる。

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2008-07-09 If Cambrian explosion happens again(45)

新設の研究所、そしてその中にあるNCExpも緊張の毎日が続く。
国連の本格的な攻撃が、逆に寒冷化を促進する薮蛇にもなりかねないからだ。灯たちの仕事も爆撃などをしてもさほど寒冷化には影響を及ぼさない地域を割り出したり、必要とあらばそこへ核などを使って攻撃した場合の被害の推定ともはやスノーボールアースではなく戦争―もはや大戦と呼んで差し支えのない―に主眼を向けられている。
それは勿論NCExpだけではなく、全世界とて同じことだ。

そんな中、研究所の所長から灯に緊急連絡が入った。
NASAやESAのGPS、ロシアや中国の軍事衛星などが一斉に地磁気の減少を観測したというのだ。地球シミュレータにリアルタイムで送信されてくる定点観測機からのデータにもそれは表れていた。

「ここ2ヶ月で30%以上の減少です。それにこっち」

全速力でミーティングルームに駆け付け息があがっているはずの灯も、思わず息をのむ。

「ここ半年の大気中のCO2濃度です。先月から観測地点平均0.02%をずっと下回ってます。特に洋上の観測点での減少が著しい。南極の、高科さんがいた観測所からも結果が出てます」

今まである程度の増減はあったものの通常の濃度は約0.04%でスノーボールアースが起こった時のCO2は想定で0.01%とされている。
急激な状況の変化に、所長をはじめ職員も戸惑いを隠せない。

「このペースで状況が進行した場合、スノーボール発生までどれくらいかかりますか?」

灯の質問には所長ではなく別の研究員が、灯りに答えるのではなく皆に伝えるように叫んだ。

「結果出ました! 遅くて4年以内。早ければ10ヶ月で現在の平均気温から最大14℃下がります」

瞬時に大型3Dモニタに映し出されたのは、想定されるこの先500年の平均気温の予想だ。その線は数年前に起こった全世界の株価の大暴落よりも絶望的なほどの右肩下がりだった。

「どうしますか? この結果を、」

政府に報告するための資料を作るかどうか、所長の目が灯に判断を仰ぐ。

「報告書を作るにしても、対策案も無しじゃ俺達のいる意味がありません。申し訳ありませんが結果だけまとめておいてくれますか? 今日中に何とか首相に出せるよう形にします」

二つ返事で了承してくれた所長に、灯は「お手数かけます」と一礼し、NCExpに戻るとすぐに緒方に連絡を入れる。
戦争のさなか、公安も忙しいだろうか思いきや緒方は要人警護を交代した直後だったらしく、すぐに繋がった。

「忙しいところ悪い、今日首相に報告書を出したいんだけど、首相は官邸にいらっしゃる? 時間取ってもらえるかな?」

普段と変わらないつもりだったが緒方には違いがわかったらしい。「緊急ですね。上と相談してみて、都合がついたら折り返し連絡します」と手早く言うと、今度は緒方が質問してきた。「ところで高科さん、ご存知ですか? 同盟軍の中でさまざまな車両や船舶が一斉に稼働してるって」

「戦車とか? 潜水艦とか?」

「違うんです。トラックやブルドーザーとか、タンカーなどです。さっきある企業から連絡があって。一般市民や糧食などの輸送かとも思ったみたいなんですが、行き先があまりにも山岳部と港湾に集中しているのでとりあえず政府に報告があったんですが」

その企業は全世界の重機や車両などにGPSを搭載し全てID化して管理し、今は当たり前となっている盗難や不正使用があった場合など使用をできなくするシステムを世界で最初に開発した日本の企業だ。
山岳部、港湾。
山と、海。

灯の思考が一つの推測にたどりつく。

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2008-06-29 If Cambrian explosion happens again(44)

「志穂ッ!」

主治医を連れて駆け戻ってきても、病室の中の志穂は目を閉じたままだった。灯の手を強く握ってたはずの手も、枕の横に力なく置かれている。胸だって機械仕掛けかと思うほど規則正しく膨らんでは元に戻るだけだ。
「なん……で、」と近寄る灯の目は置き去りにされた子どものようで、繰り返し志穂の名を呼ぶ声も迷子のそれと同じく聞こえる。

「本当、に、起きて目、開けて、手握っ、て」

メディカルユニットの稼働音よりもか細い声で、息を切らしつつ状態を確認する医師に説明をするが、その顔には明らかに灯への疑念の色が浮かんでいる。看護婦に直近15分のデータを確認するように指示すると、灯を椅子に座らせて落ち着くように告げた。こうまでされると本当に間違っていたのは自分ではないかと灯も自身を疑い始める。
3分ほどして(灯にはもっと長い時間に感じられたが)、医師が「確かに奥様は一度目を覚まされていますね」と言われても、今度はさっき自分が見たことの方が信じられなくなってしまっている。

「じゃあなんで志穂は、まだ寝てるんですか」

灯にだって、この状態から一気に元通りにまで快復するだなんてことがあるはずもないのはわかっている。それでもたった医師を呼ぶだけの短い時間で志穂がまたいつ覚めるかもわからない眠りについていしまうのは理不尽としか思えなかった。


理不尽なのは志穂のことだけではない。
戦争に巻き込まれる人間たちもまた、理不尽に犠牲となっていく。
同盟軍による日本への直接攻撃は今のところUNEFがほぼ食い止めているおかげで日本の一般市民に被害はないが、九州の半分以上はすでに様々な被害を受け兵士の死者の数もすでに万に届く勢いだ。
また、同盟軍は国連がジオフロントに民間人の搬送を開始したと知り、同盟国の直下にあるジオフロントは一カ月以内に爆破すると国連に通達。対地下用攻撃兵器も準備したと発表した。
もちろん国連だってこれは予想できていたシナリオで、最初からジオフロントは国連側及び永世中立国の直下のものしか使用しておらず、その通達が来た瞬間にすべてのライフラインを同盟軍側のジオフロントから遮断し国際リニアトンネルを爆破して軍隊の侵入を阻止した。(爆破する前にもリニアのトンネル内部でも多少の戦闘はあったそうだが、軍事目的に使用すると正式発表がない限り破壊や遮断は条約の関係上でできなくなっていたそうだ)

そして初めて、バンカーバスターと呼ばれる対地下兵器を搭載した戦闘機を一機撃墜したと国連から発表があった。
その攻撃目標は第一ジオフロント、通称GP1。
民間人を攻撃目標にしたことで国連はとうとう専守防衛に徹するのではなく本格的な攻撃を始める。

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