himajin top
If -another world-

There are not the people who do not think about a "if".



アクセス解析

※この文章は全てフィクションです

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2008-08-05 If Cambrian explosion happens again(48)
2008-07-29 If Cambrian explosion happens again(47)
2008-07-18 If Cambrian explosion happens again(46)
2008-07-09 If Cambrian explosion happens again(45)
2008-06-29 If Cambrian explosion happens again(44)
2008-06-17 If Cambrian explosion happens again(43)
2008-06-11 If Cambrian explosion happens again(42)
2008-06-04 If Cambrian explosion happens again(41)
2008-06-03 If Cambrian explosion happens again(40)
2008-05-19 If Cambrian explosion happens again(39)


2008-08-05 If Cambrian explosion happens again(48)

その音が志穂と医師や看護婦たちに届き、数秒遅れて通話が途切れる。
何かが起こったことは明白だが、何が起こったかはそこにいる誰もが全く想像がつかなかった。

それは灯も同じだった。
非常用の暗めのライトに切り替わった車内。
足元にはさっきまで光っていたはずのLED照明。
自分が座っているのは座席ではなく天井だと気づくまで、ゆうに1分はかかった。もちろん志穂との通話もとっくに切れている。
まさかこの時代に、しかも国家間プロジェクトで最高の安全性能を誇るリニアが脱線し横転するなんて、少なくとも灯には考えられず最初は自分だけ重力が逆転したのではないかと思ったほどだ。
そういえば他の乗客はどうしているんだろう。隣の車両にはたしか4〜5人はいたはずだ。
どこが痛んでいるのかも区別できないほど痛む体を起こすと、照明や通信用パネルをなるべく踏まないようにドアへ向かう。
他の車両へ通じるドアも電源が落ちているせいで手動で開けなければならず、しかもさかさまになっているせいで本来なら足元近くにあるはずの手動切り替えスイッチが灯の背でも手の届かない場所にあったため、(灯から見れば)天井にあるシートの座面に手をかけ懸垂をするようにして何とかスイッチを押すと、すぐさま残っていた空気圧でドアが開く。それでもどこかが歪んでいるのか本来の半分ほどの隙間だった。
隣の車両でも怪我人はいたが、今すぐ治療しなければ命が危なそうと思える人はいなかった。見知らぬ人とはいえほかに無事な人を見つけたので、互いに安堵の表情を見せる。


ほぼ同時刻、志穂の病室に事故の一報が入ってきた。
同盟軍のステルス戦闘機の離陸と同時にミサイルが発射されていて、そのいくつかがリニア路線の海中トンネルの直上に着弾し、そのうち3編成のリニアが運行不能に陥った。ニュース速報と同時に公開されたデータには灯の名前があり、志穂がその名前を見つけた瞬間アナウンサーは非情とも思えるようなことを口にする。

「乗客は全員絶望的とみられます。また日本の優先避難先であるジオフロント、GP1にリニア路線から海水が流入する恐れがあるため国連は緊急措置を行うことを決定しました」

志穂が、出ぬ声をあげて叫ぼうとする。
動かぬ体を動かそうとする。

「全編成のリニアの非常用バルーンを作動させ、一時的にGP1への海水の流入をせき止めるようです。国連はたった今、」

涙だけが、志穂の頬を伝い落ちる。



転覆したのは灯が乗っていた車両を含め全部で8両。1編成18両なので転覆した車両を切り離しリニア動力ではなくではなく非常用モーターの車輪を使えば何とかなるかもしれない。
うろたえる他の乗客たちへの必死の説明がようやく通じたのか、パニックになりかけていた彼らの顔に希望が浮かぶ。
これで助かるのだ、と。
そのためにはとりあえず国連の運行管理センターと連絡をとり、説明を聞かなければ。
比較的けがの軽そうな二人たちを引き連れ中央、運行システムのある9両目と10両目に向かうその時、転覆していない車両の外壁が次々に弾け跳び、外壁の内側から現れたオレンジ色の布にエアーが充填されみるみる膨らんでいき、トンネル全体に栓をするかのように塞いでいく。
灯が一番近い車両に駆け込むと、ドアのガラスに見える向こうの車両の中もオレンジのバルーンでいっぱいになっている。

まさか。

灯の予感を確信に変えるように、バルーンになった車両の反対側から小さく低い連続した音が聞こえ、灯たちは叫ぶ間もなくその強い流れに飲み込まれた。

先頭 表紙

2008-07-29 If Cambrian explosion happens again(47)

三時間後。
いっぺん帰宅して荷物をまとめ、猫の湯太をケージに入れて(研究所を引っ越すとき仮宿としてこの家に置いていたら気に入ったようで、それ以来一緒に暮らしている)研究所まで一緒にとんぼ返りした灯は所長がまとめてくれた報告書と対策修正案を東京の緒方に送信し湯太を所長と部下に預けた後、志穂の病室に来ていた。面会時間はとっくに過ぎているが、特別に(つまり無理やり)入れてもらったのだ。
いつもと変わらない顔で眠り続ける志穂に今日あったことを話し、子どもは順調に大きくなっていてもう2300gを超えたとさっき医者に言われた通り報告すると、そろそろ東京行きの最終リニアの発車時刻だと緒方から連絡が入った。

「じゃ、また東京に行ってくるから。明後日までには帰ってこられると思う」

志穂の髪と顔を撫で、一度キスすると起きるはずもないのに灯はなるべく音をたてないようにそっと病室を出る。
まだ志穂が元気だったころ、前の家で一緒に寝ていた時、灯が夜中に呼び出されることが何度かあったのだが灯がどんなに音を立てず出て行こうとしても必ず彼女は目を覚ましてしまっていた。そして迷子になった子どものような目でこう聞いてくる。
「今度はいつ帰ってこられますか?」と。
だから灯は、彼女が入院してからも東京に行ったりして来られない日がある時はちゃんと言うようにしている。もちろん、それで志穂が目を覚ますことなんかないんだろうと灯は頭の中ではわかっていた。

だから灯はまだこの時点では知らない。
扉が閉まった後、声はなかったものの志穂の口が「行ってらっしゃい」と形作ったことを。



これで何とか今日中には官邸に着けるかな。
誰もいない車両を選んで座席に座り、ネクタイを緩めると再び緒方から連絡が入る。先ほど送った報告書は既に首相もUNEFの本部も目を通し、灯の提案した対策案はほとんどそのまま採用されることになった。

「今のところ採掘場と港湾は非戦闘員がいる可能性もあるので行いませんが、運搬路と船舶に対しては攻撃を決定し国連空軍と海上自衛隊が共同で準備に入りました」

やはり自分の発言がきっかけで万単位の死者が出るとのは何度やっても慣れるものではない。
そもそもこの戦争自体、灯が国連に攻撃の理由を与えてしまったようなものなので今更と言えば今更だが、あと少しで父親になろうというのに自分はこんなことをしていいのだろうか。

「ただ未確認ですが、12分前に同盟軍のステルス戦闘機が数機、離陸したという情報がありました。もしそれが国連空軍への迎撃だとしたら、」

首都圏上空での戦闘もあり得る。
灯が代わりに言葉を続ける。

「首相がそれだけは避けるようにと中部航空方面隊の入間と百里には厚木と横須賀を死守するよう出動命令を出してますが、戦闘は避けられそうにありません」

そうか、としか灯も言えない。緒方も何かを言おうとしない。
とりあえず駅にタクシーを回して待ってますと通話を切ると、入れ違いに病院から連絡が入る。
それは主治医からで、志穂の意識が再び戻ったと言うのだ。今度は看護師が気づきそれから主治医を呼んでも眠ることはなく今も目を開けて問いかけに頷いたりしているという。
「奥さんに何か言ってあげてください」と言われ、『SOUND ONLY』と表示されている画面の向こうにいるはずの志穂の名を二回呼ぶ。
返事は聞こえないが、かすかに聞こえる息使いは間違えようもなく志穂のものだ。
もう一度、志穂の名を呼ぼうとした瞬間。

灯の耳に聞こえたのは爆発音、轟音、そして、

文字通り天地がひっくりかえる音だった。

先頭 表紙

2008-07-18 If Cambrian explosion happens again(46)

「ありがとう、緒方さん。あとちょっとお願いなんだけど、それらの船舶の動きって自衛隊か米軍で把握してるかな? できればリアルタイムでのデータが欲しいんだけど」

ではそれも合わせて後ほど連絡します、と緒方が言い終わる前に「よろしく」と灯は通話を切断し、ミーティングルームに戻るや否やそこにいるすべての人たちにもれなく聞こえるよう叫んだ。

「二酸化炭素の減少の原因がわかったかもしれません!」

中央のモニターデスクで灯の指示通り資料をまとめている所長の傍まで駆け寄る。新設に伴い新調されたNCExpのロゴが入った白衣が大きく翻った。

「まず今現在想定されているスノーボールアースが起こるまでの状況の推移からですがその理由の一つに温室効果ガス、つまり二酸化炭素の濃度の減少があげられます。そしてそれは地殻変動の活発化による土砂の流入で動植物などの死骸が埋没されたためだと考えられています」

灯が今言ったことはここにいる誰もが皆知っているのに、なぜ今更そんなことを言うのか。他のみんなは立場上言えないのを察し、所長がそう言うとはかったかのように緒方から連絡が入った。

「どうだった? そうか。それじゃ今夜には。で、さっきお願いしたの……さっすが緒方さん。ありがと。仕事早いねぇ。じゃあ今夜よろしく」

灯のアドレスに送信されてきたものを確認し、それを一番大きな3Dモニタに受け渡す。今まで疑問符を浮かべていたみんなの顔に、驚きの色が混じる。
スンダ海溝を中心に半径8000km程度の簡易的な地図と、その上を行き交うたくさんの種類の小さな点。

「この点一つ一つがたった今、全世界で稼働している全ての輸送機器です。台数が多いので絞り込みますね」

検索条件に同盟国の所有する、航空を除いた大型輸送機器に絞るとその数は大幅に減る。
そしてそれらは、いくつかの場所に明らかな偏りを見せていて、他の機器も全てその偏りを目指しているように見える。

「これだけだとちょっと分かりづらいかもしれませんが、これに詳しい地図を重ねてみると」

まだ確認していなかったので灯にとっても半分博打のようなプレゼンだったが、灯りの予想は当たっていた。
陸地にある点は山や廃坑。そして海は地球シミュレータが予想した、海底が隆起すれば熱塩循環を最も効果的に遮断すると思われるポイントだった。

つまり同盟国は、土砂を採掘し運んで海中にばらまいていると思われる。

おまけに海底の動植物の死骸を埋没させ、かつ地表を温める効果のある陸地も削れるとあればスノーボールアースを起こしたい同盟国にとっては一石三鳥となる行動だ。
まだ推測と状況証拠のみの話とはいえこれは見逃せる問題ではない。最悪これらを武力で排除することも視野に入れ、灯は報告書の作成に取り掛かる。

先頭 表紙

2008-07-09 If Cambrian explosion happens again(45)

新設の研究所、そしてその中にあるNCExpも緊張の毎日が続く。
国連の本格的な攻撃が、逆に寒冷化を促進する薮蛇にもなりかねないからだ。灯たちの仕事も爆撃などをしてもさほど寒冷化には影響を及ぼさない地域を割り出したり、必要とあらばそこへ核などを使って攻撃した場合の被害の推定ともはやスノーボールアースではなく戦争―もはや大戦と呼んで差し支えのない―に主眼を向けられている。
それは勿論NCExpだけではなく、全世界とて同じことだ。

そんな中、研究所の所長から灯に緊急連絡が入った。
NASAやESAのGPS、ロシアや中国の軍事衛星などが一斉に地磁気の減少を観測したというのだ。地球シミュレータにリアルタイムで送信されてくる定点観測機からのデータにもそれは表れていた。

「ここ2ヶ月で30%以上の減少です。それにこっち」

全速力でミーティングルームに駆け付け息があがっているはずの灯も、思わず息をのむ。

「ここ半年の大気中のCO2濃度です。先月から観測地点平均0.02%をずっと下回ってます。特に洋上の観測点での減少が著しい。南極の、高科さんがいた観測所からも結果が出てます」

今まである程度の増減はあったものの通常の濃度は約0.04%でスノーボールアースが起こった時のCO2は想定で0.01%とされている。
急激な状況の変化に、所長をはじめ職員も戸惑いを隠せない。

「このペースで状況が進行した場合、スノーボール発生までどれくらいかかりますか?」

灯の質問には所長ではなく別の研究員が、灯りに答えるのではなく皆に伝えるように叫んだ。

「結果出ました! 遅くて4年以内。早ければ10ヶ月で現在の平均気温から最大14℃下がります」

瞬時に大型3Dモニタに映し出されたのは、想定されるこの先500年の平均気温の予想だ。その線は数年前に起こった全世界の株価の大暴落よりも絶望的なほどの右肩下がりだった。

「どうしますか? この結果を、」

政府に報告するための資料を作るかどうか、所長の目が灯に判断を仰ぐ。

「報告書を作るにしても、対策案も無しじゃ俺達のいる意味がありません。申し訳ありませんが結果だけまとめておいてくれますか? 今日中に何とか首相に出せるよう形にします」

二つ返事で了承してくれた所長に、灯は「お手数かけます」と一礼し、NCExpに戻るとすぐに緒方に連絡を入れる。
戦争のさなか、公安も忙しいだろうか思いきや緒方は要人警護を交代した直後だったらしく、すぐに繋がった。

「忙しいところ悪い、今日首相に報告書を出したいんだけど、首相は官邸にいらっしゃる? 時間取ってもらえるかな?」

普段と変わらないつもりだったが緒方には違いがわかったらしい。「緊急ですね。上と相談してみて、都合がついたら折り返し連絡します」と手早く言うと、今度は緒方が質問してきた。「ところで高科さん、ご存知ですか? 同盟軍の中でさまざまな車両や船舶が一斉に稼働してるって」

「戦車とか? 潜水艦とか?」

「違うんです。トラックやブルドーザーとか、タンカーなどです。さっきある企業から連絡があって。一般市民や糧食などの輸送かとも思ったみたいなんですが、行き先があまりにも山岳部と港湾に集中しているのでとりあえず政府に報告があったんですが」

その企業は全世界の重機や車両などにGPSを搭載し全てID化して管理し、今は当たり前となっている盗難や不正使用があった場合など使用をできなくするシステムを世界で最初に開発した日本の企業だ。
山岳部、港湾。
山と、海。

灯の思考が一つの推測にたどりつく。

先頭 表紙

2008-06-29 If Cambrian explosion happens again(44)

「志穂ッ!」

主治医を連れて駆け戻ってきても、病室の中の志穂は目を閉じたままだった。灯の手を強く握ってたはずの手も、枕の横に力なく置かれている。胸だって機械仕掛けかと思うほど規則正しく膨らんでは元に戻るだけだ。
「なん……で、」と近寄る灯の目は置き去りにされた子どものようで、繰り返し志穂の名を呼ぶ声も迷子のそれと同じく聞こえる。

「本当、に、起きて目、開けて、手握っ、て」

メディカルユニットの稼働音よりもか細い声で、息を切らしつつ状態を確認する医師に説明をするが、その顔には明らかに灯への疑念の色が浮かんでいる。看護婦に直近15分のデータを確認するように指示すると、灯を椅子に座らせて落ち着くように告げた。こうまでされると本当に間違っていたのは自分ではないかと灯も自身を疑い始める。
3分ほどして(灯にはもっと長い時間に感じられたが)、医師が「確かに奥様は一度目を覚まされていますね」と言われても、今度はさっき自分が見たことの方が信じられなくなってしまっている。

「じゃあなんで志穂は、まだ寝てるんですか」

灯にだって、この状態から一気に元通りにまで快復するだなんてことがあるはずもないのはわかっている。それでもたった医師を呼ぶだけの短い時間で志穂がまたいつ覚めるかもわからない眠りについていしまうのは理不尽としか思えなかった。


理不尽なのは志穂のことだけではない。
戦争に巻き込まれる人間たちもまた、理不尽に犠牲となっていく。
同盟軍による日本への直接攻撃は今のところUNEFがほぼ食い止めているおかげで日本の一般市民に被害はないが、九州の半分以上はすでに様々な被害を受け兵士の死者の数もすでに万に届く勢いだ。
また、同盟軍は国連がジオフロントに民間人の搬送を開始したと知り、同盟国の直下にあるジオフロントは一カ月以内に爆破すると国連に通達。対地下用攻撃兵器も準備したと発表した。
もちろん国連だってこれは予想できていたシナリオで、最初からジオフロントは国連側及び永世中立国の直下のものしか使用しておらず、その通達が来た瞬間にすべてのライフラインを同盟軍側のジオフロントから遮断し国際リニアトンネルを爆破して軍隊の侵入を阻止した。(爆破する前にもリニアのトンネル内部でも多少の戦闘はあったそうだが、軍事目的に使用すると正式発表がない限り破壊や遮断は条約の関係上でできなくなっていたそうだ)

そして初めて、バンカーバスターと呼ばれる対地下兵器を搭載した戦闘機を一機撃墜したと国連から発表があった。
その攻撃目標は第一ジオフロント、通称GP1。
民間人を攻撃目標にしたことで国連はとうとう専守防衛に徹するのではなく本格的な攻撃を始める。

先頭 表紙

2008-06-17 If Cambrian explosion happens again(43)

そしてちょうど、志穂から赤ちゃんを取り出せる時期にもなっていた。

新しい病院で、あの事故の日からずっと変わらない顔で眠り続けている志穂の耳元で灯は何度も声をかけていた。
きっと志穂は体を動かせないだけで、自分たちの言っていることはすべてわかっている。そう錯覚するぐらい、志穂は時折体を反らしたり手を触ってやれば握ろうとしたり、時には涙さえ流すのだ。「ラザロ徴候」と呼ばれ古くから知られる脳死患者の行動の一種だと医者は説明するが、そんなのが信じられるだろうか。今だって「これから赤ちゃんを移すからね。がんばれ」と灯が数分前に告げたら、いつの間にか胸の前で手を組んでまるで祈るような仕草をしているというのに。

志穂がオペ室に入って1時間もしないうちに、この間見た人工子宮が慎重に運び出され、そのすぐ後に志穂も出てきた。胸の前に組まれていた手はいつの間にか元に戻っており、気のせいかもしれないが彼女の顔は一仕事終えたように憔悴して見えた。
「帝切と人工子宮への胎盤定着は成功です。あとは順調に彼女が育ってくれるように祈るだけです」と医師が述べ、そこで灯は生まれてくるのは娘なんだとようやく知る。今までそんなことを考えなかったわけではないが、志穂が用意していた服やおもちゃが全部男の子のものだったので息子だと疑いもせずにいたのだ。

「女の子なんだって。なんだよ、絶対俺似の息子だって言ってたのに。服とかさ、また新しいの買わなくちゃ」

再び病室に戻り二人きり(人工子宮は別室で24時間管理されている)になると、志穂の手を触り話しかける。

「女の子だから志穂に似るかな。その方がいいよな。俺に似たら絶対モテないだろうし。名前は、何がいいかな。”志穂”と”灯”じゃどうにも組み合わせらんない、って、えっ」

志穂が、笑っている。
確かに目を開けて、しっかりと灯を見ながら。
つばを飲み込んで、確認する。触っていただけの手がしっかり握られていて、それが現実だと理解するとすぐにナースコールをし、それでも逸る気持ちを抑えられず医師を呼ぶ為「ちょっと待ってて」と志穂に言うと病室を飛び出した。握っていた手を離すとき志穂は少し不安そうな顔を見せたが、解ったというふうにうなずくとまた笑顔を見せる。


結局その笑顔が、灯が見る志穂の最後の笑顔になった。

先頭 表紙

2008-06-11 If Cambrian explosion happens again(42)

しかし、これほどの規模のジオフロントが各大陸にいくつあったとしても、本当に地球に全人口の85%、おおよそ40億人すべてを収容するなんてことができるのだろうか。収容可能人数を超えた場合はどうなってしまうのか。それに残りの15%の人間も。
それらの疑問は、新しい研究所のプロセシングルーム、つまり地球シミュレータの移送される予定の部屋で氷解する。

館内表示を頼りに辿り着いた先で「高科さん!」と声をかけたのは研究所の所長だった。彼とはあの日、志穂が事故に遭ったことをニュースで知ったあの夜以来会ってない。一応連絡はしたものの、灯自身あの日のテンパった頭で何を言ったのか覚えてないので、ずっと心配させたままだっただろう。いつもは飄々と冗談ばかり言っている彼が本気で心配そうな顔を見せているので、灯はまず頭を下げた。

「ホント、所長にはご迷惑おかけしました」

とりあえずあのときよりはまだマシになった頭で、詳しく説明する。志穂の容態の話をすると「あんないい子がどうしてそんな、かわいそうに」と泣きそうな顔で呟いた。そしてジオフロントの病院に転院したら必ずお見舞いに行くとも。
「それはそうと、」と普通の顔に戻った所長が(灯も緒方も驚くほど切り替えが早かった)ジオフロント内の説明を始める。彼はあの夜、灯りが志穂のもとへと出て行った12時間後にはもうこちらに入っていたので、だいぶ詳しくなってしまっていると自慢げに話した。
この大陸最初のジオフロントであるここは実は3層構造で(現在は最上階で、下の2階は居住階層)、おおよそ800万人が生活する予定になっている。昼夜は地上と同じ長さで、もちろん季節によって変動する。
今後5年以内にジオフロントに移住を希望する人間は各大陸にランダムに振り分けられ、ほぼ100%移住を完了する予定だが、移住を希望しない人間を無理に連れてくるようなことはしないと国連は明確に宣言している。その割合は地球人口のおよそ3割弱いるらしいので今後50年はここが定員をオーバーすることはない見込みになっているそうだ。

「あと2カ月もすればここも正式に運用が開始されますよ。早いもんだ」



所長の言葉通り、その2カ月はあっという間だった。つくばの研究所にあった必要な資料や機材はすべて運び込まれ、職員たちもほぼ全員がこのエリアに移住し、志穂の転院も滞りなく済んだ。
そして灯は緒方達公安が斡旋してくれた、ほんの数か月だけ志穂と暮らしたあの部屋を片づけていた。あんな短い間で、しかも灯はほとんど帰ってこられなかったというのに部屋のあちこちにいろいろな思い出が残っていた。形のあるものも、ないものも。
その思い出に浸っては、ふと我に返り部屋の静けさにぞっとする。そんなのを何度繰り返しただろう。
自分が遅くなった時、彼女はいつもここでこんな気分を味わっていたのだろうか。
こんな空間で、いつ帰ってくるともしれない自分を待ち続けていたのか。
ベッドのそばにある、彼女のチェストの上には赤ちゃんのために買っておいた洋服や靴下、ミルクがきれいに並べられている。「自分でも気が早いとは思うんですけど」と笑いながら、それでも嬉しそうに少しずつ買い揃えては並べていく姿を思い出すと、灯は自分の目からあふれ出るものを止めることはできなかった。
ずっと天涯孤独で生きてきたはずだったのに、彼女と一緒に暮らした部屋は初めて灯に”独り”であることを突き付けるものになっていた。

先頭 表紙

2008-06-04 If Cambrian explosion happens again(41)

駅を出てからまず二人がしたことは空を見上げることだった。もちろん空と言ってもここは地下であり天井があるのだが。

「空、だよな……」

灯がそう呟く通り、そこは空にしか見えなかった。
土や壁の色ではなく、本当に青い空が広がり太陽がある。しかもそれは投影されたビジョンなどではなく、本当にそこにあるように見えるのだ。さすがに雲まではなくここまでの快晴は地上でも滅多にないことからしてようやく作り物だと認識できるぐらいのものだ。夢物語と思っていたモノが自分たちの足元にあったのだから、世界には知らないことやものがまだまだあることを灯は実感する。

「行きましょう」と緒方に促されてようやく今の自分の目的を思い出した灯は、その背中についていく。
ジオフロント内での移動は徒歩・自転車・電気自動車の3つが主な移動手段になるが、このジオフロント(仮称としてGP1と呼ばれているそうだ)では試験的に24時間稼働しているオートラインが敷設されている。いわゆる動く歩道でそれに乗れば1ブロックあたり1分ちょっとで移動できる。緒方の歩いていく方向からして今回はそれを使うのだろう。

「病院は4ブロック先です。ハコだけはもうほぼ完成して、設備を搬入してる最中だって聞きました」

オートラインに乗り、通常の速さよりも3倍の速度の高速線の方へと乗り換える。ここに来た時には感じなかった風が、妙に心地いい。緒方はというと、風で髪が乱れるのが気になるのか話しながらずっと右手で撫でつけていた。
病院のあるブロックの1ブロック手前で普通のラインに乗り換え、オートラインを降りた目の前が大規模な病院だった。各ブロックにそれぞれ小さな病院はあるのだが、この病院は20ブロックに一つ置くことが定められた総合病院だそうだ。特に産科を重点的に診るよう作られていて、フィットネスやプールなどの施設もすぐ隣に建てられている。
病院の中ではすでに医療スタッフがいたが、間近に迫る立ち上げの為に忙しなく動き回っていて、ちらっと灯たちを見るものの相手にもせず機材を運んでいる。
「すいません、通ります」と灯の後ろから小さい自動車一台分はあろうかという大きさの機械を看護師たちが台車で転がしてくる。それには<人工子宮 セットアップ最優先>と書かれた札が貼ってあった。

あれが、志穂と自分の子どもの命を繋ぐものなのか。

この病院のすべての人間でないのはわかっているのだが、自分と志穂とそして子どもの為に動いてくれている人たちがいることに灯は感謝した。

志穂が入る予定の病室やベッドなどを一通り見ると、今度は新しい研究所にも立ち寄ることにした。ブロックとしては隣になるが、病院からは目と鼻の先で病室からも見える建物だと解ったのでそこまではオートラインを使わなくても5分で行けるからだ。

研究所はまだ半分ほどしか完成していなかったが、中に入って見学した二人は驚いた。つくばの研究所の3倍はあろうかという広さで、NCExpにも専用の研究室と情報処理室ができる予定になっている。地上に比べ全てにおいてスケールが大きくなっていて、「地上よりも優雅な暮らしかも」との国連事務総長の言葉は冗談ではなかったと思い知る。

先頭 表紙

2008-06-03 If Cambrian explosion happens again(40)

6時間後。戒厳令のせいで誰もいない駅のホーム灯はいた。
改札と出国手続のゲートには海外に避難しようとする人がそれなりにいたはずなのだが、指定された時間の「特別運行」の到着に合わせて灯がゲートをくぐると一般人は立ち入り禁止とされ、ゲートにも改札にもすべてシャッターが張られた。
そんな事をするとむしろ目立つんじゃないかと灯は思ったし、案の定シャッターの隙間から「どんなVIPが乗るんだ?」と興味津々に覗いてくる人もいたが、灯を見て「誰だあいつ」「知らねー」「なんだ芸能人じゃないじゃん」とがっかりする声とともにその興味は一瞬にして失せたようだ。

列車が来た。
特別運行という表示と、通常の編成より車両が少ないだけでそれ以外はいたって普通なので拍子抜けした灯だったが乗り込んですぐに驚かされることになる。
「お久しぶりです」といきなり声をかけてきたのは緒方だった。
久しぶり(といっても前に会ってから1ヶ月も経ってないが)に見た彼は少し痩せたようで、また身嗜みにもすごく気をつけていたのに不精髭もわずかに生えていた。挨拶もそこそこに、二人とも並んで座ると緒方は灯が聞かなくても説明を始める。

「5時間ほど前に今回の仕事が終わったばかりなんです。本当は明後日帰国する予定だったんですが、高科さんがジオフロントに行くためのリニアが近くから出るって聞いたんで便乗させてもらいました」

そして珍しく神妙な面持ちになり、志穂さんのことも聞きましたと言った。別に緒方が悪いわけではないが、彼女と灯を合わせるきっかけを作ったのは自分であるということに言葉ではうまく言えない責任みたいなものを感じているようにも見えた。

「でも高科さん、いいんですか? そばにいてあげなくて」

「そうしたいのはやまやまだけど、そばにいても自分は何もしてあげられないし、むしろ彼女がちゃんと次の病院に移れるようにするのは今の自分しかできないことだから。それに、何かしてないと、ね」

灯の言葉を聞いて緒方はほっとしたようだった。
それもそのはずで、志穂をジオフロント内への病院の搬送するように働きかけたのは緒方なのだ。その病院に真っ先に人工子宮を導入するようにもあらゆる手を使って(半分脅しも入れて)決めさせた。だが彼はそのことを灯に言うことはなかったし、灯もこれから先に知ることはなかった。
そして緒方はジオフロントについての説明を始める。
大規模地下構想、通称ジオフロントは5大陸全てに計画され、地球人口の85%を収容できる計算になっている。またジオフロントの直上には当然どこかの国の領土だが、ジオフロントはどこの国にも属さず、国連の直轄地となっている。これは軍事目的にジオフロントを利用されないようにするための措置だそうだ。なので目的地もどこの国の地下なのか、明確には教えられないようになっているらしい。

出発してから1時間半。ひたすら走るリニアの小さい窓(音速以上で走行するため空気抵抗による摩擦で熱くなるので大きな窓が取り付けられない)から、突然外に出たのかと思うほど明るい光が差し込んできた。

外を見ると、都市計画の真っただ中のような整備・建設中の街並みが広がる。ただ地上と違うのは天井があることと、終わりが見えないほど敷地面積が広いことだ。
工事中のトンネルみたいなものを想像していた灯は思わず「すげぇ」と声を漏らさずにはいられなかった。それは緒方も同じようで「僕も実際に来るのは初めてなんです」と素直に驚いていた。
さっきの長広舌で緒方は何度も来ているのだと思いこんでいた灯は「頭でっかちじゃんかよ」と笑った。

先頭 表紙

2008-05-19 If Cambrian explosion happens again(39)

博多港と横浜港を中心とした港に空母・戦艦・潜水艦など各国の船が集結し、UNと書かれた装甲車、戦車、自走臼砲、哨戒機などが一斉に配置される様をテレビで見るのと実際に見るのとでは戦争を実感する度合いが大いに違う。
灯は警察病院の志穂の病室ではなく新晴海埠頭にいる。ちなみに旧晴海は寒冷化による海面低下のため現在は使われておらず、灯が今いる場所はかつては浮島と呼ばれていた場所らしい。ここから既に一般車両を完全封鎖した国道16号線上に東京を取り囲むように防衛線を張るらしいが、これは実はかなり昔から考えられていたシナリオだそうだ。
国連事務総長が自衛隊のイージス艦から降りてくると、すぐに灯を見つけたようで早足で近づいてくる。
てっきり日本を軍事防衛線に利用したことを謝罪に来るかと灯は思っていた。

「突然で申し訳ないが、NCExpにジオフロントプロジェクトに加わってほしい」

一瞬どころか数秒経っても理解できない表情を浮かべる灯に彼は最初から説明を始める。
日本を防衛線にしたのは日本を見捨てたわけではなく、同盟軍が日本を攻撃すると公安やFBIがそろって確証を得たことによるものだった。(しばらく緒方の姿を見ていないし連絡もないと思ったらそっちの仕事をしていたようだ)
そして日本の防衛線で同盟軍を食い止めている間に、かねてから計画されていた大規模地下都市計画、通称ジオフロントプロジェクトを整備しまずは日本を優先的に移住させる予定になっている。

「でもそんな、どうやって。日本人約1億5000万人も収容するだけの地下都市なんてそんな急にできるはずが、」

驚く灯に国連事務総長は訊ねる。

「君はなぜ、国際リニア網が地下に張り巡らされているか考えたことがあるかね?」

気象やテロなど様々な外部要因に左右されることなく定期的な運行を確実に行うため。
灯が知っているままのことを答えると、国連事務総長は軽く笑みを浮かべて質問を続ける。

「ではなぜ誰も降りないような場所に駅があったり、使われていない分岐点があったりすると思う?」

灯にもようやく見えてきた。
東京の地下鉄にもかつては秘密にされていた要人が緊急時に避難などをするための隠し線路があったように、国際リニアにも秘密があったのだ。
とはいえ交通インフラだけでは人は生活できないし、ジオフロントプロジェクトは数百年も前から考えられてはいたものの採光や排熱などその問題点の多さに月移住と同じくらいのレベルでSFの域を出ていないはずだ。

「それは数百年も前の時代の話だ。もちろん地下でこれだけの規模の人数が何世代にもわたって生活したという実証データはないが、もう100年以上も前から小規模なコロニーを形成し4世代続けて仮想地下空間で暮らしている実例はある。多少の制限はあるとしても生活はできるはずだ。もしかすると今の寒冷化が起こっている地上よりも優雅な暮らしかも知れない」

そして灯にはスノーボールアースに伴うジオフロントへの影響を調べつつ、凍結後人為的にスノーボールアースを終息させる方法を見つけることを仕事にしてほしい。そのために現在の研究所の設備と、志穂が入院及び出産するための病院の設備をすべて完全に地下に搬送する。

「君の子どもはもしかしたら地上を知らないまま一生を終えるのかもしれない。それでも新しい命は必ず希望になる」

彼はそれだけ言うと、用意されていた自衛隊の車で永田町へと向かった。

先頭 表紙


[次の10件を表示] (総目次)