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If -another world-

There are not the people who do not think about a "if".



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※この文章は全てフィクションです

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2008-03-31 If Cambrian explosion happens again(34)
2008-03-09 If Cambrian explosion happens again(33)
2008-03-03 If Cambrian explosion happens again(32)
2008-02-27 If Cambrian explosion happens again(31)
2008-02-20 If Cambrian explosion happens again(30)
2008-02-20 If Cambrian explosion happens again(29)
2008-02-15 If Cambrian explosion happens again(28)
2008-02-08 If Cambrian explosion happens again(27)
2008-02-06 If Cambrian explosion happens again(26)
2008-02-03 If Cambrian explosion happens again(25)


2008-03-31 If Cambrian explosion happens again(34)

夢だと解る夢を見るのはこれが初めてではないが、ここまで現実感のあるものは初めてだ。
それなのにこの世界が遥か過去なのか遠い未来なのかは解らない。ただ明らかに現在から近い世界ではないことだけはよく解る。
灯が知らない地球。
なのにここが地球だと知っている。
自分は今は人間の形をしていなくて、でもいずれ人間と言う形に進化する事を知っている。
長い長い年月をかけて。
それとも一瞬にも似た短い時間で。
自分は……自分たちは何億という時間を経験する。


「……さん、風邪ひいちゃいますよ。起きてください」

目の前の女性が志穂であり、自分が高科灯であると解るまでにまばたき5回分くらいの時間がかかる。「あ、あれ? いつの間に? 俺迎えに行こうと思ってて」と驚いて時計を見ると、一時間以上も座ったまま寝ていたらしい。
志穂が「よだれ、垂れそうです」と笑いながら灯の口元をティッシュで拭おうとし、灯が照れながら後ろに逃げようとすると座椅子が背もたれごとごろんと倒れる。反対に浮き上がった灯の足に引き寄せられ、志穂が灯を押し倒す形になった。
少し驚いた顔を見せた志穂は、目を潤ませて悪戯っぽく微笑むとゆっくり目を閉じて灯の唇を奪う。
「いつもより積極的じゃないですか?」と志穂を支えている手を膨らみの方へ伸ばそうとすると彼女は「残念でした」と逃げる。久しぶりに会えたことだしスイッチが入りかけた灯は「どうして? もしかして来ちゃったの?」と聞くと彼女は笑いながら首を振り、誰かが聞いているはずはないのにこっそりと灯に耳打ちする。

「逆です。できちゃいました」


「ほら、かすかにですがちゃんと動いているでしょう? ここが心臓で、ここが目、まだよく解りづらいですが」と医者が立体画像を指して説明し、それを見た灯は新しい命のあまりの小ささに驚くしかなかった。こんな頼りないものが、本当に人の形になり生まれてきてくれるのだろうか。
灯の疑問を聞いて医者は笑いながら答える。

「赤ちゃんはお母さんのお腹の中で今まで人間が37億年かけて行ってきた進化を数週間で経験するといわれていますからね。手に水かきがついている時期もあるんですよ」

ふと、灯はこの前―志穂が妊娠したと灯に告げた―に見た夢を思い出した。
あの夢はこの子が今経験しているという進化を父親の灯に見せたのだろうか。
それとも灯の中にあるDNAの記憶なんだろうか。
診察台で寝ながら一緒に画像を見ている志穂は、そっと灯の袖を掴んで何も言わず微笑み、もう片方の手で画像の自分の子を優しく撫でる。
母親のことは少しも覚えていない灯だが、その顔はまさしく母親のものだと感じた。

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2008-03-09 If Cambrian explosion happens again(33)

もし灯が同盟軍にいるとして、国連加盟国の中で制圧したい対象のプライオリティをつけるとするならこの日本はかなり高い順位、おそらく米国の次あたりに位置づけるだろう。むしろ米国ほどの強大な軍を持たないということで容易に制圧できると考え、真っ先に攻撃してくる可能性もある。
安保条約という言葉が消えて200年近く経った現在、在日米軍は「相互保守契約」という名で継続して駐屯しているが、日本が攻撃された場合に米国が手を貸してくれる保証は既にない。

灯が国連に総意での拒否を提案するまでもなくジュネーブにおける国連の諸機関は相次いで同盟軍に対し警告及び要求に対する非難決議を採択し、UNEF(国連緊急軍)の派遣を決定。同盟軍の本部と目されるオーストラリアの首都キャンベラへ向け爆撃の準備もあると通告したのは、同盟軍が提示した降伏の期限と同時だった。


最初の矛先は、意外にも中東・アラブ諸国に向けられた。
世界的な化石燃料の使用中止によりもはや産油国ではなく観光と金融経済の地域となり、攻撃対象にはならないだろうと国連も手薄になっていたところを突かれた格好だ。
寒冷化を阻害する可能性の高い化石燃料を持つ国を先に掌握することで、同盟軍はさらにスノーボールアースという兵器を強力にしようとしたのだ。
しかしながら、急ごしらえの同盟軍とアラブ諸国連合の戦闘は膠着状態に突入する。それが同盟軍には大きな誤算だった。
戦闘が長引けば長引くほどUNEFは包囲網を固め、スンダ海溝とアラブ諸国に分散していた戦力が完全に分断され、形勢は一気にUNEFに有利な展開となった。あとは自棄になったスンダ海溝の同盟軍が海底を爆撃する前に壊滅させるか降伏させるかのどちらかだ。そしてアラブ諸国を手に入れられなかった同盟軍がたとえ海底を爆撃してもスノーボールアースが起こる可能性は低い。国連もNCExpも他の専門家達もそう予想し、同盟軍はこのまま打つ手もなく降伏するだろうと思われていた。


着替えを取りに来る程度なら国連本部への出張期間中以外はほぼ毎日帰ってきていたのだが、こんなふうにのんびりと家にいるのはおよそ二週間ぶりだ。灯はまだ引っ越してきてから荷解きもしていない荷物の中から座椅子と座卓を出し寛いでいる。志穂はこの時間ならそろそろ仕事が終わるだろうから、帰る頃になったら迎えにでも行こうかと思っていると、ほんの数秒の間に意識がどんどんと下に沈んでいくような感覚に襲われる。
あぁ、これは睡魔だなと認識すると同時に意識は途切れた。

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2008-03-03 If Cambrian explosion happens again(32)

共同宣言を出した国々が国連に対し72時間以内に加盟国全ての武装解除及び国政の放棄と譲渡、つまり事実上の宣戦布告と無条件降伏を要求してきたのは、志穂と一緒に暮らしてから三日目の(日本時間での)昼過ぎだった。
これを受けてNCExpをはじめ研究所も24時間随時対応できる体制を整えるよう国連及び総理大臣、文部科学大臣からのお達しが5分と経たずにダイレクトライン経由で下った。
飲み会に出席した連中には当然灯と志穂が同棲を始めた事は知れ渡っており(詳しい住所は安全の為所長以外には教えていないが)、皆灯の顔を見るなり「かわいそうに」「ご愁傷様です」と言いたげな顔で通り過ぎ、志穂に連絡しなければでもなんて言おうかと思案していた灯を萎えさせた。
「しばらく帰れないか、帰ってもすぐに戻らなきゃいけなくなりそう」とやっとの思いで志穂に連絡すると、彼女は「それなら仕方ないですよね」と想像以上に聞き分けがよく、それが逆に灯の恐怖を煽る。
一緒に暮らしてみて解ったのだが、彼女は他の女の子にありがちな金銭欲や物欲などはほとんどないが、唯一「一緒にいる」事に対しての執着が激しい。「仕事と私」なんて21世紀の人間でも言わないような選択を本当に迫りかねないのだ。多分それは小さい頃に亡くした(どうやら仕事中の事故らしい)父親を灯に重ねているからだろう。出て行ってしまうとか浮気されるとかそういう事はおそらくないはずだが、この埋め合わせはいつか必ずしなければと灯は心に誓う。


みたび首相官邸に呼び出された灯は、緒方ではなくSPの護衛のもと赴いた。この間の内調の杉山といい今回の彼といい悪い人間ではなさそうだが(そもそも内調やSPが悪人だったら一大事だ)、お馴染みの緒方でないとなんだか居心地が悪いと思ってしまうのは、自分で思う以上に緒方に心を許しているのかもしれない。
官邸で待っていた首相は前回よりもさすがに疲れているように見えた。国防を担当する大臣を更迭した直後に追い討ちをかけるようなこの事態は、総理だけでなくまいっている人間が永田町をはじめこの周辺地域には多そうだ。
建前上わが国が所持しているのは「軍」ではなく「自衛隊」であるから武装解除要求に従う義務はないという意見もあるらしいが、国政に関してはさすがに全ての大臣や与野党ともに突っぱねることで合意が取れている、と首相は説明してくれた。

「とりあえず今は他国の意見が出揃うまで様子を見るだけだ」と当たり障りのない事しかできない自分を情けなく思っているように首相は笑った。
「スノーボールアースが核兵器を凌ぐ戦争の切り札にされるとは想像もしてなかった。これは我々のミスだ。その尻拭いを結婚を控えた君に頼むのは申し訳ないが……」と言葉を止め、その視線で灯は言わんとしている事を全て悟る。

「わかりました。国連の総意で要求を拒否するようにNCExpから要請します。ですが……」

「国連の総意になったところで事態は変わらない。そんな事は解っている」と首相もまた灯の言葉の先を読む。

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2008-02-27 If Cambrian explosion happens again(31)

「それじゃ、今度こそ本当に」と緒方が出て行ってからしばらく、灯は玄関の前で息を殺していた。不思議そうな顔で見ている志穂にも口元に指を当て、そのまま座っているようにジェスチャーする。
3分ぐらいしてモニタと実際に外に出て本当に帰った事を確認し、ようやく灯は安心して「ちゃんと帰ったみたい」とさっきから心臓まで止めそうな勢いで正座したまま固まっていた志穂に言うと、彼女は苦しそうに胸を押さえ息をついた。別に呼吸まで止めなくても良かったのに、と灯が爆笑すると志穂は真っ赤な顔をさらに赤くさせてそっぽを向いた。
ひとしきり笑い終えると、志穂の身体を背中から抱きしめる。

「……良かった」

志穂が同盟軍のスパイでもなく、また同盟軍のスパイに捕まったり利用されることもなく、そして何より自分とこうなったのは灯を利用する為でもなくちゃんとした気持ちがあってのことだったのは灯にとって理想的な結末だ。
志穂は何も言わずに振り向くと、灯の頭を胸に抱きまるで子どもをあやすように頭を撫でる。僅かとはいえほんの少し前まで自分を疑っていたことを責めることなく、何もかもを赦すように。


それから2週間。
一度でも盗聴器を仕掛けられた、つまり不法侵入があった家に住み続けるのは危ないと緒方が忠告し、灯もいやだったので公安が斡旋してくれたマンション(そんな事まで公安の仕事にあるのかと驚いたが、官舎以外でも警護しやすい物件を政府が常にいくつか押さえているそうだ)に引っ越すことになった。もちろんその物件は二人で一緒に暮らしやすいように志穂と決めたもので、引越しだけではなく志穂の母親に挨拶に行ったり指輪を買いに行ったりとプライベートで忙しい日々を送っていた。

そんな灯の状況を世界情勢が鑑みてくれるはずもなく、NCExpの仕事も日を追うごとに増えていく。
海洋調査船や衛星での熱塩循環や地磁気の測定がさらに詳しく行われるようになり、連日地球シミュレータの演算結果の検証や報告、有事の際の対策会議等に加えて、安藤を更迭した内閣の中で灯を特命大臣に迎え入れようという動きもあり身体が3つ4つあっても足りないくらいだ。
「私が困ります。高科さんが3人もいたら」と志穂は笑い、緒方も「我々も高科さんを三人分警護するのは勘弁して欲しいです」と真剣な顔で遠慮した。
海外だけでなく国内のテロ組織も活発化してきて、灯も何度か本物のテロリストを目の当たりにしたり危ない目に遭わされかけたりもしたのだ。もちろんそれを身体を張って防いでいるのは緒方やSP(本来は総理大臣を担当するはずの第一係だと緒方は言っていた)で、志穂も不用意に外には出ないよう注意され、仕事に行くにも公安の送り迎えがつくほどだ。もっとも彼女は再来月いっぱいで退社すると既に上司に言ってあるのでそれほど支障はないみたいだ。

後から灯は思う。
この時が自分の人生の中で一番幸せな時期だったんじゃないだろうか、と。

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2008-02-20 If Cambrian explosion happens again(30)

「でも、実はもしかするとって思っていたんです」と志穂は続ける。

「初めて話しかけるまでは。でもずっと話してて、そうじゃなかったらいいなって思うようになって。馬鹿ですね私。はじめから聞いておけばよかったのに。昨夜ああなっちゃったら怖くなってよけいに聞けなくなりました」

そして今朝。
そして灯が彼女を見送った直後にとある国のスパイを名乗る女に、灯が探している人物である事を教えられ、確信に至る。灯に関しての情報を集めるよう協力の要請もされた。もちろんその『要請』が額面どおり受け取れるような穏便なものであるはずもない。
灯は車の中での緒方の話を思い出す。



「申し訳ありません、僕のミスです。たった今彼女を監視させている同僚から連絡がありました。同盟軍の諜報員と思われる不審な女が彼女に接触したそうです」

緒方がSVシステム(総理府が直轄する非公式の全地域監視システム)からの画像を開くと、後姿からでも解る彼女の横を金髪の女性が並んで歩いている。別のウィンドウに映る男たちはどうやらその女の仲間らしく、志穂達に合わせて移動している。
背筋が凍るとか、寒気がするというのを通り越したこんな感覚を味わったのは、灯の今までの記憶にはない。
不意に志穂が立ち止まり、外人の女に何かを叫んで走り出す。仲間の男たちが志穂を取り押さえようと動くが間一髪、男たち全員が逆に待機していた警察官に御用となった。

「正直今の今まで完全に彼女を疑っていました。まさかこれから連中が彼女に接触する可能性までは考えませんでした」

車を走らせながら再び頭を下げる。

「ただ彼女がこれから彼らに協力しないとも限りませんしもしかしたら既に別のところから指示を受けているかもしれません。その可能性も考慮して我々が動く事は了承願います」

慇懃になる緒方からは国を守る仕事をしている人間の気迫みたいなものが感じられ、灯は「わかった」としか言えなかった。



「私、どうすればいいんでしょうか?」と訊ねてくる志穂は、笑いながら泣いていた。
たとえ最悪の答えでも受け入れる覚悟をしなければならない。そんな表情だ。

「あのさ、さっきどうして迷わずうちのキッチンの場所を解ったの? 昨夜は一度も行かなかったのに。うちはキッチンは全部壁で隠せるし外から見ても簡単には解らないんだけど」

不意の質問に、志穂は「だって今朝コーヒー淹れてくれたじゃないですか」と首を傾げると、灯は「あっ!」と思い出したように叫んだあと、大笑いして言った。

「そうだ、ごめん緒方さん。忘れてた」

その声を合図に、ずっと玄関先で待機していた緒方が「ちょっ、高科さん。勘弁してくださいよ」と呆れながら入ってきた。その耳にはかなり旧式の赤外線通信(ブルーなんとかと言うらしい)の盗聴器がはめられている。
事態を飲み込めない志穂に、灯は説明を始めた。
志穂が外人の女と接触する直前のこと。
緒方が唯一見つけた盗聴器は台所に仕掛けられていたのだ。灯が寝てる間にこっそり起きて仕掛けたのではないかと緒方は疑ったのだが、これで志穂への疑いは完全に晴れた。仕掛けることができると解っている場所に仕掛けて己に疑いをむけさせるマヌケなスパイなんているわけがない。
「それにしても高科さん、昨日の今日で随分と愛されちゃってますね」とからかう緒方のわき腹を軽く小突くと「痛ッ。じゃあもう僕は邪魔しないんで」と帰ろうとするので灯はその肩を力強く捕まえる。

「緒方さん。帰るなら盗聴器も一緒に持って帰って」

にこやかな声の灯の目は冷ややかだった。

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2008-02-20 If Cambrian explosion happens again(29)

彼女の手料理、というか外食以外で他人、しかも女の子が作ってくれた料理なんて10年以上も口にしていない。
「私だって男の人に作るのはお父さんと弟と、あと大学時代にホームステイさせてもらってたお家の人以外ないですよ」と鍋の具を几帳面に盛り付けるように小皿にとりわけながら志穂は恥ずかしそうに言った。
「どうぞ。自信はあまりないんですけど、お鍋なら多分失敗はないと思います」と灯に小皿を差し出すと、灯が口をつけるのを待っているかのように座ったまま動かない。湯気でよく見えないけど、きっとその顔は飲み会で灯を待っていた時のようなあの不安そうな顔なんだろう。これはどんな味でも「美味しい」と言うのは男の義務なんだろう、と女心に疎い灯でも解る。
結果、味は合格点を通り越してほぼ満点に近かった。鶏がらスープで煮込んだ具材に大根おろしをかけた鍋で、灯は生まれて初めて見たが彼女の地元では普通によく知られているものらしい。
「大根おろしじゃなくってとろろをかけたりするのもあるんですよ」と彼女が教えてくれたので「じゃあ今度はそれがいいな」と灯がおねだりすると志穂は「はいっ!」と嬉しそうに頷く。

食べ終わると正座を崩した志穂は、野菜くずだけが浮かぶ鍋の中を見つめながらポツリと話し始めた。

「高科さん。さっき私、大学時代にホームステイしてたって言いましたよね」

来た。
灯は確信した。
避けて通れないのは解っていたけれど、できることなら知らないフリをしてこのままずっといられる事を願っていたのに。

「そこのホストファミリーから連絡がありました。お父さん……向こうのですけど、逮捕されたって」

再び向けられた志穂の目には溢れる寸前まで溜まっていた。

「私、向こうのお父さんにはすごくよくしてもらったんです。実の父親は小さい頃に死んじゃったので、私にとっては本当のお父さんみたいな。だから、逮捕されたって聞いたときはすごく驚きました」

再びうつむくと、机の上に雫が落ちる。

「その逮捕には、ある日本人が関係してるって……」

泣いているせいで志穂が言葉を止めたわけではない。灯の言葉を待っているのだ。

「俺だよ、それは」

ヒクッ、と一度だけ志穂がしゃくりあげると、本格的にボロボロと泣き出した。
それからの涙ながらの志穂の話をまとめるとこうなる。
ホストファミリーからの連絡を受けた志穂が知っていたのはその日本人がある国連組織の一員であることと、その国連組織の運営を妨害したせいでハンスが逮捕されたということだけだった。事実はかなり歪曲されていたが、その事に関して灯は弁解も説明もするつもりはない。彼の逮捕に関わった事実は変わらないのだから。
そんな時、偶然飲み会に誘われた彼女ははじめは断るつもりでいたが友人の「なんか研究員とか国連の職員とか、固そうな人ばっからしいけどね。本当に盛り上がるのかなぁ」と誰かに電話しているのを盗み聞きして出席をすることにした。
何がしたかったわけじゃない。
ただ知りたかっただけだ。
そして灯が国連の職員、つまりNCExpの唯一の出席者だった。

「どうして……、どうして高科さんなんですか」

誰に向けてでもない、強いて言うなら残酷な偶然に問いかける志穂の言葉だけが冷たい部屋に響く。

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2008-02-15 If Cambrian explosion happens again(28)

その日の夜、約束の時間。
灯は昨日別れた時と同じ場所で、彼女―志穂を待っていた。
冷え込みは昨日よりも一段と激しく、もしかしたら今夜は雪が降るかもしれない、と誰かが言っていたのを家を出る間際に思い出し、二人が入っても充分なほど大きい傘を持ってきて。
約束の時間よりほんの少し早く来るところも自分の知っている彼女らしい、と慣れない場所に戸惑うように辺りを見回して自分を探す志穂の姿を先に見つけ灯は思った。
昨日とは少し違うものの、やはり大人しめの服と髪型に薄めの化粧の彼女は灯の姿を見つけると飲み会の時を思い出させる子どものような笑顔で灯のもとへ小走りに寄ってくる。
帰りがけ、二人分にしては少し多めの鍋の材料と飲み物を買い込むと、志穂は重いから持とうとする灯の手をするりとかわし、嬉しそうに袋を胸に抱えた。
「盗って逃げたりしないから」と言うと志穂はそうじゃないです、と首を横に振る。

「男の人の家で料理作るの、女だったら誰でも一度は憧れるんですよ」

そう、と灯は手を引っ込めるとあとは二人とも何も言わずに家へと向かった。
古いタイプの生体認証式の玄関を開け、まだ遠慮がちな彼女の背中を促して先に中に入れる。さすがに荷物を抱えながらブーツは脱げないので「すみません、ちょっと持っててください」と袋を灯に渡し、靴を脱いで先に入ると再び袋を受け取ってまっすぐ向かった。

昨夜は一度も使ってなかったはずのキッチンに、迷うことなく。


9時間前。
「あの、今夜高科さんの家にお邪魔してもいいですか?」と言う緒方に今夜は彼女が来るから、とやんわり断ろうとしても彼は引かなかった。
「じゃあ、今すぐにでも、お願いします」とお願いにしてはかなり強い口調で灯もようやく緒方の真意に気づく。
彼女は怪しまれているのだと。
そして40分後、灯の部屋の前にはいくつかの機材を抱えた緒方が既に待っていた。
灯が玄関を開けると「すいませんが調べ終わるまでここにいてください。声も出さないで」と一人で中に入っていった。
再び出てくるまでに要した時間は15分、緒方は一度小さく頷くと外の駐車場に置いてある自分の車を指差した。
車に乗るとようやく緒方は口を開く。

「申し訳ありません、僕のミスです」

昨夜緒方がお持ち帰りをした子は女の子の方の幹事で、酔いつぶれた彼女を介抱しながら植松志穂について聞いてみるとこう言っていたのだ。

「植松さん? て誰? あぁ、あの地味な子? あたしも実は彼女に会ったの初めてなんだよね。だって緒方がいきなり女の子増やせっていうからがんばって手当たり次第声掛けたんだよ。それで、友達の友達の友達とかまで来ちゃって、実は知らない人のほうが多かったり……えへへぇ」

一気に酔いが醒めた緒方は彼女を家まで送ると、すぐに職場に戻り植松志穂を調べた。データ上の経歴は疑う余地がないほど普通だが唯一引っかかったのが志穂の高校時代の留学先だった。彼女がホームステイをしていたのはオーストラリア。
ペンタゴンにいたあのハンスの家だったからだ。

「そこで何があったのかは、本人に直接聞いてみないと解ら……」

緒方の声が急に絞られる。

灯はその時の自分が怒っていたのか泣いていたのか、今でも思い出すことは出来なかった。

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2008-02-08 If Cambrian explosion happens again(27)

まさか起きたらいなくなっているなんてありがちなことはないよな、と目が覚めた瞬間不安になり、すぐ横で眠ったときと同じ姿で寝息を立てる志穂を見て灯はほっとため息をついた。
こんな時、男には将来を考えるタイプと何も考えたくなくなるタイプの二種類がいる。そして明らかに己は前者だと灯は自覚しているし、実際昔付き合っていた相手に「結婚とか言われても重過ぎる」とフラれた事もある。結婚を考えられない相手でもこういうことをできるほうが灯には信じられないが、その価値観を相手に押し付ける気はなかった。ただ、志穂は自分と同じ考えを持つ子なんだろう、そうであってほしいと寝顔を見ながら願った。
起こさないように布団を出ると、灯はカメラを持ってきて一枚写真を撮った。裸を撮るような悪趣味があるのではなく、ただ彼女の安心した寝顔が子どものように見えて、残したいと思ったからだ。
その音で目覚めた彼女は頭まで布団にもぐりこみ、ひたすら文句を言った。「大丈夫、見えてなかったから」となだめてもそれからは服を着ても絶対に写真を撮らせてはくれなかった。
出勤前にちゃんと今夜も会う約束を取り付けつつ彼女を駅まで送り、研究所に着くと一番最初にあったのは結城と伊勢田の二人で、挨拶も「昨日はありがとうございました」のお礼もそこそこに二人は灯を左右から挟んで「で、結果は?」としたり顔を浮かべる。

「まぁ……ね」

年甲斐もなく照れながら頭を掻く灯の脇腹を同時に痛いほど小突かれ、思わず朝飲んだコーヒーが出そうになる。逆に二人にも結果を尋ねると灯のような急展開はなかったが二人ともこれからが期待できそうな状況ではあるらしい。特に40を前にした伊勢田は「これで何とかならなきゃもう一生結婚できなさそうですから」と笑えない冗談を飛ばし灯と結城を黙らせた。
NCExpの部下達にも灯のお持ち帰りの話は既に届いていて、このあと15分くらい質問責めに遭う羽目になることをこのときの灯はまだ知らなかった。


灯自身が激変するのを待っていたかのように、世界もまた変動を始める。
日本時間の午前9時、国連を脱退し共同宣言に新たに加盟するという国が現れだしその数は10カ国を超えたのだ。その中には軍事核衛星など大量殺戮兵器を所有していると公表している国もある。つまり米国を中心とする国連に軍事力での優位性はなくなり軍事面でもフィフティフィフティで、同盟軍はいつでも行動に移せることになる。
とはいえ容易に戦争に陥らないように、双方とも外交ルートでの熾烈な争いを繰り広げている。もちろんそれは表もあれば裏もあるらしく、公安や内調といった諜報機関はピリピリしているとNCExpのダイレクトライン(専用直通回線)を使って緒方が伝えてきた。

「あ、そうそう、聞きましたよ。昨日結局高科さんもあの子と一緒に帰ったそうじゃないですか」

直前までの世界を巻き込んだ戦争の話から緒方からいきなりそんな話に飛んだので「これ使ってそんな会話していいの?」と灯は呆れながらも「まぁおかげさまでね、この年で久しぶりに春が来るとは思わなかったよ」と惚気る。すると緒方は少し黙ったかと思うと急に真面目な声で言い出した。

「あの、今夜高科さんの家にお邪魔してもいいですか?」

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2008-02-06 If Cambrian explosion happens again(26)

飲み屋を出ると、飲み潰れた組、飲み潰れた人を介抱する組、二次会に繰り出す組、帰る組と四組に分かれた。
あれ以来ずっとソフトドリンクしか飲んでいない灯は酔いもすっかり醒めており、それは彼女も同じだったがお互い運がいいのか悪いのか介抱する相手もいなかったので、灯は仕事が気になるので二次会を断り帰る組に合流しようとした時のこと。
聞こえるかどうか解らないほど小さい声で「あの、」と灯の袖口を彼女が掴む。それだけでも彼女にしてみれば僥倖なんだろう、酔いは醒めているはずの顔が再び赤味を帯びる。本人曰く「この前24歳になったばかりなんです」だそうだが、酒を飲める歳にすらなってるのかと疑ってしまう。
しばらく言葉を探すように目線を動かしながら、ようやく意を決したように「あの、二次会行きませんか?」と呼び止めた時よりは少し大きい、それでもやはり消え入りそうな声で誘ってくる。
もしかしてこの歳まで男性経験がないのかも。でもそれならなぜ自分にこんなに慕ってくるのだろうか……と灯は疑問に思っていると二次会組が伊勢田所長の号令で移動を始めた。
慌てて彼女は二次会組と灯を交互に何度も見て、その顔が怯えきった小動物みたいで無碍にするわけにもいかず、灯は「じゃあちょっとだけ顔出すよ」と仕方なさそうに笑った。ちなみにその時緒方は既に潰れた女の子を一人家まで送るところだった。
本当に送るだけだとは灯も含めその場の全員が思っているはずもなかったが。


結局「ちょっとだけ顔を出す」だけで二次会を抜け出したら当然のように志穂もついてきて、結局そのまま当然のように灯の家に彼女を泊める事になり、結局当然のようにこうなってしまった。
緒方たちをどうこう言う資格は自分たちにはない。
「会ったその日に、なんて人生初だよ」と灯自身が信じられない気持ちでいると「私もです」と彼女も同じような顔をする。
「そんなの、わかってるってば」と灯が下のほうを見て笑うと、志穂は軽く胸を小突いて恥ずかしそうに目を逸らす。灯の予想通り、彼女は初めてだったからだ。
「大丈夫?」と聞くと「まだちょっと、でも大丈夫です」と頑張って笑って見せ「それよりすみません、汚しちゃって」と申し訳なさそうに目を伏せる。
それはそれで男としては嬉しい汚れなんだけどな、と思いつつ「気にしないでいいよ」と言うと彼女は安心し、それからゆっくりと呼吸が寝息に変わっていった。
どうして会ったばかりなのに、しかも初めてで志穂はついてきたんだろう。
疑問には思ったが、聞くような野暮はしなかった。
自分だって未だにこの状況が信じられないのだから、彼女だって同じはずだ。
今の世界情勢が自分たちの未来に不安を抱かせ、なるべく早く多く子孫を残すべきだと感じているのだろう。明確な意思ではなく、おそらく生物の本能みたいなものが。
飲み屋で考えた事をリフレインしながら、灯もまた眠りの世界に落ちていく。

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???? らりほさん? / ワニ ( 2008-02-08 01:05 )

2008-02-03 If Cambrian explosion happens again(25)

猫が己の死期を悟れば姿を隠すように、また鯨であれば「墓場」と呼ばれる末期を迎える場所へ向かうように、「終末」を悟ると同じ種族の生物は一様の行動をとるのだろうか。

飲み会が始まってもう2時間近く、酔いもかなり回ってきた灯はトイレに立ち、用を足しながらそんな事を考えていた。
飲み会は学生の時のような盛り上がりはなかったが、こういう場所があまり得意ではない灯も珍しく楽しかったし皆も楽しそうにしていた。それはまるで、最後の日がおとずれる前にできるだけ楽しんでおこうとしているようにも感じられる。

「高科さん、どうですか?」

すぐ隣の便器に用を足しに来たのは緒方だ。さすがに緒方は公安という職業柄なのか酔っ払うことのないように酒とジュースを交互に飲んでいたが、つまらないわけではなさそうだった。

「みんな楽しそうだし良かったよ。ありがとう」

緒方は満足そうに頷くと、含みのある顔を灯の耳に近寄せてきた。もちろん便器から照準は外さずに。

「高科さん、早く戻ってあげてくださいよ。彼女、高科さんがトイレに行っちゃってからずっと誰とも喋らないで待ってるんですから」

あの子、がさっきまでずっと灯の隣にいた植松志穂を指しているのは明白だった。「解ったよ」と言うと、灯は一回身震いしてから用を足し終わり、クリーナーで手を洗い「じゃあ、邪魔しないでくれよ」と真っ最中の緒方の背中に声を掛けた。

「あんな二人の世界築かれたら誰も入れませんって」

そんなふうにしてたかな、と飲み会の一部始終を思い出しながら灯が部屋に戻ると、それまでうつむいて食べるわけでもなく箸で自分の皿の上のモノをいじっていた志穂は顔を上げ、一瞬で雨が上がったかのような明るい笑顔を見せる。
決して人目を引く方ではないし大人しくて目立たないけど、可愛い子だった。
肩より下にかかるくらいの髪を後ろでまとめているせいか、両方の耳の上の2つずつつけたヘアピンが印象的といえば印象的だが、アクセサリーもほとんどなく化粧も他の子たちと比べてかなり薄く服も厚手の淡色のセーターにロングのスカートと随分と地味目だ。
自己紹介の時は灯の席から遠く、伏目がちで声も小さく見た目通りの子だとしか思わなかったし灯も含め多くの男は自分から話しかけようとはしなかった。
そんな彼女が自分から灯のそばに来たのは「すみません、私煙草の煙ダメなんです」という理由で、たしかに3〜4人の喫煙者が彼女がいた場所を取り囲むようにして吸っていた。
申し訳なさそうに灯の隣に座り、そのまま2〜30分はあまり会話もなかったのだが(必ず言葉の最初に「すみません」と言うので灯もなんだか申し訳ない気持ちになった)、灯がこの前買ったカメラの話をすると「私も昔持ってました。お祖父ちゃんにもらって、コレくらいのレンズが二つついたものなんですけど」と食いついてきて、それからずっと話し込んでしまったのだ。
「ごめん、お待たせ」と言うと彼女は大きく首を横に振って「そんな事ないです」と不安そうな顔を見せたので、灯はすぐに元通り彼女の隣に座った。それでようやく安心してくれたのか、彼女もあまり減ってないお酒を少し喉に通す。あまり飲めない方だと自分で言っていたから、雰囲気に流されて少なからず無理しているのかもしれない。

「あまり無理して飲まなくてもいいよ。俺次はジュースにするけど、植松さんは?」

彼女は一気に赤味を取り戻した頬を緩ませて「優しいんですね。じゃあ私も同じのお願いします」と頭を下げる。
向こうでは戻ってきたばかりの緒方が意味深な笑顔を見せていた。

先頭 表紙


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