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If -another world-

There are not the people who do not think about a "if".



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※この文章は全てフィクションです

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2008-02-27 If Cambrian explosion happens again(31)
2008-02-20 If Cambrian explosion happens again(30)
2008-02-20 If Cambrian explosion happens again(29)
2008-02-15 If Cambrian explosion happens again(28)
2008-02-08 If Cambrian explosion happens again(27)
2008-02-06 If Cambrian explosion happens again(26)
2008-02-03 If Cambrian explosion happens again(25)
2008-01-30 If Cambrian explosion happens again(24)
2008-01-22 If Cambrian explosion happens again(23)
2008-01-21 If Cambrian explosion happens again(22)


2008-02-27 If Cambrian explosion happens again(31)

「それじゃ、今度こそ本当に」と緒方が出て行ってからしばらく、灯は玄関の前で息を殺していた。不思議そうな顔で見ている志穂にも口元に指を当て、そのまま座っているようにジェスチャーする。
3分ぐらいしてモニタと実際に外に出て本当に帰った事を確認し、ようやく灯は安心して「ちゃんと帰ったみたい」とさっきから心臓まで止めそうな勢いで正座したまま固まっていた志穂に言うと、彼女は苦しそうに胸を押さえ息をついた。別に呼吸まで止めなくても良かったのに、と灯が爆笑すると志穂は真っ赤な顔をさらに赤くさせてそっぽを向いた。
ひとしきり笑い終えると、志穂の身体を背中から抱きしめる。

「……良かった」

志穂が同盟軍のスパイでもなく、また同盟軍のスパイに捕まったり利用されることもなく、そして何より自分とこうなったのは灯を利用する為でもなくちゃんとした気持ちがあってのことだったのは灯にとって理想的な結末だ。
志穂は何も言わずに振り向くと、灯の頭を胸に抱きまるで子どもをあやすように頭を撫でる。僅かとはいえほんの少し前まで自分を疑っていたことを責めることなく、何もかもを赦すように。


それから2週間。
一度でも盗聴器を仕掛けられた、つまり不法侵入があった家に住み続けるのは危ないと緒方が忠告し、灯もいやだったので公安が斡旋してくれたマンション(そんな事まで公安の仕事にあるのかと驚いたが、官舎以外でも警護しやすい物件を政府が常にいくつか押さえているそうだ)に引っ越すことになった。もちろんその物件は二人で一緒に暮らしやすいように志穂と決めたもので、引越しだけではなく志穂の母親に挨拶に行ったり指輪を買いに行ったりとプライベートで忙しい日々を送っていた。

そんな灯の状況を世界情勢が鑑みてくれるはずもなく、NCExpの仕事も日を追うごとに増えていく。
海洋調査船や衛星での熱塩循環や地磁気の測定がさらに詳しく行われるようになり、連日地球シミュレータの演算結果の検証や報告、有事の際の対策会議等に加えて、安藤を更迭した内閣の中で灯を特命大臣に迎え入れようという動きもあり身体が3つ4つあっても足りないくらいだ。
「私が困ります。高科さんが3人もいたら」と志穂は笑い、緒方も「我々も高科さんを三人分警護するのは勘弁して欲しいです」と真剣な顔で遠慮した。
海外だけでなく国内のテロ組織も活発化してきて、灯も何度か本物のテロリストを目の当たりにしたり危ない目に遭わされかけたりもしたのだ。もちろんそれを身体を張って防いでいるのは緒方やSP(本来は総理大臣を担当するはずの第一係だと緒方は言っていた)で、志穂も不用意に外には出ないよう注意され、仕事に行くにも公安の送り迎えがつくほどだ。もっとも彼女は再来月いっぱいで退社すると既に上司に言ってあるのでそれほど支障はないみたいだ。

後から灯は思う。
この時が自分の人生の中で一番幸せな時期だったんじゃないだろうか、と。

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2008-02-20 If Cambrian explosion happens again(30)

「でも、実はもしかするとって思っていたんです」と志穂は続ける。

「初めて話しかけるまでは。でもずっと話してて、そうじゃなかったらいいなって思うようになって。馬鹿ですね私。はじめから聞いておけばよかったのに。昨夜ああなっちゃったら怖くなってよけいに聞けなくなりました」

そして今朝。
そして灯が彼女を見送った直後にとある国のスパイを名乗る女に、灯が探している人物である事を教えられ、確信に至る。灯に関しての情報を集めるよう協力の要請もされた。もちろんその『要請』が額面どおり受け取れるような穏便なものであるはずもない。
灯は車の中での緒方の話を思い出す。



「申し訳ありません、僕のミスです。たった今彼女を監視させている同僚から連絡がありました。同盟軍の諜報員と思われる不審な女が彼女に接触したそうです」

緒方がSVシステム(総理府が直轄する非公式の全地域監視システム)からの画像を開くと、後姿からでも解る彼女の横を金髪の女性が並んで歩いている。別のウィンドウに映る男たちはどうやらその女の仲間らしく、志穂達に合わせて移動している。
背筋が凍るとか、寒気がするというのを通り越したこんな感覚を味わったのは、灯の今までの記憶にはない。
不意に志穂が立ち止まり、外人の女に何かを叫んで走り出す。仲間の男たちが志穂を取り押さえようと動くが間一髪、男たち全員が逆に待機していた警察官に御用となった。

「正直今の今まで完全に彼女を疑っていました。まさかこれから連中が彼女に接触する可能性までは考えませんでした」

車を走らせながら再び頭を下げる。

「ただ彼女がこれから彼らに協力しないとも限りませんしもしかしたら既に別のところから指示を受けているかもしれません。その可能性も考慮して我々が動く事は了承願います」

慇懃になる緒方からは国を守る仕事をしている人間の気迫みたいなものが感じられ、灯は「わかった」としか言えなかった。



「私、どうすればいいんでしょうか?」と訊ねてくる志穂は、笑いながら泣いていた。
たとえ最悪の答えでも受け入れる覚悟をしなければならない。そんな表情だ。

「あのさ、さっきどうして迷わずうちのキッチンの場所を解ったの? 昨夜は一度も行かなかったのに。うちはキッチンは全部壁で隠せるし外から見ても簡単には解らないんだけど」

不意の質問に、志穂は「だって今朝コーヒー淹れてくれたじゃないですか」と首を傾げると、灯は「あっ!」と思い出したように叫んだあと、大笑いして言った。

「そうだ、ごめん緒方さん。忘れてた」

その声を合図に、ずっと玄関先で待機していた緒方が「ちょっ、高科さん。勘弁してくださいよ」と呆れながら入ってきた。その耳にはかなり旧式の赤外線通信(ブルーなんとかと言うらしい)の盗聴器がはめられている。
事態を飲み込めない志穂に、灯は説明を始めた。
志穂が外人の女と接触する直前のこと。
緒方が唯一見つけた盗聴器は台所に仕掛けられていたのだ。灯が寝てる間にこっそり起きて仕掛けたのではないかと緒方は疑ったのだが、これで志穂への疑いは完全に晴れた。仕掛けることができると解っている場所に仕掛けて己に疑いをむけさせるマヌケなスパイなんているわけがない。
「それにしても高科さん、昨日の今日で随分と愛されちゃってますね」とからかう緒方のわき腹を軽く小突くと「痛ッ。じゃあもう僕は邪魔しないんで」と帰ろうとするので灯はその肩を力強く捕まえる。

「緒方さん。帰るなら盗聴器も一緒に持って帰って」

にこやかな声の灯の目は冷ややかだった。

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2008-02-20 If Cambrian explosion happens again(29)

彼女の手料理、というか外食以外で他人、しかも女の子が作ってくれた料理なんて10年以上も口にしていない。
「私だって男の人に作るのはお父さんと弟と、あと大学時代にホームステイさせてもらってたお家の人以外ないですよ」と鍋の具を几帳面に盛り付けるように小皿にとりわけながら志穂は恥ずかしそうに言った。
「どうぞ。自信はあまりないんですけど、お鍋なら多分失敗はないと思います」と灯に小皿を差し出すと、灯が口をつけるのを待っているかのように座ったまま動かない。湯気でよく見えないけど、きっとその顔は飲み会で灯を待っていた時のようなあの不安そうな顔なんだろう。これはどんな味でも「美味しい」と言うのは男の義務なんだろう、と女心に疎い灯でも解る。
結果、味は合格点を通り越してほぼ満点に近かった。鶏がらスープで煮込んだ具材に大根おろしをかけた鍋で、灯は生まれて初めて見たが彼女の地元では普通によく知られているものらしい。
「大根おろしじゃなくってとろろをかけたりするのもあるんですよ」と彼女が教えてくれたので「じゃあ今度はそれがいいな」と灯がおねだりすると志穂は「はいっ!」と嬉しそうに頷く。

食べ終わると正座を崩した志穂は、野菜くずだけが浮かぶ鍋の中を見つめながらポツリと話し始めた。

「高科さん。さっき私、大学時代にホームステイしてたって言いましたよね」

来た。
灯は確信した。
避けて通れないのは解っていたけれど、できることなら知らないフリをしてこのままずっといられる事を願っていたのに。

「そこのホストファミリーから連絡がありました。お父さん……向こうのですけど、逮捕されたって」

再び向けられた志穂の目には溢れる寸前まで溜まっていた。

「私、向こうのお父さんにはすごくよくしてもらったんです。実の父親は小さい頃に死んじゃったので、私にとっては本当のお父さんみたいな。だから、逮捕されたって聞いたときはすごく驚きました」

再びうつむくと、机の上に雫が落ちる。

「その逮捕には、ある日本人が関係してるって……」

泣いているせいで志穂が言葉を止めたわけではない。灯の言葉を待っているのだ。

「俺だよ、それは」

ヒクッ、と一度だけ志穂がしゃくりあげると、本格的にボロボロと泣き出した。
それからの涙ながらの志穂の話をまとめるとこうなる。
ホストファミリーからの連絡を受けた志穂が知っていたのはその日本人がある国連組織の一員であることと、その国連組織の運営を妨害したせいでハンスが逮捕されたということだけだった。事実はかなり歪曲されていたが、その事に関して灯は弁解も説明もするつもりはない。彼の逮捕に関わった事実は変わらないのだから。
そんな時、偶然飲み会に誘われた彼女ははじめは断るつもりでいたが友人の「なんか研究員とか国連の職員とか、固そうな人ばっからしいけどね。本当に盛り上がるのかなぁ」と誰かに電話しているのを盗み聞きして出席をすることにした。
何がしたかったわけじゃない。
ただ知りたかっただけだ。
そして灯が国連の職員、つまりNCExpの唯一の出席者だった。

「どうして……、どうして高科さんなんですか」

誰に向けてでもない、強いて言うなら残酷な偶然に問いかける志穂の言葉だけが冷たい部屋に響く。

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2008-02-15 If Cambrian explosion happens again(28)

その日の夜、約束の時間。
灯は昨日別れた時と同じ場所で、彼女―志穂を待っていた。
冷え込みは昨日よりも一段と激しく、もしかしたら今夜は雪が降るかもしれない、と誰かが言っていたのを家を出る間際に思い出し、二人が入っても充分なほど大きい傘を持ってきて。
約束の時間よりほんの少し早く来るところも自分の知っている彼女らしい、と慣れない場所に戸惑うように辺りを見回して自分を探す志穂の姿を先に見つけ灯は思った。
昨日とは少し違うものの、やはり大人しめの服と髪型に薄めの化粧の彼女は灯の姿を見つけると飲み会の時を思い出させる子どものような笑顔で灯のもとへ小走りに寄ってくる。
帰りがけ、二人分にしては少し多めの鍋の材料と飲み物を買い込むと、志穂は重いから持とうとする灯の手をするりとかわし、嬉しそうに袋を胸に抱えた。
「盗って逃げたりしないから」と言うと志穂はそうじゃないです、と首を横に振る。

「男の人の家で料理作るの、女だったら誰でも一度は憧れるんですよ」

そう、と灯は手を引っ込めるとあとは二人とも何も言わずに家へと向かった。
古いタイプの生体認証式の玄関を開け、まだ遠慮がちな彼女の背中を促して先に中に入れる。さすがに荷物を抱えながらブーツは脱げないので「すみません、ちょっと持っててください」と袋を灯に渡し、靴を脱いで先に入ると再び袋を受け取ってまっすぐ向かった。

昨夜は一度も使ってなかったはずのキッチンに、迷うことなく。


9時間前。
「あの、今夜高科さんの家にお邪魔してもいいですか?」と言う緒方に今夜は彼女が来るから、とやんわり断ろうとしても彼は引かなかった。
「じゃあ、今すぐにでも、お願いします」とお願いにしてはかなり強い口調で灯もようやく緒方の真意に気づく。
彼女は怪しまれているのだと。
そして40分後、灯の部屋の前にはいくつかの機材を抱えた緒方が既に待っていた。
灯が玄関を開けると「すいませんが調べ終わるまでここにいてください。声も出さないで」と一人で中に入っていった。
再び出てくるまでに要した時間は15分、緒方は一度小さく頷くと外の駐車場に置いてある自分の車を指差した。
車に乗るとようやく緒方は口を開く。

「申し訳ありません、僕のミスです」

昨夜緒方がお持ち帰りをした子は女の子の方の幹事で、酔いつぶれた彼女を介抱しながら植松志穂について聞いてみるとこう言っていたのだ。

「植松さん? て誰? あぁ、あの地味な子? あたしも実は彼女に会ったの初めてなんだよね。だって緒方がいきなり女の子増やせっていうからがんばって手当たり次第声掛けたんだよ。それで、友達の友達の友達とかまで来ちゃって、実は知らない人のほうが多かったり……えへへぇ」

一気に酔いが醒めた緒方は彼女を家まで送ると、すぐに職場に戻り植松志穂を調べた。データ上の経歴は疑う余地がないほど普通だが唯一引っかかったのが志穂の高校時代の留学先だった。彼女がホームステイをしていたのはオーストラリア。
ペンタゴンにいたあのハンスの家だったからだ。

「そこで何があったのかは、本人に直接聞いてみないと解ら……」

緒方の声が急に絞られる。

灯はその時の自分が怒っていたのか泣いていたのか、今でも思い出すことは出来なかった。

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2008-02-08 If Cambrian explosion happens again(27)

まさか起きたらいなくなっているなんてありがちなことはないよな、と目が覚めた瞬間不安になり、すぐ横で眠ったときと同じ姿で寝息を立てる志穂を見て灯はほっとため息をついた。
こんな時、男には将来を考えるタイプと何も考えたくなくなるタイプの二種類がいる。そして明らかに己は前者だと灯は自覚しているし、実際昔付き合っていた相手に「結婚とか言われても重過ぎる」とフラれた事もある。結婚を考えられない相手でもこういうことをできるほうが灯には信じられないが、その価値観を相手に押し付ける気はなかった。ただ、志穂は自分と同じ考えを持つ子なんだろう、そうであってほしいと寝顔を見ながら願った。
起こさないように布団を出ると、灯はカメラを持ってきて一枚写真を撮った。裸を撮るような悪趣味があるのではなく、ただ彼女の安心した寝顔が子どものように見えて、残したいと思ったからだ。
その音で目覚めた彼女は頭まで布団にもぐりこみ、ひたすら文句を言った。「大丈夫、見えてなかったから」となだめてもそれからは服を着ても絶対に写真を撮らせてはくれなかった。
出勤前にちゃんと今夜も会う約束を取り付けつつ彼女を駅まで送り、研究所に着くと一番最初にあったのは結城と伊勢田の二人で、挨拶も「昨日はありがとうございました」のお礼もそこそこに二人は灯を左右から挟んで「で、結果は?」としたり顔を浮かべる。

「まぁ……ね」

年甲斐もなく照れながら頭を掻く灯の脇腹を同時に痛いほど小突かれ、思わず朝飲んだコーヒーが出そうになる。逆に二人にも結果を尋ねると灯のような急展開はなかったが二人ともこれからが期待できそうな状況ではあるらしい。特に40を前にした伊勢田は「これで何とかならなきゃもう一生結婚できなさそうですから」と笑えない冗談を飛ばし灯と結城を黙らせた。
NCExpの部下達にも灯のお持ち帰りの話は既に届いていて、このあと15分くらい質問責めに遭う羽目になることをこのときの灯はまだ知らなかった。


灯自身が激変するのを待っていたかのように、世界もまた変動を始める。
日本時間の午前9時、国連を脱退し共同宣言に新たに加盟するという国が現れだしその数は10カ国を超えたのだ。その中には軍事核衛星など大量殺戮兵器を所有していると公表している国もある。つまり米国を中心とする国連に軍事力での優位性はなくなり軍事面でもフィフティフィフティで、同盟軍はいつでも行動に移せることになる。
とはいえ容易に戦争に陥らないように、双方とも外交ルートでの熾烈な争いを繰り広げている。もちろんそれは表もあれば裏もあるらしく、公安や内調といった諜報機関はピリピリしているとNCExpのダイレクトライン(専用直通回線)を使って緒方が伝えてきた。

「あ、そうそう、聞きましたよ。昨日結局高科さんもあの子と一緒に帰ったそうじゃないですか」

直前までの世界を巻き込んだ戦争の話から緒方からいきなりそんな話に飛んだので「これ使ってそんな会話していいの?」と灯は呆れながらも「まぁおかげさまでね、この年で久しぶりに春が来るとは思わなかったよ」と惚気る。すると緒方は少し黙ったかと思うと急に真面目な声で言い出した。

「あの、今夜高科さんの家にお邪魔してもいいですか?」

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2008-02-06 If Cambrian explosion happens again(26)

飲み屋を出ると、飲み潰れた組、飲み潰れた人を介抱する組、二次会に繰り出す組、帰る組と四組に分かれた。
あれ以来ずっとソフトドリンクしか飲んでいない灯は酔いもすっかり醒めており、それは彼女も同じだったがお互い運がいいのか悪いのか介抱する相手もいなかったので、灯は仕事が気になるので二次会を断り帰る組に合流しようとした時のこと。
聞こえるかどうか解らないほど小さい声で「あの、」と灯の袖口を彼女が掴む。それだけでも彼女にしてみれば僥倖なんだろう、酔いは醒めているはずの顔が再び赤味を帯びる。本人曰く「この前24歳になったばかりなんです」だそうだが、酒を飲める歳にすらなってるのかと疑ってしまう。
しばらく言葉を探すように目線を動かしながら、ようやく意を決したように「あの、二次会行きませんか?」と呼び止めた時よりは少し大きい、それでもやはり消え入りそうな声で誘ってくる。
もしかしてこの歳まで男性経験がないのかも。でもそれならなぜ自分にこんなに慕ってくるのだろうか……と灯は疑問に思っていると二次会組が伊勢田所長の号令で移動を始めた。
慌てて彼女は二次会組と灯を交互に何度も見て、その顔が怯えきった小動物みたいで無碍にするわけにもいかず、灯は「じゃあちょっとだけ顔出すよ」と仕方なさそうに笑った。ちなみにその時緒方は既に潰れた女の子を一人家まで送るところだった。
本当に送るだけだとは灯も含めその場の全員が思っているはずもなかったが。


結局「ちょっとだけ顔を出す」だけで二次会を抜け出したら当然のように志穂もついてきて、結局そのまま当然のように灯の家に彼女を泊める事になり、結局当然のようにこうなってしまった。
緒方たちをどうこう言う資格は自分たちにはない。
「会ったその日に、なんて人生初だよ」と灯自身が信じられない気持ちでいると「私もです」と彼女も同じような顔をする。
「そんなの、わかってるってば」と灯が下のほうを見て笑うと、志穂は軽く胸を小突いて恥ずかしそうに目を逸らす。灯の予想通り、彼女は初めてだったからだ。
「大丈夫?」と聞くと「まだちょっと、でも大丈夫です」と頑張って笑って見せ「それよりすみません、汚しちゃって」と申し訳なさそうに目を伏せる。
それはそれで男としては嬉しい汚れなんだけどな、と思いつつ「気にしないでいいよ」と言うと彼女は安心し、それからゆっくりと呼吸が寝息に変わっていった。
どうして会ったばかりなのに、しかも初めてで志穂はついてきたんだろう。
疑問には思ったが、聞くような野暮はしなかった。
自分だって未だにこの状況が信じられないのだから、彼女だって同じはずだ。
今の世界情勢が自分たちの未来に不安を抱かせ、なるべく早く多く子孫を残すべきだと感じているのだろう。明確な意思ではなく、おそらく生物の本能みたいなものが。
飲み屋で考えた事をリフレインしながら、灯もまた眠りの世界に落ちていく。

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???? らりほさん? / ワニ ( 2008-02-08 01:05 )

2008-02-03 If Cambrian explosion happens again(25)

猫が己の死期を悟れば姿を隠すように、また鯨であれば「墓場」と呼ばれる末期を迎える場所へ向かうように、「終末」を悟ると同じ種族の生物は一様の行動をとるのだろうか。

飲み会が始まってもう2時間近く、酔いもかなり回ってきた灯はトイレに立ち、用を足しながらそんな事を考えていた。
飲み会は学生の時のような盛り上がりはなかったが、こういう場所があまり得意ではない灯も珍しく楽しかったし皆も楽しそうにしていた。それはまるで、最後の日がおとずれる前にできるだけ楽しんでおこうとしているようにも感じられる。

「高科さん、どうですか?」

すぐ隣の便器に用を足しに来たのは緒方だ。さすがに緒方は公安という職業柄なのか酔っ払うことのないように酒とジュースを交互に飲んでいたが、つまらないわけではなさそうだった。

「みんな楽しそうだし良かったよ。ありがとう」

緒方は満足そうに頷くと、含みのある顔を灯の耳に近寄せてきた。もちろん便器から照準は外さずに。

「高科さん、早く戻ってあげてくださいよ。彼女、高科さんがトイレに行っちゃってからずっと誰とも喋らないで待ってるんですから」

あの子、がさっきまでずっと灯の隣にいた植松志穂を指しているのは明白だった。「解ったよ」と言うと、灯は一回身震いしてから用を足し終わり、クリーナーで手を洗い「じゃあ、邪魔しないでくれよ」と真っ最中の緒方の背中に声を掛けた。

「あんな二人の世界築かれたら誰も入れませんって」

そんなふうにしてたかな、と飲み会の一部始終を思い出しながら灯が部屋に戻ると、それまでうつむいて食べるわけでもなく箸で自分の皿の上のモノをいじっていた志穂は顔を上げ、一瞬で雨が上がったかのような明るい笑顔を見せる。
決して人目を引く方ではないし大人しくて目立たないけど、可愛い子だった。
肩より下にかかるくらいの髪を後ろでまとめているせいか、両方の耳の上の2つずつつけたヘアピンが印象的といえば印象的だが、アクセサリーもほとんどなく化粧も他の子たちと比べてかなり薄く服も厚手の淡色のセーターにロングのスカートと随分と地味目だ。
自己紹介の時は灯の席から遠く、伏目がちで声も小さく見た目通りの子だとしか思わなかったし灯も含め多くの男は自分から話しかけようとはしなかった。
そんな彼女が自分から灯のそばに来たのは「すみません、私煙草の煙ダメなんです」という理由で、たしかに3〜4人の喫煙者が彼女がいた場所を取り囲むようにして吸っていた。
申し訳なさそうに灯の隣に座り、そのまま2〜30分はあまり会話もなかったのだが(必ず言葉の最初に「すみません」と言うので灯もなんだか申し訳ない気持ちになった)、灯がこの前買ったカメラの話をすると「私も昔持ってました。お祖父ちゃんにもらって、コレくらいのレンズが二つついたものなんですけど」と食いついてきて、それからずっと話し込んでしまったのだ。
「ごめん、お待たせ」と言うと彼女は大きく首を横に振って「そんな事ないです」と不安そうな顔を見せたので、灯はすぐに元通り彼女の隣に座った。それでようやく安心してくれたのか、彼女もあまり減ってないお酒を少し喉に通す。あまり飲めない方だと自分で言っていたから、雰囲気に流されて少なからず無理しているのかもしれない。

「あまり無理して飲まなくてもいいよ。俺次はジュースにするけど、植松さんは?」

彼女は一気に赤味を取り戻した頬を緩ませて「優しいんですね。じゃあ私も同じのお願いします」と頭を下げる。
向こうでは戻ってきたばかりの緒方が意味深な笑顔を見せていた。

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2008-01-30 If Cambrian explosion happens again(24)

例の件に思い当たる節のなかった灯に「こないだの写真ですよ、くれる代わりに女の子紹介するって」とみなまで言われてようやく思い出す。
「さすがに一枚につき一人は無理だったんですけど」と申し訳なさそうに言う緒方に灯も「それじゃあ全部はあげられないな」と笑いながら冗談で返す。予想通り「そんな、お願いしますよ」と言う緒方はおそらくこの電話の向こうで頭を下げていることだろう。
別に紹介してくれなくても写真は贈呈するにやぶさかでなかったが(というか軍事モノに興味がないので持ってても仕方がない)、紹介してくれるというのに断る理由は男やもめの今の自分にはない。
緒方の話では飲み会を開いてそこで紹介してくれるそうで緒方の言葉を借りれば「古い言葉で言う合コン」だそうだ。灯よりけっこう年下のクセにどうしてそんな言葉を知っているのか謎だったが、とりあえず女の子は集めたので同じ数だけの男を灯に集めて欲しいということだ。

「俺が? 男なら公安の方で簡単に集められるでしょ?」

驚いた灯に緒方は一つ大きなため息をつく。

「緒方さんが女の子だとして、飲み会で男たちがほぼ全員公安調査庁の人間だったら楽しめます?」

考えるまでもなく「あ、それは無理」と即答だ。同性だとしても公安の人間ばかりの中に混じるのなんて勘弁して欲しい。

「じゃあ後で研究所に顔出した時に誰か捕まえてみるよ」と電話を切る。
そのまま二度寝しようかと思ったが目が冴えてしまい、仕方なく灯は起き上がりネットニュースを開き、熱いコーヒーを一杯飲んだ。
大まかな世界情勢は寝る前と変わっていない。
共同宣言が出されて以降、経済的に不安定になる国が多く株が大幅に下がり債券が上昇、いくつかのマーケットでサーキットブレーカーが発動する事態が続いたが昨日は全ての市場で正常に取引を終えたそうだ。
また共同宣言の国々が一方的にFTA(自由貿易協定)などを解除すると通告してきて貿易に関し主導権を握るつもりだったが、国連との交渉によりその話は一時凍結が決定したらしい。
このぶんなら今日は研究所に顔を出しても誰かに捕まって足止めを喰らう羽目にはならなさそうだ、と灯はほっとした。
それは大きな間違いだったが。


「高科さん、飲み会俺も参加していいっすか!?」とノックもなくNCExpの扉を開けて来た彼は、思わず「あっ!」と声を漏らした。灯の机の前には研究所長の伊勢田がいたからだ。
伊勢田はじろっと彼を睨みつけ「仕事中だぞ結城」とドスを利かせたが「伊勢田さんも参加でいいですね」と灯が言うやいなや「あ、お願いします」と立場がなさそうに頭を掻くと、部下の結城を連れて部屋を後にした。
「もう11人かよ……」と灯はぼやくと、参加者のメモに結城の名前を入れる。
最初は自分の部下と、研究所の人間を一人か二人誘えればいいやぐらいの気持ちで適当に声を掛けてみたらどんな高速ネットワークで伝わったのか研究所の男どもがさっきからひっきりなしに灯のところにやって来ては参加を表明するのでもう二桁になってしまった。緒方と自分を入れたら13人、女の子も含めればちょっとしたイベントの宴会並の人数だ。仕方なく独身彼女ナシの男に絞ってコレだから、よほど研究者ってのは出会いが無いらしい。
「みんな飢えてますよね」と灯の部下の一人が言う。そういう彼も参加したいと言ってきたが婚約中の彼女もちという(羨ましい)身分なので断った。

「ほんと、こんな世界情勢でもみんな平和だよな」

灯の言葉に、彼は笑顔を崩さず「違いますよ」と真面目な声で返した。

「こんな時だから、なんですよきっと」

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2008-01-22 If Cambrian explosion happens again(23)

安藤の顔は明らかに「誰から聞いた?」と問い詰めたいのを我慢している顔だ。
首相から聞いた後、灯も自分で調べてみたがこのことはNCExpの記録文書には残っていなかった。当然のことながら、直接の組織にそんな物を残すバカはいない。
だが証拠は灯の思いもよらないところから出てきた。
ペンタゴンが研究所の地球シミュレータにトロイの木馬を仕掛けた端末の一つから侵入経路を辿っている際、経由されてきたのが防衛省という事が解り(米軍と防衛省は安全保障上の観点から相互接続できるようになっているらしい)、緒方たち公安が強制的に全てのデータを抜き出し洗っていたところ、仮称だった頃のNCExp設立計画やらシェルターに関する見積と発注(最低見積り額を出したところの三倍以上の価格を提示した会社が採用されていて、案の定安藤の選挙区の地元企業)やら非公式なものが次々発見された。
防衛省は未だ侵入されてデータを取られた事にすら気づいてないらしいがそれだけ公安の技術がすごいのか、それとも防衛省の危機管理が甘いのかは灯にも解らない。
だが、そんな事をしつこく責めている時間は灯にも日本にも人間たちにもない。

「とにかく、スノーボールアースが起これば人類は死滅かあるいはそれに近い状況になります。国連としてはそんな事態を避けるべく、各国に要請を出しています」

軍事衛星による状況の進展に注意しつつ(中国や半島の多目的軍事衛星に少し動きがあっただけだった)、灯は一通りの説明を終えた。安藤はあれ以来、一度も口を開かず閣議を終えると早々と退席する。それを待っていたかのように首相は灯に右手を差し出し握手を求めた。

「君なら全部言ってくれると思っていた。汚い政治の世界から見ると君みたいな純粋な若者は羨ましいよ」

ちらっと首相の視線が移動し、それにつられて灯も視線を向けると安藤が座っていた椅子がその先にある。

「明日各媒体で、彼の今までの汚職が全て伝えられる事になっている。いつの時代も国防関連の人間の汚職はなくならないな。まぁこんな情勢なので大きく取り上げられることはないし野党からの追及も厳しくはないだろうが、辞任は免れない」

灯は「俺はまた利用されましたね」と口の端を上げ、握手に応じた。

「利用されるって事は、君には価値があるってことだ」

きっと、これが本当の清濁併せ呑む政治家の姿なんだろうと灯は思った。
とても自分は真似できないが、彼に利用されるなら構わないという気にさせてくれる。


首相の言ったとおり安藤は翌日ニュースが出回った直後に辞任を表明し、野党も世界情勢が緊迫している中一人の大臣の辞任で長々と責任論争を続けられないと踏んだのか、証人喚問も実施されないままこの件は全て終わった。

そして世界は緩やかにも急激にも変動する。

それは灯自身も言えることだ。
一本の電話がきっかけだった。
その日は休みだった灯にとっては早朝とも言える午前11時、安らかな眠りを妨げられ不機嫌そうに出た灯の声に気づくこともなく元気な緒方の声が頭に響く。

「お疲れ様です高科さん例の件ですけど、明後日の夜時間ありますか?」

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2008-01-21 If Cambrian explosion happens again(22)

首相以外、全ての大臣は灯を値踏みするように見ている。
しかしその顔は次代を憂うゆえのものもあれば明らかに己の利となるか害を為すかを見極めようとしているものもある。
後者の顔をした一人がまず始めに口を開いた。例の防衛大臣の安藤だ、と小さく首相が耳打ちしてくれる。

「確認するが今回の要請は国連のNCExpの正規のものだな?」

何を今更、と危うく灯は呆れた表情を出しかけた。

「総理の話では、君が各国に確認をとる前に先走ったように受け取れるが」

もしこの派遣が失敗、つまり同盟軍を止められなかった場合、その責任は自分たちではなく灯にあると言いたいのだろうと思った。
だが、本音は違った。

「そもそもスノーボールアースなんてものは本当に起こるのか?」

彼はまだ、スノーボールアースやそれに順ずる氷期、亜氷期が訪れる可能性がある事を信じてはいない。
それは安藤防衛相だけではなかった。首相を除く、ほとんどの大臣がその事に関しての説明を求めている。

「我々と研究所が出した結論によれば、地磁気の反転や全ての要素が複合する事によって……」

説明を始めようとした灯を安藤が遮る。

「起こるのかどうかを聞いている。余計な事は言わなくていい」

ぐっと詰まった灯はカチンと来た頭を冷やす為に大きく息を吸い、吐く。危うく怒鳴りそうになった喉を、唾を飲み込んで落ち着ける。

「完全なスノーボールアースになるかは解りませんがそれに近い事は起こる可能性があります」

「可能性だけで、日本の自衛隊を動かしたのか?」と灯の言葉尻を捉え優位に立てたと思ったのか、安藤は真面目ぶった顔の裏側で笑みをこぼしたのが灯にも解った。
政界は魑魅魍魎の住処、とははるか昔から言われているがその通り。責任のとらせ方一つについても婉曲で狡猾だ。

「未然に防ぐのも危機管理の一つでしょう。それとも自衛隊がスノーボールアースを止める手伝いをすると何かまずいことでも? そういえば日本のNCExpの設立は安藤大臣も提唱したグループの一員だったそうですね。もちろん非公開の旧NCExpの方ですが」

安藤の眉毛がわずかに動くのを灯は見逃さない。

「それと当時防衛次官だったあなたは自衛隊各駐屯地に極秘にシェルターを埋設する事を指示したそうですね」

「国民の平和と安全を守る為に必要なものを作るのも我々の仕事だか……」と言い訳をする安藤を今度は灯が遮る。

「それならなぜ極秘に、しかも国民の総人口には全然足りない72基のシェルターしか作らなかったんですか。そもそもNCExpが何のために設立されたか、ここにおられる誰もが知っているはずです。この二つが何を意味するか、日本国民の皆さんにも考えてもらいましょうか?」

スノーボールアースを起こせといったり止めろといったり、方針が逆転した事については仕事だし灯も文句はないし言える立場でもない。
だがそれは人間にとってより良い未来の為であり、増えすぎた人口を間引きしつつ自分たちだけが生き延びたいだけなら許すことはできない。
灯の視線の端で、首相は目を閉じたまま話を聞いている。
実はこの話は前の非公式会談の際に首相から聞いていたもので、先ほどの「例の」はそういう意味だ。それを今全て言ってしまっていいものかどうか灯は少し気になったが、首相が何も言わないのだから構わないのだろう。

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