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If -another world-

There are not the people who do not think about a "if".



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※この文章は全てフィクションです

目次 (総目次)   [最新の10件を表示]   表紙

2007-10-18 If Cambrian explosion happens again(6)
2007-10-16 If Cambrian explosion happens again(5)
2007-10-15 If Cambrian explosion happens again(4)
2007-10-10 If Cambrian explosion happens again(3)
2007-10-09 If Cambrian explosion happens again(2)
2007-10-01 If Cambrian explosion happens again(1)
2007-09-21 If Ada lives for a long time for ten years more...(3)
2007-09-14 If Ada lives for a long time for ten years more...(2)
2007-09-14 If Ada lives for a long time for ten years more...(1)


2007-10-18 If Cambrian explosion happens again(6)

500年ほど前に横浜の海洋研究開発機構で運用を開始した地球シミュレータ。開発当時は世界最速のスーパーコンピュータとして注目も集めたらしい。
ペタフロップスが常識の今からすれば化石ともいえる代物だが、何度もバージョンアップや再開発を重ねシミュレーション可能な年数は開発当時の10倍を超える、現在でも地球環境の分野に限って言えばトップクラスの性能を誇る。ただ現在は違うアーキテクチャのものが横浜に設置されたため、現在ではここ、つくばの国立環境研究所で稼動し続けているのだ。

到着した灯たちがスタッフとの挨拶もそこそこにまず見せられたのは、今回の地磁気の減少に伴った世界中の異変と、それをパラメータに組み込んだシミュレーションの結果だ。

「どう思いますか?」とそこの研究員が灯に意見を求める。だが、今までスノーボールアースは起きないと信じ続けていたのに意見など言えるはずもなかった。

「信じたくないとしか言えないね」

灯の言葉を予想していたかのように研究員は頷くと、今度は別のシミュレーションを目の前で示して見せた。

「これが全球凍結……スノーボールアースが起きた場合のものです」

凍りついた地球は稀に起こる火山の爆発や地震で氷の一部が砕ける以外、1000年経っても大した変化は見られなかった。ここまでくると地球を一度ほぼリセットして新しく生命体の体系ができる、新たなカンブリア爆発が起きてもおかしくはなさそうだ。

「シミュレーションでは今の地磁気のままであれば凍結の可能性は低いと推測していますが、地磁気の反転なんて実測した事ないですからね。何が起こるか。そもそもこの結果だって想定してたわけでもないのに半月ほど前にいきなり出てきたんですから」

あまりにもスケールが大きすぎて彼も笑うしかないようだ。もちろん灯だって同じだが、NCExpなどという数億年単位のおそらく史上最長のプロジェクトに関わっていた分だけ免疫はあるのかもしれない。とりあえず今できるのは現状では一番の問題事項の把握と、それを解決する期限を知ることだ。
まず訊くべきなのは期限のほうだろう。

「地磁気が完全に反転するのはいつか計算してますか?」

長くて30年、短ければ3年。
出された答えには随分と開きがあるように思うが46億年もある地球史の中ではそれほどの違いはない。ただ、また地磁気が回復する見込みはなさそうだというのは誰もが同じ意見だ。

地磁気に関しては人間の力でどうにかできる問題ではない。
では次は一番の問題事項の把握だ。

「極地の氷床が年々大きくなっています……ってのは高科さんの方がご存知ですよね」

えぇ、身を以って、と灯は苦い顔をした。一ヶ月も日本で過ごした灯にはあの寒さは思い出すだけで気分が底まで落ちる。たまに帰ってきてたとはいっても8年も過ごした自分を表彰してやりたくなる。

「温室効果ガスの排出量は22世紀とあまり変わっていませんが、地球に影響を与えるほどの大きいものではないですね。海水中の金属イオン濃度は年々上がってますし、一番期待できる火山活動も影響が与えるほどのものは……」

「無理矢理どっかの火山を噴火させるってできないかな?」

と冗談交じりに言ってみたが

「不可能ではないかも知れませんが周囲にどれだけ被害が出ると思いますか? 噴煙で太陽光だってさえぎられるんですよ」と真面目な顔で返されてしまった。たしかに火山のエネルギーは膨大だが制御ができないのであればそれは両刃の剣だ。

お手上げ、かなぁ。
3次元ディスプレイが映し出す凍りついた地球に向かって灯は呟く。

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2007-10-16 If Cambrian explosion happens again(5)

灯が耳を疑っている間にも、緒方は続ける。

「ここのとこ地磁気が急速に弱まっていて、永年変化の域を超えています。このままいけば地磁気の反転ももうすぐでしょう」

地磁気の反転。以前灯も海洋地質学の講義を受けた時に聞いた事がある。堆積物の様子からそれは証明されていると。
でも、それがスノーボールアースと直接関係はあるのか。

「今はまだ直接的な因果関係は証明できません。でも、地磁気の減少に伴ってスノーボールアースの発生の仮説と同じ現象が起きています。上の方はまだ半信半疑ですが、僕は何かしらの関連性はあると思いますし、他の研究チームでも同じ結論が出ました。地球シミュレータでも地磁気の反転を考慮すれば可能性を否定は出来なくなっています」

緒方が黙る。灯も何も言えない。沈黙が続く中、どこかで刑務官が怒声をあげているのだろう、廊下の向こうから意味不明な言葉が聞こえる。

「じゃあ」とその沈黙を破ったのは灯からだった。さっきと全く同じ文言で訊ねる。

「あんたらはこれから俺たちをどうするつもりだ?」

緒方は言いづらい事を訊かれたという表情だ。もちろん答えは解った上で訊いている。

「スノーボールアースが起きれば地上の生物の大半が死滅します。もちろん人間も生きていける環境じゃない。地下シェルターで生き延びるにしてもスノーボールアースが終わると想定されているのは早くて数百年後ですから、それも無理です。なら、」

「スノーボールアースが起こらないようにしろ、と」

「頼める義理じゃないってのはよく解ってます。でも起こってからじゃ遅いんです。映画のような話ですけど、高科さんたちを含むNCExpに人類の未来がかかってるんです」

「もう今年で33歳だけど」と灯は笑い「真剣にそんな大層な事言われた事なんかないし言われるとも思ってなかったよ」とまだ整理のついてない頭を軽くコンコンと壁に当てる。
「僕も今年30ですけど、真剣にこんなセリフ言ったの初めてです」と緒方も笑う。

緒方が立ち上がり一礼すると部屋を出る。鍵がかけられた音がせず、看守も小窓から覗いたっきり行ってしまったので、もう自分は拘束された被疑者ではなく一般人なのだろう。人類の未来を背負っている(かもしれない)という肩書き付きの。
ほどなく係りの者が来て荷物を渡され、別室に連れて行かれる。そこには拘束された仲間が集まっていて、無表情になった緒方が上司の氷室と共に就職の面接官のように長テーブルの向こうに座っていた。二人の説明ではこれからの仕事は寒冷化の進行を調査し可能な限り止めることになる。ここで辞めても生活は保障されるが、今後の行動をかなり制限をされ今回の件も口外しないと誓わされるそうだ。拘束について謝罪は一言も無く「解放してやる」みたいな物言いはいかにも公安らしい。
8名中、残ったのは灯を含む3名。他の人間は既に結婚し家族がおり長い間離れていたし共に過ごしたい、という意見だった。

「家族……か」

つくばにある国立環境研究所に向かうバスの中、灯は呟いた。
その言葉を聞き逃さなかった、同じメンバーの一人の男が恐る恐る訊いてきた。

「高科さんは来てよかったんですか? 家族とか彼女さんとかは? 僕はとっくに両親も死んでるし兄弟もいなかったですから」

彼は彼で大変な人生を歩んできたのだろう。が、それは灯も同じだった。

「俺も里親はいるけど血の繋がった人間はいないし彼女も大学卒業以来仕事が忙しくて作る暇も無かったし。義理の家族は仕送りはしてるけど何年も会ってないよ」

そうですか、と彼はもう訊いてこなかった。

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2007-10-15 If Cambrian explosion happens again(4)

高科灯が拘束されて一ヶ月。

想像していたよりも広くてそれなりに過ごしやすい独房で、今日の取調べが終わってシャワーも浴びた灯は部屋の一番隅に座って壁にもたれながら考えていた。
この一ヶ月で、正確には初めの一週間で答えられる事については全て答えたつもりだ。そもそも反乱計画とは言っても具体的に何かを準備していたわけではない。公安の連中も最初は「君達には相応の処分が下るはずだ」と息巻いていたが、一向に処分の内容が伝えられる事も無く、もはや決めるつもりがないとしか思えない。隠している事は少なくとも自分が思いつく限りではないのだから、このままにされているのは他に何か理由があるはず。
格子のついた窓から見える空に太陽がかろうじて見える。さっきまで光が当たっていた部分の畳に足を伸ばしてみると驚くほど熱いので、外の気温を忘れそうになる。

「随分疲れてますね」

と扉の方から不意に声がし、灯は身を跳ねさせた。
小さな窓から覗く顔は緒方だった。

「おかげさまで」

こんな嫌味なんてなんとも思わないだろうと思っていたが、緒方は「本当に申し訳ありません」と深々と頭を下げた。

「お話しなければならない事があります」

扉の鍵を開け入ってくる。

「こちらの聞きたい事は話してくれるんだろうな」

睨み続ける灯の前に来ると、緒方は正座をした。

「聞きたくない事までお話しする事になると思います。まず、あなたの聞いている通りNCExpは増えすぎた人口を調整する……口減らしです」

当然のごとく、まずは灯を拘束(権限がない為逮捕ではなく建前上は拘束としているらしい)するに至った経緯から説明した。

「あなたたちがスノーボールアースは起こらないという結論に達するのは、実はあなたが配属される前から解っていました。NCExpは表向きは極秘組織でしたが、ここ2〜3年でもはや誰もが知る組織となってしまいました。なぜだか解りますか?」

そんな事を聞かれても長らく日本を離れていて帰ってきてもとんぼ返りだった灯にそんな国内事情など知る由もない。

「政府がマスコミにリークしていたからです。地球規模の寒冷化はご存知の通り全世界にエネルギー危機や人口の大幅減少を引き起こした。それはもちろん過去に温暖化による危機を声高に叫んだ大国の首脳達の責任ですが、今はもう彼らもいない。だが危機的状況は今も続いているし、誰かがその状況に責任をとらなければ事態の収拾ができない。そこでサミットでNCExpに責任を取らせる事が決まりました。もちろん議事録にすら記載されていませんが」

「なんだそりゃ」と灯は呆れた。

「で、責任てのはどうとらせるつもりなんだよ。公開処刑でもするのか?」

やけっぱちになった灯に、緒方はもっと深刻そうに首を横に振った。

「そんな事をさせないために、私が先導してあなたたちを拘束させてもらいました。言い訳になるかもしれませんが、ここにいれば少なくとも命だけは守られる。まあ自由はありませんが、あそこにいるのと比べたらあまり変わりないでしょうしね」

たしかに南極の生活と今を比べてもあまり大差ないように思える。むしろ個室が広くなったぶんだけ快適かもしれない。

「じゃああんたらはこれから俺たちをどうするつもりだ?」

窓を見やると、いつの間にか太陽は見えなくなって、陽があたっていた場所もさっきより遠くなって足が届かなくなっていた。そんな灯から目をそらさず、緒方は灯を驚かすことを口にした。

「最近解った事なんですが、スノーボールアースは起こります。遅くとも数十年以内に……早ければ数年で」

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2007-10-10 If Cambrian explosion happens again(3)

三日後。


灯が久しぶりに日本の地を踏んだ感慨をかみ締める間もなく、連れてこられたのは公安調査局。
作業服のまま捕らえられたのは灯以外に8人。皆出身も国籍も担当部署もばらばらで、共通点はNCExpのメンバーの一定以上の職の人間という事だけだった。
取調室のようなところに入れられてすぐ、灯は叫んだ。

「公安がなんで俺たちを捕まえる!? 俺とあと1人以外はみんな外国籍だ! そんな人間を、しかも南極で逮捕なんてお前ら南極条約も知らないのか? そもそも公安に逮捕権は認められてないはずだ!」

唾を飛ばすほどの勢いで噛み付く灯を押さえ、無理矢理椅子に座らせたのはあの捕らえられ薄れていく意識の中で見たあの男だった。今なら誰だかはっきりと解る。

「な……んで? 緒方さん?」

NCExpの灯の他の唯一の日本人であり、逮捕される30分ほど前まで共に仕事をしていた仲間が、いつもとは違う出で立ちで少しも表情を変えることなく立っていた。
あの南極の気象のように嵐が吹き荒れつつ真っ白になる頭を整理する間もなく、初老の男が一人、取調室に入ってきて灯の顔を眺めた。

「君が高科君か。突然だがテロ行為の疑いにより君達を破防法の適用により拘束させてもらった」

「あんたは?」

「公安調査庁の氷室だ。……緒方君の直接の上司でもある」

目も合わせず緒方を睨み続ける灯の聞きたい事を先読みして氷室は答えた。が、一瞬言葉が詰まったことから察するに緒方と言う名前も本名かどうか怪しい。

「何で公安が俺たちを? しかも他の人たちは……」

「彼らの国籍は拘束した時点で既に日本に移管されている」

そんなマネを本人の同意もなしに行われた、ということは以前からかなり準備されていた話だとわかる。国際司法の場にすら立たせること無く日本国内の問題として処理するつもりなのかもしれない。
話の裏の裏まで読もうと灯は頭を巡らせる。が、思考が状況に追いついていないのは彼自身が一番よく解っていた。

「とにかくNCExpに造反しようとした君たちは古い言葉で言えば国家反逆罪だ。しばらくの間はこのまま取調べを受けてもらう」

「カンブリア爆発もスノーボールアースも起こらない!」

立ち去ろうとする長官の背中に灯は怒鳴りつけた。

「ミランコビッチサイクルによる計算でも地球シミュレータの結果でも本当の氷河期が来るのはまだ何万年も先だ。どんなに寒冷化を進めても結局今の段階が限界なんだ! そもそもヒトが進化の最終地点だなんてただの傲慢だ! たとえカンブリア爆発が起こったとしても淘汰されるかも知れないほど弱い存在と言う可能性だってある」

少しも振り返らず、氷室は信じられない事を答えた。

「そんな事は解りきっている」

えっ、と声を漏らすことも灯にはできなかった。

「ヒトは増えすぎたからな。ここらでもう一度ちょうどいい数にまで調節するべきだろう。まぁ一時期は少し少なすぎるように思えるかもしれんが、そのうちまた増える」

「じゃぁNCExpは……単なる口減らしってことか!? どっちがテロ行為だ! 俺たちに人殺しさせて……」

氷室が出て行った後の取調室で、灯はずっと怒鳴り続けた。

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2007-10-09 If Cambrian explosion happens again(2)

ホモ・サピエンス(ヒト)は既に進化の最終形態であり、これ以上進化する余地はない。
よってこのままでは数千年の間に絶滅し新たな種が地球を支配するだろう。
この状況を打開する為には、新たなる進化のきっかけが必要である。
それこそカンブリア爆発のレベルで急激に、しかも大きな変容が。


今でこそ冗談としか思えない、もちろん当時もほとんどの学識者から相手にされなかった20世紀のある一つの論文。
そんなものを半ば妄信的ともいえるほどに信じてしまったある国の首相がこの計画、つまりNCExpを発案し、洗脳されるように各国が賛同した。


計画の概要はこうだ。

カンブリア爆発よりも前に、スノーボールアースと呼ばれる時期があった。
全球凍結、つまりは地球全土が氷に包まれた状態のことで、46億年の地球の歴史の中で数回あった事が確認されている。
そのスノーボールアースを人為的に起こし、連鎖的にカンブリア爆発に繋げる。
温室効果ガスの削減もその流れの一つである。


スノーボールアース自体がカンブリア爆発の直接的な原因ではないと唱える学者も多数存在したが、他に原因を見つけられなかった当時の人間たちはがけっぷちに立たされたような勢いでこの計画を進めたのだった。

結果論だがそんな論文が出され、そんな事はありえないと解らない時点でヒトは進化の終着点でもなんでもない証明のように思えるのだが、その計画のために彼―高科灯―はこんな場所に来る事になった。


そこで灯は上と現場の温度差と、現実を知った。

スノーボールアースにまで至るほどの寒冷化は起こせないこと。
スノーボールアースを起こしてもカンブリア爆発に至る確証はないこと。
カンブリア爆発がおきてもヒトが劇的に進化する確証はないこと。
ヒトが進化の最終地点である絶滅には至らないということ。

そして現在NCExpは、計画そのものを阻止し破棄させようとしていること。

もちろんこのことはまだどこにも発表もしていない。
そもそもこの計画そのものが最重要機密である以上下手に発表しても自分たちが不利になるだけだし、上に直接言ってもここまで計画を進めてしまった以上引くに引けないという思惑もある。
なのでまずは現在の寒冷化を食い止める方策を打ち出し、タイミングを見て全世界に発表する……はずだった。

「そのまま動くな!」

映画でしか聞かないようなセリフとともに、同じく映画でしか見た事のない武装集団が灯の部屋の扉を蹴り開けてなだれ込んできた。
起き上がる間もなくそのままベッドの上で押さえつけられた灯は拘束され、ひんやりとした硬いものがいくつも頭や背中に痛いほど押し付けられる。

「高科灯は確保。他はどうだ?」

聞いた事のある声が、無線を使って誰かに報告する。
顔だけでも見てやろうとするが後頭部を押さえられ、しかも銃まで突きつけられては首を動かす事もできない。
だんだんと意識が薄れていく。口に布が当てられている事に気づいた灯は「本当に人間ってこんなもので眠っちゃうんだな。映画みたいだ」とまるで他人事みたいに考えた。

「了解。全員連行する」

その声が誰かを思い出した瞬間、彼の意識は途切れた。

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2007-10-01 If Cambrian explosion happens again(1)

カンブリア爆発(Cambrian explosion)

古生代カンブリア紀、およそ5億4200万年前から5億3000万年前の間に突如として
今日見られる動物の「門(生物の体制)」が出そろった現象であるとされる。
カンブリア大爆発と呼ばれる事もある。



A.D 2008

米国が京都議定書を正式に批准すると発表。
数値目標は他の国を大幅に超える14%とし、国策としてバイオエタノールや水素のインフラを10年以内にガソリンと同等以上のレベルまで引き上げる事を明示。
これに追随するようにユーロ圏でも数値目標の引き上げを行った結果、世界の温室効果ガス排出量は議定書発効時の85%にまで削減される事になる。


A.D 2015

世界でのSS(ガソリンスタンド)において、三年以内の水素供給及び電源供給が義務付けられる。またトヨタ自動車を中心とした各国の自動車メーカーは省エネ基準を達していないガソリン車の販売を禁止。
石油及び天然ガス採取は三年後までに半分以下にする事もその年のサミットで採択され、オイルマネーに不安感が広がり一時的に世界の株価が急落。
その後石油をはじめとする電力、ガスなどエネルギー会社が相次いで合併を発表。


A.D. 2017

目標より一年ほど早く米国が数値目標を達成。
全世界での所持率はいまだ30%を下回るものの水素及びバイオエタノール対応の新車販売台数がガソリン車を上回る。
環境保護団体が世界中でテロまがいのデモを繰り返す。


A.D 2044

鉄鋼など一部の製造業を除き全世界での化石燃料使用量が大幅に制限される。
OPECで生産量も毎月日量5万バレルずつ減らしていく事に合意。
北極の氷の融解が前年度を初めて下回る。
南極が今までの最低気温の記録を更新し氷点下100度を下回る。


……そして西暦2468年。

調査を終え、シャワーを浴びて自室に戻った灯(あかり)はベッドに倒れこんだ。
外の風が壁を揺らし軋ませ音を立てる。
この壁一枚隔てた向こう側には、今の自分の服装ではおそらく5分と生きていられない世界があるのだと思うと、自分たちを守ってくれているこの建物がものすごく心もとなくなってしまう。
彼がこのプロジェクト ―通称NCExp― を担当する事になってもう8年。それはこの南極の観測所に彼が初めて来たのと同じ時間だ。

京都議定書、なんて言葉をもう全世界で彼を含む何人が知っているだろう。
当時は環境問題を取り扱う事が世界中で流行し、北極の氷が溶け出し白熊が取り残されるなんて映画まであったそうだが今……世界の平均気温が当時より20度も下がった現在となってはもう笑い話にしかならない。
それまで人間が過ごしてきた間氷期、いわゆる氷河期と氷河期の間はもう当時から緩やかだが着実に終焉を迎えていたのだ。
それなのに人間は温室効果ガスを削減する事に躍起になった。

そのツケがこの氷河期の到来。……とほとんどの人間が教科書にあるとおりに思っていたし、彼も8年前まではそんな人間だった。

このNCExp −正式名称:Neo Cambrian Explosion―に携わるまでは。

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2007-09-21 If Ada lives for a long time for ten years more...(3)

一年半後。

医者も首を傾げるほどの勢いで完治し、退院した私が最初にしたのは主人との別居だった。彼と彼の母親が持ちかけてきた話だったが、言われなくても私から切り出すつもりでいたので結婚する以上に簡単に事は進んだ。
ただそれを自分からバベッジに話す事はなく、彼も知ってはいたはずだけどそれを私に言う事はなかった。

生活が落ち着くのも待てずに、私は彼の研究室に通うようになる。
表立って解析機関の研究をする事はできなくなったけど「せめて理論だけでも残していつの日か誰かがあなたの考えを証明してくれれば」と言う私に彼は「私たちの考え、だな」と微笑んだ。

まず、私が治る前に完成させていた試作機を最初から考え直す事から始まった。
とはいえ工学に関する知識はまるでなかった私は、計算に関するモデルを構築するのが主な仕事で、彼はそのモデルを的確に動かすだけの設計理論を組み上げていく。
解析機関を動かす手順としては以下のようになる。
入出力用のパンチカードを読み込み、機械内部に格納する。格納された数値はミルと呼ぶ演算装置に受け渡され、バレルと呼ぶドラムに釘を刺し込んで指定した計算方式に従って計算されプリンタに出力する。
考えとしてはこれ以上ないほどシンプルだけど、そのために機械に指示を出すのは想像以上に難しかった。何しろ机の上で書いたものがあってても間違ってても、動かしてみるまで解らなかったりするからだ。
それからは文字通り毎日計算表を書き続けた。
機械には最初から難しい命令はできない。ならば簡単な計算を連ねて答えに辿り着くしかない。
四則演算と平方根、対数指数の関数表を作れるだけの演算表を書いた後、私たちはこの言語を標準化する仕事に取り掛かった。
他のどこで解析機関が作られたとしても全く同じ動作ができるように。

また彼は解析機関が暗号解読に使えると訴え、新たに資金を提供してくれる人を探し出した。
そして1862年、階差機関を格子状に繋いだ大掛かりな解析機関の製作に取り掛かろうとした矢先。


私はまた病に倒れた。


病室でも私はミルの手続きに関する言語をまとめていた。彼はまたすぐに治って一緒に仕事ができると笑っていたし、私もそうありたいと願っていたが頭のどこかでは感じていた。
もう無理だと。
日に日にやつれ、前以上に細くなった私を見て彼もその事は察していたはずなのに、彼は私以上に治る事を願ってくれた。
それだけで、もう充分だった。

今際の際、人は過去を振り返るという。
私もやはりそうなのだろうか。だとしたら最後に思い浮かべるのは……

「大丈夫、大丈夫だから」
彼の大きな手が頬を撫で、不思議なほど落ち着いた気分になる。そして私は初めて彼に私の事を話した。
両親が離婚していたこと、
私の父親は詩人のバイロンであること、
私が死んだら、父の隣りに葬って欲しいこと。
一度も会ったこともなく、顔すらも知らないけど、私は父を求めていたこと。
あなたと一緒にいられて幸せだったこと。

彼は笑顔で「解った」と言った。
その顔はなぜか、見た事も無い父の顔と重なった。

私が死んで9年後、彼も死ぬまでの間に彼は解析機関を完成させ、標準化した言語を発表した。
その言語は形やプラットフォームを変え、飛行機などの制御系のプログラミング言語として100年以上後にも使われ続けている。
彼がつけてくれた、私と同じ名のプログラミング言語で。

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2007-09-14 If Ada lives for a long time for ten years more...(2)

ガンだと知ったのは私が35歳の時。
あの日もいつものように大酒を飲んでギャンブルで大負けし、情けない話だけど主人には言えずバベッジにまたお金を借りてしまった。もう何回目になるだろう。
それでも彼はいつもと変わらない―あの解析機関について話をしてくれた時と同じ―笑顔で私を迎えてくれた。自分だって暮らしが楽ではなかったはずなのに。
彼が私に怒った顔を見せたのは二回だけ。
一度目は同じようにお金を借りてしまったあとで「私なんて何の価値もないけど、もし良かったら好きにしていいわよ」と彼の前で服を脱ごうとした時だった。このときほど自分が酔って記憶を失くすタイプではないのを恨んだ事はない。
翌朝目が覚めてからずっと私は泣いていた。それが自己嫌悪からなのか、彼が少しでも私に手を出そうとしてくれなかったからなのか、今となってはもう自分でも解らない。

いいかげん泣きつかれて起きようとしたその瞬間、文字通り天地が逆転した感覚に襲われた。自分でも危ないと思う倒れ方をし、頭とか首とかいろいろとぶつけたような気がしたけど痛いと思ったのはお腹だけだった。
それから慌てた主人が来て、大声で使用人を呼んだところから私の記憶は無くなって、次に目が覚めた時は病院のベッドの上で治療を受けていた。
縛られているわけでもないのに体が動かない。
全力で目だけ動かすと、お腹や腕にいっぱい傷をつけられ恐ろしいほどの血を抜かれていた。瀉血、という治療法だと医者は説明した。

それからしばらく私は入院することになる。
爵位を持っている主人のおかげで病院での生活もそれほど不自由ではなかったけど、お腹を中心に体全体が蝕まれるような疼痛に、いっそ狂うか死んでしまったら楽になれるのに、と思うほど心が削られていった。

本当のところ、このまま病院を出る事はないと覚悟をしていた。
それでも一目でも、あと一回でいいから彼に会って話したい。その思いだけで何とか生きていられたんだろう。もちろん入院している限りそんな願いは叶わないのは解っている。
そのあとの私は鬱になったり暴れたりを繰り返した。
満足に食事もできなくなり痩せる、ではなくみすぼらしいほどやつれた自分の身体に鏡を見るのもイヤになり、痛くてたまらないのに医者からもらっているはずの痛み止めがいつの間にか無くなっていたりして喚き散らした。(後で知ったが主人の母が薬をこっそり盗んでいた)

入院してどれくらいが過ぎただろう。時間とか日付とか、もうそんな感覚すらなくなっていた。暗いからとりあえず夜なのは解ったが、それだけ解ってもどうと言うことはない。今は痛みが治まっているが、またすぐにでもあの耐え難い痛みが来ると思うと絶望的な気持ちになる。
窓から入る月の光が眩しくて、それだけでイライラする自分にもっとイライラする。もう何もかも終わって欲しい。
そして私は全力を振り絞って、それでも呟くほどの声しか出なかったけど叫んだ。

「死にたい」と。

「ダメだ」と声が聞こえた。
それはとても懐かしくずっと待ち望んでいたはずの声だったのに、しばらくの間誰の声だったかを思い出せなかった。
私は目を見開いて、久しぶりにその名を呼んだ。

彼がいた。
最後に見たあの同じ怒った顔で。その顔にあの時と同じ痛みを覚えた。
「死んじゃダメだ」と言うと彼はいつもの笑顔に戻った。

それだけで嬉しくて、私は泣いた。
あの日と同じように、ずっとずっと泣き続けた。

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2007-09-14 If Ada lives for a long time for ten years more...(1)

「久しぶりに勝ったから酒を飲んで何が悪いのよ? だいたいね、あれを簡単に捨てられちゃうあなたに、旦那でもないクセに何が言えるの」
またやってしまったと思った時にはこの軽々しい口にブレーキをかける事はできなくなっていた。
「私がいなかったらちゃんとしたコーディングだってできないくせに。あぁそっか。私に口を出されるのがいやだからあれを作るのやめちゃったんだよね」

その時の彼の顔を、私は死ぬまで覚えている事になる。
私―エイダ―が子宮ガンで死ぬ、1862年まで。


彼 ―バベッジ― に会ったのは結婚するほんの少し前のことだ。
友人に招待された会の席で紹介された彼は、そこにいるどんな学者や先生や記者達よりも……正直言って変人だと思った。王家から認定される教授職も本当は断りたかったと言う人間なんか、私の知る限りではいなかったし。
『階差機関』という初めて聞く言葉(当たり前だ。彼は10年以上も前にそれを形にすることなく諦めたんだから)について何時間も熱心に説明してきた。数学の知識は自信があったけど、そういう機械については無知の私にはほとんど理解できなかったが、自動的に多次元多項式の数表を作れるという話に私は夢中になった。
そして今は『解析機関』という新しい物を考えているという話にも。

「もしその計算機を作れる日が来たら、君にも協力して欲しい」

その言葉と彼が、それからの私の全てだった。
何か理由をつけては彼の所に通うようになった私に周りは皆「報われない恋をしているわね」とからかったが、私自身はそんな気はひとかけらもなかった。
……正確にはその時には、をつけなければいけないけれど。
彼の奥さんやたくさんの子ども達はいつも幸せそうだったし(後で聞いたら一人は死んでしまったそうだけど誰もそんな事を感じさせなかった)、私も彼と出会って2年後には別の男性と結婚した。
もちろん、彼の事を吹っ切る為というのが無かったかと問われれば嘘になる。
けど、そんな気持ちは永遠に彼に伝える必要なんて無い。それで私は満足だ。

そう思っていた矢先、彼は突然『解析機関』の開発は辞めると言い出した。
私の全てがそれであったように、彼の全てもそれだと思っていたのに。
その理由が階差機関を作っていたときの借金に加え、今回も資金を提供してくれた人達が急にいなくなったからだと私が知るのは、それから7年もかかる事になる。
本来なら私が死ぬはずだった、1852年に彼がそう打ち明けてくれたのだ。

その時の私は、誰が見ても惨めな女だっただろう。

先頭 表紙


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