朝日新聞掲載コラム第4弾より
--- 心からすごいと思えるもの、自分とは全く違うものに出会えるのが芝居です。
自分の演技にはなかなか満足できない。欲もどんどん深くなる。---
17歳で「虎之助」に出会ってから、ずっと言い続けている。
芝居に対する意欲は、並大抵のものじゃない。
ひとつひとつの役を徹底的に追求する。
それは執着といっても過言ではない。
脚本家、監督をも唸らせ、困らせるほど。
「リュージ」では、ゲイの心情を理解するために、関係する映画や本を読んだ。
でも、自分の中で消化し切れずに、自分なりに工夫をして丁寧に演出していく。
「虎之助」も「正」も「薫平」も「公平」も「リュージ」も、
同じ人間が演じているはずなのに、全く違う個が確立されている。
たかだか数ヶ月後の新たな役でも、引き摺る欠片もなく見事に違う人物を演じ切って魅せる。
役者は幾つもの顔を持つ、とよく言われるが、彼の場合は顔のみならず、
その人物の生き方や生きて来た過程、背景、環境までも飲み込み、自分に同化させ演技をしていく。
だから、彼の場合は幾つもの人格を持つ、と言った方が適切かもしれない。
そして、そういう風に何人もの異なる人間になり切ることに、喜びを見出しているのかもしれない。
一人の虚構の人物になり切っている間は、その役に取り憑かれたかのように
実像の自分も現実の世界も見えていない。
--- 芝居は飽きることがない。10年後も20年後もやっていたい。
未来に向かってわくわくしながら、何でも受け入れられる自分でありたいと思っています。---
彼の最終選択はやはり芝居なのだろうか?
確かに、個人活動できる唯一のフィールドは芝居だろう。
でも、10年後20年後も今のように歌って踊ってアクロバットをやってのけてしまうっていう方が、よっぽど難しいと思うけど。
ステージで全身全霊を打ち込んでいる姿は、華があって、その輝かしい表情をずっと見ていたいと思う。
彼の未来の目指すものの先には一体何があるんだろう?
明日、明後日は名古屋コン。
いっぱい華を見せてください!
【昨日のDECO TIME】
CD:「seVen」ほかMDダビング 90分
DVD:「キャッツアイ」50分
ビデオ:「D×D」20分
ネット:50分
【一昨日のDECO TIME】
ビデオ:「反乱のボヤージュ」45分
ネット:320分
雑誌:30分 |