去年に劣らず異常な怒涛露出。
チョイスする時間もなく、大人買いしまくり、出費なんて考える余地も無い。
1日6誌以上も取材受けてれば当然の露出、そして内容もほぼ同じは言うまでもなく。
CUT
タイトルがあまりにも大袈裟でこそばゆい。
記事は意外にもよかったけれど、合成写真には期待外れ。
美麗には変わりないなれど数年前の美人顔ではなく、24の男に見合った顔つきになりつつあって、仕事への充実さ、自信がここまで表情に出るのはさすがに嬉しい。
「嘘をついて生きてきた」─ 誰しも多かれ少なかれ嘘をつくもの。それが優しさであったり思いやりであったり、ましてや自己の向上につながるものだったりするから。上手く嘘をつき続けてもらいたい。そして、役者としての嘘=観客への裏切りをも期待する。
東京タワー
既に4回鑑賞。公開後は1回のみの鑑賞になりそう。
「おもちゃ」の件は天下一品。透の純粋さに不純な自分が打ちのめかされるかのように痛い。
ここでも透はDECOの欠片もなし、映像、ストーリーの中でガラス細工の透になりきっているのはいつものことながらお見事。
2度目に観た時、一番自分がエロティシズムを感じたシーン一部がカットされていた。濡れ場でもないベッドシーンでもないカットがほんの数秒だけどカット。制作側も自分と同じ感性だったのだろうか?
そして、一般的にリアリティがあると言われている喜美子。喜美子の行動こそが自分には理解できなかった。自分では一番制御する行動だったから。恋はエゴイズムのかたまり。ただそのエゴがお互いの負担になることはタブー。どちらかが負担を感じ始めたらその恋の終わりの始まり。ああいう喜美子の行動だけは間違っても起こしたくない。理性を失う恋でも失い方を間違えるととんでもなく醜くなる。詩史、透の感情に違和感を覚えないのは、自分が似た経験をしたからだろうか?
2度目からは耕二と喜美子の恋愛シーンは当初の予定通り排除、睡眠にあててしまった。
内容的には悲喜交々だが、観る側が好き勝手に想像力を膨らませれば、この映画もまた楽し、大人の御伽噺。
そう、想像力はいつも人生を楽しく膨らませてくれる。
とにかく、この映画は五感で観るものだと思った。
東商ホール、最悪。露光弱く、ガンマつぶれてせっかくのDECOの切ない表情もプールでの対峙のシーンも台無し。
二度と東商ホールでは見たくない。宣伝Pro.につい忠告、今後の改善の念を込めて。と言っても今後東○での起用はあるか否か。
すっかり男になったDECO、自ら子供ではいられないと自己改善した大人らしさとは裏腹にキューピー、テディベアから離れないDECOの感性が摩訶不思議。
そして、久し振りに肉球の感触を思い出させてくれた。幼少期、同じ様によく肉球を触って暖かさを感じたものだった。何だったんだろう?あの感触、あの暖かさ、あの安心感・・・ |