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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2008-10-05 お疲れ様
2008-10-04 仕方ないんだ、あいつが待っているから
2008-10-02 あれから幾星霜
2008-10-01 花道というもの
2008-09-29 Already past beautiful days
2008-09-27 秋の気配
2008-09-26 目を閉じるとそういう風景が広がる
2008-09-25 さて。
2008-09-24 大切の背中
2008-09-20 自分だけのものは自分だけでは創れない


2008-10-05 お疲れ様

問題は山積みだが、とりあえず一つの山は越えた。
これで満足していない。
一つ一つまた次のためのことをしようと思う。
まず台本を一から見直すこと。
そして本来あるべき道筋から外れたものを
元の素直な形にゆっくりと軌道修正すること。
この客観的な視点を再び戻れるか、
「ざらつき」を実感として感じられるか、
これが僕があっちの人間か、そっちの人間かが決まる。
これを実証していくしかない。

僕らが前に進むなら彼らはここで終わりということ。
その責任はあると感じている。


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2008-10-04 仕方ないんだ、あいつが待っているから

って、言葉で次の芝居を書き始めようかな。

これから書くことは芝居じゃない。
ほんとの僕のこと、僕等のこと。
大学時代に一緒に同期で四年間を過ごした12人、
実際に僕はその部活の主将だった。
僕等は辛いとき、何か大きなことをしなければならなかった時、
我慢して自分だけでこらえなきゃいけない時、
いつもお互いにこんなことばかり言っていた。

「今頃、上田でもっちゃんとたけちゃんとはるちゃん、稽古してんだろうな。」
「今頃、伊那の道場で山さんは一人でスクワットやってんだろうな。」
「今頃、長野で福ちゃんたち、カシちゃんにいじめられてるんだろうな。」

熱があってダルくてふと空を見上げると雪がちらついて来るような日でも、
今頃あいつらがやってるから、仕方がないんだ。
仕方がないんだ、あいつらが待ってるから。
そう言って馬鹿みたいに道場にチャリンコで走っていった。

お前が主将だったから俺達は最後まで突っ走れたと言われた時に、
俺だって、と思った。

そういう時代をまた作ろうと思う、
まずはそれから。

それにしても同期の男の半分が斎藤由貴のファンだったってのは、
なんの巡り合わせだったのかね?


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2008-10-02 あれから幾星霜

きっと明日からの三日間は大変だと思う。
でも精一杯やります。

今年は審査員をやって本当に勉強になったって思う。
これも次のための第一歩になる。

目標が大きすぎるのではない、
もうずっと以前から心に描いていたのに障害が多すぎたのだ。
やっとストレートにみんなが待っている場所に行ける。
やっと久し振りにこの感覚が戻ってきた。
五年遅れたが再び始められた。

ここのところいろいろな情報や意見を読んだ。
いまやっていること、自分がやろうとしていること。
たぶん今からやって間に合うかどうか。
それでもそのためにやってきたこの十年だった。

「中央には何度も出たさ。そりゃあ数え切れないほど。
 でも結局、ただの一度も関東には打って出られなかった。」

圧倒的な力で相手にもされなかったと伝えた、
師の言葉が痛かった。
僕は師の悔しさを叩き斬ってあげたかった。
それが僕が芝居を始めて、すぐに聞いた言葉だったのだ。


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2008-10-01 花道というもの

今年、引退というなら誰しも清原のことを思うだろう。
僕が巨人戦に行った時にホームランを打ってくれた彼も、
別のユニホームを着たまま引退する。
このことがニュースで取り上げられるということは、
野球というものがまだまだこの国で特別なスポーツであることを示す一例だ。

誰もが自分の続けてきたことを退く日がやってくる。
先日、地区大会の敗戦を滝澤さんから聞いた。
「これで僕の演劇とのつき合いもひとまず終わりということです。」

僕に初めて芝居作りを教えてくれた師は、
自分の道である史学の研究へと道を定めて行ってしまった。
それも素晴らしいことです。
僕の師と呼べる人は皆、そうした自分の道を持っていて、
結局その世界では今も走っている。
やはりそれが師の師たる所以だろう。

でもどんな時でも僕の味方であり続けてくれた方の芝居が、
もはや見られないというのは少し寂しいことだ。


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2008-09-29 Already past beautiful days

巨人頑張ってる、阪神も。

僕たちも戦ってる、自分たちの芝居の一つの帰着点に向かって。
プレッシャーはあるだろうけどそんなものに負けないで。
すでにやるべきことの多くはやってきた。
もちろんまだまだ先はあるけれど、
それは先に行ってから見ればいいんだと思う。
終わり無き時間の経過の中では、その流れも楽しまなきゃね。

いつの間にかついこの間目のしたはずの風景が遠い過去のものになってる。
でも僕は僕のことで精一杯。
人のことは構ってる時間なんて無い。
来年の年末までスケジュールは一杯だ。

すでに美しき過ぎ去った日々。
今は振り返っていられないし振り返る気もない。
僕も自分の位置を確かめながら次に行かなければならないから。
歩いてきた道が間違ってたのか、と振り返る日が来るのだろうか?
まだまだやりきれていない、と振り返らずにいるだろうか?
それもその時やりたい方をやればいい、と思うのは今だけだろうか。

ファンじゃない。
僕が見つめる先にいる人間たちは。
やがて絶対に出会うはずだ。
僕がちゃんと前を見て進むなら。


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雅さんへ。もちろんその通りです、僕も今、次のことに追われてる。日々を追いかけて息切れしそうだけどまだまだ倒れないぞっ・・・って感じです。 / あるまじろ ( 2008-10-02 00:04 )
来年の年末までスケジュールは一杯なんですか?素晴らしい〜。私は目先のことをひとつひとつこなしていくのに精一杯です。来年のことなんて想像もつきません。でも、前を見て進んでいるという意味では一緒ですよね! / 雅(みやび) ( 2008-10-01 22:50 )

2008-09-27 秋の気配

客観的に芝居を観ると「どうしてそんなことになるのか」と首を傾げるが、
いざ自分の手がけた芝居をその目で見ると「あら」は随分あるね。
普段、自分の目にこれほどのフィルターが掛かっているか、ということか。
だから良かった、こうしてもう一度芝居をまっさらに公平に観ることができて。
妥協はあっていいが、問題はどこに妥協するか、だ。
今日は妥協したくないところを指摘した。
そこがクリアされれば重要な問題点の幾つかは回避出来るだろう。
そしてそれは今からでも充分できるポイントでもある。
僕は僕のチームを信じている、確かにそれらをクリアしてくれるはずだ。

終わったら横浜に行くのかな?
秋の終わりの横浜は一日ゆっくり歩くのにいいのかも知れない。
秋雨前線が大きく張り出して雨が強くなったり弱くなったりして降り続いている。
本番の待つ週末には良く晴れた空が迎えてくれるだろう。
空気、秋らしく澄んでいるはず。


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みーさんへ。あら、すみません。うちの科学技術庁長官に報告しておきます。来て頂いたらぜひ一言お声掛けください。 / あるまじろ ( 2008-09-30 23:46 )
今週末にも舞台あるの?10/25に観にいきたかったんだけど今回も行けそうにないです・・・残念。12/7には行きたいな。(HPトップのリンク、いくつか壊れてるよ〜) / みー ( 2008-09-30 22:39 )

2008-09-26 目を閉じるとそういう風景が広がる

ここのところ自分のこれからの芝居作りの在り方についてじっくり考える時間があった。
今日また5本、審査員として芝居を観る。

どうしてそれをこうしないか、と胸の奥では何か動いているものを常に感じる。
先々週は「役者目線」と言われたけれど本当にそうなのかな?
「演出目線」も入ってるような気がするのだけれど。
単純な「審査員目線」ではないのは確かだ。

たまたま誰かが書いた高校の全国大会の芝居の感想みたいな文章を見た。
一方的にけなしているような残念な文章だった。
それを書くこと自体の責任は別の誰かに問われていたのでそれはそれとして。
どんな芝居を観てもミスをあら探しして、けなすことはできるだろうけど、
それをしてなんの意味があるのだろうか?
大学で師から一つの作品に対する考察の方法を学んだ経験から言えば、
考察には自己の内的な動機と論理的根拠が必要で、
さらにそれを明瞭に説明する文章能力が要求される。
それらの作業を通してやっと客観的な批評が成り立つのだと考えられる。
そして根拠に不可欠なのが資料研究なのだが、
この場合はそれには自己の経験も含まれるだろう。
そう考えると改めてそうした腰を据えた批評ができないうちに、
むやみに人の芝居をけなさない方が良い気がする。
審査員の場合はまた別で、
言うべき事というのはまたその時に応じて在るのだろうけれど。

話は変わって。
日舞の稽古が少しずつ進み間もなく近づく初舞台。
新しい経験を踏ませて頂ける喜びを素直に感じている。

仕事が久し振りに早く終わり、人との予定も特に無かったので、
帰宅して部屋を軽く掃除し、洗濯をして干して、自炊をして夕食を作った。
自分に必要な一人の時間がたまに手にはいるとうれしい。
ギターも久し振りに弾いてみた。

いまこの瞬間に、
どこかの遠くの山の木々がゆっくりと色づいているのだろうか。
いまこの瞬間に、
潮騒が暗い波打ち際の砂の上でこだましているのだろうか。

この部屋の夜は静かに静かに更けていく。
不思議と心は冴えている。


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2008-09-25 さて。

僕が大学時代を過ごした松本という街では、
十月の声を聞くと山に初雪の頼りが届く。

山のナナカマドが真っ赤に紅葉してそこに初雪が降りかかる。
それは山が一番美しい時だ、
と山岳部のサイトウさんの話に聴いたことがある。


先頭 表紙

みーさんへ。今年は夏が暑かったから真っ赤になりそうですね。 / あるまじろ ( 2008-09-28 00:40 )
ナナカマドの赤、好きです。はっとする色ですよね。 / みー ( 2008-09-26 22:58 )

2008-09-24 大切の背中

少しずつ熱が引いていくように夏が後ずさりしていく。
最近のこと少し。

仕事が忙しくてなかなか時間が取れないけれど、
やっと自分の芝居の中に入って行けそうな気がした。
今回、たくさん人が居すぎて自分の芝居に没頭できなかったから。
自分の役にちょっと没頭したい。
もちろん演出としての仕事、全部放り出すわけではないけれど。

謙虚になりましょう。
自分が何かを学ぶ時は。
立場をわきまえましょう、
全員同じ立場で居るわけではありません。
それを知ることは大切。

一つ一つ片付けていくことも大切。
世の中において色々な事を為し遂げていく時には、
困難や面倒くさいことがあることは当然。
次の一歩のために辛くてもきちんと受け止めるのも大切。

ぶっちゃけて開き直る。
だから?
そこから先が大切。

新しい台本のことも考えなければならない。
人のことばっかに構わないで自分が何をしたいか。
自分が何をすべきか、考える。
何かを手に入れたい訳ではないから表現って難しい。
自分に向き合うこと、
人間関係とか人に気を遣うことが表現を汚していく。
それは何度も思い知っていたことのはずなのに、
つい、いつの間にか縛られてしまうのだよね。
束縛は常に自分で作ってる。
そのことをちゃんと記憶しておくこと。
創作にはこれが大切。

大切なことはできずにいつも追いかけている。
大切の背中しか見えてない。


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2008-09-20 自分だけのものは自分だけでは創れない

何かをするときに以前は自分の才能が必要だと信じていた。
もちろん、ある程度自分らしさを出す才は必要だがそれよりも、
何かをするときに必要なのは人の力だ。

今日は次の芝居のヒアリング。
照明の工夫として試してみたいことをさらに注文してみた。
相手はくあとろのイマムラさんだ。
「それやってくれると思うよ。」
嬉しい言葉ですね。

以前、「これやりたいのですが」ということが、
受け容れられることが難しい時期があった。
それは自分自身無知だったのだ。
芝居は照明・音響・大道具・小道具・衣装・メイクなど、
とても多くのことで成り立っている。
その一つ一つにプロが居てそこにプロならではの知識と経験の集積がある。

それはとりもなおさず人の力であることだ、
ということに気がついたのは、
いつのことだったか。

人が居て芝居になる。
だから自分自身にも其処にいる人に負けない努力が必要なのである。
人が人と話せるようになるために何が必要なのか、
これを大切にしないと足を踏み外すのかもね。


先頭 表紙

みーさんへ。そうですね、僕はしばしばそのことを忘れたり踏み忘れたりするので自戒を込めて。 / あるまじろ ( 2008-09-25 01:10 )
そうですね。人生もまたしかり・・・ かな?! / みー ( 2008-09-21 20:42 )

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