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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2008-09-11 着水
2008-09-06 天使、羽ばたき
2008-09-05 大切
2008-09-04 そうすることで何が得られる?
2008-09-03 潮の香り
2008-09-02 何を売っているのか?
2008-09-01 演技力養成について
2008-08-31 そして九月が始まる
2008-08-21 燦々
2008-08-20 夏を追いかけて


2008-09-11 着水

比較的大きなイベントをチーフとして東奔西走しながら終える。
あれやこれやと走り回ってあちこちに頭を下げながら。
仕方ない、一番上にいてプランニングして指揮を執ってるんだから。
成功を一番に考えてプライドは捨てる。
それで株が上がることもある、不思議なものだ。
こだわっているものを勘違いしない、それも大切なことだ。
ファーストプライオリティ、見失いたくはない。

取り組んでいるものもまっすぐに進んでる。
幾つもあるがそれぞれゆっくりと前に進んでる。
収穫の秋も目の前だ。

あくまで妥協できない点と幾らでも融通できる部分。
その一線を明確に判断する、それは感覚ではなく理解できる。
昔はそれが分からなかったけれど。

灰色の大空から滑空し間もなく着水。
スピードをゆっくりと落としながら。
この瞬間に全てがある。
緊張とリラックスを使い分けてこともなげに、慎重に。

次々と舞い来るオファーにきちんと見分ける。
それでもたくさんの期待に応えたい気持ちがある。

一つ一つ。
水面に舞い降りて。
着水させていくのが今の仕事。


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2008-09-06 天使、羽ばたき

失われた時を取り戻したいと思うとしたら、まずどこから手をつけようか。
もう一度同じ場所を訪れてもそこにはその時の時間が流れ、
かつての感動を復活させることは難しい。
あるのはノスタルジーだけだがそれ自体嫌いではないけれど、
そこに浸ってばかりもいられない。

見えるはずのものが見えず、見えないはずのものが見える。
見えているものを信じるか信じないか、そこが最初の曲がり角だ。
大抵は本来、自分には見えないから、
そもそも「見えるはず」ということも思い込みに過ぎない。
それにしたって意識を裏切られるのだから僕にとっては意外ということになる。
だから少なくとも見えるものにすがるしかない。
すがらずに生きられるのは、
独り立ちしていない人間だけだ。
独り立ちしていない人間はすがらずとも助ける他者が存在するから、
この荒ぶる社会の中で一時、独り立ちせずとも居られるわけだ。

見えないものを見ずに感じること。
思い込みで目で見えるだけのものを鵜呑みにしないこと。
自分でそれを判断していくこと。
そういうことをしっかり意識すること。

天使に抱かれる夢を見て、
一人雑踏に佇んでいたあの午後。


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2008-09-05 大切

仕事の中でわずかの狂いが生じて、人と人の関係が上手く行かなくなることがある。
そういう時に深刻な状況に陥るのは、つまり自分の普段の処し方が悪いのだ。
そういう時にふと手を差し伸べてくれたり、味方してくれる人がいるのは、
つまりわずかでも人を大切にしていることが自分に返ってきているのだろう。

柳田さんに演劇の道に誘われる以前から、
滝澤さんは僕にご自分のやっている芝居のことを僕に見せてくれた。
それは同じ道に無理に誘うのではなく自分の道を後輩に紹介するような感じだった。
現に柳田さんに「一緒に芝居をやらないか」と言われて、
「やることになりました」と滝澤さんに報告すると、
「ほんとにいいの?」と滝澤さんはおっしゃった。

その数年後、僕が未熟ながら勝負を賭けた芝居を創った時、
僕の頼みに応えて遠路はるばる助言しに来てくれたのも滝澤さんだった。
(その芝居を選び大きな舞台へと送り出してくれたのは柳田さんだった。)

その滝澤さんが今、ご本人曰く「人生最後の芝居創り」に取り組んでいる。
そして僕に「助言が欲しい」とおっしゃってくれた。
今の時点でも、僕程度で滝澤さんの芝居に助言ができるか正直疑問だが、
それでもわざわざ僕に台本を送ってきてくれたのは、
やはりどこまでも僕に対する滝澤さんの愛情の現れなのだろう。

感じるのは、押しつけがましくない、淡いけれど明るい「期待」のようなもの。
僕はこんな機会に少しでもその期待に応えたいと思った。

どこまでも後輩想いの大先輩である。
僕がまだ今の仕事を始めた時には、
僕の周りにはかくも偉大な先輩方が、
いかにたくさんいらしたことか。


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くすのき燕さんへ。そうありたいと渇望しますが果たしてどこまでそうたり得るかどうか、いささか疑問であります。 / あるまじろ ( 2008-09-06 22:09 )
お久しぶりです。お元気そうでなによりです。いい先輩がいるのは、いい後輩だからでしょうね。 / くすのき燕 ( 2008-09-06 17:38 )

2008-09-04 そうすることで何が得られる?

やがて秋が来たら旅に出よう。
今、作っていることもやるべきことを積み重ねていけば少しずつ形になる。
自分がやるべきことをやるだけ。

ものを作っているということはいつでも楽しいことだ。
人からは多少やっかまれるかもしれないが、
ずって何かを作ってる気がする。

立場でものを言うと失敗する。
それがつらいと認めてあげなければならないこともあるかもしれない。

夜は二日続けて日舞の稽古。
さすがに物覚えが悪くても少しずつ身に付いてくる。
もちろん素人の域を出ないが。
でも何かに真剣に取り組むことは楽しい。
毎日大汗を掻いて振りを覚えている。

みんな目指している、一つ上を。
何かを成して季節を一つ進めたい。
夏から秋に季節が移ろうなら何か一つ区切りをつけて。


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ゆーこさんへ。いろんな事をいろんな人とできるってのはいいですね。 / あるまじろ ( 2008-09-06 00:12 )
私も覚えが悪いのであとはひたすら繰り返して練習するのみかなあ…。残り一ヶ月半!頑張りましょうね。 / ゆーこ ( 2008-09-05 11:17 )

2008-09-03 潮の香り

夏の終わり、やっぱり海が見たいって気になる。

夕凪、
日は傾き、
日に焼けた肌が少しだるいけれど良い気分。
揺らぐデッキでビールを飲みながら、
昔の異国から来た青年に、
昔、釣った魚の自慢話をする間。

悲しさも切なさもない。
無邪気な夢だけが、
今も静かに燃え続けている。
遠い昔の哀しい歌は歌姫に歌い流してもらおう。


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2008-09-02 何を売っているのか?

何を売っているのか?
「男の心をかきむしる店」。


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2008-09-01 演技力養成について

演技という技術を身につけることって大変だなって思う。
僕は初心者の時に「早く上手くなりたいなあ〜」と思っていた。
でも誰もなかなか上手くなる方法を教えてくれなかった。
周囲の上手な人は説明下手で、
「だからそうなるにはどうすればいいのか」
ということを的確に説明してくれる人は居なかった。

僕は自分が少し上手くなると、それをできるだけ分かりやすく教えた。
「演技は盗むもの」と言うけれどそれを教えたらどうだろう?
良く演技を勉強するワークショップに行くと、
カウンセリングのエンカウンターに似たものをやらされて、
それが演技とどんな関係があるのだろう?としばしば疑問に思った。
「人間関係作り」「恥を捨てること」「相手を受容すること」
「自分の内面を吐露すること」・・・等々。
それよりも目線の使い方とか、姿勢とか、脱力とか、呼吸とか、
まず技術的なものを聞きたい時にそれを教えることはダメなのだろうか?
初心者の僕はずっと考えていた。
結局、無意味ではないけれどシアターゲームをたくさんやるより、
一つ舞台を踏んでいく方が成長した。
それもきちんと演出なりの他者がいて、自分の演技を見てくれると、
自分の役者としての成長は実感できるほど早かった。

以前、とある有名演出家がオーディションで一般に役者を募集したところ、
予想を上回る応募があり戸惑った、ということがあった。
その応募者のほとんどは、
「役者としての自分を伸ばして欲しい」という気持ちを持った役者達であったが、
演出家は「ここは養成所ではない」と切って捨てた。
それは二次オーディションの席でその演出家本人から語られたのだから本当のことだ。
でも演出家には役者の技能を伸ばす、という役割もあるのではないか?
そしてプロ、セミプロ、アマと多くの役者が応募したそのオーディションでは、
多く役者がそれを現に望んでいたのだ。
その演出家は有名な人だが、そのことには気づいていなかったか、黙殺したのだろう。
自分の作りたいものの材料集めとしてオーディションをし、
それにふさわしい役者を探していた、それこそ演出家すべきことだというのも分かる。
その人がその人のやり方をしていることには何も口を挟むこともない。

一方で「役者として自分を伸ばしたい」という役者の気持ちを実現するのは、
どこの誰なのだろうか。
多くの劇団は常に座長か看板役者のもの。
そこで技術の向上が望めるのか?単なるその座長のダシになってしまうのではないか?
劇団による、としか言いようがない。
初心者に近い役者の卵があまりお金を掛けずに演技力を身につけることは、
その機会自体が滅多になく大変なことなのだ。
多くの人は大金をつぎ込んで、劇団の肥やしとして時間と若さを浪費して、
そして大した演技力も身に付けることもできず終わって行くのかもしれない。
そう考えたら怖ろしい世界だ、と思う。


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2008-08-31 そして九月が始まる

八月が終わった。

とても暑かった今年の夏の終わりを告げるように、
時折、広がった空にはうっすらと秋の雲が見えた。
夏の初めに作り始めた芝居が季節が変わる頃に少しずつ形になっていく。

昨日まで泊まり込みで芝居を作って、
その人たちが居ない今日も、また別の人と芝居を作っている。
自分の中で芝居に対する情熱が翳らないように、
心に気合いを入れ直して稽古場に入る。

八月に積み上げたものを九月に台無しにしないよう、
慎重に大胆に気持ちに熱を持ち続けたい。

髪を切った。
伸び放題だった髭も剃って貰った。
「すごい、伸びてましたよ」年老いた理髪師が僕に笑いかける。
さっぱりして少し気持ちが浮き浮きした。

心の中ではまだ定まらないものが、ゆっくりと雲のように渦巻いている。
答えを急がない。
たとえそれがもう、半ば出ていると心の片隅で自覚していても。


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母さんへ。そりゃあ食べてますよ。カナダから帰って食べた明太子とごはんは美味しかったな。 / あるまじろ ( 2008-09-03 22:48 )
みーさんへ。「焦り」は誰でもあるのでしょう、もちろん僕にも。でもそれも抱えて明日に望みたい。 / あるまじろ ( 2008-09-03 22:47 )
くれぐれも身体に気をつけてね。食事をしっかり取るように! / 母より ( 2008-09-02 10:07 )
このごろね、なんだかわけのわからない「焦り」に困ってるの。「答えを急がない。」そう自分に言い聞かせてはいるのだけれど。 / みー ( 2008-09-01 22:46 )

2008-08-21 燦々

打ち上げじゃなくて、手で持つ花火。
そういう花火を始めるときに漂うあの感じ。

まだ始まってもいないのにもう終わっている感じ。
いや、けして嫌じゃないんだけれど、
最初からそういう空気を感じとってしまう。
いつもそう思う。

火をつける。
一瞬、闇を照らす煌めき。
浮かびあがる人の顔が楽しそうなら嬉しい。
本当はそれだけで充分なんだろう。


先頭 表紙

みーさんへ。夏の終わりの雨が毎日続きますね。夏の日差しを懐かしく思います。 / あるまじろ ( 2008-09-01 01:40 )
うんうん、その通りですね。言葉の選び方、さすがです。 / みー ( 2008-08-31 01:18 )
みーさんへ。春は過ぎていくけれど、夏は失われていく感じがします。 / あるまじろ ( 2008-08-30 22:53 )
夏が盛りを過ぎていって秋の気配を感じてくるこの期間ってなんだかいいですよね。去っていく切なさが甘酸っぱいというかちょっとキュンってなる感じ? / みー@ボキャブラリー欠如(^^; ( 2008-08-30 00:50 )

2008-08-20 夏を追いかけて

今年も海を見に行きたいと思った。
夏がまだ翳らないうちに。
僕にとってたくさんの思い出があるあの海。

父も母も親戚の叔母さん達もまだ若く、
夏はただ僕達を真っ黒に日焼けさせるためだけに輝いていた。
あの遠い夏が懐かしい。

波打ち際にやけに大きな砂の城を作って、
それがやがて打ち寄せる波に崩れていくのを、
傾く太陽の中で見つめていたあの遠い夏。

逃げていく夏にただ手を伸ばす。
背中で騒ぐ潮騒が微かなささやきもかき消していく。

どこまでもどこまでも続く砂の道。
崩れ去る前に日が暮れなければいいのだけれど。


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