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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2008-09-03 潮の香り
2008-09-02 何を売っているのか?
2008-09-01 演技力養成について
2008-08-31 そして九月が始まる
2008-08-21 燦々
2008-08-20 夏を追いかけて
2008-08-19 落雷
2008-08-18 帰国
2008-08-17 He said that he would see again
2008-08-16 Night market


2008-09-03 潮の香り

夏の終わり、やっぱり海が見たいって気になる。

夕凪、
日は傾き、
日に焼けた肌が少しだるいけれど良い気分。
揺らぐデッキでビールを飲みながら、
昔の異国から来た青年に、
昔、釣った魚の自慢話をする間。

悲しさも切なさもない。
無邪気な夢だけが、
今も静かに燃え続けている。
遠い昔の哀しい歌は歌姫に歌い流してもらおう。


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2008-09-02 何を売っているのか?

何を売っているのか?
「男の心をかきむしる店」。


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2008-09-01 演技力養成について

演技という技術を身につけることって大変だなって思う。
僕は初心者の時に「早く上手くなりたいなあ〜」と思っていた。
でも誰もなかなか上手くなる方法を教えてくれなかった。
周囲の上手な人は説明下手で、
「だからそうなるにはどうすればいいのか」
ということを的確に説明してくれる人は居なかった。

僕は自分が少し上手くなると、それをできるだけ分かりやすく教えた。
「演技は盗むもの」と言うけれどそれを教えたらどうだろう?
良く演技を勉強するワークショップに行くと、
カウンセリングのエンカウンターに似たものをやらされて、
それが演技とどんな関係があるのだろう?としばしば疑問に思った。
「人間関係作り」「恥を捨てること」「相手を受容すること」
「自分の内面を吐露すること」・・・等々。
それよりも目線の使い方とか、姿勢とか、脱力とか、呼吸とか、
まず技術的なものを聞きたい時にそれを教えることはダメなのだろうか?
初心者の僕はずっと考えていた。
結局、無意味ではないけれどシアターゲームをたくさんやるより、
一つ舞台を踏んでいく方が成長した。
それもきちんと演出なりの他者がいて、自分の演技を見てくれると、
自分の役者としての成長は実感できるほど早かった。

以前、とある有名演出家がオーディションで一般に役者を募集したところ、
予想を上回る応募があり戸惑った、ということがあった。
その応募者のほとんどは、
「役者としての自分を伸ばして欲しい」という気持ちを持った役者達であったが、
演出家は「ここは養成所ではない」と切って捨てた。
それは二次オーディションの席でその演出家本人から語られたのだから本当のことだ。
でも演出家には役者の技能を伸ばす、という役割もあるのではないか?
そしてプロ、セミプロ、アマと多くの役者が応募したそのオーディションでは、
多く役者がそれを現に望んでいたのだ。
その演出家は有名な人だが、そのことには気づいていなかったか、黙殺したのだろう。
自分の作りたいものの材料集めとしてオーディションをし、
それにふさわしい役者を探していた、それこそ演出家すべきことだというのも分かる。
その人がその人のやり方をしていることには何も口を挟むこともない。

一方で「役者として自分を伸ばしたい」という役者の気持ちを実現するのは、
どこの誰なのだろうか。
多くの劇団は常に座長か看板役者のもの。
そこで技術の向上が望めるのか?単なるその座長のダシになってしまうのではないか?
劇団による、としか言いようがない。
初心者に近い役者の卵があまりお金を掛けずに演技力を身につけることは、
その機会自体が滅多になく大変なことなのだ。
多くの人は大金をつぎ込んで、劇団の肥やしとして時間と若さを浪費して、
そして大した演技力も身に付けることもできず終わって行くのかもしれない。
そう考えたら怖ろしい世界だ、と思う。


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2008-08-31 そして九月が始まる

八月が終わった。

とても暑かった今年の夏の終わりを告げるように、
時折、広がった空にはうっすらと秋の雲が見えた。
夏の初めに作り始めた芝居が季節が変わる頃に少しずつ形になっていく。

昨日まで泊まり込みで芝居を作って、
その人たちが居ない今日も、また別の人と芝居を作っている。
自分の中で芝居に対する情熱が翳らないように、
心に気合いを入れ直して稽古場に入る。

八月に積み上げたものを九月に台無しにしないよう、
慎重に大胆に気持ちに熱を持ち続けたい。

髪を切った。
伸び放題だった髭も剃って貰った。
「すごい、伸びてましたよ」年老いた理髪師が僕に笑いかける。
さっぱりして少し気持ちが浮き浮きした。

心の中ではまだ定まらないものが、ゆっくりと雲のように渦巻いている。
答えを急がない。
たとえそれがもう、半ば出ていると心の片隅で自覚していても。


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母さんへ。そりゃあ食べてますよ。カナダから帰って食べた明太子とごはんは美味しかったな。 / あるまじろ ( 2008-09-03 22:48 )
みーさんへ。「焦り」は誰でもあるのでしょう、もちろん僕にも。でもそれも抱えて明日に望みたい。 / あるまじろ ( 2008-09-03 22:47 )
くれぐれも身体に気をつけてね。食事をしっかり取るように! / 母より ( 2008-09-02 10:07 )
このごろね、なんだかわけのわからない「焦り」に困ってるの。「答えを急がない。」そう自分に言い聞かせてはいるのだけれど。 / みー ( 2008-09-01 22:46 )

2008-08-21 燦々

打ち上げじゃなくて、手で持つ花火。
そういう花火を始めるときに漂うあの感じ。

まだ始まってもいないのにもう終わっている感じ。
いや、けして嫌じゃないんだけれど、
最初からそういう空気を感じとってしまう。
いつもそう思う。

火をつける。
一瞬、闇を照らす煌めき。
浮かびあがる人の顔が楽しそうなら嬉しい。
本当はそれだけで充分なんだろう。


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みーさんへ。夏の終わりの雨が毎日続きますね。夏の日差しを懐かしく思います。 / あるまじろ ( 2008-09-01 01:40 )
うんうん、その通りですね。言葉の選び方、さすがです。 / みー ( 2008-08-31 01:18 )
みーさんへ。春は過ぎていくけれど、夏は失われていく感じがします。 / あるまじろ ( 2008-08-30 22:53 )
夏が盛りを過ぎていって秋の気配を感じてくるこの期間ってなんだかいいですよね。去っていく切なさが甘酸っぱいというかちょっとキュンってなる感じ? / みー@ボキャブラリー欠如(^^; ( 2008-08-30 00:50 )

2008-08-20 夏を追いかけて

今年も海を見に行きたいと思った。
夏がまだ翳らないうちに。
僕にとってたくさんの思い出があるあの海。

父も母も親戚の叔母さん達もまだ若く、
夏はただ僕達を真っ黒に日焼けさせるためだけに輝いていた。
あの遠い夏が懐かしい。

波打ち際にやけに大きな砂の城を作って、
それがやがて打ち寄せる波に崩れていくのを、
傾く太陽の中で見つめていたあの遠い夏。

逃げていく夏にただ手を伸ばす。
背中で騒ぐ潮騒が微かなささやきもかき消していく。

どこまでもどこまでも続く砂の道。
崩れ去る前に日が暮れなければいいのだけれど。


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2008-08-19 落雷

今年は暑くて、夕立と雷が多かった。
そういう意味では夏らしい夏だったのかも。

雷鳴が響いてその次の降ってくる大粒の雨。
それが届けるアスファルトが潤う時の匂いは嫌いじゃない。

自分の賭けるものに自信を持ちたかったから、
こつこつ勉強もしたし、プライドを捨てて人に頭を下げた。
それができなきゃ手にいられないほど難しいものだから、
手に入れる価値があるんじゃないかな?
なんとなく、とか、感覚、とかじゃなくて、
全てのことに理由があるのが見えるようになるまで、
どれだけ何をすればいいのだろうか。

心の中に落雷が落ちるように、
ふっと閃くものがある。
そんな日常の一瞬にいつまでも囚われている。


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2008-08-18 帰国

バンクーバーから7時間半、日付変更線を越えて昨日から日本へ帰国。
機内ではずっと映画を観ていた。そして泣いてた。気持ちが乱れてる。
ありきたりのハッピーエンドの映画でも、
人が自分を取り戻して、それを見つけてくれる人がいて、幸せになる話は泣ける。

自分自身をもう一度見つけること。
それはこの旅のテーマだった。
そして見つけることはできたのか?
それは分からない。
でもまたたくさんの人に僕をみつけてもらった。
それは幸せな一つの物語の結末にちがいない。

成田に着くと熱気がお出迎え。
埼玉に帰り着く頃には夕立になった。

自分の故郷に帰ってきても目線は異邦人、そんな感覚が胸に残っていた。
そして帰ってきたこの国が自分の国だ、と変な責任感を勝手に抱いたりして。

人と出会うこと、人と別れること。
それを繰り返して今の自分を見失わないこと。

さようなら、とりあえずね。
でも、また会おうよ。
こうして出会えた僕たちさ。
空はずうっとどこまでも続いてるからさ。


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2008-08-17 He said that he would see again

こうしてあっという間にカナダでの滞在期間は過ぎた。
どこかに行く、とか、観光をする、とかはあまり重要視せず、
ホストファミリーとの時間や人との出会いとその人と過ごす時間を大切にした。

僕がエイミと遊び疲れて帰宅するとブランドンは僕の部屋にイタズラを仕掛けていた。
スプラッタなお面をスコップの柄にかぶせてトイレに立たせていたのだ。
ドアを開けるとスプラッタな彼が立っている、という仕掛けだ。
僕は僕に仕掛けてくれたこのイタズラに驚くよりも嬉しい気持ちの方がまず沸いた。
僕が帰ってくる最後の晩に彼が僕にしてくれた彼なりの「おもてなし」だ。
メルはちゃんとビールを残して置いてくれたし、
デイビッドも僕が帰るまで待っていてくれたようだった。

みんなさりげなく僕のバンクーバーでの最後の夜に気を遣ってくれていた。
それがなんとも嬉しかった。
翌朝も朝から一緒に食事をして、
一人一人、僕との時間を作ってくれた。

僕はこの遠い地に住む人々に愛されている実感を強く感じることができた。
それ以上のことが必要だろうか?

メルが僕を空港まで送ってくれた。
空港は大変な混雑でチェックインにはだいぶ掛かりそうだった。

「ごめんなさい、休日の朝にこれ以上つき合わなくて良いです。
 ゆっくり家で寝てられるような時間に見送ってくれてとても嬉しい」
そう告げると彼は言った。
「その英語は間違ってるよ、Sorryは何か間違ったことをしたときに言う言葉さ。
 きみは何も間違っていないし、私はここに居たいんだ。」

泣きそうになった。
でも彼が「また逢おう」と言ったから、
それを我慢することができたんだ。


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みーさんへ。この写真は近所の通り。何気ない風景なのだけれど僕には懐かしい風景。 / あるまじろ ( 2008-08-26 03:18 )
泣けるね。素敵!ちゃんとあなたを愛してくれる人がいる。距離なんて問題じゃない。最高に素敵!(^-^) / みー ( 2008-08-25 23:03 )

2008-08-16 Night market

夕方、ホームステイをしていたアヤカと、
その家庭教師だったという女性(名前を忘れた)の3人で、
リッチモンドのナイトマーケットに出掛けた。

ナイトマーケットは二年前に行った時とほとんど様子は変わらなかった。
懐かしい感じがした。

アヤカはカナダ留学を半年ばかり続けていてすっかり現地に慣れているようだった。
羨ましいね、一年間もここに居られるというのは。
なかなかたくましいが、ちょっと生意気な感じが留学中という感じだった。

家庭教師だったという女性(名前を忘れた)は、少し変わった方だったが良い人だった。
いきなり日本の政治のことや教育のことの議論を持ち出されるのには、やや閉口したが。
真面目な人だ。

でもこうしてカナダに来ている日本人に会うといつも思う。
どうしてもっとカナダの人と話をしないのだろう、と。
下手な英語でも幾らでも通じる。
なぜなら相手が分かろうとしてくれるからだ。

そして話をすると彼らがなぜ日本人である自分とこうしているか、
その理由がはっきりしてくる。

彼らは僕のような知らない人間との出会いを大切にしているのだ。
在るか無きかのこの人との縁を重要だと考えているのだ。

知らない文化に触れることは面白い。
海外だと日本の日常に縛られない分、楽しく過ごせるだろう。
でももっと大事なものがすぐ隣にあることを僕はいつも気づかされる。

ナイトマーケットは人いきれでものすごい熱気。
この空気の中に居ること。
それはきっと誰にとっても幸せな感じなんだなって伝わってくる。
その幸せを分かち合って僕等は生きてるんだと思う。

売ってるものがとてもエスニックな感じをのぞけば、
日本の縁日の屋台とそう変わらない雰囲気。


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