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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2008-07-15 変化
2008-07-14 Ask to myself it
2008-07-13 慰安旅行U 〜嬬恋のキャベツ畑より〜
2008-07-12 慰安旅行T 草津白根ルート〜軽井沢
2008-07-11 酸辣湯麺(スーラータンメン)の誘惑
2008-07-10 お蕎麦大好き!!
2008-07-09 研鑽
2008-07-08 少しずつずれて行く羅針盤
2008-07-07 What happened ?
2008-07-06 月の裏側とこぼれ落ちる砂


2008-07-15 変化

それにしても道路がすいてる。
ガソリン高騰してトラック等の運輸系に影響が出ているとか。
エコにはいい。毎日、車を乗る者としてもいい。
でも日本の流通は大丈夫なのだろうか?
今まで通りとはいかないようだ。

今日は全国の漁船が休業した。
この日、回転寿司屋に行ってみた。
だいたい普通と同じように新鮮な魚を食べることが出来た。
鯖、トビウオなど一部の魚は無かった。
このまま漁が休業、ということになったら寿司など食べられなくなるだろう。

失礼ながらタクシー運転手の質がこの十数年で著しく低下したように思う。
僕が免許を取った頃、先輩達から
「タクシーの運転手さんが一般公道で一番上手いから参考になる」と教えてくれた。
でも今は急停車・急発進・どこでも構わず駐車・テレビ携帯のながら運転などなど。
昔、初心者の頃、タクシーに乗ったら
「こういう狭い道はハイビームで人が飛びださないように注意しながら、
 なおかつ素早くね。」
とか初級テクを教えてくれた。
懐かしいのう。


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2008-07-14 Ask to myself it

Do it faster than anyone,Do it yourself,and Keep on Doing.

そろそろかな。
作りたい芝居が作れるようになったら一度は本当に自信のある芝居を作ってみたい。
でもこの三要素、一つぐらいしかできない。
三つやることが大切なのか。

それはそれとして。

久し振りにあいのり見てて「あ〜こういう恋愛あったな〜」って思った。
好きという感情って絶対に一致しないと思い込んでいた。
今はそれ以上にそれを持続させるのは難しいと思い込んでる。
昔はその純粋な感じで人を好きになっていて、
それが自分の気持ちと一致しないからどうにもうまくいかなかった。
だから僕を好きになってくれる人を待ってた。
やがて僕が好きになって、相手が僕を好きになってくれることが何回かあった。
そんなことは滅多にないことなのにそれを幸福に結びつけられなかったのは、
僕自身に内在する欠陥なのか、運命か。

気持ちはどうすれば維持できるのだろう?
僕が客観的にその問いに答えるとするならこうだ。

そりゃ簡単だよ、自分が好きにならなきゃ駄目なんだよ。

あ、やっぱり無理。
そんなに簡単じゃないんだよ。
瞬間的には幾らでもあるんだよ。
ウンメイカンジタ、トカシンジツナンダヨ、ソノシュンカンニハ。
ソノシンジツガツヅカナイコトガジジツダトミトメタクナイノサ。

維持って難しい。


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2008-07-13 慰安旅行U 〜嬬恋のキャベツ畑より〜

森のなかのコテージで夜通し飲んで明け方近くに布団に潜り込んだ。
目が覚めるとお湯くんが皿を洗っていた。その音で目が覚めた。
理想的とは言えないがまあまあな懐かしい感じ。

火をおこして朝食の準備。
いいでしょ、この響き。着火材がなくても火をおこすテク、昨日身につけた。
すぐに十分の火をおこしてハム・ソーセージ・ベーコン・目玉焼きを次々と焼く。
淹れてくれたコーヒー、この森の空気の中で飲むとすごく美味しい。

前の晩に語り合った方は僕の芝居の先輩。
もう何度も舞台上で二人で絡んできた。
そのたびに教えてくれた、大切な色々なこと。
劇団員の若い子達もこの人と絡むのをこわごわながら、
とてもとても楽しみにしてる。
この先輩に僕が演出として向かうのは最初で最後かもしれない。
忙しい人だし自分の劇団もある人だから。
だから僕もとてもとても楽しみにしてる、次の芝居を。
だからさらに台本を書き直した。
僕が泣ける、これが僕が自分の台本に課した最低基準だ。
どうだろうか?ま、それはこれからのお楽しみだな。

嬬恋は拓郎がライブをした頃と変わったのだろう。
でも浅間はゆったりと広大なキャベツ畑を見下ろしている。
ゆったりと僕らを圧倒するには充分なその姿で今も。

この旅のお土産はその畑で取れたキャベツ一玉。
売ってくれた少年はちょっとは嬉しかったかな?

慰安旅行という名の小さな冒険が少しずつ終わっていく時の感傷。
それが日常が再び始まる、ということなのかも知れない。


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2008-07-12 慰安旅行T 草津白根ルート〜軽井沢

一年に一度だけ僕たちの劇団は旅に出る。
「慰安旅行」というのは名ばかりで必ず初日は徹夜で走り続ける。
なぜだろう?なぜならそれがうちの慰安旅行だからだ。
限界まで楽しまないと楽しいって気になれない。困ったものだ。
でもそれで「慰安」が「冒険」になる。
僕の学生時代、先輩達に連れて行ってもらった場所は、
いつも「冒険」に満ちていた。

小雨降る中、登っていったタカボッチ山で見たブロッケン現象や、
いきなり目の前に広がる二万四千匹の蛍とか、
零下の気温の中、見下ろした揺らぐ巨大なハート形の松本の夜景とか、
自分の方に降ってくるように見える獅子座流星群の夜の美ヶ原とか。

「生きているうちに、
見た瞬間に一生刻まれるような光景をどれだけ見ておけるか、
 それが大事なんじゃない?」

酔っぱらったまま僕たちをそんな風景のど真ん中に連れて行ってくれた、
先輩たちが見せてくれた風景、それが僕の原点かもしれない。

「山を見るなら朝のうち」
これは僕を夜明けの上高地に連れて行ってくれた教授の名言である。

・・・というわけではないが真夜中に旅に出て夜明けに
間に合うように長野原から白根山湯釜へ。
草津の温泉街をすり抜けると幾つかのカーブを曲がったところで、
夜明けの薄いオレンジとピンクの混じった陽の光が遠くの雲から漏れ始めていた。
夜明けのその瞬間を追いかけたのは今回が初めてじゃない。
ずっとずっとこうして夜明けを追いかけて、
その場所でその瞬間をつかまえようとしてきた。
その楽しさはやったことない人には分からないだろう。

湯釜は初めてじゃない、どのくらいの山かも分かってる。
でも霧に包まれたそこに登って一瞬の風に、
蒼味がかった乳白色の湯釜の湖面がさーっと、
その三分の二ほどの姿を現した時の美しさは言葉にできなかった。
こんな姿の湯釜は逆に一生見れない。
まあ僕にとっては素晴らしい夜明けの湯釜、拝見させて頂きました。
でもまあ彼らの記憶に、彼らなりに、
この山の風景が一つ刻まれたみたいだから良かったのかな。

その後は草津で湯を頂いた。
白旗が清掃中だったのはしょうがないとしても
ふと巡り会った地元の人の使う湯がひなびてて最高にいい湯でした。
ありがたいと思っていただいたまさに「もらい湯」。

そのまま旧軽へ向かう途中の白糸の滝へ続く小径で見た木漏れ日。
名所の滝より太陽と森の方がいい、この価値観は全員一致だったね。


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2008-07-11 酸辣湯麺(スーラータンメン)の誘惑

担々麺を最初に食べた時も衝撃的だったけれど。
これは絶対それ以上。
ま、僕比ですけど。

酸っぱいのと辛いのとが反則気味のコラボレーション。
ただでさえ細麺に弱いのに・・。
寒い季節にも逆らいがたいのに暑いときも逆らえない。
つまり無敵?
強えぇぇ〜。
ま、僕だけかもしれませんが。。。

まだの人、食べてみてくださいよ。
オススメですから。


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2008-07-10 お蕎麦大好き!!

大学時代、信州で過ごしたということでもなく昔からお蕎麦が好きだった。
両親の影響かもしれない。
小学生の時、三室にある浦和スイミングスクールに通い、
冬などの寒い季節にたまに母がおごってくれた
立ち食い蕎麦屋の「かけそば」が好きだった。
七味を思いっきり振ってふーふー言って食べるのだ。

中学の卒業記念に同級生のシバさんと大宮から信越本線を北上して、
糸魚川まで出てそこから乗り換えて直江津から真冬の吹雪の中を北陸本線へ。
富山から今度は松本まで下るとそこは雪解けの春であった。

色々あった卒業旅行ではあったがその雪解けの松本のホームで食べた立ち食い蕎麦は
おそらく生涯忘れ得ぬものだった。
ネギはもともと入れ放題、もちろんかけ蕎麦で七味も思う様振った。
心の中では「なごり雪」が流れていた。
旅の終わりは二人ともセンチメンタルに包まれていた。

信州の蕎麦はなぜ美味いのかな?
蕎麦好きの人に是非食べさせてあげたい店が幾つもありますよ。

写真は6月の末に長野市郊外の店で食べた天丼付きのセット。
うーん満足満足。


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いしざきともこさんへ。信州の蕎麦には確かにコシがありますね、蕎麦の観念が変わる蕎麦を食べたも信州です。 / あるまじろ ( 2008-07-14 00:09 )
雅さんへ。近所に美味しいお店があるのは羨ましいですね。美味しい店って今住んでるここらへんにはないな〜。 / あるまじろ ( 2008-07-14 00:08 )
蕎麦よりうどん派なんですが、信州で食べた蕎麦はやっぱりおいしかった思い出があります。コシがあるから? / いしざきともこ ( 2008-07-11 23:52 )
うちの近所にも美味しいお蕎麦屋さんがあります。ちょうど火曜日に食べてきたトコ!グルメな3歳児もおすすめ!でも、都会なのでお安くないのが難点よね。 / 雅(みやび) ( 2008-07-11 19:40 )

2008-07-09 研鑽

台本を書き直している。

やはり文章というのは書けば書くほど良くなる。
昔から文章は好きだったが大学で系統的に学び、
そして大量に書かされた。
その時代から本も読んだ。
僕の読書の時代はその時代から始まる。
小説だけでなく理論書、思想書、哲学書、論文など
読みにくいモノに自分を縛り付けて大量に読む経験は絶対に必要である。
そして与えられた題材についてひたすら書くこと。
原稿用紙100枚などの論文を自分に課して書くことはとても大切。

その後も芥川、太宰、中島敦、小林秀雄、大岡昇平、夏目漱石、森鴎外などの
近代の作家の文章も全文書き取りをした。
これは大変勉強になる。
その作家の特徴が身体に直接伝わるのだ。
前回公演の『ジプシー』の台本も全文書き取りして分かったことがあった。
孝史という男が「ちょっと」という言葉を口癖にしてることとか。
書くことが自分と文章をつなげるのだ、という単純なことが実感できる。

台本を書いては読み、読み返しては書き直す作業をもう三ヶ月以上もしている。
熟成、もっと良くなると良いのだが。


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2008-07-08 少しずつずれて行く羅針盤

午前中から体調は不完全のまま。
貧血でくらくらする。
やっぱなんか変だ。
食事をしたら少し治る。
午後も仕事中は少しまた変調。
今日も出張、それ自体はなんとかこなす。

帰宅してシャワーを浴びたら気分がだいぶ良くなった。

今日はシミズさん、アクツさんや☆のさん、井上さんと色々な方から
「ご心配メール」を頂く。
なぜか他劇団の方からばかりですが。
ま、そんなものかな。いや、十分です。痛み入ります。
僕の何かが少しずつ狂ってるんだろう。
それも僕の見えない月の裏側だ。

貧血だ、と言ったらシミズさんに「生理?」と聞かれた。
「はい、重いほうなので・・・」ってそんなことあるかーいっ!!

輸血したい、低血圧と低気圧かんけーあんのかな。

夕食は友人とそのお母さんとイタリアン。
初めてこのお二方にお会いしたのは十八年くらい前かな。
なんだかんだ縁のある方、というのはいらっしゃるものだ。
最初の出会いは衝撃的でした。
不思議ですねえ、こうしてこんな形で。
僕の部屋を雑巾がけして頂いてありがとうございました。

ではまた今度。
カクジョウとクリンストア行ってみて。
あ、お土産渡し損ねたっ!!


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ゆーこさんへ。ありがとうございました、慰安旅行までには治します。 / あるまじろ ( 2008-07-10 23:50 )
母へ。いや若くないのは分かっているのですが。梅雨に体調悪いってあんまり良くないですね。 / あるまじろ ( 2008-07-10 23:49 )
貧血…心配ですね。慰安旅行も近いしあまり無理しないようにね。  / ゆーこ ( 2008-07-09 13:26 )
いつまでも若くないのだから、身体に気をつけて。 / 母より ( 2008-07-09 11:16 )

2008-07-07 What happened ?

外に出張して仕事して、自分の部屋に帰った途端、気分がぐっと悪くなる。
急に襲う貧血と吐き気。
意識はあるけどベッドにうつぶせに倒れてそのまま動けない。
欅の反省会のある日だけど時間が刻々と過ぎても立ち上がれないので、
なんとか主宰の先生と舞台監督の方にメールを打つ。
そのまましばらく静養、というか仮眠。

少し気分が治って、ちょっとだけ晩ご飯らしきものを口に入れるとまだ駄目。
しばらくしてやっと落ち着く。
寝不足かな。

昨日電話できなかった滝澤先生に電話。
八月に会う約束をする。

気分が治るとさっきまでが嘘のよう。
まあ、薬飲んだからだけど。(風邪薬。)

はあ、なんだったんだろうか。
低気圧のせいかな。
台本書き直そう、一カ所悩んでるんだけど。


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2008-07-06 月の裏側とこぼれ落ちる砂

世の中には物事を説明されてそれをすぐにできる人とすぐにはできない人がいる。
前者を器用な人間、後者を不器用な人間としよう。
器用な人間は素敵だ。
言われてそれがすぐにできるとそれだけで手に入るアドバンテージは計り知れない。
単に人より早くできるだけではない。
それはその人の自信となりその人のすることはさらに輝きを増す。

一方で不器用な人はつらい。
単に何かをするのに時間が掛かるだけではない。
自分に対する劣等感に押しつぶされると次のステップに進むことにも躊躇してしまう。
こうして出来てしまった差はなかなか埋まらないのが現実だ。

でもそれは一面的。
不器用な人間の中にはそれをカバーする方法を知ってる人がいるのだ。
自分の良さを知って自分の特性を知っていれば、
その方法を見つけることも可能なのだ。

「ダンディズムには欠落が必要だろう」
ダンディズムと限らなくても、
全てを望むということは何かを失うことと同じで、
満ち足りるからこそ失うことは多い。

しかも不器用な人は常に自分の欠落を意識しているのに対して、
器用な人が満足を手に入れた場合、自分の欠落に気づけないことが多い。
これは怖ろしいことだ。
人は誰でもそうだろうが、一面で器用であり、また一面で不器用でもある。

僕等の人生には月面の裏と同じように他人には見えていても、
自分には常に見えていない一面が存在するのだ。

器用・不器用などはその「月面の裏」の存在から比べると小さなことだ。
その一面を意識する。
死角はけしてなくならない。
人は満足と同時に失うことに気づけない。
でもその時、「こぼれ落ちる砂」があることを覚えておこうと思う。

それを拾わなくてもいい。
その欠落が僕をまた前に進めてくれるだろうから。


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