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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

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2008-01-03 劇団の新年会inびーばー邸
2008-01-02 三年ぶりの勝利
2008-01-01 謹賀新年、晴れて風なし
2007-12-31 大晦日。
2007-12-30 年の暮れに
2007-12-25 華華飯店本番
2007-12-23 誕生日
2007-12-22 聖路加ガーデン47階展望室にて
2007-12-21 「ヤシ」の秘密
2007-12-20 田舎の河原にて石拾いを


2008-01-03 劇団の新年会inびーばー邸

今日は朝から朝霞にあるびーばー邸にて新年会。
今年の料理はパスタとチーズフォンデュ。
アスパラ・ブロッコリー・ジャガイモ・カリフラワー・ニンジン・エビ・ホタテなどを
土鍋に溶かしたチーズにつけて食べるアレね。
温野菜は身体にいいしね。
パスタはトマト嫌いも居るのでトマトソースとバジリコソースを用意。
調理は全て私が。。。

朝準備始めて11時から開始。
飲んだり騒いだりして結局12時間も宴会は続いた。

途中トランプではしゃいだり『小林くんRR』のDVD観たりして。
新年会会場を提供してくれたびーばーさん、ありがとうね。
あ〜遊び疲れた〜。

参加者は俺、びーばー、ゆも、うっちゃん、松ちゃん、ゆーこ、えぴゅこ、みっき、
きょうへい、もちこ、もこ、ひらりそ、にとべ、こっすぃ、ゆやまん、ロバート、
午後からてぃかも来て今年も盛り上がった新年会でした。。。

皆さん、新年明けましておめでと。
今年もよろしくね。
後で観て良かったと思える作品をこれからもたくさん創っていこうね。


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さえりさんへ。こちらこそよろしくお願いいたします、期待に応えるためにあらゆる努力を惜しみません。それが僕の芝居への想いです。 / あるまじろ ( 2008-01-06 23:49 )
今年もよろしくお願いいたします。ぴゅあの舞台ご期待いたします☆ / さえり ( 2008-01-05 08:30 )

2008-01-02 三年ぶりの勝利

僕は大学時代に度胸試しで少しパチンコをやった程度で、
ほとんど賭け事というものはやったことがない。
だが麻雀だけは高校時代からずっとやってる。
煙草を吸わないところで気心の知れた人とやる麻雀が好きだ。

正月に必ずガチで勝負する高校の同級生のヒデちゃん家での麻雀。
今年もヒデちゃんとヒデちゃんの父アキラさん、
ヒデちゃんの妻ヤハギと弟シンちゃんの4人でやりました。
ここのところヒデちゃんがずっと大勝していて僕はビリの方ばかり。
あまり良い成績がなかったので「今年一年」を占う意味で、
実は今年は密かに意気込んでました。

今年こそは・・・と臨んだものの一回戦はアキラさんの大きなトップ。
僕はわずか一回満貫をあがっただけの三位。
そして迎えた二回戦。
いきなり僕に未だかつて無い波が来ました。
配パイでドラと翻パイがどっと流れ込む、ということが連続しました。
そして早い段階でのリーチも掛かる。
結果プラス60の大きなトップをものにしました。
この後半チャンを二回やりましたが僅差でトップを守り、
今年は僕がトップを死守しました。

よしっ!!!
今年は幸先がいいぜっ!!
イイ気分で帰宅、やっぱ今年は良いことあるぞっ!!!

写真は川のほとりに佇む都鳥。


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2008-01-01 謹賀新年、晴れて風なし

元旦となりました、今年もよろしくお願いいたします。
身内の不幸はございましたので祝いの言葉は控えめにいたします。

それでものんびりと起きだして窓を見ると晴れ渡った空、
正月がこうしてよく晴れたということは、幸先の良いことだろう。

今年は仕事の上ではここ何年間かの総決算の年である。
ゆっくりと自分の努力の結晶ともいえるべき存在たちを送り出したい。

芝居の上では十年先を見越してやはりゆっくりとやりたいことを実現させていくつもり。
自分と仲間の実力をもっともっと向上させて一つ一つの舞台を成し遂げる。
5日の合宿からさっそく自分の身体をいじめていきたい。

ところで某所で餅つきをしました。
幼い頃から母方の実家のある茨城の家で手伝いをしていた経験で、
餅つきなどおてのもの。
ぺったんぺったん。
なんか楽しいねえ。
つきたてのお餅はきなこと辛味大根おろしとあんこで。
少し早かったけれど正月って感じでした。

新しい年、自分自身に期待したい。


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2007-12-31 大晦日。

今年一年を文字にすると「偽」だそうだが逆ではないかと弟が言っていた。
隠されていたもの、偽られていたものが表に出てきて本来の正しいものに直されたのだ。
僕は「糺」(ただす)という字が浮かんだがどうであろうか。
人は糺すことができるのである。
責任を取り、過ちを糺して、そしてまた良いものを作れば良い。

大晦日だがいくつかすべきことがあった。
来春引越しをするはずの家を見に行く。
知人の誰も住まなくなった家。
今は荒れ果てている廃墟だが自分なりに作り直していくべきだろう。
家の再生と僕の再出発。
もう少しアイディアとかまとめておこう。

祖母の看病で筑波に行っている両親が何もできないので、
正月用のおせちやら寿司やら刺身やら雑煮やら年越しそばや天麩羅などの、
年越し用の食材を大量にお買い物。
クリンストアーというやたら安売りのスーパーは人でごったがえしていたが、
こういうときは人込みも却って落ち着くものだ。
黒豆、田作り、昆布締め、栗きんとん、なます、ちょろぎ・・・。
普段口にしないものがどうしてこんなに美味しそうなのだろう。

急な不幸で年賀状が出せなくなり申し訳ないので、
知人という知人に「良いお年を」メールをする。
心から送る、良いお年を。

紅白歌合戦を見流しながらやがて除夜の鐘が聞こえる頃、
弟夫婦がやってきてともに乾杯し年越しそばを食べる。

年が往く。
良い年になりますよう。
願いは大きな流れを作りきっと何かの形となるだろう。
良い年になりますよう。
往く年に願おう。


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2007-12-30 年の暮れに

あわただしい日々の中で仕事をなるべくゆったりと、こなしながら、
芝居のこととか自分のこととか考えていた。

年末に急に容態が悪くなった九十になる祖母にたいして、
不治の病であるから、というあきらめと、
不治の病であってもせめていま少し、
という気持ちが親族の中でぶつかり合った。
人は簡単には生きることも死ぬこともできないものなのだということ。

そんな中でまったく予想もしない中、叔父が急逝し、
人の生き死には本人にもどうしようもないものなのだということを知らされた。
あらためてそんなことを思っている。
多くの人はもうすでにそんなことは知っている。
しかし身近にそれを体験する感覚はまた別のものだ。

今年、離婚してつくづく思う。
人と人のつながりはまたなんと希薄なのだろうかと。
本来希薄であるものを信じたくて繋ぎ止めたくて、
一生懸命になることを生きるというのか。
その努力を怠るつもりもないがまだ少し痛みが消えるにはかかりそうだ。

往く年よ、ありがとう。
僕をまたひとつ育ててくれた。
こうして否応なくも傷つきながら、それでも僕は歩みを止めないだろう。


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2007-12-25 華華飯店本番

演劇創造ユニット華華飯店という劇団のお芝居に参加することを決めた理由は、
最近一つの形を定めてきた自分自身の芝居の演出というものに対して、
自分で学んだことや自分なりに考えた方法以外の方法を体感してみたいと思ったからだ。

この公演の終わった今、
華華飯店で役者として演出を受けてとても勉強になったと思っています。
役者として参加して、演出の方の意見ももちろんのこと、
他の役者からの演出的なアイディアも、
なるべくそのまま受け容れて演技に反映させようと思っていた。
そして大体、その通りにできたと思う。

その中で「役者では見えないこと」や「役者でしか表現できないこと」や、
「全員で場面を構成すること」や「役者個人の技能の大切さ」や、
「掛け合いの面白さ」や「視野の広さの大切さ」や「アイディアの豊かさの必要性」等、
当たり前だけれど芝居をやることの「楽しさそのもの」みたいなものに触れました。

華華飯店の稽古場は僕の職場から遠く、
仕事が終わってから車で片道一時間半も掛かりました。
(でもそれより遠くから来ている役者さんもいてビックリしました。)
僕はその行き帰りのたった一人の車内で発声をしたり、
信号で止まるたびに台本を読み返してみたりしてました。
わずかの期間でしたが季節が充分に移ろうぐらいの間、
そうしたことは僕にとってとても大切なことだったとも思います。

このことを次の舞台に活かす。
今はこのことだけを考えています。

写真はまだ蒸し暑い空気が残る頃、
初めて華華の顔合わせをした日に撮影した稽古場に向かう途中見た風景。
この後、何度もこの電車の行き過ぎる下をくぐりました。


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みーさんへ。こちらこそありがとうございました、何か励まされているばかりで。。。 / あるまじろ ( 2008-01-01 14:25 )
今年は激動の年でしたね。クリスマスイブイブはお誕生日だったんですね。おめでとうございました。今年もお付き合い下さってありがとうございました。来年がよい年になりますようお互いにがんばりましょうね。では、よいお年を。。。!^^ / みー ( 2007-12-31 17:11 )

2007-12-23 誕生日

それにしても僕はなんとか自分の誕生日を迎えました。
何年かぶりで一人での誕生日。まあそれも今年一年の結果です。
ただ両親は茨城の祖母の体調が悪く泊まりがけで看病しているため、
それどころではありませんでした。まあそれも仕方ない。

それでもたくさんの人にお祝いの言葉などを頂きました。
気持ちを頂いた気がしてとても嬉しく、一つ一つが宝物のようです。

劇団の人々は僕にアルバムのような写真帳を作ってコメントを書いてくれました。
僕の周りの人々はとてもとても温かい気持ちをもって僕を驚かせてくれました。

何年ぶりかに僕の前に再び姿を見せてくれた懐かしい人々も、
温かいコメントをメールでくれしまた。
芝居を通じて再会した方は誰よりも真っ先に。

同窓会で再会した友は昔と変わらず。
この友は大学時代にもたった一人っきりの僕の誕生日を、
かつて遠い信州の地で祝ってくれたこともありました。
あの時も自分は一人きりだと思ってた。
でもガラガラ、と階下の引き戸が開く音がして何かと見に行くと、
金も無い友がクリスマスケーキの箱を片手に、
「よお、たしか誕生日だったよな」と階段の上の僕を見上げたのでした。

大切にしなくてはならないものになかなか気がつかない。
僕を孤独にしていたものは何より僕自身だったのかもしれません。

今日、寄り添うように立つ二つのツリーを見ました。


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いしさ゜きともこさんへ。ありがとうごさいました、今年はこういうツリーを見て一人でよく考えるクリスマスってことですね。 / あるまじろ ( 2008-01-01 14:28 )
雅さんへ。ありがとうございました、同じ誕生日の人は他に知りませんでした、はじめてかも。 / あるまじろ ( 2008-01-01 14:27 )
ほんとだ・・・寄り添うツリー。誕生日だったのですね、おめでとうございます。よいお年をお迎えくださいね。 / いしざきともこ ( 2007-12-31 18:15 )
あら。お誕生日おめでとうございました!私の中学時代の親友と同じお誕生日だわ。そして彼女も独身〜♪ / 雅(みやび) ( 2007-12-31 11:53 )

2007-12-22 聖路加ガーデン47階展望室にて

街はクリスマスを目前に控えてなんとなくざわめいてる。
東京は大きな河口にある街。
ここから眺めているとそれを実感する。

冬の靄に包まれたこの風景はなんとなく胸にきた。
僕は一人で、こんなとこで何をしてるんだろうって。

今年ももうすぐ終わるね。
最後まで色々あった年が少しずつ。
2007年もあと10日を切った。
こんな時でも早く時間が過ぎて欲しいなんて思わない。
街がゆっくりゆっくり暮色に包まれていくのを眺めているのも悪くないから。


先頭 表紙

みーさんへ。優しく空虚な顔、素敵な表現。僕が見たものはまさにそんな感じの風景でした。 / あるまじろ ( 2007-12-31 01:28 )
もうお仕事は終わりましたか?今年もお疲れ様でした。騒がしい東京も年末年始はいっとき、ふっと優しく空虚な顔を取り戻しますね。 / みー ( 2007-12-30 10:07 )

2007-12-21 「ヤシ」の秘密

知り合いに山口県出身の人間が居る。
その人が「ヤシって山口の方言で”ずるいヤツ”みたいな意味」と言っていた。
山口の方言には詳しくないので「そうなのか」と思っていた。

が、今日、『坊ちゃん』を読み返していてそれが間違いなのかも知れない、と思った。
その小説の中に「ずるいやつ」「ペテン師」「香具師」と並記している部分があった。

「香具師」とは「ヤシ」と読む。
『坊ちゃん』の中で「ヤシ」は「ずるいペテン師」という意味で使われていたのだ。
ちなみに「香具師」とは世に言うテキ屋さんのこと。
現代ではテキ屋さんは別にペテン師とは別物である。
しかし「ヤシ」とい言葉には明治以来、そういう意味が付いていたのかもしれない。

「ヤシって山口弁でもなんでもなく広く使われていた言葉だったんだな。」

まあ日常の中の何気ない発見。
間もなくクリスマス。


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み@山口県出身さんへ。あなたが26年間間違っていたかどうかは、どうでもいいですが方言としての山口弁かどうかは違う可能性もあるということです。 / あるまじろ ( 2007-12-28 00:14 )
へぇ〜。でも『ずるいやつ』も意味としてはあってるんですよね?じゃないと今までの26年間違って使っちょることになるやん(T_T)にょー!…勉強になります。 / み@山口県出身 ( 2007-12-27 12:47 )

2007-12-20 田舎の河原にて石拾いを

今回、三月の公演では、
さいたま市内に住む詩人の三日月丸氏とのコラボでが予定されている。
三日月丸氏は「あいうえお歌」という、
五十音を一度ずつだけ使って創る詩の創始者である。
その詩を加工した石に三日月丸氏の味のある自筆で記して完成、というわけだ。
その石を今回の劇場に散りばめるように配置しよう、ということになった。

そこで三日月丸氏の手持ちに石が足りないということで、
僕と彼とで早朝から石拾いに出かけた。
場所は以前僕が住んでいた小川町と東秩父村の辺りの河原。
行ってみると早速素敵な石がたくさん。。。

二人で夢中になって300個位の石を拾いました。
石を拾っていると「この子は優しい好い石」とか三日月丸氏の声が聴こえてくる。

それだけだけど、なんとなく良いシーンだ。


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