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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

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2006-09-07 那珂湊花火大会にて
2006-09-05 放課後ガあル
2006-09-04 さよならバンクーバー
2006-09-03 日系人の野球チームが居た
2006-09-02 さよならの儀式。
2006-09-01 カナダならでは。
2006-08-31 なんか変だぞ、カナダ味噌ラーメン。
2006-08-30 なんか変だぞ、カナダ寿司。
2006-08-29 州立博物館のアンモナイト
2006-08-28 ホテルのラウンジにて。


2006-09-07 那珂湊花火大会にて

今年の夏の終わり、日本に帰ってからkaと那珂湊の花火大会を見に行った。
今年の夏、カナダ出張と帰国後すぐの公演とkaと同じ時間を過ごせなかったので、
せめてもの思い出にと二人で出掛けた。
ところがその直前に激しいスコール。
市場でお寿司は食べたけれど「これじゃダメだね」と帰ることになった。
すると途中で後方から「どーん」という音。
どうやら雨が止んで花火大会が始まったらしい。

良かった良かった。
花火を見ながらかき氷とか食べてkaもご満悦。


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2006-09-05 放課後ガあル

カナダから帰って二週間ほどで劇団の公演があったので、
それはそれは忙しかった。
カナダでは台本を読む余裕が無かったので
残り二週間は追い込みのつもりで芝居に集中した。

新潟を舞台にした女の子の十年間の友情物語。
両親の離婚で翻弄される主人公は新潟にやって来て活発なもう一人の「自分」に出会う。
そして卒業の日が近づき彼女との別れの日が訪れる。

新潟は思い出の地だ。
大学時代に合気道部で新潟大学とうちの大学の同期同士は仲が良かったのだ。
新潟大学のあいつらが連れてってくれた裏町の食堂みたいなとこで
おごってくれたおばちゃんの料理で飲んだのは忘れられない。
あいつらが松本に来た時には温泉に連れて行った。
今ではみんな何をしているのだろう。

公演の方はお陰様で大成功。
お客さんの入りも良くて嬉しかった。
僕も高校生役で我ながら無理があったのですが
観た方に「カッコイイ」と言われましたので。


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2006-09-04 さよならバンクーバー

2007年の夏、僕はカナダで数週間を過ごした。

仕事はけして全てが順調ではなく、
帰国してからの多忙さは信じられないほどだった。
それでも僕はこのカナダ、バンクーバーでの時間を一生忘れないだろう。
メルビン、クリスティン、エリーン、スー、ブランドン。
ホストファミリーの人たちは皆、僕を家族のように接してくれた。
人と人は出会う。
それが僕の人生だ。

日本を遠く離れたあの土地で見ていた風景が、今はもう霞んでいる。

ブラックベリーの群生する野原に飛び跳ねる野ウサギ。
遠く雨雲を運んでくるフレイザーリバーの川風。
夏の夕風の中で男たちが飲むカナダのビール。
やがて暮れていく景色を眺めて終わる一日。
そういう日常が当たり前のように過ぎていた。

カナダでの最後の夜にあったディナークルーズ。
青い夕闇の中、灯りが点り始めるカナダプレイス。
近く遠く潮騒の音。
ライオンズゲートブリッジの真下を船が通り過ぎるとき、
願いを込めてコインを海に投げる。

人々が思い思いに投げるコインがライトに一瞬煌めいて海中に消える。
僕はその瞬間、願うことはやめて感謝した。
I will give thanks to this fertile CANADA , gave me many things.

中空を二分する橋の輪郭が取り戻せない時間の刹那を切り取っていた。


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2006-09-03 日系人の野球チームが居た

日本に帰る前日の土曜日、
ご近所、向かいの家に住む日系三世のエイミおばさんが
「ランチを一緒に行きましょ」と言ってくれた。

エイミはバンクーバーにやってきた最初の頃、
家族にケーキを差し入れに来てくれたのだ。
うちの家族とは以前からつきあいの深いご近所さんらしい。
その後、愛犬のケンジと散歩してるところに挨拶したり、
エイミが僕のお弁当におにぎりとシャケ(サーモンじゃなくあくまでシャケ)を
パックにして持ってきてくれたり、
僕がエイミのうちのヒマラヤ杉を伐採してあげたり。
これでも短い滞在の間にいろいろあったのだ。

その日はエイミの友人のキャンディも連れてのドライブとなった。
そしてエイミがオンボロの車をビュンビュン飛ばして辿り着いたのは、
日系会館という場所だった。
カナダにおける日系人の足跡や生活の援助、移住のサポートなどをしている。
そこに日本の野球チームがカナダで活躍したことが記念展示されていた。

スティブストンの鮭の製缶工場を見た時も、
そこで働いた日本人の移住者たちの多くが親指を機械で落としちゃってたり、
冷たい海の近くで凍えながら作業したりした歴史の資料を拝観した。

故郷の日本を離れて後戻りできない気持ちで遠く離れた異国の土となった人々。
望むと望まぬとに関わらず。

日系会館でもスティブストンの歴史資料館でも、
そのことを思うと日本人として胸が苦しくなる。
そう僕はこのカナダで、
だからこそ日本人としての自分と向き合わざるを得なかった。

かつて1914年、バンクーバーを本拠地として野球を始めた
日本人だけの野球チーム「朝日」。
カナディアンリーグで二度の優勝を飾る黄金時代を作り、
1941年、戦争中の日系人排斥の中でチームの歴史を閉じる。

エイミとキャンディとで食べたカナディアンサーモンのランチは、
日系会館のレストランらしく日本語で注文できる。
山盛りのランチは本当に美味しかった。

その後、少しドライブして到着した山の上の公園。
「あんた、少しそこら辺歩いてきたらええやん」
エイミの優しい言葉と日系会館での感慨、間もなくカナダを発つ気持ちも手伝って
僕は誰もいない山の上の公園の中を一人散策した。
そのうち僕は突然、ひらけた草原の斜面のような場所に出る。

小さな黄色い花が無数に咲き乱れる日だまりの斜面。
吸い込まれるような青空と光り輝く夏の日差し。
泣きたくなるような午後だった。


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2006-09-02 さよならの儀式。

カナダに滞在していたのは実際には3週間。
三日後にバンクーバーを発つ日、
いつものようにメルとデイビッドとかとでベランダでビールを飲んでいた。

僕が明後日、日本に帰ることを知ると
デイビッドは、「さみしいよ、また来年夏来いよ」と泣きそうな顔で握手を求めてきた。
メルは、「またカレーを作ってくれ。」と言った。
そしてビールを買いに連れてってくれて僕にハーレーのキャップを買ってくれた。
「つまんないもんだけど。」
メルは本当に格好いい父親だった。そう僕にとっても。

ブランドンは、「帰んないほうがいいよ。」と泣いた。
でも僕が See You Next Summer とささやくとにっこり笑って、
「来年また会おうね。」と繰り返した。

スーとエリーンも僕に握手して「また来てね」と言った。
一人一人とさよならの儀式をして行くのは
つらいけど大切なこと。

近所に住む日系三世のおばあちゃんエイミに明後日帰国することを告げると、
「じゃあ明日、ランチをご馳走させて。
 あなたを素敵なところに連れて行ってあげるわ。」
と言ってくれた。

その日の夕方はメル、クリスティン、スー、エリーン、ブランドン、僕、
家族全員でドライブに出掛けた。

信じられないほど美しい夕焼けが僕のカナダのアルバムに残っている。
それはこの夕方、家族全員で過ごしたその時に見たものである。


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2006-09-01 カナダならでは。

それは野菜。
白いニンジン。
イプスウイッシュ。

クリスティンは食事の時に僕に聞いた。
「何か、嫌いな食べ物はないの?」
「そうですね、僕はほとんど食べられないものはないのですが、
 ピーナッツバターだけは苦手ですね。」

僕がそう言うと彼女は笑った。
「たいしたことないわね、メルはほとんどの野菜はダメね。
 私も野菜はあまり好きじゃないわ。
 特にね、私の両親は農業をやっていたのだけど作っていたのが
 イプスウイッシュっていう白いニンジンなのね。
 子供の頃から一年中それが食卓に並んでいて大嫌いになったわ。」

なんだ、白いニンジンって??

はい、これが白いニンジンです。
スーパーに並んでましたが表面はネバネバしてました。。。
これはカナダならではの野菜ですねえ。


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2006-08-31 なんか変だぞ、カナダ味噌ラーメン。

平日の授業が半日で終わった日、昼食に以前から目をつけておいた
ラーメン屋に入る。
その名も『レッド・ツナ(赤いマグロ)』。
なんでラーメン屋が魚の名前?と思っているとやっぱり寿司屋も兼ねてる。
いや客は寿司を食べている人の方が多かった。
僕は味噌ラーメンを食べる、久しぶりだ。

チャーシューもシナチクもちゃんと入ってる。
味噌なのにナルトが入っている、やや濃い味の味噌ラーメンだ。
それでも久しぶりのラーメン。完食しちゃったよ。

でもスープがぬるくなければ良かったな。
板前さんは寿司を握っていたがラーメンは奥の厨房のおばちゃんが作っていた。
大学の学食のラーメンっぽかった。

はい、もうひとつでした。


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2006-08-30 なんか変だぞ、カナダ寿司。

ビクトリアからバンクーバーに戻った日、
S氏と寿司ショップに入る。

そろそろ日本食が恋しくなってるんだねえ。

ちなみにカナダの最高級魚はサーモン。トロよりサーモンだ。
寿司はほとんど巻物が主流で必ずアボガドが一緒に巻いてある。
すべてサビ抜きでお刺身のように醤油皿にわさびをお好みで入れて食べる。

はい、いまひとつでした。


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2006-08-29 州立博物館のアンモナイト

ビクトリアを発つ日、最後の数時間を州立博物館で過ごす。
このとんでもなく広くて日本の何倍もあるビクトリア州、
歴史も文化も自然豊かすぎる。

まだ帰りのフェリー埠頭に向かうバスの集合時間には間があるので、
博物館に隣接したカフェでカプチーノを飲む。
JJ−BEANSというスタバみたいな店が美味しかった。

博物館って純粋に楽しいねえ。
けちなどっかの国と違ってほとんどの場所で展示品と写真が撮影できました。


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2006-08-28 ホテルのラウンジにて。

ビクトリアでの夕方、仲間と食事に出て割と老舗のチャイニーズレストランへ。
北京ダックとかフカヒレとか海鮮チャーハンとか美味。
カナダへ移民した華僑たちもすでにV世の時代。
中華料理も本場顔負けであった。

帰り道で見た州議事堂がライトアップされていて綺麗。

ホテルに戻ってからバーのラウンジで地ビールを飲む。
1パインって大量だった。

なかなかビターな香り。
愛想の良いバーテンがマカデミアナッツと一緒に出してくれた。


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