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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

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2005-12-28 出会いの街〜GYMPIE 2005/12/27・28
2005-12-27 マッカイへ〜 2005/12/26・27
2005-12-26 迷走〜2005/12/26 午前
2005-12-25 グレートバリアリーフ〜2005/12/25
2005-12-24 ポートダグラスのヨットハーバーにて〜2005/12/24正午
2005-12-23 ケアンズの動物園にて〜2005/12/24
2005-12-22 離陸直前・直後〜Just before , just after a takeoff 2005/12/23 21:10
2005-12-21 出発直前 〜Just Before Departure 2005/12/23
2005-12-20 あの夏に出会ったCrossroads
2005-12-19 他人の失敗ばかりをののしっていたって自分が失敗しなくなる訳じゃない。


2005-12-28 出会いの街〜GYMPIE 2005/12/27・28

マッカイを出た27日、
タウンズビルの手前の海沿いの時速100q制限のところで、
なんとパトカーポリスメンにスピード違反で捕まる。
「時速117q/hも出てたぞ!」
うーん、すみません。日本なら捕まるスピードじゃないんだけどなあ。
郷に入れば郷に従え。
ごもっとも。もちろん従います。

その後は完璧にスピードをコントロールしたので(当たり前)
予定の宿泊地NOOSAへ急いだが、
さすがに気の長い夏の太陽も待ってくれない。

「宿も探さなきゃならないしヌーサに行くのはあきらめて
 GYMPIEっていう街に泊まろうよ」
というkaの提案に乗ることに。

GYMPIEではすぐに宿が見つかる。
気さくなスー夫人が取り仕切る夕食付きの宿。
すぐに気に入った。

せっかくだから夕暮れのGYMPIEの街を観光。
良い街だった。
美しい夏の夕暮れに坂の多いGYMPIEはゆっくり包まれていく。
かつては金を算出しクイーンズランドを救ったという。

たまたま通りかかった教会で彼女は一番後ろの席で静かに祈りを捧げていた。
車にkaを残して一人で教会をのぞいた僕を見た彼女は、
僕を見てゆっくりと微笑した。
彼女、バーバラは僕の母と同じくらいの年齢に見えた。
そして「あなたはどこから来たの?」と優しい声で語りかけてくれた。
そして神父様に僕を紹介した。
僕は嬉しくなってkaも連れてきてバーバラと神父様に紹介した。
僕はカソリックを信じていないことを告げても全く態度は変わらない。
翌日のミサに出たいと言ったらこころよく「YES」と答えてくれた。

「神父様、わたしは神様が彼をここに連れてきてくれたと思うわ」

翌日のミサの後で緑色のビーズの十字架のネックレスを僕らにくれた。
そしてバーバラは朝食にも誘ってくれたのだけれど、
僕らはスーに朝食を頼んでしまっていたので丁重に断るしかなかった。

「いつでもここに帰ってきてね。」

そう言って神父様と僕らの車を見送って手を振ったバーバラ。
彼女に出会えたのは本当に神様のおかげだと思う。

写真はGYMPIEの駅のホーム。
ゴールドラッシュで賑わった頃の喧噪が時の記憶の中に沈んでいた。


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2005-12-27 マッカイへ〜 2005/12/26・27

本当ならもう少し先を目指していたのだけれど、
道に迷ったのも手伝ってマッカイという港町で初日のドライブを終える。

町の中は閑散としていて店の大半も閉まっている。
まあクリスマス休暇のまっただ中だからしょうがないか。
なんとか一軒の宿に泊まることができることになり、
ファミレスで食事。ピザの食べ放題だったけど特に美味しくもなく。

この街では釣りをして居る人を多く見掛けた。
ハーバーの先に海に突き出た突端のような場所があり灯台が見えた。
そこはとても美しく夕暮れの風に海が静かに波打っている。
そんな場所だった。


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2005-12-26 迷走〜2005/12/26 午前

ケアンズでの2日間を振り返る間もなく、
ブルースハイウェイ(1号線)を一路ブリスベンに向けて
約1500qにも及ぶドライブの3日間が始まる。
どこに泊まるかまったく決めてない。

道は一本・・・のはずだったのだけどInghamという街から
なぜか1号線を外れて気づくと表示は「no through road」。
ふいに不安になって街の、というよりは村の名を探すとAbergowrie。
1号線を遙かに内陸にそれていた。

人影がない。
静かなAbergowrieの村の夏の昼下がり。
燦々と照る日差しは明るく、サトウキビの葉が風に揺れていた。

結局1号線に復帰したけど約1時間、100q以上のロス。
だけどなんか損したような感じじゃないんだな。

もう二度と来ることのないだろう村、
走らない道、
目に映らないだろうこの景色。

なんとなく流れる雲を背景に、この村の名もない木を撮影。
さあーっと頬に当たった気持ちいい夏の風は写らなかったけど。


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2005-12-25 グレートバリアリーフ〜2005/12/25

人工衛星からも確認できる「生物」(珊瑚)の塊。世界遺産。

グレートバリアリーフに1日遊ぶ。
ケアンズのトリニティワーフから高速船に乗って1時間半。

夏の日差しは強く絶好の海日和。
オーストラリアの紫外線量は日本の5倍らしいからUVケアーも入念に。

ニモに似たダスキーアネモネやカンムリベラ、ダイダイブダイ、ネッタイスズメダイ、
ゴマフエダイ、ツマジロモンガラ、ハイフィンパロットフィッシュ。
海底に大きく口を開けたシャコ貝。
そして珊瑚達。

シュノーケリングだけでも休みながら合計2時間くらいやってたんじゃないかな。
僕らは美しい珊瑚の海の虜になったみたいだ。

日が傾きポントゥーンを離れる時間が近づくのが悔しかった。
まだ帰りたくない、
そう言って砂で作った城にしがみついた子供の頃を思い出す。

西日に輝く遠くのマングローブの林が
夏の1日の終わりを優しく見つめてる。

ハーバーに帰ってく途中でみた、
海に浮かんだ黄色い飛行機が、
波に揺れててなんか胸が切なくなった。


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2005-12-24 ポートダグラスのヨットハーバーにて〜2005/12/24正午

動物園を後にしてさらに国道1号線をさらに北上。
海沿いのワインディングロードを進み60qほど先の港町ポートダグラスを目指す。

海は熱帯の海特有の深いエメラルドブルー。
雲が時折り切れて、晴れ間が見える。
さすが「超晴れカップル」。

ポートダグラスは岬の突端に拓けた港町で今は超高級リゾートになっている。
ナチュラルスパとかもあったけど予約は一杯だった。
ヨットハーバーの近くマリーナ・ヴィラージュを散策すると
潮風が夏の国に来たことを改めて実感させてくれる。

トナカイの髪飾りをつけたウェイトレスさんのいるレストランのテラスで、
二人で食べたスナッパー(という魚)のフィッシュ&チップスが美味だった。

オレンジのTシャツを着たkaは機内で眠れなかったのか少し眠そう。


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2005-12-23 ケアンズの動物園にて〜2005/12/24

「当地の天候は曇り、気温は31℃・・・」
シートベルトのサインが消えてキャビンアテンダントの声が静かに流れる。

ケアンズに到着してまずは歯を磨く。
レンタカーのカウンターはもう開いていてすぐに手続き完了。
白い車がこれから一週間の旅の連れ。

空港のラウンジで取る朝食はベーコンエッグ。
朝食後、ミネラルウォーターを買っていよいよ1700q以上のドライブの開始。

最初の目的地はケアンズから北上して

「おいおい、こっちは朝飯前で気が立ってんだけど」
とカンガルーくん達に言われた。
気がした。

1$で購入したカンガルーくんの餌を手にkaは大奥状態。
餌を持っていない僕にはやや冷たい「カンガルーの局」。


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2005-12-22 離陸直前・直後〜Just before , just after a takeoff 2005/12/23 21:10

旅の始まりの雰囲気が好きだ。
チェックインカウンターで言ったら窓際の席が取れた。
乗り物はなんでも窓際が好き。
ラッキー。

飛び立つ直前の窓の外に真冬の空気が張り付いている。
転々と明滅する青や緑の指示灯の光や管制塔の灯り。

いよいよ寒い国から真夏の熱帯へ。

離陸。
大きく傾いでいく銀の翼が夜の闇の中で呻りをあげる。
大小の様々な街の明かりが半島の形になって窓の下に広がる。

少しの間、さよなら。
僕らの生まれた国。


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2005-12-21 出発直前 〜Just Before Departure 2005/12/23

僕はkaとオーストラリアに行くことにした。
なんとなく多忙で顔を慌ただしく過ぎてしまった
2005年の夏がもう一度戻ってくるような気がして、
うれしい気分のままに。
(日にちがずれてるけどほんとは12/23に成田から旅立った。)

誕生日の日に巨大な寒波が近づきつつある祖国を発ち、
赤道を越えて南半球へ。

早めに成田に到着するやいなや、
今回、ホテルやレンタカーの手配をしてくれたサトウ君から心配のпB
僕はのんきにお礼を言ってついでに尋ねる。
「ところでターミナルは第一だっけ第二だっけ??」

空港のラウンジで二人で遅い昼食をとりながら。
通り過ぎる人々を眺める。

成田の雰囲気もクリスマス直前。
人の流れは慌ただしいけどどこか幸せそう。


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2005-12-20 あの夏に出会ったCrossroads

ネットのオーストラリア地図を探して、
CairnsからBrisbainまでの東海岸沿いのHWを辿ってみる。
やっぱ遠いなあ。

途中の道の写真とかも見てみたけど。
Mackayとかえらく発展したみたい、ただの河の街って感じだったんだけど。
僕が野郎3人でこの道、Blues highwayをひたすら南下したのは
今からおよそ十年前。

あのとき、僕らは有名な観光地はほとんど見なかった。
通り過ぎる牧場やクリークの流れていく景色、
ユーカリの森が夏の日差しに深い陰を落としてるとことか、波の音だったり。
だから記憶は曖昧で幾つかの風景が脳裏に焼き付いているだけだ。

十年前の僕はまだ芝居の世界に入っていない。
あれから十年が僕の人生を少し変えた。

あそこにあるのかもしれない。
僕の今を少し変えたなにかのCrossroads
もう一度教えてくれる、2度目の2005年の夏の翳りが。

現実をふと振り返ると、冷え切った夜の闇。
今晩遅くにみぞれの予報も出ているみたい。
記録的な寒波が再びこの国を包んでいく、真冬の空気がたゆたっている。


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キーさんへ。お久しぶりです、コンクール金賞ですか!!おめでとうございました!!今年の最後に良いニュースをありがとうございました。 / あるまじろ ( 2005-12-31 11:41 )
昔野透夜さんへ。コアラ抱っこしますね、確かに。ヤツは眠そうですよねいつも。 / あるまじろ ( 2005-12-31 11:40 )
みーさんへ。あっという間ですねえ、確かに。今回はその十年を確認する旅でもあった訳であります。 / あるまじろ ( 2005-12-31 11:36 )
綺羅さんへ。次の十年へと良い歳の取り方をしていきたいですね。老いることも結果ですから。 / あるまじろ ( 2005-12-31 11:34 )
お久しぶりです。10年一昔と言いますね・・・私の場合は、5年前今の楽団に入って、へっぽこサックス吹きに磨きがかかりました(?)とりあえず、コンクール金賞は今年の快挙です。今はまだ中間地点ですね。 / キー ( 2005-12-24 21:00 )
オーストラリアには今から20年以上前のまだ、子どもの時に最初で最後の海外家族旅行で行きました。今でも覚えていることが多くて、記憶ってスゴイよなぁと思っています☆コアラ抱っこしたこと、とか。 / 昔野透夜 ( 2005-12-23 23:27 )
CairnsとBrisbain、私は17年前に行きました。Brisbainの記憶は薄いんだけどCairnsは私にとっては強烈なインパクトがありました。なにもかも風景が濃かった。10年前、私は確かに人生が変わるとこがありました。10年なんてあっという間だけどね。 / みー ( 2005-12-23 02:44 )
10年・・・その間は何も変わらないように思うのに、振り返ると少しずつの積み重ねが大きくなってるんですよね。これから10年後、一体どうなってるのか楽しみだったり、恐かったりします(笑) / 綺羅 ( 2005-12-22 17:16 )

2005-12-19 他人の失敗ばかりをののしっていたって自分が失敗しなくなる訳じゃない。

何かアクシデントがあると人の心が分かる。
昨日の夜にいきなり飛び込んできた電話によって突然状況が変わった。
その変化は、けして喜ばしいことではなかった。
しかしそれを目一杯全力で良いことに変えようとした。
そこでちゃんと耳を貸してくれた人とそうでない人がいる。
人々は様々な反応を示し返事をくれたりくれなかったりした。
別に全て従ってくれる人だけが良いと言っているわけではない。
言葉や態度にはきちんと心が反映するものなのだなと分かっただけだ。

失敗をした方からも電話が来た。
もちろん逆に励ました。
その場で次の会場を押さえに掛かって、
すぐにもちこが現地に飛んでくれた。
みんな次に向かって意欲満々。

それだけが未来。

I light up that the unnecessary unkind argument
is an accessory after all.
I criticize failure of another person, and oneself makes a blunder.

それだけは真実。


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対応の仕方は人それぞれで、それはいいとか悪いとか、他人が決められるものでもなくて、ええ、ただ真実なんですよね。なんだかうまくいえないんですけど。 / 綾川篠 ( 2005-12-22 23:03 )

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