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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2015-08-31 いまさらだけどバンド
2015-08-27 遠い日の花火
2015-08-25 夏の終わりの高原に霧雨が降る
2015-08-22 危うさの中の安定と計算と準備
2015-08-21 今創っている芝居
2015-08-20 揺れて湘南
2015-08-19 夏の終わりに嵐来る
2015-08-18 雨の匂い
2015-08-17 晩夏
2015-08-15 終戦記念日


2015-08-31 いまさらだけどバンド

6月に組んだバンドでいよいよ8月も最後。
やっと演奏する全曲を全員で合わせて通し。

9月に入ったらすぐステージが待ってる。

今まで全てを通したのは初めてだったけど、
やっと通せました。

僕はボーカル&ギターなのですがまだまだ練習は必要ですね。
他の人たちが上手なので助かります。
本番までにコードを覚えてなんとかまとめたいです。

バンドを組んでステージに立つのは何度かありましたが、
今回は完全なロックバンド。
ドラムもギターもベースもそろっていて、楽曲も洋楽。

そこで気づいたのはバンドとは調和なのですね。
それぞれの音を聴いて合わせていく。
そんな当たり前のことに合わせて初めて気づきました。

ひと夏、時間をみて合わせて来たし練習もしてきたので、
無事に終えたら幸せ。

ナックのマイシャローナ、
チープ・トリックのアイウォントトゥウォントゥミー、
ブライアン・アダムスのサマーオブ69
オアシスのドントゲットバックアンガー、
チープ・トリックの今夜は帰さない。

一曲一曲、思い出深い曲になりました。
うまく出来ると本当に気持ちいい。

いや、もうちょっと練習しますわ。


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2015-08-27 遠い日の花火

全然関係の無い芝居を観ていたのだが、
それとは全く関係の無い、
遠い日の記憶で、
しばらく埋め尽くされた、
という時間があった。

甘くほろ苦い思い出。
けして自慢も出来ないし後悔しかない記憶。

あの時の冬の冷たい朝の空気。
静まりかえった廊下に響く足音。
ゆっくりと見上げた景色。

その次は思いがけなく友人に見透かされたこと。
その時の二人の雰囲気。
それは確実に次のシーンを予感させていた。

次の風景は秋のグランド。
遠くに見つめるその人に向かって歌っていたあの曲。

そしてあの日、雨の降る駅へと続く坂の途中。
その後、過ぎていった、どうしようもない時間。

もう戻ってこない時間はなぜ、あんなに甘く、
そして残酷なのだろう。

絶対に戻れないけれど、戻れるなら戻りたい。

それはけして好い事とも思えないけれど、
もう少しうまく出来るかもしれないと、
何度も何度も後悔するのだ。

哀しいけれど戻れない。
それが分かっているから、あえて夢で蘇るのだろう。


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雅さんへ。へえ〜。 / あるまじろ ( 2015-08-31 01:02 )
恋は遠い日の花火ではない。の田中裕子さんの相手役に若き頃の伊藤英明が出てたって知ってます?って本文には関係ないですけど。(笑) / 雅(みやび) ( 2015-08-29 15:16 )

2015-08-25 夏の終わりの高原に霧雨が降る

23日から25日まで浦北の時の同僚だった大木さんの川北と、
会津のタカツエで夏合宿。
しかし風は秋色で、トンボがたくさん飛んでいて、
秋合宿みたいな感じ。

芝居的には、第三クール。
芝居の中身が問題となった合宿だった。

役者は素晴らしい活躍だった。
誰もが芝居に真摯に取り組み、
今までに無い出来映えである。

昨年に比べて作品に不安定なブレがない。
この合宿中に無駄な部分を削って、
さらに作品は純度を増した。
彼らは最後の通しまで素直に演じきって、
期待に応え続けた。

二日目の夜の通しも会心の出来とは行かないが、
現時点のベスト。
今後の幾つかの山も越えていけると、
信じられるような作品になった。

三日間の合宿も成功に終わり、
ホテルを後にする時には高原に霧雨が降っていた。
夏の終わりをつぶやくような霧雨が。


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2015-08-22 危うさの中の安定と計算と準備

人間ドックに行く。
いろいろ検査して、今年も全て異常なし。

まあもうちょっと運動しよう。

帰宅して幾つかの仕事のメールをして、
夕食を作り、明日からの荷造りをする。

明日から合宿して芝居作りの総仕上げ。
昨日のゲネをシミズさんに見てもらえなかったのは残念だったが、
その芝居は手応えがあった。

昨日の夕暮れには大宮地区のOさんからまた演劇のワークショップの依頼。
11月に今度は、浦和・大宮合同でのワークショップを開くそうだ。

また劇団員に手伝ってもらえるかな?
まあ一人でも出来ないことは無いが。

ここのところ劇団の入団に関する問い合わせがちらほらあるが、
これもどうなるか流動的か?
良いご縁があれば、と願うしか無い。

たまたま先日、シミズさんとお話をする機会を得たが、
相変わらずエネルギッシュで多忙な方だ。
僕としては、シミズさんのような役者から学ぶことは多いので、
どこかで舞台を共にしたいとおもっているのだが。

話は戻るが明日から泊まりがけで芝居を作り込む。
しっかりしたものが出来るといいと願っている。

なにもかも、終わってみない分からない、
なんともぼんやりとした未来である。


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2015-08-21 今創っている芝居

この芝居は僕の書き下ろしではあるが、
製作の段階で事前に役者たちの意見を入念にヒアリングしたものだ。

演じているのは若い役者だが、
昨年秋から順調に伸びてきた感じで、

以前は固さやぎこちなさが目立っていたが、
ここに来てだいぶこなれてきている。

よく考え、同時に器用でもある。
まだ自分の演技に酔う部分があって若いが、
それを無くせばとりあえずの欠点はなくなる。

素直で真っ直ぐに伸びれば、まだまだ成長するだろう。

ひとりひとりはそれぞれに個性的な部分もあるが、
それが他の足を引っ張るようなことは今のところ無い。

問題は時間だが、
それは全体を見渡して調整していく演出の腕の見せ所だろう。
ここは冷静に調整する必要がある。
しかしそれ以外はほぼ出来ている。

8/21のゲネでは問題点はタイムだけだ。

明日から合宿。
いよいよ面白くなってきた。

第二クールの山場に差し掛かっている。

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2015-08-20 揺れて湘南

という歌があって好きだった。

八月の終わりは海風も海の色も変わっていくね。
あの暑かった今年の夏も終わっていくね。

最後の蝉の声だけが響いてる。

この夏にしたこと、
この夏に出来なかったこと、
想いだけが募って、
口に出来なかった言葉が波の音に消えていく。

シャツの裾をバタつかせる八月最後の風に、
帽子を押さえて振り向くと、
その向こうにもう行ってしまった夏の後ろ姿がみえた気がした。


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2015-08-19 夏の終わりに嵐来る

先日来、『ゲーム・オブ・すローンズ』という海外ドラマにハマッている。
脚本が練り込まれていて難解ではあるが、それがまたすごい。
映画と違ってドラマは、ダラダラと続くがそれもいい。

自分でも台本を書くが、
尺が決められているものを書くと、
やはり起・承・転・結というか、
オチに向かってどうしても全体を構成してしまう。

しかし終わりが無かったら、
純粋にその時の物語の流れに身を任せて書くことが出来る。
そしてある程度事前に物語の中の世界観を練り込んでおいて、
物語の流れを複数のライターで話し合い、
アイディアを共有してから書いているのもいい。

テーマは残酷なほどのリアリティ。
ファンタジーなのにものすごくリアル。
登場人物は個性的。
シーンごとに描かれることが全て意図的。

自分もこんな脚本が書きたいなあ、と思う。
つまりは定型の60分ものに飽きているのである。

もっとダラダラ台本を書けたらなあ、と思っている。


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2015-08-18 雨の匂い

久しぶりに朝、雨が降っていて、
雨の中、家を出た。

明け方にふと目が覚めてずっと考えていたことをまとめる。
思っていたことを伝えたい。
ずっとそう考えていた。

その成果はありまくりで、
すごく良い感じで今日を終えることが出来たと思う。

一人一人が成長してる。
チームも成長している。

午後には雨は上がり、また蒸し暑さが戻って来た。
電話をしたら山口は晴れているとのこと。
天気は西から変わる。
それなら明日は晴れだろう。

予定通り、全ての仕事をしっかりこなして、
先へ進めば良い。
今日は自分の仕事もほぼこなして、順調。

今朝、心に掛かっていた雲も晴れたようだ。

そう言えば、
西の空は途中からもう明るかったんだ。
それに気づけば、もう不安もない。


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2015-08-17 晩夏

その先輩はもの静かで出しゃばらず、
しかし常にすべきことは成し遂げ、
人の嫌がることをさけようとしない人だった。

そして僕のような「出る杭」を微笑んで後押しできる、
そんな器のでかい人だった。

ここ数年、体調のすぐれない日が続いていたと、
風の噂には耳にしていたが、
まさかこの夏に訃報を聴くことになるとは、
思っても居なかった。

多くの人がそれを嘆くであろうこの訃報を、
僕自身も深く深く悼む。

合掌。


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2015-08-15 終戦記念日

お盆真っ最中の8/15。
僕らの国に起きた戦争が七十年前に終わった日。

甲子園では正午に合わせてサイレンと共に黙祷し、
テレビでは終戦に合わせて記憶をたどるような特別な番組が流れる。

僕は戦争を知らず、戦争で死ぬ怖れを知らない。
世界は混沌として安穏としていられるような状況ではないのかもしれない。
しかしこの七十年は夢幻だったのか。

しっかりとした信念を持って不戦を貫いていく国には未来はないのか。
いざという時には戦うよ。
そんな気持ちを持っている国に対して、
戦わせるのが良い、と思われて引きずり込まれた戦争ではなかったか。
不戦と決めていれば、他国にそんなことを考えさせるような隙も与えまいに。

不戦を貫くために軍備を整えることを勇気と言うなら、
この国を出ていけばいい。

戦争はなんとしてもしちゃあいかん、
実際に体験した人たちの言葉が七十年の時の重みに沈んでいく前に、
僕らにもできることはあるのではないだろうか。

何はともあれ、黙祷。

多くの人たちのあるべき未来を奪ったのも国を司る者たち。
どうすればそうせずに済んだかを、
なぜか考え出そうとしないで、
平和を求める人たちの声を無視しているばかりである。


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