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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2014-03-05 父との焼肉
2014-03-04 落陽
2014-03-03 紡ぐべき物語
2014-03-02 三週間を切る
2014-03-01 母の三回忌
2014-02-28 舞台の重み
2014-02-27 春の予感
2014-02-26 大切なものは遠いところにある
2014-02-25 久々に嫌なものを
2014-02-24 穏やかながらもすべきことを進める


2014-03-05 父との焼肉

武田鉄也が言っていたが、
「男には自分は食わずとも家族が食べる姿を愉しむという習性がある」
とのこと。

父には間違いなくそういう所がある。
「たっぷり食べなさい。」
「もっと食べないか?」

自分が食べないものまで注文する。
もちろん子供たちが望んでもいないのに。

僕の父や武田には子に何かをしてやれなかった、
という経験や記憶があるのだ。

父は僕が幼い頃に稼ぐことが出来なかった。

父の焼肉では父は食べないから、
父に食べさせることが大切だ。
人に食べさせるばかりの父に僕は言う。
「さあ、あなたも食べてください。一緒に食べましょう。」

僕らはもう今はお金にはそれほど困っていなくても、
過去の記憶は消せない。
その記憶は分からない人には分からないのだ。


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麦さんへ。理解できない人は理解できない。それで立ち去るなんて、乱暴なことです。 / あるまじろ ( 2014-03-10 23:14 )
ああ、言われてみれば、そうかもしれません。低学年時代を焼夷弾から逃れていた父は、おかずを必ず一口残してました。次いつ食べられるかわからないので自分や弟達のために取っておいたクセが抜けないのだといってましたね・・。 / ( 2014-03-10 09:56 )

2014-03-04 落陽

西の空からこぼれている金色の光り。
流れていく雲も変わりゆく天候を暗示しながら、
また時の移りのなかで姿を変えていく。

やや体調が崩れて頭がボーっとしている。
行きたかった写真展に行くのも夕方断念した。

ああ、その西の空からこぼれる光芒が、
青く変わっていく夕景に最後の輝きを刻む。

季節の終わりの独特の切なさが、
光の中に含まれているのだ。
それがこの美しさの背後にあるから、
僕は足を止めて動くことが出来なかった。


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2014-03-03 紡ぐべき物語

朝からそれなりの仕事をし、
ふと気づくと一日が終わっている。
誰もがそうだがやらねばならないことが、
後から後から追いかけてくる。
何も追いかけてこないことが幸せではない。
まあ、それも真理だ。

「遺体」という映画を観た。
震災の時の遺体安置所を舞台にし、
実際にあったことを映画にした作品だ。
一つ気になる言葉があった。

「ドキュメンタリーにはしたくない」という言葉。
フィクションの物語であるからこそ現実以上に現実を描くことがある。
全てが「ありのまま」では物語にならないのだ。
現実が真実ではない以上、
物語の中に現実を超えた真実があってもおかしくない。
遺体を安置する体育館に、主役を演ずる西田敏行は靴を脱いで上がった。
モデルとなった人物はそんなことしてはいないが、
実際には「そうしたかった」のだそうだ。

物語の中ならそれが真実になる。
大切なのはリアルではなくリアリティ。
物語が嘘をつかなければいい。
一方で現実は嘘をつくから、騙されてはいけない。
結果的には楽観的な結末も、悲観的な結末も、
人は「これが現実だ」「これが人生だ」と受け容れるしかない。

人は物語の中に嘘のない奇跡を望むものだが、
その全てがあながち嘘ではない。

僕たちが紡ぐべき物語は、
結果をあれこれとってつけて説明することではなく、
そこで何を伝えるか、なのだ。

冬の終わりが近い。
夕日がいつの間にか背後に迫っていた。


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麦さんへ。僕も自分では3.11を物語にすることはまず出来ないと感じています。ただこの目で見た三か月後の仙台の道路の真ん中に転がる漁船とか、物語に出来そうにないからです。物凄い虚無がそこに転がっていたのを覚えています。 / あるまじろ ( 2014-03-04 21:46 )
…ノンフィクション信者の私としては、これまで、特に3.11など物語にしようとする人たちを、物凄い勇者か身の程知らずか金目当てかのようにしか思えなかったのですが。そこに意義がある。すごく府に落ちました。大変興味深いお話でした。 / 麦 ( 2014-03-03 23:39 )

2014-03-02 三週間を切る

今日は一日稽古。
今日は右足の節が少し痛い。
身体が少し重い。
別に病気じゃないんです。
なんだろう、ちゃんと寝たのにな。

念入りにストレッチして身体を温めて、
発声まで進める。

頭から立ち稽古、一つ一つのセリフを丁寧に始めた。
本番まで三週間、焦らずやるしかない。

昼は近くの揚州商人で酸辣湯麺。
身体があったまる。


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2014-03-01 母の三回忌

朝から小雨がそぼ降る弥生の朔日。
命日には少し遅れたがやっと出向くことが出来た。
本来、行くべき日に大雪が降り遅くなってしまった。

兄弟も集まり家族全員で出かける。

墓について軽く掃除をし花を供えてもらい、線香を上げる。
叔父が先に眠るこの場所は遠くに山が見える。
僕と母と二人でよく来ていた場所だ。
その地に今は母も眠る。

時は流れるものだ。

お坊さんも丁寧にお経をあげて頂いた。
その間、何回か山から冷たい空気がゆっくりと流れて来て、
ああ、母が来ているな、と思った。

家族全員で鰻を食べて精進落とし。
三回忌が無事に終わり父は「ホッとした」とこぼした。

自宅に帰って来てあらためて仏壇に線香をあげ手を合わす。
はい、また一区切りが終わった。
こうして少しずつ亡くなったことを受け容れていくのだ。
こうして遠く離れていくことを受け容れていくのだ。
それが大切なのだ。

母が好きだった蠟梅。
もう三月だ。春も近い。


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2014-02-28 舞台の重み

イモトさんの演技はとても棒読みですけど、
これがあの山々を登頂成功させてきたご褒美だとしたら、
文句はない。

こんな舞台を与えられることは羨ましいが、
僕にはマナスルをクリアはできない。
だとしたら、芝居をするってことは、
なんと困難なことか。
それではこれで終わりというわけではなく、
練習して稽古してもっと上手くなるべきですね。
もう登山はやめたらいいと思います。
山じゃなく舞台のオファーが来る人になれたらいいですね。

稽古終わりに青木亭というラーメン屋さんに。
色々なことがあって味はよく分からなかった。


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2014-02-27 春の予感

今日まで使える温泉の無料チケットがあったので、
満を持して休暇を取りドライブ。

辿り着いたのは、小川町・花和楽の湯。
無料で温泉だけでなく岩盤浴までついてくるコース。
まずは岩盤浴専用の服に着替えて25分の岩盤浴。
汗びっしょりになって、続いて温泉。
一時間近く浸かってました。
もちろん出たり入ったりして。
その間もセリフを頭の中で繰り返したりしてね。

廊下の突当りに雛人形が飾ってありました。
ああ、もう三月なんだね。

帰りに農産物直売所で野菜と一緒に、
売っていたネコヤナギもみました。
帰ってから母の仏前に供えました。

春が近い。
季節が急ぎだす、そんな頃合いです。


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2014-02-26 大切なものは遠いところにある

今日も一日、ありがとう。

仕事はのったりのったりこなして、
幾つかの電話をかけて、
書類を幾つか作成して。

昼は同僚と一緒に蕎麦などを食べに行き。

暇な時間を見つけて台本を読む。
ところがセリフが入らない。
一人で読んでいてもセリフって入らないね。
やはり入れては試して、試してはまた入れる。
そうやって少しずつ進んでいくものだ。
いや、それにしても入らないものだ。

セリフが入っていて下手なのもなんだが、
セリフが入らないってのは深刻だ。
いやね、自分で「深刻」って言葉を使って、
自分を追い込もうって訳ですよ。

夜の稽古ではセリフの入ってるとこを返して、
すごくスムーズにいった。
やはり、繰り返しは大切だ。

いや、そうはいっても、
なかなかな量なんですよ、実際に。
いや、なかなかなもんです。

ミニ天丼と蕎麦のセット。
待たされたからこそ、美味しいってこともある。


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みーさんへ。スポーツジム、いいですねー。身体動かしたくなる季節ですよねー。写真展の詳細、メールください。待ってまーす。 / あるまじろ ( 2014-02-28 01:06 )
どもー!お久です。今年からスポーツジムに通い始めたんだけど、そのあとのざるそばがお楽しみです(^^) 突然ですが来週写真展やりまーす。もしついでがあれば来てねw 告知しました☆ / みー ( 2014-02-28 00:12 )

2014-02-25 久々に嫌なものを

たまたま食事時にやっていたテレビ番組だが、
仮にもプロとして歌手をやっている人に対して、
「歌うまキッズ」なんていう、
単なる子供と競わせる下衆なものを見た。

歌がレッスン通りに上手いものの、
なんの面白みもない歌を歌う子供と競わせて、
しかも歌の上手さではなく、
単なるカラオケの機械による判定で勝敗を分ける。
歌の上手さはともかく、
そのプロの歌手にとって歌とは、
子供とくだらない技巧を競うためのものではない。

その人が自分のアイデンティティを賭けて、
必死で作り上げて来たものだ。

どこの誰だか分からない子供は失うものはない。
一方でプロの歌手は全てを失う可能性もある。
単なる勝ち負けではない。
そのプロの大切なプライドや人生に近いものだ。

そういうことを何も理解せずに、
傲慢にも勝とうとしている子供は、
何もわかってなくて本当に失礼だ。
もしプロと勝負するならそこにいる子供も将来を賭けるべきだ。
もし仮に負けたなら二度と人前で歌など偉そうに歌うな。
プロと勝負する機会を得る、ということはそういうことだ。
大人はそう、その名前を売りに来た傲慢な子供に教えるべきだ。

さらに胸糞悪いのは、
そこに出てくる子供を応援なんかする大人たちだ。
奴隷同士を戦わせる古代ローマの高みの見物。

僕が吐き気を覚えるくらい気分が悪いのは、
そこにいるプロだけが途方もなく大切なものを賭けさせられていて、
歌うまキッズは自分の売名が目的で買っても負けても失うものはなく、
そこにいるアイドルは自分の冠番組のためにプロの歌手を平気で犠牲にし、
制作サイドはその時の番組の数字さえ良ければいいと考えている点だ。

「プロの歌手本人も承知でしているからいいのではないか」
良くネットの世界で使われる論法だ。
そのプロの歌手と大きな事務所のアイドルや制作側の人間の、
ヒエラルキーが同等ならその論法も成り立つだろう。

何度も言うが制作側とそれに加担するアイドルは、
自分たちの手は汚さず、
何も知らない子供に下衆なことをさせて、
弱い立場のプロを貶めている。
それを知ってて偽善的に「頑張れ」などと抜かしているのだ。

子供には簡単にプロと勝負させてはいけない。

この番組は二度と見るまい。
これは人に命と同じような大切なものを賭けさせて、
自分はのうのうと踏ん反り返って高みの見物をする、
気持ち悪い子供でも大人でもない下衆の作っている番組だ。


先頭 表紙

雅さんへ。まあそうですね。機会としてはいいのかもしれませんね。むきになるほどのことでもありませんでした。ただプロは簡単に勝負なんてしてほしくないと思います。それだけです。 / あるまじろ ( 2014-02-26 23:19 )
見ましたよ。以来、私の中で「宙船」の歌詞がずっとぐるぐるしています。あの重い歌詞を聖子ちゃんのような涼やかな声で歌いきる少女に圧倒されました。これから育っていく少女の未来に思いを馳せました。あるまじろさんがおっしゃっている事はわかります。機械があらわす点数に一喜一憂する人にはさせておけばいいじゃないですか?それよりも、オリジナルのよさを感じる事ができたことを喜びませんか?この番組がなければ、ご本人が歌い継いできた今の「うた」を聞く事ができなかったんですよ?弓さん、知可子さんのね。 / 雅(みやび) ( 2014-02-26 22:29 )

2014-02-24 穏やかながらもすべきことを進める

また細かい雑用に追われ、合間にさっと抜けて郵便局へ。
なんとかちゃんと手続き完了して、
返って来てくれればいいけど。

昼は仲間と朝霞の『福寅』へ。
ネギトッピングして正解。
胡麻が大量に入ったラーメン。
美味い。

さて午後はもう一つ、別の仕事に取り組む。
仕事は仕事。

ここのところ去来抄を読む機会があるが、
今日は紫式部日記も読んだので、
オトコの去来とオンナの紫式部の考え方の違いに苦笑。
オトコは理屈っぽいし、
オンナは適当だねえ。

仕事が終わったら少し台本を読む。
また音楽を探す。
時計を見て頃合いを測って、
時間の許せる限り芝居のことを考える。

劇場との打ち合わせが二か所、
まだ日取りも決まっていない。
タイムスケジュールなどの書類も作成しなくては。
音響のネタも作成しなくてはならない。
昨日届いたタカノさんの曲の手直しの発注も、
しっかり曲を聴いてから細かくしてあげないと。
さて、一つ一つこなしていこう。

もちろん、自分の役についても、
週末に取り組んだ課題の復習も含めて。

自分は自分の芝居をしっかりやる。
前を走ってるんだか、誰かを追いかけてるんだか。
自分が坂の途中だからどのあたりかは分からない。
それでも人に恥じないようにやるだけだ。
楽して言い訳するなんざ片腹痛いぜ。
自分で走らない言葉は上滑りだ。
走ってみる、それだけだ。


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