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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

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2012-07-01 7月入り
2012-06-30 新大久保の教会で
2012-06-29 バドミントン再開
2012-06-27 少しダイエット
2012-06-25 黒い太陽
2012-06-22 劇団欅の『ザ・シェルター』
2012-06-21 劇団デジハリ堂との日々
2012-06-20 カツっ!!
2012-04-02 四月になったから
2012-03-01 遠くへ、また


2012-07-01 7月入り

昨日は午前中、劇団ぴゅあの制作会議で、
パンフ・チラシの写真撮影のスケジュールや、
今後の日程などを詰める。
劇団新加入のアジマさんや出戻りのティカさんも加わって、
劇団ぴゅあも、また走り出しました。
午後は筋トレとストレッチと発声を。
こりゃあ明後日ぐらいに筋肉痛ですね。

今日はデジハリ堂の面々が僕の家に来て、
打ち上げを兼ねたホームパーティ。
うっちゃんも来て昼間からお酒を飲む。
若いから良く食べるね、まあそれも気持ちよかった。

確かにもう夏がすぐ目の前まで来てる。
忙しくて色んな事が待ってる夏。
仕事の関係でオーストラリア・富山に行く予定。
プライベートでは韓国に。
その間も仕事はびっちりだ。
母の新盆もある。

忙しさで何かを忘れないように。
そういう気持ちで一日一日大切にしていこう。
とりあえずは溜まってる仕事と、台本かな。


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2012-06-30 新大久保の教会で

モーツァルトのレクイエムを聴いた。
今、考えてみれば当然、母のためだったのだろう。


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2012-06-29 バドミントン再開

ここ数年離れていたバドミントンのプレーを再開。
やるとがんがん汗をかく。
終わった後で体育館の前に来ていたワゴンショップの、
ランチボックスを食べる。


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2012-06-27 少しダイエット

ここ最近、ダイエットを意識して、
カロリーを計算して食べている。
ここしばらくラーメンは食べていない。


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2012-06-25 黒い太陽

金環日食って写真に撮ったらこんな感じだった。


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2012-06-22 劇団欅の『ザ・シェルター』

劇団デジハリ堂の第4回公演『夏の詩』の演出として、
本番を終えた一週間後、僕は今度は役者として舞台に立っていた。
劇団欅第54回公演『ザ・シェルター』の舞台だった。

5月に入って依頼された舞台だったがなんと主役。
出ずっぱりなのでものすごいセリフの量。
しかもツッコミなので前半ハイテンションキープが必要。
後半にはまた主役ならではの変化も演じなければならない。
難しい役だったので稽古は平日の深夜毎晩となった。
一日仕事してから深夜まで稽古。
きつくなかったと言えば嘘になるが、
それでも終えてしまえばやって良かった、勉強になった。

初日はセリフがぼろぼろで集中出来なかったが、二日目はふっきれた。
いろいろなアクシデントはあったが、
舞台としては乗り切れたと思う。

共演の役者さん達は皆達者で、苦しい僕を支えて頂いた。
さすがは大人の劇団だ。

センタという役は自分勝手でおちょうし乗りで、
都合良く子供の頃のことを忘れて、
だめなとこは人任せだけどなんとなく憎めない。
なぜ憎めないかというと、
自分で否定している「子供」の部分を持っているからだ。
なんとなく他人のような気がしない。
それが多少良かったのかな。


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2012-06-21 劇団デジハリ堂との日々

劇団デジハリ堂は昨年、
劇団ぴゅあの22回公演『ダウンタウンボヲイ』に参加していた、
おーむろさんの所属する劇団だった。
昨年の秋にそのデジハリ堂の公演を観た時、
申し訳ないが色々残念な気持ちになった。
それからおーむろさんを通じて演出として参加することになり、
年明けから稽古場に顔を出すことになった。

役者の多くがまだまだ経験不足ではあるが、
そんなことはどうでもいいことだ。
僕はひとりひとりの役者となるべく対話し、
そしてそのイイ部分を伸ばして、
「芝居の楽しさ」を伝えようとした。
逆説的だが「芝居の楽しさ」は「苦しさ」でもある。
楽しい楽しい、そんな空気ではたどり着けない。
そういう「苦しい」部分の要求にも応えてくれた役者が何人もいた。
だからそういう魂で芝居に向かってくれる人が居る、
という点でこの劇団も良いカンパニーだった。

母のことがあって僕は苦しい時もあった。
でも一緒にやってくれたうっちゃんは、
結果として僕を良く助けてくれた。
それは大きいことだったと思う。

本番前日の仕込みの時から必死だった。
でも本番当日、多くの観客の前で演じる生き生きとした役者の姿は、
以前に観た芝居の印象とは全く異なっていた。
まだ寒い頃に森くんと疋田くんとでランニングしたことや、
悩んだヒロインと芝居を考えたりしたことが今となっては懐かしい。

本番当日の朝に秋葉原のカフェでコーヒーを飲んだ。
オタク文化のメッカとしてAKBに沸くアキバだが、
半年通っても芝居しかしなかった。
せめてなんか電化製品くらい買えば良かったかな。

またいつか戻ってくるかも知れない。
本番を終えて返る時、
振り返るとごった返す人の波に、
ちょっと切ない気持ちになった。


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2012-06-20 カツっ!!

母が亡くなってからその実感があるかと言えば、
正直言ってまだない。
時々まだ生きていた頃の母がそのまま夢に出てきて、
「元気だせ」とか言ってくれる。

忘れるのではなく、少しずつ現実を受け入れていくのだ。
確かにここまでの間、
ずっとふさぎ込んでいたのでもない。
色々なことに気力を振り絞って立ち向かってもいた。
それ以上にひたすら忙しかった。
そんなことでいよいよもう夏が近づいた。

5月に秋葉原の方で演出をしていた劇団が本番を迎えた。
母のことで数回稽古はお休みしたものの、
本番には責任を全う出来たように思う。
芝居に向かう純粋な気持ちが僕にカツを入れ続けていた。

秋葉原の稽古場の近くに「マンモスカレー」という店があった。
そこのカレーを照明のうっちゃんと食べた日が懐かしい。
ああいうことが僕を次に向かわせてくれたんだと、
今なら分かる気がする。


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2012-04-02 四月になったから

さて、次の季節のための準備をしよう。
僕と僕の周りに居る多くの人の幸せのために。


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雅さんへ。はい、そろそろ復活します。 / あるまじろ ( 2012-07-01 23:37 )
もう6月ですよ (^-^)ρ / 雅(みやび) ( 2012-06-03 22:01 )

2012-03-01 遠くへ、また

また歩きだそうと思う。
もっと遠くへ歩いてく。

僕の母は肺の病で最期は一息一息が苦しくて、
それが出来ずに亡くなった。
でも亡くなる一日前に、
苦しくても生きている理由を、
「あなたに生きていこうとする勇気を教えるためよ」
と静かに教えてくれた。

僕は母が亡くなる瞬間を看取れなかったけど、
それは大したことじゃない。

母の死に顔は優しく穏やかだったが、口が開いていた。
父は見た目を気にして口を閉じてあげようとしていたけれど、
口はなかなか閉まらなかった。
僕はそれで気がついた。
母は最期の瞬間まで、あと一息を吸おうとして、
それが出来なくて亡くなったのだ。
最期の最期まで僕らに生きる意志を示してくれた。

そういう母を僕は誇りに思う。
だからまた歩きだそうと思う。


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くすのき燕山へ。お心深い言葉、ありがとうございます。 / あるまじろ ( 2012-03-13 01:30 )
親を誇りに思えるというのは、ホントに素敵な事ですね。ご愁傷さまでした。 / くすのき燕 ( 2012-03-10 13:28 )

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