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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2015-07-05 マレーシアへの旅 その5
2015-07-04 マレーシアへの旅 その4
2015-07-03 マレーシアへの旅 その3
2015-07-02 マレーシアへの旅 その2
2015-07-01 マレーシアへの旅 その1
2015-06-18 伊織が生まれた日
2015-06-17 西への旅 その3
2015-06-16 西への旅 その2
2015-06-15 西への旅 その1
2015-06-14 梅雨のあとさき


2015-07-05 マレーシアへの旅 その5

ホテルの朝食ですが、
バイキングだったんだけど、
「ナシラミルク」という現地ならではのご飯。

簡単に言うと辛いココナッツカレー。

いや、美味しかったです。


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2015-07-04 マレーシアへの旅 その4

長旅の後、そのままビールを飲み倒してそのままベッドに倒れ込む。
朝起きたら、明け方まで降っていたスコールが止んでいた。

そのままMくんを誘ってビーチへ散歩に。

熱帯だが太陽が昇る前は爽やかな海風が吹いていた。
海の水は温かく気持ちいい。

貝殻がたくさん落ちていて、
いつものように拾った。

遠い遠い国の海辺を歩いている。
それはとても不思議な気持ちだ。

その時、そこに居ることが実感できない感じ。
なぜか懐かしいような、切ないような。

そんな時間が流れていた。


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2015-07-03 マレーシアへの旅 その3

マレーシアを目指し約7時間、クアラルンプールに到着し、
そのまま経由してランカウイへ。

ランカウイ空港に着陸した時は激しい雨、
日本に三つの台風が向かっている頃であったので、
「せっかくのビーチリゾートも雨で厳しいかな」
と思った瞬間だった。

空港にエージェントが待っているというので、
ゆっくりセキュリティチェックを抜けると、
笑顔を浮かべた現地のエージェントが迎えてくれた。

この人の名は「ナナちゃん」、
日本語はかなり上手で日本のギャグもかなり知っている。
(ちなみに40代前半の男性ね)
ナナちゃんに案内されてホテルに直行。
明日の日程を確認して別れる。

さて、やっと食事。
替えたばかりの一万円分のリンギットを持って、
近くの屋台へ。

空心菜の炒め物やエビのフリットなど、
マレーシアらしい料理を食べましたが、
一番の目玉は太さが直径5センチほどもある大エビの唐揚げ。
周りの黄色いものは卵を油で揚げたもの。
マレーシア独特の付け合わせである。

タイガービールを浴びるほど飲んで(当社比)、
その日はおやすみなさい。

今回の旅のパートナーMくんも満足した様子。

ちゃんと屋台への行き帰りは雨が止んでいるという晴れ男っぷりは、
この後、最終日まで続く。

マレーシアの旅は始まったばかりだった。


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2015-07-02 マレーシアへの旅 その2

クアラルンプールを経由してランカウイへ向かう時、
ずっと雨模様だった上空の雲が晴れて見事な夕暮れ。

雲に覆われた反対側には虹が出ていた。

ランカウイ上空3000mの虹。

それは七色の光を放ち弓のように弧を描いて輝いていた。

忘れられない夏の始まりを予感させるように。


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2015-07-01 マレーシアへの旅 その1

1年前の春、訪れたマレーシアだったが再び向かうことになった。
半分仕事、半分遊び。

まずはマレーシア北部の島、ランカウイへ。

成田は梅雨真っ盛りの土砂降り。
フライトも予定時刻から50分遅れ。
激しい雨を何の気も無しに窓から見ていた。

それから7時間、
僕は英語でアベンジャーズの最新作を観たり、
居眠りしたりして過ごした。

やがて夕方にクアラルンプールに着き、
無事三十分後にはランカウイへの乗り継ぎ便に搭乗。

熱帯の国へやってきた。
夏がまだ届かない梅雨の日本を後にして。

また旅が始まるのだ。


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2015-06-18 伊織が生まれた日

僕に娘が出来た。

伊織。

尹は手と手を合わせる様子をかたどった文字。
人が手と手を合わせる「調和」を表す。

つまり、人との調和を織りなす者。

彼女がこの世に生まれ落ちた時間、
僕は仕事で上尾の県立武道館で百人一首の競技に立ち会っていた。

何度かの呼び出し音がポケットの中で鳴っていたのは知っていたが、
百人一首の競技中は音を立てたりはできない。

四十分後に電話したら義母が、
母子共に健康なことを告げてくれた。

それから慌てて自宅に戻り、
荷物をまとめて山口へと向かった。

彼女が生まれてから8時間と50分ほど後に、
僕は病室で寝ている彼女に対面した。

そして母となった妻に感謝の言葉を述べた。

その日から三日間、
僕はその病室に寝泊まりし、妻と共に生まれ落ちたばかりの赤子を抱いた。

それがその一日の出来事だ。


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2015-06-17 西への旅 その3

かくて母となった妻と再会し、自分を父に成した幼子と対面す。

その感慨は言葉にするべくもあらず、
自分がさぞ破顔の親馬鹿面をしていたと想像するに難くない。

赤子は赤かった。
そして小さかった。
そして軽く、いかにも脆く、
しかし同時に力強く、鼓動波打つが如し、
と言った感じであった。

娘であるその赤子はすでに生まれ落ちたその日に、
僕に多くのものを渡してくれた。
この感慨をその場に居た誰もが共有して居たであろう。

望まれてこの世に生を受けたこの子が、
この先どのような人生を歩むのか、
その全ては既に不知の領域である。

しかしこの想いは紛れもなく、
ここに斯くある。

その証に、
僕を父にしてくれたことの深い感謝をここに記す。
ありがとう。

病院から十分ほど歩くと虹ヶ浜という浜辺に出ることが出来た。
僕はそれから三日間、
子を抱き、共に寝、共に過ごした。

その夕暮れにいつも浜辺を散歩した。

梅雨の合間の、
瀬戸内の静かな波が打ち寄せる、
静かな静かな夕暮れだった。


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雅さんへ。とにかく感謝です。 / あるまじろ ( 2015-06-26 23:43 )
おめでとうございます!より一層、生きることに幅がでますね。私も赤ちゃん抱っこしたい。ふわふわの髪の毛にさわりたい〜。ちいさな手に指をきゅっっと握られたい〜。←言ってることがおばあちゃん。(笑) / 雅(みやび) ( 2015-06-23 15:54 )

2015-06-16 西への旅 その2

ヒカリへ、という歌もあるが、
出産が行なわれた病院は山口県の光というところ。

新幹線で広島の次の徳山というところまで行き、
そこから山陽本線の岩国行きに乗り換え、光へ。

東京を16:10に出てすでに四時間半あまりが過ぎようとしていた。

20:37徳山発の山陽本線は混雑はしていないものの、
部活帰りの高校生や地元の人たちがそれなりに立ち並んでいた。

このとき、僕はえらくノスタルジックな気持ちになり、
この旅がとても特別の旅のように思えた。

そのホームに佇む日常を生きる地元の人々の佇まいや、
山陽本線の黄色い列車の様子とか。

やがてレールを軋ませて走り出す列車と、その汽笛の音が、
人生って旅なんだなと思い出させるのだった。

人が行き交う。
この平和な、遠く知らない街でも。

そんな想いですでに真っ暗になった外の景色を眺めていたのだった。


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雅さんへ。今回の旅は本当にいろいろなことを考えました。 / あるまじろ ( 2015-07-11 12:29 )
列車の旅は趣があって良いですよね〜。思索にもふけられますし。 / 雅(みやび) ( 2015-06-23 15:52 )

2015-06-15 西への旅 その1

その日、ひょんなことから行きがかり上、世話をしている、
百人一首の人たちとその競技大会に出かけていたのだけれど、
その昼過ぎ、12:26。

娘が出来、自分は父となり、父がじいさんになり、亡き母も名目上ばあさんになり、
妻は母となり、義父も義母もじいさん、ばあさんになった。

出産が山口という遠く離れた場所で行なわれたので、
かくして僕は西に向かうことになった。

父親になる、ということは命をつなぐことだ。
これは今まで避けて来たという訳では無いが、
今まで出来なかったことであり、
比較的大きな事ではあるけれど、
やっぱりそれなりの感慨も押し寄せて来るような気もする。

全てバタバタで取るものもとりあえず、
東京から新幹線に飛び乗る。

16:10、博多行きのぞみ。

何はともあれ飛び乗った。
しっかり弁当とビール500mlも携えて。

夕暮れの東海道をのぞみはひたすら西へ。

窓の外を過ぎていく景色がゆっくりと暮れていき、
少しずつ近づいていく。

まだ見ぬ名も無き娘に。
そしてその子を産んだ母に。

こういうことに関して男は何も成していないクセに、
何か成したような気になるものだ。
意味なく感傷的になり、人生を振り返ったりもするものだ。
人にふと感謝をする気持ちになるものだ。
亡くなった母もふと想い出すものだ。

とにかく僕はその時、
意味も無く色々なことを考えながら、
ひたすら西へと向かう列車に揺られていたのだ。

この自分の身に起きたことを様々な人に報告した。
中には涙ぐんで喜んでくれる人も居た。

そんな一つ一つのことに胸を胸に一杯にしていた時、
ふと窓の外を見ると京都だった。


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雅さんへ。まあそういうことです。 / あるまじろ ( 2015-07-11 12:30 )
あれれ?いつの間にか素敵な伴侶を得られていたんですね! / 雅(みやび) ( 2015-06-23 15:51 )

2015-06-14 梅雨のあとさき

午前中、コピスへ。
一本目はモリタさんの芝居なので応援に。

久しぶりにウダさんとタムラさんに逢ったのでご挨拶。
お二人とも同い年のような事を仰ってた。

その後、志木でマツモトを拾ってケヤキの稽古の為に三室へ。
あれ?昨日もここら辺、通った。
昨日はマエノくんと一緒だったけど。

今日は初めての通しだった。
まあ、なんとか通った感じ。
次はもうちょっと安定させないとね。

梅雨の合間、という空模様。
時々雨降るけれど。

電話の向こうで顔を見られるフェイスタイムは便利だ。
それでも何も出来ないことに変わりは無いけれど。

明日は上尾に出張。
オオキさんに逢って例の夏の終わりの話を具体的にする予定。
仕事も少し割り振られて大変かな。

人はゆっくりと時間を旅していく。

今の私たちをもしも何かに例えたなら、
朝の霧の中でいるようなものか。

青函連絡船のデッキの上から落陽を眺めてた相沢耕平の気分。


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