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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

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2011-08-18 さよならマヨネーズ
2011-08-17 胃カメラの恐怖
2011-08-16 お盆休み
2011-08-15 片付けな一日
2011-08-13 鑑賞と自省
2011-08-12 will permit you
2011-08-11 夏草茂る
2011-08-10 とある夏の日の被災地レポB
2011-08-09 とある夏の日の被災地レポA
2011-08-08 とある夏の日の被災地レポ


2011-08-18 さよならマヨネーズ

大げさなことではありませんが、
本日、人間ドッグを受診してお医者さんから、
「ちょっとコレステロールが・・・」
と言われてしまったのです。
体重は2.5s減で自転車通勤効果は出ていたのですが。
ああ、マヨラーを自称して数十年、
ついにさよならを言うべき時がやって来ました。

この世で一番美味しいのは、
「北海しぐれ」というカニカマと納豆を白米に乗せ、
マヨネーズをたっぷりかけてかき込んで食べることだ、
と信じているのにそれがもう出来ないなんて・・・。

でもそれが人生というモノです。
一つ一つ何かにさよならを繰り返して、
人は生きていくのです。
まあ、今回はマヨネーズに、ですけど。

話は変わりますが、検診の後、
栄養士さんの食事指導を受けたのですが、
その栄養士さんが知り合いでした。
今から20年前に出会っていた人でした。
僕もなんとなく覚えていて、それは不思議な感じでした。
もちろん食事指導を受けてから、
それが分かったのでなんとなく気恥ずかしくもありました。

さて、まだまだ暑い夏が続きますが、
皆さんも健康第一ということで、どうかご自愛ください。


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2011-08-17 胃カメラの恐怖

胃カメラというものを使用したことの在る方なら、
ご存じかと思いますが、胃カメラとは恐ろしいモノです。
僕は本日が2回目でしたが2回とも鼻から入れる「経鼻法」。

経験した僕は、肩に麻酔の注射を打たれて、
鼻に麻酔をシュっと入れられたり、
口の中に麻酔をシュっと入れられたり、
鼻の中に甘いドロドロした麻酔ゼリーを入れられたり、
そのどろどろが喉の奥でひやっとしてイガイガしたり、
(しかもここまではプロローグ、そう序章でしかないのです。)
鼻から入れられたエイリアンのようなチューブのカメラが、
喉の奥を通ってむせたり、おなかの中で動き回ったりしていると、
「殺される・・」と思うのです。
(いや、実際は殺されません、当たり前です。)

しかもこの「経鼻法」、喉からいれる「経口法」と比べると、

「経口法」の苦しさ:「経鼻法」の苦しさ=10:3

だそうです!!!!
なんと僕が「殺される」と思ったのより3倍も、
口から入れる方法は苦しいというのです!!

胃カメラ、口からは入れますまい。
これが我が家の家訓になりそうです。。。。


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にゃんこさんへ。確かにそうですね。確実に言えるのは、僕はあんまこの件に関して、「根性ないな」ということです。辛くないあなたは間違いなく僕より根性ありますよ。 / あるまじろ ( 2011-08-21 23:56 )
私が2年前くらいにやった時は、鼻から入れる管が最も細いという病院(さいたま市)を選んだせいか、鼻とノドにシュッという麻酔はやりましたが、ゼリーはなかったですよ。意外と辛くなかったし、担当者の技術も関係しているかと思います。 / にゃんこ ( 2011-08-21 23:25 )
てじおさんへ。ぜひ、苦痛10ぶんの3の鼻からを試してみてください。 / あるまじろ ( 2011-08-19 20:55 )
はじめまして。私もこの前、胃カメラやりました。3年連続3回目です。でも、毎回、口から入れてます(ToT) 一番最初の年は、本当に辛かったので、次の年から前処置の薬を増やしてもらいました。それから大分楽になりましたよ〜 / てじお ( 2011-08-19 13:11 )

2011-08-16 お盆休み

お盆休みをとっています。
何をしても暑い毎日ですが皆様、いかがお過ごしでしょうか。
思えば、たった一人きりで家にぽつんと佇んで、
何をするともなくごろごろ。
ということをここ十年くらいしていなかったと思います。

何かする、ということが義務のように動き続けていたのですが、
まあそんなことはもちろんなく、
まあ、なにもしなくても日は暮れていくものです。

遠くにセミの声が聞こえるね。
冷えた麦茶が美味い、感謝感謝。

セリフでも覚えようと思っているとうとうとしてくる。
夏休みには昼寝をよくさせられたなあ。
ありゃあ、大人が眠いんだ。
でも昼寝から目が覚めて、少し涼しくなった頃に起き出して、
また動き始める時って、なんかドキドキうきうきした。

まだ夕飯までは少しあるんで何か家の手伝いかなんかしたり、
また外に遊びに行ったり、家族でスイカを食べたりしてね。

これが今は手の届かないあの時の夏だ。


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2011-08-15 片付けな一日

朝から劇団の荷物で一杯な部屋の整理をする。
ちょうどゴミの日なので、
必要のない書類を丸めてポイっとしてたら、
ゴミ袋が6袋出来てしまいました。
でも片づかない。

先日引っ越された知人の家は、
普段からかなり片付けられていた印象だったのに、
いざ引っ越しとなると、荷物が結構出てきて、
「人が住むのはこういうことなのかな」
と改めて思いました。

「断捨離」って実行するのは難しいってことです。

もっとも劇団さえ辞めてしまえば、
その部屋は全部捨ててしまっても良いものばかりです。
それを捨てられないということは、
そこにあるものは一応今は必要なモノなのです。

何もしない、何も取り組まない、誰とも触れあわない、
何も表現しない、何も言わない、なら「断捨離」は簡単です。

それにしても必要のないものもたっぷり存在してるのも事実。
整理をするってことはやっぱり大切ですね。

もうすぐ正午ですが、銀行に行って、
もう何カ所か立ち寄らなきゃならない場所に行って、
午後ものんびり片づけを進めます。


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2011-08-13 鑑賞と自省

ビデオ借りてきて『十三人の刺客』観た。
評価が高い作品で主演する役者も豪華絢爛。
立ち回りは派手で立体的。
数々の賞を取ったようですがまあ頷ける所もある。
ただテイストは嫌いですけど。
良く『七人の侍』と比較されますが、
僕の中では比較にもなりません。
見終わった感がやっぱりクロサワはすごいですね。

それにしたって演技は場数ですよ。
やっぱ場数踏んでる人には勝てません。
大人の役者はすごいなあ。

殺陣とか身体の動きとかは慣れがあるものと、
そうでないものがあってもいいけど、
ただ立つとか、声を出すとか、
ごまかせないようなシンプルなとこには決定的に出ますよね。
僕自身はもっと力を抜いていいセリフを言いたいですね。
それでもただリラックスするんじゃなくて、
自然に色んなことが出来てるといいですね。
もっと精進したいです。

まずはセリフかな。
今回の作品はセリフが山盛りだから、
全部の会話を成り立たせていくのが目標。

この前、また即席芝居の研修とかに出ましたが、
あれは演技ではありません。
笑い取りゃいいってコントを一日かけて作るのは、
もうやめにしたいです。
(実際はつじつまの合わない内輪受け)
芝居とコントで芝居の方が上ってこと言ってるんではないですよ。
コントにも失礼です。
もう即席芝居のワークショップはやめにしたいです。


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菅貫先生さんへ。三池崇史監督です。二つあるとは知りませんでした。ではお盆休みを利用してもう一作の方もチェックしてみます。 / あるまじろ ( 2011-08-15 11:48 )
失礼ですが、どちらの「十三人の刺客」を見たんですか?工藤栄一監督のですか?それとも三池崇史監督のですか? / 菅貫先生 ( 2011-08-14 15:29 )

2011-08-12 will permit you

ずっと許せなかったような事でも時が来たら許そう。
他人のことも自分のことも。
よく分からないで口にしてしまったことも。
まあ分かることも分からないこともある。
分からない人には、まあ、そのままでもいいか。
その一つ一つをもう一度0にリセットしても好いことにしよう。
アッサラームアライクム[あなたの心に平安を]。
もちろん僕自身にも。

かつてはこういう気持ちも次へのステップとしてきたけれど、
そんなことはもう必要ないくらいの歳になったしね。
もういいさ、それ以上の先へ歩こう。

週末なので外食へ。
一週間のご褒美さ。

その後に劇団員が二人来てセリフの練習2時間。
まあ、こつこつ行きましょう。
明日も稽古はあるしね。

芝居には嘘を付かない、そういうことで。


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2011-08-11 夏草茂る

被災地の復興はまだまだだ。

瓦礫の山には次々とダンプカーが満載の瓦礫を積んでやってくる。
ダンプカーのような業者だけではない。
軽トラを運転した老夫婦とか自分の家の瓦礫だろうか。
同じように瓦礫を満載して瓦礫置き場に向かっていく。
ひっきりなしにそんな車が行き交っている。

僕は今回は何もしなかった。
ただ見てきただけだ。
失われたものを残骸の上に見てきただけだ。
それを取り戻す努力は、けして個人に帰するものではない。
一人だけでは立ち直れない。
だからこれから僕は手を差し延べたい。
心の中で手を差し延べ続けよう。

ビニールハウスがズタズタに引き裂かれた場所で、
すでに夏草が生い茂っている。
自然はもう次の段階に進んでいるのだ。
自然が壊した場所をまた自然が育む。
人はその中で少し遠慮して自分の場所を確保しているに過ぎない。
流されても壊されてもそこに生活の営みを営々と続けてきた、
僕らの先祖のしてきたことを、
僕らもやるだけだ。


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2011-08-10 とある夏の日の被災地レポB

「かつては」コンビニだったらしき建物。
建物の一階部分はどこも酷かった。


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2011-08-09 とある夏の日の被災地レポA

電信柱が曲がってる。
近くの信号は消えていた。


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2011-08-08 とある夏の日の被災地レポ

もしかしたら「野次馬根性」と言われるかも知れない。

しかしこの百年に一度の災害の現地の様子を知らず、
テレビの画面だけで観て他人事のように、
記憶の片隅に追いやって、
時間と共に風化させていくことはできないと感じていた。

あの日、僕は必死に家族の安否だけを気にし、
あちこち連絡取ることにあたふたし、
しばらく現実を受け止める事が出来ないまま、
画面の向こうの現地を見つめていた。

今日は高校時代の友人のヒデちゃんとその娘のマイコとで、
仙台の閖上地区を訪れて現地の状況を自分の目で確認した。
ずっとこの地を訪れなくては、
口先だけで「頑張ろう」とか言いづらくて仕方がなかった。

仙台を過ぎて海岸が近づくと瓦礫の山が幾つか見えた。
もう後は言葉にならない。

一階が今も滅茶苦茶のまま放置されている家。
なぎ倒されたまま建物に突き刺さっている松の大木。
ボコボコにされてひっくり返ったまま朽ちていた車。
斜めになったままの電信柱。
今も電気の灯が入らない信号。
骨組みからズタズタに引き裂かれたビニールハウス。
そして道路の端に当たり前のように転がっている漁船。

こんな災厄をもたらした自然を憎いと感じた。
そう感じても意味はないのに、
単純に「人間の力はちっぽけだ」なんて肯定できない。

きらきら光る夏の太陽の下で、
被災地には瓦礫を積んだトラックが行き交う。
僕は改めて呆然とした、それだけである。


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