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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2011-08-10 とある夏の日の被災地レポB
2011-08-09 とある夏の日の被災地レポA
2011-08-08 とある夏の日の被災地レポ
2011-08-07 ジャッジメント
2011-08-06 今日の稽古
2011-08-05 虹を越えて
2011-08-04 夏雲が過ぎていく
2011-08-03 夏の土手にて
2011-08-02 台本、やっと上がる
2011-07-26 サカモト氏のこと


2011-08-10 とある夏の日の被災地レポB

「かつては」コンビニだったらしき建物。
建物の一階部分はどこも酷かった。


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2011-08-09 とある夏の日の被災地レポA

電信柱が曲がってる。
近くの信号は消えていた。


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2011-08-08 とある夏の日の被災地レポ

もしかしたら「野次馬根性」と言われるかも知れない。

しかしこの百年に一度の災害の現地の様子を知らず、
テレビの画面だけで観て他人事のように、
記憶の片隅に追いやって、
時間と共に風化させていくことはできないと感じていた。

あの日、僕は必死に家族の安否だけを気にし、
あちこち連絡取ることにあたふたし、
しばらく現実を受け止める事が出来ないまま、
画面の向こうの現地を見つめていた。

今日は高校時代の友人のヒデちゃんとその娘のマイコとで、
仙台の閖上地区を訪れて現地の状況を自分の目で確認した。
ずっとこの地を訪れなくては、
口先だけで「頑張ろう」とか言いづらくて仕方がなかった。

仙台を過ぎて海岸が近づくと瓦礫の山が幾つか見えた。
もう後は言葉にならない。

一階が今も滅茶苦茶のまま放置されている家。
なぎ倒されたまま建物に突き刺さっている松の大木。
ボコボコにされてひっくり返ったまま朽ちていた車。
斜めになったままの電信柱。
今も電気の灯が入らない信号。
骨組みからズタズタに引き裂かれたビニールハウス。
そして道路の端に当たり前のように転がっている漁船。

こんな災厄をもたらした自然を憎いと感じた。
そう感じても意味はないのに、
単純に「人間の力はちっぽけだ」なんて肯定できない。

きらきら光る夏の太陽の下で、
被災地には瓦礫を積んだトラックが行き交う。
僕は改めて呆然とした、それだけである。


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2011-08-07 ジャッジメント

芝居の審査って難しい。

でも少なくとも僕は昔からの人間関係などでジャッジしたりしていないし、
何か一つの個人的なこだわりで、
(時には衣装だったり殺陣だったり大道具だったり)
一面的な判断で審査をしてる訳ではないし、
その時々の客の入りによって変化する客席の反応で芝居の善し悪しも決めない。

ちゃんと今まで芝居をしてきた中で培ってきた自分自身の、
耳で会話の成立を聴き分け、音響の効果を聴き、
目で立ち位置や照明の演出的効果の高さをはかり、
頭で総合的な演劇的完成度を分析する。

それができないなら審査員など引き受けるべきでない。
感性の違いで審査が分かれるようなことも時にはあるだろうが、
僕は大抵の場合は迷わない。
いや、大抵の審査員は本当は迷わないのだ。

それでも、それは審査を強いられる場合であって、
素晴らしい作品には幾つもの評価すべきファクターがあって当然だ。
だから審査では落としたものの素晴らしい作品というのは確実にある。

そもそも僕が作る作品、好きな作品は変に審査員ウケするような作品ではない。
作品は審査員のウケを狙うのではなく、
観客のウケを狙うモノだからである。


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大丈夫です。きちんとプライドをかけてそう言い切ります。 / あるまじろ ( 2011-08-08 22:04 )

2011-08-06 今日の稽古

午前中から稽古、一通り最後までつける。
一つ一つの演技はまだまだ。
スタッフはさらにまだまだ。
もう少し自分達で出来ないとなー。
でも努力の痕跡は見えるから期待は出来る。
芝居は総合芸術だから色々できないといけないんだね。
若いうちに自分の出来ることに色々挑戦するといいよ。
まだ何も出来ないってことは、
これからすぐ出来ることも多いんだから。

午後は自分の芝居。
決定稿が出たので一通り読み合わせ。
頭から読んで見て、魂がぶつかる場面が幾つかあるから、
そういう部分が作品の見所になるといいと思う。
役者が感情的にノって読んでいるとこは、
端から見てても楽しかった。
自分なりに努力もしよう。
セリフは久しぶりに、「なかなか」な量だから。

夏の間だけ紅い花を咲かせる百日紅。
台風が次々と来て、
いよいよ夏も本番か。


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2011-08-05 虹を越えて

車で過ごす一時間と自転車で過ごす一時間は全く違う。

車での一時間は個室でのくつろぎだ。
ヒーリングタイムという感じ。
ラジオや音楽を聴きながらたった一人の時間を過ごす。
こういう時間が一日に必要な時もある。

自転車の一時間は旅だ。
自転車で改めて感じることがある。
夕立を浴びてその後の雨上がりの風の爽快さとか、
雲の動きとか揺れる夏の花とか。
そういうものの出会いがあるからやっぱり旅だ。

いまさら自転車が楽しいのには訳がある。

今、ジェッターというスポーツタイプのアシスト自転車に乗っているが、
異論反論あると思われるが、僕は気に入っている。
ジェッターに乗るとママチャリがものすごく膝に負担を掛けるのが分かる。
アシスト自転車の良いところは坂も平坦なところも全く同じなところだ。
僕が走るさいたま市のはずれから和光までの24qは、
まさに山あり谷ありのアップダウンで、
アシストがあればなんのストレスもなく走ることが出来る。
もちろん向かい風でもアシストする。
この自転車だから今、自転車が楽しめていると言える。

橋の上って虹が出るポイントですね。
この夏になってもう三回見ました。
こういうことに気づくのも自転車乗ってるからだ。
車でも気づくかもしれないけど。

自転車で虹に向かっていく時の壮大な感じはなかなか面白いよ。


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2011-08-04 夏雲が過ぎていく

黙っていられないタチで、
うちの業種の集団研修でも自然と司会、
いつのまに全体の前での発表者になって喋ってる。
人前で喋ることには全く緊張しないで、
尺とか気にしてる。

素人じゃないぜ、ふふふ。
研修は来週半ばまで。

毎日炎天下チャリで約44q走ってるぜ、
2s痩せた。よし。

帰りに夕立にあう。
かまわずぬれてペダル漕ぎ続ける。
雲の切れ間まで来ると風。
15分くらい走ってると風で身体が乾く。
雨上がりがあんなに気分良かったなんて、
しばらく忘れてたな。

虹も見たし。

夕立の後にひぐらし鳴いてた。
夏雲が過ぎていく。


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2011-08-03 夏の土手にて

自分の仕事と帰宅の間に自分だけの時間を持つといい。
ふと手にした雑誌にそんなことが書いてあった。

車でも自転車でも会社がひけてから帰宅するまでの時間は、
そんな時間だ。

ことに自転車で帰る時、
誰も居ない荒川の土手のサイクリングコースを走ってると、
ほんとに気持ちがいい。

空が広くて静かだ。
遠くまで流れていく川の広がりも好い。
暮れていく空の色が水面に反映されていくのは、
すごい素敵だ。

昔、バンクーバー郊外の川の河口付近まで走った時と、
同じ気持ちになる。
たった一人で淋しいような、
どこまでも行けるような。


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2011-08-02 台本、やっと上がる

台本、上がりました。
表紙とか抜かして内容だけで99Pです。
いやあこの二日間、とある場所に自ら缶詰になって書き上げました。
二日間で50P書きました。
あ〜死ぬかと思った。

(ご飯食べて台本書きまくってまた台本書いてって感じ)

それでもとりあえず上がって良かった。
いよいよ稽古に集中して行こう。
あと四ヶ月、稽古して好い芝居にしよう。

それにしても今日は自宅に劇団員三人集めて読み合わせしたら、
読むだけで二時間掛かった。

最終的にはどのくらいになるのか?
やや、不安ですね。
せめて二時間ちょっとに納めたいですのう。


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くすのき燕さんへ。書けない時の方がめっちゃ多いですけどね。 / あるまじろ ( 2011-08-04 00:25 )
脱稿おめでとうございます。書ける時は書けるけど、書けない時は書けないですからねえ。 / くすのき燕 ( 2011-08-03 23:33 )

2011-07-26 サカモト氏のこと

僕の知り合いにサカモト氏という、
僕より年上のバトミントン選手であり、コーチがいる。
彼はずっとバドミントンをやってきた。
シャトルを打つ一打一打を十代の頃から工夫して、
ずっと勝負の世界で生きてきた。
この県のバドミントンでも有名な人だ。

その人と一晩中語り明かした時に、
彼はこう語った。

「俺はもう選手として第一線でシャトルを追うことは出来ない。」
「でもより強く打つために、相手に勝つためにどうすればいいか、
 辛いときにどうすればいいか、自分に勝つためにどうしてきたか、
 素晴らしい羽のためにどうすればいいのか、ずっと培ってきたものがある。」
「もう自分で理想的なプレーが出来ないなら、
 それを次の世代に伝えたい。」
「あともう少しだけ怪我をしている膝が持つまで。」

そういう人が積み上げてきたものに、
僕の尺度でああだこうだ言うことは何一つ無い。
ただ彼の想いのために自分が何が出来るか、それだけだ。

教えることは本当に難しい。
教えてしまったことはもうその人のものだが、
教えてもらった人が教えてくれた人に出来ることは感謝だけだ。

僕はちゃんと勉強しないで、
口先だけで、
自分の直感だけでものを言う人を信じない。
なんの裏付けもない。
努力して積み上げたものがない。

教える人・教えた人と教えてもらう人の間には、
礼儀しかいらない。
お金やモノはいらない。
でも気持ちがない人は教えてもらう資格がない。
チャンスをもらえる資格がない。

何かを目指す人には教えてくれる人が必ず現れる。
そしてすべきことは努力だけだ。
チャンスは自分を捨てて努力する人にだけ与えられる。
結果は努力を怠らなかった時にだけ付いてくる。

サカモト氏の好きな言葉は、
「楽しく、厳しく」。

「楽しさ」の中には必ず「厳しさ」がある。
「厳しさ」を乗り越えた人だけ「楽しさ」が見える。

人と共に何かを創る時は必ず楽しさだけでなく厳しさがある。
自己満足のモノじゃないなら、必ず厳しさがある。

努力している人が必ず栄光をつかむわけではないが、
栄光をつかむ人は必ず努力している。
誰かもそう言ってたよ。

さて、僕は自分の芝居をしよう。
厳しさから逃げない、そう心に誓おう。


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くすのき燕さんへ。がんばります、忙しい夏を乗り切りましょう!! / あるまじろ ( 2011-08-02 23:48 )
努力している人が必ず栄光をつかむわけではないが、 栄光をつかむ人は必ず努力している。ホント、そうですね。コツコツと積み上げないといけませんね。 / くすのき燕 ( 2011-07-30 11:07 )
雅さんへ。僕も何かを伝えたいと思います。 / あるまじろ ( 2011-07-30 00:27 )
次の世代に伝える。大切なことですよね。技術とか、心意気とか。もろもろ。 / 雅(みやび) ( 2011-07-28 10:17 )

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