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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2010-12-29 今年のことはまあこんな感じ
2010-12-26 5000m上空からの富士のシルエット
2010-12-25 上空は明るい雲だった
2010-12-24 Celebrated moment
2010-12-23 一年は巡る
2010-12-18 寿司屋について
2010-12-17 焼き肉について
2010-12-15 誕生日おめでとう
2010-12-14 丸亀製麺にて
2010-12-08 『花翳ゆれる』を終えて


2010-12-29 今年のことはまあこんな感じ

少し長い時間、僕が沈んでいた頃に、
一方でずっと芝居では勝ち続けた。
その間、少しずつ僕の時間は、
水底からゆっくり浮き上がるように、
本当にゆっくりと真っ当な感じになってた気がする。
僕の時間を取り戻してくれたのは、
本当に僕のことを考えてくれた人たち。
やっぱ人。
人生って人が作ってる。

そしてなんとなく今年、結果的には負けた。
実を言うと負ける予感はしてた。
いつも以上に力んで用意してたし、
負けるはず無い布陣で臨んでいたのに。

7月の終わり、最強のTが番狂わせで負けたのは象徴的。
あれって絶対何かの暗示。
それから自分のテイストでは分からない部分に、
常に不安を感じていたけれど、
それはそれで良いのかと思っていた。
自分を騙してたとこもあったと思う。

タカノ氏が言う、
「トンカツは大好き、カレーも好き、
 でもカツカレーは許せない」の世界。

結局日和ってたのかね。
そんなつもりは無かったんだけど。

それでも賭けるもんはきちんと賭けてたんだけどな。
まあ、損して得取れ。
得るものもあったんだから。
結局、浮くものがあれば沈むものもある。
全てを望むなんて虫が良すぎるって話。

それでも逆に自分の芝居では何か掴めた気がした。
ここから先に進むにしても、
そこだけちゃんとあるならなんとか。
自分の芝居なら次もなんとかイケるって。

ああ、富士が見える。
あんときゃ確かにそう思ったね。
きれいだなって素直にそう思ったんだ。
傷はまだ残ってたはずだけど、
不思議と、まあいいかって思えたんだ。


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2010-12-26 5000m上空からの富士のシルエット

夕暮れの迫る雲海の中に頭を出した富士山。
飛行機の窓からしばらく目が離せなかった。

太宰が小説の終わりに見た「ほおずきに似た」という富士は、
母の追憶から生まれたものだったか。


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2010-12-25 上空は明るい雲だった

遠い雲の向こうに夕日が迫ってきてる。
雲の半分はアンバーに染まってる。
2010年も25日を終わると、
そろそろ夕暮れだね。

さよなら、さよならって手を振りながら、
遠く彼方へと過ぎ去っていく。

あの時見た風景も、
もう色褪せてしまった。

そういう記憶でも大切に思えることが、
今年良かったこと。


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2010-12-24 Celebrated moment

クリスマスは幾つになっても楽しいものだ。
誕生日は祝ってくれる人の存在によっていつだって素晴らしいものになる。
たとえメールだけでも何かを伝えてくれる人がいることは、
それはそれでいつだって嬉しいことなんだよ。

忙しく余裕の無い中でも、
きちんとチキンを揚げて、
シャンパンで乾杯した。

毎日やることは多くそれぞれがきちんとそれをこなしても、
なかなか追いつくことはあまりない。
それでも「さて次に着手しますか」と腰を上げる。
それが明日に立ち向かう、ということだ。
準備すべき何かがある、ということは、
期待すべき明日がある、ということなんじゃないかな。

昨日届いた一通のメール。
送り主は多くの時間と様々な紆余曲折と深い親交の末に辿り着いた友情の人。
今日届いた一通のメール。
送り主は多くの過ちの末に袂を分かち遠き果てに旅立った面影の人。

クリスマスイブは実に多くのプレゼントを用意してくれた。
大切な家族の微笑、兄弟からの励まし、打ち込むものへの情熱、
そして平和な聖夜の静けさ。

そう言えば僕は四歳の頃にベツレヘムの羊飼いを演じた。
それが役者としての初舞台だったか。


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2010-12-23 一年は巡る

あのタムラさんが芝居のために四国に行くという。
芝居に関わり始めた頃は、第三者の立場であったのに、
今はそれが嘘のような、のめり込み具合である。
これは強力なライバルの登場ととらえている。
そして同時にとても嬉しいことだ。

アサイさんも芝居を観て来た、と言っていた。
ライバルに並び立つ気ならこちらの手の内を見せても好い。

今年は自分のやるべきことを、
じっくりと見つけるのに時間を掛けた、
振り返ればそんな一年だった。
そのための試みにも時間を惜しまなかった。
他の大先生のワークショップに足を運び、
他の先輩の台本を使わせて頂き、
そして自分の芝居の作りと台本を見つめ帰した。
それは自分の台本と芝居作りに、
もう一度客観的なエッセンスを入れたかったからだ。
でも、その時間ももう終わりだ。
もう、そろそろ自分の芝居を作るときだ。

僕はここに至るまで、
誰かの地盤を引き継いだわけでもなく、
誰かに自分の芝居を委ねて上に登ろうとはして来なかった。
自分で土台を作り、自分なりの世界を他者に提示する。
そのことに客観性を持たせることに汗をかいてきた。

お手軽に人に習って分かっているフリはしない。
たくさんの色々な芝居を観て芝居の作りの多様性を実感する。
演劇人の生の声に触れてどこに力点を置くと、
芝居がどうなるか、その不思議を理論的に理解してきた。

いつもやれることだけやっているわけではない。
やれそうにないことにも挑戦して、失敗してきた。
お手軽なことではなく、一から積み上げてきた。
そのことに自負もある。

遠くまで足を運び芝居を学び、劇場に足を運び芝居を観る。
僕は今、2週間後に本番を控えて、芝居作りの真っ最中だ。
これはこれで僕らしいでしょう。
とにかく実践。

さて、また新しい自分で次の年に挑みましょう。
誕生日ってそういう日でありたい。


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2010-12-18 寿司屋について

僕が今の職業に就いて駆け出しの頃、
「今日は寿司屋に連れて行ってやろう、回らないヤツに」
と言われた。
ワクワクして付いていった。
いつも飲みに連れて行ってもらっていたが、
それは庄屋とか養老とかだったから。

しかし先輩は寿司屋に着いたは着いたが、
のれんはくぐらずいきなりその寿司屋の脇の階段から上がり、
二階の部屋に入っていった。
そして布団に潜り込んでいた人物を蹴り飛ばして、
「客が来たから商売して、カオルちゃん!!」
と怒鳴ったのである。

あれから20年経った。
十日町、大冬祭ともいう。
十二月九日から十日に日が替わるその時に、
商売人の正月がやって来る。
そこで店にある熊手を毎年少しずつ大きくしていくのが、
商売繁盛を願う酉の市の儀式。

僕はいつのまにか常連の一人となり、
熊手に出資して、大きな熊手を担ぐのが一年一度の仕事となった。
ひときわ大きな熊手を持って深夜の参道を歩くのは、
いつでも誇らしく、そして気持ちよかった。

その店、藤寿司も、
来年五月創業四十二年の、
のれんを仕舞うという。

この店で注文してはいけない。
マスターは活きのいいものにしか包丁を入れない。
出てきたものが良いものなのだ。
それは2、3種類しかない。
酒は飲み放題、途中からマスターも加わり、
帰ろうとしても帰してくれない。
こんな寿司屋は他にはない。
でもいつでも客は絶えずのれんをくぐる。

夜の寿司屋に集う人々は様々。
酔い方も様々。
みんな流れ流れてそこに漂っているようだった。

来年店が閉まる前にあと一度だけ行こうと思う。
あの20年前の空気が、
いまだに残る懐かしいカウンターに座るために。


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くすのき燕さんへ。お気に止めて頂いたことだけで、とても嬉しいです。信州はもうかなり寒いでしょう、あの寒さが懐かしいです。 / あるまじろ ( 2010-12-23 08:44 )
いいお店に出会えたんですね。それから、遅ればせながら、公演、お疲れ様でした。手帳には公演日を記したんですが、今回もうかがえませんでした。残念。 / くすのき燕 ( 2010-12-21 17:32 )

2010-12-17 焼き肉について

焼き肉は美味しいのですが、
好い肉は一回食べるとしばらくはいいって感じ。
これは高級な寿司についても言えますね。

日本の焼き肉はサシが入っているものが多いので、
上等な肉と言われているのは脂肪が多いものが多い。
この日食べた韓国焼き肉で一番美味しかったのは、
骨付きカルビの骨の周りの肉。
それをハサミでチョキチョキして食べる。
コリコリしてて美味しかったです。
脂肪はほとんど無かった。

ホルモンを屋台で食べるのが最高と思っているので、
高級焼き肉はやっぱ苦手ですのう。


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2010-12-15 誕生日おめでとう

直接ケーキをあげられなかった。
今日はできなかったけどちゃんとあとでやろう。
せめてハッピーバースデイを歌えて良かった。
お母さん、あなたがいなければ僕は此処にいない。


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2010-12-14 丸亀製麺にて

大学時代を信州で過ごしたので、
うどんか蕎麦か、
と尋ねられたら基本的に蕎麦です。

春三月、まだ雪の残る松本駅のプラットホーム。
良く晴れていて屋根のつららから雫が絶え間なく滴っていた。
澄んだきんと冷えた空気の中で、
電車を待つ間のわずかの時間にすすった掛け蕎麦に、
入れ放題のネギ入れて食べたのは今から三十数年前だ。
あれ以上の蕎麦にはもう出会ってないが。

でも今日はうどんの話。
丸亀製麺は釜揚げとか手打ちうどんを食べられるチェーン店。
その中でも好きなのは釜玉うどん(並)330円也。
入れ放題のネギ入れてかき揚げ乗せたらゴマたっぷりかけて、
ワサビも隠し味でだし醤油かけて食べます。

これ、蕎麦派でもやられるぞ。
ヤバイぞ。


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2010-12-08 『花翳ゆれる』を終えて

僕の主宰する劇団の第二十回記念公演『花翳ゆれる』が、
無事、楽日を迎えることが出来ました。
今年うちの劇団で手がけたこの芝居はこの一本のみ。

何人かこの公演で劇団を退団する方も居るので、
その方のために書いた作品でもあり、
そういう意味でも劇団の歴史に一つの区切りをつける大作、
という意気込みで作りました。
休憩を入れて2時間半、という長さも劇団としては初めてだったし、
キャストにも様々な新しい挑戦をしてもらいました。
そして内容は劇団ぴゅあの一番得意なエッセンスを、
凝縮したような作品に仕上げました。

青春、殺陣、ぶつかるプライド、あるべき大人の姿、
前に進む力、歩き出す勇気、見守る人のまなざし。

人は人に出会い、次に進む力をもらう。
それだけで今止まった足が前に出せる。
僕を前に押し出してくれたのは、
いつもそんな力。

昨日は、公演を終えて大道具をバラして掃除をして、
一通り片付けを終えました。
まだ終わっていない会計処理を片付けて、
反省会と打ち上げをしたら、
これで本当に『花翳ゆれる』も終わりです。

公演に参加してくれた役者の皆さん、
力を貸してくれた多くのスタッフの皆さん、
劇場に来て頂いた多くのお客様。
今回の芝居も最後まで全速力で突っ走れました。
心地よい一つの芝居の終わりです。

お客様の前では笑顔を振りまきながらも、
袖に帰って来た時には泣き出す君たちの肩を、
僕はどれほどの感慨を持って抱いただろうか。

一つのことをきちんと終わらせることが、
「幸せ」であることを、
何よりも僕自身が痛いほど感じてる。


先頭 表紙

みーさんへ。いつもいつもありがとうございます。これからもしっかり良い芝居を作っていきたいと思います。写真展、頑張ってください。 / あるまじろ ( 2010-12-11 10:43 )
今回も本当によかったです。今まで見た中で一番よかったかも。役者さんそれぞれ全員が輝いていました。脚本が秀逸でした!次回もとても楽しみにしていますネw お疲れ様でした(^^) / みー@未ログイン ( 2010-12-10 10:13 )

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