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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

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2010-09-10 蕁麻疹
2010-09-07 時の重み
2010-09-06 危機を脱する
2010-09-05 あの頃、僕の文化祭
2010-08-31 プレゼント
2010-08-19 サマフェスな日々の追憶
2010-08-18 それから
2010-08-12 汗を掻く夏
2010-08-09 白根山頂4:57
2010-08-03 夏の平穏


2010-09-10 蕁麻疹

今まで蕁麻疹というものになったことがなかった。
アレルギーもなかった。
体中が痒い。

シミズさん曰く、
「十代の女の子がなる病気じゃない、繊細ね。」
十代の女の子の繊細さ、それだけで体が痒くなりそうだ。

最近無理に夜遅くまで起きたりしていたからか。
ストレスなのか、と言われたら不思議と思い当たる節はある。
でもそれは「いつも」だろう。

いったい何が。
自分の身体に起きているのだろうか?


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ゆーこさんへ。まあ休み休み行きます。 / あるまじろ ( 2010-09-13 22:57 )
くすのき燕さんへ。確かに自分の歳に合わせて自分の為すべきことを為す、というのは必要なことですし、悪いことではないようです。 / あるまじろ ( 2010-09-13 22:56 )
蕁麻疹・・・私もなったことがないのでアドバイスなどは出来ないのですが、風邪を引いたり何か体に不調を感じたりするのは自分からのサインだと聞いたことがあります。何かの前触れとか言う意味ではなく、ちょっと立ち止まって自分を見つめ直すようにっていう・・・だから私はそういう時は逆に良かった〜と思ってます。なので、休める時はゆっくり休んで下さい(って言っても難しいですよね) / ゆーこ ( 2010-09-13 10:08 )
ある年齢になったときに、今までのようにはいかなくなることがある。今までのようには、食べれなかったり、疲れがとれなかったり。どうやら、それは必ずしも悪い事ばかりではないようです。 / くすのき燕 ( 2010-09-13 08:56 )

2010-09-07 時の重み

芝居のコツは意外にも反復練習だ。
そのコツを飲み込みとか器用さとか才能(らしきもの)で、
誤魔化そうとすると結局、薄い結果にたどり着くしかない。
集中力と持続力、その基礎となる体力(健康さ)。
それらが必要なのだがそれこそ反復の訓練でしか身に付かない。
少しの工夫でその時、上手い演技も出来ることもあるが、
それは近道ということではなく、むしろ正攻法に近いものなので、
やっぱり時間は掛かるのである。

だから時間を掛けている時には自信がある。
時間を掛けずに迎えたものはやはり駄目だ。
単純な話である。

大道具にしても照明にしても音響にしても、
小道具にしても衣装にしてもメイクにしても、
劇作にしても演出にしても演技訓練法にしても、
演技について身体表現にしても内面的な表現力にしても、
それぞれにプロが居る分野は一筋縄ではない。
学生やアマチュアが時間を掛けずに良いモノを作れるものではない。

ただそれぞれのレベルの中で抜きんでたモノを作るには、
まずは時間を掛けなければならないだろう。

時間をどれだけ掛けられるか、
それは芝居だけの話だろうか。
畢竟、何れの道にも通じることであるなら、
何れにか己の限られた時間を掛けうるかが、
当面の問題に他ならないということになるか。


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雅さんへ。昔は直感&ひらめきで意外とうまくいってたのに、やっばりそれは気のせいだったのかな。今は運も努力でつかめると思ってます。 / あるまじろ ( 2010-09-12 01:17 )
みーさんへ。限りがあるから重いのでしょうか。若いということが持っていたものを僕も考えてしまいます。 / あるまじろ ( 2010-09-12 01:09 )
私はどっちかというと直感&ひらめきで人生を切り開いてきた方なので、失敗も多く、逆に反復することの大切さも感じていますね。ちゃんとコツコツと努力している姿って尊敬できるし。その結果、出てきたものって人を惹きつけますよね。 / 雅(みやび) ( 2010-09-10 14:58 )
時間って無限にあるわけじゃないから、それだけ「時間をかける」ってことは貴重なものを使っているということだもんね。そういえば若い頃は考えもしなかった「時間に限りがある」ということ、最近はだんだん感じてきたよ。 / みー ( 2010-09-09 09:42 )

2010-09-06 危機を脱する

日常には様々なことがあって、
時にわずかばかりのピンチを迎えることになる。
それをいかに脱するかが大切だ。

昨日からそいつを片付けるために東奔西走したが、
なかなか解決の糸口は見つからなかった。
二重三重の障害がたちはだかって難しい状況だった。

それもこれも巨人が弱い性なのだが、
(こんなことを書いたら頭がおかしいと思われるだろうが、
 僕の人生の浮き沈みは巨人の勝敗におおいに左右されている。)
だらしのない巨人が頼りにならない場合は、
それを自分自身のバイタリティーで克服しなければならない。
そして冷静にタイムスケジュールを練って、
まず何をするか、次に何に取りかかるかを整理した。

そして・・・ピンチを脱した。

まあそういうことで、
今はほっとして昼寝をして、
そこから起き出したトコだ。


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2010-09-05 あの頃、僕の文化祭

夜、けっこう遅くに高校生が自転車でウロウロしている季節。
おそらく文化祭のシーズンなのだろう。

そんな姿を見るとふと思い出す。

僕の高校三年の文化祭もハードだった。
生徒会に所属していた僕は、
文化祭パンフレットの編集長をしながら、
生徒会企画として定食屋『恋のバックドロップ』を店長として経営し、
仕入れをして、ハンバーグ定食を作って、ボロもうけした。
店の看板も徹夜で描いた。

体育祭が行われた次の日に準備をして翌日は文化祭だった。
体育祭の前の日に応援合戦の練習をして、
その日から徹夜で文化祭当日はもう三日連続寝ていなかった。

もちろん慌ただしく仕事をしながら恋もしていて、
自分の体力を遙かに超える時間を文化祭に掛け続けていた。
なんと肝心の文化祭の最中二時間くらい、
化学部の部室で寝ていたくらいだ。
寝ていたと言うより、「倒れた」に近い。
でも起きたら仲間が一所懸命ハンバーグ定食を作っていて、
僕も慌てて持ち場についた。
やがて一般公開の時間も終わり、
キャンパスファイヤーが始まる。
秋の日の早い日の入りの中で、
いつまでも火の周りから離れられなかった。
そして定食屋でもうけた金で十回近くの打ち上げをした。

そしてその中で恋も終わり、
秋が深まっていった。

文化祭は祭りだ。
走って走って走り回ってくたくたになってぶっ倒れるまで遊ぶのが、
文化祭の遊び方だ。
そしていつもチャリで走り回ってた仲間達、
健康優良不良少年達が自分のプライドを賭けて全力で燃焼する。
その走り方で周囲の大人達を軽く置き去りにしていった疾走感。
それがあの頃の僕らの全てだったのだと、
今更ながら気づくのである。


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2010-08-31 プレゼント

この一夏、振り返ると結局「芝居」だった。

自分のとこの大道具を作ったり、
人のとこに大道具を作りに行ったり、
台本を書いたり、でもまだ書ききってなかったり、
舞台に立ったり、舞台に立つ人をサポートしたり、
演出したり、演出されたり、
いろいろ上手くいったり、いろいろトラブったり。

でも結局は芝居。
拍手で始まり、拍手で終わる。
「おはようございます」で始まり、
「お疲れ様でした」で終わる。

誤解も裏切りも嫉妬も不協和音も誰かとの別れさえも、
芝居の一瞬の光芒で遠くにかすむ。
そんなものだ。

芝居の直後に舞台の上の空気が少しずつ冷めていくあの余韻、
芝居がハネた後に見た閑散とした夜の劇場のロビーの空気とか。
一度でも舞台に立った人なら忘れられないはずだ。
それが日常の全ての嫌なことを忘れさせてくれるものだ。

さて、今日はそんな暑い暑い夏の一区切り、
平日に取ったこの夏初めての休暇、自分へのプレゼント。
たまの休日に少し寝坊して、
ゆっくりピザトースト焼いて、
アイスコーヒー飲んで。
夜は昨日から煮込んだチキンカレーに、
サーモンのマリネのサラダ。

明日から9月って信じられないけれど、
ま、時間の経過なんてそんなもん。
今日は自分へのプレゼント、
ゆったりとした時間の贈り物。


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2010-08-19 サマフェスな日々の追憶

今年からサマフェスに参加したのですが、
全くボランティア的に集まった実行委員たちではあるが、
せっかく皆で集まっている人たちが仕事しているのには理由がある。
それは集まっている実行委員の人たちが、
それなりに演劇界で活躍している方たちであり、
また現在もその情熱を強く持ち続けている方たちであるということだ。
この方たちと芝居に関する話をするのはとてつもなく面白かった。
今年の弘前のデキとか前南の話とか、
「なるほど」と思って頷くばかりだった。

次に工学院の専門家のプロの技術を気軽に教えてもらえることだ。
実際に大会期間中に僕は舞台チーフのY氏から、
実に多くの宝物のような知識を惜しげもなく教えて頂いた。
その技術はすぐに使えるものばかりで、
びっくりの連続だった。

そんな人たちとの出会いは今振り返っても素晴らしいものだった。
ただ馬鹿話をするだけでも楽しかった。
上演団体のサポートをする傍ら、こういう人たちとの交流をし、
時間の余裕のある時には台本を執筆した。
振り返ってもなんと優雅な一週間であった。

その中で楽しみなのは実行委員の中でも、
抜群のグルメのM氏が用意してくれる毎度毎度の食事。
サマフェス期間中は昼食・夕食はM氏プロデュースで用意されるのだ。

写真はその中の亀戸弁当。
普通の幕の内に見えるが一つ一つに味がしっかり付いている。
江戸前の素材だけで出来ていて野菜中心なのがありがたい。


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2010-08-18 それから

シアター1010での演劇サマーフェスティバルが終わり、
今年の夏のやるべきことが一つやれた気がした。
裏方の手伝いと一瞬の表方。
そして多くの人と語り合えて出会えた。
これはまた一つ大きな宝物。

人は色々な想いで舞台に関わっている。
表方で役者をやる人には魅力が溢れている。
でもそこには責任と自分自身への誇りが背中合わせで必要だ。
役者には稽古が必要。
稽古、やれない役者は舞台に立つべきでない。
稽古して努力しても追いつかない。
その上、努力まで怠ったら一体何を掴もうとしているのか。
だから役者は選ばれた人なのだ。

裏方でスタッフに携わる人には慈愛がある。
プロであろうとアマチュアであろうと、
金で換えられない他者へのまなざしがなければ裏方などできない。
裏方には技術の裏打ちとそれをやって当たり前の試練がある。
それを踏まえた上での誇らない他者への優しさがある。
強さを持っていても強さを誇らない。
舞台に立っている人にさえ知らない内に作品に参加し、
作品をより上質にしていこうとすることは、
なんの見返りもない慈愛の結晶の姿である。

自らに厳しい役者と他者へ慈愛のまなざしを持つスタッフがそろっていて、
あと、台本が面白ければ作品が芝居が成功しないはずはない。

さて、次へ行こう。
さて、もっと遠くへ行こう。


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2010-08-12 汗を掻く夏

いつの間にか七時を回ると薄暗くなってる。
そのことに気が付かせてくれてありがとう。
暑さ寒さも彼岸まで、というが、
もう暦の上では夏は終わりかけている。

とは言ったもののクーラーから離れられない典型的な現代人。
松本に暮らしていた時代は、午後四時を過ぎると、
北アルプスから降りてくる冷気で、
クーラー要らずだったことが懐かしい。

久しぶりに一からストレッチに加わり、大汗をかいた。
汗をびっしょり掻いても清々しいくらいだ。
やはり夏は好きだ。

明日から北千住の小屋入り。
四日間の本番、今回は裏方だ。
こちらの手応えはある、問題は相手の仕上がり具合だが、
まあ、最後は結局関係ない。
しょせん自分達がどれくらい理想的な芝居を仕上げるかしかない。
妥協をしているといくらでも妥協できるこの世界で、
いかにストイックに現実的に最後の爪まで持っていくか、だよね。
基準が毎年変わるのは仕方のないことだが、
どの基準でもぶっちぎる作品を目指してる。
それは最後は相手など関係のないことなのだ。

精一杯の夏、今は一休みしてるけど。
秋に戦う準備は整ってる。
たっぷり実力の違いをみせてやろうじゃないか。


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2010-08-09 白根山頂4:57

夜明け、月も出ていて湯釜の色も不思議な色をしている。

駐車場に着いたとたんに硫黄の匂い。

山頂は火山性ガスの活発化により、
西側からしか見ることが出来ない。

全国的に良く晴れる予報ではあったが、
夜明けには雲海が続いていた。

もう紅葉の兆しを見せるナナカマドだけが、
夏の翳りを予感させている。

風は心地よく、肌寒くもない。
そこには旅を共にする仲間しか居なかった。


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2010-08-03 夏の平穏

いやー完全、真夏ですね。

緑の影が濃いな。
明るい雲がもくもく出て風に流されていくね。

いきなりの出張でもいやがらず出かけよう。
むっとする空気も高気圧の一部。

こうして夏が暮れていく平和な毎日よ。


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いしざきともこさんへ。僕はこの意外と短い夏らしい夏、という数日が好きなようです。暑くてもその影の濃さに気持ちが晴れます。 / あるまじろ ( 2010-08-10 22:55 )
夏ですね。きっとあっという間に終ってしまうから、季節を堪能したいです。でも暑い・・・。 / いしざきともこ ( 2010-08-09 21:13 )

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