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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2010-08-12 汗を掻く夏
2010-08-09 白根山頂4:57
2010-08-03 夏の平穏
2010-08-02 創作日常
2010-08-01 ここからが勝負
2010-07-31 『惜別の歌』のKさん
2010-07-30 ever green
2010-07-29 波打ち際の憂鬱
2010-07-28 二人のこと
2010-07-26 ひとりひとり


2010-08-12 汗を掻く夏

いつの間にか七時を回ると薄暗くなってる。
そのことに気が付かせてくれてありがとう。
暑さ寒さも彼岸まで、というが、
もう暦の上では夏は終わりかけている。

とは言ったもののクーラーから離れられない典型的な現代人。
松本に暮らしていた時代は、午後四時を過ぎると、
北アルプスから降りてくる冷気で、
クーラー要らずだったことが懐かしい。

久しぶりに一からストレッチに加わり、大汗をかいた。
汗をびっしょり掻いても清々しいくらいだ。
やはり夏は好きだ。

明日から北千住の小屋入り。
四日間の本番、今回は裏方だ。
こちらの手応えはある、問題は相手の仕上がり具合だが、
まあ、最後は結局関係ない。
しょせん自分達がどれくらい理想的な芝居を仕上げるかしかない。
妥協をしているといくらでも妥協できるこの世界で、
いかにストイックに現実的に最後の爪まで持っていくか、だよね。
基準が毎年変わるのは仕方のないことだが、
どの基準でもぶっちぎる作品を目指してる。
それは最後は相手など関係のないことなのだ。

精一杯の夏、今は一休みしてるけど。
秋に戦う準備は整ってる。
たっぷり実力の違いをみせてやろうじゃないか。


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2010-08-09 白根山頂4:57

夜明け、月も出ていて湯釜の色も不思議な色をしている。

駐車場に着いたとたんに硫黄の匂い。

山頂は火山性ガスの活発化により、
西側からしか見ることが出来ない。

全国的に良く晴れる予報ではあったが、
夜明けには雲海が続いていた。

もう紅葉の兆しを見せるナナカマドだけが、
夏の翳りを予感させている。

風は心地よく、肌寒くもない。
そこには旅を共にする仲間しか居なかった。


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2010-08-03 夏の平穏

いやー完全、真夏ですね。

緑の影が濃いな。
明るい雲がもくもく出て風に流されていくね。

いきなりの出張でもいやがらず出かけよう。
むっとする空気も高気圧の一部。

こうして夏が暮れていく平和な毎日よ。


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いしざきともこさんへ。僕はこの意外と短い夏らしい夏、という数日が好きなようです。暑くてもその影の濃さに気持ちが晴れます。 / あるまじろ ( 2010-08-10 22:55 )
夏ですね。きっとあっという間に終ってしまうから、季節を堪能したいです。でも暑い・・・。 / いしざきともこ ( 2010-08-09 21:13 )

2010-08-02 創作日常

さて、あんまり大道具作りすぎて、
大道具作るのがあんま苦にならなくなってきたぞ。
パネル一枚大したことなくなって来た。
やっぱ丸ノコくんとインパクトは必須ですね。
あーもっと早く気が付けば良かった。

そういえばバンクーバーのメルも、
ガレージに自分の電動ノコギリと作業台を持っていて、
切ったり削ったりして、ドアを作ってたな。
作業の「いろは」は、まず道具をきちんとそろえるってことですね。
毎年、インパクトは一台ずつ増やそうと計画を練っています。
次は飲食店のカウンターを作ろうと考えています。

それにしてもアレスタイルすげー威力だわ。
もうちょっとなんか使えねえかなー。
ラテックスはまだまだ余ってるんだよねー。


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2010-08-01 ここからが勝負

ここからは頑張ってね。
自分に厳しくしないと下のものは付いてこないよ。
上が必死にやらないと意味ないよ。

勝ち負けがあるものってのは勝たなきゃいかん。
いや絶対に勝て、ということではない。
「勝たなきゃいかん、と思って勝負に臨め」
ということだ。

勝負がかかってる時に、
「楽しければいい」というのは好きじゃない、なぜなら
「真剣に全力を尽くすこと」が「楽しいこと」だからだ。
過程を楽しんでいるような状態では絶対に勝てない。

それが楽しいというのは、
やりきったことで味わえる楽しさを知らないのだ。

楽しみながら勝つ、というのは、
必死にやってる人の言うことだと思う。

自分には強大な勢力の味方はなく、
周囲にも良いアドバイザーは寄り添うことはなかった。
そこから一つ一つ勉強して、一人一人味方を作っていった。
最初は何も知らず見様見真似で、少しずつ少しずつ。
だから何もかも最初からある人には負けない。
積み上げた自分のものでいつか勝とう。
他人が作ったものを受け継いだもので勝ってもしょうがない。
今勝っている人はそういうもので勝っている人ばかりだ。
そこに勝つ方法を常に考えてここまで来たんだ。


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2010-07-31 『惜別の歌』のKさん

遠き別れに たえかねて この高殿に登るかな
悲しむなかれ 我が友よ 旅の衣をととのえよ


この歌、『惜別の歌』という。
その昔、小林旭が歌ったというがその歌は聴いたことがない。
作詞はなんと明治の文豪・島崎藤村だ。

昔の歌はリアルタイムでは聴けない歌ばかりだった。
だから本物が歌ったとこは聴いていない。
では、この歌はどうして心に残ったのか。
それは僕の今でも慕うKという先輩が、
ある時一度だけこの歌を歌ったからだ。

Kさんは慶応を出た秀才で、
僕が二十代前半だった時に五十代半ば。
木訥で不器用、大男で普段は無口。
常にビシっとスーツを着込み、
帽子を被って職場に来る。
愛車はダイハツの軽だったが、
明らかに大男のKさんとはバランスが悪かった。

僕はこのKさんが最初あまり好きじゃなかった。
無口だし外見がおっかないし、愛想が悪くて仕事が遅く、
てきぱき働いているような感じがしなかったので、
先輩としてあまり尊敬はしてなかったのだ。

でも、それは間違っていた。
職場に外人が視察に来るという時があった。
上司に「通訳の仕事をやれ」と言われて、
みんなも僕も、英語に自信がなかったのでビビって居た。
その時、Kさんは進んで通訳の役目を買って出て、
しかもそれだけでなく、こう言ってのけたのだ。

「私がその外人に本物のクイーンズイングリッシュを教えてやりましょう。」

そして見事その言葉通り、通訳の仕事もやり遂げたのだった。
Kさんは、本当はとてつもなく格好良い人だった。
格好いいとはこういうことだ。

そのKさんが、ライバルと言われたSさんの転勤の時に、
声を震わせて、半ば涙を浮かべて歌ったのが、
前述の『惜別の歌』である。

不器用で無口、普段はトロい大男。
しかししのぎを削った友との別れに、
涙に声を枯らして精一杯の惜別の歌を歌う男。

久しぶりにギターを弾いていたら『惜別の歌』に出くわした。
そうしたら、しばらく忘れていたKさんの顔を思い出して、
つい、泣きそうになったのである。


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2010-07-30 ever green

昨夜は両親と一日遅れの土用の丑の日。
鰻をおごってもらう。
鰻に山椒、肝吸いをつけて夏野菜の香の物は爽やか。

食後、夜道を歩くと鈴虫。
耳が遠くなった父には聞こえないようだった。

明けて夏の日差しも一息、それでも緑が色濃い。
流れる雲の下、揺れる向日葵。

風の渡るあの夏のあの場所。
ずいぶん遠くなってしまってもう戻れない。
今はもう僕の頭の中の密やかな場所で、
静かに佇んでいるだけだ。

それはまるで海のようだった。


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2010-07-29 波打ち際の憂鬱

会話が成立している、ということを演出として認識するために、
まずは耳を養うと言うのは確かに有効であると思いました。

ずっと以前から役者が感情を込めているかい、いないかという耳は、
養わせて頂いたので、それはすぐに分かるようになっていたのですが。

会話の成立は気づいていたのだけれど、
まだまだ雑であったのでそれを研ぎ澄ます作業は確かに必要でした。
実際に会話の成立の精度は、
本当はもっともっと上位の精度が必要なものでした。

一方でそれはテクニカルなことで実現するのではなく、
また別の山の登り方があるのではないかと思います。
テクニカルに見えて実に抽象的なので、
それは自分の手法に翻訳して行かなければならない、
という気がしています。

そんなことをつらつらと考えながら、
自分の前の役者たちを一日見ていました。

夏が翳り、雲が空を覆う日。
風は逆に気持ちいい。
雲の切れ間の空が青い。

僕に対する期待、どれほどの数を裏切っているのか知れない。
そう思うと少しばかり怖くもあるが、
そもそもきちんと評価してくれる人など、どこにも居ない。
プラスにしてもマイナスにしても。

僕は常にあるべき姿を望み、それを行使していくだけだ。
雑音は耳に入れず成すべきことを成して、
作品を残していくだけである。

寄せては返す波の如き人のうねりに、
翻弄はされない。


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2010-07-28 二人のこと

二十代に出会ったその人は、
ものすごい自分のペースで人の話は聞かず、
一方で見知らぬ町に突然赴任した若者に色々な世話をし、
反面教師になり、良い言葉も時には吐き、
人情味に溢れ、身勝手で敵も多く、
そのくせ、いい年なのに甘えん坊で、
好き勝手して人を困らせ、それでも人には認められて、
えげつなく、意地悪く、それでも憎めないところもあり、
好い意味でも悪い意味でもその場所の代表的な人物で。

僕はその人に育てられ、その人と対立した。
在ることでその人と諍いになり、
若いくせにその場所の大親分のようなその人に楯突いて、
さんざんいじめられて無視されて干された。

それでも僕はその時、自分の意地を貫き、
そしてその人が去った後に取って代わって、
その人のようにはならないようにと心がけながら、
今ではどこかしらその人に似ているような部分もある気もする。

三十代に出会ったその人は、
さらに愛すべき人でありながら、
敵でも味方でも噛みつくような狂犬のような人で、
ずるがしこく、でも一途でストレートで、
燃えるような魂で、詩人で、人情家で、
人をほっとけなくて、怒鳴って、荒々しくて、
兄貴のような人で、狼のような吠え方で、
信念を貫いて、勝負にこだわり、
僕に良い影響も悪い影響も与えて、
いつの間にか風のように去っていき、
友情を誓いながら二度と逢うこともなく。

僕はこの二人に出会ったことを後悔しない。
人と出会ったことは誰のことでも後悔しない。
その人ともうすれ違わないと思いながら、
明日ばったり出くわしても構わないと思ってる。

人と出会うために生きてる。
まだ見ない風景をこの目で見るために生きてる。


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2010-07-26 ひとりひとり

いよいよ劇団ぴゅあの記念すべき第二十回公演となる、
『花翳ゆれる』の稽古が始まり、もう四回目の稽古です。
12月の4日(土)5日(日)の二日間の公演です。

今はまだ真夏の暑いさなかですが、
舞台でお客様の前に立つ頃は冬なのですね。
そう思うとゆっくりではありますが、
じっくり芝居を熟成させていかねばならないと思っています。

今回の『花翳ゆれる』という芝居は、
大正時代の女学生達の青春、というのがテーマです。
僕はこの作品を書くにあたって、
明治・大正の時代の女子教育というがどういったものなのか、
色々調べたのですが、
なかなか女子教育といったものの普及は、
進まなかったようで、そういう中でも、
一気に一つ一つのステップを駆け上がるように、
物事を進めたのは、
やはり一人一人の人間が大きく関わっているようです。

歴史に大きく取り上げられないような、
でもある地域ではしっかりとその足跡を残しているような、
そんな人が何かに必死に生涯を掛けたおかげで、
社会状況とか歴史背景とかをも、ものともしないし、
個人的な犠牲をも顧みない生き方をした人がいた。

誰でも坂本龍馬にはなれない。
なれなくても頑張った人はたくさん居たのだなあ、と、
当たり前のことに驚きました。
そういう慎ましやかな生活との戦い。
僕は坂本龍馬には憧れませんが、
そんな人生の日常の中でそれでも必死に何かをやりたい、
そんなことを今は考えています。


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