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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

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2010-07-20 諫言
2010-07-19 あのときの予兆
2010-07-15 マラドーナ
2010-07-14 夏が恋しい
2010-07-13 すかさずの始まり
2010-07-12 また一つ舞台の終わり
2010-07-10 懐かしいあの夏へ
2010-07-08 いよいよ、明日劇場入り。
2010-07-07 7月の雨空に
2010-07-06 演出食べ比べ


2010-07-20 諫言

最近、毎日大道具を叩いている。
これでも昔は大道具が苦手で道具の作り方が分からず、
先輩が上手にものすごい大道具を作ると、
ただ脱帽でびっくりして賞賛していた。
もちろん今でもそれがあまり上達した、とは言えないが、
その分、あれこれ勉強させて頂いたり、
たいへんだった。

舞台で表現出来ることは基本的に全て経験と技術が必要で、
思いつきのアイディアを実際に具体化するのには、
実はものすごい大変なのだということを、
学べば学ぶほど気づかされた。

昔、僕が「これを舞台でやりたいのですが」と言うと、
大抵舞台の人から「それはできません」と言われた。
僕はその時、「そうですか」とうなだれながら、
(だったらどうすれば良いのか?教えてもくれないし意地悪だな・・・)
と思ったりもしたが、今から思えば恥ずかしいことだ。

最近ではたまたま審査員をしたり、
ヒアリングで聴き取りをする方になったが、
だから、今なら少しは分かる。
その時の僕にはそれは無理だったのだ。
経験も技術もなかったのだから。

それでもそれを必死に具現化する過程で、
学んだことも山ほどある。
それで僕も少しは経験を積ませて頂き、
そして技術というものを学んで来たのである。

でも今の僕ならただ「それは無理です」とは言わないけどね。
どうしたらいいのかを少しでも伝えようとするでしょう。
もしただ単に「無理です」といったとしたのなら本当に無理なのです。
まあ、きちんとその場に居て経験や知識が多少なければ、
正しい判断もつかないでしょうね。
ただ単に意地悪でそこに居るとしたらアホです。
そんなアホには誰もヒアリングなどやらせないと思うのですが。

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2010-07-19 あのときの予兆

振り返ってみたらあの時、
人生は少しずつその風向きを変えていたのかもしれない。
その予兆として僕の目の前に様々なもの見せてくれていたのに、
そして僕自身もそれは何かの予兆だと口にしていたはずなのに、
それが示す本当の意味は、
運命が人生にそう刻まれるまで知る術もなかった。

その時、僕は一生懸命そのことを何かの予兆だと説明したのに、
その時、僕の説明を聞いていた人は今はもうどこにいるのか分からない。

そんなものなんですよ。
意識して起こす悪事は別として、
多くのことはそうなるべくそうなっていき、
それは起こってしまってからしか分からないし、
そうなるってことは当人だって分からなかったこと。

演技がそうであるように、
いざ立ってみないと分からないことが舞台にはあるように、
人生の中の出来事は過ぎてみてやっとその意味が分かることがある。

もしかしてそれが何かを予兆していると気がついても、
もうそこは流れの中で当人には流れの全体は見えない。

だからって流されるだけの人生を受け入れるほど、
達観した生き方などは絶対に出来ないから。
まあそれは仕方ないことなのだ。


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2010-07-15 マラドーナ

ワールドカップの興奮も覚めやらぬこの頃ですが、
私的なサッカー大会があり、なんと今日はそこで優勝しました。
私の立場は監督。
まあプレーヤーではないのですが、それはそれ。

それにしてもうちのチームは、
浦○レッ○ユースのセンターバックと、
川○フロン○ーレのMFをそろえ、
FW・GK・DFと全て経験者でそろえ、
強え〜こと、強え〜こと。
自分たちより格上のチームをバンバン破って、
ついに優勝しちまったって感じです。

僕は試合前は円陣の中心になり、指示を喉を枯らすくらい出して、
ゴールシーンでは飛び上がり、勝利の瞬間には選手と抱き合いました。
それを観ていた友人は、
「今日のきみはマラドーナみたいだったよ。」
と言っていました。
マラドーナ、あんたの感動を少しでも共有できて良かったよ。
全員で勝利の乾杯をした時の、
あの感動は素敵だった。

もう、夏がそこまで来ていると雲が告げている。


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2010-07-14 夏が恋しい

ラテックスもう来たよ、
くっさーラテックスくっさー。

でもご親切に何度も使用方法をご教授頂いた、
Y本先生、ありがとうございました。

どんどん大道具作ってるよ、
毎日3時間は工房に入ってるもんね。
だんだん道具作るの、楽しくなってきた。

ラテックスは木に使いました。

全国各地で大雨による被害が出ているが、
もうそろそろ明けて欲しいよ、梅雨。
梅雨の合間の空には久しぶりの夕日。

夏らしい空が恋しいね。


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2010-07-13 すかさずの始まり

・・・と言うわけで本日も午後からは演劇三昧でした。

まずN工学院のY本さんに直接アドバイスを受けて、
ラテックス(怪獣用)とアレスタイルを発注。
今週末にはゲット出来そう。
続いてTカイシと日暮里の繊維街に出かけて、
大道具に必要な布(100円/1m)を購入。
安い、Yザワヤよりはるかに安い。
さすが日暮里。
作業場に戻ってハーちゃんと「木」を作った。
なかなかね。明日、も一本作るぞ!!
Mタライ達は今日レンガ20個作っちゃうし、
なかなか凄いぞ!!

夜は劇団ぴゅあの稽古。
まずは電子ピアノを駆使して「花翳」の練習。
まあ最初はそれでもそのうちにあれってことで。
続いて本読み、びー様なかなかいー味でございます。
最後に薙刀の稽古。
キョンぺーくんが来てくれているので心強いね。
Hソヤがすっかり溶け込んでる。。。
さて、それぞれのスタンスで最初は構いませんが、
ゆっくり全員で歩調を合わせて、
うちらしい芝居を作っていきましょう。
楽しくね。

終わった後のすかさずの始まり。
いつまでも前の芝居の話はしないぜ。
Go To Next!!
てことで。。。


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2010-07-12 また一つ舞台の終わり

本番を終えて今日は一日眠かった。
昨日は真夜中の二時近くまで打ち上げで飲んでいたからだ。

お世話になった劇団の主宰であり演出家でもある松木さんに、
お礼を述べて杯を交わした。
二十周年であり第五十回目の公演。
劇団欅は尊敬すべき先輩の劇団だ。

人はその年輪を重ねる中で、
その時その時の情熱で燃えなければならない。

若いときはひたむきで未熟だけれど、獰猛な視線で先を見据える炎で。
少し歳を取ったら、簡単に真似の出来ないような圧倒的な実力と経験で、
力だけの程度で押してくる人間を寄せつけないようなオーラで。

その葛藤、その拮抗、緊迫、白熱、プライド、
全てを賭けた火花の散るような勝負の瞬間を。
それが世代を超えて舞台に立ち現れてくる時に、
初めて感動の生まれる余地があるのではないか。

欅の舞台にはそんなものがあると思う。
負けてない。勝負してる。
それが尊敬すべき先輩の姿の全てだ。

今回の芝居、自分はどの程度の演技ができたか。
常に冷静さを保ちながら一つ先のことに挑戦した。
そして時には今まで意識できなかったことを意識した。
それはもう一つ外の視野の広さを持つことだ。
自分の狭い視野にこだわらない。
プロセミアムの向こうにあるものを意識する。
そして意識下でコントロールされた最大限の感情の表出。
テクニックに溺れず、感情に溺れず、
段取りに頭を支配されない演技を目指した。
それをどれだけ出来たか知れないが、
二回のステージはあっと言う間に終わってしまった。

また次の舞台。
しっかり最高の準備をして、
納得の行く結果を残すのみだ。


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2010-07-10 懐かしいあの夏へ

本番前の夜です。
僕は役者と一緒に音響のプランナーもやっているのですが、
今回は遊び心をちょっと含んだ音響を作ったのでどうかと思ったのですが、
一応、演出にもOKを頂きました。

あとは主役を食うだけね(笑)。

嘘、嘘。
ちゃんと自分の役どころをきっちりやらせて頂きます。、

テレビでたまたま聴いた原由子の歌声で、
「あ、そういえばもうすぐ夏だな」
とあらためて思ってしまった。

十代最後の夏は鎌倉で遠くに江ノ島眺めながら、
本当は苦すぎるビール、飲んでたっけな。
ナンパ失敗して友人とケンカしたりして。
でもあの夏は彗星がそれを横切ってた。
少し遅れた梅雨明けは巨大な台風の通過と共に夏を連れてきて、
鎌倉に着いた時はどしゃぶりだったのに、
翌日はカリフォルニアまで続くような青空だった。
杉山清孝聴いて、歓声を上げて、
江ノ島に続く134号線を海岸線横目に車を走らせた。

あの頃のことを思い出して、
明日は舞台の上で恋をしてみよう。
まだ恋をすることを夢見ていたあの頃と同じ心で。


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2010-07-08 いよいよ、明日劇場入り。

さて、いよいよ明日は公演をする戸田市文化会館に入ります。
仕込みとリハということですね。
ただ僕は本職の出張が午後に入っているので、
劇場入りするのは劇団員でも遅い方の午後六時半近く。
うまく音響のチェックに間に合えば良いのですが。
ま、僕が居なくてもゆやまんくんが始めててくれるでしょう。
僕は後から行ってサンプラーを届けるだけです。
今回の音響、役者の皆さんも楽しみにしててくださいね。
ちっょとしたサプライズも用意してあります。
ではでは。


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2010-07-07 7月の雨空に

いよいよ今週末、本番が迫っている。
今週はずっと夜は二時間あまりの稽古でした。
先週末は半日ずつ稽古しました。
この舞台でやりたいことは、
ここまで勉強したことの舞台への応用だ。
さてどうなるたろう。

舞台はいつでも挑戦だ。
勝ち負けはないけれどそこに何かに対する挑戦が常にある。


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2010-07-06 演出食べ比べ

たまたまだが今年は様々なタイプの演出をする人に出会った。
演技もさることながら、演出方法も人それぞれで、
とても個性的であり魅力的で面白い。
【A氏の演出の場合】
 A氏の特徴は本読みの段階から、登場人物のキャラクターや芝居の中での
 役割をマンツーで役者に指示し、立ち稽古に入ってからもミザンや
 セリフの言い方にまで注文をつける。
 芝居を自分一人でコントロールしたいオール支配型だった。
 A氏は局面での演出としての指示はとてもオーソドックスで、
 その時その時の感情を起点に、役者の効果的な見せ方を考えていた。
 ただそれは役者発ではなく全て演出発だったということだ。
【B氏の演出の場合】
 B氏の特徴は演技する役者自身にものを考えさせて、
 自分はほとんど「こうした方がいい」ということを言わないということだ。
 ここの役者は演出からほぼ指示をもらえないので、
 自分でカメラを回して自分の演技をチェックしていた。
 いつでもけして明確な指摘をせず、
 「なぜ場面としてうまくいかないのか」を役者全員に問い掛ける、
 ディスカッション重視型だ。
 この演出家は自分の考えをけして押しつけない。
 それどころか自分の考えと同等に他の役者の考えに耳を傾ける。
【C氏の演出の場合】
 この方には自分の芝居をこうしたいという、ビジョンが最初からしっかり
 頭の中にあって、そういう意味ではA氏と似ている。
 しかしC氏の特徴はそこにあるのではなく芝居の作りにある。
 C氏の演出家としてのキーワードは「段取り」だ。
 もちろん役者とのやりとりがあり、そのやりとりの中に、
 芝居に必要な演出としての考えを伝える部分もあるが、
 その多くは結局、段取りである。
 ただC氏はA氏のように稽古場の支配者ではない。 
 役者を尊重し、その役者に場面をゆだねることも多い。
 でもそこでも大切なのは段取りである。 
 そうして出来上がったものはC氏の当初考えていたものに近づいていく。
 それは熟練した役者陣にも支えられている。
 この方の演出は段取り重視型である。
【D氏の演出の場合】
 D氏は芝居をその場その場の空気で作っていく。
 言うなれば、演出プランはあってないようなものだ。
 その場その場で作っていく「生」な感じを大切にしているのである。
 一方でセリフの言い方に対しては非常にテクニカルな理論を持っていて、
 感情でさえもセリフを吐く際のテクニックの一つでしかない。
 その人に言わせるとその感情の保持の仕方にさえテクがあるのだ。
 A氏やC氏の笑いが非常に計算され尽くしているのに対して、
 D氏の笑いは偶発的に生まれるのである。
 その点、その笑いはある意味もっとも演劇的であると言えるだろう。
 D氏の演出は完璧主義のテクニック重視型である。
【E氏の演出の場合】
 E氏はC氏と同様に自分がやりたいヴィジョンが明確だ。
 しかしC氏と大きく違うのは段取りを極端に嫌う、
 魂の感情重視型であるということだ。
 セリフも役者の動きもその根幹には感情があり、
 感情から発されたセリフや動き以外は認めない。
 時にはそれができれば自分が持っていたヴィジョン通りに行かなくても、
 それでいいと自分の芝居を変更することもできる。
 ただE氏は役者も兼ねているので自分の出ている場面には非常にこだわる。
 それは役者として必要な資質なので悪いことではないだろう。
 E氏は魂の感情重視型である。

演出も人それぞれ、まだまだ勉強ですね。

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