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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2015-02-07 いつの間にか如月
2015-01-21 春や遠き 夢の果てに
2015-01-20 週末そして週の始め
2015-01-16 また会えると彼は言った
2015-01-14 いつか見た海
2015-01-13 誰がために
2015-01-12 連休の終わり
2015-01-11 顔合わせ
2015-01-08 愛は魔
2015-01-07 この一月に


2015-02-07 いつの間にか如月

激動の自分の風邪、
その後の家族ぐるみのインフルエンザ嵐の日々が過ぎ、
やっと一息。

2/3に少し大きなイベントがあって、
それが、まあまあうまくいったから、
それもほっと一息。

何気なく思うのだけれど、
物事もがうまくいく時も、
うまくいかない時もあるけど、
一つ一つやるしかないのだな、と。

自分の思いだけでは物事は動かない。
しかし自分が思いを持っていないと、
何も起こらない。
人の背中越しに愚痴ばかり言うのはやめよう。
そんなことをつぶやいたって世界は変わらない。

人の見てないとこで、
何をしておいたか、だと。

実は戻らないものを戻そうとして、
またあがいている。
それは今、それが大切だから。

ラーメン、少しは控えます。


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2015-01-21 春や遠き 夢の果てに

昨日の出張先まで連絡の電話かあったので、
朝一番に仕事を片付けに向かう。
早朝のご出勤だ。

続いて仕事はやや余裕があったものの、
夕方は重要な打ち合わせに向かう。
2時間近くの打ち合わせ、
ありがとうございました。
問題はこれからです。
その後、あちこちに電話掛けまくりで、
さらに二時間後やっと収束。
はい、とりあえずお疲れ様。

その後、さらに自分の劇団の仕事の電話二本。
まあ、あれだよね。
なんとかあれこれ納めて頂きたい。
色々あったが僕の想定は正しかったわけだ。
さて、ややもすると大変そうだが、
ここが踏ん張りどころだと理解しているか、
それが今後に繋がるかの瀬戸際。
しっかり見極めていきたい。

と思ったらさらに最後に一仕事。

多くの人と関わっている。
これは幸せに違いない。

簡単なところで満足せず、
さらに上を目指して。
季節は冬。
そのむこうはまだ見えず。


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2015-01-20 週末そして週の始め

日々が飛ぶように過ぎていく。

17日は劇団の稽古。
人がそろわず思うようには進まなかったが、
すでに半立ちに入る。

18日、シェイクスピア・プロジェクト。
思いがけず☆野さんがいらしたので、コラボ。
シミズさんともお茶して楽しかった。

19日、仕事で少し大きなイベントがあり、
上手くいって良かった。
なんか終わったあとみんなが気分良かった。

20日、出張。別な仕事を進めようとしたが、
仕事を割り振られたので一日それを。
まあ、いいか。
明日は早朝と夕方に仕事が入る。
それでも成果のある出張であった。

週末の稽古後に立ち寄った豚カツ屋さんの、
ロースカツ定食。
下町の食堂という感じですが、
豚カツ専門店なので、美味しいという感じ。
ファミレスではないこんな感じが好きですわ。


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2015-01-16 また会えると彼は言った

仕事に追われていて、なかなか片付かない周だった。
今日は出張。

出張先で合間に別の仕事をこなす。
仕事ははかどり、週末の為のものは無事そろった。
そんな一日だった。

昨夜は久しぶりに古い友人と話す。
大切な友人で話し方は以前と全く変わらない。
人と人の運命はなかなか型通りにはいかない、
良い意味でそんなことを感じさせる時だった。

若い頃には分からなかったこと。
昔こだわっていたことなど、
今となってはどうでもいいことになっている。
面白いと思う。
嫌なこともたくさんあったはずなのに、
もうあまり思い出せない。

お互いにいい大人になり、
それぞれが背負うべきものを手に入れてる。
それでもつながっているということ。

今日はまた別の友達からメールが入った。
あまりに唐突で名字だけでは、
一瞬、誰だか分からなかったほど。
でも、大きな仕事の帰りにふとメールをくれた。
自分もそういう時があるから分かる。
自分が彼にとってそういう時の相手であることが嬉しい。

僕らは限りある生を生きている。
その中で人と出会い、未だ見ぬ景色を目にする。
その一人一人が僕の人生。
一つ一つが僕の歩いて来た道。

誰しもが一人じゃ無い。
多くの人に出会い係わり合いながら、
それぞれの人生に立ち向かっている。

やがて訪れる邂逅の日まで。


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2015-01-14 いつか見た海

やっとのことで仕事の目処が立ち、
やるべきことが大方片付いた。

今週末と来週早々に出張が入っていたのは誤算。
来週に入っていた新年会は忘れていたが、
メンバーの体調不良でつぶれたのはむしろ都合が良い。
再来週の会合も忘れていたのだが、
なんとか予定通りいきそうだ。

三日目のトレーニングは、
歩き回っただけ。

日々はただ過ぎていくだけ。
一日にやれることはたかが知れていて、
少しもまともに片付きゃしない。

だからきちんと計算しなきゃ。
ただ流されてくのは無策。

声を掛けてくれれば教えてあげるのに、
無駄にプライドだけ高い。
本質は数年前と全く変わっていない。
だから損をしてばかりだ。

それでもこちらから何かしたって意味なし。
あくまで自分で動かないと。
人を頼らずに、でも自分だけで何かはしよとせずに。

人とはなんともめんどくさいものだ。

冬は相変わらず寒さの手を緩めないが、
季節は進んでいる、巡っている。
不思議とこの1月の空が一年の中で、
一番それを感じさせてくれる気がする。

寒さが少し緩むと寂しい気分になる。
それは寒い地方で過ごしたことのある者独特の感覚か。
海も緩むか、季節の節目に。

まあ、そう、とがらないで欲しい。
全てを知るなんてことは、
いっぺんに何かを手に入れるなんてことは、
欲張りというものだ。

遠くの海が揺らぐ。
心がどうしてもそこに惹きつけられるのは、
記憶の中にそういう海があるからだよ。

いつか見た海が記憶にあるからだ。


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2015-01-13 誰がために

週末だけに限らず芝居にうつつを抜かしていたら、
仕事がやや滞って来た。
少し頑張ってある程度片付ける。

ギターの楽曲の練習もたまにしなきゃいけないと言われ。

今日の料理は塩焼きそば。
白菜は野菜なのにダシが出るのだ。

トレーニング二日目。
昨日よりも身体が軽いのは気のせいか。
少し途中のメニューを増やす。
少しずつでも毎日やろうと思う。

あるかなきかの使命らしきものを、
なぜやらねばならぬか自己に問いながら、
それでもいつの間にかそれに責任みたいなものも出来る。
責任と言っても人に対してのものではない。
それは自分自身の生き方に対する責任のようなもの。

あと幾つ、って決まっているのは、
実は老若男女、誰しも同じだよね。
誰しもが何もせずに毎日を過ごしている訳じゃ無い。
それでも何もせずとも同じような毎日は過ぎていく。

自分がそこに居たんだと言う証のような毎日を、
どうすれば重ねていけるのか。
誰しもが、もがいているのだろうから。

青ざめた老婆の差し出すその手を、
僕は躊躇いながら包み込むように受け止める。
誰も居ないその月だけが見つめる路地の道を。

夏の記憶が遠い冬、
誰しもが凍える月の路地を。


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2015-01-12 連休の終わり

さて、三連休の週末が終わろうとしている。
この三日間、ずっと芝居をしていた。

1日目、土曜日は二つの芝居の演出を掛け持ち。
生意気な意見も頼もしい限り。
努力している人間が自分を出して声を挙げるのは大歓迎。
9時間近く稽古場で語り合う一日だった。

2日目、日曜日は劇団の新しい芝居の顔合わせと会議と稽古。
この日も10時間近く芝居に関わった。

3日目、本日はシェイクスピアプロジェクト、
『リア王』を読みながら演技力向上のワークショップ。
僕もかなりがんがん読んだので、自分の稽古にもなった。
この日は7時間ほどの稽古。
稽古後、松木先生やみかんさんとお茶したが、
今後のお芝居の話も出来て良かった。

帰宅してぼーっとしていると、
かつての知人で今年、成人式を迎えた人からメール。
「二十歳になりました!!」だって。
画面には写真も添付してあり、艶やかな晴れ着。
明るくて、いいね。

ああ、今週末も疲れたなあ。
芝居やり過ぎ。

でも一方で今日からトレーニング開始。
少しずつ鍛えることも忘れないようにしよう。

なんと慌ただしく過ぎていく週末よ。
それでも人と関わっている。
バタバタしながら四苦八苦しながら、
それでも真っ直ぐに自分のすべきことに向かっている。

この想いがきちんと報われますように。


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2015-01-11 顔合わせ

この日は劇団の顔合わせがあった。
劇団の主宰をしている関係上、
顔合わせは始まりではない。

もうとっくに始まっている。
本番までのスケジューリング、参加する役者との調整、
脚本の書き直し、演出プランの立案、
今回の後援団体との主旨のすり合わせ、
照明スタッフとの事前打ち合わせ、作曲家との打ち合わせ、
前回公演から出た反省の改善策を出したり。

顔合わせが始まる段階では全て終わっている。
そう簡単にはいかないとは思うが、
公演の最後の幕が下りる瞬間までイメージ出来る。
まあ、イメージ通りいかない部分があっても構わないが。

前回公演もアクシデントとハプニング続きだった。
しかし最後のイメージはトレースした通りだったのだから。

あとはイメージが壊そうとするものを、
全力で避けたり、倒したりしながら、
ひたすら前進するだけだ。

理想の舞台にする努力。
もうとっくに始まっている。
今日がスタートではない。


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2015-01-08 愛は魔

Wowwowwでまどマギが三日連続で劇場版をやっていたので、
ずっとマツモトから観ろ観ろ言われていたこともあり、
観てみた。

遅くなりましがネタバレあるので。

二作目まではテレビシリーズの焼き直しだったので、
ある程度内容は理解していたが、
二作目まで観たところで三作目の予想をして、
なんとなく「SPEC」みたいな終り方だと嫌だな、
と思っていた。
それだと二作目でもう終わってるじゃん、
って事だからね。

しかしさすが虚淵。
見え見えの伏線から思いもよらぬ土壇場のどんでん返し。
いいですね。
愛は魔か、なるほど。

魔が神をも脅かし自身も滅ぼす。
インキュベーターの恐怖は冷徹さであり、
その正体は「理」だが、
魔は理をも凌駕する情愛。

まどかは最後まで真実みの無い薄っぺらいキャラクターだが、
そこに一心に向かうほむらは素晴らしい造形だった。

最初からほむらの物語だったんですな。
この話は。

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2015-01-07 この一月に

いよいよお正月も終わり、
僕も今年収穫する種を巻き終わりました。

その種とは、もちろん芝居のための種です。

まず前回、スノクロを演出したのはもう一度殺陣の演出を確認するため。
そしてそれは演出的には『旋風を斬れ』に繋がっている。

そもそもスノクロと青ドレをやって気づいたことがある。
まずスノクロをやっている時に昔のビデオを観た。
ビデオをほとんど観ない僕が観て気づいたことは、
旧世代の人々がとても上手だったということだ。

確かに青ドレに通じるヴェニスのSPで次世代の底上げを期した。
そしてそれは確実に成果を挙げたはずだった。
しかし目をそらさないで考える必要がある。
まだまだ次世代は旧世代よりかなり下手だということを。

旧世代と同様に歳月を経れば次世代も旧世代にやがて追いつく。
それは確実だ。
しかしそれでは僕の見たい景色には届かない。
劇団の成長もない。

旧世代と次世代は芝居に対峙する時間軸がそもそも異なる。
創世記を情熱だけで乗り切った旧世代。
それはきっと楽しかったに違いない。
それは劇団にって青春と呼べる時代だった。

その楽しさを味合わせないとは言っていない。
でもそれだけでいいのか?
僕はそれではもう満足できない。
狭義で述べればそれは僕のエゴだ。
しかし広義で言えば演劇の進歩だ。

個々のそれが望みなら誰かが新しい劇団を旗揚げすればいい。
それで青春はまた取り戻せる。
でも僕が見たい景色はまた青春を取り戻すことじゃない。
もっと今のメンバーで先へ進むことだ。

SP2で「リア王」を選んだのは、
個々の能力の伸長だけでなく、意味の学びだ。
「リア王」は間違いなく「黄昏」に繋がっている。
「老い」というテーマを、意味を学ぶことが、
次の演技に繋がっている。
それを確信しているから今があるのだ。

「リア」から「黄昏」を経て、
来年の1月に何が待っているのか。

冗談みたいだが、それはまだ述べる時では無い。
しかし一つ言えることは、
劇団を続ける意味は成長でしかない。

村上龍の述べる現代の劇団の陥る自己満足と自己収束に、
自分たちを貶めないようにするには、
現状維持を目指していても無理だ。

それは大劇場で公演を行なったり、
有料で集客増加を目指したりすることでは無い。
それでは現代に希有な存在たる、
この劇団ぴゅあだけが持つ特質を失うことと同義だ。

劇団は成長するべきだ。
それだけは妥協する気は無いことだけはきっぱり述べておく。
またこのことについては、
機会をとらえて述べていこうと思う。


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