himajin top
あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2010-07-06 演出食べ比べ
2010-07-04 劇団顔合わせ
2010-06-26 ever green
2010-06-23 多忙近々
2010-06-08 気になることは一つずつ
2010-06-07 「セリフの吐き方」理論〜その1〜
2010-06-06 タイトル発表!!
2010-06-04 ニリンソウ
2010-06-03 信州そば
2010-06-02 嘉門次小屋の岩魚の塩焼き定食


2010-07-06 演出食べ比べ

たまたまだが今年は様々なタイプの演出をする人に出会った。
演技もさることながら、演出方法も人それぞれで、
とても個性的であり魅力的で面白い。
【A氏の演出の場合】
 A氏の特徴は本読みの段階から、登場人物のキャラクターや芝居の中での
 役割をマンツーで役者に指示し、立ち稽古に入ってからもミザンや
 セリフの言い方にまで注文をつける。
 芝居を自分一人でコントロールしたいオール支配型だった。
 A氏は局面での演出としての指示はとてもオーソドックスで、
 その時その時の感情を起点に、役者の効果的な見せ方を考えていた。
 ただそれは役者発ではなく全て演出発だったということだ。
【B氏の演出の場合】
 B氏の特徴は演技する役者自身にものを考えさせて、
 自分はほとんど「こうした方がいい」ということを言わないということだ。
 ここの役者は演出からほぼ指示をもらえないので、
 自分でカメラを回して自分の演技をチェックしていた。
 いつでもけして明確な指摘をせず、
 「なぜ場面としてうまくいかないのか」を役者全員に問い掛ける、
 ディスカッション重視型だ。
 この演出家は自分の考えをけして押しつけない。
 それどころか自分の考えと同等に他の役者の考えに耳を傾ける。
【C氏の演出の場合】
 この方には自分の芝居をこうしたいという、ビジョンが最初からしっかり
 頭の中にあって、そういう意味ではA氏と似ている。
 しかしC氏の特徴はそこにあるのではなく芝居の作りにある。
 C氏の演出家としてのキーワードは「段取り」だ。
 もちろん役者とのやりとりがあり、そのやりとりの中に、
 芝居に必要な演出としての考えを伝える部分もあるが、
 その多くは結局、段取りである。
 ただC氏はA氏のように稽古場の支配者ではない。 
 役者を尊重し、その役者に場面をゆだねることも多い。
 でもそこでも大切なのは段取りである。 
 そうして出来上がったものはC氏の当初考えていたものに近づいていく。
 それは熟練した役者陣にも支えられている。
 この方の演出は段取り重視型である。
【D氏の演出の場合】
 D氏は芝居をその場その場の空気で作っていく。
 言うなれば、演出プランはあってないようなものだ。
 その場その場で作っていく「生」な感じを大切にしているのである。
 一方でセリフの言い方に対しては非常にテクニカルな理論を持っていて、
 感情でさえもセリフを吐く際のテクニックの一つでしかない。
 その人に言わせるとその感情の保持の仕方にさえテクがあるのだ。
 A氏やC氏の笑いが非常に計算され尽くしているのに対して、
 D氏の笑いは偶発的に生まれるのである。
 その点、その笑いはある意味もっとも演劇的であると言えるだろう。
 D氏の演出は完璧主義のテクニック重視型である。
【E氏の演出の場合】
 E氏はC氏と同様に自分がやりたいヴィジョンが明確だ。
 しかしC氏と大きく違うのは段取りを極端に嫌う、
 魂の感情重視型であるということだ。
 セリフも役者の動きもその根幹には感情があり、
 感情から発されたセリフや動き以外は認めない。
 時にはそれができれば自分が持っていたヴィジョン通りに行かなくても、
 それでいいと自分の芝居を変更することもできる。
 ただE氏は役者も兼ねているので自分の出ている場面には非常にこだわる。
 それは役者として必要な資質なので悪いことではないだろう。
 E氏は魂の感情重視型である。

演出も人それぞれ、まだまだ勉強ですね。

先頭 表紙

2010-07-04 劇団顔合わせ

ここのところずっと台本書いてました。
プロットはだいぶ前に完成しており、
それでも「あれやこれや」と時間を掛けて悩んできました。
僕は文章は「悩んで書き直した分、良くなる」と信じているので、
何度も何度も書き直すのです。
まずはプロット通りの下書き。
次に前後を見ての書き直し。
そして一つ一つのセリフをもう一度見直して、
より精選した言葉に置き直す書き直し。
そして時間をおいて、もう一度書き直し。
一度書いてそのままの部分はあんま無い。
行っては戻り、戻ったまま先に進まないこともある。
幸いWC中なのでサッカーの試合を横目に、
夜遅くまで台本を書けた。

今回の台本で一番悩んだのは、
あるキャラをどこまで落とすか、ということ。
最初はお嬢様からどん底まで落とそうかと思ったんだけど、
そこまで落ちると帰ってこれない。

以前もある登場人物を殺すか、殺さないか、
ということで三ヶ月悩んだ。
結局、殺さなかった。
殺すと大変なんだよ、その代償をバランス取るのが。
芝居の上でも人を殺すと大変だ。
シェークスピアでもタケシでも殺すのもある種、思い切りかな。
ま、作風もあるので僕は殺せないのです。

とにかくも劇団顔合わせがあり、
そこで「前編」とはいえ完成台本を渡せたのが良かった。
劇場の押さえ、高野氏への楽曲依頼、さいたま市民文化祭の参加申請、
杖の手配、新劇団員の確保、そして台本執筆、その他諸々。

ここまでいろいろあったが、どうやら無事出航できたようだ。
これからもいろいろあるだろうけれど、
それが芝居という名の航海なのだから、
それが好きなのだからしょうがないのだ。

とりあえずブラッドオレンジジュースで乾杯!!


先頭 表紙

みーさんへ。また暑い夏が来そうですからお互いに健康には気を付けましょうね。 / あるまじろ ( 2010-07-06 23:37 )
12月の4、5日ですね?!さっそくスケジュール帳に書き込みましたw 楽しみにしてますねっ♪ / みー ( 2010-07-06 20:31 )

2010-06-26 ever green

隣の席の同僚、N○Kの番組を見ているのか、
毎日「ぜよ」「ぜよ」うるさい。
書いてみて思ったんだけど、濁点取ったら、
ニセ韓国人みたいになるね。
まあ別にかまわないけれど。

「ナントカほどの〜ナントカひとつ〜楽しいことナントカしーたーい!!」
最近、こう口ずさむことが多い。
「結局、何をしたいのか?」とツッコまれる。

梅雨の晴れ間に昼下がりにふと緑陰の下、
影が色濃く、日差しの強さが分かる。

今年も夏、
しっかり動いていきたいな。

人との会話、
何気なく交わした言葉、
それがなんとなく以前より柔らかいものだったら、
もう固かったことを忘れてしまう。
一瞬で昔に戻ってしまう。
僕はひきずらない。
その人の今がすぐそこにあって、
それを敏感に感じたい。

心の中にずっとある、
緑が遠くまで続く風の吹く風景に僕は今もいるのだ。


先頭 表紙

2010-06-23 多忙近々

いつの間にか季節が移ろっている。
蒸し暑い梅雨ではあるが夕暮れの空は夏の香りがした。
しばらくぶりなので近況報告。

まず、高校生との芝居。
じっくりと時間を掛けてしっかり作りたい。
これは大人と子供という世界の対立の話だ。
思えばこの仕事を始めて、最初からこれがテーマだった気がする。
そして僕のポリシーとして一緒に芝居を作ることが理想だった。
大人も子供も手を抜かず。
全身全霊で力を結集した作品を舞台に乗せよう。

次に僕自身の劇団の芝居。
今までのシステムに限界が来てるのかもしれない。
それでも出来るところまで歩き続けると約束しよう。
しょせん真ん中に居る人任せなのは仕方ないが、
それでもまだ期待に応える用意はある。
楽しい時間を用意しよう。
でもこれはサービスでもボランティアでもない。
サービスする義理はない。
ちゃんと一人一人に責任も果たしてもらおう。

次に他人の劇団の芝居。
もう一つ詰め切れていないが、このままではいかない。
ここからもう一つ攻めて芝居を上げよう。
「なり」でやっている役者にはならない。
稽古場に顔を出すだけでなく、
一回一回の成果を自分自身に課したい。
ここでは自分は真ん中には居ない。
ここには真ん中にいる責任感やそれに伴う雑事や気配りは無い。
それならしっかり与えられた仕事をこなし持ち場を守りたい。

大切な家族との時間は申し訳ないことに削られている。
時は流れている。
それを忘れてはいけない。


先頭 表紙

2010-06-08 気になることは一つずつ

どんなことでも、放置して先は進めない。
言いにくいことや自分で割り切れないことでも、
きちんとすぐに片を付けていけば、
自分自身も楽なはずだ。

人と人が何かをやるときには、
本当に充分な信頼関係がなければ芝居は作れない。
いったんでも壊れたとしたら、
一生懸命それを修復しなければならないはずだ。

そしてその努力は一人一人が全員、
お互いのためにすべきであると思う。


先頭 表紙

2010-06-07 「セリフの吐き方」理論〜その1〜

役者にとって、セリフの出し方は永遠の課題である。
実際に役者を経験して初めて分かったことだが、
まず必要なのはボリュームである。
ある意味では「ふっきる」感じで言われる「自己の解放」は、
ただ、単に恥を捨てれば達成出来るものではない。
僕の経験で言えば、場慣れして、
周りがある程度「見る」ことが出来てから、
初めて少し「解放」された気になったのは事実である。
それはおそらく三回くらい大きな舞台を踏んで以降のことである。

自分自身がおおよそのことについて、
器用な方である自信があったのだが、
この周囲を少し見ることが出来るまで、
演技は楽しいものではなかった。
その段階での楽しみはアドリブでウケをとることぐらいだった。

アドリブでウケを取ること。
これは清水さんにある舞台での本番後に言われたこと。
「アドリブをしてただ笑いに走るのは、
 経験のない未熟な役者がやることだ。」と。

僕はもう自分の劇団でアドリブで笑いを取ることは目指していない。
演技する役者にも今はそれは禁じている。
しっかりセリフを台本通りに言うこと。
その中で作品としての完成度を目指していくこと。
これを目指すことで明らかに僕の芝居は一段階上がったと思う。
それまで勝てなかったところをいつでも勝てるようになったのは、
作品に対しての完成度をストイックに高めていく姿勢が、
それまでの経験とあいまって僕の芝居を向上させてくれたのだと思う。

一方でアドリブではなくフリーハンドな、
自然な会話を舞台上に再現することについては、
なかなか正解が出なかった。
「感情で(魂で)言葉を吐き出す」ことは絶対に必要。
それは演技の身体も作ってくれる。

でも「感情入れ」をすると、最初必ず二つのマイナス要素が出る。
どうしても「間」が出来るのと、怒鳴ることだ。
感情の立ち上がりをコントロール出来ないので、
「間」をどれだけとっていいのか、
自分の演技を役者はなかなか客観視できない。
怒鳴ることで昇華される気持ちよさから、
役者はなかなか解放されない。

やたら怒鳴ることと「間」を取りすぎること。
それをコントロール出来ないのは役者がまだ未熟で、
周囲を見ることが出来ていない証拠である。
それができなくて「自分がうまい」というのは、
とんでもない思い上がりだ。

「間詰め」と「感情入れ」を繰り返す反復稽古が、
その一つ目の問題を解決する方法だ。
一方で、どうしても舞台で必要なボリュームを確保するのは、
発声方法のなかでただ「大声でがなる」のではなく、
「響き」の意識を持たなくてはならない。
その意識がチームとしての役者陣全体にない場合、
やはり怒鳴らなくてはならない部分が出てくるのだ。

どうすれば怒鳴らなくても届くだろうか。
それが大きな課題だった。
そうしているうちに「高低の意識」に出会った。
しかし、それは芝居を選ぶ方法だ。
もちろん「高低」を意識することはとても大切なことだが、
芝居の作りは、セリフの感情面でも、
「間詰め」と「感情入れ」を繰り返すように、
セリフを発声することによって相手に落としていく場合でも、
「高低」を意識することによって生じるマイナス面を補う意識が必要で、
それを同時に意識しないとテクニカルな側面ばかりが肥大したセリフとなる。

「高低」のマイナス面を補う意識、それがその次のキーワード。
それは最近見つけたことだが、これはまだ言えない。
つかんではいるが、これはもう少しの研究が必要だろう。
今年の夏が終われば、それを語れるかもしれない、と思っているのである。


先頭 表紙

2010-06-06 タイトル発表!!

人は夢を見てる時には夢だと気づかない。
台本を書いている時が実は夢の始まりなんだろうな。

いよいよ、豪華版な劇団ぴゅあの次回作の構想が煮詰まってきている。
顔合わせが7月4日なのでそれまでには台本をあげたいですね。
とりあえず、今はそう思ってます。

今、構想の中に入っているのはとりあえずこんな感じ。

@ダンスをちゃんと講師に来ていただき振り付け。
Aぴゅあといえば、殺陣・・・なのでアクションもあり。
B作曲家と知り合えたので挿入歌をオリジナルで用意。
C二時間超なので途中、休憩10分を予定。
DWプロジェクターで映像を使った特殊効果。
E20回記念公演なので大道具を作っちゃおうかな。

全部出来たらいいな、でもどうだろう。。。

とりあえずタイトルは・・・

『花翳ゆれる』

です。


先頭 表紙

わわっ!タイトル決定したんですね。どんな話か楽しみです!確かに全部出来たらすごいですね。でも10周年公演を乗り超えたからか何だか出来そうな気がしているのが不思議です。次回公演は個人的にも深い思い入れが残る作品になると思うのでいつも以上に気合いを入れて頑張りたいと思っています。台本楽しみにしています!でも体だけは無理しないで下さいね〜。 / ゆーこ ( 2010-06-17 15:51 )
くすのき燕さんへ。とりあえず、十二月初めに公演があるのでそれまで内緒です。 / あるまじろ ( 2010-06-12 21:12 )
タイトルには儚さも感じますが、どんな内容なんだろう。 / くすのき燕 ( 2010-06-11 08:31 )

2010-06-04 ニリンソウ

イチリンソウもありますね。

バイト先のペンションで、
ニリンソウの一夜漬けを初めて食べた時、
ご飯がすすんだなあ。

そういう地元のものを食べると、
その土地の人間になれた気になる。

群生してる場所は、
河童橋からかなり明神池にかなり近い場所。
あ、でもそこは国立公園内だから採取禁止ですね。
阿房峠が開通すると取りにいけるそうです。


先頭 表紙

2010-06-03 信州そば

信州といえば蕎麦でしょ。
うどんって言わないの。

ざるで「うわっ」っていうくらいの蕎麦出てくるのに安い。
安曇野だったらこの「くるまや」さんが一番です。


先頭 表紙

こちらにいらしてたんですね。爽やかな季節です。 / くすのき燕 ( 2010-06-08 08:43 )

2010-06-02 嘉門次小屋の岩魚の塩焼き定食

午前八時半。
上高地明神池の嘉門次小屋が開店。
上高地バスターミナルからゆっくり徒歩で一時間半。
たどり着いて食べるこれって、
旨いに決まってます。

岩魚は遠火で焼くから焼きあがるまで30分かかる。
人は合計二時間かけてこの定食にありつくのだ。
岩魚は頭からかぶりつける。
カリカリです。

なんというスローフード。
食べるときもゆっくり食べないともったいないというものだ。

見よ、このシンプルで完璧な取り合わせよ。
あ、あと味噌汁(味、濃い目)がつきます。
上高地の朝の風が最高の調味料。


先頭 表紙


[次の10件を表示] (総目次)