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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2010-06-02 嘉門次小屋の岩魚の塩焼き定食
2010-06-01 水無月の五月晴れ
2010-05-25 彷徨うクマノミ
2010-05-22 ジキタリス
2010-05-19 さよならは一度しか言えない
2010-05-18 アーサー氏の台本
2010-05-15 たゆとう
2010-05-14 自分の目を育てること
2010-05-13 最近食べた旨いものシリーズ〜中トロ&サーモン〜
2010-05-12 最近食べた旨いものシリーズ〜ふきのとうとこごみの天麩羅〜


2010-06-02 嘉門次小屋の岩魚の塩焼き定食

午前八時半。
上高地明神池の嘉門次小屋が開店。
上高地バスターミナルからゆっくり徒歩で一時間半。
たどり着いて食べるこれって、
旨いに決まってます。

岩魚は遠火で焼くから焼きあがるまで30分かかる。
人は合計二時間かけてこの定食にありつくのだ。
岩魚は頭からかぶりつける。
カリカリです。

なんというスローフード。
食べるときもゆっくり食べないともったいないというものだ。

見よ、このシンプルで完璧な取り合わせよ。
あ、あと味噌汁(味、濃い目)がつきます。
上高地の朝の風が最高の調味料。


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2010-06-01 水無月の五月晴れ

さて。

色々とあって全てはうまくいかない。
そういうことは良くあることだ。

でも僕はすぐに二択にはしない。
両方取れないからと言って、
すぐには片方をあきらめない。
どうしても二つのうち一つ、
という時まであきらめない。

意外と誠実にやっていれば物事は最後にうまくいく、
そうやってそういう大団円を、
幾つも手に入れてきたしね。

何事もあきらめたら終わり。
現実世界で人生の謎はパズルのように組み合わされている。
しかしあきらめてはいけない。
簡単にあきらめることは癖になるのだ。
そして二度、チャンスはない。
チャンスを逸するのは常に自分自身のジャッジミスだったはずだ。

日中に爽やかだった風が、
午後四時の日差しの中で風向きを変える。
そういう風にはっとする。
振り向くと遠くの景色は、
もう残りわずかな温かさの中に佇んでいる。

いつの間にか過ぎていくものに、
気づかないことほどさみしいものはないから、
この瞬間をしっかり見つめていよう。


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2010-05-25 彷徨うクマノミ

一区切りした仕事の先には、また平凡な日常が続いている。

そしてゆったりとした日常の波の中にも、
少しの揺れが一瞬大きな波動に盛り上がる時もある。

劇団欅の稽古は日々進んでいる。
なんにせよ芝居の稽古場に身を置いている幸せよ。
セリフが生きて相手に届く感覚を持っていると芝居は楽しい。
一つ一つ、毎日違う。
セリフをやりとりしている感覚は、芝居の一つの快楽に違いない。

秋の台本をアーサー氏と検討するために、大成のココスへ。
やはり芝居に対して熱のある人と、
遠慮なしに芝居の話をするのはとても楽しい。
打ち合わせでもどんどん話は脱線しつつ、
あっと言う間に時間が過ぎていく。
「お互いに遠慮なく話し合う」と言って置いても、
意外といざ遠慮なく話すと、
いつの間にか怒り始めて、
最後はまともに聞いてくれない場合もあるのだけれど、
アーサー氏は大人で子供の情熱演劇人。
大人の理性と子供の柔軟性で、芝居の話は盛り上がる一方。
さすが。

この対談のキーワードは、
「躍動感を大切」と「何も持たないで立つな」。

感情を重視していると、どうしても出来る間。
それを詰める意識は当然だけれど、
それをテンポとして狙ってリズムを出すのではなく、
全て用意するものは用意した上でやり取りすると、
自然と躍動感につながるだろう。
これはなかなか面白い。

まだまだ未熟な僕の子供たちよ。
今は自分のミスに謝っちゃったり、
演技の途中で相手の面白さに笑っちゃったり、
セリフがちっちゃかったり。
それでも一所懸命やってる。
きっと夢を見せてくれるだろう。

おとなしく自分を守ってくれるイソギンチャクから離れなければ、
いつまでも安全なところで静かに時を過ごせるだろう。
でも、それじゃあツマラナイ。

新しい潮の流れに乗って見知らぬ海へ。
自分が見た世界だけが本当の世界。

どんなに知識で知っていても、
君はその世界の美しさを知らない。
そう言われるのが悔しくて、
彷徨うクマノミは次の海へ。

荒々しいそこに心が震えるような美しさがあるから。
それが自分の生きていることを証してくれるなら。


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2010-05-22 ジキタリス

車で母を乗せて福島へ。
母が通院していた時にできた友人宅を訪ねる。
いわきの山の中で老後、二人きりで過ごす人生。
確かに良い場所だが、実際は大変そうだ。
お二人の相性もあるだろう。
お二人同士のものも、土地とのものも。

一人一人がきちんと仕事をしていないとできないものだ。
ああいう自然の中での生活は素晴らしさの中に厳しさがある。
ストイックな時間の中に豊かさがあり、
静けさの中に退屈もある。

旦那さんに、薪を割るのは大変でしょう、と問いかけたら、
「大変だけれどすぐに終わったら暇でね」
と帰ってきた。

自分がもう若くなく、余生が想像できる頃に、
暇だ、と口にできる時間があることに、
自分は耐えられるだろうか。

ジキタリス、カモミール、馬鈴薯、イチゴ・・・、
花が咲き乱れていた庭園に、なつかない犬。

郡山を過ぎたあたりでは雲がかかっていたが、
いわき郊外、山間の集落のはずれの、
午後四時過ぎのその暖炉のある家には、西日が差していた。

手を振って別れたが、見送ってくれた人の笑顔はなかなか良かった。
母もあの人にあやかって良くなれば良い。
今日の空気はそうなる魔法のようなものを含んでいた気がする。


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本当に楽しいひとときでした。彼女の笑顔と空気の美味しさに自分の病を忘れました。温泉も良かったし楽しい2日間を私の為に時間を作ってくれてありがとう。 / 母より ( 2010-05-30 09:31 )

2010-05-19 さよならは一度しか言えない

いつの日も二度とない。
今、こうして笑いあっている瞬間も、
もう光に包まれた記憶の欠片になっている。

だって仕方がないよ。
急に雨が降ってきたんだから。
でもね、ほら、もう西の空が晴れてる。
終わり間近い夕暮れの気配が流れているよ。
だから泣かないで。
ちゃんと見ていてね。

いつか見た夕空は今日のこの日の西の空に続いていたんだ。
それがあの人が君に問いかけた謎の答え。

分かったことは、いつか伝えなくっちゃだめだよ。
そうして、つながっていくんだから。
君が知らない場所で君を思い出してもらえるように。

さよならは一度しか言えない。
だから簡単にさよならって言わないでね。


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雅さんへ。三回も言っちゃ駄目っ!! / あるまじろ ( 2010-05-22 21:00 )
さよなら さよなら さよなら もうすぐ外は白い冬〜♪愛したのは 確かに 君だけ そのままの君だけ♪あ。季違いでしたね。それで、トシがばれる歌でしたね。 / 雅(みやび) ( 2010-05-20 19:26 )
ちなみに窓の外を飛んでいるのは飛行船。 / あるまじろ ( 2010-05-20 00:24 )

2010-05-18 アーサー氏の台本

ふとしたことで、自分ではない他人の台本を読んでいる。
これはとても勉強になる。

僕は立場上、多くの芝居と触れる。
そしてその度に様々な戯曲を手にすることとなった。
それらの戯曲は一応、有名なものや定評のあるものが多かったが、
読んで「面白い!!」と思ったものは本当に数少なかった。

戯曲を読んで「面白い!!」と思った戯曲は、
「面白い!!」と思った芝居よりも少なかった。

しかし、今、僕が読ませていただいている戯曲は、
本当に面白い。
不遜な言い方をすると、なんか僕自身の台本と、
どこか共通項があるような気さえするのだ。

僕にとって良い戯曲の条件は、
読んでてグッとくること。

グッとくる。
さすがはアーサー王子だ。


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2010-05-15 たゆとう

ここしばらく自分の身体のことで気になっていたものが、
それを抱えていた不安と一緒にすっと消えてなくなった。

それとは別にこの世でたった一つ、
独りで抱えていた胸の不安も昨日、泡のように消えた。

全てのことは自然に日々過ごしている中で、
ゆっくりと解決されていく。

あせらずにいれば、
つらかったことも胸を締め付けていたことも、
やがて自分の普段していたことが、
助けてくれるように働くときが来る。
だから日々を誠実に生きていかなければならないのだろう。

この前、水族館で見たクラゲ。
綺麗だったな。
光ってるのは自分では分かってるんだろうか。


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同感です。焦ってもいいことなんてないですよね。最近私もずっと不安だったことや胸の中でモヤモヤしてたことが、伝えてみたら実は自分だけで悩んで焦っていただけだったことが分かり、全然焦る必要なかったんだ・・・と思いました。余裕を持つことって大事ですね。 / ゆーこ ( 2010-05-28 10:15 )

2010-05-14 自分の目を育てること

観客として、面白い芝居とそうでない芝居を論じる時に、
まず必要なのは観客としての「目」であると思う。
「目が肥えている」ということが、
単なる好みや身びいきを超越して、
目の前で演じられた芝居を面白いと捉えられる力となる。
やはりここでも経験はものを言う。

しかし当然ながら公開されている全ての芝居を観ることは、
映画やテレビドラマを観ることより大変だ。
そこで実際は、一般的な「良いもの」という基準に盲目に従ったり、
限られた交友関係の中で誘われた、限られた作品を偏って見ることになる。
なかなか芝居を観る目を養うのは大変なことなのだ。

一方で、単なる本数をたくさん観ているからと言っても、
目は肥えるわけではないように思う。
きちんと「最初はそれでも良い」ということわりを入れておくが、
単なる役者のファンであったり、身びいきで芝居を見ているのでは、
目はなかなか肥えない気がする。
一番意味がないのは最初から批判的な見方をすることだ。
そんな見方をしたら何本観ても、肥やしにはならない。

「目が肥えている」ことの本質として一つ言える事は、
「目が肥えている」と視野が狭くなるのではなく、広くなるということだ。
同じ芝居を観ても、面白いと感じられるポイントが増えるはずだからだ。

たくさんの芝居に足を運ぶことも大切だが、
それ以外にも目を肥やす方法はある。

それは役者としての経験や演出家としての経験、
芝居のスタッフとしての経験を積むことだと思う。
それら作り手の視点を手に入れることは、
確実に芝居の見所を増やしてくれるものだ。

そこで逆に今こだわっているのは、
作品に対しての客観性を自分の中で保持すること。
物事の良し悪しの判断全てに関わることだが、
そういう判断の時に自分への身びいきを自ら行うことは見苦しい限りだ。

作り手の一人として、自分の芝居を身びいきしない。
作り手の中心であればあるほど、その感性を持っていくべきだ。

僕はこういう姿勢で自分と他の芝居を眺めていこうと思う。
すると自然に自分の作る芝居には少しずつ厳しくなるし、
他の芝居からは多くのことを学ぼうとする傾向が強くなっていく。
それが言い換えれば精進ということにつながっていく気がするからだ。


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2010-05-13 最近食べた旨いものシリーズ〜中トロ&サーモン〜

カナダ人が3人目の前に座ってるテーブルで、
「ツナよりもサーモンが美味しい」
って言うとカナダ人は嬉しそうに笑う。

カナダ人はサーモン、すごく好き。
すごく好き、それ以上に誇りに思ってる。

カナダ近海で獲れる四種類のサーモンの中で、
どれが一番美味しいか、で二時間は語れる。
いや、実際に語られた→(本人)

でもね。
この中トロは美味しかったよ。
中トロは大トロより美味しいと思う。
この中トロをカナダ人に食わしたいな。


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みーさんへ。いろいろいっぺんにありがとうございました。想いが伝わりました。こういう人が居るというのも僕の幸せです。 / あるまじろ ( 2010-05-15 20:39 )
名実ともにほろ苦かったり、おいしそうなものだらけで、空腹の午前中のこの時間にはちとキツかったです(^^)。あと、家族と週末の段、なんだかじぃ〜んとしてしまいました。ささやかな幸福がいちばんの幸せって事、あるよね。ひとつお願いはカラダのメンテ。時間がなかったから、がシャレにならない状況にいつならないとも限らないので、切に。(ワタシも経験者)(-_-;) / 未ログインみー ( 2010-05-14 10:27 )

2010-05-12 最近食べた旨いものシリーズ〜ふきのとうとこごみの天麩羅〜

信州の松本に暮らしていた頃、
八百屋のバイトをしていると、
五月に八百屋の店頭にこごみも並んだ。

初めて見たので社長に「これ、なんですか?」と尋ねると、
「食べてみな。」と言って1パックくれた。

茹でてマヨネーズをかけて食べると、
濃厚な山菜の味がした。

ふきのとうも、
五月、上高地のバスの車掌のバイトをしていると、
道端にたくさん生えていた。
やはりバイトをしていたペンションのお母さんが、
天麩羅にして食べさせてくれた。
ほろ苦いその味が美味しく感じられたのも初めての体験だった。

ふきのとうもこごみも懐かしい風景を蘇らせる。
あの頃五月、バイトをしていたのはさびしかったからだ。
バイトでもしていなければ、
初めて独り暮らしを始めたばかりの、
あの空虚さに耐え切れなかったのだ。

そんな中で出会った一人一人の人が今となっては懐かしい。


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