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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2010-04-22 あの花の名はなに?
2010-04-20 言いたいこと
2010-04-19 少しは進歩してるかな
2010-04-18 ここのとこ。
2010-04-07 いつか取り残された夕方に
2010-04-06 卯月の花
2010-04-05 菜の花
2010-04-04 神田川の桜
2010-04-03 大きく振りかぶっても
2010-04-02 春の嵐


2010-04-22 あの花の名はなに?

桜の季節がいつの間にか過ぎてハナミズキが満開。

母が土をいじるから、と腐葉土とか砂利とかを僕に頼んだ。
車で届けたけれど、きっと綺麗な花を咲かせるんだろう。
僕は男の割りに、花の名を知ってると感心されることがあるが、
それは母が花に詳しいからだ。

ハナミズキは母校の校花でもある。
女子の胸元につけられるペンダントも、
ハナミズキがデザインされている。

僕が高校生だったとき、
たむろしていた生徒会室の窓辺にもハナミズキが咲いていた。

あの花の名は、なに?

あそこには、
報われない戦いや、僕や彼のほのかな想い、はかない友の恋歌も、
負けず嫌いな毎日と、そこに日々綴られる優しい言葉たちがあった。

けして大好きでもないのに、
嫌いな部分もけっこうあったのに、
何かあった時は必ず一緒にいたあいつら。


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2010-04-20 言いたいこと

言いたいことを真正面から言わないというなら、
それはお互い様ってことだ。

言えなかった事情があるというなら、
それもお互い様だ。


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2010-04-19 少しは進歩してるかな

巨匠ワカバヤシ先生に稽古を観ていただいた。
時刻は四時半。すでに大道具は立て込んでおいて、役者も音響もスタンバイの状態。
まずは序盤、15ページほど通して芝居を観ていただいた。
うちの役者の演技は、現段階でまだまだ固さが残っており、
セリフを覚えて段取りを決めた感じが、演技の中に残っている状態。
まず先生はその固い感じをほぐしておられたように思います。
@セリフの前に「あれっ?」という驚きを作って、自分の外に意識を置く。
うちの役者はこれまで、「自分の感情をしっかり認識してセリフに乗せること」
を練習して来ましたが、それは目の前の役者に対してしっかり目線をつなげて、
セリフを伝えるというくらいの段階でした。
それは勢い舞台上だけのセリフのやり取りにつながり、
客席にはセリフも感情も伝わらない、という状態を生み出していました。
それでも、それ以前は、感情のこもらないセリフをやりとりしていたので、
それでひとまずは「目の前の役者に伝えること」に取り組んだ。
先生は、その現状を把握した上で、
次の段階への取っ掛かりを示してくださいました。
それが「あれっ?」という驚き感情で「気づき」のきっかけをセリフに与え、
それぞれのセリフが発せられる必然を役者に与えたということ。
自分の内部に感情がくすぶっていた役者のセリフは、
このきっかけを与えられたことによって、
やっと少しだけ『外』に向かい始めました。
次にセリフを交わす役者同士の視線をつなげて、
セリフを受ける役者のセリフに対するリアクションを確認。
続いてリアクションはその場に居る役者全員にも求める。
そうやって生きたセリフがその一つの場面全体を満たし始めると、
やっとセリフが少し客席に届くようになってきました。
Aセリフの癖を直す。
今回の稽古でも、役者たちは個々のセリフの癖を直すのに四苦八苦。
セリフを言い切る前に高低で、戻せない所まで落ちてしまっていて、
それをセリフの途中で無理やり上げるために生じる「しゃくり」。
自分独特の節回しでセリフを言っているのに、それに気づかない「歌い」。
セリフに感情がこもらない「棒読み」などそれら一つ一つの癖は、
指摘された役者本人に自覚がないため、
まずはそれを役者に気づかせなければならない。
さらに厄介なことには、自分が気づいたところで、
その癖を直すのはなかなか難しい、ということ。
セリフのリアリティは役者のリラックスと、感情と、
自然な会話のニュアンスを舞台レベルの音量で再現することだ。
感情を込めることに没頭すると力み、セリフに変なゆがみが生じる。
それが癖になっているのだと思うのだけれど、
力んでセリフを言うのは、ある意味、高揚感とか達成感があって、
役者としては快感なんですよね。
うちの役者にそれを捨てることにもためらいがあるのが分かりました。
でもそれがあるうちは、客席にはセリフは伝わらないようですね。
Bセリフを立てる
しゃくらずに高低を使っていくことだけに気を取られると、
どうしてもセリフが単調になりがち。
それにアクセントをつけるにはセリフを立てる。
しかしそれも自然な会話のニュアンスの中で行わないとね。

これを自分の実践につなげる。
そのための稽古場もあるし、台本も手元にあるんだからね。


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くすのき燕さんへ。人形劇も人形を生かすのって大変ですよねえ。 / あるまじろ ( 2010-04-25 20:51 )
身体の癖ってもあるしね。芝居は大変だあ。 / くすのき燕 ( 2010-04-25 11:21 )

2010-04-18 ここのとこ。

弟の出産祝いを包んだら、
素晴らしくカッコいいスポーツウェアと、
真っ赤なTシャツをお返しに頂いた。
今日初めて袖を通したが気に入っている。

親戚に不幸があって通夜や葬儀でしか出会わない、
従兄弟たちに久しぶりに出会った。
故人に対する気持ちも昔を偲ぶ意味で思い返したりもした。

劇団で久しぶりに集まって花見をした。
楽しかったが飲みすぎた。
花は進みが遅かったので満開に間に合った形だ。
皆さん、集まってくれて感謝感謝。
もっと一人一人と話をしたかったな。
だから飲みすぎるなって。。。

自分の演出の芝居が仕上げにさし掛かっている。
昨日もシミズさんに来て頂き、アドバイスを頂戴した。
川総との試演会、青陵との試演会を経て、
少しずつ出来栄えが上がってきた。
やはり、他者との比較と自己の客観視が己を成長させる。
また役者個々の欠点も明確になった。
これはもう間に合わないので夏に直す。
また『演劇的遊び』から、遠くなったのが一番の気がかり。
役者が自分の快楽からなかなか自由にならないのは僕も分かる。
それを作品のために殺していくのも必要。
でもその中で役者の生き生きとした感性も部分的に死んでしまう。
その両立は役者の理性と知性に委ねられているが、
それを担うには役者の人間的成長が伴わなければならない。
まだまだ幼い。
それが演技にマイナスになる。
それなら徹底的に遊んでしまって、
生き生きした輝きを保存していくのが得策か。
しかしそれでは当たり外れが大きすぎるのだ。

それにしてもワカバヤシ理論を体験した者が、
あたかもすぐにそれを会得したかのように感じてしまうというのは、
実は怖ろしい事だと感じている。
自分の実感でそれを身に付けていない理論を、
当たり前のように口にしている人を見るのが一人二人でない。
頭の中で分かることは自分で見出したことと違うのだが。
それは批評では通用しても、実際の運用で活かされるか。
ほぼ素人である役者をゆっくりと仕上げていくには、
実は精緻な理論の他に大切なものがある。
自分がその落とし穴に落ちぬように、気を配る必要がある。

そう考えると僕の周囲には実に魅力的な師が多く居る。
一人の師に盲目になることがないことは実は大切なことなのかもしれない。
客観的に立派な芝居への考え方に触れ、
その良さと別の価値も対比的に捉える事が出来る。
これは幸運なことだ。

感情、視線、発声、音程、立ち位置、間、テンポ、
抑揚、響き、脱力、リラックス、計算、客観視、プランニング、
読解力、俯瞰視、客の視点、演出家の視点、登場人物の視点・・・等々。

その全てを意識・無意識して舞台に立つというのだから、
役者も年々歳々大変だ。


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雅さんへ。どうなんですかね。赤、似合うか自分ではわかんないす。でも嬉しいです。 / あるまじろ ( 2010-04-23 23:24 )
弟とか。弟のお嫁さんとか。身近な人って、自分自身より、似合うものを見極めていてくれたりしますよね。赤が似合うんですね。熱いオトコなんですかね? / 雅(みやび) ( 2010-04-22 20:42 )

2010-04-07 いつか取り残された夕方に

信州大学の合気道部時代、花見といえばまずは城山公園から始まった。

女子部員の作ったおにぎりと先輩が持ち込んだ安い日本酒だけ。
新入生の頃の僕は「垂直」やらされて、
「大雪渓」の一番安いヤツで何度もリターンしました。
(「垂直」とは一升瓶を口に含んで垂直に立てること)

その隣のアルプス公園に移動しながら、二次会。
そのまま歩いて松本城の三次会までたどり着けるのは後輩の女子だけ。
一年生の男子はその前に全員つぶされて家路をたどる。
いや、わざと僕らは三次会には行かないのだ。

なんとなく男子だけでその後を過ごすのが好きだったから。
僕の六畳一間の下宿で全員で雑魚寝して、
翌日、飯食って入湯料150円の温泉入って、
少しまったりしているうちに日曜の夕方になる。

それぞれ別れて散っていった後の、
誰も居なくなった部屋が寂しくて。
あの部屋に差し込んでくる夕日が今でも胸にある。

みんな、今、何をしてるんだろ。

春の夕暮れってそういうこと思い出させるね。


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くすのき燕さんへ。そうですねえ、約一ヶ月違うのですよねえ。でも今年は関東も桜が遅いし、雪まで積もりましたから大して変わらないのかな。 / あるまじろ ( 2010-04-18 23:17 )
児童文化研究会(童研)にいた僕らも、似たリよったりな春を過ごしてました。松本城の桜は、今日あたり満開のようです。 / くすのき燕 ( 2010-04-14 14:17 )

2010-04-06 卯月の花

少し寒いから花が長く続いてる。

ここ数年暖かくて花は4月を待たずに散っていたから、
今年は花冷えの春と言えるだろうか。


願はくば花の下にて春死なむ その如月の望月のころ


この西行の和歌のようには普通いかないねえ。
何故、叔父は花が咲く直前に逝ったのか。


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2010-04-05 菜の花

おひたし、美味しいねえ。

「ほろ苦さ」って大人の味だ。

フキノトウ、蓼とかね。
うるかとか、さんまのワタとかね。

早春の訪れ、初夏の到来、秋の深まりとか。
味覚以上の深い世界があるね。

菜の花見ても美味しそうって思っちゃうのう。


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2010-04-04 神田川の桜

桜って過ぎていく時間そのものだね。


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2010-04-03 大きく振りかぶっても

『大きく振りかぶって』のような野球部ってやっぱ理想ですね。
なかなか現実は厳しい。
いや野球に限らずスポーツってけっこう残酷なものだと思うのです。

それでも野球「部」というなら、つまり部活というなら、
選手である部員を指導者がしっかり鍛えて、
それで努力したり、実力がついたり、
一人一人の選手を育てて勝利を目指すべきです。
そしてその場所が「居心地の良い場所」として部員が思えるように、
指導者は努力すべきなのではないでしょうか。
そのためには一人一人を伸ばそうとする努力と、
一人一人の部員に目を配る繊細さが必要なのですが、
それは指導者としてもなかなか難しいわけです。

僕の中学の野球部は残念ながら、
指導者に全く指導する気がなかった。
試合とその前日だけ顔を出し、
練習にたまに来るときもYシャツ姿。
だから部活はわがままな一握りの部員の好き勝手。
僕はろくに練習もさせてもらえず、
三年間を無駄に過ごした。
チームも、もちろん弱く楽しいことも充実感もなかった。
「みんなのために頑張れよ」と無責任に言い放った、
同級生の部長にはかなりのウソ臭さを当時から感じていたが、
それ以上に無責任に野球部に誘った顧問の口車に乗った自分が悔しかった。

僕もかつて野球部に所属した身として考えるのだけれど、
一人の部員である中学生にはチームの運営は絶対にできない。
それはきっと高校生でも無理だ。
自分に甘いのは、大人だって甘くなるのだからこれは仕方ない。
だからしっかり運営する指導者が必要だ。
先輩が自分に甘い限りはそのチームはけして勝てない。
後輩も甘えて最低のチームになる。
自分たちに厳しくしっかりやろうとする者が逆に立場が弱くなったりね。

良く考えてみたら芝居でも一緒かな。
そうならないならもっともっと素晴らしいものができるのですが。
僕自身はちゃんとそういうことが分かってるのかな?
あのくだらない野球部顧問だった先生は、
いつも偉そうだったし、きっと出世もしただろう。
でも最低だった。

自分に甘いのはしょうがないけれど、
それでキツイことをごまかしていては勝てない。

分かってるのかな?
分かってるのかな?


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みーさんへ。まあ僕もそういうときはありますが。ただ好きなことはふんばんないとね。 / あるまじろ ( 2010-04-08 22:52 )
ワタシは他人にキビシク自分に甘く、だなぁ(^^; ←サイテー / みー/柳の緑ステキw ( 2010-04-07 21:51 )

2010-04-02 春の嵐

ものすごい春の風が吹き抜けた午前中、
そのまま出張先へ行くと思いがけず美味しい珈琲が飲めた。
仕事は意外にもさらっと終わる。
まあ芝居の仕事だしやってて楽しいし。

後は買い物しようかと思ったけど、
まっすぐ自宅に戻って読書して一眠り。
ふと起きて買い物に出かけて野菜とか買った。

昨日の夜の芝居の稽古はなかなか良かったと思う。
テンション高くいけたし代役にも気持ちを入れて出来た。
周りも良く見られたし相手役の台詞も聞けたと思う。
でも相手役がいなかったので、
呼吸まで読むような稽古は出来なかったけど。

先日、KYにシミズさんを招いたけれど、
「テンション・感情」
芝居に一番大切な原点を改めて教えられた。
最近、イントネーションとか、姿勢とか、語尾とか、
細かい部分に囚われがちだった気分が一新。
やっぱりこういう部分が原点だと気づかされた。
それがあったからその夜の稽古も気分良く立ち向かえたのだと。
やはり先達は尊からずや。

『大きく振りかぶって』を十巻の途中まで読破。
一番良かったのは負けた桐青の人に対する言葉。
「こんな立派な人が泣いたんだ」
立派な人だって泣く。
いや、泣くほど懸けて頑張るから立派な人なんだ。

情熱、それだけ頑張れる情熱。
目の前の辛いこととは関係なく遥か先を見据える視線。


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