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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2010-04-07 いつか取り残された夕方に
2010-04-06 卯月の花
2010-04-05 菜の花
2010-04-04 神田川の桜
2010-04-03 大きく振りかぶっても
2010-04-02 春の嵐
2010-04-01 4月になれば彼女は
2010-03-26 花冷え
2010-03-22 黄色な花
2010-03-21 黄砂ふる


2010-04-07 いつか取り残された夕方に

信州大学の合気道部時代、花見といえばまずは城山公園から始まった。

女子部員の作ったおにぎりと先輩が持ち込んだ安い日本酒だけ。
新入生の頃の僕は「垂直」やらされて、
「大雪渓」の一番安いヤツで何度もリターンしました。
(「垂直」とは一升瓶を口に含んで垂直に立てること)

その隣のアルプス公園に移動しながら、二次会。
そのまま歩いて松本城の三次会までたどり着けるのは後輩の女子だけ。
一年生の男子はその前に全員つぶされて家路をたどる。
いや、わざと僕らは三次会には行かないのだ。

なんとなく男子だけでその後を過ごすのが好きだったから。
僕の六畳一間の下宿で全員で雑魚寝して、
翌日、飯食って入湯料150円の温泉入って、
少しまったりしているうちに日曜の夕方になる。

それぞれ別れて散っていった後の、
誰も居なくなった部屋が寂しくて。
あの部屋に差し込んでくる夕日が今でも胸にある。

みんな、今、何をしてるんだろ。

春の夕暮れってそういうこと思い出させるね。


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くすのき燕さんへ。そうですねえ、約一ヶ月違うのですよねえ。でも今年は関東も桜が遅いし、雪まで積もりましたから大して変わらないのかな。 / あるまじろ ( 2010-04-18 23:17 )
児童文化研究会(童研)にいた僕らも、似たリよったりな春を過ごしてました。松本城の桜は、今日あたり満開のようです。 / くすのき燕 ( 2010-04-14 14:17 )

2010-04-06 卯月の花

少し寒いから花が長く続いてる。

ここ数年暖かくて花は4月を待たずに散っていたから、
今年は花冷えの春と言えるだろうか。


願はくば花の下にて春死なむ その如月の望月のころ


この西行の和歌のようには普通いかないねえ。
何故、叔父は花が咲く直前に逝ったのか。


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2010-04-05 菜の花

おひたし、美味しいねえ。

「ほろ苦さ」って大人の味だ。

フキノトウ、蓼とかね。
うるかとか、さんまのワタとかね。

早春の訪れ、初夏の到来、秋の深まりとか。
味覚以上の深い世界があるね。

菜の花見ても美味しそうって思っちゃうのう。


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2010-04-04 神田川の桜

桜って過ぎていく時間そのものだね。


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2010-04-03 大きく振りかぶっても

『大きく振りかぶって』のような野球部ってやっぱ理想ですね。
なかなか現実は厳しい。
いや野球に限らずスポーツってけっこう残酷なものだと思うのです。

それでも野球「部」というなら、つまり部活というなら、
選手である部員を指導者がしっかり鍛えて、
それで努力したり、実力がついたり、
一人一人の選手を育てて勝利を目指すべきです。
そしてその場所が「居心地の良い場所」として部員が思えるように、
指導者は努力すべきなのではないでしょうか。
そのためには一人一人を伸ばそうとする努力と、
一人一人の部員に目を配る繊細さが必要なのですが、
それは指導者としてもなかなか難しいわけです。

僕の中学の野球部は残念ながら、
指導者に全く指導する気がなかった。
試合とその前日だけ顔を出し、
練習にたまに来るときもYシャツ姿。
だから部活はわがままな一握りの部員の好き勝手。
僕はろくに練習もさせてもらえず、
三年間を無駄に過ごした。
チームも、もちろん弱く楽しいことも充実感もなかった。
「みんなのために頑張れよ」と無責任に言い放った、
同級生の部長にはかなりのウソ臭さを当時から感じていたが、
それ以上に無責任に野球部に誘った顧問の口車に乗った自分が悔しかった。

僕もかつて野球部に所属した身として考えるのだけれど、
一人の部員である中学生にはチームの運営は絶対にできない。
それはきっと高校生でも無理だ。
自分に甘いのは、大人だって甘くなるのだからこれは仕方ない。
だからしっかり運営する指導者が必要だ。
先輩が自分に甘い限りはそのチームはけして勝てない。
後輩も甘えて最低のチームになる。
自分たちに厳しくしっかりやろうとする者が逆に立場が弱くなったりね。

良く考えてみたら芝居でも一緒かな。
そうならないならもっともっと素晴らしいものができるのですが。
僕自身はちゃんとそういうことが分かってるのかな?
あのくだらない野球部顧問だった先生は、
いつも偉そうだったし、きっと出世もしただろう。
でも最低だった。

自分に甘いのはしょうがないけれど、
それでキツイことをごまかしていては勝てない。

分かってるのかな?
分かってるのかな?


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みーさんへ。まあ僕もそういうときはありますが。ただ好きなことはふんばんないとね。 / あるまじろ ( 2010-04-08 22:52 )
ワタシは他人にキビシク自分に甘く、だなぁ(^^; ←サイテー / みー/柳の緑ステキw ( 2010-04-07 21:51 )

2010-04-02 春の嵐

ものすごい春の風が吹き抜けた午前中、
そのまま出張先へ行くと思いがけず美味しい珈琲が飲めた。
仕事は意外にもさらっと終わる。
まあ芝居の仕事だしやってて楽しいし。

後は買い物しようかと思ったけど、
まっすぐ自宅に戻って読書して一眠り。
ふと起きて買い物に出かけて野菜とか買った。

昨日の夜の芝居の稽古はなかなか良かったと思う。
テンション高くいけたし代役にも気持ちを入れて出来た。
周りも良く見られたし相手役の台詞も聞けたと思う。
でも相手役がいなかったので、
呼吸まで読むような稽古は出来なかったけど。

先日、KYにシミズさんを招いたけれど、
「テンション・感情」
芝居に一番大切な原点を改めて教えられた。
最近、イントネーションとか、姿勢とか、語尾とか、
細かい部分に囚われがちだった気分が一新。
やっぱりこういう部分が原点だと気づかされた。
それがあったからその夜の稽古も気分良く立ち向かえたのだと。
やはり先達は尊からずや。

『大きく振りかぶって』を十巻の途中まで読破。
一番良かったのは負けた桐青の人に対する言葉。
「こんな立派な人が泣いたんだ」
立派な人だって泣く。
いや、泣くほど懸けて頑張るから立派な人なんだ。

情熱、それだけ頑張れる情熱。
目の前の辛いこととは関係なく遥か先を見据える視線。


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2010-04-01 4月になれば彼女は

結局、今日は嘘をつかなかった。
まあ、根が正直なもので。
あ、それが嘘かな。

ここのとこ、しばらく色々なことがあった。

まずは親戚に不幸があって色々なことを考えさせられた。
人の死は常に多くのことを人に波紋のように投げかける。

父と母と桜を見て、食事をした。
その後、『おとうと』という映画を観た。
まだ公開中の映画なので、ここから先は、
これから観る予定の方はなるべく読まない方がいい。
これは僕にとっては観てはいけない、映画だった。

物語の中で離婚を経験した人に対して、
登場人物の一人が「気の毒になあ」と言った言葉。
僕も離婚を経験しているが、
離婚したことに同情してくれたり、
「大変だね」と言ってくれた人はたくさん居た。
言葉に表さないが多くの人が同情してくれた。
しかし、離婚した僕を「気の毒に」と言ってくれた人は一人。
順番をつけることはあまり良いことではないが、
僕はその人の気持ちが一番嬉しかった。
僕はその言葉に一人、涙していた。
もちろん、その映画の結末にも。

そして僕にもまた新しい道が開ける4月。
思い切って次のスタートを切るには良い節目だ。


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みーさんへ。あまりうまく言えませんが、言葉ではなく、雰囲気というか。やっぱりうまく伝えられませーん。 / あるまじろ ( 2010-04-03 01:51 )
みーさんへ。いやあ、なんかこのニュアンス伝わりますかね。。。むしろ言葉ではなくて、なんとなくその場の雰囲気の方が問題ってゆーか、ね。あー壊すのって簡単・・・ってゆーかほとんど無意識で壊しちゃってるみたいな。 / あるまじろ ( 2010-04-03 01:49 )
ワタシも離婚経験者だけど「気の毒に」って言われた記憶はないなぁ。。。 作るより壊す方が簡単で大変なんだって思ったっけ。。。 / みー ( 2010-04-02 23:32 )

2010-03-26 花冷え

誰しも優しい言葉に飢え、
褒め称えられる瞬間に身を置きたい。
自分の未熟さには目をつぶりたいし、
自分の欠点を責められたくはない。

しかしその両方はとても切り立った崖の先端に生えた、
とても折れやすい枯れた木の枝の先に
二つ頑丈な鎖に繋がってぶら下がっている。

一つを求めても必ずもう一つは付いて来る。
そしてそのどちらかが手に入るにしても、
危険を承知で手を伸ばすことが必要だ。

安全な場所から手を伸ばして手に入るものは限られてる。
人はやがて傷つくことを覚悟して、
危険な外の世界に出て行かなければならない。

自分の芝居や自分の脚本を批判されることは、
自分自身を切り刻まれることに等しい。
それは自分の経験の多さ少なさとは関係ないことは知っている。
(むしろ自分の経験では、
経験が少ない時ほどその傷を痛く感じるものだ。)

それでも自分で自分を守ってはいけない。
まして自分を貶めることで自分を守ることは誇りを捨てることだ。
そして芝居は常にそこに居る全ての人と作っている。
自分一人オリることは許されないのだ。
たとえ負けが決まっていても。
そう言われたくなければ負けなければいいのだ。

そんな辛いことをなぜ続けなければいけないのか?

いや、そうじゃない。
結局。
外の世界に出て行く好奇心に勝てないのだ。

もう一度言おう。
安全な場所から手を伸ばして手に入るものは限られてる。
人はやがて傷つくことを覚悟して、
危険な外の世界に出て行かなければならない。

そして肌を刺すような自分自身の未熟さを、
あらためて実感させられるみじめさを痛感しながら、
歩くしかない。
やがて手に入れる栄光を信じながら。


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みーさんへ。怖がっていては前に進めない、それが少なくとも僕の好奇心ってとこです。 / あるまじろ ( 2010-04-01 22:00 )
新たなステップを踏み出すとか成長するって、多かれ少なかれそういう痛みを必ず負うことなんでしょうね、きっと。うまくいえないけれど。でもそれがわかっている人は必ず成長する。と思うな。。。 / みー ( 2010-03-30 21:23 )

2010-03-22 黄色な花

今日は朝から県陽で稽古。
午前中から立ち稽古を演出、
役者は必死に真面目に取り組んでいて、
とても良い感じ。

一発目、二発目は探り探りでも、
指示を出して三発目くらいにはちょっと掴んでる。
これは「なかなか」なことだ。
まだまだ根本的な問題点は抱えていても、
真剣に取り組んでいるその姿勢は、
軽々とその欠点を塗りつぶしていく。
真剣に取り組むってすごいことだ。
結局、日が傾いて暗くなるまで稽古は続いた。
みんな、一人一人の問題点はあるけれど、
全員でなら、そんなものはぶち破る力を持っている。
このまま真っ直ぐに育ったら秋は怖いぞ。

自分の稽古も努めないといけない。
踏み切る力を自分で養わなければならない。

今日のノルマ
1000×15×F50×15 75


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2010-03-21 黄砂ふる

黄色い3月の空。
一通りの稽古の中で駄目な会話を直す。
人のを直すのはできるんだ。
自分のは良く分からない。
これが今の限界。

もともと演出の目には役者の見えないところが映る。
それが役者が見えるようになるというのがまだ分からない。
「もう自分は分かる」という役者がそもそもいるか疑問。
直されたその部分は良いとしても、
その後はとても直っているとは思えない。
それも本人は分かっていないのは明らかだ。

そもそもちょっと見知った素人が、
それを分かった風に同じ用語で批評して良いか。
ここまでやっていくのにどれだけの時間が掛かったか、
まあ分かっては居ないだろう。

自分も経験があるがトレーナーが例を示すのは簡単なのである。
トレーナーなら上手くやるのは簡単だ。
でも役者は違う。
あの人も役者になると分からなくなるはずだ。
まあそれはどうでもいいか。
いや、それは別にいいのだ。
問題は自分である。
自分の問題をどう克服するか。
そして自分がどう克服させるか。

僕は誰からも何も引き継いでいない。
僕自身で築いてものだけで勝負だ。
時間をかけて逆転する。
自分でそれを築く。
そしてそれをきちんと証明する。
それを実証したら次の場所に進む時だ。

今日のノルマ。
700×15 75


先頭 表紙


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