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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2010-04-04 神田川の桜
2010-04-03 大きく振りかぶっても
2010-04-02 春の嵐
2010-04-01 4月になれば彼女は
2010-03-26 花冷え
2010-03-22 黄色な花
2010-03-21 黄砂ふる
2010-03-20 おんぼろ
2010-03-12 味付けの問題?
2010-03-11 うつろう春に


2010-04-04 神田川の桜

桜って過ぎていく時間そのものだね。


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2010-04-03 大きく振りかぶっても

『大きく振りかぶって』のような野球部ってやっぱ理想ですね。
なかなか現実は厳しい。
いや野球に限らずスポーツってけっこう残酷なものだと思うのです。

それでも野球「部」というなら、つまり部活というなら、
選手である部員を指導者がしっかり鍛えて、
それで努力したり、実力がついたり、
一人一人の選手を育てて勝利を目指すべきです。
そしてその場所が「居心地の良い場所」として部員が思えるように、
指導者は努力すべきなのではないでしょうか。
そのためには一人一人を伸ばそうとする努力と、
一人一人の部員に目を配る繊細さが必要なのですが、
それは指導者としてもなかなか難しいわけです。

僕の中学の野球部は残念ながら、
指導者に全く指導する気がなかった。
試合とその前日だけ顔を出し、
練習にたまに来るときもYシャツ姿。
だから部活はわがままな一握りの部員の好き勝手。
僕はろくに練習もさせてもらえず、
三年間を無駄に過ごした。
チームも、もちろん弱く楽しいことも充実感もなかった。
「みんなのために頑張れよ」と無責任に言い放った、
同級生の部長にはかなりのウソ臭さを当時から感じていたが、
それ以上に無責任に野球部に誘った顧問の口車に乗った自分が悔しかった。

僕もかつて野球部に所属した身として考えるのだけれど、
一人の部員である中学生にはチームの運営は絶対にできない。
それはきっと高校生でも無理だ。
自分に甘いのは、大人だって甘くなるのだからこれは仕方ない。
だからしっかり運営する指導者が必要だ。
先輩が自分に甘い限りはそのチームはけして勝てない。
後輩も甘えて最低のチームになる。
自分たちに厳しくしっかりやろうとする者が逆に立場が弱くなったりね。

良く考えてみたら芝居でも一緒かな。
そうならないならもっともっと素晴らしいものができるのですが。
僕自身はちゃんとそういうことが分かってるのかな?
あのくだらない野球部顧問だった先生は、
いつも偉そうだったし、きっと出世もしただろう。
でも最低だった。

自分に甘いのはしょうがないけれど、
それでキツイことをごまかしていては勝てない。

分かってるのかな?
分かってるのかな?


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みーさんへ。まあ僕もそういうときはありますが。ただ好きなことはふんばんないとね。 / あるまじろ ( 2010-04-08 22:52 )
ワタシは他人にキビシク自分に甘く、だなぁ(^^; ←サイテー / みー/柳の緑ステキw ( 2010-04-07 21:51 )

2010-04-02 春の嵐

ものすごい春の風が吹き抜けた午前中、
そのまま出張先へ行くと思いがけず美味しい珈琲が飲めた。
仕事は意外にもさらっと終わる。
まあ芝居の仕事だしやってて楽しいし。

後は買い物しようかと思ったけど、
まっすぐ自宅に戻って読書して一眠り。
ふと起きて買い物に出かけて野菜とか買った。

昨日の夜の芝居の稽古はなかなか良かったと思う。
テンション高くいけたし代役にも気持ちを入れて出来た。
周りも良く見られたし相手役の台詞も聞けたと思う。
でも相手役がいなかったので、
呼吸まで読むような稽古は出来なかったけど。

先日、KYにシミズさんを招いたけれど、
「テンション・感情」
芝居に一番大切な原点を改めて教えられた。
最近、イントネーションとか、姿勢とか、語尾とか、
細かい部分に囚われがちだった気分が一新。
やっぱりこういう部分が原点だと気づかされた。
それがあったからその夜の稽古も気分良く立ち向かえたのだと。
やはり先達は尊からずや。

『大きく振りかぶって』を十巻の途中まで読破。
一番良かったのは負けた桐青の人に対する言葉。
「こんな立派な人が泣いたんだ」
立派な人だって泣く。
いや、泣くほど懸けて頑張るから立派な人なんだ。

情熱、それだけ頑張れる情熱。
目の前の辛いこととは関係なく遥か先を見据える視線。


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2010-04-01 4月になれば彼女は

結局、今日は嘘をつかなかった。
まあ、根が正直なもので。
あ、それが嘘かな。

ここのとこ、しばらく色々なことがあった。

まずは親戚に不幸があって色々なことを考えさせられた。
人の死は常に多くのことを人に波紋のように投げかける。

父と母と桜を見て、食事をした。
その後、『おとうと』という映画を観た。
まだ公開中の映画なので、ここから先は、
これから観る予定の方はなるべく読まない方がいい。
これは僕にとっては観てはいけない、映画だった。

物語の中で離婚を経験した人に対して、
登場人物の一人が「気の毒になあ」と言った言葉。
僕も離婚を経験しているが、
離婚したことに同情してくれたり、
「大変だね」と言ってくれた人はたくさん居た。
言葉に表さないが多くの人が同情してくれた。
しかし、離婚した僕を「気の毒に」と言ってくれた人は一人。
順番をつけることはあまり良いことではないが、
僕はその人の気持ちが一番嬉しかった。
僕はその言葉に一人、涙していた。
もちろん、その映画の結末にも。

そして僕にもまた新しい道が開ける4月。
思い切って次のスタートを切るには良い節目だ。


先頭 表紙

みーさんへ。あまりうまく言えませんが、言葉ではなく、雰囲気というか。やっぱりうまく伝えられませーん。 / あるまじろ ( 2010-04-03 01:51 )
みーさんへ。いやあ、なんかこのニュアンス伝わりますかね。。。むしろ言葉ではなくて、なんとなくその場の雰囲気の方が問題ってゆーか、ね。あー壊すのって簡単・・・ってゆーかほとんど無意識で壊しちゃってるみたいな。 / あるまじろ ( 2010-04-03 01:49 )
ワタシも離婚経験者だけど「気の毒に」って言われた記憶はないなぁ。。。 作るより壊す方が簡単で大変なんだって思ったっけ。。。 / みー ( 2010-04-02 23:32 )

2010-03-26 花冷え

誰しも優しい言葉に飢え、
褒め称えられる瞬間に身を置きたい。
自分の未熟さには目をつぶりたいし、
自分の欠点を責められたくはない。

しかしその両方はとても切り立った崖の先端に生えた、
とても折れやすい枯れた木の枝の先に
二つ頑丈な鎖に繋がってぶら下がっている。

一つを求めても必ずもう一つは付いて来る。
そしてそのどちらかが手に入るにしても、
危険を承知で手を伸ばすことが必要だ。

安全な場所から手を伸ばして手に入るものは限られてる。
人はやがて傷つくことを覚悟して、
危険な外の世界に出て行かなければならない。

自分の芝居や自分の脚本を批判されることは、
自分自身を切り刻まれることに等しい。
それは自分の経験の多さ少なさとは関係ないことは知っている。
(むしろ自分の経験では、
経験が少ない時ほどその傷を痛く感じるものだ。)

それでも自分で自分を守ってはいけない。
まして自分を貶めることで自分を守ることは誇りを捨てることだ。
そして芝居は常にそこに居る全ての人と作っている。
自分一人オリることは許されないのだ。
たとえ負けが決まっていても。
そう言われたくなければ負けなければいいのだ。

そんな辛いことをなぜ続けなければいけないのか?

いや、そうじゃない。
結局。
外の世界に出て行く好奇心に勝てないのだ。

もう一度言おう。
安全な場所から手を伸ばして手に入るものは限られてる。
人はやがて傷つくことを覚悟して、
危険な外の世界に出て行かなければならない。

そして肌を刺すような自分自身の未熟さを、
あらためて実感させられるみじめさを痛感しながら、
歩くしかない。
やがて手に入れる栄光を信じながら。


先頭 表紙

みーさんへ。怖がっていては前に進めない、それが少なくとも僕の好奇心ってとこです。 / あるまじろ ( 2010-04-01 22:00 )
新たなステップを踏み出すとか成長するって、多かれ少なかれそういう痛みを必ず負うことなんでしょうね、きっと。うまくいえないけれど。でもそれがわかっている人は必ず成長する。と思うな。。。 / みー ( 2010-03-30 21:23 )

2010-03-22 黄色な花

今日は朝から県陽で稽古。
午前中から立ち稽古を演出、
役者は必死に真面目に取り組んでいて、
とても良い感じ。

一発目、二発目は探り探りでも、
指示を出して三発目くらいにはちょっと掴んでる。
これは「なかなか」なことだ。
まだまだ根本的な問題点は抱えていても、
真剣に取り組んでいるその姿勢は、
軽々とその欠点を塗りつぶしていく。
真剣に取り組むってすごいことだ。
結局、日が傾いて暗くなるまで稽古は続いた。
みんな、一人一人の問題点はあるけれど、
全員でなら、そんなものはぶち破る力を持っている。
このまま真っ直ぐに育ったら秋は怖いぞ。

自分の稽古も努めないといけない。
踏み切る力を自分で養わなければならない。

今日のノルマ
1000×15×F50×15 75


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2010-03-21 黄砂ふる

黄色い3月の空。
一通りの稽古の中で駄目な会話を直す。
人のを直すのはできるんだ。
自分のは良く分からない。
これが今の限界。

もともと演出の目には役者の見えないところが映る。
それが役者が見えるようになるというのがまだ分からない。
「もう自分は分かる」という役者がそもそもいるか疑問。
直されたその部分は良いとしても、
その後はとても直っているとは思えない。
それも本人は分かっていないのは明らかだ。

そもそもちょっと見知った素人が、
それを分かった風に同じ用語で批評して良いか。
ここまでやっていくのにどれだけの時間が掛かったか、
まあ分かっては居ないだろう。

自分も経験があるがトレーナーが例を示すのは簡単なのである。
トレーナーなら上手くやるのは簡単だ。
でも役者は違う。
あの人も役者になると分からなくなるはずだ。
まあそれはどうでもいいか。
いや、それは別にいいのだ。
問題は自分である。
自分の問題をどう克服するか。
そして自分がどう克服させるか。

僕は誰からも何も引き継いでいない。
僕自身で築いてものだけで勝負だ。
時間をかけて逆転する。
自分でそれを築く。
そしてそれをきちんと証明する。
それを実証したら次の場所に進む時だ。

今日のノルマ。
700×15 75


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2010-03-20 おんぼろ

3月の年度末って物入りですね。
何人かの友人にオゴったりもしたのですが、
なんと言っても僕の愛車にトラブルが相続いている。

まずは後部のランプ系のセンサーの不具合。
次にパワーステアリングのチューブの液漏れ。
続いて右前のヘッドライト。
部品が入るたびに工場に入院してます。
ま、そのたびに洗車してくれるお陰で、
ここんところ愛車はピカピカですが。

それにセントラルのタナベさんが、
毎回其の日のうちに対処してくれるので、
とても助かっています。

おんぼろっちゃおんぼろだけど、
もうちょっとコイツ、乗りたいしね。

実は傷がついてるんだけど、
それは積極的に直さないでいる。
なんか、完璧に直しちゃうと、
何かすぐに別のトラブルが出そうな気がするから。
ま、気のせいかな。

ちょっと前までこんな雪景色。
季節はどんどん移り変わってる。

今日のノルマ。
500×15 73


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2010-03-12 味付けの問題?

少し劇団をお休みしているせいか、
最近、テレビを観る余裕がある。
普通なら稽古している時間であるが、
それがないのでテレビを観たり読書をしたりしている。

今日は頂いた花を部屋に飾ったりもしてみた。
観葉植物を新しく買って窓際に置いたり。

ところでテレビドラマを観ると思うことがある。
それはドラマの世界と現実とのギャップの問題だ。

『特上○○○』という法律ドラマも、
漫画の原作はとても現実的に説得力のある作品だと思うが、
テレビ版ではちょっと面白さに傾いていて無理があるように思う。
補助者は九分九厘、行政書士には勝てないでしょう。
昔、中学生だったときに『金○先生』を見て、
うちの親が「あんたの中学校もこんなかい?」と心配していたが、
それはディフォルメされているので、
「そうじゃない」というしかなかった。
『ビフォ○・アフ○ー』というリフォーム番組も、
知り合いの建築士は「現実的な設計ではない」と憤慨していたが、
「まあエンターテイメントなんだから」となだめといた。

僕はこれらの番組内容を批判している訳ではない。
むしろ、どれも爆発的な人気作品だと思うし、
その人気の理由も、作品の面白さにあると思う。
ただ現実とはギャップあるけど、ということだ。

作品を成す場合、面白さ・エンターテイメント性を僕は重視する。
それは現実とは違うから生まれる、という側面もあるのだ。
それを僕は言いたい。

刑事ドラマで出るカツどんは出ないらしいし、
熱血教師の敵である教育委員会は、学校に簡単には視察に来ない。
弁護士は実際には滅多に検察には勝てないし、
海猿の現場で巨大船舶は沈没しないし、
サラリーマンは金太郎でいられない。

現実は、ほぼつまらない日常で満たされている。
たとえどんな特殊な世界でも。
そしてどんな舞台を用意してもその根底にあるのは、
意外にシンプルな人間同士の絆や、情熱だったりする。
結局、舞台はどれでもいいってことだ。

その根底の味付けを間違わなければ、
面白い作品になるってことかな。


先頭 表紙

2010-03-11 うつろう春に

自分が好き勝手に言いたいことを言うのは、
責任を伴うことだと、
いまさらに痛感することがあり、
それを聞いて不愉快になったり、
心配を掛けたりした人に申し訳なく思いました。

まあそれでそれまで居られた場所を追われるなら、
自分のまいた種でもあり、甘んじて去ろう。
それでも口にしたことには偽りはなく、
疑問に思うこともあり、
個人的にはそうなる流れであったことも、
仕方がないと感じていた。

自分の会社現場では一つの大きなことが一段落し、
今までのチームが解散して、
また四月からの新しい枠組みに再編成されていく時期である。
「ありがとう」とか「お世話になりました」とかを言い合って、
「よろしく」「頑張ろう」につなげていく。

その次の場所で責任ある仕事をすればいいと自分に言い聞かせて、
とりあえずの終わりにみんなで笑顔して、
また次の仕事に取り掛かろう。

いつの間にか晴れていると暖かい日より。
もうそろそろ苺の季節も終わりで。


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