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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2010-02-25 叶わぬ願い
2010-02-20 没頭
2010-02-19 バンクーバーに居たあの頃 
2010-02-18 北帰行の終わり
2010-02-17 北帰行 其の四
2010-02-16 北帰行 其の三
2010-02-15 北帰行 其の二
2010-02-14 北帰行
2010-02-11 次男坊の奮闘
2010-02-01 如月入り


2010-02-25 叶わぬ願い

今日の会社でのI氏との雑談。

I氏は浅田真央と安藤美姫の並んだ写真を見て、
「なんでマスコミはこいつ(浅田)ばかりをクローズアップするんだ?」
と憤懣やるかたない様子で僕に訴えた。
「だってこっち(浅田)の方が強いんだから仕方ないじゃん。」と僕。

するとI氏は「俺、こっちの方が好きなんだよね。」と照れくさそうに言った。
(結局、好き嫌いかよ・・・)と思ったが、一応理由を聴いてみようと思った。

「で、なんで安藤美姫が好きなのさ?」

するとI氏は・・・さらに照れながら。。。
「一緒に飲みに行くならこっち(安藤)の方が楽しそうだろ。」

行かねーよ!!!!
安藤美姫はあんたと飲みに行かねーよ!!!!

と心の中で思いつつ、
「結局・・・スケートとは関係なかったじゃんか・・・。」
と僕はため息をついた。

僕がそういうとI氏は今度は挑むような言い方で突っかかってきた。
「じゃあ、きみはどっちがいいって言うんだ?」

「どっちかって言ったら・・・」と僕。
「どっちかって言ったら?」とI氏。

「俺はキムヨナと骨付きカルビが食べたいな。」

すると。。。。

「食えねーよ!!!
 おめーはキムヨナとはカルビ食えねーよ!!!」

と思いっきり言われた。
ま、そりゃそーだ。。。。

そして最後にI氏。
「可哀想だから浅田真央ともなんかしてあげないとマズいかな。」
(可哀想?とも思ったが・・・)
「じゃ金メダル取れたアイスでもオゴッてあげたら。」と僕。

スケートだけにね。

男二人の昼休み会話って、なんか虚しい。
叶わぬ願い、というよりは単なる妄想?


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って言うかIさん、浅田さん未成年じゃん!!! / あるまじろ ( 2010-02-28 00:33 )
ゆーこさんへ。御本人にはメダルの色は思ったのと違うかも知れないけれど、僕には頑張ったその人のことを誇らしく思う。 / あるまじろ ( 2010-02-27 02:10 )
あははっ。すみません、ちょっと笑っちゃいました(笑)世界中がどっちが金だ?!と固唾をのんで見守っている中、誰と飲みに行くか誰とカルビ食べに行くか・・・って!いや、和みました(笑)でも、そのぐらいの気持ちで見守ってあげる方がいいのかもしれないですよね。 / ゆーこ ( 2010-02-26 14:48 )

2010-02-20 没頭

ここのところ集中して台本のセリフを入れている。
何度か自主練で仲間を呼んで本読みや半立ちもした。
稽古場に顔を出していないが、あと二回だけの稽古で、
なんと本番の舞台という芝居である。

「しっかり楽しむ」ためには「そこまでの努力」が必要不可欠だ。
あり得ないことだが、楽して得た結果など良いものであるはずがない。

仕事も大きな仕事が控えている一週間ではあるが、
本番に向けてしっかり準備していきたい。

なんにせよ、芝居に没頭しているときが一番楽しい。
そう、今は楽しいのである。


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2010-02-19 バンクーバーに居たあの頃 

テレビやラジオから流れるニュースが、
オリンピックに沸く毎日です。
僕はそのニュースを観ると、
バンクーバーという街への思慕が胸をよぎります。

松岡修三さんがスタンレーパークからカナダポイントを臨む、
あの場所からリポートしている様子をテレビの画面で見ると、
「そこに居た自分」を重ねます。

僕は今から四年前の夏、
バンクーバーに三週間ほど滞在しました。
その頃カナダは日本のバブルに似た状況で、
とても賑わっていました。

僕はなるべくホストファミリーと時間を過ごそうとしたので、
なかなかバンクーバーという街に繰り出すことはありませんでしたが、
それでも一度や二度は一人でバスに乗って街へ散歩に行きました。

あの時、僕はちゃんとその時日本に居る人を想っていた。
それは確かです。
そうして、けして楽ではなかった、
カナダでの仕事をこなしていたのでした。

あれから四年が経ち、僕の周囲から大切な何人かの人が立ち去って、
僕はまた別の何人もの大切な人と日々を過ごしている。

過ぎていく数多の風景はものすごいスピードで窓の外を流れていきますが、
スタンレーパークからカナダポイントを臨むあの場所は、
四年前の夏に居た僕の中で、
やはり忘れられない風景の一つです。

その街の風景が今、テレビで映し出されると、
今は笑える自分を確認できて、
「時が過ぎたんだな」と自然に思えたのでした。


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2010-02-18 北帰行の終わり

旅の終わりが晴れでよかった。
あたりの雪景色は陽の光でまぶしいくらいだ。
やがて入ってくる列車が旅の終わりを予感させる。

お世話になりました、
ありがとうございました。
心の中で同行の人たち、一人一人に言う。

本当はわずかな時間、
その間にどれほど僕が心の安らぎを取り戻したか。
皆で一緒にそれぞれの家に帰っていくのだけれど、
それぞれ別れる時もさみしい。

そうやって冬の旅が終わってく、
その感じもなかなかいい。

さようなら、さようなら。

やがてホームに列車が入ってきて、
動き出したら、もう旅は終わりへと滑り出していく。


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2010-02-17 北帰行 其の四

この旅は懇意にして頂いている劇団の皆さんとの旅。
皆さんが大人で、それぞれが人の話を聞く間を取ってくれる。
だから誰か独りがずっとしゃべったり、
誰か独りが気疲れするようなことはないようだ。
こうして過ぎていく時間。

朝から一っ風呂浴びて、身体をあっためる。
温泉旅館の朝ごはんって、つい食べ過ぎてしまう。

ゆっくりとチェックアウトまでお茶飲んだりしてね。

昨日降った雪が積もって、
そこに陽が差してまぶしいくらいだ。


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2010-02-16 北帰行 其の三

雪が随分、降っている夕暮れ。
風が窓を叩く。

真っ白な風景が、少しずつ青く染まっていく。
この時間が好きだ。

風の音しかしない。


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2010-02-15 北帰行 其の二

外を流れていく風景に山が近い。

車内が暖かいのか窓が曇る。
気温が下がってきたらしい。

やがて。

冷たい雫を窓に張り付けていた雨が、
ふわふわとした雪片になった。

途中の通り過ぎる名も知らない駅のホームに、
独りで佇んでいる自分を夢想する癖。
母に話しかけては笑われたものだ。


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ナタリーさんへ。同行の人々はそれぞれが落ち着いた微笑みで、静かに、でも愉しんで、旅の時間を過ごしていたと思いました。 / あるまじろ ( 2010-02-18 23:26 )
北に帰るという感覚は貴方ならではのことなのでしょうね。優しいお人柄に触れた今回の旅はいつまでも思い出したい旅のひとつになりました。 / ナタリー ( 2010-02-17 23:18 )

2010-02-14 北帰行

北に帰る旅とは、少し大げさか。
ほんの「少し」北に向かう。

普段ならハンドルを握ることが常であるが、
今回は鉄路を利用。
良いことは旅に際して、
車窓に流れる旅の風景を眺めつつ、
一杯引っ掛けられること。

だるま弁当とは、いかにも素朴だが、
その味わいは意外に深い。
ご飯だがビールに合うやや塩気の強い味付け。
蒟蒻がことに絶品であった。

故郷のホームを離れるとき、
一瞬、日常が剥がれるように別の顔を見せる。
それが旅の始まりというものだ。


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2010-02-11 次男坊の奮闘

今週、僕の二番目の弟が「父」になりました。
実際にがんばったのは奥様の方だと思いますが、
彼もなかなかに気を張った、ここ数日だったのではないでしょうか。

僕は男ばかりの三人兄弟で、長男でした。
その中で僕は、子供時代はとても独裁者の長男でした。
僕は次男の弟や、三男の弟を常に横暴に押さえつけていました。
そしてやがて家を出るまで、
自分のやること・なすことを弟たちに押し付けていました。

そして大学生になって家を出て以来、
弟たちとの交渉も、とても希薄なものになっていきました。
三男の弟は、おそらく今も僕のことを良くは理解せず大人になり、
僕も三男の弟とは、あまり話しもせずにここまで来てしまいました。
きっと彼は、僕を横暴な兄として今も嫌っていることでしょう。
これはやがてきちんと片をつけなければならないことです。
でも今はまだ無理でしょう。

その中で次男の弟は、長男の僕に言わせて見れば、
子供の頃から少しドンくさく不器用でした。
(今となってはそれも年が違うのですから当たり前のことですが)

そしてどちらかといえば色々だらしなくて、
一時は結婚できるかも不安で両親に心配されていたのも、
三人の中では彼が一番だったと思います。

その彼が今、三人兄弟の中で最初に子をなし、父となった。
僕は今、それを兄として家族として、とても嬉しく思います。

僕がここ数年、
父や母に掛けた気苦労を彼が払拭してくれた思いです。
父が彼の息子(つまりは父にとっての初孫)を抱く写メが、
あまりにぎこちなく緊張していたので、
後で父に「どうだったのだ」と直接尋ねたくらいです。
しかし。

「ようやくおじいちゃんになれたよ。」
その言葉を耳にしたときは申し訳なさで、胸が詰まりました。
「次はお前だな。」
といわれたときに、
「ありがとう。」
と礼の言葉を口にしたのは、
まだ親として、僕に掛けてくれている期待があることに、
心から嬉しかったからです。
こんな気持ちを味わえたのも弟の奮闘があったからでしょう。

奇しくも先日、亀田家の次男坊が世界チャンピオンになりました。
必死に父に代わって家を支える強い長男の背中を追いかけ、
天才と言われた三男にせっつかれて、
どんくさいけどカッコつけの不器用な次男坊がつかんだ、
チャンピオンベルトでした。
僕はその姿にひとり、僕の弟の姿を重ねました。

がんばったなあ、次男坊。
素敵だよ、かなり。

考えてみれば、僕も叔父になったのだなと気づきました。
年齢はとっくにオジサンですが、
叔父となった自分には、なんとなく背筋が伸びます。

幸せであれ、弟の息子よ。
僕も必ず、叔父として君を支えよう。


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noraさんへ。僕らが少しずつ大人になっていった時に、もう一度話ができれば良いですね。焦らずに逃さないように時を待ちましょう。 / あるまじろ ( 2010-02-16 01:24 )
みーさんへ。僕にもまだ次があると思ってくれていることが嬉しかったのです。 / あるまじろ ( 2010-02-16 01:20 )
仕事から帰って一息ついたところに素敵なお話ありがとうございます。時を経てわかり合えることってありますよね。私にも結婚式にすら出なかった10年も疎遠だった2人の弟がいますが、祖母の死、父の病気がきっかけで話をするようになりました。初めて自分の甥っ子に対面した時は弟が頼もしく見えました。これからご実家もにぎやかになりそうですね。本当におめでとうございます。あるまじろさんもお元気でね。 / nora`@お久しぶりです! ( 2010-02-13 01:00 )
おめでとうございますw 「いろいろ」あった心配かけーの子供でも(!)親としてはきっとどの子もかわいい分身なのでしょう。ワタシも親にはいまだに心配かけっぱなしです(^^; で、次はあるまじろさん?(^^) / みー@未ログイン ( 2010-02-12 10:39 )

2010-02-01 如月入り

2月に入ってもまだまだ寒いですね。
一つ一つのことがまあまあ、多くの問題を含みながら終わっていきます。
その時その時で悩んでいたことも、
過ぎればなんてことはない・・ってことですね。

体調はまだ万全とはいきませんが、
とりあえずなんとかやっています。
今日はまた仕事で職場に来ていますが、
一応芝居のことをやってますし。

風は強いけれどこれは春一番ではないね。
思いっきり冷たい風だし。
冬がこうして勢力の強いうちに冬を楽しもうと思う。
こたつにみかんで読書もいいね。
客がいなきゃテレビもほとんどつけないし。
嫌なことがあるとゲームもします。
別の世界に逃げ込む感じ?
でもほんとは読書の方がよいね。

『鴨川ホルモー』読みました。良かったです。
今読んでる『ホノカアボーイ』もゆっくり読み進めています。

母と電話で話して元気な声が聞けて良かった。

明日からは明日の仕事で日が暮れる。
それもまたこのご時世なら幸せか。


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雅さんへ。明日があるということがいいですね。雅さんはいいことを言いますねえ。 / あるまじろ ( 2010-02-12 01:31 )
あした、しなければいけないことがある。これもシアワセよね。そういう毎日が続いて、明日だけはなーんにも予定なしっていうのがあれば最高! / 雅(みやび) ( 2010-02-10 22:50 )

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