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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

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2009-08-08 リリアの大ホールにて
2009-08-07 陽炎
2009-08-06 リボルバー
2009-08-05 夜の補習稽古
2009-08-04 欅の通し稽古
2009-08-03 なつかれ
2009-07-31 夏を越すため
2009-07-28 夏の午後に届くもの
2009-07-25 蒲田から海岸通りを通って。
2009-07-23 Do it like that, and I will still do it this way.


2009-08-08 リリアの大ホールにて

思えば今年は大劇場での公演の多い年だ。

2月に彩の国さいたま芸術劇場小ホール。
3月に彩の国さいたま芸術劇場映像ホール。
4月には戸塚公民館(これは大劇場ではないね。)
6月に所沢ミューズマーキーホール。

そして8月、
今日は川口総合文化センターリリア大ホール。
そして来週はシアター1010、
その翌週はさいたま市民会館うらわ。

11月には彩の国さいたま芸術劇場映像ホールだけでなく、
大ホールにも立てるように頑張らなくちゃね。

いやいやこれだけの舞台でそれぞれ芝居をしていると、楽しいねえ。

今日リリアは結構の入りでその前で殺陣を披露しました。
本日初舞台の人も居て、緊張していたように思えたけれど、
なかなか立派にできたと思います。
舞台を一つ一つ重ねて、
役者は成長していくんですね。


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2009-08-07 陽炎

昨日は母と病院に行って来た。
良くも悪くも一つ一つ進んでいくんだ。
そして今日は僕一人で病院に行った。
今日は僕自身の検査だった。
良くも悪くも一つ一つ進んでいく。

結果は2週間後、
その頃にはリリアの本番も千住の本番も終わってる。
欅の本番の直前だけど病院に行くくらいの時間はあるだろう。

病院から帰ってなんか気持ち悪いので、
草刈をして汗をかいた。
一通り刈ってシャワーを浴びてぼーっとしていると気分がいい。
今日は待合の中でセリフをずっと頭の中で反芻していた。
『エンフレ』のルコント、『あの雲』の久遠、『見果てぬ夢』の進藤。
役のイメージをシンクロさせてからそれぞれの芝居のセリフを辿る。

脱力と目線、身体はフリーで感情に流されるまま。
頭では立ち位置計算して、周囲への視野を広く保ちつつ。
その瞬間の動きはその次の動きへとつながっていく。
それを計算しながらその刹那の感情にどれだけ溺れることができるか。

どこまで踏み込めるか一歩一歩底なし沼へ足を踏み出して行くみたいだ。
しかも溺れた瞬間、情けない自分の姿が露呈する。
もう一歩、あと少し。
溺れる前に藁をつかめ。
・・・意味違うか。

明日はリリアの本番、
期待してるぜ。


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2009-08-06 リボルバー

劇団M.O.P.の『リボルバー』を観た。
すごいのう、演技力。
怒鳴るにしても聞こえる怒鳴るがあるんだ。
でも怒鳴ってないのかもしれない。
表情で魅せるってこと重要。
セリフはなくても、その場面での自分の役割が分かっているのだな。

小市さんは登場しただけでかっこいい。
三上さんは背中で演技しているのがちゃんと伝わってくる。
緑子さんは目線だけで伝わってくる。
背景の黒をバックに逆光のライトで落ちた涙が見えた。
すごい演技だった。
かっこいいとはこういうことだな。
おんなじ芝居は作れないけれどいつか追いつきたい、いつか。

それにしてもどの役者の演技をとっても簡単にやっているようで、
自分が稽古場に立ってみると同じようにはできない。
あの具合、なんとか手に入らないかな。
どうしたら手に入るんだろ。
意識してああいう演技が出来るようになるなら、
なんでもするんだけどな。

この舞台観てない人は、損すると思うな。
特に芝居をやっていて、役者をやっていてこれを観ないまま、
来年、劇団M.O.P.が解散しちやったら大損ですよ。
こういう芝居、観られて良かった。
勉強になると思うんだけど。

シミズさんの言う「魂のセリフ」。
若林センセの言う「腑に落ちる」。
柳田さんの言う「収斂」。
それぞれ大切なことを示唆している。
それってそう人と出会ってきたことが血肉になってるってことだ。
もう少し考えてみよう。


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2009-08-05 夜の補習稽古

・・・ということで前日の劇団欅の通し稽古がさんざんだったため、
夜の補習稽古を企画、シミズさんがキヨミズくんを、
僕がたーこさんを呼んで自分のやりたい部分をやった。

みんなが誉めてくれたけれど、やっぱりこの稽古場は集中できる。
芝居への想いが詰まってるのかな。
ま、それはそれとして。

まずはキヨミズくんの演出に一苦労。
彼はセリフの言い方は上手、でも動けない。
それは一つの部分をやってもらって良く分かった。
でも初舞台でセリフが言えるだけでも充分だよ。
動きが出来るためには視野が広くなることが条件なのだけれど、
それはやっぱり場数で身に付くものだしね。
まだ大夫抵抗していたけれど間に合うかな。
まあこれ以上は何も言いますまい。
自分の考えを実現できる技量がまだないときに、
素直に人の言うことを聞けるかが勝負だけれど。
でも耳を貸さないで失敗するのもいいか。

僕とたーこさんのところは大夫良くなったと思います。
これもシミズさんのお陰。
僕は受け入れるけれどね。
自分じゃ分からない部分もいろいろ聞けたから。
でも一人じゃやっぱりダメなんだけど。

集中して三時間、楽しかった。
やっぱ俺、稽古好きだな。


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2009-08-04 欅の通し稽古

ダメだった。
セリフがとーんと来ないもんね。
セリフだけじゃなくて他もね。

よし、挽回挽回。


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2009-08-03 なつかれ

暑いのだけれどカラッと晴れないね。
でも時折、差す夏らしい日差しの中を歩くと気持ちがいい。
やはり夏は夏らしいほうがいい。

昨日は三年ぶりに中学校演劇の中央大会の審査・講評の席に招かれた。
中学演劇の質も年々向上しているような気がした。
トップとの差も縮まっているように感じた。

一つ一つの芝居の一人一人の役者に対して言葉を紡いだ。
時間がなかったので残念だった。
もっと誉めてあげたかった。
せっかくできた縁を活かして今後に発展させることも考えている。
また芝居で楽しいことが出来たらいい。
より素晴らしい作品が出来たらいい。

今日は昼に籠宮さんに会った。
僕がダンスを発表する団体に紹介した。
相変わらずパワフルな人だ。

人は人を想う。
人と人のやりとりが芝居なら、
それは人生かも知れない。


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2009-07-31 夏を越すため

夏を越す祓えだと説明があった。
名越の祓え。

劇団欅のシミズさんの紹介で氷川女体神社の名越の祓えに参加する。
ここに子供連れが多いのは彼らのために祈る父母や祖父母が居るということ。
子供達はそのことの意味も分からずそこにいる。
まあその時は分からずとも良いのだろう。

自分の身体と家族の身体の不具合の箇所を人形にうつして、
それを宮司様に流していただく。
僕自身にもどなたかの人形を渡され、川に流した。
一つ一つの人形は他者への祈り。
それを共有することによってそこに集った人々の中にも優しさが生ずる。

他者のために祈ることで見知らぬ人と縁が生ずる。
これは大切なことだ。

母のために祈り、父にために願うこの心。
それを川に流して何処に辿り着くのか。
来て良かったと感謝。

また一つ何か変われば。


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自分ではなく誰かのために祈る心は、大切なその人を見えない力となって守ると私は思います。だから、あるまじろさんとその大切な人たちが笑顔で秋をむかえられますように。そして、これを読んでいる私の知らないあなたも元気でありますように。 / にゃんこ ( 2009-08-04 10:33 )

2009-07-28 夏の午後に届くもの

ふいに激しいスコールが街を包んだと思ったら、
しばらくしてそれが嘘のように止み、
ふと外に出るとわずかの夕景が空に広がっていた。

その夏の黄昏にあっちこっちから立て続けてメールが届く。
虹を見たよ、と携帯で取った写真を添付して。

こういうこと。
僕自身は虹を見ていないけれど、
それ以上にうれしく思う夏の夕暮れ。


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2009-07-25 蒲田から海岸通りを通って。

午前中、蒲田に打ち合わせに。
無事ほぼスムーズに話が進む。

その後、蒲田から海岸通りを通って汐留、銀座に向かった。
母を迎えに行く。

打ち合わせの成功は、かなりホッとした。
まあこれもうっちゃんのお陰かな。
事前に打ち合わせしていた通りに話が進む、進む。
データ表を書いたのも良かった、ありがとう、うっちゃん。
ツルマキ先生うっちゃんのことを話したら、
「いつも顔を見せてくれるんですよ」と笑って話してくれた。

芝居の世界では顔が通じていると話が早い。
知らない同士と知り合いでは仕事の進み方が違う。
だから人脈は大事。

色々な人に助けられて一つ一つの作品が仕上げられていく。
そこで出会った人も芝居をやっていく中で手に入る宝物だな。
僕が芝居を始めて十年になるけれど、
様々な人と知り合って何をするにも色々な人を頼りにできる。
今の僕が誇れる物ではそれが一番大きい物なのかもしれない。

海岸通りの風はもう夏で、
マロニエの白い花が散り、緑が深い陰をつくっていた。


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2009-07-23 Do it like that, and I will still do it this way.

午前中に母を病院に送っていく途中で、
母がふいに話し出した。

永らく消息が知れなかった父の兄である叔父が亡くなったという。
娘が看護士をしている病院に入院していたそうである。
10日ほど前に父に電話があったそうだが、
父も忙しかったので8月に入ってから訪ねていこう、
と思っていた矢先の訃報であった。
故人にまつわる話は、父や父の姉弟から様々耳にしていた。
それはここで言うべき話ではないだろう。

僕が叔父の死を聞いて最初に思い浮かんだのは、
むしろ叔父ではなく、叔父の次男である雄ちゃんのことだった。
雄ちゃんは夏休みに僕が埼玉から茨城に遊びに行くと、
必ずカブトムシやクワガタを捕まえておいてくれた。
そして墓参りしたり、一緒にスイカを食べたり、
僕はよく世話になった。
雄ちゃんはどうしているのだろうか。
叔父の消息は様々な理由でしばらく音信不通だった。
それに伴い、家族も離散していたようだった。

おそらく葬儀にも顔を出さないだろう、と母は言った。
雄ちゃんの日に焼けた顔がふっと脳裏をよぎったのも、
今が夏だったからだろう。

もう一人、僕が社会人になって最初の赴任先でお世話になった、
ナカザワさんという方に久し振りに電話で話した。
懐かしかった。

まだ二十代の僕はいきがって強がって誰彼ともなく突っかかって、
「自分のことがまだ何者かであるかのような錯覚をして」いた。
そうこの言葉は先輩のスギハラさんに言われた言葉だ。
ナカザワさんはそんな僕のことを、
「それはそれでいい」と見守ってくれていた方の一人だ。
そう、僕の最初の赴任先にはそんな人ばかりだった。

良く本を貸してくれたコミヤさん、
仕事の上でのあるべき姿を常に示してくれたタキザワさん、
厳しく責任を持って僕を躾ようとしていたくれたスギハラさん、
身近な先輩として気にくわない僕にも常に声を掛けてくれたオクさん、タジマさん、
頼りにしてくれるような振りして僕を支えてくれていたイガワさん、
良く飲みに連れてってくれた酒癖の悪いスドウさん、
そして僕を芝居の世界に引きずり込んでくれたヤナギタさん。

きっと他にもまだ沢山居たはず。
ナカザワさんにそのことを言うと、
話をするのも十年ぶりなのに、またこう言った。

「まあ、それはそれでいいんじゃない。」

そんな風にして僕は今もこうしているのだろう。


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