himajin top
あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2009-06-14 とある昼下がりに考える
2009-06-13 ミューズの祭り
2009-06-12 先輩からの金言
2009-06-11 ブラッディオレンジ
2009-06-10 山深き
2009-06-08 真夜中のベル
2009-06-07 分岐点
2009-06-06 メモ替わり
2009-06-05 ソーダ水の中を貨物船が通る
2009-06-04 愛と労働


2009-06-14 とある昼下がりに考える

あの頃は良かったって思う。
そんな時があるのは良いことかな。
そう思っている今の時点は良い状況なのかな。

決まっていくことが一つ一つが終わっていく中で、
自分の成長はあったのか。
考えてみなくてはいけない。
その人間だから、
ということで大目に見ることなんて何もない。

締まっていこう。
今の自分で求めている結果はたった一つだ。
全てそれのためにやっている。
それが成し遂げられなければ、
まだまだ自分が足りないということ。
まだ足りないのか、とも思う。
満を持してもう一度挑もう。

遠い日の記憶、
あの頃は良かったと思わない。
だってあの時自分は未熟だったから。
今手にしたものを活かして栄光を手にするんだ。


先頭 表紙

2009-06-13 ミューズの祭り

所沢市民文化フェアの一環としての演劇祭にお邪魔する。
お祭りと言うムードで楽しんで、とは言ったものの、
ここまではなかなか大変だった。
4月の露天商から幾度かの打ち合わせなどなど、
もちろん、この演劇祭を中心的に運営する松ちゃんをはじめとする、
中心的な人々に比べたら及ばないが。
そういう意味では本当に色々お世話になりっぱなしで、助かりました。
特に松ちゃんにはことさら、心を配って頂き甘えっぱなしでありました。
反省会にも出られず、申し訳ありませんが、楽しかったです。
またこの地区の人々も独特のうち解けた雰囲気があり、
居心地は悪くなかった。
こうして一緒にやらせて頂き良かったと思えるのも、
そういう周囲の方々の気配りをいただけたからでしょう。
有り難い限りです。

うちの芝居は、滑り出しの群読はやや緊張気味で固い感じ。
新人の音響が失敗するのはご愛敬。
直前に手直しした殺陣はまあまあ。
後半に向かうと少しノッて来たか。
中盤の幾つかのモノローグがなかなか良かった。
全体的にはまあ良かったけど、セリフは稽古してもし足らないと感じた。
特に今、自分でアクセントと高低について学んでいる最中なので、
セリフのやりとりと出し方はとても気になった。
今後のメンバーに期待と言ったところだ。

演劇祭全体はやや客の入りが悪かった。
が、それにうちはほとんど貢献できず申し訳ない限り。

それでも本番が一つ終わった心地よさはいつも気持ちがいい。
湿度を多く含んだ夕暮れの空気の中、
後片づけをする気分も、そう悪くなかった。

ありがと所沢、
ありがと皆様。

写真はいつかの航空公園近くの緑陰。


先頭 表紙

2009-06-12 先輩からの金言

自分より若い人のやることに物足りなさを感じる。
それ自体が自分自身、年老いたということだろうか。
そんな言葉を芝居の先輩から頂いたが、
本当にそうだろうか。

いやそもそも年齢的なことではなく、
自分がその道を長くやってきたことのためか。
だからそのことを人に強いる気持ちが生じて来たのか。

自分がそれをやって来たからと言って、それを他者に強いることは出来ない。
まあそれは分かっているつもりだが、率直に物足りない。
その物足りなさを感じる一つの要因として挙げられるのは、
彼ら自身が「自分は精一杯やっている」「自分はもうこれ以上はできない」
と言っていることを耳にするからだと思う。
でも僕にはやっているように見えないんだよね。

忙しいって自分も言わないようにしなくちゃね。
自分も精一杯やってる、なんて言わないようにしなくちゃね。
そういうことかな。

野村監督が岩隅やまーくんが自分から「肩痛い」って言ってくるのに対して、
ラジオやテレビの例のボヤキの中で苦言を呈していたけれど、
プロなんだから自分の体の管理は無理せず遠慮せず、
きちんと報告しなくちゃってのと、
プロなんだから自分の成績だけではなく、
チーム全体のことを考えなくっちゃってのと、
両方うんうんと思う。

でも自分で好きにやっていることに対して、
やっぱりちょっとくらい無理しない人とは、僕は合わない気がする。
大学時代にもお互いに凌ぎを削っていた人間同士としか、
最終的に分かり合えなかった。

申し訳ないけれど僕とある程度出来るためには、
ある程度無理できないと駄目なんだと思う。
これって今更だけど、ああそうかって思った。

だって僕は慈善事業で自分が苦労してるんじゃないからね。
僕には僕の作りたい芝居があり、
僕の作りたいものには作るべきメンバーを選ぶ必要がある。
ちょっとそこのとこ、忘れてたな。

僕等は好きなことをやっている。
そのことで同じくらいの熱が必要なことは、
言って好いって事、
なんとなく自分ではっとするくらい忘れてた。


先頭 表紙

2009-06-11 ブラッディオレンジ

たった一人でランチした。
ぼーっと梅雨近い街をみながら。

補習で芝居の稽古をすると、
今までできなかったことが一気に伸びる。
それは楽しいこと。
これ知らないともったいないな。
まあ楽しいことは別に自分で見つけないとだ。

明日は劇場入りしてリハ、明後日は本番。
松っちゃんお世話になります。
その次の日はまた稽古場に戻って通し稽古。
三昧だね。

午前中、ちょっと強く雨が降っていたのに午後になって晴れた。
風がさーっと吹いてきて気持ち良かった。
空の様子がきれいで、空気の透明感が胸に染みた。


先頭 表紙

ゆーこさんへ。補習付き合って頂きありがと。その前日にはみっきとあっきん、そして両方ともゆもちゃんが付き合ってくれました。皆さん、ありがとうございました。 / あるまじろ ( 2009-06-14 00:18 )
昨日の補習稽古ありがとうございました!私もかなり不安な場面だったので…。もちろんまだまだですが、日曜日の前に合わせられて良かったです!やっぱり一人で何時間も自問自答するより1回の補習かもな…て思いました。またお願いします。 / ゆーこ ( 2009-06-12 14:29 )

2009-06-10 山深き

山深き 木崎の湖(うみ)に 住むものの いのち長きか旅を喜ぶ

斎藤茂吉の軸、
アララギ派にしてはややひねった歌か。


先頭 表紙

2009-06-08 真夜中のベル

最近いやに雑事に追われている。
本来ならこういう雑事得意な方、
書類の整理とか手続きとかに手間取るたちじゃない。
それなのにほぼ一日中雑事に追われている。
振り返ると、ちゃんと仕事は終わらせている。
それでも追われ続けているのは、
雑事が山のようにあり過ぎるのだ。
お陰で余裕がある時にやろうとしていることに着手できない。
ずっと目の前のことに追われている。
今週末の演劇祭が終わったら少しは状況変わるかな。
そう言えば演劇祭を取り仕切ってる松っちゃんも随分忙しそうだったな。
お互いに、健康第一でね。

ここ一ヶ月ほど閉店していた近所の食堂が再オープンした。
でも味が格段にイマイチになっちゃった。
残念で仕方がない。
やっぱりなんかあったんだねえ。
以前は値段からは想像できない「盛り」と、
マニアックなほどに本格的な味付けで、
ほぼ常連のように通っていたのだけれど。
料理人も店の人も変わって、別の店になっちゃった〜。
ああ惜しい。

巨人が好調だ。
以前は巨人の調子と人生がリンクしていたのだけれど、
僕の人生の波も好調にしてくれたらいいのに。
なんかリンクしている感じが伝わってこない。

真夜中に歯磨きをしていたら電話が鳴った。
なんか胸騒ぎした。
寝ているはずだけど父親に電話した。
父親が出てくれて「電話してない」って言った。
じゃあ誰なんだろ。
もしもーし、誰ですかー。


先頭 表紙

2009-06-07 分岐点

だうなんだらふ。
この如何にしても無駄と回り道の多い人生は、
何処かでまた分岐していくのだらふか。

僕の寄る辺なき此の行く末を、
照らす洋燈があるのなら、
この手に掲げて見てみたし。

分かれ別れて行くその旅に、
その目に映るは行き過ぎし日々か。

風薫る初夏の光満ちて、
また別れゆく、標無き道。


先頭 表紙

2009-06-06 メモ替わり

今週末は打ち合わせ三昧。
土曜日はサマフェスの打ち合わせに千住の劇場に向かう。
うっちゃんの師匠とかと音照、舞台の話をして帰ってくる。
日曜日はミューズの打ち合わせ、丘の上の芸総に。

その合間に稽古。
エンフレとあの雲の自分の部分の前半はさらえた。
ただ芝居は自分の部分だけでは完成しない。
劇団員の稽古が必要な部分はそれぞれ自分の所以上に残っている。
演出としての仕事もまだまだやらなきゃ。
来週末日曜日の通しまでの時間を有効に使う必要がある。
がんばろ。

月曜日には、
松木先生にワークショップのお知らせを約束したのでファックスして、
欅の稽古に出るために台本下読みして、
ミューズのための写真を現像して、
サマフェスの当座の書類を作って、(音照のプランはまだ無理だ)
明後日のさいたま市民演劇連盟の会議に持っていく調書を作成して。
そこまでかな。
できたらちょっとだけでも台本のプロット考えて、
トラアナの台本もちょっとくらいは読んで。
予算の執行も確認して機材購入の話も進めないとねー。

いや忘れちゃうからさー。
ここメモ替わりね。


先頭 表紙

2009-06-05 ソーダ水の中を貨物船が通る

仕事を幾つか大切に慎重にこなす。
秋の大きなイベントのチーフなのでそのイベントの説明会。
その後、問題を起こした○とじっくり話す、大丈夫かな、伝わったかな。
さらにみーちゃんに月曜までの宿題を課して、一息つく。

それらは、もう少し後でちゃんと何かにつながると思いつつ、
すぐにその次の仕事に手を伸ばす。

電話をしたらすぐに会ってくれることになったので、
文化会館までリッキーと深井さんに会いに行く。
そしてサマフェスに必要な大道具の組み方を教えて貰う。
まずこれはこれでオッケ。
あとはリッキーが何とかしてくれるだろう。
以前から着手しなくちゃと思っていたことだったが、
結局前日になっちまった、ギリギリセーフってとこだな。

その後は築地に行く。
元気だった、ほっとした。

これで今日は終了。
帰ってから食事。
電話しなくちゃならないとこは後、数件あるけど。
ま、明日でいいや。

なんか海、見たいな。
午後からぼんやり眺めて、暮れていくまで。
渡っていく船とか目で追いながら、
風に吹かれて。


先頭 表紙

2009-06-04 愛と労働

人を愛することと働くことはリンクしている。
働かないで人を愛することはできない。
逆に愛する人のために働くことは大切なことだ。
働くことと愛することは生きていく意味でさえある。

近代資本主義において搾取階級は、
常に労働の過程で労働者の個を奪っていった。
富を搾取するだけに留まらず。
だから利潤追求の経済活動の中で労働者は「名前を奪われる」のだ。

そしてそれらの軋轢の中で果てしない階級闘争が始まる。
ブルジョアと労働者の階級闘争だ。
それは既に富そのものを巡る争いではなく、
実は人間としての個の尊重を認めさせる闘争となっていったのだ。

社会の根本的な価値観が、
人のために働く尊さでなく富の多さに置き換わったのはなぜだろうか。
富の多さに価値を置く者は、富自体が価値なので「個」を尊重する必要がない。
「個」を尊重する必要性を無くした者はいわば「顔」を失くしたようなものだ。
誰でもいいのだ、富の多さだけが価値なのだから。

一方で失われた個を取り戻すために必要なのは、
家族の絆であり、他者への思いやりや愛情であるような、
富としては計れない価値だろう。

これが「千と千尋」の物語の構造でしたね。
あとは神話と伝承のパターンを踏襲して世界観が構築されている。
良くできた物語です。

写真は関係ないけれど銀座に居た「せんとくん」。


先頭 表紙


[次の10件を表示] (総目次)