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あるまじろの「まるまり日記U」

イツデモコンナフウニスギテイクナラ、
ソレハソレデヘイワナマイニチ。。。

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2009-01-10 イタリア風の景色の中で想うこと
2009-01-09 西日の差す灯台、海の近くで
2009-01-08 僕は劇場で夢を見ていた
2009-01-07 大道具作り
2009-01-06 ケーブルテレビ・シンドローム
2009-01-05 母とシネマを
2009-01-04 正月、多種雑感
2009-01-02 今年はあなたの勝ち
2009-01-01 元旦は晴れていた
2008-12-31 今年もお世話になりました。


2009-01-10 イタリア風の景色の中で想うこと

今、やっている芝居の稽古はどれも楽しい。
自分の劇団の稽古はとても今は大変だけれど、
今の芝居作りに何が必要なのか、常に考える。
期間限定の他の演出家に見てもらっている芝居は、ひたすら楽しい。
自分が役者を中心にやっていればいいからだ。
劇団を経営する楽しみは、大きな苦しみも伴う。
でも一方で自分で一つ一つ創り上げた達成感は計り知れない。
役者だけをやるのはそれに集中すれば良いのだから楽なことだ。
他のプレッシャーがない分、他のことに集中出来る。
どちらもそれぞれにいいことがある。

そんなことを考えていた。
イタリア風の景色の中で。


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2009-01-09 西日の差す灯台、海の近くで

もう少し前になってしまうのだけれど、
海の近くにある遊園地に行った。

冬なので少し寒く立って待っているのがやや辛いときもあったけれど、
そういう時はちょっとランチの時にワインを補給して、
身体を温っためて順番を待った。

ランドの方よりシーの方が好きかな。
景色がいいのとお酒が飲めるのと。

夕方の風景はなかなかいい。
あの頃も今も、その時の気持ちでうっとりできた。
冬の空は澄んで空も遠くまで突き抜けている感じ。
冬の西日を受けた灯台は日本じゃないみたいで素敵だった。

もうすぐ日が暮れる。
マジックタイムって感じだった。


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2009-01-08 僕は劇場で夢を見ていた

正月二日の朝、新年会に行く途中に車を運転したら、
突然キューキューってエンジンから変な音がした。
DAIGO?とは思わなかったけど、かなり不安だった。
あんまり不安だったので合宿中もゆーすけに相談したりした。
(ゆーすけ、ありがとう。お前は「車に関しては」頼りになるやつだ!)
そして5日にディーラーに持っていくと、
ナンチャラバルブとなんちゃらという部分がアーでコーでつまり故障なのです。
そして十三万ほどの出費だそうです。
それはいいのです。(いや、良くないか。。。)
それで無駄に強気なうちのディーラーは代車も用意してくれないのです。
そういう訳で、それから僕のチャリンコ生活が始まりました。

走るよね〜。
自宅から実家、会社往復とか今日なんか、
武蔵浦和〜西川口〜与野本町〜南浦和〜武蔵浦和で大体40`くらい走ったもんね。
足が程よく張っていて、ご飯が美味いっ!!
いや、でもゆやまん(甘党の音響オペレーター)には負けるか、
あいつは埼玉のチベット志木〜西川口をチャリで往復する男だからな。。。
でも、ゆやまん程ではないが、僕も毎日数十キロチャリを乗り回しています。
どうせだったらイイチャリ買って、通勤しようかな?

今日は会社の仕事半分で、午後からはずっと芝居してた。
仕事で芝居してるのです、いやあこれはとてもいいですね。
しかも場所は芸術劇場小ホール、しかも良い役!!
舞台はプロの仕込みで、さまざまな仕掛けが施してある。
音響も照明もプロの皆さんだしね。
今日の稽古も小ホールで大道具仕込んで音照つけての稽古。
なんて贅沢なんだろう。
この仕事、受けてよかった。。。。
それに相手役の人が感じよくて、とても楽しい。
どうせなら、芝居に対する情熱を共有できる人と芝居するのがいい。
今回の相手役は結構年下の方なのですが、
心から芝居が好きって感じが伝わってくるのです。
きっと教えている方や友人の方や周囲の人にも恵まれているのでしょう。
この現場に居て良かったな・・・と今日一日ずっと思ってました。

さて、台本。
明日は書ける時間にまた少し進めたい。
車が入院中なのでPCが持ち歩けずだいぶ書けずにいる。
それを少しでも進めなくっちゃね。

写真は芸術劇場に隣接する「びすとろ山」のランチのハンバーグ1200円也。
とろけるような肉汁の溢れるハンバーグ、
付け合せは川越産のサツマイモと菜の花。
ライスは十三穀米、ホットコーヒー付。


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ゆーこさんへ。いよいよその本番も近づいてきたので、気合いが入ってます。 / あるまじろ ( 2009-01-31 00:36 )
あらら…台車ないんですか!早く修理終わると良いですね。でも、自転車通勤もいいですよね〜(私もチャラーなので)台本も楽しみが延びたと思って…(ちょっと違います?)それにしても芸術劇場での稽古すごいです!しかも照明付きとは!仕事でもうらやましいです〜。 / ゆーこ ( 2009-01-09 11:48 )

2009-01-07 大道具作り

今日は朝から二月の舞台研修会のための大道具作りだった。
それぞれ違った仕掛けのあるパネルを四枚、
下地の色を塗り、汚しをかけて、仕掛けを作った。
そして二つの吊り物にも異なった仕掛けがあり、
芝居そのものにも仕掛けがある。

一日掛けての大仕掛けであったが、こういうものを準備するのは楽しいものだ。
何が掛かるか分からない、たわいもない罠を仕掛けてドキドキ舞っている気分だ。

70%くらい完成した舞台は、
改めて見てもなかなかなものだった。


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2009-01-06 ケーブルテレビ・シンドローム

正月など実家に入り浸っているとつい、ケーブルテレビをずっと観てしまう。
特に演技に興味があるので、映画はやたらと本数を見てしまう。
ここのところ、映画数本観てしまった。

「椿三十郎」・・・・・・・間違いなく黒沢さんの方が素晴らしい。
「隠し砦の三悪人」・・・・間違いなく黒沢さんの方が素晴らしい。
「タイタニック」・・・・・懐かしい。あの不条理なエンディングが。
「僕は妹に恋をする」・・・栄倉と松潤がずっとべたべたする。それを観て、
             「そんな言わねー」とか、独り言を言うのが楽しい。
「座頭市」・・・・・・・・もちろん勝新のやつ。
             逆手の剣じゃ斬れないと言った人が居たけど、
             座頭市は斬りまくり。
「新宿鮫」・・・・・・・・これは観て損した。バブルの匂いがする。
             真田裕之、今の方がずっといい役者。
「ハチミツとクローバー」・漫画の方が良いですね。

他にもディスカバリーチャンネルとか、ヒストリーチャンネルとか、
観てるとキリがない。
恐るべし、ケーブルテレビ。
             


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2009-01-05 母とシネマを

正月の休みは昨日までであったが、
振替の休日があったので休みを取り、
珍しく母親と連れ立って映画を見に行った。
ネットで席を予約して行ったが、それほど人は居ない。
もう正月は終わったのだ。

観た演目は『K−20』、怪人二十面相の話である。
痛快な娯楽大作で観た後にすっきりした。
金城武は人の良い少し間の抜けた主人公を好演し、松たかこは魅力的だった。
せっかくこういうところに来たのだからポップコーンでも買おう、と言うと、
母はそんなの胃にもたれる、お茶はポットに入れてきたしリンゴを切ってきた、
と言った。
怪人二十面相のハラハラドキドキのスピード感のあるアクションシーンの中で、
母が切ってきたリンゴは不思議と美味かった。
なんとも変な感じのする余韻に浸りながらの映画鑑賞となった。
映画館を出た夜景が随分、美しかった。


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2009-01-04 正月、多種雑感

僕は「まあまあ」と訳知り顔にいなす物言いをする人間には頭に来る。
大抵こちらは真剣に議論をしているのに、
「まあまあ」と仲裁に入る者に限って、
それまでろくに自分の意見を言っていない。
それなら、互いの意は通ずとも罵り合っているその相手にこそ、
共感と言うものが生まれる余地はあるというものだ。

話は変わる。
自分の得意で勝負するだけのつまらない人にならない、
僕自身に言い聞かせたいいい言葉だ、と思った。

また話は変わる。
僕は人の面倒を見るときに、
自分の身内より縁の遠いものの方から懇意に面倒を見る癖がある。
僕の父がまさにそうだからまさに親父譲り、ということだろう。
本当は少しばかり、見た目の上で目立ったものなどより、
自分の身内がとても頑張っていたことを褒め忘れたと思ったので、
メールで褒めておいた。
そうしたら謙虚な返事が返ってきたのでますます気分が良くなった。

またまた話は変わる。
正月休みというのは今年は四日で終わるようだ。
明日からは、また仕事。
まあ仕事があるだけで幸せと呼ばねばならない御時世だ。
それにしても派遣切り、とは嫌な言葉である。
「人を切る」とは、斬り捨て御免ということか。
それでいて「国民の生活が第一」とは口から出た途端の嘘とはこの事である。
「簡単には政権は渡しませんよ」と政治家同士で言い合う言葉は、
聞いていて胸が悪くなった。

さて、最後に。
年賀状を年賀で返せないから、頂いた方に寒中見舞いを書いた。
遅ればせながら、こういうものをしっかりと書くと気分がすっきりするものだ。
葉書を読むと皆、好意の顕れだ。
有難いとしみじみ思う。

写真は、母の作ったおせち料理。


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2009-01-02 今年はあなたの勝ち

本当は二日は劇団の新年会があったので朝から餃子を作りまくった、
という一日だったのだけれど、それは劇団の稽古場日記に書いたので、
今日は一日にあったことをもう少し追加。

元旦の朝は少し朝寝坊をするが、起きるといつも母が雑煮を作っている。
そして起き抜けに早速一杯飲んで、挨拶をし、だらだらと雑煮を食うのだ。
今回は、うちの雑煮を食べた来客もあり、いつもよりもだらだらしたように思う。
その後、僕には珍しく街に出た。
参拝しようとした有名な神社は人でごった返し、入場制限をしていた。
こんなところで寒い間立たされて待つものか、と、あっさりあきらめて、
これまた僕には珍しく福袋を見にデパートに出かけた。
福袋を買うのは実に久しぶりだったので、あまり吟味もせず、
とりあえず服の入った良さ気なものを一つ購入した。
果たして得をしたのか、なんだか良く分からぬが、
なんとなく気分は良くなった。
酒が抜けていなかったのかも知れぬ。

いつも正月に行うハヤシ家での麻雀の都合を聞くために電話をすると、
今日が良い、というので慌てて駆けつけて、とりあえず麻雀をすることになった。
ハヤシは僕の高校時代の優秀なる同級生で、
そのヨガインストラクターをやっている弟と父親のアキラさんがメンツだ。
僕はこの相手の麻雀によって比較的この年の運勢を占う傾向がある。
だから毎年真剣だったし、今年もそのつもりだったのだが、
今年はここ数年、あまり勝ち目に乗らなかったアキラさんの圧勝に終わった。

例年、この家での麻雀に並々ならぬ闘志を燃やしてきた、というのは言い過ぎだが、
今年の僕はやや気が抜けていた。今にして思う。
まあ、すでに幸せだ、ということなのだろう。
アキラさんは実に数年来の勝利に喜んでいた。
その姿は微笑ましくて、なにか勝負に負けたものの悔しさが消えた気がした。

ハヤシの娘は今年で成人式を迎えるという。
その娘が母親のお腹の中に居た頃から知っていたから、
やはり光陰矢のごとし、というのはまんざら嘘でもあるまい。


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2009-01-01 元旦は晴れていた

かくて2009年の年は明けた。
喪にて新年を寿ぐ言葉は出せない。
しかし心は一つ改まって新たな気分となっている。

昨夜は両親とのんびりこたつで酒を飲みながら新年を迎えた。
弟夫婦も顔を見せていたが父と共に風邪を引いていてろくに酒も飲めない。
父も弟も酒が大好きだから可哀想だ。
その替わりといってはなんだが、
普段は酒など飲まない僕が彼らの替わりに紅白を肴にちびちび飲んだ。
紅白、この番組批判はあるが僕は好きだ。
「歌は年代ではないんだな」そう思った。
僕は小学生・中学生とかの若い頃から演歌がそれほど嫌いではなかったから、
演歌に抵抗はないし、今年流行りの歌にでもそれなりに耳慣れた部分もある。
ただ心に訴えるものと訴えないもののどちらかがあるだけだ。

母のこしらえたかき揚げの天麩羅と年越しそばを食べて、
新年の挨拶をひっそりとした。
今年もよろしく、それだけだ。

紅白も終わり、弟夫婦は僕に気を使いながら自宅へと戻り、
行く年来る年も終わり、僕は母と近くの小さな神社へと初詣に出た。
こんなところに神社があったか、という場所であったが参拝の人は意外に居た。
母の引いたおみくじは末吉であった。

新年一日、目が覚めると良く晴れた空だった。


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2008-12-31 今年もお世話になりました。

今年は昨年の暮れから新年に架けて、たくさんの親戚・知人の人が亡くなりました。
九十を過ぎた祖母が亡くなったことは、僕に多くのことを考えさせました。
人が人とつながって行くことの意味、人が人に残すこと。
若い頃、二十代には分からなかった死の意味、生の価値が僕を思考させた。
力を指向した若い時分に、足りなかったこと。
自分の心の中で欲しいものの真実の姿。
泣かないと思っていたのに出てきた涙の意味は?
他の多くの人の死がもたらした感情は、
一つ一つ、今の僕に大切なことを考えさせた。
もう一つ、死を迎えた人を見送る、残された人の言葉にも感銘を受けた。
それは僕自身が今後、どう生きるかの指針となるものばかりだった。

芝居、僕の書いたものが幾つも舞台化されて、
一つ一つが当たり前ではない感動を受け止めることが出来た。
そこには渾身の演技を表出する役者達が存在して、
高く高く上を目指す向上心、
上り詰めることだけを目指すその気持ちの強さが、
純粋にそれだけで心を捉えて離さなかった。
芝居がハネて言葉でも身体でも表せないような感情を、
泣くことだけとか、叫ぶことだけでしか表せない瞬間。
やめられない、何度味わっても。

意見は分かれるが、芝居にも勝ち負けがある部分もある。
少なくとも僕の中にはある。
それが一つの原動力になっているのだ。
今年は、花柳舞鶴先生について初めて日舞の舞台を踏んだ。
それは未熟で稽古不足で日舞と呼べるかどうかも怪しいものであった。
しかし僕はその稽古、その先にある師の視線を体験することで、
簡単には手に入れられないものを得た。
それこそ「負けられない情熱」というべきものだった。

人と出会うこと。
一回の舞台に賭ける気持ちというもの。
それは六月の舞台で相手役の方から感じ取らせて貰った。
負けられないようなライバルの存在に気づくこと。
それが夏の群馬で起きたこと。
競い合って届かなかった気持ちを次につなげること。
それが秋に僕と僕の役者達に自然と浮かんだ感情。
かつての不和もやがて自分の成長と共に解消することが出来ること。
それが十二月の舞台と年末から始まった稽古で心から納得できたこと。

少しずつ分かってくる。
少しずつ楽になっていく。
だからあきらめないで今と言う時を生きていく価値があるんだね。
今、分からないこともやがてそうだったのか、
と気づかせてくれる時が、向こうの方からやってくるのだ。

僕はあがく。
そうしているとそんな瞬間を感じ取れる気がする。
ずっと若いままでなんていたくない。
良い年齢の取り方をして、
知るべき事、見ておくべき事、やっておかなければならない事を、
ちゃんとやっていきたい。
ゆっくりと。


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みーさんへ。役者にとって、「会話が成立するということ」は受け取ってくれる人のチャンネルが開いていないと出来ないことです。あなたのように耳を傾けてくれる人がいるから、僕の言葉も生きてくるのでしょう。 / あるまじろ ( 2009-01-07 20:32 )
あなたの言葉にはいつも色と風を感じます。そのときによって色は違うのだけれど。そしていつもそれらがじんわり私にしみてくる。 ・・・気がしますw / みー ( 2009-01-05 22:24 )

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