ここのところ、ずっとナレーションの授業で
思ったようにできなくて
フラストレーションが溜まっていた。
文章が、想い入れの入りすぎる文章で
さらっと流そうと思いながらも
本番になると、どうしても
気持ちが入り込んでしまう。
どうしたらいいのか分からなくて
途方にくれている状態で
ここ数週間、悶々としていた。
そして、今回の文章は
渋谷の東急文化会館と文化村。
名画座にはよく通ったし、
文化村はつい最近行ったばかり。
想い入れを注ぎ込まないように
さらっと、流す事ばかり気にしていて
どんな文章で、どんな風に読むのがいいか
なんてことは二の次になっていた。
そして本番。
ここ数日風邪をひいて
咳は出るは、喉はかすれるは
体調は最悪。
今回もだめかな、
と半分あきらめて、泣きたい気分。
ところが、こんな時は力が抜けて
思ったより評価が善い事が多いのも皮肉なもの。
今回は惜しいなあ、と言われてびっくり。
一人称の感じはよく出ていて
テンポもある。
よく流れているが、流れすぎて
ここぞと言うところのインパクトが足りない、
のだそうだ。
もちろん、流しているのだから
当初の目的は達成。
でも、一人称と言う事には全くたまげてしまった。
この文章は他人が書いたのに
自分の気持ちにぴったり重なって
そのことが自然に自分の文章として
自然に語っている雰囲気が出たのだろう。
先生の聞く耳にも驚いたけれど
それよりもまず
自分がその気になれば
そう演技しなくても
自然とついてくるものなんだ
ということ。
そう演技しても
そのつもりだけじゃ
その演技は偽者なんだ。
耳にたこができるくらい聞かされているけれど
初めて実感。
難しい事なんだけどね。 |