3月11日 午後二時46分 今まで経験したことのないくらい大きな地震があった。
二年生の授業が 午後にあったけれど 私の義務の時間じゃないので
早めに帰ることにした。
買い物もせず どこにも寄らず まっすぐに家に帰った。
家に着くと 珍しく 息子たちは二人とも家にいた。
ぴーちゃんが 散歩から戻ると ずっと吐き続けているよ
と 下の息子が心配そうに言う。
ぴーも 何故か くっついてきて 体を触っていないと落ち着かない。
雷でも 鳴っているのかな と不思議に思っていた。
地震は かなり長く 強さも強かった。
思わず 見ていたテレビを押さえ 息子は揺れるペンダントを押さえ
ぴーだけが テーブルの下に隠れていた。 えらい!
テレビでは すぐ地震速報に代わり 津波の状況を刻々と伝えている。
ただただ 茫然と見ているしかなかった。
娘たち 主人 実家 と 連絡を取ろうとしたけど
電話は全く繋がらず メールだけがたまに送れるだけだった。
それでも メールはちゃんと送れているようで
娘たち 実家 主人 と次々メールが帰ってきた。
無事だということが分かって 一安心。
気になっていた 主人の実家とも 四時半くらいにやっと電話が通じた。
こちらも 被害なし。
まるで 映画を見ているような画面をぼんやり見ているだけで
何も手に付かない。
ただ 花粉症の症状がひどくなって 鼻水がひどく 目がかゆく
おまけに ぴーは吐き戻し 三人と一匹で ティッシュの山を作っていた。
地震で スギの花粉がいつもより多く飛んだんだろうか?
電気が消えるかもしれないと気付いて あわててご飯を炊く。
二男は こんな時でも バイトだからと出かけて行き
長男と二人 あり合わせの夕飯を食べる。
その後 彼女が心配だからと 出かけて行った。
何もする気になれず ただ ぼんやりテレビの画面を見ているだけだった。
想定外の津波に なすすべのない人間の無力さ。
チリやインドネシアの津波で 多くの人が亡くなったけれど
途上国だから 対策がなかった のではなくて
日本でも 訓練したり 対策を立てていたにもかかわらず
こんなことになるなんて 自然の力の恐ろしさをまざまざと感じられた。
泊まりかな と言っていた主人も 夜遅くなって 私鉄が動き始めたので
無事 帰りつくことができた。
ぴーは まだ 吐き続けていたけれど
ゆっくり眠ることのできる幸せをかみしめている。 |