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夢樂堂月彦の『元祖 図鑑・即熱、玩具匣』

やっぱり、ひとりよりふたりだよね。

次の満月は9月8日、新月は9月22日です。
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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2000-12-04 新装開店しました
2000-11-23 猫と鰹節(老職人異聞@)
2000-10-20 清く正しいフェチ道(新聞探訪@)
2000-09-20 うにうに第3種接近遭遇(塩辛始末記A)
2000-09-20 ハンディキャップで思うこと
2000-09-19 溜息攻撃にうんざり(シロクマ紀行異聞B)
2000-09-18 一本の電話(塩辛始末記@)
2000-09-05 焼酎が危ない(シロクマ紀行異聞@)
2000-09-05 もどきが本物に化ける(シロクマ紀行異聞A)
2000-08-28 農家をダメにする補助金(北海道ゴム長ツアーB


2000-12-04 新装開店しました

おでんと塩辛の日々は近々に閉鎖します。
その理由は、ここは突っ込みあり、字数3,000字使用、
画像使用可というのにひかれたからです。
それと夢楽堂の掲示板は音・画像OKなのですが、
なぜかIEのバージョンが古くなるとカキコが出来ない。
それではつまらんもんね。
これでまた、MUFUFUだな。

先頭 表紙

kさんことkikiさん、やっと掲示番でお会いできました。ところがローガンさんはだめ。IE3.0では古すぎるのかな。 / 夢楽堂 ( 2000-12-04 16:24 )
>リャンさん まともなのもなかなか怖いものがあります。 / 夢楽堂 ( 2000-12-04 16:22 )
>okkaさん あれれ、ここの利用を考えていたのですね。これだと一方通行にならないからいいね。なんだかキモサベみたいだ。 / 夢楽堂 ( 2000-12-04 16:20 )
>システム管理者1号様、まだ、まだ初日ですが居心地は良さそうです。自宅からこたつなんぞ持参してもよいでしょうか? / 夢楽堂 ( 2000-12-04 16:15 )
いらっしゃいませ、夢楽堂様。システム管理者です。どうぞよろしくお願いします。 / システム管理者1号 ( 2000-12-04 13:15 )
夢楽堂さんのあったかーいお心に感動のつっこみを!ウルウル。「おめでとうございます。」の言葉に替えて感謝を。 ローガンさんは大丈夫でしょうか? / kさんことkiki ( 2000-12-04 12:08 )
おめでとうござい!まともなコメントでつっこみじゃなくてごめんなさい。 / りゃん ( 2000-12-04 11:23 )
早速のお引越しおめでとうございます。私もここにも何か・・・って構想をあたためること半年・・。いまだ決意せずです。ネコの写真はあちらに? / okka ( 2000-12-04 10:26 )
おいおい三日坊主になるなよ / 夢楽堂 ( 2000-12-04 10:23 )

2000-11-23 猫と鰹節(老職人異聞@)

僕の大好きな老職人から聞いた話だ。
 日本人がまだ、やっと飯を食うことができるようになった時の話である。
 ぼくたちの生活水準は終戦と比べるとかなり良くはなったが、猫たちは時代が変わっても人間の生活に翻弄されている。
春は猫にとって恋の季節だ。騒々しい恋愛遊戯の果てに、数ヵ月も経つと、新たな命がこの世に出てくる。
 困るのが人間さまで、一昔前にはあちらこちらで「子猫差し上げます」といった張り紙が、あちこちに登場してくる。大概の場合、子猫を欲しがるのは子供で、飼い主も気軽に猫を預ける。でも、多くの場合、親の「どこからもらってきたの、返してらっしゃい」の一言で戻ってくることが多い。その点、大人が「子猫をください」というのは大助かりで、まさにもらっていただくという気持ちに飼い主にさせる。
  ただし、他人様に子猫をもらっていただくには、それなりの作法があった。それは養育費代わりにかつおぶしを2本、「里親」に持たせる習慣だ。終戦直後なんて、モノが不足している時代、かつおぶしなんか満足に使わなかった時代だ。そんな時のかつおぶし2本は高価だが、育てていただく里親に対する礼儀、飼い主としてのけじめでもあった。 時には、お大尽の家でも「子猫差し上げます」という張り紙が出ていて、そこではそれなりのお金を里親にさし上げていたという。
 老職人の同僚は、恋愛遊戯のない決算期になると、「子猫あげます」の張り紙を求めて、街中のありとあらゆる場所を自転車で散策した。その理由は、明な皆さんなら既に答えが出ているはずだ。同僚の狙いはかつおぶしと謝礼、いかにも猫好きの風を装い、飼い主からせしめた子猫を懐にいれて、ニコニコしながら再び自転車にまたがったという。
 もと同僚がニコニコしたのは、かつおぶしが乾物屋で換金できるため。「子猫あげます」という張り紙が多いほど、懐は温かくなったのだ。子猫は所詮、かつおぶしの餌。もらった子猫は、元の飼い主から少し離れた公園とか、橋のたもとに置き去りにしたらしい。
 元同僚は「三味線の皮になるよりはいいだろう。割のいい季節仕事さ」とうそぶいていたという。 貧しい時代の生きる知恵が「猫とかつおぶし」だが、すぐに捨てられた多くの子猫たちはどのような境遇を送ったのだろうか。案外、自分も自分の子も決して捨てられることのない環境で、猫らしい生活を送っているかも知れない。

先頭 表紙

2000-10-20 清く正しいフェチ道(新聞探訪@)

さてさて、夢楽堂は職業柄全国紙と業界紙に毎日目を通すが、大好きなのはベタ記事というやつ。せいぜい10数行くらいしか書いていないのだが、それが世相を現しているというか、何かを考えさせてくれるというか、とにかくボクの感情を刺激してくれるのだ。
 さてさて、前置きはこれくらい。19日の日経朝刊のネタだ。

 見出しは忘れたから、ボク流に書くと“ハイヒール路上強御用”というネタである。
 話しは簡単、
 馬鹿な男が若い女性に履いているハイヒールを脱がせて強奪しようとした事件だ。
 数ヶ月前に女子高校生から穿いているパンツを脱がせて御用になったタワケ者がいたが、今度はハイヒールである。
 思えば、少し度胸はいるが、
 今の世の中、女性のパンツだろうが
 SM位マニア垂涎のピンのハイヒールだろうが
 カネさえ出せば堂々と売ってくれる。
 度胸がないのなら
 マニア専門の店で買うことができる。
 
 しかし、それではフェチ心を満足することができないのだろう。
 軒先につるしてあるパンツやブラを盗み
 玄関先から靴をかっぱらう。
 これだと絶世のブス(?)や老婆が身につけていたかもしれない。 そう思ったのだろうか。
 直接、身につけている女性から強奪して
 フェチ心を満足させているんだろうが
 人を脅したり傷つけては
 清く正しいフェチ道に反することを進言したい。
 
 フェチ野郎、フェチ姉ちゃんが1000人いれば
 1000人のフェチ心があるんだろうけれど
 理解できなくて当たり前だし
 無理に理解せず
 この変態めとののしってあげましょう。
 理解してあげるなんて寛大な心をみせたら
 ガーター付きの女性用下着をつけた野郎どもが
 ハイヒールを掃いて街を闊歩する。
 これは美観を損ねるのは間違いないからね。

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2000-09-20 うにうに第3種接近遭遇(塩辛始末記A)

Sのわがままな呼び出しに応じた理由は、もう一つあった。
 それは大好きなウニをたらふく食わせてくれるとSが約束したからだ。
 今でこそウニは大好物だが、実は28歳まで食べることができなかった。ウニのグジュグジュした感じと、あの独特の匂いが嫌だったのである。一生食うまいと思っていた。しかし、運命の日はきた。社会人になって、某社の社長に寿司をご馳走になって、その時に「ここのウニは最高だから…」と、勝手にウニを注文されてしまったのだ。
 相手は最高のウニといっている。しかも相手は得意先の社長だ。いまさら、ウニは食えません。一生食わないことにしている。そんなセリフが吐けるわけがない。ここは正念を据えて玉砕だ。一気にウニがたっぷり乗った軍艦を口のなかに放り込んだ。最高にうまかった。甘かった。ボクが20数年間抱きつづけてきたウニのイメージが吹っ飛んだ。某社長はボクのウニの食いっぷりを見て、何度も何度も注文してくれた。
 そんなことを思い出しながら、Sに催促をした。
 「烏賊も美味かったけどウニはどうした。早く食わせろ」
 そういうとSもすかさず悪態をつき始めた。
 「おめえ、昔はあんなウンコみてたいぇなものが食えるかと言ってたじゃねぇか。変われば変わるもんだよな」
 「うるせぇな、ごちゃごちゃ言わないで、20世紀最高のウンコとやらを食わせろ。ちょっと下痢気味な姿がいかしてるな」
 そのような汚い会話にあきれながら、Sの女房が提案をしてきた。
 「ねぇねぇ、どのウニがどこの産地か当てっこしない? これが北海道で、あれが三陸物、そして、これが三浦のやつね」
 色を見ればどこのウニか一目瞭然だった。北海道物は少し赤みがかかっていたし、三陸物は黄色が強く、三浦物は少し黒味がかっていた。これではつまらない。ボクは産地あてゲームに新たな提案をした。
 「目隠しをしないと、どこの産地が見え見えだな。どうだろう。目隠しをしたボクとSにA子さんがア〜ンしてくれるというのは」
 ボクの提案にSは更に付け加えた。
 「バ〜カ、勝負するからには何か賭けないとな。どうだ、好きなCD1枚ということで?」
 無論、ボクは依存なかった。
 9月13日、午後10時30分、20世紀最後の大勝負が始ろうとしていた。
 窓から月はもう見えなくなっていた。
 (続く)

先頭 表紙

2000-09-20 ハンディキャップで思うこと

ボクの仲間に手話通訳士がいる。もう25年来の付合いで、かなり気心も知れている。
 彼女は、自分が住んでいる街で一般市民の人たちに手話講習のボランティアをしているが、一昨年からスチュワーデスやホテルマンを育成する専門学校、更に大学でも一般教養としての手話を教えるようになった。時には、保険の契約、婚姻書類の提出、離婚裁判、スキースクールなどに、付き添いで出向いたりもする。聾唖者と彼女のホットラインはファックスかメールだが、これに目を通して、返事を書いていると眠りに就くのは明け方になってしまう。多分、彼女のようなハンディキャッパーを支援する人たちはたくさんいるんだろう。でも、悲しいことに、数少ない善意の人たちに随分と負担がかかっていることをボクたちはほとんど知らない。
 誰でも歳をとると、視力や聴力が弱くなる。中には目が見えなくなったり、耳が聴こえなくなってしまったりする人もいる。また、ある日突然、朝までピンピンしていた人が事故や病気で、その日のうちに手足を失ったり、視力や聴力を失うこともある。ハンディキャッパーになる確率は、ボクたちが思っているより、ずっとずっと高いのだ。そのようにみると、ハンディキャッパーに対する援護体制だけでなく、ハンディキャッパーを支える善意の人たちを勇気づける強力なシステムが必要なのだと思う。
 「バリアフリー」、「ハンディキャッパー支援」、サービス業や公共団体で最近よく聞かれる「単語」だ。段差をなくす、車椅子を用意する、エレベーター内の低い場所にも昇降ボタンをつける、エレベーター内の側壁に鏡をつける、手話のできる人を雇用する、トイレを洋式にする、点字ブロックをつける…、いろいろなことが試みられている。なかにはハンディキャッパーにも優しい設備であることを強調するホテルなども出てきた。良いことだと思う。でも、多くの場合は形だけなのだ。
 たとえば、エレベーター内の低い場所に昇降ボタンをつけても点字ボタンがついていないとか、鏡をつけても後だけ、段差がないのは建物の出入り口だけで中は段差だらけ…という具合で、どこか間の抜けたものになっている。なぜ、そうなるか。これは、設計、建築の段階で、実際にその設備を利用するハンディキャッパーを参画させていないからだ。この件に関しては、まだまだ言いたいことがある。続きは後日ということで…。

先頭 表紙

2000-09-19 溜息攻撃にうんざり(シロクマ紀行異聞B)

◇一人旅の場合、ゴールデン・ウィーク、お盆休み、年末年始など明らかに混雑する時期を除いては、断然、自由席を選択すべし…という思いを強くした。また、九州なら、飛行機を上手に利用という手があることも知った。鹿児島から博多まで特急つばめで約4時間、飛行機は鹿児島空港まで40分ほどかかるがリムジンで空港まで1時間、飛行機だと福岡まで2時間しかかからない。肝心の運賃は割引チケットを求めれば飛行機の方が安いくらいだ。九州を旅する時は、博多を基点にすれば、宮崎、鹿児島くらいなら日帰り旅行が楽しめる。
◇列車は車窓からの風景を楽しめるし、気軽に飲食できる良さがある。ご当地のつまみを片手に缶ビールなんて芸当もできるだろう。しかし、長時間座っているのはしんどいし、まして、隣に座って欲しくない輩が座ったりした場合は最悪だ。
◇自由席が空いていると知りながら、指定席を取ったのが不幸の始まりだった。座席番号は忘れもしない17−C、通路側までは良かったが、ドアのまん前、次の車両がビュッフェということもあって、ひっきりなしにドアが開いたり閉まったり、時には女性がかついだバッグが顔をかすめていく。これも、「まあ、ついてねぇや」で済ますことができた。
◇しかし、問題は隣の座席の若者だった。この若者はつばめが発車するぎりぎりの時間に飛び込んできた。荷物をたくさん抱え、汗だくだく、傘を片手に持ちながら、荷物を棚に押し込む。傘がボクの目の前を往復する。危ないから傘を取り上げて、若者の座席に無理やり置いた。不幸はボクだけでなく若者にも降りかかった。推定体重150キロの若者は席に座るのが大仕事だったのだ。座るというより席にはまっている姿は、外野から見れば滑稽かも知れないが、本人はどんなにしんどかったことか。汗を噴き出しながら溜息が始まった。誰のせいでもない、自由席を選択すれば一人で二人分の座席を確保できただろうに、これほど狭い席に押し込められようとは…。そんな思いが溜息になって表れたのだと思う。
◇確かに可哀相だし、同情もする。しかし、実は余所様の溜息が塩辛並に大嫌いなのである。子供の頃から溜息をつくと、他人の気持ちまで暗くさせるとの理由で親父から殴られた。このせいではなかろうが溜息は大嫌いなのだ。実は、この溜息は博多まで延々4時間も続いた。あと1時間、溜息攻撃にあっていたら、まじ切れしていたかもしれない。

先頭 表紙

2000-09-18 一本の電話(塩辛始末記@)

 一生の不覚だった。多分、2000年9月14日は夢楽堂の短い歴史の中で忌み嫌われる日として記憶されるのではないか。ボクにとって、9月13日はそれほど酷い日だったのだ。
 それは一本の電話から始まった。高校時代の悪友Sからだった。
 「いま、福生にきてるんだけどさ、割烹料理のMにこないか。女房も一緒なんだよ。あいつ、お前にも会いたがっているしさ。そうそう、お前、鹿児島で焼酎買ってきたはずだよな。忘れずに持ってこいよ」
 Sはボクに何もいわせずに電話を切った。最近、いうだけいって電話を切る若者が増えているとテレビで特集していたが、差し詰め、Sは“ぶち切り”の元祖だ。
 Sの勝手きままな誘いなら無視したと思うが、あいつの女房が一緒なら断れない。紺の作務衣に着替えて、割烹料理屋のMまで、雪駄を引き摺りながら歩いていった。ただ、焼酎はノンベ達に胃のなかにすっかり消えてなかったが…。
 Mの暖簾をくぐろうとすると、Sとその女房、そして板前の笑い声が聞こえてきた。Sの人を嘲笑するような笑い声は飽きるほど聞かされたが、あいつの女房の笑い声は初めてだった。何だか、口の中で鈴が転がるような声でとてもくすぐったかったが、Sたちが笑っていた理由は分からなかった。
 板前がボクの顔を認めると喜色満面に笑みをたたえて話し始めた。
 「Mさん、新鮮で美味い烏賊をSさんが持ってきたんですよ。どうです、今日は烏賊づくしで…」
 その言葉に続いてSがとぼけた表情で大声で板前に言った。
 「板さん、こいつ塩辛が大好きなんで、腰を抜かすほど作ってやってよ」その言葉を彼女がさえぎった。
 「嘘よ、嘘よ。塩辛なんて食べさせてごらんなさい。そんなことしたら…」
 「そう、そんなことしてみろ。おまえも板さんも簀巻にして、うんこが流れている多摩川に放り込むぞ」
 塩辛、大の苦手だ。兄貴が自分のご飯茶碗に塩辛を入れた入れないで、子供の頃に卓袱台をひっくり返したこともあった。喧嘩両成敗とやらで門押し物置に閉じ込められたこともある。理由はない。とにかく嫌なのだ。大嫌いなのだ。
 それはともかく、高校時代の行状やビートルズ談義、同級生だった仲間のリストラ話など厳しい話を交えながら、しばらく談笑していた。
 外を眺めると真ん丸い月が空に浮かんでいた。
 その時は我が人生最大級の悲劇が起こるとは思いもしなかった。 (続く) 

先頭 表紙

2000-09-05 焼酎が危ない(シロクマ紀行異聞@)

★まだ北海道ゴム長ツアーが完了していないのに申し訳ない。まだ、記憶が新しいうちに九州シロクマツアー異聞とやらを始めよう。ここではシロクマには触れない。その代わり、シロクマ以外の随想を語ることにしよう。
★夢楽堂が鹿児島に出掛けると聞きつけて、「これぞ芋焼酎!!」という焼酎を買ってきて欲しい、と前の会社で同僚だった後輩に頼まれた。酒屋では入りにくく、プレミアムをいつけて売られている森伊蔵も飲んだが、スマートすぎて後輩の舌には合わなかったらしい。ラベルやネーミング、ボトルで見るように、焼酎がだんだんと“Syoutyuhu”に近くなってきた。芋の匂いが抑えてある。「これでは何が薩摩焼酎だ、伝統の味を飲ませろ」というのが後輩の言い分だ。
★でも頼む相手が悪すぎる。夢楽堂は天然記念物並の下戸なのだ。日本酒の味くらいは何となく分かっているつもりだが、焼酎の味は皆目分からない。だから、酒飲みの集まっていそうな誠総研の掲示板にお願いを出したりもした。結局、返答にあった焼酎は見当たらず、空港の焼酎コーナーでいろいろ聞いて、後輩に送ったが、まだその味がどうか聞いていない。
★空港で焼酎を送っても心残りだった。だから、知覧から鹿児島へタクシーで向かう途中、ドライバーにお勧めの焼酎をご伝授願おうと話し掛けた。ドライバーはお勧めの焼酎の名をいう前に「・飲・み・た・く・ない」焼酎メーカーの名を挙げ始めた。焼酎メーカーはもともと中小メーカーが多く、余分なものは作らなかったらしい。ところが、大手は折からの焼酎ブームに乗って、売るべきものが不足しがちというのが実態だ。そこで、大手メーカーは中小メーカーから甕ごと買い付けるのだが、大きな問題が起こってくる。それは大手が製造した製品に、中小が作った焼酎を混ぜるから、どうしても●摩●波とかの東京人でも知っている焼酎の味が均一にならないということだ。美味いときは美味いが、その逆になったら最悪だ。飲むたびに味が違ってはたまったものではでない、というのがタクシードライバーの言い分だ。だから、飲むなら地焼酎を飲むのが一番で、彼は知覧の隣町・加世田で作っている焼酎しか飲まないと言う。もう一つ、気に入らないことは年々いも焼酎の味が変えられていることだ(続く)。

先頭 表紙

2000-09-05 もどきが本物に化ける(シロクマ紀行異聞A)

★焼酎の味が変わった。この理由の一つは、折からの焼酎ブームの影響を受けてで、大手メーカーはビジネスチャンスとばかりに、より売れる戦略を立ててきたからだ。大手メーカーの能書きには、「都会人の味に合うように芋の味を抑えて飲みやすくした薩摩焼酎」なんて書いてある。そういえば、非常に聞こえが良いが、より多くの利益を確保するために焼酎の味を変えたのだ。いやはや、なんともため息が出てしまう。薩摩焼酎の薩摩焼酎たる所以は、あの芋の匂いなのに…。都会人の嗜好に合わせた焼酎は、薩摩焼酎ではなく、芋が原料の薩摩焼酎風味の焼酎に過ぎないのだ。都会人は味が変えられたとも知らずに、薩摩焼酎もどきを薩摩焼酎と信じてしまう。これはある種の詐欺罪というものだ。薩摩っぽという言葉がまだ残り、薩摩焼酎という名をつけている以上は意地でも後輩が望んだ「本格芋摩焼酎」を追求して欲しい。本物で勝負する、これが薩摩っぽのど根性というものだ。子供の頃から焼酎を楽しんでいるタクシー・ドライバーは、年々、焼酎が焼酎らしくなくなっていると嘆いている。でも、ボクには単なる嘆きとは思えない。大げさにいえば、食文化に対する一種の抗議にも聞こえる。
★東京にいると「…もどき」を多く食わせられる。「…もどき」を挙げていたら、それだけで、この日記の1000字以内という制約に引っかかってしまうので、典型的な例を挙げる。これは博多ラーメンだ。東京に約20年前に博多ラーメンのチェーン「●ちゃん」が築地と渋谷に旗揚げをした。築地で最初に食べた博多ラーメンは福岡で食べたものと味はほとんど変わらず、思わず笑みが浮かんできた。何でもオープニングは食材、スタッフともども博多からやってきたそうで、本物に近い味が楽しめた。ところがどうだろう。渋谷の店に行ったらスープの味が明らかに変わっている。明太子、高菜、紅生姜入れ放題、その文句につられて、若者がたくさん集まってきたが、博多ラーメン風の単なる塩ラーメンに過ぎなかった。何年か経って、築地の「●ちゃん」を含めて、今は博多ラーメンが博多風東京ラーメンに成り下がった。福岡で博多ラーメンを食うと、東京の博多もどきラーメンが食えないという。それを知っていたら、東京でもまともな博多ラーメンを作ると思うのだが…。

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2000-08-28 農家をダメにする補助金(北海道ゴム長ツアーB

■2000/08/28 (月◇北海道の畑を20数年見ているが、稲作が少ない十勝地方はともかく、最近、農作物の質が落ちているような気がする。特に、十勝地方から上川にバスで移動したりすると、あきれるほど上川の農作物が貧弱に見える。この一番の原因は何か、それは稲作転換畑に対する補助金政策が農政の中心になっているからだ。たとえば、北海道の稲作地帯である上川支庁の稲作減反目標は水田の35%になっている。ここに小麦ないしは大豆を作付すると10アール当り最高7万3000円の補助金が給付される。豆類やビート(甜菜)でも最高4万3000円が給付される。とりあえず、種さえ撒けば、相応の補助金を手にすることができるシステムだ。
◇農協の職員が嘆いていたのは「何もしなくても転作しさえすれば、補助金がもらえるので、農家が良い農作物を作ろうとする意識に欠けている。これでは農業がダメになる」ということだった。今年、政府は小麦と大豆の自給率アップを促すために補助金をアップしているが、農家の中には補助金目当てに大豆と小麦を作付する輩が少なくない。補助金だけが目当てだから、多少畑が荒れていても放り離し、それでも補助金という保険が効いている。だから、一部の不心得な農家はろくすっぽ畑地の面倒も見ずに、雑草を抜くことすらしない。これで質の良い農作物が作れるのか。『悪貨は良貨を駆逐する』という格言があるが、質の悪い農産物が市場に出回れば価格が下落して、まじめに農業に従事している農家のやる気を削ぐことになりかねない。
◇確かに、農家の生産意欲を刺激するのに、補助金政策は必要な手段ではあるが、良い農作物を育てる意欲のない者にまで一律の補助金を与えるのは感心しない。そもそも、行き過ぎた補助金政策は農家に乞食根性を植え付け、農家自身の競争力を弱めるものだ。端的にいえば、異常気象が起こった年以外は不要だと思っている。日本の農業が危機に!!、そう叫んでも農家の質を悪くするだけの農政、今は質を高めるための何か、思想が必要なのだと思う。

先頭 表紙


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