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読書日乗/閑人編

茨城県民の読書日乗
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2004-02-07 ポティロンの森
2004-02-06 ようやく金曜日
2004-02-05 人生が二度あれば
2004-02-04 「鳥」デュ・モーリア 創元推理文庫
2004-02-03 眺めのよい場所
2004-02-02 出足WARU
2004-02-01 東京タワー
2004-01-31 MP3
2004-01-30 あと11ヶ月
2004-01-29 「日本の面影」ハーン 角川文庫


2004-02-07 ポティロンの森

久しぶりにポティロンの森へ行く。
寒いので、お客さんもかぎりなく少ない。
息子が変わりもの自転車に乗りたいというので、四人乗りとか飛びバネ式とかいくつか
乗り回す。
そのうち娘が三輪車で転んでおお泣き。
体を動かしてないと寒いので、おべんとうを食べ、草々に退却。
春はまだまだですな。

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2004-02-06 ようやく金曜日

今週は果てしなく長かかったが、ようやく終わった。
早く家にも帰れたし、かみさんとも会話できたし、まあ終わってみれば全て良し、とい
うのは日本人だからねえ。
かみさんによると深夜にガス漏れ探知機が鳴っていたというお隣りのお年寄りの家にも
明かりが点いていたのでひと安心。
明日はきっといい休日になるでしょう。

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2004-02-05 人生が二度あれば

仕事がトラブル続きのせいか、頭の中でなぜか井上陽水の声が駆け巡っている。
「人生が二度あれば」というフレーズが頭から離れなくなる。
この歌は若者が年老いた両親を独善的に眺めているナルシス的な歌詞で鼻に付くのだけ
れど、陽水の声はそんな些細なことは無意味にしてしまうぐらいに枯れているのがいい
と思う。
人生が二度もあったら面倒だとは思いつつ、酒がセンチメンタルを増長させていく。
帰りの電車のボックス席で飲むビールはそんなもんだ。

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2004-02-04 「鳥」デュ・モーリア 創元推理文庫

今日もデータセンターで仕事。
トラブル続きでめげてしまう。
帰りの電車の中でデュ・モーリアを読み終わり、多少鬱ぎみになる。
ほんとは休肝日のはずなのだが、コンビニでビールを買って帰る。

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2004-02-03 眺めのよい場所

某データセンターでインフラ構築の仕事。
東京の真ん中の高層ビルでそこから眺める景色は東京タワーよりもいいぐらい。
下界を眺めながらぼけっとしていられればいいのだが、当然そうはいかず、夜遅くまで
仕事漬け。
早く帰りたいのになあ。

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2004-02-02 出足WARU

いきなりあれやこれやとトラブルが続いた月曜日でした。
何が悪いのかわからないが、事は連鎖反応を見せていく。
偶然と必然というはほんと、我が身に起きる場合にはまったく同じ事である。

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2004-02-01 東京タワー

相模の教会に行ったあと、東京タワーへいく。
息子の方が行きたくてたまらなかったようなので、リクエストに答えたのである。
さて思ったより混んでいて今時このレトロといっていい観光名所に大勢お客が入るとは想像してませんでした。
子供たちはけっこう喜んではいたが、それはそれ。
5分もたつと、もう帰ろうとか言う。
中に入ってもただ景色を見るだけだもんね。
やはり東京タワーは外から眺めることに価値があるというのはよくわかっているのだな。

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2004-01-31 MP3

休みということで、今ごろになってMP3というファイルをパソコン作ってPDAで聞いてみた。
やはり音がいいですな。
若い人がipodとか買うわけだ。
とりあえずヤードバーズとかをCDから落としてみる。
待時間とかに聞くにはちょうどいいかも。

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2004-01-30 あと11ヶ月

などと考えると一年というものはしごく早い。
今進めている仕事だってあと、3ヶ月で終わらせないといけないし。
嫌なことが多いから月日が過ぎるのが早いのはいいけれど、その分身に馴染む日々がど
んどん失われているのだ。
なにが悲しくて唐の詩人は酒を飲んだのか。
若い頃私は世界の不明について彼らは思い悩んでいたのだと想像していたのだけれど、
実はそれよりも骨身を通るすきま風に悲しんでいたのだと、今は思う。

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2004-01-29 「日本の面影」ハーン 角川文庫

明治期の日本というのは私にとっては異国のようなものだ。
ハーンにしても漱石にしても、彼らが描く日本はいまと繋がっているのだけれど、その
感触がまるで違う。
それは文化の変容といったものも大きいけれど、自然の変化も大きいのではないか。
温暖化現象がそうさせたのか、例えば四季の変化といったものはハーンがこの本で描い
ているような細やかさが、今の日本では見当たらないのだ。
それはきっと科学的に空気の成分が今とは違うとか、きっと証明できるようなはっきり
としたものなのだろうと思う。

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