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み・ぽぽぽぽぽ

ときどきおもったことをかいています

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2007-05-23 NYを日本から・独裁的って
2007-05-23 うらやましい・心に留めるべきは・やりたいこと
2007-05-20 最後の日
2007-05-18 Commencement
2007-05-09 40にして惑わず
2007-05-08 オワタ
2007-05-07 あなたがソレを言う権利
2007-05-06 あと一章・・・
2007-05-06 ハビトゥス
2007-05-06 金を使うのに理由を求める金持ち達


2007-05-23 NYを日本から・独裁的って

目覚ましテレビとかで、ニューヨークのトレンドを伝える
コーナーがあると、なんか自分のまちがうつされる感じになる。
変な感じ。
あれー、ここ、つい前とおったよ、あーでももう私日本にいるんだっけ・・・。
やっぱもう一度行きたい街。

どうでもいいけど、こうやってNYを日本から眺めてみると、
NYというのはどうもブランディングが上手すぎるような気がしてならない。
一昔なんて、犯罪の温床とかよばれてたのに、なにこの変わり身。
市長の手腕がよかったんだね・・・。
NYがどのような街たるべきか定めてそれの実現のための努力をストイックに
行うところが。
これぞどっかの用語でいうブランディング・・・。

都市や国のブランディング、それに関しての優れたリーダーがいるからこそ。

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2007-05-23 うらやましい・心に留めるべきは・やりたいこと

「うらやましいなあ、彼。
 ぶつかって、のりこえるための壁がまだあるんだから」

ドラマのバンビーノとかいうのを流しで見てたんだけどさ。
書き留めておきたいセリフが・・・。
乗り越える壁があることは幸せってことだ。
発展する余地がまだまだある自分は幸せってことだ。



自分は凡人なので、当たり前のことを当たり前にやるのが大事。

早く起きる、とか
約束の時間に遅れない、とか
当たり前のことを・・・。

やりたいことや達成したいことがあるなら
それに向かって「実際に」努力か行動するべきだ。

自分はなんでもできる天才じゃない。

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2007-05-20 最後の日

数時間後にはNYを発ってる。

何回か一時帰国したときと違うのは、

モノの気配が消えた部屋。



人生のなかで一番いろんな人とであった一年だった。
人生のなかで一番本を読んだ一年だった。
人生のなかで一番人生をみつめようとした一年だった。




トランクと、部屋の住所が書かれた紙切れを持ってひとり頼りなく空港に降りた
一年前の自分はつい最近通り過ぎたような気がする

生きるのに必死で時間を意識に入れない日々だった気がする

それだけ、思い出しきれない程いろんなものを聞いて、見て、感じて、
その分の必死さが時計の針を早めていた気がする

人生のなかで一番はやい一年だった。

早足のNY時間。
それだけであう人々は多くなり、
聞く言葉は多くなり、
発する言葉も多くなり、
その後ろに隠れるおもいも抱えきれないほどになり、


人生のなかで一番密度の高い一年だった。



今このとき、時計は時を刻むその速度を、自分のために遅めてくれるかのように
この時間でもまだ外は薄暗い。




NYにいた自分を「思い出」と「経験」にしながら、

朝になったら、リセットして

新しい生活だ。

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2007-05-18 Commencement

青いガウンを着た卒業生が、列を成して広場にあつまってくる
すごい人

こんな沢山の人、この学校で見たことない。


五月にしては暑い日で、青色のガウンで見てるほうが涼しくなる
着てる方にしては暑いだろうけど。


私は、

この学校のバックグラウンドも文化も肌の色も国も受け入れるリベラルな空気が好きだった。

学長までもがユーモアセンスある楽しい空気が好きだった。

学部の名前が呼ばれるたびに、騒いではしゃぎまくる人が集まる空気が好きだった。

アメリカの未来を担うために図書館に深夜までこもる真面目な生徒が集まる空気が好きだった。

真面目に、自由に、陽気に、そんなインテリジェンスが集まる空気が大好きだった。



「また将来、自らの道を振り返りに、自ら得たものを後輩に残すために、
そしてまた自ら刺激を受けに、コロンビアに戻ってきてくれることを祈っています」



その瞬間、皆が帽子をそらに投げた。





私は投げる帽子がなかったけど、将来は、アメリカかどこかで、
今度はちゃんとしたディグリーを取り、
青空の下でガウンを着て笑う日がくるだろうと
皆の笑い声と歓声が響く空を見て思った



2006/9/5-2007/5/16
As a visiting student at Columbia University in the city of New York.

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2007-05-09 40にして惑わず

どっかの会社のウェブページでこんな文章を見つけた。

人は40にもなると、迷うことがなくなる。
でも、それは人として個が固まり、人生のビジョンが
確固となったというわけではない。
ただたんに、選択肢がなくなるから、迷うことがなくなるのだ。


まだまだ迷いで苦しむ余地がある自分は幸せなんだな。

この文章から思ったんだけど、人生は様々な枝に分かれる
三角形の木のようなイメージが頭にうかぶ。

生まれたときの人生の選択肢って、それこそ無数にあるけど
としを取るにつれて、選択肢が一つ二つってなくなってく。

人生って皮肉なもんで選択っていう言葉を意識できるようになるころ、
もう昔ほど選べる選択肢がなくなってたりする。


でもさ
もしかしたら本当は違うのかもしれない。選択肢を削ってるのは
自分自身で、選択肢は作ろうと思えばつくれるものなんじゃないかなって
ふと思ってみた。

40になっても、選択肢を作れるような意識があったらいいな。

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2007-05-08 オワタ

論文、全部おわってるー!

これは爽快。あと2つのテストでこの学期はおわりだ。

昨日は友人とメッセをして

政治では、リアルに群集ができると彼らはアホ化する
ウェブでは、人が集まるとコンテンツが生まれる(wikiとかニコニコとか)

その違いは何かとかいうことをだらりだらりと話してた気がする。
メッセ相手の彼女はコンテンツ事業部なんて萌えな部がある某商社に内定が
きまってるらしいからコンテンツ事業部萌えだよねとかいってみたら、
私エネルギーに興味あるからとか一蹴された。


帰国後はその子ふくむ研究会のみなさんと私の新居でアニメ鑑賞会の予定。

なぜか衝動買いした亀山モデル液晶テレビと
ムダに質のよいスピーカー

があるので臨場感は保証つきニダ

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2007-05-07 あなたがソレを言う権利

言論の自由とかいうのが個人的にとっても苦手

権利として受け入れるが、
自分の信条と反する発言は廃したくなるというこの矛盾を
感じるのが苦手だ。



あなたがゲイマリッジに反対する理由


あなたが日本が嫌いな理由


それらの意見を「発する」権利を認めること。

言論の自由は保障されるべきというスタンスは評価するべきだけど、
その環境を受け入れるのがとても難しい。

多様な意見を受け入れるということは不可能に近い。
自分の信じることに反する意見を「言われる」ということ自体が受け入れがたい場合、
自分の中で精神的「暴力」と受けとるような言動を発される場合、

言論の自由とは自分の中で呪うべき権利となる。


言論の自由は保障されるべき。
しかし、言論の自由が保障される限り、言葉の暴力がなくなることはない。

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2007-05-06 あと一章・・・

マルクスとウェーバーについて書けばこの最後の論文も終わりだけど、今日は何分朝から両親とゴスペル鑑賞・・・。3時間くらいは寝たい。

エヴァの劇場版の挿入歌で、

「甘き死よ、来たれ」

とかいうのがあります。(youtubeにあるよ)
それをずっときいてるんだけど、キレイなメロディラインのわりに歌詞が超鬱なんですよ。ああ、自分はなんて世界の中のちっぽけなミジンコレベルなんだと思いながら労働とか搾取とか資本とか共産主義とか読んでは書いていたわけです。

鬱だ氏のう

みたいな気分になります。でも止められない中毒性・・・。というのもやっぱ中学の多感な(笑)登校拒否時代に何回もきいてたからかなー。

エニアグラムしてもらった心理学者が言ってたなあ。私は自分の周りの環境やシチュエーション、自分自身の置かれているポジションを的確に読み取ってるのにソレを自分自身の行動や言動や感情に反映できないから余計苦しんでウツになるほうだとか、そんなこと〜

それなんて碇シンジ?

みたいなorz
私の精神年齢いまだ中2かよみたいな。だから中学のころとか普通にそのとき聞いてた音楽を流すだけでリアルに思い出せるのかもわからんね。

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2007-05-06 ハビトゥス

ブルデューの考えてることって、やっぱりNZにいたときから考えてることと一緒だった。

階級は再生産される。

NZの留学先は、あの小さな国の中で一番のお嬢様学校だった。石を投げると、「あ、私のグランパ、外務相なの」とか「私のダッド、政治家なの」とか「私のマム、会社やってるの」とかいうような子ばかりにあたるようなところだ。(それでも学費はこの大学の3分の一だった)

彼女らの習慣ってかけ離れてるんだってばさ。「乗馬が趣味」とか「バイオリンで市のオーケストラと・・・」とか「今度の海外旅行はどこに行く」とか。ソーシャルライフもサックサクとこなすもんで、私とってはみたことのない生活を送ってる子ばかりだった。

あの富裕層にいる子たちは、全く違う習慣を持っていて、それ自体が文化資本になって階級を固定させてる。それは脈々と子々孫々受け継がれていって、ひっくり返せば「私のマムもこの学校卒業なの」とかいうことになる。

マンガが読書でアニメ鑑賞が趣味の私とは何か違う階層にいるのが彼女らだった。日本の大学も、この今の留学先もカネモチが多いことでは有名だけど、NZでの留学先が一番カネモチ率がインテンスだった。

だから、NZにいたときにブルデューぶりっ子して社会を憂いていたのか。

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2007-05-06 金を使うのに理由を求める金持ち達

彼らは

ほしいものがほしいからお金を使う

使い方はしない。

むしろ、

自分のステータスをオブジェクト化した上で、それに見合う
買い物をするときが多い。

プリウスがカッコイイから買うのではなく、
プリウスの持つ環境的意味が、自分のステータスに
合致するか、それか、ステータスを飾る意味を持つから
買うのである。

ユニクロのシンプルさがいいと思って買うのではなく、
ユニクロの庶民的なアイコンを求めて、他人との
確執を抑える理由の上から買うのである。

エルメスのバッグがキレイだから買うのではなく、
そのバッグが社交の場でヴィトンよりもハナがつかなく
かつその場にふさわしいから、買うのである。




選択肢が増えるほどのお金を持つということは、
その自分の選択に理由をつける必要があるということ。

と思うと、富裕層向けの商品を作るのは
(ユニクロとかのさっきの例は別としてさ)、
大衆むけよりも簡単かもしれないかもわからんね。

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