ブルデューの考えてることって、やっぱりNZにいたときから考えてることと一緒だった。
階級は再生産される。
NZの留学先は、あの小さな国の中で一番のお嬢様学校だった。石を投げると、「あ、私のグランパ、外務相なの」とか「私のダッド、政治家なの」とか「私のマム、会社やってるの」とかいうような子ばかりにあたるようなところだ。(それでも学費はこの大学の3分の一だった)
彼女らの習慣ってかけ離れてるんだってばさ。「乗馬が趣味」とか「バイオリンで市のオーケストラと・・・」とか「今度の海外旅行はどこに行く」とか。ソーシャルライフもサックサクとこなすもんで、私とってはみたことのない生活を送ってる子ばかりだった。
あの富裕層にいる子たちは、全く違う習慣を持っていて、それ自体が文化資本になって階級を固定させてる。それは脈々と子々孫々受け継がれていって、ひっくり返せば「私のマムもこの学校卒業なの」とかいうことになる。
マンガが読書でアニメ鑑賞が趣味の私とは何か違う階層にいるのが彼女らだった。日本の大学も、この今の留学先もカネモチが多いことでは有名だけど、NZでの留学先が一番カネモチ率がインテンスだった。
だから、NZにいたときにブルデューぶりっ子して社会を憂いていたのか。 |