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み・ぽぽぽぽぽ

ときどきおもったことをかいています

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2006-10-05 地下の音色
2006-10-03 深夜の図書館
2006-10-03 トーキョーの曖昧さ
2006-09-26 初めて
2006-09-25 まあそれでも
2006-09-25 前進
2006-09-22 あーアメリカ、
2006-09-21 fishermen
2006-09-21 ポップカルチャーとハイカルチャーその2
2006-09-21 ポップカルチャーとハイカルチャーその1


2006-10-05 地下の音色

勉強に追われていると余裕が無くなる、のでスタディブレイクと称して友人とチャイナタウンに出向いて夕食を。

帰りの地下鉄の乗り換え駅であるタイムズスクエアに着いた。

ホームにチェロの音色が響いている。友人とその音の近くに寄った。アジア人の、微妙にヨーヨー・マに似ている風貌の男性が弦を震わせている。

彼、いい音だすね

そうやって弦の上で音を作り出している指を見つめていると、電車がホームに到着した。ここの電車の振動は暗いホームを騒音で包む。

チェロの音が聞こえなくなった。私たちは電車に乗り込む。

フと、ドアがしまりかける瞬間、彼の方をみた。電車の音はまだ低く響き続けている。チェロの音色がかき消され、誰もが耳をふさいでしまう中、彼は演奏をやめず、弦を見つめ続けている。

電車の騒音では作りえない、地下からの鼓動。それはNYCに明日を提供する。絶え間なく、時々トンネルからの騒音にかき消されながらも響く音。それはわざわざ騒音の元が近づいてくるホームから作り出される。それでも地の底から美しい音色はとめどなく流れ続け、やがてこの都市は朝を迎える。

このような都市で、街を作り出す鼓動が直接聞こえるようなこの都市で、勉強に追われて何も感じなくなったらおしまいだと、ホームから離れ、窓に映る暗闇を見ながら思う。あの音色はNYCに住む私にも明日を与えてくれた。

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2006-10-03 深夜の図書館

ここの学校の深夜の図書館は人であふれかえっている。

本を読み続け、集中力が切れる。

周りを見渡したときに同じ部屋の誰もが真剣に勉強している環境

どっと疲れがでる



この疲れは、私の将来に反映されるのだろうか。

東京と日本語が恋しい。ホームシックというまでもないけれども、今東京にいて、友達と日本語でくだらない話でもできたらとても落ち着くんだろうな、

と思った。

学校が始まって、1ヶ月がたとうとしている。

時がたつのは早い。いずれこんな疲れも気にならなくなるし、いつのまにか日本に帰ってたりするのだろう。


この図書館で感じた疲れは、日本にいる将来の自分への代償だと思えばいい。

日本に戻った彼氏からメールが来た。

「がんばってね」

と最後に励まされた。

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2006-10-03 トーキョーの曖昧さ

一年前の夏休み、私の誕生日だったかにロッポンギヒルズのTokyo city viewとかいう展望エリアで彼氏と一時間くらい、ぼーっと外をみていた。

それは夕方から夜に変わる時間で、街が薄暗くなり、ライトが目に余るくらいの主張を始めるときだった。東京は、この時間帯が一番好き。

居酒屋の看板が点灯する瞬間にはちあい、薄暗い中、渋滞の道路をノロノロ走る車にノロノロついてまわるライトを目で追う。昼と夜のグラデーションの真ん中。

それを上からずっと眺めていた。六本木通りの車の渋滞ははげしく、ライトが列になってゆらゆら動いていた。それを私はナウシカのオームの群れみたいだね、と例えてしまって、それを聞いた彼は、オレも同じことかんがえてた!とかいいながら笑っていた。

トーキョーとニューヨークは違う。昨日までここに滞在していた彼は、東京も飽きてきたし、ニューヨークに住みたいなという。私は逆に、ニューヨークに滞在すればするほど東京が恋しくなる。

ニューヨークみたいに画一的な道路の構造を持たない曲がりくねったトーキョーの道路。湿度に後押しされて現れるゆらゆらした空気と微妙な寒さ。そして、ニューヨークよりも一段と明るい東京の夜。

ニューヨークの夜は思ったほど主張をしない。タイムズスクエアみたいなどきつい広告が張り巡らされているエリアは別だけれども。夜になると繁華街の道は昼から一転して暗闇が広がる。

昼の終わりは、空が暗くなると同時に訪れてしまうのが分かるニューヨーク。The city never sleeps,確かに眠らないけれども、昼と夜の境目がハッキリしている。東京は、空が暗くなるかわりに、ライトが人を照らし続けてくれる。

東京の曖昧さが懐かしい。曲がりくねった道も、微妙な冬も、昼から夜に変わる瞬間が存在しない曖昧さも。

ニューヨークの街は全てがall or nothing,黒か白かで構成されている。ハッキリした美しさを持つ街なのだろう。対するハッキリしない美しさ、というものを持っている街があるとしたらそれは多分東京なんじゃないかと思う。

50階ほどの高さから見た車の渋滞は、時にはすす、と動き、時には全く動かなく見えて、不安定に動くライトが曖昧に残像を残していたのを覚えている。確かに私はそれに魅入られていた。

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2006-09-26 初めて

今日はじめて「シューカツ」みたいなことをした。
某外資系投資銀行の説明会だったけれども。日本でのリクルーティングだから、来た人はほぼ日本人なわけで。ていうか皆質問しない。はっ、ここは日本か。私はどうも「any question?」の後の沈黙が耐えられなくて三度も質問してしまったぞ・・・。「あのー、産休のときのあつかいってどうなんでしょー」とか質問してしまったぞ。

あ、でも産休とかって案外会社の、社員への扱いが垣間見れる気がする。結局、女性であり、出産を控えている人というのは会社にとってちょっと扱いづらい、というか会社にとっての一番の捨て駒になり得るから、彼女らへの扱いで働くのにいい環境か見えるような気がするんだよね。

この会社はえーっと、一年間の有給と、色んな手当てと、父親にも赤ちゃんが出来たときには有給が認められてるみたい。まだ他の会社を知らないからわかんないけれども、こんな一年間もいなかったらとっくの昔においてかれるーような業界で、職場復帰ができるようなサポート体制があるのはすごいんじゃないか?な?まあ、名前だけの体制で、実際は産休とれない雰囲気、とかだったらゲンナリだけど・・・

インベストメントバンクディビジョンには興味ないんすけどー、ヒューマンキャピタルリソースのディビジョンだったらちょっとは興味ありますーとか言ってみたら喜んでくれたので名刺をみたら、そのデパートメントのヴァイスプレジデントだった・・・。だからか。

日本語で人事部?なのか?けどここのヒューマンリソースのディビジョンはそれこそ、社員教育まで入っているみたい。トレーニングの部署があるんだって。こういうところが強ければ強いほど、会社の将来が望めると思う・・・。この某外資系投資銀行は、最近ヒューマンリソースディビジョンの脆弱さを改善するために、今年から特別な強化プログラムを敷いているらしい。この部署に入った人は2,3年間NYCの本社でみっちり人材教育とか人材発掘のノウハウを詰め込んでから、日本で働くということみたい。

どの会社でも、新人教育がその人材の将来を左右すると思う。となるとしいてはその会社の将来。モチベーションを継続して持たせたり、スキルを継続してアップデートさせたりするのはやっぱりはじめが肝心じゃないか?そうじゃない?だから、この投資銀行がヒューマンリソースに入った人の最初のキャリアをわざわざNYCの本社で始めさせるっていうのはチャレンジングだけど意味がある気がする。しかも人事部、案外将来にぎってる部署だし。彼らが凄ければ凄いほど、会社は将来もまー、安泰?みたいなカンジ?

というコトで、結局なんかやっぱりこの業界はハダに合わないのかもしれないなあ、と思いつつ、それでもこの投資銀行の将来は(話聞いた限りじゃ)明るい気がする、と感じた初めてのシューカツ。

あ、やっぱりこんどはどこをM&Aするんですか?とかいうのはこたえてくれなかったです。当たり前か。微妙に株をチェックしている身としては微妙に気になったのですが、やっぱり答えてくれないよねーていうか人事部だもんね・・・

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2006-09-25 まあそれでも

下のようなエントリを貼り付けてしまった後に言うのもなんだけど、あさってからは彼氏がこっちに来ます。そうだよ、冷や汗たらしながら投げ出したい思いと葛藤しながら大量のリーディングの中で足掻いていたのは、日曜日までいる彼にNY案内するためですよ、ああそうですよ。今週の負担を軽減するために予習の予習までしちゃう健気さ。

あ、でもNY案内ってっても、学校が超忙しかったので普通にNYを探索してませんでしたあ。多分ふたりで一緒に地球の歩き方でももちながらウロウロしてるんじゃないでしょうか。

絶望的に鬱になりかけた今日ですが、ムリヤリにでも復活しなければなにやら彼氏に申し訳ない気がします。ともかく、今週の勉強量は最小元に抑えるということで。

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2006-09-25 前進

Behold the turtle. He makes progress only when he sticks his neck out.
-James Bryant Conant

危険にさらされていたり、ギリギリの状態の時しか前進しないというのは当たっていると思う。

こちらに来ると忘れていた感覚がこみ上げてくるのが分かる。「自分の根本的な能力に対しての絶望感」のようなもの。

全く意味が理解できない教科書にあたってしまった。これが授業の基幹になっている。理解しなければ単位が来ない。でも、どうしても頭に内容が入らない。図書館でずっと粘ってみる。それでも結局仕切りに囲まれた机の上で途方にくれてしまった。他の授業のリーディングも山ほど残っている。

NZにいたときのように、会話などで冷や汗を流すことはほぼない。授業中での発言は、「皆気にしないんだから、はずかしがって汗かくだけ体内水分のムダ」と断言していた先輩にならって、気にならないようになってしまった。でも、書いたり、読んだりという学生生活の根本が脅かされると、どうしようもなく途方にくれてしまう。

このままこの授業で遅れをとって足掻いている間に他の授業にも手を付けられなくなってしまったら・・・?

こんな感覚。自分の能力の基本、コミュニケーション、インプット、アウトプット、それらを思うように操れないときに起こる途方もない不安。NZから日本に帰って、ずっと忘れていたこんな感覚。そうだ、私はNZにいたとき、夜中の3時まで泣きそうになりながらエッセイの何回目か分からない書き直しをしていたっけ・・・、手が動かないくらいの絶望感、それでも手を動かさなきゃならない焦燥感。

ああ、でも私はやはりこういう瞬間をある意味で望んでいたのかもしれない。日本にいるとこのような絶望感にさいなまれることは絶対ないからだ。これと真っ向から対峙するために、ここに来たんじゃなかったのか・・・

このようなときを乗り越えた後にしか、前進することはないと知っている。その後に何を得たのか知るのがずっとあとになろうが、それでも、前進を望んでいる。ソレ無しの人生はやっぱり面白くないということも知っている。

だからどうにかしなきゃいけないということは分かっている。どうにかしよう。

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2006-09-22 あーアメリカ、

ここにきてから三人のアメリカ人から「ミホコはアメリカ人っぽいよね」と言われた。

今日は、日本政治の授業で、敗戦からの10年を追ったドキュメンタリー映画を見た。GHQの前でたむろする売春婦、アメリカ人の軍人とチークダンスを踊る日本人女性。日本人の老女が映画の中でつぶやいた。

when i saw them, I was like, we really lost the war, didn't we,,,,,

「アメリカ人」


日本ではよく友人たちから「みすこんはちょっと日本の社会でやってけないかんじがする」と言われた。

「アメリカ人ぽいね」と言ったひとりの友人は、「ミホコ、正直に言えばどの国が住みやすい?」と聞いた。

私は、日本、日本だよと言った。私は日本に帰って、日本の大学を卒業して、願わくば日本にある会社に就職して、老後を穏やかに暮らすんだ、と返した。彼の目も見ずに。

私が帰るべきところは日本なんだよ、たとえ日本にいた皆から「日本じゃやってけないんじゃない?」といわれても。

自信を持ちながら、「アメリカって、いい国だろう?ミホコもそう思わない?」と言える彼ら。「アメリカナイズ」という言葉が映画の中で何回も流れた。敗戦から、何人の日本人が「日本って、いい国だろう?君もそう思わないかい」と言えただろうか。敗戦の大きな影は国への無関心。

一体何人の人が、日本という国をすばらしいものにしようとして汗を流しただろう。一体何人の人が、すばらしい国にするために、西洋の輸入を試みたのだろう。すばらしい国、「アメリカナイズ」なのか?膨らむアメリカへの複雑な関心、置き去りにされかける日本という国。

敗戦は、アメリカへの、虫眼鏡でしか見えないような小さな劣等感を残した。それに伴う大きな無関心。「アメリカ人ぽいね」「アメリカに住みたくない?」「アメリカって、いい国だろう?」

何をもって「日本人ぽくない」と彼らは言ったのだろうか。私は、こんなにも自分の国に根を張りたいと思っているのに。

国を思うひとほど、日本人ぽくない、ってことじゃないの?と友人は言った。それを聞いて、思った。無関心が日本人を象徴させるんだよ・・・。少し悲しくなった。

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2006-09-21 fishermen

一年前、文化人類学の研究会に所属していた(そうでなけりゃ「レヴィ・ストロース」なんて読まんわ)。ハーバードの博士課程を修了していて、あのジョセフ・ナイの弟子だったという先生で、なんか凄いんだかよく分からないけどともかく雰囲気はゆるいところだった。

モトカレシと別れた多分一週間後に研究会合宿があった。三浦半島のさきっぽにある合宿所。皆とお酒を飲んでくだらない雑談を朝になるまで続ければ、カレシと別れたときの憂鬱は一時的にでも飛んでいってしまう。みんな、眠らないでずっとお酒を飲みながら笑いあっている。「おー、みすこんカレシとわかれたのか?まじかー、つらいな、まあ飲もうぜ」みたいなノリ。

先輩が、提案した。「海いかねえ?」4時半。

皆で花火を持ち寄って海に向かう。徹夜したときの体が浮くようなだるさ。薄暗い早朝。夏の早朝は一番何か期待させてしまう湿気と藍色をしている。暑さは耐えがたいけれども、早朝に起きて、外を見たときの微妙な涼しさ。「このままこの一日が涼しいといいのに、空が高いまま、何も気にせずに外に出れたらいいのに」というような。

海につく。静かに波がやってくる。足元で砂を手繰り寄せながら線香花火に火をつける。火がはじける様を見つめる。あれ、そういえば私はひとりだったっけ。「ミホ、カレシと別れたの?」アメリカ帰りの帰国の子が話しかけた。講義中に「私は日本が嫌いなんですよ」と堂々と言う子なので、苦手だなあと思っていた子だ。「私もね、アメリカに好きな男の子おいてきたの」その時、彼女はずっと帰国子女がよく持つ、アイデンティティに関わる脆さをずっと隠そうとしていたんじゃないかなあ、と思った。

「わたしたち、ちょっとにてるね」本当に彼女はそういった。波を見た。綺麗に引かれた地平線がゆれる。「あの海の向こうって、アメリカなんだよね。信じられない」
海の向こうは・・・海は全てをつなげてくれる、世界の全てを、ゆりうごきながら、運んできては、持ち去ってゆく。

波に足をゆだねてみる。砂と一緒に足を避けながら水が引いてゆく。止まることのないこの動き。

「みすこん、入水自殺なんて考えるなよ!」という先輩の声で後ろを向く。皆笑っている。「帰ろうぜ」

一時間ほど寝て、朝、先生が皆に質問をする。「何か新しく自分が研究したいテーマってない?」「石沢さん、なんかない?」

何も考えないで喋りだした。「私、一週間前、カレシと別れたんですよ。三年半つきあってて。こんな傷心の中の合宿だったわけですが」皆大爆笑していた。

私は、海の近くに住んでいる人、海と関わる人の文化人類学をしたいと言った。考えなしにそう思った。あの地球の中のゆり動く永遠と向き合う人々は、海とどのようにかかわり、何を得るのだろうか。そして、海に何を残してゆくのだろうか。

「傷心の中、海に行って、何か動き出した気がしたんですよ。前向きになったんだか、後ろ向きにもっと鬱になったのか、よくまだ分からないんですけど。でも、海は人を、動かす力を持ってますよね。波に足を浸してゆくと、砂と水が動く感触、それを毎日感じている人はどんな人生をおくるんだろう、ときになりました」

先生は、「僕も、漁師については研究したいんだよね。今研究したいものといえば、アメリカか漁師。」といった。いつものダルそうな無表情でぼそっと言った。

「漁師は、まだ知りうる余地があるよね」

海からの日の出と、海への日の入りをみて、波に身を任せる人生。

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2006-09-21 ポップカルチャーとハイカルチャーその2

メディアが、「コレハウケルヨネ」と探りを入れて、サッサと計画的戦略的に構造を作り、その中にハイカルチャーが入れば、それはたちまちにマスカルチャーとして受け入れられるようになってしまう。大衆が分かりやすいように、「(とある特定の)ハイカルチャー=(とある特定の事象の)シンボル」という方程式を用いてしまえば、クラシックも、モネも蝶々婦人もみんなマスカルチャーだ。

メディアって凄い。メディアが取り上げればカルチャーも、ニュースも全てマス向け、何億もの人に知れ渡り、浸透してゆく。

というと、ハイカルチャーがどんどんマスカルチャーに侵食されている気がしてしまう。マスに侵食されてしまうハイカルチャーはどのようにアイデンティティを保つんだろう、とキャンパスへ向かう途中の信号の前で考えてしまった。

そーしたら、学校の掲示板に今シーズンに始まるオペラのポスターが張ってあった。席は当たり前のように高い。あ、そうだ当たり前だ、ハイカルチャーが生き残る術は昔から変わらなかったんだ、そうか、当たり前だよな、お金と作法だ。

アッパークラスはお金を持って第一の敷居を作り上げ、そして作法(例えばクラシックのコンサートとかは良い服を着て、静かに鑑賞して、コンサート後はラウンジで見知らぬ人とシャンパン片手に指揮者の腕前について他の指揮者との比較を用いつつウィットを垣間見せながら議論しなければいけないとか)で絶対的な壁を作る。

そうすると、メディアが本当の「ハイカルチャー」に立ち入る隙はないのが分かる。メディアが提供するのはあくまでマス向けのカルチャーであり、本当のハイカルチャーは、電波を用いない現実世界で、リアルタイムに行われる文化的行為によってしか垣間見ることができない。ハイカルチャーがマスカルチャーに侵食されているのではない、ハイカルチャーの領域は昔から変わらず存在し続け、マスカルチャーがそれを垣間見る隙をメディアが作り上げただけだ。

確かに、ハイカルチャーはアクセサビリティが悪いよね。・・・でも、そんなハイカルチャーのクラスによる絶対性は多分アメリカだと通用するんだろうけど、日本みたいに階級わけがいまだに曖昧な国は(二極化〜とかいうけど、結局庶民はお金ためてヴィトン買うしサントリーホール行くじゃん)、というか日本みたいに「ハイカルチャー」が階級を絶対的に現る風潮がない国は、別に「お金かかるよねえ」以外の何者でもないのかもしれない。

日本はそのままでいてほしい、なあ〜。

あ、ついでにマキアージュの曲の英語版がCDで発売されたね!私あの音楽大好きなんだ!ということでいつまでもマスカルチャー大好きな石沢でした。

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2006-09-21 ポップカルチャーとハイカルチャーその1

社会学のノートから。

ポップカルチャーとハイカルチャーの違いは19世紀のアメリカにおいて顕著になったらしい。テクノロジーの進化によって出てきた、デバイスを「使いこなすものと使えぬもの」の違い。それはワーキングクラスとアッパークラスの間にミドルクラスを形成させた。

クラスの違いが曖昧になるとアイデンティティを明確にする目的でアッパークラスは自ら「ハイカルチャー」を作り上げる。絵画、クラシック、オペラなどなど・・・。それらを彼ら以外の層から隔離させ、ハイカルチャーの価値を増幅させていったらしい。

ところで、ハイカルチャーとポップカルチャーの明確な違いは何ですか、と疑問に思いきいてみたら、先生は「ポップカルチャーは、マス、社会学では『マス』志向はシンプル、単純、大衆向けという意味でつかうんだけど、彼らのために存在するアクセス容易なカルチャー。ハイカルチャーは、より複雑、よりアクセスが難しいという意味のカルチャーとして使われる」(ノートそのまま意訳)と応えてくれた。ていうかよくわかんないんだけど、ともかく社会学ではそういうカテゴリーわけらしい。

ポップカルチャーはマスカルチャー。メディアの進出により、マスカルチャーを形成するのは容易になった。大衆に向けて発信する音楽やアート。例えば、月9に意味難解なドラマを置くことがないように、いつだって「だれにでも分かりやすい」つくりだ。月9が作られる過程には(多分)綿密な20代くらいのライフスタイル調査とかファッション動向とか芸能人起用に際しての調査とかが必要なんだろう。大衆に愛されるためには、ものすごい計画性というか戦略性が問われるのが分かる。

いまやマスカルチャーがメディアなしでは成り立たない現実をみると、メディアがカルチャーを作り上げる働きをしているといっても過言ではない。

ところで余談だけど、あー、結局私たちはコマーシャル目的で作られたカルチャーに浸って自分の趣味にして楽しんでるんですよ、なんてひねくれるのは簡単だ。高校の時からどうやったらマスカルチャーの構造から抜け出そうかと考えていたんだけど、もう構造なんて抜け出せないんですよ(レヴィ・ストロースかよ)。むしろ、この構造内にいるのを楽しんで、構造の製作過程をのぞいてほくそえむのが、私たちができる唯一の自発性ですよ・・・。むしろ、構造の中にいるという自覚こそがわたしたちに必要な自発性なのではないでしょうか。か。

マスカルチャーは、計画性をもって、受けるためならなんでも取り込む。例えばセレブ志向の20代後半、起業家風味になるためには「クラシックでもどうですか」的に売り込んでしまう。複雑(らしいけどそうなの?)なクラシック音楽を、「セレブなアイコン」にかみくだいて単純なものに見せかけ大衆に与えてしまえば、なんとハイカルチャーと呼ばれているクラシックさえも、もはやマスカルチャーだ。

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