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み・ぽぽぽぽぽ

ときどきおもったことをかいています

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2006-09-19 偶然というには
2006-09-19 ぐちってもいいですか。
2006-09-18 ハッピーバースデー・・・
2006-09-18 アカデミア
2006-09-14 アニメクラブ
2006-09-14 グランドゼロ、夜0時1分
2006-09-14 グランドゼロ、夜11時30分
2006-09-13 グランドゼロ、夜11時
2006-09-12 911
2006-09-07 ここの学生生活


2006-09-19 偶然というには

ルームメイトのひとりははイタリア系アメリカ人の超明るい超イケメンです。今日彼はイタリア人の友人をつれて帰ってきました。

同じ大学にいる子もそこにいたので紹介されたのですが、なーんか、見たことがあるなあ、ああ、ルームメイトの弟なのね、どうぞよろしく・・・。と色々話をしてるうちに「ミホコ、アニメ好き?」ときかれて、ああ、そりゃー大好きだよと答えたら・・・・

あーーーーーーーー!!!

こやつ、アニメクラブのミーティングで隣に座ってドラゴンボールのベジータだかのものまねしてたやつだ!いやー、アメリカのギークは元気がいいねえ、とあのとき思っていたものですが、彼が、

ルームメイトのイケメンイタリアンの弟!!!!

よ・・・世の中せまいねえ・・・・。弟とはハロウィーンにどんなコスプレしようかという話で盛り上がりました。


しかしこのイケメンイタリアン、顔がいいだけでなく超気が利くのですよ、彼はリズなんとかボーン(名前失念)とかいうこれまたヒュージなくろーずぃんぐかんぱにーに勤めているのですが、彼の会社のジュエリーを誕生日プレゼントに渡してくれました!

うほ

超・センスいい!超・嬉しい!でも気が利く彼なりに「こういうのってアメリカじゃあとってもパーソナルなプレゼントなんだけどさ、うちら友達だからさ!君の彼氏にいわないでよ!ほら、会社からもってきただけだし」という必死のフォロー付き。わたしゃー日本からきたからそういうの気にせんよ。

ついでに、このイケメンイタリアンはパスタつくるのが超うまい。オリーブとトマトのパスタを作ってもらいましたが、ウマー。

偶然てすごいねー。

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2006-09-19 ぐちってもいいですか。

50ページ以上のリーディングでしかも全て抽象的なセオリーの話をされても苦痛なんだよおおおおおおおお

・・・。日本語でも普通に投げ出しているところです。投げ出したいです・・・。
実例を出せ実例をーー



ということで、さっきは友達と構造的人種差別について話してました。
人種が構造によって分断されていて、これが差別に映ってしまうときもあるのではないか、といったら、これは「constitutional racism」というのだと教えてもらいました。こういう話をアメリカ人で他人種の子と話すと「うおっ言い過ぎた?」とかとっさに顔色伺ってしまうときがあります。

例えば、アジア系のアメリカ人の友人に対しては、こんなことはないのですが、白人であったり、黒人であったりすると、どうもこういう話は顔色伺います。アジア人のどっちともない的位置づけってこの社会の中では案外得なのではと思うのでした。

ニュージーランドはほとんど白人だったし、日本はニッポン!的アジア人だし、こんなに人種が沢山いるところに住んだことがなかったので「人種」と名がつくイッシューはとても興味があります。


今日の社会学で「ミュージアムにみる階級」とかいう話がありました。ミュージアムというハイカルチャーを作り上げ、アッパークラスとその他との差別化を明確にさせたという話だったような。ひとりの女の子が発言しました。「私たちの学校は、必須科目でアート鑑賞がありますが、それも階級差別化の一つですか?」そしたら先生は「そうと取れるわね」とか返しました。

うぽぽぽぽ。自分がアッパークラスだと自覚させるため、んで、アッパークラス教養としての科目を学校が提供している、という意味だよね。このえくすくるーしぶねす!日本じゃ絶対ないよねえ・・・。

さ・・・さすがただのサンドイッチが(普通サイズ)6ドルする学校だよ。

という息抜きを残したところで、あと15ページです・・・。

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2006-09-18 ハッピーバースデー・・・

17日の昨日は誕生日だった。

アメリカ人のマスマティシャンな女の子、イスラエル人の博士課程な人、ドイツ人のスタティスティクスな人(初めて会った)、中国人のこれまたスタティスティクスな人(これまた初めて会った)、と、なんともまあ国際色あふれる雰囲気の中で夕食を頂いた。中東のファストフードだって。

実は、マスマティシャンしか私が今日誕生日だということを知らなかった。(ていうか言いふらさなかった)で、それを知った博士は目を丸くして言った。「なんで言わなかったの!来週は絶対にいいとこつれてってあげるから、ていうかその前にバースデーケーキを買おう」

ということで、一路小さなカップケーキやさんへ。アメリカっぽく、甘ったるそうで、人工着色が入っていそうなカップケーキは二つで2ドル。マスマティシャンが、お店のお姉さんに、「キャンドルもつけて!」と頼んでくれる。

博士が気付いた。「皆、タバコなんて吸わないよね・・・」一同首を横に振る。「ちょっと火かりてくる」博士が店を飛び出して、30秒後にライター片手に戻ってきた。「買ったの?」ちょっとたまげた。「ああ、タバコを吸いはじめてもいい年頃かなって思ってたんだよ」「だって、ちょっとクールじゃない?」みんな笑う。「ついでに、よくベンチとかで隣に座ってる女の人とかから、タバコの火を貸してくれって頼まれるんだけど、しりたいじゃないか、もしも持ってたらその先がどうなるかって」みんな笑った。

「ライターの火から始まる恋だってある!」みんな笑った。

公園に移った。チェス台の上でカップケーキにキャンドルをさそうということで、博士が近くにいた怖い目つきの男に声をかけた。「すいません、あのチェス台あいてますか?」

男は酔っていた。ものすごく侮辱的な言葉を吐いて男は博士を押し倒した。私とマスマティシャンは博士に駆け寄る。「my gosh,,,,excuse us!」周りに見られながら私たちは立ち去る。

「多分あの男はカラテができるにちがいないよ、だって押し倒し方がとても効率的だった」博士は笑いながら言った。全く気にしていないかのように。でも博士が「私の誕生日」に気を使って明るく振舞ってくれていたのが分かった。

小さなカップケーキに火のついたキャンドルをさしてくれた。公園のはじで、みんなが静かにハッピーバースデーと歌ってくれる。こんなに静かにバースデーソングをうたってもらったのは初めてだった。キャンドルの火がとても小さくて、こんな静かなバースデーソングにさえもゆらっと揺れた。

火を吹き消すと、「どんな願いごとをしたの」と博士が聞いてきた。火を消すとき、願い事をするのがこっちの慣習なのだろうか。「幸せになるように、かなあ」そんな願いが頭に浮かんだ。「いいね、こういう願いは一度してしまえばずっと死ぬまで続くから」

別れ際にマスマティシャンはハッピーバースデーと言いながらぎゅーっとハグしてくれた。いつも彼女と別れるときにするように。なんて日常に組み込まれた誕生日なんだろう。ただ、そんな一個一ドルのカップケーキと一本のキャンドル、皆が静かに歌ってくれたバースデーソングという、ちょっとどっかを歩いていれば見つかりそうな日常をこんな素敵な友人達と作り上げられたことがとても嬉しい。

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遅ればせながら誕生日おめでとー☆繊細なバースデーだったのね〜 / なしょび ( 2006-09-19 13:23 )

2006-09-18 アカデミア

昨日が履修科目登録の締切日。この二週間がショッピングウィークだったんだけれども、悩みに悩みすぎた上で決めたのは五科目。

Japanese politics(なんてったってSFCのゼミで講演してくれた先生!彼の講演を聞いてすぐに絶対この科目を取ろうと決めた。この講義のおかげで恥ずかしながら今更、しかもアメリカで戦後の日本を体系的に深く知る機会を得ることができまつた・・・),
Globalization and international politics(セキュリティ、経済、法の視点からグローバライゼーションを見る!みたいな授業。インターナショナルリレーション統括、みたいな感じ。アメリカから見るグローバライゼーション・・・うーん),
Sociology in Mass media and pop culture(これが一番面白い。超課題がエグいけれども、社会的にマスをふかんするのはいつもエキサイティング。アメリカというマス消費社会で、メディアとポップカルチャーは相互補完であり、その構図をセオリーを用いつつ明かしていく感じ。),
Statistical reasoning(統計って物事を正確に読み取るために重要だよ、と数多くの社会人な知り合いからずっと言われてきているので、ためしにとってみた。),
Mind/brain and behavor(サイコロジー系の授業で、面白半分に行って見たら超興味深かった。脳が感情、行動にどのような影響を与えるか、というような授業)

急いでウェブ登録をしたあとは、登録科目の教科書を買いに近くの本屋へ。日本の学校の生協では、キャンパス内の授業の教科書を扱うエリアがある。が。ここの教科書売り場ははーーーーーーーーーーーんぱなく広い。日本の生協の教科書売り場とは天と地との差がありそうなくらいだ。身長以上の本棚にずらーっと教科書が押し込まれてあって、多くの学生が10冊とかそれ以上の本を抱えながらウロウロしている。

このただっぴろいエリアの中この大学で提供される知がつまっている。生徒達はこの中から数個の知のラベル、本、を選りすぐり、引き出す。この行為が限りなく贅沢であるように感じるのだ。あたかも全知の中心に位置し、その中にある小さな知のピースを受け取る権利を得ているかのように。

「アカデミア」という言葉をはじめてここで意識した。巨大な知の渦がひしめくこの大学に、自分自身を巻き込ませ、これを外界に反映させるための場。知を提供し、また新たな知を創造させるべき場。その為に存在するこれらの数え切れない書籍。アカデミア、生徒の絶え間ない意見交換と書籍からの知識の吸収、その知識を操る学者達、これらによって構成される空間。この膨大な文字の羅列の中心に立ち、人々は意見を交わし続ける。

その営みは途方も無いほどの昔からつもりにつもった知の蓄積だ。それは、アカデミアにおいて止まることがない。知を伝承し、次の世代に伝えるというこの流れを止めるものは存在しないかのように思える。

戦争さえも。この本屋のカウンターには一つの写真が掲げられてある。第二次世界大戦中、瓦礫と化したポーランドの図書館。この中で、人々は残った書籍を手にとり、文字を追っていた。図書館としての機能をもはや果たしていない荒れ果てた場所でもなお彼らは知を追い、文字に情熱を傾ける。

戦争という絶対的とも思わせるような破壊を前にしても、知が破壊されることはない。このコミュニティにおける絶対は「知」である、と語りかけるような写真。そして、これらの知を操る権利を得た私たち。

がんばるっす。

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2006-09-14 アニメクラブ

というか今日はアニメクラブなんですよ。
ここのアニメクラブはとってもさわやかなナイスガイが多いので(さわやかで社交的で面白くてかっこよくてそれでもアニメTシャツきてる彼らが大好きだ!)とても楽しくなるだろうと思われます。

光栄なことに(?)次期主要メンバーにならない?と誘われました。残念ながら私は一年だけいないんだよね、と言ったらがっかりされました。そのかわりにオタ関係のイベントなら色々考えるよ、まずは年末の日本ツアーかな!みんなでコミケとかアキバにいこう!(でもアニメTシャツを着てうろうろするのはは止めといたほうがいいと思う)と言ってみました。日本行きの予算とか、どこ回ろうとか、色々楽しいものにしていきたいんですが、なかなか学部のクラブは旅行などに予算が下りないらしい。・・・ここのビジネススクールのジャパンアソシエーションなんて、毎年何十人もの人々を引き連れて日本に旅行しにいってるのに!!ちっ、さすがビジネススクールだ

ていうかどうやって予算作ってるんだろう。あっちのジャパンアソシエーションにいるひとにどうやって予算作ってるのか聞いてみたい。それとも皆お金持ちなんだろうか・・・。

うん、どうしても成功させたいっす。というのもやはりヲタたるもの日本にきて本場を味わってみるのが一番だと信じているからだ!このアニメクラブの部員の殆どが日本に行きたいのに行った事がない、ってのが驚きだ!ここのビジネススクールのジャパンアソシエーションの人々は日本の企業に色々コネクションがあるってんだから、それをたどればバン○イとかスク○ニとかにたどり着いて、企業訪問できたりしないものか。ていうか、今の時代オタ産業は海外展開が必要なのだからアメリカの優秀なオタクをリクルートする意気込みはないのか。

ここは、学部のジャパンアソシエーション(日本クラブのクセに日本人が超少ない)なんて、日本に支店がある外資系投資銀行とかコンサルと連絡とって、この学校にリクルーターを呼び込むようなイベントをしょっちゅう開いている。日本からリクルーターがわざわざ一つの学校の一つのクラブ(しかも学部)のために渡米するんだから、アニメクラブだって、日本にいって企業訪問くらいできないこたない気がする(という妄想)。

こんな妄想だけは幅広くて、行動しようといわれたら即行動する用意はできてるのに、リーディングの課題に押しつぶされそうになっている現実を垣間見ると涙出そうになってきます。いや、ぜったい要領よく課題を終わらせる術をみつけなければここの生活、勉強だけになってしまう(そ  れ  は  い  や  だ)

・・・というこんなところでしかかけないような恥ずかしいエントリでした。

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japan tour OTAKU versionみたいな!(笑) / みほ ( 2006-09-18 03:30 )
誕生日おめでとう!ここまで具体的に考えがまとまってたら、あとはホント行動あるのみって感じがする。経過を楽しみにしてるわ☆ / りぃな ( 2006-09-18 01:24 )

2006-09-14 グランドゼロ、夜0時1分

2001年9月11日、日の出は6時32分だったそうだ。晴天、晴れ。まるで、その五年後と同じように。

飛行機が突撃する瞬間の写真の空は、限りなく青かった。その一年後も、二年後も、三年後、四年後も朝は絶対晴天であるらしい。そして、五年後も。

ある友人が言っていた。「その時の職場からワールドトレードセンターは近くてさ、いつも本屋によったり、コーヒーのみにいってた。but they are all gone, i can no longer go to these places」

彼のように、ワールドドレードセンターが日常に組み込まれていた人はニューヨークで何人いたのだろうか?冴え渡る空の下で、いつものように、意識するまでもなくあのビルに向かう人々。

グランドゼロには、2001年9月11日、一日の経過を追ったボードがある。11日の夜、最後の表記として、あの一日を”Long day”と締めくくっていた。長い一日。平和を思わせる青い空、人々はあのビルでコーヒーでも買いながら、職場につこうとしていたのだろうか、そこに突然飛行機が突撃した瞬間。それから時間がスローモーションのように流れ、埃と瓦礫にまみれながらこれが物語の一部なのではないかと信じたいのに政府は次々と最重要警告を発し続け、いやでも事態の深刻さを思い知らされる。やがて夕方が訪れ、夜に変わった。

腕の時計をみた。0時1分。12日だ。五年前、日付が変更される瞬間をニューヨークの人々はどのように過ごしていたのだろう。あの事件は911と名づけられ、11日のみが切り取られた。しかしニューヨークではその次の日も、次の次の日も、一年後も、そして五年後も毎日があの事件の続きであったのだ。今もそれは続いている。

The long day is over, 何人の人が悲しみにくれつつ一日を耐え切ったのだろうか。その悲しみがやがて流れ去り、5年もの月日がたった。12日になっても、追悼のライトは天に伸び続けていた。近くからみるとあまりに巨大で強い。まるで、空の上の犠牲者にも光が届くように。

天国、というところがあったらあそこは5年前のようにずっと空が青いのだろうか。こんなに月日がたっても、人々が悲しみから抜け出しても、情報に流されそうになってもこの事件を忘れないという必死の願いがあの光に込められているのだろう。

学校に帰り、ふとダウンタンの方面をみると、まだはっきりと光を見ることができた。夜の雲さえも突き抜けるような強い光は、ニューヨーク中から見える。We will never forget.その願いを、空の上にいる人々に届けるように。

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2006-09-14 グランドゼロ、夜11時30分

柵の向こう側を見ると、目の奥が熱くなる。

真夜中のグランドゼロ、ヘリコプターが空を舞い、911にあやかるようにニューヨークグッズを売る露天が並び、人々はカメラのシャッターを切り、ダウンタンのこの周辺だけが光をおびる。

グランドゼロが見渡せる展望台の前につく。仏教の僧侶がならんで歩いていた。祈りをささげていた。アメリカ軍の制服を着た数人が花をささげていた。顔をうずめて泣いている人を見た。みんな、目が柵の向こう側に向かい離れない。

柵に手をかけた。柵の向こう側は、大きなキズあとだ。
2001年9月11日に作られた、「世界の傷跡」。光に照らされても、奥を見渡すことができない。あの日、アメリカだけが傷つけられたのだろうか?ワールドトレードセンターに勤めていた世界中からの人々、日本人もいた。そして、イスラム教徒の人々も。犠牲者全員の名前が記されているボードには、確かにイスラム系の名前が存在するのだ。世界中の名前、それがある意味でワールドドレードセンターの中にある世界を形成していたのだ。その世界はグランドゼロに代わり、この瞬間、世界が、傷つけられた。

それはあまりに巨大な傷跡だ。夜、どのような光をもってしてもこの傷は奥深くに闇を落とす。柵の先が見えない。胸が締め付けられているからだろうか?

アメリカ人の友人は、「グランドゼロを訪れるたびに、アメリカの強さを垣間見るよ」と言っていた。時がたち、瓦礫がのけられ、周りが整備され始め、新たなタワーを建設する準備をはじめている。何もかもが流動するようなニューヨーク、グランドゼロもその例外ではない。この大きな流れの中で、グランドゼロさえも動いている。グランドゼロさえも動かす力をアメリカは持っているのだと。

いや、止めることが出来ないのだ。このニューヨークで、グランドゼロだけが瓦礫をかぶっていてはいけないのだ。動かないと、グランドゼロの傷はいえることがない。ただ、傷が乾くのを待っているだけでは、いえることがないと思い込みながら。

皮肉にも動き続けることで、世界はより大きな傷を負うこととなっている。グランドゼロが動くかわりに、世界中が傷を負い始める。それでも、それを知っていてもアメリカは、ニューヨークは動きを止めない。

グランドゼロの奥にある暗闇だけが、動きにあがらうようにそこに存在し続け、そこに世界の暗闇を映し出していた。

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you really made me upset that time! but since you were being that much stupid(well you are always like that), i could just go to ground zero(so that i could forget what you said"bad signal") talk to you later! / みほ ( 2006-09-14 22:53 )
I swear it looked like the bat signal... but good job giving the entire moment more meaning, even my stupidity had imi w / baka boy ( 2006-09-14 14:41 )

2006-09-13 グランドゼロ、夜11時

一緒に向かうつもりだった友人はあとから気付いた課題の量に愕然としたらしく、グランドゼロにむかうのはやめて、結局学校近くの韓国料理屋さんで夕食を食べ、家に帰ろうというコトになった。その帰り道、学校のカレッジウォークを横切る。そこから、夜の空に伸びる一つの筋を見つける。

「ねえ、スティーブ、あれ」
 私は友人を引き止める。
「ああ、あの光?あれはバッドマンに違いない」
「はぁ?」
「どっどどどどどどぅー」(バッドマンのテーマソングを歌い始める)
「ちょっと、あれ、グランドゼロの追悼の光だってば」
「ええっ!!!!」
「・・・」
「アメリカ人としてあんたちょっとそれはどうかと思うよ」
「うわあああああ!!!!」
「私があの光をみて、平和への祈りをささげてたときにオマエはバッドマンのテーマソングかい。雰囲気ぶち壊しだよ!」
「うわあああああ!!!」
「エセアメリカンめ!」
「いや、だってああいう光のビームつかったアドって沢山あるんだよ・・・」
「だからってあの光をアドに間違えるってのも程がなくないか?」
「あはははは・・・」
「はあ」
「でも、5年前はこんなふうに笑えなかった」
「そうだね、もう5年も経った」
「time is the best remedy」
「that's right」

時間が全て解決してくれる。この情報にあふれた世界で情報市場はパンク状態だ。911は新しい情報にとって代わり、いつか悲しみもうすれ、グランドゼロには新しいタワーが建つ。無常観に浸っていたわけではない、でも、朝の青い空とあの光が忘れられない。この世界の中で、必死に思いを留めようとさせている青さと光の筋。

夜11時だった。ひとりで地下鉄をくだり、グランドゼロに向かうことに決めた。

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2006-09-12 911

中学1年のときに、NYCに来たことがある。一週間だけの観光だ。親がカメラを壊していたのに気付かずに写真をとっていたから、その時の写真はほとんどない。おぼろけに残っている記憶だけが存在する。メトロポリタン美術館で引き込まれた絵画、日本の中かと思った紀伊国屋、真下から見上げた自由の女神、そしてワールドドレードセンターから見たNYCの絶景。

とても広い建物だったのを覚えている。入り口には巨大な絵が掲げられてあって、上に向かうエレベーターには行列ができていた。エレベーターは高速で最上階まで昇り、耳鳴りがした。外の展望台からみた景色は、みんな自分より低かった。高層ビルが立ち並ぶマンハッタンで、一際高くて、一際目立っていたのがそのビルだったのだ。曇りだったのかもしれない。下を見るのが怖かった。限りなく、底を思わせたのだ、ただの道路が。

このとっても高いビルが一瞬で崩れ落ちた、それこそ底に吸い込まれるように。

それからもう5年。もう5年だ。私は今日、朝9時からある授業に間に合わせるように家を出た。朝、雲、ひとつない真っ青な空だった。フと思い出した、今日は9月11日だ。

この朝の授業はsociology in mass mediaというものだ。先生は、教室につくなり「911は、メディアにとって何だったのかしら」と私たちに問いかけた。911はマスメディアのための事件だったといった。有史以来、世界で一番多くの人がメディアを通し目撃した事件だと。歴史上で一番多くの人の目にさらされた悲劇だと。私は窓際の席に座っていた。空を見上げた。雲が、現れ始めた。

大学周辺は何一つかわりがないように動いている。生徒達は談笑しながらカレッジウォークを横切る。その真ん中で、男性生徒が壇上で被害者の名前を全員読み上げていた。横切る生徒達。2000を超える名前を読む声は、限りなく小さい。5年後だ。

雲が空を覆いはじめる。有史以来一番多くの人の心に刻まれたこの事件から多くの月日がたった。映画化もされた。人々はsensitiveという状況からじょじょに抜け出そうとしている。

911、5年後の今日は多くのテレビチャンネルが特番を組んでいる。その10年後は、特番の放映時間が半分になっているかもしれない。何十億、何百億もの人々がその存在をしる事件も、雲に流されるようにいつかは教科書上のみのものとなる。でも、今日、飛行機がワールドトレードセンターの内部に消えたあの瞬間の五年後、記憶を流すような雲は空に一つも無かったのだ。飛行機雲さえもない青い空が、記憶を留めさせていた。

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2006-09-07 ここの学生生活

最初はどうにかなるかなとほっとしていたが、だんだん数多くのクラスを回るうちに顔が青ざめてきた。リーディングの量が半端ないのだ。いやマジでハンパない。一つのクラスにつき、多いところだと1冊の専門書(専門書ですよ・・・)を一週間で読んで来いとか言われる。しかもそれをサボると、テストもやばければ翌週のディスカッションで冷や汗をかくというしくみらしい。

しかもそんなクラスが文系はほぼ全てだ。え?アメリカの大学ってみんなこんなに大変なの?そうなの?日本の大学とは比べ物になんないくらいだよ。あー・・・。でも本当によかった、日本の大学で勉強で瀕死の思いをしたから、ショックはそんなに大きくなく、ただ毎日美術館(この学校の学生証を見せればNY主要美術館はタ・ダ・!らしい)なんて優雅な暮らしは絶対にできないな、と考えを改めただけだ。・・・でもやっぱショックはショックだ。

なんでショックなんだろうか。ここで別に日米大学比較をしてもしょうがないのだが、やはり勉強させられる量が違う。日本では10クラスを平均して取るけれども、こちらでは平均4,5クラスが一杯一杯だ。それほどみんな大変な思いして勉強をしている。日本の大学では、お金を払って自由が与えたれるが、ここの大学では、お金をはらって勉強する時間を与えられる。

でもやはりある意味日本の大学、というか私の行ってるSFCの方が、色々なことが学べるのかもしれない。「自由」というのは一番扱いが難しいのだ。勉強に励むのも自由、遊びに励むのも自由。授業料に見合った4年間を完璧に自分で作り上げなければいけない責任が18や19の若者に突然突きつけられる。何も考えないと、遊ぶだけになってしまうこの4年間をどうにかして自分を律して(笑)勉強に向けたり、課外活動したりして経験をつむようにスケジューリングしなければいけなくなる。

ので、案外SFCで私は誘惑に負けず(笑)勉強することを身に付けたし、どうにかおぼろけながら4年生の終わりまでの目標立ててみたし、それにそって計画たててみたり、ともかく昔よりは「自由」という言葉に惑わされないようになった気はするのだ。

ここでは、強制的に勉強させられて、それはそれでとても大切だけれども、もうちょっと「自由」というこわさをこの若いうちに分かっておいた方がいいような気がする。自由というコトは、何も生み出さないというコトにもなりかねない。その中から何かを自分で見出し生産するのは案外大変なのだ。まあ、大学卒業したら即何かの組織に誰もが結局は組み込まれるんだから、そんなの学ばなくてもいいっちゃいいのかもしれないけれどもさ・・・。でも、「自由」という環境のもとでは、自分が生産した成果物が一番自分の実力に添った形で現れてしまう。ある意味、緊張感がある。

いやだからといってここでの勉強を怠けたら毎週冷や汗かくことになるのでこれからちょっと読書しなければいけないのですが・・・。で、気付いた。強制される大量の勉強量は、どこか私を安心させるのだ。教室の中では緊張感は勿論ある。でもどこかで、「この授業を取れば絶対これだけの勉強量と知識は保証される」というゴールと成果物がハッキリしているという安心があるのだ。

その安心の上で、一年間ある意味気楽に、やってきまつ。

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自由度が高ければ高いほどジツは緊張しますよねwって思いまつ。自分で責任持ったうえで何をやっても良いって、案外大変すよね / みほ ( 2006-09-07 21:51 )
大学時代、「自由」とは「自分で責任を持った上で何をやってもよい」と先生に言われたことを思い出しました。それまでは、何してもOKとしか思ってなかったから。そういうことが分かることも大学生活のうちなんだろうな、と今になって思います。 / マッキィ@未ログイン ( 2006-09-07 07:31 )

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