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み・ぽぽぽぽぽ

ときどきおもったことをかいています

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2006-03-07 事故その2
2006-03-07 事故
2006-02-20 かけない
2006-02-18 そういえばバレンタイン
2006-02-18 うーん
2006-02-13 これが本当のメモ
2006-02-09 ひとり
2006-01-30 メモ
2006-01-22 はるだってさ。
2006-01-13 安全保障


2006-03-07 事故その2

病院から戻って携帯を見ると、たくさんの友人からメールがあった。「大丈夫?」。電話をかけてくれた友人もいた。SNSの日記にに事故にあった旨、軽く書いたら、私の長年の保護者である友人から「日記のタイトルみて血の気が引けたけど、いきててよかった」とコメントをもらった。古くからの友人である彼女に、生きててよかった、と言われた。はじめてそういわれた。まじめで、ちゃんとした性格の彼女が、自分勝手で、フラフラしている私を叱ることは良くあった。「ちゃんとしなよ」「心配してるんだから」。また、彼女を心配させた。何回目だろう。でも、いつも真剣に心配してくれる彼女をみると、ひねくれて聞こえそうだけど嬉しくなる。私まだ彼女から保護されてる。まだ、彼女は私を娘みたいに気遣ってくれてる。

健忘症と診断され、キズが自分では手当てできないくらいちょっと深かったので、実家に帰った。体も動かないから、家で新聞読んだり、テレビみたり、小説読んだり、ネットしたりしている。今までずっと、2月から春休みだったのに、学校で研究プロジェクトをしていたから、「何もすることがない」という時間がなかった。

自分のことを考える。健忘症になってしまったので、ちょっとした過去が思い出せない。一週間くらいの程度だけど。だから、思い出せないところを探すように、自分の過去を思い出す。大学であったこと、高校の時思ってたこと、中学のとき体験したこと。改めて時間をかけ、遡って見ると、自分が忘れていたことを探し当てることができる。そういえば、高校生のとき、学校が違うけど親しい友人と、毎日毎日メールを送りあっていた。長いメールを。今はそのメールが手元にないからどんなことを書いていたのか思い出せない。けど、あの時、学校にまともに行けずに先が見えなかった自分の生きていく燃料を、彼女とのメールでどうにか自家調達していたというのは感覚で残っている。

その彼女からも、メールがきた。「大丈夫?」。何回も、電話口から、携帯のディスプレイから、直接口から、言われた言葉。彼女の声が、聞こえた気がした。「ミホコ、大丈夫だった?」と多分彼女なら言うだろう。

そのことを、彼に電話した。ちょっと嬉しくて、私が自分で饒舌だと喋りながら意識できた。そして少子化だか何だかについて話していたとき、つい、あの、ディベートしている時のように(入っているサークルはディベサー)まくしたてていた気がする。「聞こえない」といわれて、素に戻ってしまった。「何回もさっきから聞こえないって言ってるのに、俺のこと、きいてた?」

「自分ひとりだけで喋りたいなら、相手はいらないだろう」と。「興奮すると、他の人を省みずに喋るんじゃないの」と指摘、というよりも多分叱られた。的を得ている。事故にあってしまって、過去を探る作業を自分の中で丁寧に始めてから、気づいていた短所だ。過去を思いだす、という作業は自分がどのような人間だったか、気づくのに似ている。

その気になれば、多分人は誰よりも客観的に自分の長所や短所を把握できる。でも、人に言われて初めてそれが「実感」として自分と向き合う材料になる。自分自身の事を自分自身で気づき、そして認めるのは、コトガラによっては無い様である様なプライドに左右されて無かったことにされる。自分のことを把握できるなら、それを伸ばすか、直すかを自分自身で、素直にそれに気づいた時点で始めなければいけないのに。

事故にあって、周りの人からどれだけ支えられているか、自分自身の「課題」がどこにあるか、を強く実感できるようになった。ありきたりなことだけど。

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2006-03-07 事故

28日に、事故をおこしたみたいだ。
気が付いたら、騒がしい病院だった。看護婦の、点滴が何とかとか何番ベッドがなんとかとか、声と足音が響いていた。ベッドとベッドを区切るカーテンと、その上にある蛍光灯がとってもまぶしかった。寝そべりながら手をあげてみる。光に反射されて逆光気味の右手には包帯が巻かれていた。

何があったのだろうと通った看護婦に声をかけた。事故で、救急車に運ばれたんですよ、といわれた。ああ、そうなのか、それだけ思ってまた眠りについた。その直前、ちょっとした不安を持っていることに気づいた。自分はどうしたんだろう。なんでここにいるんだろう。まったく、思い出せない。

目がさめたらベッドサイドに彼がいた。疲れ気味の目はいつ会っても変わらない。知っている人がそばにいる、それだけで安心した。安心したら、全身にあるキズの痛みに初めて気づいた。

事故の直後だか、私は彼に電話を何回もかけていたらしい。「消え入りそうな声で、顔に血が出てるんだけど、なんでこうなったかわからない、といっていた」らしい。すぐに彼は駆けつけてきて、彼が救急車を呼んだそうだ。夜の11時過ぎのことだったと、後に見る携帯の履歴で知った。私からの発信履歴、彼からの着信履歴、そして彼からの、「もう少しでつくからまってて」というメール。

朝まで、病院の待合室のソファで寝ていたらしい彼は、明らかに睡眠不足そうだった。「心配したんだよ」と私の目を見て言った。「とても心配した」。そして、私の横で目を閉じたあとすぐ寝息を立てた。CTを待つ病院の廊下、硬くてすわり心地の悪い待合用の椅子。彼は、こんな狭くて硬い椅子の上で、一夜を明かした。

閉じた目のした、クマが深い。彼を見ながらはじめておもった、
生きててよかった

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2006-02-20 かけない

実は文章がかけない中。
書こう書こうと思ってもかけないから、久しぶりに小説なんて読む。

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うわーーーーーーーまじすか?なんか超 う れ し い というか しんぱしー・・・。絵でいうスランプのようなもんすかね / みほ ( 2006-02-22 16:16 )
あー一緒!日常に何が起きたとかはいいけど、心境整理とか全然。 / りぃな ( 2006-02-21 00:30 )

2006-02-18 そういえばバレンタイン

そのさっきのエントリの鍋会でなぜか私の恋愛近況についてきかれて突っ込まれ、あたふたしていた自分。(研究会のシドウキョウカンが私の恋愛遍歴知ってるというのも・・・)先生には「恋多き乙女ですね!」とか笑われるし、いやいやいやとか思ったり思わなかったり

恋か

恋かあー!!



バレンタインとか私は全然興味ないんだけど、相手が気になってるようだったから、バイト代奮発して、私にとってはびっくりするようなお値段の食事につれてった。後からきいた話、バレンタインにおいては「女性がチョコ、男性が夕食」って相場が決まってるらしい。笑い話かもしれないけど、まあいいやと思う。バレンタインに特別のセットがあったから頼んだんだけど、どうも私は感動しない内容だった気がする。しまったかなあ、とちょっと後悔した。でも相手が「おいしかったねーまたこよう」といったからそれでカチあったかな、とか思うなんて多分前の私とちょっと変わったかなあ〜とニヤニヤしてしまった。

バイトとかで、ちょっと、ほんのちょっと自由に使えるお金が出来る。そうすると、ちょっとだけワガママになれる範囲が広くなる。自分に向けては購買欲とか、誰かに向けては、誇示欲とか、そういうお金で何とかできる部分にワガママになる。

だから、私はその日の夕食の後に、オフィスに行って終電まで仕事をしていた彼にムっときた。「バレンタインに何かしてほしいといったのはあっちで、バレンタインの日は時間をちゃんと空けるといったのはあっちで、そしてバレンタインにバイト代の残りほとんどをつかって食事につれてったのはわたし」と頭の中でつぶやいた途端に不機嫌になってしまった。バイトの口座からお金引き落とすときのあの身が裂けるような重圧(誇張かもしれないけど本当)を感じながら感じないフリをして、ごちそうしたんだから、そんな、お食事のあと、長時間仕事なんてしないでよ・・・と、素で不機嫌だった。

30分ほど無言でイライラしていたからか流石に彼も「ごめんね」と心配そうに顔のぞくし、ちょっと我に返ってきた。

考えてみれば、ベンチャーで働くことなんてイコール休みがないことと同じだ。このごろ仕事が多いから、休みなんてそうそう取れないんだろう。がんばって時間作っても、仕事がそれを許さないんだから仕方ない。

のに、ちょっとおごってやったからって傲慢になってしまった自分が情けなくて、次はプチウツ状態になってしまった。相手は「まだおこってる?」ときいてくるから尚更惨めだ。ごめん、と謝られてもこっちがワガママだったからだけであるのに、と思うと自分がアホのようでいてもたってもいられなくなる。

しまいにはこっちが泣きながら(超情けない)「ごめん・・・」と言ってしまう始末だった。

はあ

付き合う人間に対して中学生のような態度で臨むのは本当よくない。わがままで、ジコチューで、とかそんなのカレシにしかできないよねえ!とかおもってしまうのはやっぱりいくない・・・。結局傲慢の産物なんだよな・・・。

という多々の反省をしてしまったバレンタインデイ。やっと私もチョコがおいしいと
感じるまでになりました。

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2006-02-18 うーん

今日は研究会の鍋パーティ

みんなでわさわさ準備をして、先生を囲んでおいしく牡蠣鍋を頂く!
とってもおいしい

この研究会は今までここで言ってたグループワークが厳しい研究会ではなくて、もう一つ所属している国際貿易中心の研究会。先生がとってもフランクで優しい人。

君ねえ、国際公務員になりなさいよ、国連の方が日系企業よりもずっと女性の待遇いいし、お給料もそれなりだからまず院にいきなさい

と言ってくれるそんな先生は元GATT職員。出来るだけ沢山の学生に国際公務員という道を目指して欲しいらしい。自分の通った道を誇りもって勧めて、それを志す人にはちゃんと道を示してあげられるような、そんな職を持てる人はとっても才能があって、とっても幸せ、そして素敵だ。

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2006-02-13 これが本当のメモ

  出版業界人というのはおかしなもので、
  ナントカという本がベストセラーになったら「いくら儲かった!!」と喜ばない。
  儲かったら、儲かった分だけ「これでいくら損ができるぞ」と考えるんですね。
  なぜなら本というのは売れる本だけだしてるわけにはいかない。
  売れないし、儲かる見込みは少ないけど、
  それでも出さなきゃいけないから出す本というのがあるんです。


だって。友人の、そー君のブログから。SNS内なのでリンクできない。

やっぱり、「伝えなければいけない」というコトは、
個人であったり、グループであったり、一企業だったり、一地域だったり、一つの国だったり
そういうマクロであれ、ミクロであれ持っているはず。
伝えなければいけないことは、自分の信じていることと合致するはずで、それが大きければ大きいほど他の人の心を奪える。




そういえば自分のあだながこのごろ好きになってきた
人が覚えてくれるってどんなにいいことなんだろーと
しみじみ。



明日はバレンタイン。何も考えてない・・・orz


うおおー
超メモな投稿になってしもうた。また今度・・・

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2006-02-09 ひとり

ここのところ周りにいる人たちがみんな院にいけばと勧めてくる。

学者に向いてるかもよとか言われる。いつも何か妄想してるし、何かコレダってのみつけると没頭するから学者向きとか言われる。

先学期初めて本格的な学術論文みたいなのを先輩方とグループメンバーの力を借りてひーこら書き上げてみた。のは前言った。アイデアを考えだすのは楽しい。でも論文もくもくと読んで、新聞やら国会議事録やらをもくもくと検索、それを一人でやるのはとてもじゃないけど合わないと思った。

皆でやれば楽しいんだけど、院ではそれを一人でやらねばならないわけで・・・
皆でわいわいがやがやあーでもないこーでもないとか言いながら何かするのが好き・・・。ということに気づいたのが今学期。

そういうの大好きなんだけど、大好きだから反発でちょっとひとりになってこようかなあとかもくもく思ってきた。

留学は大概ひとりだ。前いたNZでは、大概ひとりだった気がする。ホストマザーも大好きだったし、学校でも誰かしら話し相手がいた。
でもやっぱりひとりだった。というか、ひとりでいるのがとっても上手かった。わたしの英語がつたなかったというのもあるんだろうけど、ひとりでいるのがとても好きだった。

ひとりで図書館いってたし、ひとりで街に繰り出していたし、ひとりでカフェでホットチョコレートを飲んでいた。そういえば確かあのころはまだコーヒーが好きじゃなかった。

ひとりであんな綺麗な街をあるくのは贅沢だった。家に帰るとヘレン、ホストマザーの、がいて、how was your day と聞かれるととってもほっとした。家を出る前に庭に干しておいた服があったかく乾いていたのを触るときも嬉しかった。

ひとりでいると、小さなことがとても贅沢に思える。だからひとりでいたような感じがする。ひとりでまちにでると、色々こころのなかで言葉がでてくるのが分かる。そうやって言葉遊びをするのはとっても好きだった。

よっぽど長期でない限り、わたしにとって留学って多分自分がどこまでできるのか見てみる、ていうのと、ひとりであるのを十分満喫するためにあるのかもしれない。

NZにいた頃が、一番言葉が頭の中であふれていた。今は、言葉にあんまり不自由しない環境だし、いつでも誰かがそばにいるから、自分に対して言葉を発することがそんなにない気がする。

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2006-01-30 メモ

国際電話が好きだった。
自分が夜の中にいるのに相手は眠そうに

今起きた
これから朝ごはん作らないと
おこしてくれてありがとう

というセリフを聞きながら、窓を見ると暗い。同時に朝と夜をつなぐその違和感に近い安心




料理をつくるのが好きだ。
いつも外食ばかりだから野菜を入れよう、これすきそうだから買ってあげよう、
色々考えて作ってやるのが好き

自分のためにだけつくる料理はしない
他人がいるときだけしか料理をしない

とびきりおいしいスープを作ってくれながらとある先生が言っていたけど
今はその意味が分かる

人に料理をつくってあげる楽しさを知ると
自分のための料理はちょっとおなざりになる

「こないだ買った大根早く使わないとだめになっちゃうから、今日、うちきてよ」

といって、大根の煮物を作って待つ。
それだけのために呼ぶわけでもないのに、それだけ言って呼べる相手が近くにいるのはとてもうれしい。

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2006-01-22 はるだってさ。

マキアージュのCMが好きです。
マキアージュの演出の仕方が大好きです。

商品買おうとか思いません
けどマキアージュの雰囲気が好きです。



いつも更新を楽しみにしているマキアージュのウェブサイトによれば
「この世のハルがきた」
そうで、はあーもう春もちかいなあ、って思います。

三年生かー早いなあ、とか

ふ、と思います。

あれ、もう三年かー。

二年、巻き返し地点かあ。



また海外で勉強したいな。
でも、日本でお仕事したいなあ、と思っている私にとっては
ちょっと時期的にムリで泣く泣くあきらめそうなところです。

日本でお仕事、といういがい、
具体的にどのような職種につきたいか、とか考えてません。

今は、目先の勉強が楽しくて、目先の趣味とか、目先のともだちづきあいとか、
そういうのばかりが楽しくて、あんまり実感わかないです。
多分、
去年の今頃から今まで

あっ!

というまだったので、シューカツまでもあっという間だろうな〜。


心のこりは、
大学在学中に留学、したかったのになあ〜って事。
できれば一年いたかったな。

でも、考えてみればもう一年あっちに行っちゃうと
卒業するのを一年遅らせなきゃいけないと思うんだなあ。

だったら、職を見つけてから、卒業するまで六ヶ月間でもいいから
外の大学でvisiting studentとして、勉強してみたいなあ〜。



・・・わかんないな

どういう未来になるんだろう

思い切って卒業遅らせるかもしれないし、
シューカツして08年卒業してるかもしんない。




シューカツっていっても、私はシューカツでアピールできることは
してきてないし、多分これからもしないのかもしれない。

してきたことなんて、楽しくアホみたいに勉強してきました、
楽しくアホみたいに仏像鑑賞してました(趣味)、とか
がむしゃらにフォトショップの使い方覚えてました(進行形です)、とか
死ぬ寸前でグループやってました、(これは来期も続行・・・)とか
そんなくらいしかしてないかもしんない。


まるまるどこどこの投資銀行とかコンサルとか行きたいと、
それ用に色々勉強している人がいるけど、

多分それは私はできないからやっぱ目先でやりたいことしかしないんだろうな。




大学生活って、こんな時間与えられて何でもしてもいい最後の期間だから、
自分のやりたいことだけつきつめてかないと多分ソンだと思う。

ソンケイする先生からは本読んで、レポートまじめに書きなさいって
言われたから、興味ある分野でそれをやってます。
いい友達は、自分の好きな活動ばかりやってるやつがいるから、
時々仏像見て和んで、時々絵書いて色塗りして和んでいます。

あー多分私大学生活で出来ることってそんくらいだ。
大人になって、もっと要領よくなれるんだったら、もっともっと色々できる
んだろうなあ。でも多分その頃には時間が足りなくなってるんだろうな。

だからせめてこれくらいはちゃんとやって卒業しよう。

留学したいな・・・どうしよう。

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2006-01-13 安全保障

誰にだって誰かを守りたい気持ちはあるのにも関わらず



私達は研究会で時々安全保障の勉強をする。核拡散、ミサイルディフェンス、兵器輸出・・・・。兵器がある限り、国を守るものは兵器でしかない。人を殺す恐ろしい道具だと分かっていても、自分を守るためならば持たなければいけない。

国を守るために大量の兵器を購入するアフリカのとある国。銃だって、地雷だって、買わなければすぐ隣の国にやられてしまう。同じ国の他部族にやられてしまう。自分のコミュニティを守るために大量のお金を、全然ヨユウがない予算から捻出する。教育費がないがしろにされていき、医療費も大幅削減。

武器を手にした少年兵は、母親を、友人を、自分の村を滅ぼすように命令される。国家予算で「自分の国を守るために」購入された地雷や小銃を使って、人を殺してゆく。他の少年兵から撃たれてしまう。腕に弾が残った。病院はどこも開いていない。かろうじて生き残った少年兵は、行くべき学校という場も与えられない。頼るべき人間を失った彼に、頼るべき場所がない彼に、「国益」なんて言葉がつぶやけるわけがない。

国益がどれほど尊いものなのだろうか。国が壊滅すれば、私達も滅びる。でも、私達がいなくなってしまえば国も主体を保てない。

誰だって自分の国を守りたい。でも、それ以上に、誰だって自分の大切な、たった数人と自分自身を守りたい。

私が時々習う安全保障では、人一人の単位で物事を考えるというコトをしない。安全保障における国益は国が取るべき行動だ。でも、国が取るべき行動が、国の大多数の人の幸せを奪っているのであればそれほど悲しいことはない。

安全保障は時にこっけいだ。でも絶対に理解しなければいけない学問だ。悲惨なアフリカのとある国を、どんな形でさえ援助している私達自身が安全でなければ、彼らはもっと安全でなくなってしまう。せめて、日本が安全保障学の概念において安全であるならば、援助は可能だ。その上でしか、よりよい状況というものは生まれない。

アフリカのとある少年兵を陥れるのが安全保障的な「兵器」であるなら、彼を救うのは、私達が開いていくべき未来の安全保障学的な「手法」だ。

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