病院から戻って携帯を見ると、たくさんの友人からメールがあった。「大丈夫?」。電話をかけてくれた友人もいた。SNSの日記にに事故にあった旨、軽く書いたら、私の長年の保護者である友人から「日記のタイトルみて血の気が引けたけど、いきててよかった」とコメントをもらった。古くからの友人である彼女に、生きててよかった、と言われた。はじめてそういわれた。まじめで、ちゃんとした性格の彼女が、自分勝手で、フラフラしている私を叱ることは良くあった。「ちゃんとしなよ」「心配してるんだから」。また、彼女を心配させた。何回目だろう。でも、いつも真剣に心配してくれる彼女をみると、ひねくれて聞こえそうだけど嬉しくなる。私まだ彼女から保護されてる。まだ、彼女は私を娘みたいに気遣ってくれてる。
健忘症と診断され、キズが自分では手当てできないくらいちょっと深かったので、実家に帰った。体も動かないから、家で新聞読んだり、テレビみたり、小説読んだり、ネットしたりしている。今までずっと、2月から春休みだったのに、学校で研究プロジェクトをしていたから、「何もすることがない」という時間がなかった。
自分のことを考える。健忘症になってしまったので、ちょっとした過去が思い出せない。一週間くらいの程度だけど。だから、思い出せないところを探すように、自分の過去を思い出す。大学であったこと、高校の時思ってたこと、中学のとき体験したこと。改めて時間をかけ、遡って見ると、自分が忘れていたことを探し当てることができる。そういえば、高校生のとき、学校が違うけど親しい友人と、毎日毎日メールを送りあっていた。長いメールを。今はそのメールが手元にないからどんなことを書いていたのか思い出せない。けど、あの時、学校にまともに行けずに先が見えなかった自分の生きていく燃料を、彼女とのメールでどうにか自家調達していたというのは感覚で残っている。
その彼女からも、メールがきた。「大丈夫?」。何回も、電話口から、携帯のディスプレイから、直接口から、言われた言葉。彼女の声が、聞こえた気がした。「ミホコ、大丈夫だった?」と多分彼女なら言うだろう。
そのことを、彼に電話した。ちょっと嬉しくて、私が自分で饒舌だと喋りながら意識できた。そして少子化だか何だかについて話していたとき、つい、あの、ディベートしている時のように(入っているサークルはディベサー)まくしたてていた気がする。「聞こえない」といわれて、素に戻ってしまった。「何回もさっきから聞こえないって言ってるのに、俺のこと、きいてた?」
「自分ひとりだけで喋りたいなら、相手はいらないだろう」と。「興奮すると、他の人を省みずに喋るんじゃないの」と指摘、というよりも多分叱られた。的を得ている。事故にあってしまって、過去を探る作業を自分の中で丁寧に始めてから、気づいていた短所だ。過去を思いだす、という作業は自分がどのような人間だったか、気づくのに似ている。
その気になれば、多分人は誰よりも客観的に自分の長所や短所を把握できる。でも、人に言われて初めてそれが「実感」として自分と向き合う材料になる。自分自身の事を自分自身で気づき、そして認めるのは、コトガラによっては無い様である様なプライドに左右されて無かったことにされる。自分のことを把握できるなら、それを伸ばすか、直すかを自分自身で、素直にそれに気づいた時点で始めなければいけないのに。
事故にあって、周りの人からどれだけ支えられているか、自分自身の「課題」がどこにあるか、を強く実感できるようになった。ありきたりなことだけど。 |