himajin top
Love sick

私はそれ(ばらの花束)を、じかに、正確に写生しようとして、細部に熱中し、ばらの花をありのままに描くことに没頭した。その結果、私はもたもたとつまずき、どこへも到達できず、最初にもっていた観念(イデー)、私を魅了したヴィジョン、つまり出発点を見失い、二度と取り戻すことができなくなってしまった。私はもう一度それを取り戻したいと思う。―うまく最初の魅惑を取り返すことができれば。
ピエール・ボナール
アンジェール・ラモットとの対話より 1943年

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-01-20 シモン
2003-01-15 「答え」
2003-01-08 12月の赤いりんご
2002-12-25 ハッピー・クリスマス
2002-12-22 「東京サーカス」
2002-12-16 「楽園ベイベー」
2002-12-10 spiral
2002-12-05 11月のバラ
2002-12-03 トライアングル
2002-12-02 Bleston Court 2


2003-01-20 シモン

私は車に戻り、そのまま家へ帰った。
浅野には会わず、電話さえ入れず、りんごも花束も車に残したままだった。

ジルが話す「友人」とは、仕事のパートナーの彼のことだった。
私はもう少し早く、それに気がつくべきだった。
いつか、ジルの運転する車の助手席から、不躾な視線で私を見た人物。
幾つもの伏線は、敷かれていたのか。

ジルと初めて出会った時、「彼」はジルの隣りにいた。
私の意識の中で、そこから引っかかっていた何か。
誕生日の夜、花束を受け取った時にも、
新しい部屋の鍵を持って、そこに画を運び入れた時にも、
ジルと彼は一緒だった。
今夜も一緒だった。

シンクの脇に置かれたアルコールも煙草の吸殻も、ジルのものじゃない。
寝室の明かりに光った腕時計は、ジルのものではなかった。


たしか、似たような小説を読んだことがある。
彼は何という名だっけ、
シモン
そう、シモン。
でも、まさかこんなことって。

レダのように、嘔吐や眩暈は私にはやってこなかったが、その夜は眠れなかった。
雪の空の裏側で、錆びた月が動かずにいた。
車の後ろの座席ではりんごが崩れ、
花は凍って、翌朝だめになった。





December


先頭 表紙

2003-01-15 「答え」

寝室を入り、すぐ右の壁には、一枚の画があった。
「ボナールだよ」と、ジルが言った。
明かりの中でよく見ると、カラーリトグラフだった。
「これは、向こうの部屋に持っていくの?」
「持っていく」

ジルが所有する画の数枚は、女性を描いたものが多い。
新しい部屋に、それらが飾られる。
美術家たちとは別に、ジルはきっと絵柄の外には、意味づけを求めないんだろう。
そう思いたかった。

ジルは、友人の話しを喋っていた。
「もう休むといいわ おやすみなさい」
ジルにそう言って、私は寝室を出た。

何かが引っかかっていた。
もしかしたら
もしかしたら

ずっと前から、微かに私の意識の中で引っかかっていたものが、くるりとこちらを向きそうな感じだった。
この部屋にはいたくなかった。

もしかしたら

私は、その先を追うのを止めて、急いで違う他の何かを考えようとした。
それでも、それは緩く解れていき、止まることがなかった。
ああ、そうだったのか
そして、私にはその答えがわかってしまった。


浅野の顔を思い出す。
車の中で冷え切った花束を思う。
このまま、早く家に帰りたかった。





Anemone


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2003-01-08 12月の赤いりんご

浅野と浅野の知人らの食事の席に同席するという約束で、
私は、店から戻って急いで仕度を整えた。
浅野の店に飾る、クリスマスのディスプレイ用のりんごを持って出るつもりだった。

玄関でブーツを履こうとしたその時、電話が鳴った。
ジルだった。
「はい」
「部屋に来て欲しい」
「これから?」
「迎えにいく」
「いい、車だから」
「着いたら、入って来て」
「わかった」

ジルの電話を切った後、浅野へ電話を入れようと思い、少し迷ってやめた。
ジルの部屋から今夜の店までは歩いて行ける距離で、
何より今夜のメンバーを思うと、1時間ほど遅れて行くのがちょうどいいと思った。



ジルは棚から備前の器をふたつ出し、「これに、お茶を淹れて欲しい」と私に頼んだ。
そして、「疲れている」と私に言った。
ジルの顔を見た時に、そう思っていた。

器と茶筅を温めた後、少し多く抹茶を入れた。
正面を向けて差し出すと、ジルはそれを受け取り、そのままお茶を飲んだ。
「おいしいけれど、濃い」
「濃くいれたの」
もうひとつの器を持ってジルの側へいき、私もお茶を飲んだ。
「よい茶碗ね」
「もちろん」ジルが少し笑って答えた。

道具を片付け終わると、
ジルは、李朝の家具が載った雑誌を開いて私に見せ、
新しい部屋に置きたい物があると言った。
コレクションをまだ増やすつもりなんだろうか。

「その薬箪笥の向かいに、ハラコを敷いたらいいのに。裸でごろごろしたら、きっと気持ちいいわよ」
以前雑誌で見た、島田順子のブローの家の、ゼブラのハラコを思い出した。
「そうだね」ジルが軽く答えた。


今頃、浅野と中年の女たちは、金融の話しを喋り続けているはずだった。
外は、12月に降る何度目かの雪のせいで、ひどく寒いはずだった。
雪に濡れて、クラフトで包んだ手土産の花は、台無しになるはずだった。
私は、黒いブーツを履いて、揃えた両脚を、見せるはずだった。


ジルは寝室に入って行った。
開けたままのドアから、照明が洩れて見える。
ジルは、「おいで」と私を呼んだ。


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2002-12-25 ハッピー・クリスマス

さあ今日はクリスマス
あなたは今年どんなことをしてきた?
また1年が終わって
新しい年が始まる
今日はクリスマス
楽しんでちょうだい
近くにいる人 愛しい人
老いた人 若い人

心からメリー・クリスマス
そしてハッピー・クリスマス・イヤー
誰も恐怖を感じることのない
いい年になることを願いましょう    
    
John Lennon & Yoko Ono    Happy Xmas(War Is Over)
対訳 野村伸昭






よいクリスマスをお過ごし下さい。
よい新年をお迎え下さい。


Best wishes to you 

ニナ


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2002-12-22 「東京サーカス」

そこが閉じられる少し前、「日刊ジョニー」の彼の更新だけが、不定期にアップされ、私はそれを読むたびに、彼の苛立ちのようなものを少しだけ感じていた。

最後の文章は、よく覚えている。
ある晴れた日の朝、彼は熱病から突然、冷めたという。
がらんとした空虚。見えるのは何もないないしんとした世界で、それをまた迎えたのだと。
情熱の後の、熱中の後の、光景。そしてそこからまた始めるという。繰り返し。


私が「東京サーカス」を手に入れたのは、それを読んだ少し後のこと。
運命としての「私」を抱えたままでの写真行為。その行為の痕跡としての写真とは、どんなものか、手にして見たかった。
もちろん、ジョニーという架空の人物に、ずっと惹かれていたのも事実。

写真家と刹那の関係性の中にある彼等表現者の存在には、軽い嫉妬さえ感じた。
それが小説家であったり、スターであったり、老人(私にとっては)であったりしても。

「東京サーカス」大野純一 ポートレイト写真集http://www.ne.jp/asahi/tokyo/circus/diary/2002/2002/tokyocircus.html
*この本の収益は全て、世界の働く子供たちへ寄付することを目的とする。

大野純一 オフィシャルサイト
http://www.ne.jp/asahi/tokyo/circus/


昨日、もう1冊、「東京サーカス」を手に入れた。
そして私は、シンプルにただページをめくり、写真を見つめる。
彼の情熱の発露は、ここに確かにあると思う。


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2002-12-16 「楽園ベイベー」

12月に入り、新しく購入した部屋の鍵が、ジルに渡された。
土曜日の夜、まだ独特の匂いの残るエレベーターを使って、その部屋に入った。
内装が全て整った後、部屋に花を飾るよう、ジルから依頼されている。
温かい床と白い壁。既に、画が何点か運ばれていた。
以前の部屋には飾られなかった画。
時計や車や絵画や部屋や恋人を、同じように変えていくんだろう。そう思った。
私はしばらくそこにいて、そのあと暖房のスイッチを切り、ひとつだけ取り付けられた簡単な照明を消して、部屋を出た。




溶けた雪が凍り、朝から道路は最悪だった。
出来ることなら、クリスマスも正月も一切気にせず
南半球のビーチにでも行き、浜辺に寝転がりたかった。
ビキニをつけ、ずうっと日光浴をしていたい。そんな気分だった。
友人も、半日くらいなら付き合ってくれるだろう。

店や街に流れるクリスマスソングにはあきあきしていた。
私が、夏に流れた曲をかけると、ジルは、「理解できない」といった、それでも時々見せるその表情をした。
   
   Wonderful time It’s precious time
   Wonderful time It’s our styie



「楽園」をテーマに写真を撮る写真家は、テレビで語っていた。
僕が撮るのは、ドキュメンタリーじゃないからね。演出は、ありだよ。
きれいなものを撮りたい。
タヒチでは、楽園の花をテーマに撮り続けていた。そこで、ゴーギャンと自分の繋がりを語る。
オーシャン・グリーンの海の色と、セルリアン・ブルーの空の色。それを写す、絵画的な写真。
ペントハウスのオフィスからは、都会のビルと河が下に見えた。
数名の社員と仕事をし、共に昼食をとる。築地で仕入れた新鮮な食材を切り、鰹節を削り、料理を作る。器に盛り、テーブルに並べ、それを食べる。
「味覚と感性は繋がっているんだよ。」
    
十年前に、こうなりたいと願った姿は、現在の僕だよ。
願い続けることが大事。願わないとそうならない。運もあるけれどね。
運をつけるコツはあるよ。
42歳の写真家は、そう言ってにやりと笑った。

十年後のビジョン? 十年後じゃ遅すぎる。



靴屋の棚には、ピンク色カバーの「HOTEL楽園」が置いてあった。
手に取るか迷い、新しく入った女店員に遠慮して、やめた。
黒の表革のロングブーツは、VERO CUOIOのもの。革の底には、蝶の印がひとつ。
これを履いて後ろを振り返ると、自分の足首を確かめるへんな癖も、気にならなかった。
印象的な花柄のスカートを合わせようと思った。
寒い街の中、踵を鳴らして歩くと、スカートが揺れる。そして、足の裏には白い蝶が一匹。
なかなかいい。






                                     .


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2002-12-10 spiral

思わぬ話しをジルから聞かされ、私は彼を責めていた。
最後はどう答えていいのか分らず、
「さよなら」と言って電話を切り、そのまま電源を落とした。
いつも電話の最後に、私が「さよなら」と言うのを、ジルは好きではないと言っていた。
「本当のさよならに聞こえるから、さよならと言うのはやめて欲しい」
そうジルが言うのを思い出して、悲しくなった。
今夜、ジルの新しい年齢と同じバラの花束を渡す約束は、とても出来そうになかった。
ジルが話した事実を薄くなぞろうと試みたが、ひとつで十分だった。それは、ずるずると繋がっていたから。

結局、午後8時を過ぎてから、私は用意した花の茎を台に並べ、螺旋の束を丁寧に作っていった。
午後9時、ジルが最後に寄ると言っていた店へ花束を持って行く。
客の好奇の視線をいくつか感じたが、それを一切無視し、オーナーを待った。
「お誕生日の花束です。後ほどこちらで受け取られるとのことです」ジルの名を告げる。
「わかりました。お預かりします。」オーナーがにこやかに答えてくれる。
「女性のお方がお誕生日でしょうか?」恋人のことを言っている。
「いいえ、ご本人です」
「はい。それではたしかに。」オーナーは花を抱えてそう言った。
彼女は多分、もうこの店には来ない





私がずっと眠っている間、ジルは恋人と別れた。
いつだって現実は、小説より唐突で複雑でドラマチックで生々しい。

名残りの短い秋が過ぎ、11月はまるで真冬のような雪が舞った。
そして12月がはじまる。


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2002-12-05 11月のバラ

軽井沢から戻った3日後の夜、私は体調を崩して倒れた。
そのまま5日間、普通に起き上がることも出来ず、寝室から出ることがなかった。
松木が私を病院へ連れて行き、私を抱えて病室のベッドに移したことを、ぼんやりとした意識の中で覚えている。
「検査が必要ですよ。」看護婦が言った。
最後の検査を受けたのは、たしか6、7年前のこと。
あれから、忘れていた。

11月の最終の日曜日は、「エキセントリックな反復」を得意とする、ある芸術家の親族から受けた大切な仕事が決まっていた。
6月に美術館で見た「点の集積」は、とても好きな作品でしたと話すつもりが、回転式の目眩を感じて、そのまま彼女の話しは出来なかった。
4日前に起き上がり、準備をして、無事に終わる。
一週間を残し、11月も終わりだった。





私がずっと眠っているあいだ、バラはゆっくりと朽ちていった。


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2002-12-03 トライアングル

六本辻を入り、Rの店へ向かう。
駐車場に入り、ジルは車を止めて仕事の電話を受けた。
私は一人で車を降り、店の中へ入った。

「こんにちは」 顔見知りの店員に挨拶をする。
9月に作ってもらったネックレスの長さを、少し直したかった。
首から外して、それを預けた。
調整の箇所のシードビーズを足し、金具の繋がりの部分を補強するようにお願いする。
アンティークスワロフスキーの「ロゼ」と、フランスのアンティークビーズ、淡水パール。
一粒のロゼは、周りの色を反射して、独特の色味を見せてくれる。
今日のようなよい天気の日は特に。
ジルは、「髪の色に合っているね」とだけ言った。

ディスプレイされた中から、「バミューダ」を探す。
ダブルコーン型の黒いビーズで繋がれたブレスレット。
夏に見て、ずっと欲しかった。
「バミューダ海峡の海の色ですか?」と、あの時尋ねたら、「そうですね。」と若い店員が答えた。


バミューダ・トライアングル 魔のトライアングル。
バミューダ、フロリダ半島のマイアミ、プエルトルコ島のサンファンを結ぶ三角海域。船舶や飛行機が謎の蒸発を遂げるという魔の水域。黒い海の色。

腕にはめてもらうと、まるでそれは黒い鎖のようだった。
私には似合わない。鏡に映してみても同じだった。全く似合わない。
断って腕から外し、それを返した。

直し終わったネックレスをつけてもらい、店を出る。
ジルは車の中で待っていた。
「ごめん、電話が長くなって」
「もういいの?」
「うん」
「ブレスレット、あった?」
「ううん、似合わなかった」

ネックレスに絡まった髪を掬い上げて、横にはらい、
それから私は、シートに深く座りなおした。上等な革の手触りを感じて、少しほっとする。
ジルは静かに車を出した。


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2002-12-02 Bleston Court 2

リエットはややゆるめで、フレッシュなパプリカの甘味がよいアクセントになっていた。そのガラスの皿の端には、クミンが少し盛られていた。
熱く焼けた茸に、酸味のあるチーズ、クリーミーなチーズがそれぞれ溶けて、私たちはフォークを置き、それを手掴みで食べた。
豚肉は柔らかく、クレソンのソースはきれいな濃い緑色をしていた。
「おいしい」
「うん」

私たちが食事をしている間、中央の通路から新郎新婦がやって来て、家族らと共に、テラス席へ入っていった。通路を進むウエディングドレスの新婦にしばらく、食事中の客の視線が集まった。式を終えて、会食が始まるのだろう。
後ろを向くと、テラス席がすぐ真下に見えた。ガラス張りのテラス席は、日が入りとても明るい。
セットされた白いクロスの上に、ホリゾンタルスタイルの花。
席の後ろには、スタンドに収まった、白と淡ピンクのラウンドブーケがひとつ。
まだ若い、20代前半の感じの二人。幸せな笑顔をしていた。

続いて、また一組。隣りのテラス席へ入っていった。
ジルがワゴンからデザートを選んでいる最中にも、また一組。
「ウィークデーなのに、多いのね」
「週末をゆっくり過ごすことができるようにと、最近は多いですね。」
アイスクリームのワゴンを下げながら、ガルソンがにっこり答えた。
にっこりがお決まり。

私とジルがデザートを終えると、既に午後2時半を過ぎていた。
テラスからは談笑が聞こえたが、こちらのフロアーに他の客はいなかった。
皆、食事を終えて帰った後だった。
「ゆっくりし過ぎたね」
ガルソンがテーブルクロスを交換する光景を見ながら、ジルがそう言った。
すぐ近くのテーブルでクロスが替えられると、その、ふわりと舞うクロスを見て、私たちは思わず「素敵、手品のよう」と声をかけた。
一番下のクロスを残し、使ったクロスを半分折り畳んで、新しいクロスを挟む。
彼がクロスを一度に引っ張ると、古いクロスは抜けて彼の手に残り、新しいクロスはテーブルの上に残る。位置はぴたりと変わらない。
彼はにっこりと笑い、一礼して戻っていった。

「行こう」ジルが言い、私たちは席を立った。

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