himajin top
Love sick

私はそれ(ばらの花束)を、じかに、正確に写生しようとして、細部に熱中し、ばらの花をありのままに描くことに没頭した。その結果、私はもたもたとつまずき、どこへも到達できず、最初にもっていた観念(イデー)、私を魅了したヴィジョン、つまり出発点を見失い、二度と取り戻すことができなくなってしまった。私はもう一度それを取り戻したいと思う。―うまく最初の魅惑を取り返すことができれば。
ピエール・ボナール
アンジェール・ラモットとの対話より 1943年

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2002-12-10 spiral
2002-12-05 11月のバラ
2002-12-03 トライアングル
2002-12-02 Bleston Court 2
2002-11-28 Bleston Court
2002-11-27 AVEC LE TEMPS 
2002-11-19 ファニーフェイスの並び
2002-10-31 下がる太陽、月と星。
2002-10-30 ノルウェー・アイランド
2002-10-29 「二枚貝のクロニクル」


2002-12-10 spiral

思わぬ話しをジルから聞かされ、私は彼を責めていた。
最後はどう答えていいのか分らず、
「さよなら」と言って電話を切り、そのまま電源を落とした。
いつも電話の最後に、私が「さよなら」と言うのを、ジルは好きではないと言っていた。
「本当のさよならに聞こえるから、さよならと言うのはやめて欲しい」
そうジルが言うのを思い出して、悲しくなった。
今夜、ジルの新しい年齢と同じバラの花束を渡す約束は、とても出来そうになかった。
ジルが話した事実を薄くなぞろうと試みたが、ひとつで十分だった。それは、ずるずると繋がっていたから。

結局、午後8時を過ぎてから、私は用意した花の茎を台に並べ、螺旋の束を丁寧に作っていった。
午後9時、ジルが最後に寄ると言っていた店へ花束を持って行く。
客の好奇の視線をいくつか感じたが、それを一切無視し、オーナーを待った。
「お誕生日の花束です。後ほどこちらで受け取られるとのことです」ジルの名を告げる。
「わかりました。お預かりします。」オーナーがにこやかに答えてくれる。
「女性のお方がお誕生日でしょうか?」恋人のことを言っている。
「いいえ、ご本人です」
「はい。それではたしかに。」オーナーは花を抱えてそう言った。
彼女は多分、もうこの店には来ない





私がずっと眠っている間、ジルは恋人と別れた。
いつだって現実は、小説より唐突で複雑でドラマチックで生々しい。

名残りの短い秋が過ぎ、11月はまるで真冬のような雪が舞った。
そして12月がはじまる。


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2002-12-05 11月のバラ

軽井沢から戻った3日後の夜、私は体調を崩して倒れた。
そのまま5日間、普通に起き上がることも出来ず、寝室から出ることがなかった。
松木が私を病院へ連れて行き、私を抱えて病室のベッドに移したことを、ぼんやりとした意識の中で覚えている。
「検査が必要ですよ。」看護婦が言った。
最後の検査を受けたのは、たしか6、7年前のこと。
あれから、忘れていた。

11月の最終の日曜日は、「エキセントリックな反復」を得意とする、ある芸術家の親族から受けた大切な仕事が決まっていた。
6月に美術館で見た「点の集積」は、とても好きな作品でしたと話すつもりが、回転式の目眩を感じて、そのまま彼女の話しは出来なかった。
4日前に起き上がり、準備をして、無事に終わる。
一週間を残し、11月も終わりだった。





私がずっと眠っているあいだ、バラはゆっくりと朽ちていった。


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2002-12-03 トライアングル

六本辻を入り、Rの店へ向かう。
駐車場に入り、ジルは車を止めて仕事の電話を受けた。
私は一人で車を降り、店の中へ入った。

「こんにちは」 顔見知りの店員に挨拶をする。
9月に作ってもらったネックレスの長さを、少し直したかった。
首から外して、それを預けた。
調整の箇所のシードビーズを足し、金具の繋がりの部分を補強するようにお願いする。
アンティークスワロフスキーの「ロゼ」と、フランスのアンティークビーズ、淡水パール。
一粒のロゼは、周りの色を反射して、独特の色味を見せてくれる。
今日のようなよい天気の日は特に。
ジルは、「髪の色に合っているね」とだけ言った。

ディスプレイされた中から、「バミューダ」を探す。
ダブルコーン型の黒いビーズで繋がれたブレスレット。
夏に見て、ずっと欲しかった。
「バミューダ海峡の海の色ですか?」と、あの時尋ねたら、「そうですね。」と若い店員が答えた。


バミューダ・トライアングル 魔のトライアングル。
バミューダ、フロリダ半島のマイアミ、プエルトルコ島のサンファンを結ぶ三角海域。船舶や飛行機が謎の蒸発を遂げるという魔の水域。黒い海の色。

腕にはめてもらうと、まるでそれは黒い鎖のようだった。
私には似合わない。鏡に映してみても同じだった。全く似合わない。
断って腕から外し、それを返した。

直し終わったネックレスをつけてもらい、店を出る。
ジルは車の中で待っていた。
「ごめん、電話が長くなって」
「もういいの?」
「うん」
「ブレスレット、あった?」
「ううん、似合わなかった」

ネックレスに絡まった髪を掬い上げて、横にはらい、
それから私は、シートに深く座りなおした。上等な革の手触りを感じて、少しほっとする。
ジルは静かに車を出した。


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2002-12-02 Bleston Court 2

リエットはややゆるめで、フレッシュなパプリカの甘味がよいアクセントになっていた。そのガラスの皿の端には、クミンが少し盛られていた。
熱く焼けた茸に、酸味のあるチーズ、クリーミーなチーズがそれぞれ溶けて、私たちはフォークを置き、それを手掴みで食べた。
豚肉は柔らかく、クレソンのソースはきれいな濃い緑色をしていた。
「おいしい」
「うん」

私たちが食事をしている間、中央の通路から新郎新婦がやって来て、家族らと共に、テラス席へ入っていった。通路を進むウエディングドレスの新婦にしばらく、食事中の客の視線が集まった。式を終えて、会食が始まるのだろう。
後ろを向くと、テラス席がすぐ真下に見えた。ガラス張りのテラス席は、日が入りとても明るい。
セットされた白いクロスの上に、ホリゾンタルスタイルの花。
席の後ろには、スタンドに収まった、白と淡ピンクのラウンドブーケがひとつ。
まだ若い、20代前半の感じの二人。幸せな笑顔をしていた。

続いて、また一組。隣りのテラス席へ入っていった。
ジルがワゴンからデザートを選んでいる最中にも、また一組。
「ウィークデーなのに、多いのね」
「週末をゆっくり過ごすことができるようにと、最近は多いですね。」
アイスクリームのワゴンを下げながら、ガルソンがにっこり答えた。
にっこりがお決まり。

私とジルがデザートを終えると、既に午後2時半を過ぎていた。
テラスからは談笑が聞こえたが、こちらのフロアーに他の客はいなかった。
皆、食事を終えて帰った後だった。
「ゆっくりし過ぎたね」
ガルソンがテーブルクロスを交換する光景を見ながら、ジルがそう言った。
すぐ近くのテーブルでクロスが替えられると、その、ふわりと舞うクロスを見て、私たちは思わず「素敵、手品のよう」と声をかけた。
一番下のクロスを残し、使ったクロスを半分折り畳んで、新しいクロスを挟む。
彼がクロスを一度に引っ張ると、古いクロスは抜けて彼の手に残り、新しいクロスはテーブルの上に残る。位置はぴたりと変わらない。
彼はにっこりと笑い、一礼して戻っていった。

「行こう」ジルが言い、私たちは席を立った。

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2002-11-28 Bleston Court

ジルのクーペは左に曲がり、ゆっくりと坂道をのぼっていった。
ホテルの建物が見える。
正面から駐車場へ周ると、ちょうど挙式を終えた人々が、木々の向こう側に見えた。
私は、助手席から後ろを振り返ったまま、鮮やかな白いドレスを目で追った。
「ねえ、見た?」
「うん。」

夏の間開放されるテラスはひっそりとしていた。
ラウンジの横を通りすぎ、奥のレストランへ向かう。
思ったより店内は賑わっていた。女性客が圧倒的に多い。
私たちが案内された席の左側のテーブルには、若い大学生風のカップルがいて、
席につくジルを、その女性がちらりと見た。


前菜に、「秋鯖と茄子のリエット スリランカ風」と「秋の茸とクアトロフロマッジョのピッツァ」
メインはどうする?と言った後、同時に「トウモロコシ豚とオマール海老のクレソン風味」がいいね。と言って、二人で同じにした。
グラスワインの赤をひとつ。これは私に。
ジルは全くアルコールを飲まない。

冗談のように大きなボトルを抱えたガルソンがやってきて、
クロスを当てた口から、グラスにワインを注いでいった。
あんな重たいボトルを持ち上げて一滴もこぼさずに注ぐなんて驚きね。と言うと、
ジルは、「本マグロを逆さにしたみたいだ。」と言った。
試しにもう1度頼むと、さっきと同じ彼が、やはり本マグロを抱えてやってきた。
そして、2杯目の赤ワインを上手に注いでいった。





Party #2


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2002-11-27 AVEC LE TEMPS 

夏の終わり、「赤い花を描いて欲しい。」とだけ言って頼んだ絵が、秋になって出来あがった。
それは、私の感受性に浸透する、繊細で憂いを持った赤いアネモネの絵。
黒のアンティーク調の木枠を額にしてもらい、それを自宅の左の壁に飾った。
11月に入って本物のアネモネが揃うと、その赤だけを抜き取って持ち帰り、ガラスの花器へ入れて絵の下へ置いた。


無題ですから。と言われて渡された時、
私は、同じタイトルをこれにつけようと思った。
バーキンの曲からつけたの。と、たしか彼女は言っていた。




遠い国へ時々手紙を書きましょう。という、約束を忘れていてごめんなさい。
懲りずにふざけた生活を楽しんでいる女がいると思って、読んで下さい。

時がすぎて、
何も変わらないのはつまらない。
昨日の今日があるだけよ。そう思いたくはない。
ねえ、そうでしょう。




「 AVEC LE TEMPS 」  アクリル板にパステル


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2002-11-19 ファニーフェイスの並び

週末の夜は浅野と会った。
ジルは風邪をひいて自宅で眠っている。

4年前に、知人を通して浅野を紹介された。
背が高く、腕と脚が長いモデルのようだった。
長袖のシャツの柄と、黒髪のボヴカットが印象的だった。
私より4つ年上だと言う浅野の顔を見ながら、
「なんて無表情な女だろう。この顔で恋愛をするのかしら。」と、
私は初対面にしては親切でない感情を抱いたが、
その思いは、こうして現在会っても変わらない。


「相変わらずポーカーフェイスね。」私が意地悪に言うと、
「ファニーフェイスのニナさん。そのひらひらのモリナーリ、お似合いよ。」と言って、浅野は先に席についた。

今年の夏以降、浅野とは月に一、二度会うようになっていた。
来年の彼女の起業に向けて、私をパートナーにしたいという彼女の希望からだったが、女二人の仕事は上手くいかない。と私が断った。
「私たち、上手くいくと思うのに。」浅野の口癖は変わらなかったが、瞬きの少ない浅野の目がこちらに向けられることに、私はなかなか慣れることはなかった。
たいがいは、互いの近況報告や俗話しを喋る友人としての時間を過ごすことが多かった。親切でない感情を抱く慣れない相手なのに、それでも浅野は私の大切な友人の一人だった。

有名なクラブのママの誕生日に誰と誰が花を贈ったか、もちろん彼等を褒め称え、
しかし彼等の乗る車と腕時計のセンスは悪趣味だと笑った。
新しい名刺のデザインをどうするか、書店で立ち読みした黄色い表紙の名刺図鑑の中身の何枚かを紙ナプキンに書き記し、
そういえば、最近ウェブサイトを新しくしたある写真家の事務所訪問に失敗した。と話した。
関わりたくない幼稚な女のことをうんざりしながら喋り、
先月倒産した企業の固定資産の行方を知って、関係者に同情した。

料理は鰯の前菜のあと、カウンター越しにおこした炭火で帆立、鯛、貝、鰹などの焼き物。
いか墨とワタの和え物が途中で出され、
その後、自家燻製したタンのスライス、地鶏、プチトマト。全て焼く。
ひどく炭火に執心している店主に向かって、私たちはパスタをリクエストした。
店主がいくつかあげる中で、「上海ガニのトマトソース」のパスタを頼んだ。

化粧室に入った時、洗面台の正面の鏡にうつったポスターに気がついた。
ちょうど背の壁に掛けられた、大きな額に入ったそのポスターを正面に立って見た。
ジョージア・オキーフの骨の画だった。砂漠の中の骨の画。
昔、私の花の写真を見て、「ジョージア・オキーフの絵を大写しにしたの?」と言った「彼女」のことを思い出した。もう、あれから2年経つね。

店を出てから、歩いてあるビルまで向かった。
私も浅野も、以前から互いに気になっていた物件の一角を見に行く。
近くを通る度に覗いては溜息をつく、すばらしく理想の場所だった。
「テナント募集」の不動産会社の看板が外されていた。ガラスに貼られていた数枚も無くなっていた。
借り主が現れた?
しばらく浅野とそこに立ち止まったままでいたが、もとの道をまた戻り歩いた。
「来週は忙しい?」
「軽井沢へ行く」
「11月よ。」
「いいの」ジルと約束をしていた。
「私も連れていきなさい。電話するから。」
「うん 電話して」

それから、熱いコーヒーを飲むために二人で友人の店へ向かった。
浅野の背は高く、私たちは少し差のある並びで、夜中の街を歩いていった。

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2002-10-31 下がる太陽、月と星。

あっという間に太陽は高度を落とし、西側の建物の外壁に隠れてしまった。
唯一、陽が当っていた席も日陰となり、気温がぐんと下がって感じられる。
3週間前の同じ時間、この席の二つ右隣に座った私たちに、陽射しは十分届いていたはずなのに。

紅茶の残りが入ったカップを持って、店の中へ戻る。
午後2時。店内の客は私の他に、遅めのランチをとる二人連れの若い女性だけだった。
窓側の中央のテーブルにカップを置き、席につく。
奥から店主が出てきて、外に残されたポットを片付けた。
店主はこちらへ戻り、「温めなおしましょう。」と言ってカップに触れたが、
私は、「いい、代わりにコーヒーを。」と頼んだ。

ジルのことを考える。
ジルは私をどうしたいんだろう。
ジルの恋人は、ジルをどうしたいんだろう。




「10月30日。東の空、月が昇ってまもなく木星も昇り、両者のならぶようすを明け方まで見ることができます。」
その夜、午前3時の東の空(東京)という星座表を手に、午前2時半すぎにベランダへ出た。
東の空。低い位置に、かなり傾いた下弦の月を見つける。
その右下にあるはずの木星を探すが、見つからない。
もう一度、暗い闇で目をならし、そして東の空を見る。木星は見つからない。
諦めて部屋に戻った。寒すぎる。

秋の夜空は、古代エチオピア王家の神話の星座が並ぶ。
空の中央に、アンドロメダ、ペルセウス、ペガスス、カシオペヤ、くじら座。
いけにえとなり、鎖に繋がれたアンドロメダ王女。天馬に乗り、アンドロメダを救い出すペルセウス。両手を高くかかげた姿の王妃カシオペヤ。メドゥサの首をつきつけられ、石に変わったくじら座。

     ペルセウスの母、ダナエをクリムトが描いている。
     青銅の塔に閉じ込められたダナエ。
     黄金の雨となり、ダナエと交わるゼウス。
     そしてペルセウスが産まれる。
     クリムトの「ダナエ」は、私の大好きな画。
     これもひとつの繋がり。

アンドロメダ座のM31は、この銀河系の中の天体ではなく、となりの銀河の二千億個の恒星の大集団。およそ230万光年も離れている。
230万年昔の姿を、両眼で見つけることの不思議には、もうすっかり慣れてしまった。


ドアを閉め、寝室へ戻り、毛布の中へ潜り込む。
もう11月よ。そう呟いて、目を閉じて眠った。


                                                                            
                                         
                                          


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2002-10-30 ノルウェー・アイランド

カナダへ移住したい。とジルは言った。
「何年か先に、向こうへ行きたいと思っている。一緒に行こう。」
突然のことで驚いた。
「仕事はどうするの?」運転する彼の方を向いて尋ねた。
「甥に任せてもいいし。商権の譲渡も考えている。」

「バンクーバーに別荘を買って、年に2、3回行くのならいいかも。」
「大丈夫だよ、住めばすぐに慣れるから。」
「毎朝パンケーキにメイプルシロップをかけて食べ、出窓にはティディベアを飾るのね。」
私の冗談を無視して、ジルは話しを続けた。
そして、一緒に行こう。と、もう一度言った。

「バンクーバーの小島を買って、別荘を建てた日本の小説家がいたわ。バカンスを家族とそこで過ごすのよ。浜でバケツ一杯のアサリを獲り、庭で野生のブルーベリーを採るの。ディナーは、アサリのワイン蒸しと、泡立てた生クリームをたっぷりかけたベリーのデザート。」

    彼女は島に家を建て、プールを作り、テニスコートを作った。
    人工を雇い、彼等を水上飛行機で往復させた。何日も何日も。
    資材も水も孤島には無かった。
    砂やセメントや水を、重機と一緒に運搬船で運んだ。何回も船は往復した。

「結局、家族は訪れることをやめて、彼女だけがそこで夏を過ごすの。書斎にこもって、原稿を書くのよ。」
ジルは、黙って運転を続けた。
「好きだった小説家なの。胃がんで死んだけど。」
そこまで話して、私も黙った。

ノルウェー・アイランド。余りにも遠すぎる島。


ジルは左のウインカーを点滅させ、ゆっくりと減速して、サービス・エリアへの進入路へ入っていった。
車が止まるまで、私たちは黙ったままだった。


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2002-10-29 「二枚貝のクロニクル」

その日の昼食、ジルと私はムール貝を食べていた。
楕円型のグリーンの中深の皿から、それをひとつずつ取り出し、殻から剥がして食べる。
肉厚の身は柔らかく、噛むと口の中に濃い旨みが広がった。

「ゴルフは散々だった。」と、ジルが言う。
「雨が降って寒かったでしょう?」
「寒かった。」
「スコア、いくつだったか当てようか?」

思いついた数字を言うと、ジルは、「信じられない。」という顔をして、私を見た。
初めてのデートの時、ジルの歳と血液型をぴたりと当てたら、同じような顔をしていたっけ。

「映画「フラッシュダンス」の二人が、レストランでロブスターを食べるシーン、覚えている?」
「いつの映画?」
「20年くらい前。」
「古いね。」
「音楽もよく覚えてる。
 あのね、ボーイフレンドの前で、トレーナーを着たまま、中の下着を脱いじゃうの。するするするって。それ、私も真似できるわ。
 アレックスが嫉妬して、彼の家に石を投げて窓を割るの。そのシーンが大好きだった。」
「僕の家には投げないでくれよ。」 ジルはそう言って、殻をつまんで皿に移した。
ジルには答えず、私はグラスの水を黙って飲んだ。

ふと、まだそこに残っている墨色の艶を見つける。
皿に移された二枚貝の残骸は、ひどく滑稽な形で重なり合い、横たわっていた。
「二枚貝のクロニクル。」
そんなタイトルがぴったりだと思った。

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