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Methylene blue

観賞魚用 メチレンブルー液
成分 本剤180ml中
・メチレンブルー1g
・精製水180ml
薬効 観賞魚の白点病、尾ぐされ症状、水かび病の治療。
使用方法 通常本剤10mlを水約40〜80Lの割合に溶解させ薬浴する。
短時間反復薬浴には、本剤10mlを水3〜4Lの割合で使用。


病魚が透明な出口のない青い水をたゆたうのを見ていると、私が生きる世界もきっとこんな風なのじゃないかしら?
そんな風に思ったわけです。



目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-12-05 奇跡の一瞬・開放される
2003-11-29 前世の魚
2003-10-08 晴れた日には永遠が見える
2003-09-29 「ディスタンス」
2003-09-28 青の名前
2003-09-14 最初の記憶・ワンダフルライフ
2003-09-13 Heavenly blue
2003-09-12 漫魂とADDと。
2003-08-06 助けてリタリン。
2003-07-31 不思議なノスタルジア


2003-12-05 奇跡の一瞬・開放される

部屋が片付いた。
色々言い出したらきりがないけれど、
まあ、私的に
びっくりするほど綺麗に。
マンションのモデルルームみたいに。
初めて、新築の建物にいる実感を味わった。
余計なものが何も出てなくて、
大好きなものばかり並んだ綺麗な部屋。


なんて気持ちがいいんだろう。


朝の白い光が差し込んで
ひと時、何をしてもいい時間が生まれた。
気がかりがなくなった。
私は自由だ。


ああ、普通の人は、
頑張ればこういうところに住めるのね?
クリアーな一瞬
振り返ると、
自分がいかに病んでるかがよくわかる。


つらい時
もがいてもがいてたどり着こうとするのは
やはり、
やめたほうが良いのかもしれない。


私だって、配線がちゃんとしてれば、こういうことが出来るのよ。
混沌と
散らかる思考回路をむやみに嘆いたり
卑下したりするのはよそう。


この一瞬が有ったこと
それだけで
私の人生は幸せだと思うよ。


神様から
へんてこな脳をもらって
ずいぶん苦労してるけど


長い間待っても
来ない朝もあるけれど


どんより曇った空の向こうには
必ず青空があるということ


何かのきっかけで
雲が切れることがあることを
忘れずに

許される限り
生きていよう。

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2003-11-29 前世の魚

前世がなんだったかときかれれば、
私は即座に魚だったと思うって答えると思う。


小さい頃。
そう、あれはまだ公団に住んでた頃だから
4歳より前の頃
父がよくスクリーンに映してくれた八ミリの映画を映すように
公団の天井に
映し出される映像をよく見た。

母に、寝る前に「今日の映画は何?」って聞いたら
「それは夢よ。」と教えてくれた。


それはいつも
水の底から上を見上げる夢。
空を飛ぶように、3人の人が明るい水面を泳いでいたり。
一番忘れられない綺麗な夢は
真っ青の空をバックに桜が散る様子を水の下から眺めた夢。
とても綺麗だけれど
あそこは怖い。
そんなことを思う夢。



小さい頃は水族館に連れて行ってもらうたび
なんともいえない気持ちをもてあました。

私もココにいたような。
本当はココにいたような。

ガラスにおでこを付けながら
息で曇る向こうに向って
「帰りたい、帰りたい」
とこっそりつぶやいてみたりした。


20歳を過ぎて初めて出かけた水族館で
そんな気持ちを抱かない自分に気がついた。
ああ私、ちゃんと人間になったんだわ。
なんて思った。



だから私の前世は魚。



たぶん、池か川にすんでた魚。


ミミズとか食べた記憶は全然無いんだけれど(笑)。

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2003-10-08 晴れた日には永遠が見える

そうだ
あれは社長の社葬のクライマックス
走り回ってくたくたになっていた時のこと

「お葬式なんか、
生きてる人間のためにやるもんさ。
当人はもうとっくに天に召されて僕等のことを眺めてるんだよ。」

喪の礼服に身を包んだ上司がそんな風にうそぶいて
出棺の間際の一瞬、私と一緒に空を仰いだ。

「晴れた日には永遠が見える」
そんな本が社長室にあった。
晴れた空に見える永遠は、
きっと、
羊雲の向こうに隠れた天国への白亜の階段。
その時は、そんなことを考えた。



死んだら人はどこへ行くの?
何を思うの?
私たちのことは見える?
祈りは届く?




生きてる人間の
永遠の疑問符


目に映るもの
何を見ても
思い出に繋がってゆく。
あの人が残したもの。





心にはずっと
寄せては引いて
寄せては引いてる
大きな大きな海がある




どうしようもなく悲しいときは
黙って空を見上げて
大きな空と
ちっぽけな自分を比べて、
その無力を受け入れよう





こぼさないように
こぼれないように





目を凝らせば
晴れた日の空のどこかに



私の求めるものが
本当に見つかるような





気は
もう、しないけれど。

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2003-09-29 「ディスタンス」

孤独な鳥には五つの条件。

最も高く飛ぶ。
伴侶や同類に煩わされない。
嘴を空に向けている。
はっきりとした色を持たない。
優しく歌う。

聖・ファン・デ・ラ・クルスの言葉。
・・・だって。


たぶんなにやら気高い孤独のことなんだろう、
私にはこの五つが
何故五つなのか、
何故この五つなのか
まだどうも理解できない。


無条件にみんな孤独だと思ってる。


例えば
私が見た昨日の夢は、
誰に話しても
どんなに言葉を選んでも
きっと
私が感じたようには決して解かってもらえない。
あの夢を見たのは私一人。
そういうもの。


ただ、
私は自分の「孤独」を想う時、
どうしようもない、自己愛を感じてしまう。



虫の音の鳴りやまない
家族の眠る夜
それぞれの一夜の夢を想う。
私の立ち入れないその領域に、それぞれの孤独を想う。


孤独な鳥の事はわからないけれど。



他者の孤独を思いやれる時
初めて
その人を愛することが出来るんじゃないかしら・・。


そんなことを考える。



・・・・・・
・・・・・・・・・・・・


私は私の、あなたはあなたの
小さな二つの窓から世界を覗き
内蔵する、
性能も性質も方向も時には周波数も違う送受信機で交信してる。


悲しい夢によりそってくれたあなたに
話せていない秘密がある。


忘れられない思い出を語るあなたの声を
聞き流している私がいる。



愛しくて愛しくて
うんと強く抱きしめるけれど、
体ひとつ分立っている位置が違う。背にしているものが違う。




でも、
絶望する事は無い。



それは
決して無くなることがない、
あなたと私の
ディスタンス。



そう、たぶん
「有る」ことだけを忘れずに向かい合うことが出来たなら
私たちはきっとうまく行く。

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2003-09-28 青の名前

ネタ元は伏せておくとして
新しい言葉を知った。
サイレント・ブルー


夜が明ける前の、
夜と朝の間の時間の名前。
青の名前。


あの青い空気に、
こんな名前が有ったのね。


「それは、一日の始まり?終わり?」
「・・・・一日が終わって、始まっていく瞬間の時間かな。」




私は一日の終わりって
夕暮れだと思ってた。

でも、そうよね
あの、青い静かな時に、
一日が終わって始まるんだね。




いいこと言うなあ。


こんな風に
目に見えて、感じているのに
見落としてること
まだまだあるんだろうな

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2003-09-14 最初の記憶・ワンダフルライフ

「乗らないの?」
高い運転席の座席に座って、私を見下ろして声をかけるバスの運転手さん。
私はただ見上げるばかり。
乗ってはいけない。
私は一人でたたずんで、そう思ってる。


それだけの映像。


これが本当の記憶だと確信したのは、
初めて聞いた、母の思い出話から。
妹を身ごもっていた母は、
バス停近くで大量の血を流してしまった。
母は私にここを絶対に動かないように言い聞かせて、
バス停の待合席に私を座らせて、
助けを求めたら、そのままタクシーに乗せられてしまったという。




・・・・・・ああ、そういうことか。


あの運転手さんは、
きっと私が残されたバス停から、発車する間際だったんじゃないかしら?
私は言いつけを守れずに、バスに乗る人たちの後についたんじゃないかしら?
もしこれが本当ならば
妹が生まれたのは私がまだ3歳になっていなかったから、
これは私の2歳の記憶。
最初の記憶。




1998年是枝裕和監督 ワンダフルライフを見た。

人は死んだら、どんな人でも
ある施設に導かれて
それまでの人生の中で一番大切な思い出を三日かけて選んで、
そしてその思いだけを胸に、旅立つことが出来るんだって。


とても救われた。


もちろん作り話。


けれど
そうだったらいいな、
そうだったらいいな
本当にそうだったらいいな。



単館ロードショウを気取って真っ暗にした部屋の中、
スタッフロールを眺めながら
だあだあ泣いた。

本編でいちいち泣ける映画は重くて嫌い
スタッフロールが始まって
初めて泣ける映画がいい。


何でこの映画を手に取ったかと言えば
たまたま見かけたレンタルビデオが
ピンポンに出てたARATA主演だったから
なんて
それはここじゃあ言えないのだけれど


神様は
いろんなものに交えてお返事を下さるのだと
私は思う。


いや、
子どもじゃないんだから

思いたい。
に、しておこうか。





さあ、夜が明けた。


バラバラになったジグソーパズルの3000ピースをかき集めるようにして
私は精神を取りまとめ
現実の世界に帰らなければ。
ちゃんとした人でいるにはこの作業が必要。


私には

とっても大変。





でも、
きっと誰しもそうだと思う。




今は頑張れる。

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2003-09-13 Heavenly blue

デヴィット・リンチ監督の「ブルーベルベット」
リドリー・スコットの「ブレードランナー」
長い長い闇の中のストーリーの果て、
そのラストシーンの青い空と陽光が目にしみる。
悪い夢から覚めた、
生き返るようなその感じ。
青い空の下、降り注ぐ陽の光をこの身に受けられることは、
何より幸せだと思い知る。





青い空を仰ぐたび、思い出す人がいる。
もう一度青空の下に出ることを請いながら
その願い叶う日が訪れることのなかった、顔も見たことのないサイトマスター
あの人の目に映ることのないその空を
私は心して仰いでいる。




そしてもう一人
青い空を待てずに、出かけてしまったと。




願いが強い分だけ絶望は大きく。
誠実で真摯な気持ちが、叶わない自分を許さない。

立てない足を切り落とすように
きっと叶えない自分の存在を
どうしても
許せなかったんだ。


あの人は弱くなかった。


頑張った人が逝ってしまって
甘い私が生きて行く。
今日出来なかった洗濯物を、三日後になって干してでも。


・・・・・・・



どうか神がお許しになって
あの人を天上に導かれますように。





あの人が望む生き方が出来る身体を与えられて
いつか
もう一度こちらへ贈られますように。






白い雲間のHeavenly blue
あの人の魂を
癒してくださいますように。

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2003-09-12 漫魂とADDと。

菅野博士さんによる美術出版社から刊行の「快描教室」と言う本は、
漫画を描いてみたいと思ってる人には目からうろこのとても参考になるお勧めの一冊。
巻頭の言葉にこの言葉が出てくる。
「漫魂」
まんたま、と読む菅野氏の造語。
自分を漫画で伝えたいという気持ちが、なくならないのは、心の中にこの漫魂があるからなのだそう。

私の中にもきっとこれがあるのだろう。
立ち読みしながら、そう思って、この本を連れて帰ってきた。
私は齢40間近にしても、まだもてあましている。

母は、私が絵を描いているというと、ため息をつきながら驚く。
「小学校一年生の時、担任の先生から、絵の才能がなさ過ぎるといわれたのにね。」
私は絵が下手。ずっとそう思ってきた。今でもそう思ってる。そう思いながら、描く事が辞められなかった。下手の横好きを地で行く。

もう学生じゃないんだから、結婚したんだから、子供が出来たんだから、そう思いながら、描くのを辞めようとした。
だって、漫画なんて子どもの読むもの。恥ずかしいもの。専門外の大人が関わることじゃないもの。
両親からのインプリントは未だに有効。

ところが、絵を描いた日は、とても調子がいいことに気がついた。心の底から楽しんでるこの感覚が、
私の脳内地図を晴れやかにする。
ホントなら誰にも見せられないものを、描いてすぐ、人に見てもらえるこの感じ。インターネットの産物。

(まるでゴミ箱。)

そう思ったとき。
かつての美女の言葉を思い出した。
「ゴミなんかじゃないですよ。」

描かずにはいられない。
何か描いているととても楽になれる。胸のツカエが取れる。

この春に、5年ぶりにあった会社の友人にこんなことを言われた。
「あなたの本が、どこかに並んでないかって、本屋さんに行くと探してるのよ。あなた好きだったでしょ。上手だったもの。」
会社の友人の彼女から言われた事は、すごく意外だったし、実際とんでもない過大評価だけれど
すごく嬉しかった。

40近くまでこうなんだから、きっと死ぬまでこうなのかもしれない。
素直に行こう。
ADDも漫魂も抱えていこう。
人生としっかりバランスをとりながら。
インターネットに感謝しながら。

先頭 表紙

2003-08-06 助けてリタリン。

最初に尋ねたお医者さんが、「飲んでみる?」と投げるようにくれたリタリン。
体の、特に心臓と頭の負担が大きくて、覚醒剤。
調べれば調べるほど、なんだか怖くてほとんど飲んでなかった。

でも、やっぱり、どうもこれは普通じゃない。
私の家。
ちゃんと回ってない。
専業主婦なのに。
これではいつか本当に人間の藻屑。

人と会わないと緊張しない気がして、目一杯予定を入れてる。
この夏を楽しく過ごすたいの。


私の苦手な分野の大事業「引越し」を前に
ちゃんとしておかなければ
重要書類も通帳も印鑑も大変なことになる。
何日か出てこなくても何とかなる鍵とは違う。
いるときにさっと出せるように。出てこないなんて事がないように。


常々そんなことを考えてたら、バンドエイドを探してゴソゴソしてた時
引き出しの奥のほうから出てきた。
リタリン。
パキシルもついてきた。
まるで私が呼び出したみたいに。


薄いパラフィン紙の袋の,細胞の中の核のように
ありがたくひとつずつ収まったラムネ菓子のような錠剤を、
日に透かして眺めてた。


私を
助けて


で、今日飲んでみた。

う〜ん
なんとも気心地良い。
しっくり来る。
ちょっと頭痛がするけれど。
泣いた後みたいに体が興奮するけれど。
自律できる。
気力が生まれる。


とは言え
依存症は怖いから
九月になったら、やっぱり紹介状を出してもらった大きな病院に行こう。



きっと。


行こう。

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2003-07-31 不思議なノスタルジア

また、帰省の日が迫ってきた。
帰る故郷が在っていいね、と人は言ってくれるけれど、
私を迎えてくれる、懐かしいものは年を重ねるごとに形を変え
思い出はもうほとんど代謝して、
この土地に私は不用な異物として短い期間存在する。

それでも私は、私を育ててくれた実家の近所を散歩する。
秘密基地を作った禿山は住宅街に、蓮華畑はアパートに、無人駅に駅員さんが常駐し、
お世話になった狭くて暗い文具店がスーパーに変わっても
廃墟を訪ねる探険家が
小さな遺跡のカケラを探すように、
幼馴染みの家々に、もう友人が住んでいることがなくても
その石垣の、私たちの足が削った丸い曲線をなでてみる。


右に夕暮れの住宅街を見ながら国道を歩いた。
あそこを右に入れば、モモちゃんの家だ。
初めてお呼ばれした10歳の日、モモちゃんのママは手作りの「パイ」をご馳走してくれた。
部屋に広がる甘い香りが、私たちを物語の主人公の少女にしてくれた。
そのモモちゃんは今どうしているかな。
ママはどうしているかしら?
そんなことを考えていたら、その角に曲がる道の真ん中で


モモちゃんのママが立っていた。


挨拶を交わす距離にはかなりあるけれど、会釈をしてくれた。
変わらないあの優しい笑顔。
にっこり微笑む、女優さんのよう。
私わ思わず、会釈を返した。
顔を上げたら、もう、ママはいなかった。
よかった、
間近でお会いすれば、「むぎこちゃん、年取って太ったわねえ・・」なんてきっと思われる。(笑)
胸をなでおろしながら、家に帰った。


「国道を一人で歩いてきたの?こんな時間に。」
帰るなり母は不機嫌になった。
「うん、モモちゃんのうちの近くをね歩いてたらね・・・。」
モモちゃんのママにも遭えたのよ。
と言おうとしたら


「木田さんの奥さんが、あそこで亡くなってるのよ。
モモちゃんのママ、道を渡ろうとした時にね・・」


モモちゃんのママは、私が歩いていたあの横断歩道のない国道を渡ろうとしていた。
心あるドライバーが、車を止めてモモちゃんのママに渡ってくださいと合図をした。
ママはきっとあの微笑で会釈をして渡ろうとしたんだろう。
そして、

道をあけてくれたドライバーの車を追い越し、後ろから猛スピードで走ってきた車に跳ねられた。


即死だったんだって。



・・・・聞いてないよ。


じゃあ、
じゃあ私の見たものは?
道の真ん中のあの会釈は?

地縛霊
なんて無粋な言葉も脳裏をよぎったけれど
私はちっとも怖くない。


優しかったモモちゃんのママは、変わらずににとっても素敵だった。

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