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るなの「みちくさ日記」

〜日々是道草〜
るなが道草の途中で見つけた日々の出来事

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2001-01-14 アイルランド旅行記12〜モハーの断崖
2001-01-14 アイルランド旅行記11〜巨人のテーブル
2001-01-14 アイルランド旅行記10〜アランセーター
2001-01-14 アイルランド旅行記9〜ダン・エンガス
2001-01-14 アイルランド旅行記8〜アラン諸島
2001-01-13 アイルランド旅行記7〜ピート
2001-01-13 アイルランド旅行記6〜コネマラ地方
2001-01-13 アイルランド旅行記5〜クロンマクノイズ
2001-01-13 アイルランド旅行記4〜グレンダ・ロッホとパブ
2001-01-12 アイルランド旅行記3〜ギネスビール


2001-01-14 アイルランド旅行記12〜モハーの断崖


巨人のテーブルを見た後、モハーの断崖(Cliff of Moher)に向かう。 クレア州の沿岸、大西洋にそそりだすモハーの断崖は海面から200メートルの高さの絶壁が8キロにわたって続いている所。 イニシュモア島で見た、ダン・エンガスもすごかったが、モハーの断崖はその大きさがさらにスケールアップしている。 それでもやっぱり柵がない。(^^;; モハーの断崖の入り口から左右に道があり、どちらにも登れる。 良くガイドブックに載っているのは右側の道に上り、左側の断崖絶壁を見る景色。 絶壁には海鳥が巣を作り、良く見ると沢山鳥が飛んでいる。

映画「ライアンの娘」で嵐の時に、大西洋から吹きよせる波が、強風で断崖の上まで登るシーンは圧巻だった。 「ライアンの娘」のロケがここだったのかは知らないがまさにそんな風景。 断崖の右側から左側までまた登る。 途中、アイリッシュハープを弾いている人がいた。 アイルランドはエンヤ、クラナド、チーフタンズ、アルタン・・・沢山のアイリッシュトラッドミュージシャンを排出している。 最近はドーナル・ラニーが色々なセッションをしている。 ここで聞いたアイリッシュハープを弾いていた人もきれいな歌声だった。 景色と歌声とハープの音色に、ちょっと感動。 今回の旅ではアイリッシュトラッドやアイリッシュダンスも楽しみしていたのに、ほとんど出会えなかったから嬉しかった。

モハーの断崖ではお土産屋さんで顔の黒い羊の人形を買う。 アイルランドに来て、羊をものすごく沢山見たが、1番多かったのが顔の黒い羊。 あの「ウォレスとグルミレット」に出てくる羊。 うちの犬へのお土産のつもりのつもりで買ったが、帰ってきて渡してもあまり興味を示さないうちの犬。。。 

リムリックに向かう途中の町で昼食を取る。 ラム料理だったような。。 どこに行っても、ギネスビールが美味しい! 最後まで泡が消えないで、美味しさが持続。 パブやレストランによっては幸運の印のシャムロック(四葉のクローバー)を泡の上にマークしてくれる場合もあるそうだが、残念ながら、私達は出会えなかった。

この町では少し時間があったので、町を探索。 不動産屋があったので写真を見ると、庭付き一戸建てばかり。 それも広い庭に洋館という羨ましいものばかり。 やはりアイルランドは人口密度が低くこういう家に住めるのねぇ〜とため息。

途中でボンラッティ城(Bunratty Castle)で買い物休憩を取る。 城自体には時間がなくて入らなかったが、外側から見た感じだとかなり強固で戦いに備えられていた風。 中山星香のファンタジー漫画に出てきそうな城だった。 私がケルトに興味を持ったのは中山さんの漫画を見たことがきっかけ。 アイルランドのお城はまさにケルトそのもので、中も見たかった。

●画像 上:モハーの断崖  下:断崖に咲く花

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2001-01-14 アイルランド旅行記11〜巨人のテーブル


アイルランド旅行5日目。 この日もバス移動。

巨人のテーブル(Big Tabel)があるバレン高原(The Burren)に向かう途中ダン・グェラ城(DUNGARE CASTLE)に寄る。 城の由来は聞かなかったが、こじんまりした石造りの城でまわりには湖があった。 ケルトの神話に出てきそうな雰囲気があった。

バレン高原はゴールウェイとリムリックの間にあり、クレア州にある石灰岩の丘陵。 巨人のテーブルまでは、霧が出ていたこともあり、石灰岩に埋め尽くされた大地は、まるで月かどこか別の星に行ったような不思議な世界。 道が悪く、バスが揺れて写真が取れなかったのが残念。

巨人のテーブルは良くガイドブックにも紹介されているのだが、実は私有地の中にあって、特別に観光名所とされているわけではなかった。 ただ、入り口には誰もいないので、勝手に入って、観光させてもらう。(笑) 巨人のテーブルは俗称で、本当は紀元前2500〜2000年にいた先住民族の遺跡(ドルメン)らしい。 このドルメンは一見テーブルのように見えるので巨人のテーブルと名前がついたそうだが、実は墓石。 バレン高原には約40の墓石があるそう。 荒涼とした石灰岩の大地にポツンと立つドルメンは不思議な雰囲気だった。 まわりにはバターカップの黄色い花が沢山咲いていて、兵どもが夢のあと・・・と芭蕉の句を思いだした。

●画像 巨人のテーブル(手前の黄色の花はバターカップ)

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2001-01-14 アイルランド旅行記10〜アランセーター


もっと島にいたい・・・と思いつつ、フェリーの時間までお土産屋さんを見る。 アラン諸島はアランセーターでも有名だ。 アランセーターマーケットという店があり、店内を見たが、手編みのせーターはお値段が高い。 機械編みのものは安め。 アランセーターで1番勇名なのはフィッシャーマン用の模様が入ったものだろう。 今もそうかは分からないが、その模様でどこの家の者か分かるようになっているそう。 昔は海で漁をしていて、遭難する場合も多かったから、服の模様で誰かを判断していたらしい。 こういう所はスコットランドの戦場でキルトから、どこの家の者かを判断していたのと似ている。

イニシュモア島ではセーターは買わず、ケルト模様のシルバーリングを買った。 クラダーリング(王冠を乗っけたハートを手に持つリング)は有名だけれど、すぐにアイルランドのだ!って分かってしまうので、ちょっと躊躇してしまった。 このクラダーリングは、この日泊まっていたゴールウェイの近くの漁村の名前が由来となっているそう。 ハートを持った手は友愛、王冠は王への忠誠を表している。 指輪のはめ方によって、結婚しているかどうかが分かる。 王冠を爪側にはめると結婚していますという意味になるらしい。

イニシュモア島から再びフェリーに乗り、ゴールウェイに戻る。 帰りは甲板に出て、風を感じながらの船旅、ちょっと寒いけれど、とても気持ちが良い。 ちょうどヨーロッパではサッカーの試合をやっていたようで、サッカー中継のラジオ放送がされていた。

ホテルに戻る途中でサルトヒル(Salthill)のニンモ埠頭による。 ここでは白鳥に餌付けをしているようで、人が行くと向こうから沢山の白鳥が寄ってくる。 パンをあげたが、こんなに近くで数十羽の白鳥を見たのは初めて。 白鳥って意外にデカイ。 バレエの「白鳥の湖」を思い出した。

ホテルに戻り、今日はローストチキンの夕食。 大体どこのホテル、レストランでもそうだったが、メインディッシュには必ず、グリーンピース、人参、ポテトの付け合せがついてくる。 それにパン。 その前にスープが付くこともある。 最後はコーヒーか紅茶とデザート。 このデザートはかなりボリュームがあるにもかかわらずツアーの人達はみんなしっかり食べている。 みなさん、旅慣れているようだったけれど、その胃袋も旅なれているようだった。(笑)

●画像 イニシュモア島の港

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2001-01-14 アイルランド旅行記9〜ダン・エンガス


ミニバスがやってきて、やっと観光スタート。 島内は道が狭いので大きい車は通れない。 歩きか自転車、馬車、ミニバスなどで観光する。 最初に行ったのは7つの教会。 教会と言っても、すでに廃墟のようになっている。 ここでもケルト十字やケルト装飾のある石造物を見る。 

ここを見た後は、イニシュモア島の中でも1番の見所、ダン・エンガス(Dun Aonghusa)を見る。 山のように見える石が露出した景色の中を登っていく。 石灰岩なのか良くわからないけれど、白っぽく石が出た大地は不思議な世界。 まわりにはピンクや黄色の小さな花が沢山咲いている。 ぜいぜいしながら登っていくと遠くに穴があいたような場所が見える。 ダン・エンガスが見えてきた。 さらに登ると大西洋が見える。 海と土地の境は絶壁になっていて、ものすごい迫力。 ここは2000年前に砦として使われていたそうで、今はダン・エンガス砦として観光地になっている。 海面からの高さは約90メートルあり、柵もない。 落ちたら確実に死ねる。 足がすくみながらもぎりぎりの所まで行き、写真を撮る。 でも、かなり恐かった。

しばらく、座って海を見たり、写真を撮ったりして過ごす。 なんか心が洗われるようなスゴイ景色。。 ずっとこんな所にいたら、気持ちが昇華されすぎて、どうかなってしまいそう。。(^^;

その後は来た道を下る。 バスでキルロナン村(フェリー発着場)に戻る。 バスを降りる時に運転手さんにゲール語でありがとう(Go raigh maith agat. ゴロマハアガットって感じの発音)と言ってみる。 ちゃんとゲール語で返してもらえた。 通じてる。(^^)V

●画像 ダン・エンガス(上:石が露出した大地 下:右に大西洋、左は90メートルの絶壁)

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2001-01-14 アイルランド旅行記8〜アラン諸島


アイルランド旅行の4日目。
この日は今回の旅行の中でも、特に楽しみにしていたアラン諸島(Alan Islands)へ行く。

アラン諸島はアイルランド本土の西、大西洋に浮かぶ3つの島からなる。 今回、行ったのはその中で1番大きいイニシュモア島(Inishmore Island)。 ゴールウェイのロッサヴィール(Rossaveal)からフェリーに乗って約40分。 あこがれのアラン諸島が見える。
アラン諸島は昔、ゲール語を習っていたときから、絶対に行きたいと思っていた所。 アイルランドはケルト文化の国と言われるが、実際にケルトの言葉、ゲール語を日常的に話しているのはこのアラン諸島とドネゴール(Donegal)などのアイルランド北西部。 ゲール語は現在でもアイルランドの第一公用語なのだけれど、実際にゲール語を使っている人はほんの一部しかいない。
 
イニシュモア島(ゲール語で大きい島)は想像していたよりもひらけていて、観光地だった。 もっと人も少ない寂しい所かと思ったら、観光シーズンでもあり、色々な国から観光客がきていた。 島に着いて、島のメインのキルロナン村に歩いて行く途中、黒のタールが塗られた船が置いてあった。 見たことはないのだけれど「アランの男」という映画でアラン諸島の漁師がえがかれている。 「フィオナの海」という映画でもこのタールの塗られたボートのような船が出てきていた。 アラン諸島というとこの船のイメージがあったので、実際にボートが見られて感激だった。

キルロナン村に着くと、アラン・フィッシャーマン・レストランという小さなレストランでお昼を食べた。 魚が入ったスープで、骨が多い。 ジャガイモもいつものように沢山でて、食べきれない。。

昼食の後はミニバスで島内観光。 英語が分かるグループとそうでないグループに分かれ、2つのバスで行くことになった。 だが、私達が乗る英語組バスが来ない。 待っている間に、人が沢山歩いてくる。 どんどん人が増える。 すごい行列だ。 何事か?と思ったら、花が沢山載った車がやってくる。 どうやら、お葬式があったようで、島中の人たちが墓地か教会まで歩いて葬送しているようだった。 島でお葬式に出会うとは思ってもいなかったが、衣装も黒というわけでなく、どこかのんびりした感じがあって、日本のお葬式とはかなり違っている感じだった。

バスを待つ間にガイドの人と、ゲール語について話す。 彼女は学校でゲール語を習ったそうで、アラン諸島にもゲール語のスクーリングで来た経験があった。 スクーリングは英語を一言でもしゃべってしまうと家に返されてしまうそうで、結局、彼女は途中で家に帰るはめになってしまったそう。(笑) ゲール語で少し話もしてみたが一応通じ、感心された。 ま〜アイルランドから見て、はるか彼方の日本でゲール語なんかやってる人がいるというのでも珍しいだろうから。(笑) 

ゲール語を習っていたのは、もう10年位前。 ゲール語を習おうと思ったきっかけは、ケルト文明に興味があったから。 そのおかげで、スコティシュダンスやバレエまでやっている私。 あの時、ゲール語を習っていなかったら、私の今の生活も大分違っていただろう・・・と思う。 
 
●画像 イニシュモア島のレストラン(ゲール語風表記の英語で書かれたお店の名前)

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2001-01-13 アイルランド旅行記7〜ピート


ゴールウェイに戻る途中、ピートに実際触るためにバスを降りた。 荒涼としたピートの大地は一見、短い丈の草に覆われた土地だが、実際に降りてみると、ふわふわして弾力がある。 ジャンプするとまわりに立っている人が揺れを感じるくらい。 ピート(泥炭)は、スコットランドでも見たけれど、丈の短い草が腐り、それが積み重なって泥となったもの。 スコットランドやアイルランドでは、ピートを掘り出して乾燥させ、燃料として使う。 スコットランドのモルトウイスキーはこのピートによって味がかなり変わってくる。 その地域独特の味がピートによって作られているそう。 この地域は国立公園なので、ピートを勝手には掘り出すことは出来ないそうだが、住民が自家用に使う目的の範囲で掘り出しを許可しているそう。 ピートの大地にはわたすげ(白い羽毛のような草)が沢山生えていて、とてもキレイだった。

その後、ゴールウェイのホテル(フランネリィ・モーター)に戻る。 夜はホテル内のレストランでビーフの料理。 相変らずボリュームがすごい。 ゴールウェイのホテルでは水道水の色が茶色だった。 スカイ島でもそうだったけれど、ピートの大地を通ってくる水は茶色になる。 ゴールウェイの水道がどういう風に管理されているのかは分からないけれど、白い洗濯物はあまりしないほうが良さそう。。(^^;

●画像 上:わたすげ 下:ピートを掘り返して乾燥させているところ

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アイルランド、とっても美しい素敵な国です。ぜひ行ってみてください。>こちさん / るな ( 2001-01-14 21:51 )
アイルランドは一度訪れてみたい国なので楽しく読ませてもらってます。行きたいなあ・・・。アイルランド。 / こち ( 2001-01-13 15:01 )

2001-01-13 アイルランド旅行記6〜コネマラ地方


コネマラ(Connemara)地方はゴールウェイから北に広がる半島地域で、とにかく景観が壮大で美しかった。 今までに見た景色の中ではスコットランドのスカイ島に似ている。 でも、規模はこちらの方が大きい感じ。 荒涼とした大地はピート(泥炭)地帯、石が剥き出しの場所、無数の湖、可愛らしい花が咲いていて・・・本当に秘境。 スカイ島を見ていなければかなり心打たれた場所だと思う。 私的にはスカイ島(スコットランド)の方が仙境の雰囲気があると思う。 

景色を堪能した後「カイルモア修道院」に行く。 コネマラ国立公園の北にある城で、まわりの景色と溶け合って本当に絵のように美しい。 19世紀にイギリスの下院議員に建てられたこの城は売却され、その後、修道院として使われていたそうだ。 今は観光地になっている。

●画像 上: コネマラ国立公園 下: カイルモア修道院

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2001-01-13 アイルランド旅行記5〜クロンマクノイズ


アイルランドに来て、3日目。 やっと着替えも出来て、気分が良い♪

この日からダブリンを離れて、ゴールウェイ(Galway)へ向かう。 途中、クロンマクノイズ(Clonmacnoise)修道院や、コネマラ地方観光がある。

クロンマクノイズ修道院は周りには何もないような丘にポツンとあった。 この修道院はシャノン川沿岸の中でも最も有名な初期キリスト教の遺跡で、キリスト教が入ってくる前から、タラの丘の周辺のケルトの王たちが埋葬されていたそう。タラの丘同様、神聖な場所とされていた。 タラと聞いて「風と共に去りぬ」を思い出した人はすごい! あの映画に出てくるタラはアイルランドのタラから名づけられたそうだ。 スカーレット・オハラのご先祖様はアイルランドからの移民だったのかも。

このあたりに行って思ったけれど・・ケルト文明が根付いていたアイルランドにキリスト教が入っていった時は、布教活動はさぞ大変だったろうと思う。アイルランドは夏は気候が良いが、冬はとても風が強く寒さが厳しい。 

クロンマクノイズ修道院は、今はもう朽ち果てていて、屋根もない建物がいくつか建っていた。ここでも、前日見たタワーと同じような塔があったが、規模はこちらの方が大きかった。 遠くにシャノン川が見え、まわりには緑の中に牛、馬、羊が放牧されていて、本当にのどかな景色。 前日の教会でも見たが、ここでもケルト十字を見る。ケルト十字は普通の十字架に丸い円がついている特徴があって、すぐに分かる。 ここで見たケルト十字はかなり装飾的で重厚なものだった。 装飾はそれぞれキリスト教上の意味があるそうだが、聖書を詳しく知らないと、ちょっと意味がわからない。 ツアーの人の中で聖書に詳しい方がいたので、詳しい話がわかってとても助かった。

この後は、バスで移動。 途中の街でお昼(ポーク)を食べて、コネマラ地方に向かう。バスの中から見える景色は、とにかくどこまでも続く緑、緑、緑・・・ 北海道に夏に行ったことはないけれどきっとこんな景色じゃないだろうか? 山と呼べるような高いものは無くて、高くても丘程度。 緑の中に羊や馬が沢山いる。 野菜が植えられている景色はない。 アイルランドではジャガイモを主食として食べると聞いていたが、ジャガイモが植えられているのも見なかった。 一体どこで作っているのか? とても不思議。。。

●画像 クロンマクノイズ修道院 上:ケルトの十字架 下:遠くにシャノン川を見て 

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2001-01-13 アイルランド旅行記4〜グレンダ・ロッホとパブ


2日目の午後はダブリン郊外のグレンダ・ロッホ(Glendalouch)観光。
この日はお天気が非常に良く、寒いよと言われていたアイルランドにしては、暑いくらいだった。 グレンダ・ロッホは自然が美しく、緑がまぶしい、花が咲き乱れていた。 この先、どこに行っても出会う花、バターカップ(黄色のきんぽうげ)が本当に美しくキラキラ輝いて咲いていた。 グレンダ・ロッホにはアイルランドに初期に入ってきたキリスト教の教会群や、ラウンド・タワーがある。 ガイドの方に色々と説明を聞く。 その後、行く気がある人のみ、そこから山道を登って、ロウワーレイク、アッパーレイクまで歩くことになる。 せっかく来たので、がんばって、アッパーレイクまで行ったが、時間が無くかなりハード。 アッパーレイクは山道を登って行くと突然視界が開けて現れた。山の中の湖。 カナダには行ったことがないけれど、写真で見たカナダの湖に似ている。みんな湖畔で寝転がったり、散歩をしたり・・・のんびり過ごしている。 時間のない日本人観光客は、来てすぐに小走りでバスまで戻る。(泣)前日、着替えられなかったので、汗をかいて辛い。。 荷物は着いたのだろうか?不安になる。

夕食はダブリンのTHE NORSEMANというレストランでアイリッシュ・シチュー。 とても美味しかった。 この夕食を取る最中、やっと荷物が半分届いたことが分かる。 みんな夕食を取りながらもどこか不安で仕方なかったが、このニュースを聞いて、少しホッとした。 この後、みんなの希望で、アイリッシュトラッドが聞けるパブに行く。 本当はアイリッシュ・ダンスが見たかったのだが、この日はやっていなかった。 アイリッシュトラッドは日本で、ドーナル・ラニーが来日したときに聞きに行ったことがある。 ちょっと哀愁を帯びた音楽が多い。 パブは人があふれ、みんな話に熱中している。 2階で音楽をやっていて聞きに行った。 やっぱり生は良い! 席が無くて立っていたら、みんな親切に席を作ってくれる。 アイルランドの人は親日的と聞いていたけれど、本当に優しい。 もっと聞いていたかったが、時間がなくて雰囲気だけで我慢。 ダブリンはこの日までしか観光できず、もっと何日も滞在していたかった。 
ホテルに戻ると全員の荷物が届いていて、やっとお風呂や明日の着替えができることになる。 みんなやっと安心。(^^)

●画像 グレンダ・ロッホのラウンドタワー 

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2001-01-12 アイルランド旅行記3〜ギネスビール


そして2日目メインのお楽しみ、ギネスビール工場へ行く! ギネス(GUINESS)のビール工場がある一帯は、工場が出来た1759年にアーサー・ギネスが年間45ポンドという賃借料で9000年間賃貸するという契約をし、借り受けたそうだ。なんかとっても気の長い話。(笑) ビール工場付近はギネスのトレードマークの黒で統一されていてギネスがアイルランドの大企業だということが良く分かる。 工場には見学コースがあり、ギネスビールの作られる過程が良く分かるように出来ている。 

見学が終わると工場内の試飲バーでお待ちかねのギネスビールの試飲。 もらったチケットを出して、ハーフパイントか1パイントのどちらかを選ぶ。 ギネスは他のビールのように一度には注がず、一度半分ほど注いで、しばらくしてから再度注ぐ。 そのため、頼んでから受け取るまで数分かかる。 工場出来立てのギネスはベルベットのような泡がいつまで経っても消えない。 ギネスビールを飲んだのは初めてだったが、まるでコーヒーのような濃くがあって、とても美味しかった。 日本に帰ってきても、あの工場出来立てギネスビールの味が忘れられず、ギネス缶を買ってきて飲んでいるうちの家族。本場にはかなわないけど、やっぱり美味しい!(^^)

ギネスは言うまでもなく黒ビールだが、その昔、ロンドンでビールを作るためにあった麦が火事で燃えたそう。 そのままでは普通のビールには使えないが、燃えた麦を使ってビールを作り、ポーター用に安く売り出した所、人気が出たそうだ。 それを聞いた、アーサー・ギネスがダブリンで黒ビールを作り始め、今日に至っている。 ギネス氏、先見の明があったのね〜と感心。

ギネスの後はクライスト・チャーチ大聖堂を外から写真撮影。 昼食は市内の小さなホテルの地下のパブで食事。 ポテトがいっぱい出る。量が多くて食べきれない。(笑)

午後の観光に続く・・・

● 画像 ギネス・ホップストアのチケット
     (このチケットを出して、試飲バーでビールを飲む)

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